エ・ランテルの共同墓地。その門を守る衛兵隊はアンデッドの大軍に襲撃されていた。
門を打ち破ろうと、
百や二百で済む数ではない。千か、もしくはそれ以上の数がまだ後方から迫って来ていた。門は今にも突破されそうである。防壁の衛兵はすでに何人もやられており、今も
すぐに決断しなければもっと大勢の人間が死ぬ。ここで守っているだけではどうにもならないのだ。衛兵駐屯地に走らせた者はまだ帰って来ていない。
「この場を放棄するぞ、すぐに壁から降りろ!」
隊長が声を張り上げた。号令直下、壁上で戦っていた衛兵たちは隊長に続いて階段を駆け下りると、そのまま門の前に陣取る。格子の隙間から白骨の腕が伸びる。まるでこちらに誘っているかのようだ。数百のアンデッドが殺到すれば鍵の掛かった門など役にも立たない。ミシミシと音を立て、徐々にへし曲がっていくではないか。
ここまでか、と隊長に諦めの色が見えてしまう。エ・ランテルは死の都市へと変わってしまうのか。
だが、そこに希望が訪れた。
ガチャリ、と後方で金属同士の擦れる音がした。皆が一斉に後ろを振り向いた。
それは漆黒に輝く全身鎧。金と紫を使い上品な模様を入れていた。細いスリットの入った
その後ろにまだ男が二人ほど見える。王国では余り見られない衣服に身を包み、刀と呼ばれる剣を腰に携える大柄の男と青髪の男。青髪はまだ普通の戦士のように見えたが、この中では普通過ぎる故に浮いて見えてしまう。彼らは甲冑と美女に隠れるようにして立っていた。四人の男女で組まれた冒険者のチームと推測される。
僅かな希望を抱いて隊長が声をかけようとして近付くが、その首元にはカッパープレートがぶら下がっていた。銅級冒険者は、ほぼ新入りのようなものだ。控えめに言って役に立たない。希望から再び絶望に叩き落された気分であった。
「あんたらすぐにここを離れた方がいい」
隊長が声を大にして言うが、甲冑の男は聞こえていないかのようにグレートソードを抜くとそれを頭上に掲げ、槍投げをする時のように構えたのだ。
「後ろを見ろ」
そして彼は、呟くようにそう言った。
衛兵たちが後ろを恐る恐ると見てみると、防壁からのっそりと顔を出すほど巨大なアンデッドがいた。防壁が4mだと考えると、かなりの大きさである。壁に手をかけてよじ登ろうとするその
呆気なかった。隊長は信じられないものを見る目付きで甲冑の男と向き合う。
「あんた何者だ?」
そう尋ねたが、彼は聞く耳を持たないようだ。
「門を開けろ」
そう言った。さも当然かのように。
隊長は断固拒否する。門の向こうにはアンデッドの大軍がいる。それを唯一防いでいる門を開けてしまえば、どうなるか想像もしたくはなかった。
「それが? この私、モモンに何か関係があるのかね?」
いやもう、傍若無人である。隊長は言葉が出てこなかった。
「まあいい。門を開けないと言うのなら仕方がない」
そう言うとモモンと名乗った男はもう一本のグレードソードを抜き、甲冑の重みを感じさせないかのように高々と跳び上がって壁を越えていった。美しき女性もそれに続いて、
衛兵たちは嘆声を漏らしていたが、更に彼らを驚かせることが続く。残った二人の男の内、長い髪を後ろで高く結った男が、ゆっくりと一歩を踏み出した。肩で風を巻くかのように、威風堂々として階段の方に進んでゆく。その顔は涼風が吹き抜けているかのように微笑を浮かべている。匂い立つような男の笑みであった。
青髪の男もそれに続いていく。彼も僅かながら口元が緩んでいた印象を受けた。
この二人はプレートを付けてさえいない。冒険者でないのなら一体何者なのか、なぜ笑っていられるのか、衛兵たちには不思議で堪らなかった。これから死地に出向くというのに、何をそんなに笑う必要があるのか。狂人としか思えない。
壁に上がり、二人の姿が見えなくなって彼らは息を止めていた。
すると、爆音が鳴り響いた。鼓膜が破れるかのような轟きが辺りに響き渡る。最初、それが雷の落ちた音かと思ったが、どうやら違った。壁の上からするのである。それは、獣が遠くの仲間に何かを知らせる時の遠吠えに似ていた。
咆哮が止み、何度か風を切る音が聞こえるとアンデッドの呻き声が止んでいた。
まさか、と彼らは防壁に登った。眼下に群れをなしていたアンデッドは音を立てない屍へと変貌していたのである。
「嘘だろ。何なんだよ、あの人たちは?」
誰かがそう言った。
「モモンと言ったか」
これで彼らが銅級冒険者とは、とてもじゃないが信じられない。アダマンタイトの間違いではないかと、口々に言い合う。
「俺たちは伝説を目にしたのかもな。漆黒の戦士。いや、漆黒の英雄だ」
ブレインは、眼下に蠢くアンデッドの群れを見て、武者震いを起こした。
今からここに突入するのだ。
アインズ達はすでに降りて戦っている。左右の手でグレートソードを振れば、
ブレインは、今すぐにでも飛び降りたい衝動を抑えて、傍に立つゴンベエを見る。彼は、笑っていた。
「行くか」
ゴンベエは、気軽に問うた。
「ああ」
ブレインも気軽に応じた。お互い、これから風俗街にでも繰り出すような声をかけあう。
念のためと、ブレインは二つのポーションを一気に飲み干した。
一方、ゴンベエは静かに目を閉じて大きく息を吸っていた。見る間に胸がどんどん大きくなってゆく。ブレインが訝しんだ次の瞬間、爆音が響いた。
なんとゴンベエの口上であった。だが、あまりに大きすぎて、人語に聞こえなかったのだ。
ナーベラルは空中で耳を塞いで、魔法を唱える手を止めてしまう。アインズも何事かとばかりに見上げていた。
そして、驚くブレインを置いて、ゴンベエは一人で飛び降りてしまうのだ。遅れまいとブレインが、南無三とばかりに飛び降りた。降りた付近のアンデッドはすでに誰かに倒された後であった為に、着地の隙を襲われる心配はない。もう門の近辺に動くアンデッドはおらず、三人は奥へと進んでいた。
「凄いな………」
柄を握る力が強くなった。あの男に追い付きたい。その一心で、ブレインは駆けた。
三人とも、驚いていた。
ゴンベエのあし、天馬のごとく速いのである。
脛が車輪のように回転して土埃を上げて駆けてゆく。行く手を阻むアンデッドは、彼が刀を振ると山のような屍を築いた。アインズとブレインは付いて行くのに必死だ。ナーベラルはまだ耳が痛いのか、それを気にしながらも宙を飛んで何とか追い付いている。
まるで荒れ狂う海だ。アンデッドの波を逆巻く勢いとなり、遮二無二突き進んでゆく。その姿は阿修羅としか形容できない。
派手といえば派手な戦いぶりである。だが、命を捨てるかのような無茶苦茶な戦い方であり、そこには作戦も駆け引きも何もない。
ブレインは屍に躓かないように走り、横合いから襲ってくるアンデッドを切り伏せながら男の背を追いかける。速さと勇猛さ、刀を持って駆けるその姿には見た者の血を滾らせる何かがあった。とても危険な力である。かっと燃え上がるように、ブレインの身体は熱を持っていく。
アインズは単純に驚いていた。
ハムスケを置いて来たのはこのためだ。アンデッドは生きている者に強い反応を示す。当てが外れれば、二人を囮にでもして先に行こうと考えていたが、かなりの戦力として役立っている。それこそモモンという冒険者が要らないほどだ。
(これは滅茶苦茶だ……)
生粋の戦士職の戦いを見るのは、久しぶりであった。ギルドメンバーとパーティを組む機会が無くなってからは、ソロで金貨を稼いでギルドの維持に努める毎日。
レベル30程度の戦士を偽っている自分と、比べるまでもないほど強いと分かる。彼の戦いぶりからプレイヤーであると、アインズは確信していたが、それよりも彼の頭を支配していたのは、すぐにでもこの鎧を解いて
もしも人間であったのなら、彼の傍に立って魔法を唱えてみたいとさえ思えてしまうほどの強い魅力が、ゴンベエにはあった。
遠くから聞こえてきた声にクレマンティーヌは耳を傾けた。
男の口上と取れる叫び声。それはこう言っていた。
「我は名無しの権兵衛! いざ、尋常に風流尽くそうか!」
聞き取れない部分もあったが、確かにこう聞こえた。戦いの前に名乗りを上げるとは、戦場の習わしに従っているのだろう。だが、場違いもいいところだ。クレマンティーヌは笑ってしまう。腹を抱えながら、今からこちらに攻め込んでくると宣言した男の顔を思い浮かべた。
何が名無しのゴンベエだ、ゴンベエは名前じゃないのかアンチクショウ。
とてもじゃないが勝てる気がしてこない。
アンデッドがいくら足止めをしたところで、結局戦うのは自分だ。あんな化け物と剣を交えるなんて想像もしたくはない。それなら町から逃亡を試み、風花聖典と一戦交えた方が遥かに楽で生存率が高いと思われる。だが、彼女はそれを選ばなかった。
クレマンティーヌの胸にあるこの感情は何なのか。
負けると分かっている戦い。
圧倒的力量差への絶望感。
死に対する恐怖。
なぜ戦う。なぜ挑む。
絶望、恐怖、それ以上に強い感情が彼女の胸に渦巻いている。これが一体何なのか、彼女には分からない。
絶望の夜を越えて、彼女は覚悟を決めていた。
感情などに感けていられない。彼女の視線と意識はある一点に釘付けになっていた。それは、言うなれば嵐。肉と骨を巻き上げながら縦横無尽に駆ける
巻き込まれたアンデッドたちは次の瞬間には消し飛んだ。数を減らし続けるその嵐を止めるために、囲み、飛び込み、また山を築いた。
「お主、一体誰に喧嘩を売ったのだ……?」
すぐ後ろにいた同じズーラーノーン十二高弟であるカジットは、迫りくる嵐を呆然と見つめながら、呻きを漏らすように言った。
「さあ、誰なんだろー? わっかんないや」
惚けるように答えた。クレマンティーヌにしたら、もう相手が何処の誰だろうと関係ない。今際の際に立っている、命を賭して戦うだけだ。
「カジッちゃん。最後まで付き合ってねぇ」
「き、貴様ぁ………くっ」
カジットは、手の中にある死の宝珠を掲げた。
予め呼び出していた
クレマンティーヌは焦る相棒の姿を見てまたも破顔する。もう何をしても手遅れである。今さら必死になったところであれを止められる筈がない。もはや、笑わずには正気を保っていられないのだ。
腰からスティレットを一本抜いた。
これを一瞥する。これがどれほどの血を吸ってきたのか覚えてはいないが、今日もそうなることを願うと、自らの美点から近付いてくる嵐に視線を移した。
死人と化した彼女は、今まさに勇気の一歩を踏み出した。己の足跡が後へ続くように力強く、土を蹴った。
頭蓋骨、肋骨、上腕骨、臓物、吹っ飛ぶボロキレ、宙を舞う挽肉―――それらが、ゴンベエの視野を、忙しく、掠め過ぎた。
そんな渦中であろうと、自分を狙う存在に気付く。金髪の女が駆けてくる。
「あいつは……」
ンフィーレアを攫った女とすぐに気付いた。立ち塞がるのなら、切り伏せるだけだ。
道中、後ろから速すぎると文句があったので、脚を抑えていた。追い付いてきたブレインが隣で喚いた。
「あの外道は俺にくれ!」
ここまで大した活躍をしてこなかったブレインの、魂からの叫びであった。
ゴンベエは軽く頷いた。彼を止める理由は無かったし、少し暴れ過ぎたかと自重し始めていた。他の者にも獲物を分けてやらねば不公平である。
ブレインは先駆け、クレマンティーヌ目掛けて一直線に駆けた。
「邪魔だぁああああっ!!」
クレマンティーヌの腹底から轟く絶叫。ゴンベエに向けられた殺気が一度にブレインを襲う。
足は止めず、刀を構える。両者、同じ意図のようだ。すれ違いざまに一撃を入れ合う。初撃は痛み分け。
ブレインは脇腹に、クレマンティーヌは頬に掠り傷を作った。
「我々は奴らを」
打ち合った二人を一瞥すると、ゴンベエはアインズに向かってそう言った。
ローブを纏った
「彼は、大丈夫なのか?」
アインズはブレインの方を見てそう言った。
同じように転移してきた彼は、この世界での武技というものを余り詳しくなかったので、正直に言えば自分がクレマンティーヌと戦って、戦士の戦い方を学びたかったのだ。
だが、もう言える空気ではない。アインズは空気を読む男である。
「ああ」
何も言うまい。
アインズも納得したのか、頭上のナーベラルに檄を飛ばす。
「ナーベよ、道を開けよ!」
「はっ!」
上空から落とされる雷撃が、アンデッドの群れを切り裂いた。その割れ目にゴンベエとアインズが突入し、こじ開け、霊廟の手前まで押し進んだ。
ブレインは彼らを見送ると、改めて相対する。女は静かな怒りで肩を震わせながら、ブレインを睨んでいた。
「お互いに、最後の相手になるかもしれないぞ。名乗り合わないか?」
ブレインは眼前の女に提案した。三人の討ち溢したアンデッドが周りに集まってきていたが、飄々とした態度であった。
クレマンティーヌはそれを無視しても良かったが、一時の酔狂とも呼べるものに身を任せた。
「私はクレマンティーヌ。よ・ろ・し・く・ね、水差し野郎がぁ!!」
アンデッドがブレインに四方より飛び掛かった。武技〈領域〉の内では、多勢であろうと動きは察知できる。〈瞬閃〉で抜刀しつつ、身体を一回転。取り囲んだアンデッドの首が撥ねる。
残心をとりながら、刀を鞘に収めた。ぼたぼた、と首が音を立てて落下した。
「あの人とやり合いたいのなら、まずはこのブレイン・アングラウスを倒してからにしな」
これは警告のようなものであった。自分に勝てる腕が無いと、ゴンベエには勝てないと暗に言っているのだ。
「あっはあっははっはっは! なにそれー? 子分でも気取ってるつもりなのかな? あのブレイン・アングラウスが? 案外、面白いこと言うんだねー」
クレマンティーヌは、笑った。
笑うがすぐに顔が変わる、相手を嘲笑う顔ではない。一分の隙もない、覚悟を決めた戦士の顔である。
そして、異様なほど体勢を低くとった。猫科の動物が、今にも獲物に飛び掛かるような姿勢を維持して、ブレインの様子を窺っている。
女性特有の柔らかな見た目をしているが、猛獣のような、しなやかで力強い肉体を持っている。それに気付かないブレインではない。力量も当然見極めていた。
相手が速いか、こちらが速いか。たった一撃。一瞬の速さが勝負を決める。
クレマンティーヌのスティレットが不気味に光る、まるで氷柱だ。ブレインが着込んでいるチェインシャツなど、いとも容易く貫かれることだろう。だが、それはお互い様である。彼女も軽装であり、人体の急所である心臓を守るために胸甲、腰回りに腕と脚。露出している方が多いが、速さを重視する戦士にはそれが用途に合った装備だ。
姿勢を支える指先に力を込め、飛び出すタイミングを見極めている様子に、身体その物が一つの武器のように研ぎ澄まされて見えた。ならば、ブレインにとってこの構えは鎧と言えよう。これを維持できれば、隙を潰せる。隙を見せれば、負けだ。
しかし、一対一で戦うとは限らない。周りのアンデッドが不気味に身体を揺らしていた。数はそう多くはないが、着実に間合いを詰めてくる。
これから起こることを予感したのか、ブレインは奥歯を噛み締めた。何百、何千、何万と刀を振る度に噛み締めていた内に、彼の奥歯はまっ平らになっていた。女性と舌を絡めれば驚かれることだろう。
辺りで蠢く有象無象が、倒れるように襲い掛かった。
弾けるようにブレインは身を返す。抜き様に一体、返しで二体。空いた左手で、
ここぞとばかりに、滑るようにしてクレマンティーヌが踏み込んできた。武技によって強化された異常なほどの瞬発力だったが、ブレインには筒抜けだ。動きと刀を合わせるが、驚くことに彼女は更に加速した。
そこには、一撃で仕留めるという意思が垣間見える。瞬時に間に合わないと判断したブレインは、咄嗟に身を反らした。スティレットが左肩を掠めた。無理な動きをしたせいで足がもつれ、転がり、そのまま距離を取ると刀を地面に刺して体勢を立て直し、跳ね上がって構えを戻す。
とんでもなく不利な状況であるのに、ブレインの心は湧き立っている。強敵と戦えた喜びからか、先ほどの余韻が残っているのか、正確には分からないが良い方面に作用してくれているようだ。肩から血が流れてはいるが、ブレインは闘争に酔って痛みを忘れていた。
「良い武器だねー。でも、持ち主が弱いと宝の持ち腐れって言うんだよ?」
「ぬかせ」
会話をするのも惜しいほど、ブレインは楽しくなっていた。自分を凌駕する相手と剣を交える機会など、彼にはそうそうない事だ。
「ほらあれ見てよ。カジッちゃんの
そう言ってクレマンティーヌはブレインの背後を指差した。ブレインは軽く振り返った。
なるほど、ゴンベエが
他のアンデッドたちも、何かを取り囲むように集まっている。その中心に仲間たちがいるのだろう。
「あれでもあの人には勝てないかな? どう思うブレインちゃん?」
軽口を言う余裕を見せているが、クレマンティーヌの胸に渦巻く感情はますます勢いを増していた。戦えば戦うほど、メラメラと燃え盛るのだ。彼女は困惑していた。このまま続ければ、身体が燃え尽きてしまうのではないかとさえ思えてしまうのだ。
その熱烈に駆られるように独特の体勢を取る。頭は低く、尻を少し持ち上げて武技を発動した。
〈疾風走破〉〈能力向上〉〈能力超向上〉〈超回避〉
飛ぶように駆けた。一本の針に見えるほど速く、細く、鋭い。
一挙手一投足、その一つでも動きを間違えば待っているのは死だ。
半身になって迎え撃つブレイン。その柄を握る力は弱々しいほどである。呼吸を詰めて、指先は強くなく弱くなく。限界まで脱力し、極限まで集中力を研ぎ澄ませる。
月夜に霜の落ちる如くに、ブレインの様相が変わった。
〈領域〉の内では捉えている。捨て身の一撃で挑まねば、クレマンティーヌには勝てない。ならば、腕の一本だろうと犠牲にしてでも勝てばいい。
クレマンティーヌが次の一歩を踏み込んだ瞬間、身体を捻るようにして抜いた。脱力していた全身の筋肉が瞬時に稼働し、その一閃を、極限の高みまで加速させる。
ブレインの頬には、筋肉のえくぼが出来ていた。クレマンティーヌの狂気の微笑のようなものではない。純粋に楽しくて破顔する時のものだ。
リーチも速さも勝っていたが、何が因果したのだろう。腕前か、戦士として長年培った勘か、その胸に渦巻くある思いか。
勝利の欲求、情熱に女神がクレマンティーヌに微笑んだ。
〈不落要塞〉
防御の武技により、ブレインの刀が弾き返された。手放しそうになって堪えるが、上半身が大きく仰け反る。
〈流水加速〉
攻撃を防いで硬直したクレマンティーヌの身体が、一瞬だけ加速したように見えた。スティレットを引いてブレインの懐まで潜り込む。もう防御は間に合わない。
その瞬間、墓場が光に包まれた。
強烈な閃光に二人は目を開けてられなくなり、身体を硬直させてしまう。スティレットの軌道が逸れ、何とか命拾いを果たすが、それはどうでもいい。
全身を包むそれは、どこか温かみのある光であった。
ブレインは、胸の
そこに世界を切り裂くように一筋の黒々とした線が引かれた。まっすぐで太く、迷いのない線だ。
それが何か、良く目を凝らした。
アインズは、アンデッドを退けながらもブレインとクレマンティーヌの戦いを観察していた。ガゼフ・ストロノーフや漆黒の剣を参考にするならば、二人は一流の戦士と呼べるだろう。
(本当は俺が戦いたかったんだけどなぁ………あんな場面で割って入れるはずないじゃん)
いや、それよりもだ。この状況をさっさと何とかしてしまおう。武技の観察は周りのアンデッドを殲滅してからでもいい。
しかし、第3位階を超える魔法や特殊なスキルを使用して、ゴンベエに正体がバレることを危惧していた。
この鎧を纏った状態では大した魔法は使えないし、ナーベラルも当然ダメである。彼女は第3位階魔法までしか使わないという条件の下で戦っており、
そうこうしている内にまた、ハゲている凶相の男がアンデッドを呼び出した。
アインズはうんざりして来ていた。
(面倒くさいな。もう、ゴンベエさんに頼んでみるか。スキルでも使って貰えば御の字だ)
正直なところ、この願いが通るとは思ってはいなかった。向こうもこちらに手の内を見せないようにしていると思っていたからだ。ここまでで、彼がスキルを使った姿は見受けられていない。こちらを警戒しての事だろうと考えていたのだが。
「ゴンベエさん。何か広範囲にダメージを与える術は持っていないのですか?」
「あぁ~、あるにはあるが、あれは日に一度しか使えないからなぁ」
(日に一度の制限付きスキルか。戦士職で広範囲となると数が絞られるけど………)
候補のスキルが何個か頭に浮かぶが、どれを使うか見てみるまで分かるものではない。ここは、最後までゴンベエに任せてみようと思い立った。
「だが雑魚アンデッドの殲滅ならばこれが一番よ。そこを動くなよ」
雑魚アンデッドの殲滅、その言葉がアインズの頭に引っ掛かる。
そんな彼を尻目に、ゴンベエはスキル発動の体勢を整えた。居合の型である。周囲の空気が彼に集まっていく様な気さえした。
アインズは、咄嗟にナーベラルの前に立ち塞がった。
「〈
ゴンベエの右腕が抜刀の速度で消える。
そして、それは刀身から発せられたのか、神速の抜刀で生じたのか、誰も知りえなかった。
世界が光に包まれた。
アインズは盲目効果を無効化するアイテムを装備していたのでよく観ることが出来た。光は近くのアンデッドを消滅させ、
生者には心休まる温かな光であったが、死者には身体を焦がす灼熱の業火であった。モモンはダメージを負ったが、その威力は使用者のステータスに反映されるのだろう。全くと言っていいほど体力は減っていない。だが、周りの低級アンデッドはたちまちに灰燼と帰す。
その光の中、ゴンベエが刀を振ったように見えた。
白い世界の中に黒々とした刃が駆け巡る。自由にして自在に、
ブレインは、稀有の感激で見ていた。
弘法が、紙に筆を走らせるごとく、白光の世界に迷いの無い一筆が引かれる。
一本。
もう一本。
また一本。
意連にして
「あぁ………」
この光景に、思わず声が漏れた。闘争で火照った身体と心が氷で冷やされたかのように、沈静していく。それほどまでに美しく感じた。
芸術家の卵が尊敬する画家の名作を見た時のような、憧れにも似た感激が胸を一杯にする。
武の頂、その一片を拝見した。
気が付けば、終わっていた。周りを見渡せば、あれほど蠢いていたアンデッドの姿は無い。
ブレインの傍にクレマンティーヌが膝をついて呆然としていた。魂が抜けたような、信じられない物を見てしまった人の顔であった。
どこか、今の自分に似ているなとブレインは思ったが、すぐに気を取り直して握っていた刀を彼女に向けた。
「まだやるか? 俺としてはまだやって欲しいんだがな」
「あはは………何でもありなんだねーー」
目を擦りながら、彼女は力無く笑った。憑き物が取れたような顔をしている。もはや戦える雰囲気ではなくなってしまった。ブレインは刀をしまう。
「こ、殺さないの?」
その問いに、何も言わずに霊廟の方を指差した。彼女の仲間たちも同じように項垂れている。特にカジットは灰となった
何はともあれ、全員無事のようであった。斬られたのはアンデッドだけのようだ。
「旦那があいつらを斬らないのなら、俺もお前を斬らない。そもそも、お前との戦いは負けていたからな」
「へえー………」
「ほら、向こうでお仲間とよろしくやってろ」
少々乱暴に腕を引っ張り、クレマンティーヌを立たせると彼女は喚いた。
「ちょっと痛い痛ーい。女の子には優しくって習わなかったの?」
「言ってろ、若作り」
「あぁ!? てめぇ………」
ぶん殴って逃げる気力も湧かなかった。あんなものを見た後だ。何とちっぽけで取るに足らない人間なのか、再び分からされてしまった。
ブレインもそんな彼女の心情を察したのか、それ以上は何も言わなかった。無理もないのだ。今思い返すだけで、膝が震えてしまうほどの衝撃だった。自分より強い者などいないと驕っていた昔の自分を殴ってやりたい気分になるが、それより一秒でも早くゴンベエと話したいが為に、クレマンティーヌを引きずるようにして歩いた。
霊廟の中に消えていったアインズが出てくると、腕の中にはンフィーレアが包まれるように眠っていた。その様子をナーベラルが羨ましそうに見ている。
胸に抱いているンフィーレアをゴンベエが覗き込んだ。眼が潰され、閉じた瞼からは血が流れている。酷に思ったのだろう、眉間に皺を寄せて彼はンフィーレアの顔に手を差し伸ばすと掌が淡く光り、へこんでいた瞼が盛り上がった。治癒魔法で眼球を再生したらしい。
「本当に治癒魔法が使えたんだな」
「旅人は色々と芸を覚えている方が良いからな」
ユグドラシルでは、ソロプレイヤーは野良でパーティを組んでもらう為に、万能なクラス構成をとる傾向があった。一芸に秀でているより、多芸で何でも出来るソロプレイヤーは補佐として役立つ。
ギルドに所属しないプレイヤーは器用貧乏が多いイメージをアインズも持っていた。ゴンベエもその類なのだろうと思うが、戦い方は多芸ではない。刀を振って敵に突っ込む、猪のような何か、余りに無法だ。
(この人のクラス構成は気になるが、まずは仕事を片付けなくては)
ンフィーレアを胸に抱きつつ、アインズがゴンベエに訊いた。
「彼らはどうします?」
彼らとは、この騒動を起こしたズーラーノーンと名乗った者たちの事だろうが。武器は取り上げ、魔力も底をついている彼は反抗の意思も残ってはいない。
「どうするとは異な物言い。これ以上、何をすると言う?」
「これ程の騒ぎを起こしたのだ。それ相応の罰を受けるべきだと思うのだが」
「ほう。降参して戦う意思を失った者に、何をすると言うのだ?」
ゴンベエがのんびりと尋ねた。
「分かりませんか?」
「分かりたくないな」
途端に、場の空気が張り詰めた。
ブレインにも緊張が走る。まさかと思う、先ほどまで肩を並べていた仲間だった。ナーベラルの方はすでにアインズを護るようにして立っていた。ブレインもそれに習う。あくまでも立つだけ、刀に手はかけない。
「勝負はついた。これ以上に何を求める気だ」
「情が深いのですね。ゴンベエさんは」
「ゴンベエでよい」
「そうか、ならゴンベエ。貴方たちは冒険者ではないはず、この活躍を機に組合へ所属するつもりはあるのか?」
確かに、ゴンベエが冒険者組合に入れば百人力だろう。これ程の活躍をしたのだ、初めからミスリルかオリハルコンは約束されたようなものであった。
だが、答えも分かり切っているようなものである。その顔が物語っているのだ。百の言葉より何よりも、雄弁にゴンベエの顔が、アインズの言葉を否定していた。
(名声や地位に興味が無いのか、名を広める目的は持っていないみたいだな)
冒険者の活動は資金を集める目的もあるが、後にアインズ・ウール・ゴウンの名を広げるための前準備でもある。
「貴方は旅人だと聞いていたが、何か目的があって旅をしているのか?」
「なぜ、そんな事を訊く?」
「いやなに、少し気になってな」
確かに、こんな場で訊くようなことではなかったが次にまた会えるという保証もない。少々強引にでも、ゴンベエの真意を知らなければならない。
「自由気ままな旅さ。この国をゆっくりと見て回ろうと思っている。旅に名誉など要らないだろう? 邪魔なだけさ」
ゴンベエは苦笑いした。
(本当にソロプレイヤーなのか? 他のプレイヤーやギルドと一緒に転移してきた可能性はゼロではない)
正直なところ、ゴンベエ一人だけならばナザリックにとって大した脅威とはならない。その気になれば、守護者を総動員してタコ殴りにしてしまえば簡単に倒せるだろう。
「今回の件で冒険者組合からそれ相応の報酬が与えられるだろう。リイジー・バレアレから依頼を受けたのは私だが、そちらの活躍もある。報酬は半分でどうだろうか?」
「いや、金などいらん。元はといえば、俺がそこの女を逃がしたのが原因だ。取り上げた装備もそちらが全て貰うといい。が、このブレインにはそれ相応の物を与えてやりたい」
パーティのリーダーが報酬は要らないと言って、他のメンバーが反発しない訳がない。仕事には相応の対価が必要だ。
もしも絶対的な忠義を誓っているのならいざ知らず、ゴンベエとブレインはあくまで対等な立場である。パーティやリーダーなど関係なく、友人の関係として過ごしてきたつもりだ。
「待ってくれ、旦那が貰わないのに俺だけ貰うのはおかしいだろ?」
ブレインはそう言う。
それを聞いて、ゴンベエは頬をぽりぽりと指で掻いた。
違う、そういう関係で居たくはなかった。ただの友人としてやっていきたい、余計な信義は不要である。あのスキルを見て、ゴンベエに対する敬意の念を一層強めたのだろう。
ブレインにとっては負かし負かされた関係で上下の立場が出来ているのかもしれないが、ゴンベエにしてみればこれ程に余計な物は要らなった。
「お前はあの女相手によくやっていたじゃないか。怪我もしている、何も得ずとはあんまりではないか」
「いや、あんたの技を十分見させてもらった。それだけで死にかけた甲斐があったもんさ」
「ふぅ、何も言わずに貰えばいいんだよ」
ゴンベエは、胸元をぱたぱたと捲って風を送ると一息ついた。胸には汗が流れていた。大技を発動して体力を消費したのだろう。アインズは呆れた様子でその光景を見ていた。
(この人、疲労無効アイテム装備してないのか……)
流石に不用心だ。持っているのに装備していないのか、本当に持っていないのか。この様子だと、
「では、こうしましょう。ブレイン――さんには、彼と戦ったクレマンティーヌという女の武器を渡します。確か、ミスリルにオリハルコンをコーティングした物と言っていた。売ればそれなりの金額になるかと。ナーベ、彼に」
「はっ!」
ナーベラルが、スティレットが収められているポーチをブレインに差し出して言った。
「モモンさ――んからの御慈悲です。ありがたく受け取りなさい」
その物言いに、ブレインは苦虫を噛み潰したような顔となる。この女はどうしても好きにはなれない。
「はいはい、ありがたく」
わざと恭しく受け取る。女王に剣を授けられる騎士のような様であったが、何とも似合って見えた。いずれ、一角の人物と出会って仕えるのも彼に合っているのかもしれない。
「そろそろ、衛兵や冒険者達がやって来るだろう。モモン、今回は楽しめたよ。我々はここには居なかった。手柄は全て二人の物、そういう事でな」
ゴンベエはそう言うと、さっさと去ろうと背を向けた。
「ちょ、ちょっと」
アインズが、慌てて止めようとする。まだ色々と訊きたいこともあった。
「なんだ?」
「いえ、この後はどうされるのかと……?」
しかし、訊いてどうするか。そのまま敵対するかもしれない。アインズが正体を晒せば、高確率でユグドラシルのプレイヤーなら敵になることを選ぶことだろう。悪名高いDQNギルドの統括者。良くは見られないだろう。
ゴンベエは問い掛けに腕を組んで考え出した。その様子は本当にどうしようと悩んでいる、考えなしで生きている人間にしか見えなかった。
(どうやら本当に旅をするみたいだな。監視でも付けるか? いや、高レベルのプレイヤーだ。監視を暴く手段なんて当然用意しているだろう。反感を買うのは出来ればしたくない)
「判らないな」
ゴンベエが諦めたように言った。嘘を言っている感じはしない。
「そ、そうですか」
「まあ、王都の方にでも向かおうかと」
「はぁ。ではゴンベエ、今夜は助かった。また会える時を楽しみにしている」
ゴンベエは軽く頷き、後ろ手に手を振りながら何事もなかったかのように去って行った。ブレインが何も言わずにその背に続いて、彼らは墓場から消えた。
「アインズ様。彼らは良いのですか?」
ナーベラルが二人の去った闇の中を睨みながら言った。何となく、彼女も気付いているのだろう。
「モモンと呼べ、ナーベ」
アインズがじろりとナーベラルを見た。
「これは失礼を」
「――良いのだ。一人ぐらい、自由な奴がいても」
ナーベラルが二の句を言う前に、アインズが質問に答えた。それはどこか柔らかで羨ましさを含んだような口調であった。
兜の奥で光る赤い瞳が、とうに見えなくなった男をいつまでも眺めていた。