ゴンベエとブレインの泊まる部屋は、ベッドと机だけが置かれた質素な部屋であった。不満は無い、金を出してくれているのはブレインである。それに寝られる所があるだけでも満足であった。二晩も寝ると、もう墓場の事は頭にない。今日と明日があるだけの男であったが、早急に町から出る事態となっていた。
この日、早朝に起きたゴンベエとブレインは部屋を掃除していた。手の届く高さから、柱、机、床、ベッドの類まで、宿屋の親父に借りた雑巾で拭い、箒で塵一つ残さない。徹底的と言えよう、まるで自分達がここに居たという痕跡を消し去るようである。
掃除で舞う埃を外にやるため、窓を全開する。暖かい日差しと、新鮮な空気が部屋を満たした。
ブレインは、掃除に従事しながら事件の後日談を思い起こしていた。
先ずは攫われたンフィーレア少年の事だが、霊廟から助け出された時はまだ昏睡状態であった彼は、何の後遺症も無く回復したらしい。何処かに腕の良い
彼は祖母のリイジーと店を畳む準備と荷造りに大忙しだそうだ。何でも、カルネ村に引っ越すのだと言う。町は優秀な薬師を失う事を懸念したが、村はトブの大森林のすぐ傍らしく、良い薬草などが取れる為に今までよりもポーションの研究が捗るのだそうだ。ポーションはエ・ランテルにも運ぶというので、町の者は機嫌を損ねるのを危惧したのか最終的には承諾した。
事件を起こした首謀者の事は良く分かっていない。だが、あれが噂の邪教の一団なのではないかと、ブレインは考えている。
そして町には新たなミスリル級冒険者が誕生した。漆黒と称される、戦士モモンである。その一撃で巨人を打ち倒し、数千に及ぶアンデッドの軍勢を勇敢なる仲間達と突破し、首謀者を全員生かして捕らえ、ンフィーレアを救い出した豪傑。
その功績を称えられ、銅級からミスリル級に飛び級したらしい。流石だと感心した。両手にグレートソードを持った彼と共にアンデッドの中を駆け抜けた仲だ。強さならブレインが良く分かっていた。
あの場にゴンベエとブレインが居なくても、二人で難なく突破していた事だろう。
墓場でのゴンベエの活躍はほとんど語られていない。
あの夜、共同墓地での出来事は各方面で口止めがされており、事の詳細は組合長クラスの者か耳聡い者が噂として聞いたに過ぎない。町に要らぬ混乱を起こしてはならない配慮であったが、墓地が大きな光で包み込まれた事は噂となっていた。
墓場の外周で待機していた衛兵や冒険者がその噂を広めたのだが、ナーベラルが強力な魔法を使った事になっており、彼女は美しき姫と書いて『美姫』と称される事になっていた。
何故、二人が宿の掃除をしているかというと、徐々に二人の噂が広がりつつあったことに由来する。要らぬ噂を広められては堪らない、二人の事を黙ってくれているモモン達に、義理を通せなくなってしまうからだ。それで昇級が無かった事になってしまえば、折角の苦労が水の泡だ。
既に冒険者組合は、ゴンベエとブレインに目を付けつつあった為、二人は自分達の痕跡を消すように部屋の掃除をしてこの町から去ろうとしていた。
黙って去れば良いとゆうのに、律儀な男なのだ。
「何も町から出ることはないだろ?」
ブレインが、桶の上で雑巾を絞っている。普段は刀以外掃除しない男だ。何とも似合わない。
「なに、そろそろ次の町に行こうと思っておった。ちょうど良い機会じゃないか」
息苦しい町にはしたくなかった。ほどほどで良く、のんびりと魚でも釣って、稀に起こる騒ぎに混ざる。別に金も名声も欲しくはなく、天下に名を広める為にあんな事をしたのではない。
こんな事は金輪際したくはない、訪れる町々でこんな事をしていれば、逃げるのが癖になってしまう。
ブレインは納得するしかない。こんな酔狂、今に始まったことではない。これからも先もずっとそうするだろう、この男は。
余談ではあるが、ナーベラルから受け取ったスティレットなる武器は、そこそこ良い値段で売ることが出来た。顔見知りであった商人が高く買い取ってくれたのだ。商人なる者は非常に聡い人間である。大方、二人と友好関係を結ぼうと高値で引き取ってくれたのであろう。
掃除を終えて掃除道具を親父に返すと、彼は酒を一杯ずつ二人に奢ってくれた。ここは多くの人々が泊まる宿屋だ、誰かから噂を仕入れでもしたのだろう。彼にしてみれば、町を救ったと思われる二人をこのまま立ち去らせる訳にはいかない。
その心意気を汲んでか、二人は一気に飲み干した。
「親父、またな」
「達者でな」
交わした言葉は少なかったが、両者からは別れを惜しむ念が感じられた。この世界に来て初めて泊まった宿屋、それなりの愛着が湧いてもそれは仕方がない事である。
「さて、行くかね」
まるで宣言をするかのようにゴンベエは言った。別段、見送りが居る訳ではない。誰にも去るとは言っていないのだ。親父だけが察しただけで、見知った者達は二人が去ることを知らない。出口までの間、ゴンベエは良く掛けていた椅子の背凭れに指を滑らせた。
宿屋から出ると、のんびりと西の門を目指す。道すがらブレインがゴンベエに話しかけた。
「旦那、次は本当に王都に行くんだな?」
ブレインには気掛かりがある。
王都には、王国戦士長のガゼフ・ストロノーフが居るはずだ。任務で地方に行くことはあるが、基本的には王都に在中している。もしもだが、街中でばったりとガゼフと出会ってしまったら、どういう顔をして向き合えば良いのか分からないのだ。
ガゼフも会ったとして気軽に声を掛けてくるとは限らない。二人は御前試合で戦った間柄で、それ以上でも以下でもないのである。手合わせを願っても快く受けてくれるとも限らないだろう。ガゼフには王国戦士長としての立場があり、断られる確率の方が高いのだ。
こんな事をゴンベエになど恥ずかしく言い出せず、ブレインは悩まし気に顔を伏せるしかなかった。
「お前はここにいてもいいのだぞ」
何やら悩む姿を見たゴンベエが、勘違いを起こしてかそう口走った。
「は?」
確かにブレインはエ・ランテルに愛着は湧いてはいたが、ゴンベエと別れてまで残りたい程ではない。要らぬ誤解を生んでしまったと気付いたブレインは訂正しようとするが、彼は話を続ける。
「無理に付いてくることはない」
「いや―――」
「何も今生の別れではない。人は会おうと思えば会えるものよ、例え大陸の端であろうと大地の裏であろうと、会おうと思えば会いに行けるさ」
ブレインに喋らせる暇を与えず、捲し立てる。何もブレインと別れたくてそう言っているのではない。旅――自由とは自分なりの生き方を見つける事でもあると、ゴンベエは考えている。ブレインがエ・ランテルで成したい事があるのなら、それを元気良く送ってやらねばならない。
「ま、待てよ。違う、違うぞ」
「ん? 違うのか?」
「そうだ。俺は―――」
「あ! ゴンベエさん! ブレインさん!」
ブレインの言葉が終わる間も無く、二人に誰かが話しかけてきた。それは、やや高い中性的な声であった。
濃い茶髪で、小柄な
「あれから見られなかったので心配していました」
名を呼ばれた二人がニニャに気付くと、彼は小走りで寄ってくるなりそう言った。
そういえば、あれから漆黒の剣とは会えていなかった。あの後どうしていたのか、心配してくれていたのだろう。
「まだお二人には御礼を言えていませんでした。漆黒の剣を代表して言わせて貰います、先日はありがとうございました」
ニニャは恭しくそう言いながら、人目も憚らずに大きく頭を下げた。アンデッドから助けられた後も色々とあったせいか、漆黒の剣は二人と話せていなかった。もしもあの場に二人がいなければ、ニニャはこの世に生きていなかったかもしれない。深い感謝の意を示すのは当然であったと言えよう。
「ニニャ、こんな所でそう頭を下げるな」
街中でこうも頭を下げられれば居た堪れなくなってしまう。
何もそこまでする必要はない。寧ろ巻き込んでしまったこちらに非があるのだと、ゴンベエは気まずい顔でそう言うが、ニニャの意思は固いようだ。
「いえ、これだけはちゃんとやります。私の気が収まりませんから」
こう見えて気概がある男だなと、ゴンベエは唸った。
ニニャは少し遠目で見れば女性と見間違うこともある中性的な見た目である、色白の肌に青い瞳には少女の様な印象を抱いてしまうほどだ。人を見かけでは判断出来ないものであると教えられた。だからこそ冒険者をやっていけるのだろうか。
「あ、そういえば何だか邪魔しちゃいましたか? これから何処かに行くみたいですし」
「少し王都へな」
「町を出るんですか?」
「まあ、そうなるか」
積もる話もあったので歩きながら話そうと提案すると、ニニャは軽く了承した。道中で冒険者組合の前を通るからだ。聞いてみると、他の三人はもう組合に居るそうでニニャだけは私用で少し遅れたとのこと。
ゴンベエはこれも何かの縁だろうと、話したいだけ話すことにした。
「声を掛けた時は気付きませんでしたが、何か話していました?」
「なに、こやつが町に残るかと話していてな」
「いや、違うぞ。俺は残ったりなんてしねぇ、旦那に付いて行くって言ったはずだ」
「そうだったか?」
二人がわちゃわちゃと言い合っているのを見て微笑ましかったのだろうか、ニニャがにこつきながら話に入ってくる。
「何を話していたか気になりますね」
「気にすることでもないさ。今生の別れではない、会おうと思えば誰だって会えるものだと、こいつに教えていただけだ」
ゴンベエは何気なくそう言った。多少省いた言葉はあったが、ほぼ同じ意味として伝わるだろう。すると、ニニャの顔から笑みが消えているではないか。
突然真顔になったので、何か不味い事でも口走ったかと二人は顔を見合わせていると、ゆっくりとニニャが口を開いてくれた。
「ゴンベエさんは何処にいるのか、生きているのかも判らない人とも、きっと会えると思いますか?」
それは何かに縋るような口調であった。
ブレインには何となく察しが付いた。最愛の人物または肉親だろうか、行方が知れず生死も不明など、今の世の中では不思議な事ではない。若い女を連れ去る貴族は多く、生活に困り果て人身売買に走る親は少なくない。それに王国には大きな犯罪集団が存在していた。人攫いや殺人、あらゆる悪事を平気で行うような連中だ。
ブレインは何とも言えなかった。つい最近までは自分もそちら側の人間であったのだ。手をかけた者の中に、帰りを待つ者もいたことだろう。
「会えるさ」
確信にも似た物が込められた言葉であった。ゴンベエが、軽くそう言ったのである。
「本当ですか?」
こんな安直な言葉など、ニニャは聞き飽きていた。
彼は、いや彼女は悲しき少女であった。両親を早くに亡くし、唯一残った姉と二人で助け合い仲良く暮らしていたある日、領主の貴族が妾として姉を連れ去り、その後ゴミのように捨てられた。今では何処にいるのかさえ、分からない。
少女には力が無かった。だから姉を助けられるだけの力を求めた。それは復讐の力であったが、神は少女を見放さなかった。運の良い事に少女はタレント持ちで、素質を見抜いた偉大な師匠と出会い、弟子として教育を受けることになる。
その後は独り立ちし、冒険者として活動。仲間には恵まれ、冒険者業は板についてくるも貴族への恨みと復讐の誓いを忘れたことはなかった。
仲間達から姉は助けられると、何度も言われた。今さら、ゴンベエの言葉など心にも響かない。
「その人の事を忘れずに考えていれば、ある日ふら~と現れるものさ」
ゴンベエは少女の心情など知ったことではないと、ペラペラと持論を語る。儚い希望を植え付けるような安い言葉にしか、少女は聞こえなかった。
「はい……」
「嫌な事を思い出させてしまったみたいだな」
「いえ、姉さんの事は一日たりとも忘れたことはありませんから」
「姉か……」
そこには聞くも涙、語るも涙の物語があるのだろう。無理に聞くつもりはない、人の心にずかずかと土足で入り込むような真似はしてはならない。
ニニャは何処か遠い目をしていた。希望を抱いているのか、絶望を抱いているのかは判らないが、同じ目をした人に会った事があった。貧民街に乗り込んだあの夜、ブレインが同じように月を見上げていたのを思い出したのだ。
それと良く似ていた。それは昔の事を想い浮かべるような面持ちであった。
はたと気付いた。誰もが多彩な過去を持ち、それを背負っていることに。
隣で居心地の悪そうにしているブレインを見てみる。この男も、昔は人にも言えないような生き方をしていたのかもしれない。ニニャが姉を攫われたように、ブレインにもガゼフに敗れた過去がある。その過去を隠せない事は二人の顔を見れば良く分かった。過去がこの者達を形作ったと、物語っているからだ。
この世界で過去を持たない自分は異質なのだな、とゴンベエは勘付いた。だからこうまで、安閑にして剽悍な心持ちなのだろうか。誠に無縁だからこそ自由で、何時死んでも悔いが無いのだ。されば、自分のような野良犬にはさすらうのが似合っている。
「お前の姉は生きているさ」
声に出して言った。
ニニャの心情を察する事は出来ないが、手を貸して欲しいのならば手を貸す。友の頼みを断るような真似はしない。
「分かるんですか?」
「いや分からんが、何となくそう思うだけさ。はははっ、さて行こうかね」
軽く笑うとゴンベエは、歩みを速めた。二人を背に置き、沈んでいた空気を無理矢理持ち上げようとした印象を受ける。
ニニャは、彼が自分を心配してくれているのだなと痛いほど分かった。隣のブレインと目が合うと、彼は何かを誤魔化すように笑う。
「ブレインさん。ゴンベエさんを支えてあげてください」
ニニャは何を思ったのか、そう言った。
「は? 俺が?」
「ええ。ゴンベエさん、何だか道端で飢えてしまいそうで……」
「あ~………」
否定は出来ない。そうなっても可笑しくはない生き方である。
金銭や名声に関心を持たない世捨て人で、命を捨ててしまう危うさが垣間見える。自由に固執する余り死んでしまっては元も子もないが、彼はそれでも死ぬ事を受け入れるだろう。
ブレインは少しでも長く彼の傍に居ようと誓う。自分が強くなる為であり、惚れた男を支えられるのなら、それは男としての本望であった。
冒険者組合の前で、ニニャは二人と別れた。
中に入ってみれば、いつも通りの光景が広がっている。机を囲み談笑する者、依頼と睨みっこする者、受付嬢を口説く者もいる。自分のチームを探すと、他の冒険者と何やら話し合っていた。
「で、そいつは何処から来たんだ?」
同級の男が三人に訊いた。
「こっちだったかな?」
ペテルが、こっちと言う方向を指差しながら答える。
「いや、そっちだろ」
ルクルットが反論して、そっちと言う方向を指差した。ペテルとは反対側だ。
「どっちであるか?」
ダインが腕を組んで悩んでいる。
そんな話を聞いている相手の方にもなってやれ、とニニャはため息を付いた。こっちやそっちで分かる筈がないが、あの男の事は何も知らないのだ。どう生きてきたのか、過去に何があったのか謎多き男である。
ニニャは彼らが囲む机に詰め寄ると、堂々と云った。
「違う、あっちだ」
ニニャはあっちを指差した。
ゴンベエとブレインは門前で足を止めていた。朝も早い為、商人やその護衛が行列を作っていたが、それに並んだ訳でも門番に止められた訳でもない。
二人の前には漆黒の甲冑を付けた男と美しいポニーテールの女。それぞれの首にはミスリルのプレートが掛けられている。
通行人の邪魔にならないように、道端で二人は立っていた。まるで待ち構えていたかのように見えるが、野暮な事には突っ込まない。
「やあ、ゴンベエ」
モモンに扮したアインズは、気軽に話しかけた。親しい友人の様に接しているがその内心、怪しまれていないか不安であったのは誰にも気付かれてはいない。
監視をしないと決めていたが、やはり拠点としている町に同じプレイヤーが居るのは気掛かりである。せめてエ・ランテルにゴンベエが滞在している間だけでもと監視を付けることにした。それは危険を伴う冒険のようなものであったが、ゴンベエに気付かれた様子は無かった。
この事はナザリックの者達には内緒で、そこには万全の注意を払った。これを知るのはナーベラルただ一人だけである。
町を去ることを知ったアインズは、ナーベラルを連れて彼らを待っていた。
待っている間、ナーベラルの顔は強張っていた。命を張ってアインズを護る事になるかもしれないと危惧していたからである。
アインズは二人が来るまでの間に、そんな彼女に気楽な声を掛けていた。
「笑って見送ってやればいい」
ゴンベエは人間ではあるが、恐らくアインズと同格の力を持っていると判断していた。そんな相手を笑って見送れなど、ナーベラルは理解に苦しんだが至高の御方の命令は絶対である。
「やあ、モモン。ミスリルに上がったって聞いたよ、今日も依頼か?」
掛けられた声にゴンベエは応じた。井戸端会議のような口調である。
「いや、お前が町から去ると聞いてな」
多少口ごもって答えるが、正直これといって用事は無いのだ。
ただ、最後になるかもしれない男の顔を見ておきたかった。自分の様に明確な考えを持たずに生きていこうとする男、冒険者モモンとしてゴンベエを見るのはこれが最後なのかもしれない。
鈴木悟として、同郷のよしみとして談話できる最後、本当はそうなって欲しくはないと願いたいが。
「見送りに来てくれたのか。そちらのお嬢さんと一緒に」
そう言ってナーベラルを見てみると、口元を指で引っ張ったような笑顔を浮かべていた。ゴンベエは一瞬、ギョッと目を見張るが不器用ながら自分らを見送ってくれるのだなと、ありがたい思いで胸が一杯になってしまう。
ブレインは、眉を痙攣させるほど不気味がっている。美しい顔が台無しなほど、酷い顔なのは言うまでもないだろう。
「ああ、そういう訳だ。生憎、何も餞別できる物はないがな」
「その気持ちで十分だ。このような無縁の身にはそれでも贅沢さ」
「旅の身には先立つ物が要るだろうが、こちらも色々と要りようでな」
「新しい甲冑でも買うのであろう。傾いているお主には必要だろうな」
「かぶく?」
「街中であろうと兜を脱がない、モモンの美意識が分かるよ」
アインズは別に格好つけて街中でも兜を脱がない訳ではない。
アンデッドの顔を見られないように脱がないだけである。幻術で顔を作ることも出来るが、見る者が見ればそれを見破ることが可能な為に、おいそれと脱ぐ訳にはいかないのだ。
ゴンベエのように異風を気取る訳ではないが、ここは彼に同意した。
「そ、そうだ。それに何時でも戦えるようにするのは戦士としては当然のこと」
「誠にその通り」
沈黙が場を制した。楽しげに続いていた会話が、変わった事にぴたりと止んだのだ。
アインズは軽い挨拶でも済ませば、さっさと去ろうとしていたので沈黙は痛いほど辛い。
気楽に肩でも叩いてもらって、ゴンベエ達には立ち去ってほしいと願ったが、彼は神妙な面持ちでアインズを見ていた。異様な笑顔を浮かべるナーベラルが浮くではないか。
「なあ、モモン。俺達と一緒に旅をしないか」
「え………?」
アインズは困惑した。ブレインも同じように困惑している。ナーベラルに至っては笑顔が消え失せて、鋭い眼差しでゴンベエを睨んでいた、怖い顔である。
「なぜだ?」
ゴンベエの思惑が見えてこない。アインズの言葉は純粋な疑問であった。
「墓場で色々と訊いてきただろう。興味の無い奴がそんな事を尋ねるかね?」
「ああ、そうだったな」
「それだけじゃない。似ていると言うのか、同じ匂いがするんだ、お前と俺」
「ッ!?」
プレイヤーである事を見抜かれた、アインズはこの男を見誤った事を後悔する。すぐに逃げ出そうと思考を巡らせるが、ゴンベエの言葉がそれを吹き飛ばした。
「それに、何か背負ってるんだよ。重たい物っていうのか、本当は冒険者なんてたいしてやりたくはないのではないか?」
「なに………?」
アインズは絶句した。憤怒のような感情が一瞬湧いたが沈静化してしまう。何か苦言の一つでも言わねばとするが、言葉が出てこなかった。
どうしてだろうか。否定する言葉など、簡単に出せる筈である。ナザリックを去った仲間達の為に、自分を慕うNPCの為に、アインズ・ウール・ゴウンの名を不変の伝説として残そうとしている。そこには何の迷いも無い、確実にそう言い切れた。
「そう悪いものではないと思うがね。何より、自由だ」
「自由か……」
アインズはうっとりと呟く。この男が言うと、何とも魅力的な響きに聞こえてしまうではないか。
「モモンさ――ん………」
ナーベラルが、アインズの腕をそっと引いた。そこには普段の
それは彼を正気に戻すには十分であった。何をうっとりしているのだ、と自分に言い聞かせてアインズは彼を見やった。
「悪いな。私には成さねばならん使命がある」
ゴンベエの誘いを受けるような事はない。それは絶対だ、傍らで立つ我が子の為にも。
ナザリックには沢山の思い出がある。語ろうと思えば一晩二晩では済まない、とても大事で忘れたくはない記憶、永遠に残しておきたい、仲間達との絆、捨てられるものか。
「だろうな」
まるで答えが分かっていたかのように、ゴンベエは完爾と笑った。粋な男笑いであった。
思わず見惚れてしまったアインズは、咳払いをするかのようにわざとらしく声を出して、気分を整えて彼に尋ねた。
「最後に訊きたい。貴方は何処まで行くのか、王都が最後ではないのだろう」
好奇心に溢れる、子供のような質問であった。アインズもまた、この未知なる世界を隅々まで知りたいという想いは強い。
男は、雲一つ無い空を見上げて宣言した。
「この空が続く限り何処へでも」
何処へでも、恋い焦がれてしまう遥か彼方の地まで、そこには柵から抜けた世界だけが広がる。何をしてもいい、そこには命の柵さえ無い。生きるも死ぬも自由だ。そこで死ねばそれまでの運命だったと割り切らねばならない。
自由に大陸を旅し、その土地の風土を見て、そこに住まう人々と出会い、彼らと一緒の物を食い、酒を飲み、服を着て、時には喧嘩をする。そんな旅だ。
その言葉は、アインズの胸をすくような気持ちとさせる。
差し伸ばしたのは何方からだったであろうか、その手を握ったのは誰であったろうか、二人は互いの手を取った。右手で握ったあと、左手で相手の手を覆うような固く熱い握手であった。
「ではな、モモン殿。ブレイン、行こう」
「では、ゴンベエさん。ナーベ、行くぞ」
名残惜しそうに手を放すと二組は背を向け合い、それぞれの道を進んでいく。
アインズは背中から離れていく男を想った。
あのような男が味方になるのなら、頼もしい事この上ない。戦いでは獅子奮迅の働きを約束してくれるであろう。彼の力で破れないのなら、自分の魔法と知識で手を貸そう。
あのような男が敵となるのなら、素晴らしい事この上ない。邪知暴虐の限りを尽くして受けて立とう。彼が力で策を食い破るのなら、それを上回る筆舌に尽くしがたい策謀を練ってくれよう。
そして望めるのなら、傍観者に努めてほしい。
背から遠ざかって行く男の気配を感じながら、ナーベラルの肩に手を置いた。こんな可愛い子を一時でも不安にさせた自分が恨めしい。そして、またあの男が自分を誘って来るのならば、ぶん殴ってやろう。
くるり、と後ろを見た。
大きな背が門の向こうに消えていく。アインズは、それを最後まで見送ることは無かった。
天涯孤独の身の上なれど、自由を愛する心は誰よりも強い。困難が立ちはだかろうと歯牙にもかけず、憂き世往来、名無しの権兵衛。
かくしてゴンベエはエ・ランテルを後にした。ブレインは幸せそうにその後を追った。