おーばーろーど ~無縁浪人の異世界風流記~   作:水野城

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敵誼

 王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、足早に城へと向かっていた。

 

 今日、八本指に対する作戦が遂行される。これが成功すれば王国内から八本指の脅威は排除されて、より住みやすく安全な国となるのは明らかだ。ガゼフも以前よりそれを強く望んでいたのだが、今の今まで八本指に対して積極的な行動は余り取られていなかった。だが、それも終わる。以前より行っていた蒼の薔薇の妨害作戦などが功を成し、八本指は急速に弱体化していっている。

 

 妙に身体が震えるのをガゼフは感じだ。風が身に染みたか、と考えたが違った。寒気は無い。これは、武者震いだ。決戦を前にして心が勇み立っていた。八本指きっての武闘派である六腕は油断ならない相手である。つい、腰に携えた剃刀の刃(レイザーエッジ)に手が伸びた。作戦を前に王より預けられたこの宝剣が、ガゼフに何よりの自信を与えてくれる。国王ランポッサⅢ世の信頼に応えるのは何よりも生き甲斐を感じた。きっと上手くいくだろう。

 

 中央通りにもなると人気が増える。朝の混雑と比べれば大分少ない方だが肩が当らないように気を遣った。子連れの母がいる、徒党を組んで道を遮る者がいる、重たそうな荷物を運ぶ男がいる、残飯をまき散らす老人がいる。鳩たちが一斉に残飯目掛けて飛来してきた。どれも良く見る光景である。それがガゼフのやる気を更に高めた。

 

 守るべきものを前にして決意を新たにしているガゼフの背に、殺気が飛んだ。蛇に睨まれた蛙の如く、彼の動きは制止した。もし下手に動けば、瞬時に必殺の一撃が背中に叩き込まれる事だろう。背後に気を置き、いつでも襲いかかれてもいいように身構えるが、ふと何かに気付く。

 

(この殺気、どこかで……)

 

 かつて似たような殺気を浴びたことがあった。だがその時はもっと野性の獣のような獰猛なものであったはずだが、違っている。いや変わったのだ。磨き上げられ、殺気さえも洗練されている。

 

(アングラウス。いるのか、そこに……)

 

 ガゼフは振り返った。

 

 ―――いた。

 

 そこには、ブレイン・アングラウスが佇んでいた。雨の日の不安定な面影は見られない。一個の武人がそこにはいた。思わず鳥肌が立つ。ガゼフは強張った顔付きになった。

 

 お互いがお互いの間合いに入らないように注意を払い、会話の出来る距離へと近付いた。

 

「ガゼフ・ストロノーフ」

 

「ブレイン・アングラウス」

 

「以前は会えたのに、ろくに会話なく立ち去って悪かったな。ようやく、決心がついたよ。待たせてすまなかった」

 

 そう語るブレインの顔はどこか涼しげだが、わずかに頬が興奮で赤らんでいる。

 

「いや、突然の事だ。俺の方も何と声をかけてやればいいか分からなかった」

 

「この数日、元気にしていたか?」

 

「ふっ、仕事が忙しくてな。眠るに眠れない毎日だ」

 

 二人は、わずかな時間に何気ない会話を楽しんだ。ガゼフの方も少し緊張が柔らんだようで、にこりと笑みさえ浮かべてみせる。だが、二人は宿敵同士。会話がピタリと止むと、一変して緊張した空気が張り詰めた。この場で斬り合いが始まってもおかしくない雰囲気でさえあった。

 

「待った!」

 

 唐突にガゼフが喚いた。

 

「ここでか?」

 

 街でもっとも人目が多い通路である。こんな所で始めてしまえば、巻き込まれる者も出よう。

 

ブレインは辺りを見渡し、鼻で笑ってみせる。

 

「まさか。俺とお前の決闘を誰にも邪魔をさせるかよ」

 

「では、また日を改めて――」

 

 ガゼフの言葉をブレインが遮る。

 

「いや、今日だ。決着がつかない限り、俺の気は収まることを知らん」

 

 誰より、この瞬間を強く待ち望んだのはブレインである。その気持ちはガゼフにも痛いほど分かった。だが、なぜ今日なのか、なぜ今なのか。ガゼフはどこかやりきれない思いを隠しながら、ブレインの言葉に耳を貸した。

 

「決闘には二つの利がある。時の利と地の利だ」

 

 なるほど。この言葉だけでブレインの成長が窺える。

 

「時の利は俺が貰ったのだから、地の利まで貰うわけにいかない。ストロノーフ、お前にやる」

 

 以前のブレインであればここで斬り掛かっていた事だろう。だが、日々の生活の中で成長したブレインは、決戦を前にしてさえ心に余裕を残し、この場に挑んでいる。剣を振ってきたばかりではなく、心の鍛錬も疎かにしていない。

 

 ガゼフは笑いを堪えた。あれほどの殺気を白昼堂々と飛ばしておきながら利の心得があるとは、尚且つそれを自分に渡すという加減に、歴戦の戦士といえども笑わずにはいられない。少し心持ちが軽くなったように気がした。

 

「分かった。ならば付いてこい、アングラウス」

 

 ガゼフは、向かうべきであった城に背を向けると真逆の方角に足を進めた。数歩進んで振り返ると、付いて来ているブレインの背後で王城がまるでガゼフのことを睨んでいるかのようであった。彼は思わず目を背け、街の外に通じる道を進んだ。

 

 これは逃れることの出来ない定めなのだ、と自分に言い聞かせるもガゼフの心には一抹の不安が残る。ブレインと戦えば自分はどうなるだろうか、自身を頼りにしてくれる王や国を私情で疎かにしていい訳がなかった。

 

 思案に暮れている間に、外へと通じる門の前まで来てしまった。出れば、簡単に戻ることはできない。後ろにはブレインがいる。この男を無視することなど自分に出来るはずがない。

 ガゼフは意を決すると門の外に一歩踏み出した。街の外は、中よりも空気が清んでおり、妙に久しい感じがした。近頃、やけに慌ただしかったせいだろうか。

 

 ガゼフの前に一本の道が通じている。その先にある丘の上に眼を向けた。王都を一望できるその丘には大きな樹がなっている。偶然にも、クレマンティーヌが戦利品(ハンティングトロフィー)埋めた丘でもあった。何かに魅入られたかのようにガゼフはそこを地の利に選んだ。幼い頃、父に肩車されながら王都を眺めた記憶が蘇っていた。

 

 ブレインの足取りは軽く歩幅が広かった。土の上に残る足跡は均一の間隔で残る。四肢の動きが完璧に調和し、内力の巡りが頂点に達した時、彼の刀は神速をもって相手に飛翔する。

 抜けば一刀の下、ガゼフを斬り捨てる腹積もりであった。一振りで仕留める、仕損じてはならない。されば死ぬのは己となるだろう。ガゼフは傷さえ力に変えて、相手に挑みかかる。一撃で決めねばならない。

 

 あの樹の下に辿り着けば、二人のうち一人の命は無くなる。二人にはそれが痛いほど分かった。

 

 二人は生涯で、これほどの好敵手を持ったことはない。技を極めた者は、誰しも孤独を感じることがある。そこまで至れば、もはや本気を出せる相手はなかなか見つからないのだ。好敵手を見つければ、励みとなる。生きる目的となった。たとえ敗れ死のうとも悔いなどない。

 

 だが、この時のガゼフはそんな心境とはなれなかった。心が乱れ切っている。この状態でブレインと戦えば、生きて帰ることは難しいだろう。命の果てが、すぐそこに近付いてくるのを感じた。今、死ぬわけにはゆかない。一歩進む度にそれは大きくなっていく。もはや、どうすることもできなかった。

 

 樹の下に辿り付いた。辺りは広々としており、二人で勝負するには持ってこいの場である。

 

 ガゼフが、ぴたりと足を止めた。

 

 呼応して、ブレインも足を止める。気がすでに頂点へと達していた。この時、天地万物が知覚の内へと入り、ただ一欠けらの変化といえども見逃さない。ブレインの精神と肉体は極限へと至り、一つとなった刀は魂を持って相手へと猛威を振るうことになる。

 

「準備はいいか?」

 

 ブレインが、ガゼフへ、問う。返事は?

 

「……今日はできない」

 

 ブレインは我が耳を疑った。

 

「どういうことだ」

 

「俺の負けだ……」

 

 何とも弱々しい声色である。こんな声を出したことなど、ガゼフの人生で初めての事であった。

 

「なぜだ?」

 

 ブレインの冷たい眼差しがガゼフに突き刺さると彼の心は疼いた。この期に及んで勝負を投げ出すのは死んでもしたくなかったが、仕方がなかった。それしか思いつかなかったのだ。

 

 長い沈黙が辺りを制した。先ほどまでの殺伐とした雰囲気が嘘のようであった。

 

 やがて、口を開いたのはブレインの方であった。

 

「さすがだな、ストロノーフ。皆がお前を英雄というのも分かるぜ」

 

「俺など、まだまだ未熟だ……」

 

 自分が英雄などと思ったことなど、ガゼフは一度たりともなかった。自分が弱いのを知っている。世には自分など届きもしない強者がありふれているのを知っている。

 

「いや、お前は英雄さ」

 

「なぜそう思う。お前との戦いを逃げると宣った俺のどこが英雄だ!?」

 

「………敗北を認めるのは恐ろしく度胸がいる。俺ならできん、死んでも認めたくはないだろうな」

 

 ブレインが笑みを浮かべる。

 

「ガゼフ・ストロノーフこそ本物の英雄だ。男の中の男だ。他人の為に己を曲げる者こそ、真の英雄だ!」

 

「アングラウス……」

 

 ガゼフは声を呑んだ。自分でもどうしようもないほど動揺している。

 

「八本指だろ」

 

「分かるか」

 

「噂は聞いてるぜ。近頃町中が騒がしいのも」

 

「そうか………」

 

「俺には分かる。勝負を捨てるのはいま死ぬわけにはいかないからだ。自分を頼りにする国王を、国を、見捨てることなどできないからだ」

 

 ガゼフは口をつぐんだ。途端に目頭が熱くなり、視界が潤んだ。時として、恐るべき敵は最も気心知れた友となりうる。何故ならば好敵手と呼ばれる人間こそ、良く相手を理解しているからだ。一度溢れた想いは止めることは出来ない。これは何の感情だろうか、ガゼフも分かっていない。この万感交到った感情は、どのような言葉を持ってしてもとうてい説明できるものではなかった。

 

「だがな、何としても今日は戦ってもらうぞ」

 

「なぜ、そこまで今日にこだわる」

 

「今日を逃せば、お前のような相手は二度と見つからん。この世にガゼフ・ストロノーフはただ一人だけだからな」

 

「事が済めば必ず相手をする。それでも無理と言うか?」

 

「ああ! そうだぁ!」

 

 涼やかな風が吹いた。枝が揺れ、葉を巻き込みながら空へと昇る。白い雲は、自然の理を持って風下に流れていた。ブレインの姿は、その自然の中に溶け込んでいる。遥かな空の果てを、見詰めていた。激情の声とは裏腹に、顔は清流を思わせるほど穏やかだった。

 

「次に会う時は、友になっているかもしれん」

 

 二人の顔に、微笑が浮かんだ。

 

「友になるのは嫌か?」

 

 少しはにかみながら、ガゼフが言う。

 

「友人はすぐにできる。だが、尊敬に値する敵は簡単にはできねえ」

 

「ああ、そんなやつはなかなか見つからん」

 

「世界は広い。俺と命を賭して戦う相手は五万といるだろう。だがな、そんな奴らは眼中には無いんだ。故に、今日の勝負は当然の成り行きだった。このブレイン・アングラウス、お前に殺されるのなら悔いはない」

 

「だが……」

 

 ガゼフは渋った。それでも自分が死ねば、後の事はどうなる? この不安を残したまま死ぬことなどできない。

 

「分かってるさ。お前が死ねば、心残りは俺が引き継ぐ。この国に巣くう病魔ぐらいわけでもないさ」

 

 その言葉を聞いた時、ガゼフの頭は深々と下がった。

 

「ありがとう、アングラウス。もはや心残りは無い」

 

 心の底からの謝辞であった。

 

「聞き届け感謝する」

 

 これにブレインも一礼を返すと、幾何の間の後に気取らずに腰を落とした。これは構えだ。もはや自然の内に動いていた。

 

 ガゼフは深い息を吸うと大きく眼を見開いた。もう、言葉は無用であった。ここからは、剣で語り合う時だ。それぞれの想いをのせた魂の刃が、雌雄を決するその時まで。

 

 彼らの願いはただ一つ。目の前の男を斬ること。これ以外など眼中に無く、天下に人はただ二人と化した。

 

「いくぞ!」

 

「参らん!」

 

 友人間の敬意も珍しいというのに、この男たちは宿敵でありながら、互いに深い敬意を持って相対した。

 

 この決闘の始まりを目にするのは、ただ一本の樹だけである。樹は、何と愚かな人の子だろうと見下ろしている。なぜそうまでして生き急ぐ、なぜ短い命をそこまでして捨てたがるのか、樹には理解できなかった。

 

 吹き抜ける風が、枝々を通り、凄まじい唸りを上げた。

 

 二本の刃が、空に、舞った。

 

 


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