おーばーろーど ~無縁浪人の異世界風流記~   作:水野城

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果し合い

 ブレイン・アングラウスは天才的な才能を持った剣士である。

 

 幾多の戦場を渡り歩き、王国最強のガゼフ・ストロノーフに敗れた際のショックから立ち直ってからは、野盗として手を血に染め、人を斬る感覚を忘れないようにしていた。いつかガゼフに勝つための特訓として、更なる高みへと昇るために我が身を研磨してきたのだ。

 

 最近では腕の立つ相手と出会えない為か、酷く退屈していた。野盗としての仕事の合間を見つけては訓練で汗を流し、特に代わり映えのない生活にやや不満を感じながらも、ガゼフ・ストロノーフを倒すたった一つの目標のために剣を振るう日々は、荒寥としたものであったが何ら苦にはならなかった。

 

 かいた汗をアジトの近くにあるこの湖に流しに来ている最中であった。いつもはこんな辺鄙な場所には誰も来ないのだが、今回は先客が居たみたいだ。

 黒い髪を頭の後ろで高く結った男が、褌一つで濡れた服を絞っていた。湖の畔ではよく見られる光景なのだが、ブレインはある一点に視線を奪われる。男の足下に刀が一振り置かれている。南方から時おり流れてくる珍しい武器だ。

 ブレインは自分の腰に視線を移した。そこには男の足下にあるのと似た物が佩刀されている。

 

(珍しい………)

 

 ブレイン自身、愛用している身でありながら他の使用者を全く見かけたことがなかった。それ故に深い興味が湧く。あの男の腕前はどれほどなのか、どのような技を扱うのか、この一時だけは自分に敗北を味わわせた男よりも強い関心を抱いた。

 

「誰かそこにいるのか」

 

(!?)

 

 不意に、男がずっしりと重たく響いた声を上げた。顔は明らかにブレインの方を見ている。それほど離れた距離ではなかったが良く気付いたなと、ブレインは思わず感心していた。こうなった以上、姿を見せなければ余計に怪しまれるであろう。

 

 ブレインは草葉から身を出し、正面から見合った。男は彫りの浅い黒目黒髪。この辺りでは見かけない人種だ。ブレインの美的センスで言えば二枚目とは決して言えない分類ではあったが、涼風が通るような男らしさを感じる顔立ちである。

 

(ただ者ではないな………俺達の討伐に来た冒険者か?)

 

 異風を身にまとったような男の佇まい。褌一つだからこそ視覚できるよく鍛えられた筋肉。触れただけで吹き飛ばされそうな力が感じ取れるほど、素晴らしい肉体美であった。

 

(雑魚ではない。だが、僅かな隙を感じる………俺を誘っているのか?)

 

 警戒を強めるブレインを知ってか知らずか、男は彼に言葉をかけた。

 

「少し訊きたい。ここは何処だろうか?」

 

 その言葉はブレインを惑わすのには十分であった。

 ここは何処だろうか、なんて訊いてくる人間が正気であろうか。自分の置かれている現状を理解していない者が、ブレインほどの強者を楽しませてくれるのだろうか。

 

「サービス終了と聞いていたが見知らぬ場所に飛ばされてな、あんたもそうなのか?」

 

 何を言っているのかブレインには分からなかった。首を傾げ、眉をひそめる。だが、明らかに困惑していることが見て取れる。迷子の旅人のように見えるが、珍しい人種の上に旅人ならこの辺りの地形に詳しくなくて当然と言えようが、果たしてどうなのだろう。

 

「お前みたいなのが南方にいると聞く。足元の刀を見るにそちらからここに来たように思えるが、プレートを付けていないとなればワーカーか?」

 

 今度は男が首を傾げた。

 

「あんた表情が動いて、待て何かおかしいぞ」

 

「どうした? 慌てているみたいだが俺の事を知っているのか」

 

「いやお前は知らんが、これはアップデートで機能が拡張したのか? それで不具合が起きてコンソールが」

 

「さっきから何を言っているのか知らないが、その足元の興味深い。南方の剣士はどれほど刀を上手く扱えるんだ?」

 

 ブレインから何かを察したのだろう、男は足元の刀をブレインから視線を外さず手探りで拾い上げる。

 

「その前に服を着たらどうだ。裸のヤツを斬るのは忍びない」

 

「そ、それもそうだな」

 

 絞り終えた着流しを豪快に着込み、男は帯に刀を挟む。それを見届けて、ブレインが口を開いた。

 

「俺はブレイン・アングラウス」

 

 名乗りをあげる。一騎打ちの際に交わされる了解のようなものだが、男の方は少しきょとんとした顔でブレインのことを見ている。

 

「どうした? この作法はそっちの方が馴染み深いと思ったが?」

 

 漸く男が意味を理解したのだろう。軽く咳払いをすると改めて名乗るではないか。

 

「ゴンベエとでも名乗ろうか」

 

「変わった名だな」

 

「俺の国では、身元不明の男の事を名無しの権兵衛と呼ぶんだ」

 

 聞き慣れない名に風体、警戒する価値は十分にあるとブレインは踏んだ。久しぶりに戦い甲斐のある相手と立ち合えて、喜びにも似た感情が胸に湧き出すがそれを振り切るように腰の刀に手を伸ばすと、居合の構えを取った。

 

「別におちょくっている訳ではない。こちらの質問には答えてはくれないのか?」

 

「悪いな。俺以外の使い手がどれほどなのか、そっちの方に興味がある」

 

「む?」

 

 ゴンベエと名乗った男は顎に手を当て、暫し検討するようにブレインを見ていたが結論が出たのか、ニカッと破顔すると大きく喚いた。

 

「よし、ならば手合わせ願おう!」

 

 そして腰の刀に手を伸ばしゆっくり構える。

 直感した。その手慣れた動作と佇まいからかなり場慣れした剣士だと。

 

(こりゃあ、とんだ掘り出し物だ………)

 

 刀は南方の砂漠にある都市から流れてくる代物だ。非常に高価で芸術的価値もあった。

 ゴンベエの一枚布から仕立て上げられたような服は綺麗な紺色で染められている。そういった物に疎いブレインでも良い生地を使っていると分かった。南方ではさぞ名のある剣士なのだろう。刀の扱いに関しては、もしかすれば上かもしれない。

 

 かつてのような驕りはブレインには無かった。ガゼフ・ストロノーフに御前試合において敗北した彼は努力を重ね、腕を昇華させてきた。それに伴い精神も鍛え上げ、驕りといった気持ちは全て削ぎ落とした。

 構えを寸分と崩すことなく、武技〈領域〉を発動させながらゴンベエの動きを見やると彼はようよう刀を抜き、大きな弧を張るように大上段に構えを取った。その動きにブレインは息を呑む。ゴンベエが腕をまっすぐに伸ばしたその姿は、いかにも誇り高い感じで気品さえあった。腕は逞しく、肘から手首にかけて筋が奔っている。

 

(大振りの構え、俺を一撃で仕留めるつもりか)

 

 大振りの大上段。剣に覚えのあるものならこの構えの意図が読める。相当腕に自信にある証拠だ。どの位置から間合いに入ろうと瞬時に斬れるが一対一で、それも相手が真正面にいる時にやる構えではない。ブレインはゴンベエから相当の自信と確かな実績の裏付けの表れと取り、一撃で勝負を決めると読んだ。

 

 先にゴンベエが地を蹴った。それが開戦の合図、ピンと張った糸が断ち切られた瞬間であった。それとほぼ同時に〈領域〉の中に動きを捉えた。

 

(この距離を一瞬で………!?)

 

 少し面食らってしまうが何度も軽戦士と戦い、全て切り伏せてきたブレインは慌てることなく、その動きに対応する。先ずは小手調べといった感じに、鞘から刀をゴンベエの胴体に走らせた。

 武技〈瞬閃〉と名付けた高速の振り抜きだ。これで仕留められればブレインは自分の目利きはまだ未熟と改めなければならないだろう。

 ゴンベエは地に付けた足を間髪入れず蹴って反対側に跳んだ。人間の身体能力を軽く超える動きに武技でも発動させたのだろうかとブレインは考え、全力で挑まなければ腕の一本や二本では済まない相手と知り高揚感を得る。強者と斬り合えるのは、彼にとって如何なる娯楽よりも楽しいものなのだ。

 

 振り抜けた腕をすぐに引っ込めると刀を鞘に戻して構えを整えようとするが、もうゴンベエがその刃の届く距離にいた。頭上には湿り気を帯びてつやつやと陽に光る刃がブレインに目掛けて振り下ろされていたが、武技〈領域〉の内ではどんな動きも筒抜けである。ブレインは振るわれた刀の一撃を左足で地を蹴り右に避けるが、その異様な太刀筋に驚嘆してしまう。

 

 ゴンベエの振るったその一振りの速度。

 

 ―――速い―――遅い

 

 そのどちらとも判断がつかなかったのだ。

 

(―――今まで色んな戦士の攻撃を見てきたが、こんな奴は初めてだ)

 

 避けた。確かに避けた。その一振りを何とか避けれたと言うべきなのか。

 

「ちっぃぃ!」

 

 雑念を振り払うように気合を発し奥歯を噛み締めると、神速の速さでブレインの刀が抜かれた。武技〈神閃〉は〈瞬閃〉を越える。もはや人の動体視力では視認することさえ不可能な抜刀の一撃は、防具を着込んでいないゴンベエならどこを斬ろうと致命となるだろうが、確実に仕留めようとするのなら、狙うは首しかない。

 今ここで攻撃を避けて隙の出来たこの瞬間、もう次のチャンスは無いと感じた。この瞬間を逃せば、命を落とすのは自分自身だとブレインの勘が告げている。

 

 その一閃は確実に首を切り落とす全力の一撃であったと、ブレインは確信していた。生涯最高の速度、鍛錬により適度に温まっていた全身の筋肉が良く動いたのも作用したのだろう。

 

 だが現実はとても非情だ。

 

 ギンッと湖畔に鈍い音が響いた。ゴンベエの刀が神速の剣先を遮っていたのだ。防がれたと見るや、ブレインは弾けるように後ろに飛んだ。

 ゴンベエは飄々と露に濡れる刀を胸の前で掲げて見せている。嫌な汗がブレインの背を伝った。額に玉のような汗が出る。吐き気を催す。

 

(違う、同じ次元じゃない………)

 

 言うなれば逸脱の剣。

 ブレインは自分の目の前にいる男が違う次元に立っている存在だと理解し、絶望感が胸から込み上げてくる。速さを競う下等な獣の剣ではない、ただ力強く探究された極限の剣。

 

 汗を拭う間もなくゴンベエが刀を構えている。

 パッとゴンベエが跳び、宙に躍り上がった。

 

「―――!!」

 

 宙に逃げ場はない。下策の下策。唯一訪れた勝機であったが、油断は一切しない。武技〈領域〉を発動してその動きを先読みする。ゴンベエが間合いに入った瞬間、鞘走りした刀が天に昇った。敵わないまでも最後まで全力で相手をする、それが武人としての最低の礼儀であり、この男に殺されるのなら仕方がないと諦めのような物もあったのかもしれない。

 

「~~~ッ!!!」

 

 獣のような声と共に、ブレインの眉間に刀が振り下ろされた。ブレインの振り抜きよりも速い。宙で地に足を付けられない状態で太刀筋を確認できないとなれば、このゴンベエの本気とはどのようなものなのか死への刹那、ブレインは強い興味を抱いていた。

 視界で火花が散り、割れた裾から純白の褌が見えたのを最後にブレインの意識は白い渦に消える。その最中でゴンベエの声が聞こえた。

 

「安心しろ、峰打ちだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大の字に倒れているブレインが目を覚まし、首だけ動かして辺りを見回した。

 先ほどと同じ様に飄々とした態度で、彼の傍にゴンベエが胡坐を掻いていた。その肩にはブレインの持っていた刀が掛けられていたが、当の持ち主は身体を起こす気力さえ残ってはいなかった。

 

「負けたのか俺は………」

 

 ブレインが、酷く頭が痛むのを我慢して絞るように声を出した。

 

「そうだな」

 

「なぜ殺さなかった?」

 

 その言葉にゴンベエは不思議な顔をした。質問の意味を理解していないような、そういった風に読み取れる。

 

「殺す必要がないだろう。ちょっと派手に血が出て驚いたが、こう見えて俺は回復魔法が少し使える」

 

 ゴンベエの風体はどう見ても軽戦士である。まさか神官戦士だったとは人は見かけによらないものだと、ブレインはため息交じりに思った。

 

 暫くして痛みが引いた眉間を擦りながら上体を起こし、自分を負かした相手と足を崩して正面から向き合う。

 

「お前みたいな化け物と出会うとは俺は心底付いていないなぁ」

 

 今まで自分より強い者はガゼフ・ストロノーフ位しか彼は知らなかった。彼よりも強い者など存在しないと無意識の内に考え、自分でも気づかない内にガゼフ以外には負けないと驕りを持っていたのかもしれない。

 

「化け物とは心外だな、ただの人間だぞ」

 

 ゴンベエはそう言いながらも、ニコッと笑って答えた。

 

「お前が人間なら俺は何だ? 鼠か? 蟻か? 今まで積み上げてきた物が崩れ落ちた気分だ。あんた何者なんだ?」

 

「なら改めて名乗ろう。俺は名無しの権兵衛。親しきものからはゴンベエと呼ばれている。気が付けば湖の中に沈んでいてな、少しお前に話を訊きたいのよ」

 

 ゴンベエは、自分の身に起こっている事の大きさに薄々ながら気付いていた。流暢に口を動かして話す目の前の男、ユグドラシルでは見かけなかったスキル、それに何とも美味しい空気が肺一杯に広がる。最も現実味から遠くてあり得ない出来事が、次第に現実味を帯びてゴンベエに迫っていた。

 


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