おーばーろーど ~無縁浪人の異世界風流記~   作:水野城

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気が付けば、お気に入りが2000を超えていました。クレマンティーヌのお蔭なのでしょうか?

それはそうとして、今回の話に登場する人物の性格がかなり改変されているかと思われますので、今更ながらご注意を。


王都

 クレマンティーヌは、大きな樹の下を懸命に掘っていた。手頃な木の枝を地面に突き刺し、土を掘り起こす作業は酷くつまらない。黙々と、手頃な深さまで土をすくい続ける。

 

 彼女の傍ではゴンベエとブレインが手伝いもせずに、ただその様子を観ていた。小高い丘の上からは王都が良く眺められる、目と鼻の先だ。

 

 なぜこんな事をしなければならない、まるで罰を受けている子どもであるとクレマンティーヌは心の中で悪態ついていた。

 問題は彼女の鎧にあった。あちこちに冒険者のプレートが打たれた間違ったパンクな装いである。そんな物を付けて王都を往来できるはずがない、クレマンティーヌにしてみれば簡単に捨てられる物ではなかった。今日に至るまで、自分が狩った冒険者たちの戦利品(ハンティングトロフィー)である。エ・ランテルから逃げる際にも、これだけは取り返してみせた程だ。

 

 外套でも着て隠せばいいと提案をするが、ゴンベエに一言のもとに却下されてしまった。

 

「埋めてやれ」

 

 この時ばかりは、ゴンベエの声色も淡白であった。

 

 王都を一望できる丘の上には、大きな樹が生えていた。ゴンベエはその下に埋めてやり、彼らを弔ってやれと申す。その提案にクレマンティーヌは顔を歪めてみせるが、付いて行く以上は彼の言う事を聞かねばならない。

 

 革布に詰められたプレートを穴に放り入れると土をかぶせ踏み固めると、彼女は一息ついた。

 

「これでいい?」

 

 と、ゴンベエに尋ねる。

 

「最後に、手を合わせてやろう」

 

 うんざりと肩を落としながら、クレマンティーヌは手を合わせた。形だけで、大して心は込もってはいない。その隣で、ゴンベエはしゃがみ込むと同じように手を合わせ、眼を閉じて冒険者たちに拝んだ。

 

「お前がどう生きてきたか深く尋ねるつもりはないが、付いてくる以上は勝手なことはするなよ」

 

 立ち上がると同時に、彼はクレマンティーヌに釘を刺した。

 

 刺された女は、こくりと頷く。彼の言葉には、優しさと厳しさが込められていた。変わってみせろと言っている風にも聞こえる。自分の様な女をこの男は信頼してくれたのだから、多少の要望は応えてやらねばならない。もしも勝手なことをしたのなら、見捨てられる事であろう。

 

 クレマンティーヌの頬を風が撫でた。彼女はそれを追うようにしては振り返り、王都を眺める。王都には何度か来たことがあった。以前訪れた時は何の用だったかなと思い出そうとするが、出てこないのでどうでもいい事だったのだろう。どうせ血生臭い用事だ。

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼには意外にもすんなりと入れた。クレマンティーヌは、ゴンベエやブレインに足らない悪知恵に長けていて、軽い手心を加えてやると面倒な質疑応答も無く町に入れた。

 

 彼らを出迎えたのは往来する大勢の人々。王都だけあってやはり人が多く、彼らは忙しく行き交いしている。町並みは噂に聞いたように古臭さを感じたが、エ・ランテルとさして違いはないように見えた。

 

 旅疲れの身であったが、三人は軽い観光のつもりで人の流れに沿って歩いてみる。明確な目的も無いので、少し町を見てから宿でも探そうと決めていた。左右に立ち並ぶ建物は古く、建造されて何十年は経っているのだろう、無骨で華やかさが欠けた作りである。歴史があると言えばあるだろうが、文明の停滞というものがそこにある。立派といえば立派なのだが、それほど王都には新鮮さは感じなかった。古めかしいだけのしょぼくれた印象があり、ここにいるだけで活力を奪われるような気さえした。

 

 町は大きいくせに、通りは狭い。馬車の交通も多いため、脇に人が寄り、通りの中央はいつも開いている。そのため、歩くのにもコツがいった。王都の住民は慣れたように人通りの中を歩いてみせる。ゴンベエは人にぶつからないように気を付けるが、彼の風体を見た者が自主的に避けてくれた甲斐あって、人とぶつかり合うことは無かった。ぶつかれば難癖を付けられると思ったのであろう。恐れられているということにゴンベエも気付き、何ともやりきれない気持ちになっていた。

 

 暫く歩いてから、ゴンベエの面持ちが険しくなってきていた。それを傍の二人に悟らせず、彼は空を見上げた。青い空が何処までも広がっている。

 

 ―――ああ、空はこんなにも青いのに。

 

(嫌な町だ………)

 

 漠然とそう感じた。

 

 得体の知れないきな臭さが、辺りから漂っている。出所の判断はつかない。王都全体に充満しているのではと思ってしまうほどに、強烈な臭いであった。そのせいか擦れ違う多く者の顔が、まるで曇っているように錯覚してしまうのである。一度路地裏に眼を向けてみると舗装されていない道も多く、深い闇が見え隠れしていた。

 

 ―――陰気な町だ。

 

 これが王都か。これがこの国一番の町か。ゴンベエは落胆していた。どれほど華やかだろうか、そう道中で何度も妄想した。現実は華やかとは裏腹に、虚栄で着飾った大時代の都であった。歴史があることは認める、だがそれだけだ。ゴンベエの求めていた活気とは、似て非なるものがあるだけに、その落胆は大きい。

 

 そんなゴンベエの気も知らずに、クレマンティーヌが彼に話しかけた。

 

「ねえねえ、向こうの通りに美味しい屋台があったと思うから食べに行かない?」

 

「まるで来たことがあるような物言いだな」

 

「何度か来たことあるよ~、最後に来たのは随分前のことだけど」

 

 曖昧な記憶で王都を案内する気なのだろうか。しかし、あちこちを見て回れば、この町の良さに気付けるかもしれない。上辺だけを見て判断するのは愚の骨頂である、きちんと下部も見てから判断するべきだと、ゴンベエは考えを改める。まだ来てから半日も経っていない、何週間も滞在して、やっと気付ける事もある。

 

「そうだな。この町に来られるのもこれが最後かもしれんし、心行くまで楽しもうか」

 

 旅は一期一会、もう二度と訪れない町も出来ることだろう。それを心得た言葉であったが、ブレインとクレマンティーヌには気掛かりに聞こえてしまった。もう生きて王都の門をくぐれない、そう言っている風に聞こえてしまったのだ。

 

 何か悪いことでも起こってしまうのではないか、ブレインは予感してしまうがこういう男だったと思い返した。明日が無いと思うからこそ、今日が楽しいと考える男である。こういった心掛けは別段不思議ではない、戦士としては当然と言えた。

 

 クレマンティーヌは、己の思惑が成就されるのかと取った。彼女がいる限り、ゴンベエに命の安泰は無いのである。追っ手から逃げ切るまで殺す気はないが、彼を殺せる気もしない。意外と繊細な男なのかと思い、クレマンティーヌはゴンベエの顔を見上げてみるが、そこには爽やかに町並みを眺める顔があるだけで、陰は一つたりとも見えはしなかった。

 大柄な男である、中身も大雑把なのだろう。殺すと宣言したのに、傍に置くことを約束してくれた狂人でもあり、凡百の者には達しえぬ境地に至っていると思われる。本当に自分はこんな男を殺せるのか、今更ながら不安を感じてきた。

 

 三人は、人の流れに沿って王都を散策する。多少の地理が分かると言うクレマンティーヌを先頭に立たせ、ゴンベエとブレインの順に付いて歩いた。人混みの中を器用に通るクレマンティーヌは、少し歩くごとに後ろを確認するように振り返る。こういった場に慣れていないゴンベエは、向こうが避けてくれるがそれでも歩は軽快には進まない。早いところ、この通りから脱出するのを目的とした方が良いだろう。

 

 すると、ゴンベエの目線がある一点に止まった。その先にいるのは一人の老婆、大きな荷物の隣に座り込んで踝の辺りを撫でていた。見るからに足を痛めてしまって動けないのだろう。足を痛めた状態で荷物を背負って歩くのは、老婆には酷と言えた。

 

 しかし、これだけ人がいて誰も老婆を助けようとしない。老婆も、道行く人に乞うことに躊躇している様子にも見える。このままやるせない気持ちになっているより、自分が助けに行くべきだろうと、ゴンベエが考えた矢先に、通りを男が横切った。

 燕尾服を着こなした初老の男は、真っ直ぐと背筋を張り、颯爽と歩いては老婆の下に向かう。風体から、貴族に仕える使用人と思われた。森厳とした佇まいと匂わせる気品は、どこか異風を身に纏っているかに見えた。

 彼は老婆をおぶさり、重そうな荷物を片手で持ち上げると軽やかな足取りで立ち去る。

 

 ゴンベエは心の中で拍手を送った。

 

(立派な御仁だ)

 

 困っている他人を躊躇なく助けることなんて簡単な事でない、肖りたいものである。あのような男が仕える主人は、自分のような無頼ではとてもお目にかかることも出来ない天上の存在なのであろう、とゴンベエは思った。

 

(貴族なんて、簡単には会えないだろうな)

 

 去って往く執事の背中を眺めながら、昔を思い出す。ゴンベエの知る上に立つ者は、口だけは達者で偉そうな態度を取る職場の上司であったが、恐らくこんな者ではないだろう。

 彼の想像する貴族とは、強かで思慮深く道理を弁え、民のことを憂う者である。会ってみれば、格の違いを教えてくれることだろう。いや、もうその執事に格の違いを教えられていたところであった。至高の者に仕えるということは、その身も心も磨き自らも至高たれと精進するのであろう。かの御仁の立ち振る舞いは、紳士のそれであった。

 

 途端に、自分が情けなく感じた。

 

「どうした?」

 

 不思議そうな顔をして、ブレインが後ろから声をかける。

 

「なに、面白い男を見つけてな」

 

 と、ゴンベエは答えた。

 この男の言う面白いには、様々な意味が込もっている。どういう意味で面白い男なのか、ブレインは一概には判らなかったが、悪い意味で使われることはまず無い。

 

「おーい、置いてくよ~」

 

 少し離れた場所からクレマンティーヌが声を上げていた。足を止めて、距離が開いてしまったらしい。ゴンベエは名残惜しそうに眼を離すと、クレマンティーヌの後を追った。

 

 

 王都観光は、なかなかに楽しいものであった。やはり知らない町を闊歩することは、刺激的な事であったと、ゴンベエはしみじみと感じた。出店を見て回り、変わった物があればそれを店主に訊いて回った。彼はこの世界の言葉が読めない、品名から何まで尋ねる他に学ぶ術がなかった。だが、字を知らなくても言葉は何故か通じるので不便を感じたことはない。

 

 そんなゴンベエに、ブレインが辛口の意見を飛ばした。

 

「少しは字を読めた方が便利だぞ」

 

 全く以て正論だ。こう言われれば何も返せないが、王国民の全てが字を読める訳でもない。学を持たない民だって大勢いる。ゴンベエの一人くらいが読めないところで、大衆は気にはしない、珍妙な事ではないからだ。

 

「あっれ~、ゴンベエちゃんって文字読めないんだぁ」

 

 これは面白い事を聞いたと、クレマンティーヌは奇矯な笑みを浮かべるとこれを冷やかした。

 

「ああ、やはり変か?」

 

「ん~、ゴンベエちゃんはそのままで良いんじゃない?」

 

「うむ」

 

 自分らしくあれという事なのか、ゴンベエはその言葉を好意的に受け取った。人とは千差万別である、字が読めないぐらいどうってことはない。何より、字が読めなくても友人を作る事が出来たのだ。

 

 深く頷いたゴンベエに違和感を覚えた。おちょくる調子の言葉が、何故か好意的に取られた気がしたからだ。つい、この男の頭を掻っ捌いてその中を見たい衝動に駆られるが、まだその機会ではないとクレマンティーヌは自分を抑え、不意に湧いた疑問をぶつけた。

 

「……ゴンベエちゃんって、出身どこ?」

 

 どう答えてくれるだろうか、下手に誤魔化せば追及してやろうと画策するがゴンベエは多少の間を開けて、返事をする。

 

「遠い場所さ……」

 

 そう言ってゴンベエは、中空を見つめた。普通は故郷を懐かしんで哀愁を漂わせるものだが、彼はどこか鬱憤としており、思い返すのも腹立たしいとばかりにため息をついている。

 

 その何処か霊妙な仕草に、クレマンティーヌは惹かれた。

 

 なぜ、これほどの男が字を読めないのだろう。剣に生き、他を疎かにしてきた弊害なのか。彼女には何となくその答えが分かっていた。だが心にも思わず、それを口にもしない。思ったところでどうなる、言ったところでどうなるという。それは、ゴンベエの正体に繋がる重大な答えであった。ただ一つ言える事は、自分は神を信じていない。

 

 これは触れてはいけない話題だったと勘付き、クレマンティーヌはバツが悪そうに串に刺した肉に噛り付く。その姿を咎めるように、ブレインが睨んでいた。今までブレインでさえ、触れずにいた話題である。それを新参者が遠慮もなく踏み込むなど、見逃せるものではない。クレマンティーヌは横目でブレインを睨み返すがゴンベエの手前、喧嘩をする訳にもいかないので二人は憤りを胸に留めた。

 

 腹を満たすのも程々に、陽が高くなってきている。そろそろ今晩泊まる宿を見付ける必要が出てきた。こういう時に役立つのはブレインであった。店主に近くで安く泊まれる宿を軽く訊き出し、一行は宿に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼子が寝静まる刻、ゴンベエは一人歩んでいた。

 

 せっかく王都に来たのだから、夜の街も味わってみなければ損だ。そう考えると行動は早い、小金を懐に入れて宿を飛び出すともう見知らぬ通りに来ている。さて何処を行こうか、悩む真似をするが足は勝手に動き出していた。

 

 薄暗い路地を曲がると狭い通りの両壁に肌を露出した女が数人凭れ、白粉の匂いを漂わせてこちらを誘惑していた。客引きに精を出す娼婦たちである。この時間に居るということは、まだパトロンとなる男を捕まえられていないのだろう。ゴンベエはその中央を通ることを躊躇したが、足がその先に向かおうとするのを止められず、忽ちに取り囲まれてしまった。

 

「寂しい私を買ってくれないかしら?」

 

 袖を引いてきた女が、甘い吐息を混じらせながら囁いた。ゴンベエは軽い情欲を憶えたが、懐の金は女を買うほど余裕はない。それにこの金はブレインが懐寂しい己に恵んでくれた大事な物である、女を買う事に使うなど恥ずかしくて出来たものではない。

 

「今夜は酒場で軽く一杯引っ掛けようと思ってな、お主らを相手するのはまた今度にしてくれ」

 

 断られるや娼婦は舌を打ち鳴らし、また壁に戻っていった。次の獲物を待つのだろう、ゴンベエはそのプロ根性に感心して、女たちの痛い視線を通り抜けてその場をそそくさと去った。

 少し離れた場所に立っていた男が怪訝な眼でゴンベエを見ていた。形相悪い男は、娼婦たちのボディーガードであろうか。彼女たちは個人でやっているのではなく、きちんとした経営体制の下でその身を売っているらしい。

 その男の横を通り過ぎた。彼は地面に唾を吐き捨て、興味を失ったようにゴンベエから視線を外した。

 

 ゴンベエはきな臭さに鼻を塞ぎながら、足の行くままに任せた。このまま何処まで進むのか自分でも分からないが、何か誘われているような気がした。

 

 行き付いた先はこれといった何の変哲もない裏通りであるが、一軒の小さな酒場が建っていた。扉の傍にぶら下がっていた吊り看板の文字は読めなかったが、何となく今までの経験と描かれているグラスの絵で判断した。店は隠れ家的場所に建てられており、長くこの町に住んでいる者でさえここに店があると知っている者は少ないであろう。

 

 気が付けば、黒鉄の扉を押し開けていた。

 

 中は狭い。六人掛けの長机とカウンターに五席、店内に客は一人しか居なかった。シックな装飾品が目に付く場所に置かれており、酒場というよりはバーといった印象を受ける。カウンターの内側に立っていた渋い面の店主が、会釈してゴンベエの来店を迎えてくれた。

 

 特殊な雰囲気の店である。こんな所で気持ち良く呑めるのか疑問であったが、これも一興と納得して店内を見渡した。さて何処に座るか、無難にカウンターだろうかと悩むが、見知らぬ者と飲んでみたい。そう思うと、ゴンベエは長机の奥で静かに呑んでいた客の対面に腰掛けた。

 

 その者は巌の如き男であった。肩などは山のように盛り上がっている。頭はつるりと剃髪して僧の印象を受けるが猛禽の様な鋭い眼差しが、ゴンベエを睨みつけていた。顔や晒した肌などには入れ墨が彫られており、他人に良い印象を与えない男であったが怖気づくことも無く、店主に彼と同じ酒をくれと注文した。

 

 

 

 八本指警備部門の長にして、警部部門最強の六人を呼称する六腕。その筆頭である『闘鬼』ゼロは、眼の前に来た怪しげな男を睨んだ。もちろん、ゴンベエの事である。

 

 なんだこいつは、と心の中で憤怒していた。この街で、気を休めて酒を飲める時間は彼にとっては貴重な一時だ。自らが腕を振るう機会はめっきりと減ったが、部下たちの管理や施設の警備状態、要人警護などの確認作業も多々あり、意外に忙しく働いている。

 

 見ない顔であった。平たい顔に、長い黒髪を高く結っている。一枚布で身体を包んだ服装は珍しく、腰に帯びていた刀を机に立て掛けた。その様相は簡単に忘れられるものではない。流れの傭兵がたまたま立ち寄っただけだろうが、そんな事は関係ない。この一時を邪魔する者は誰であろうと許すつもりは無かった。

 

 ゼロは、ゴンベエに聞こえるように鼻を鳴らす。

 

「ふんっ………」

 

 ゴンベエは、この男に対する対応を間違ったことと喧嘩を売られたのを理解した。殺伐とした男は血の気が多く、ゴンベエの軽率な行動は彼の怒りを買ったらしい。

 

「帰れ、ここは貴様のような奴が来る場所ではない」

 

 低く、凄みのある声。己の力に絶対的な自信を持つ者の威厳があった。

 

「ちょっと待ってくれ、これを味わってから出ていくよ」

 

 注文した酒が届くと、それを口元に持っていった。何とも美味しそうに喉を鳴らして飲み込む、その様子をゼロは静かに眺めていた。

 

「美味いな」

 

 開口するやそう言った。

 

「ふざけた野郎だ……」

 

「良く言われるよ」

 

「お前は………アホなのか?」

 

「そういうお前は、訳もなく人に喧嘩を売るのか?」

 

 ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、店主がカウンターの奥に身を隠した。

 

 ゼロは握っていた杯を置き、静かに手を握りしめると拳は一回り大きく膨らむ。指などには細かな傷が多く、素人目でも大勢の人間を殴ってきたと読めるものであった。腕など丸太のように太く、首は樹幹のように肉厚だ。纏う空気は常人のそれではない。隠しようもない毒気は、ゴンベエが今まで会った誰よりも暴力的であり、巨岩の如く存在感があった。

 

 すると、ゴンベエの口元がにこりと綻んだ。喧嘩の相手としてこれほど良い相手は、そうそう出会えないだろう。王都に来て早速こんな男と喧嘩が出来るなど、上等過ぎて堪らなくなっていた。どうやら今夜は自分も好戦的なようだと理解した。王都のきな臭さが、男の血を滾らせるのだ。

 

 まるで他人事のように、ゴンベエは酒をもう一口服した。

 

 中々の度胸であると、ゼロは感心した。臆している様子は一切ない。着流しから垣間見える胸は山脈のように盛り上がり、厚みがある。なるほど鍛えていた。こういった場は慣れているのか、よっぽど鈍感なのか。いずれにしても、余裕綽々とした態度は気に入らない。

 

「まあ、落ち着けよ」

 

 ゴンベエはそう言うが、ゼロの憤りはそう易々と沈められるものではなかった。

 

「文句があるのなら、これでどうだ?」

 

 ゴンベエは机に肘を立て、右手を伸ばしてみせた。力比べをしようと言うのだ。良い度胸であるが、注視してみた。佩刀していた時は、刀を左腰に下げていた。つまり利き手は右、ゴンベエが差し出している手も右である。刀も右側に立て掛けており、素早く手を動かせば抜けなくはないだろう。

 

 ならば、とゼロは手を握った。手を封じてしまえば刀は扱えない、修行僧(モンク)であるゼロは左手一本でも戦える。この近距離で手を取って動けなくしている状況では、攻撃を避ける事もままならないだろうと考え、その誘いに乗ってみせた。

 

「ッ!?」

 

 握った途端に驚嘆し、全てを理解した。

 

 ゼロは己が最強であると自負している。かのガゼフ・ストロノーフにも勝てる自信が彼にはあった。それ故に、相手の手を握りさえすれば、その力量が測れてしまう。手から伝わってくるモノは、力の集合からなる物質そのものであった。

 

 だが、ここで退く訳にはいかない。自らが強者であるため、そして強き相手と腕を試すのはゼロとしては願ってもない事である。しかし恨むべくは、両者には圧倒的な差があった為に、ゴンベエには手加減する余裕が出来てしまった。

 

 ゼロは投げ飛ばす勢いで力を込めるが、ゴンベエが軽く力むだけでビクともしなくなる。ゼロは力を緩めた。これ以上すると、自分の腕が折れてしまうと確信したからだ。冷汗が止まらなくなり、腰が僅かに浮いた。

 すかさず、ゴンベエが腕を引く。ゼロの巨体が浮き上がり、あっと気付いた頃には空中で一回転して床に叩き付けられ、天上を仰いでいた。

 

 たかが腕相撲、されど腕相撲。単純な力のぶつけ合いでこれ以上に相手の力を探る術は無い。

 

(この俺が………)

 

 最強を誇る彼であったが、その上を往く者と出会えたことに驚きと歓喜と悲嘆の念が胸に渦巻き、軽い混乱状態に陥った。自らが最強を誇るには、ゴンベエを殺さねばならないが、判ってしまった。力の差が、天と地ほどに開き過ぎている。

 

 場末の酒場は静寂に包まれた。店主がカウンターの下から、頭だけを覗かせて様子を窺っていた。この空気を支配しているのは、突然現れた無頼漢である。

 

 ゼロは、まず身体を起こそうとした。彼に押しつぶされた椅子の破片が辺りに散乱していたが気にもせずに立ち上がると、机の下に手を入れた。そのまま起き上がる要領で机を持ち上げ、同時にゴンベエの刀を器用に引っ掛けて真横に放り投げた。けたたましく砕け、欠片が宙を舞い、刀が向こうに飛んでゆく。

 

 怯むことなく、丸めた拳をゴンベエの腹に叩き込む。ゴンベエは腹筋を固めて座ったまま耐えてみせると、次はこちらの番だといわんばかりに拳を唸らせた。

 

 ゼロの巨躯が中空に跳ね、壁に叩き付けられた。気を失いかけたが、丈夫な肉体と手加減されたらしく何とか堪えてみせ、起き上がると構えを取って闘気を剥き出しにする。殴り飛ばした張本人は、不動と椅子から動いてはいない。

 構えた拳が、力なく垂れ下がった。それは裏世界最強を誇る『闘鬼』の戦いではまるでなかった。

 

 

 

 

 ゼロは痛飲した。己の身に起きた幸と不幸を飲み込むように、彼は久しぶりに酒を呷るように呑んだ。呪文印(スベルタトゥー)を使用していないので全力と言えば嘘になるが、それでも己の拳を座ったまま腹で受け止めてみせ、椅子から転げ落ちもせず、何食わぬ顔で殴り返してこの身を吹き飛ばしてみせたのだ。自分の知らない強敵が、まだ世に居たことが信じられない。裏世界最強と称しても、それは所詮小さな世界だけの事であった。受け入れ難く、それを認めてしまえば今までの自信が呆気なく砕け散る気がしてならない。だからこそ、彼は呑んだ。幸いにも、ここは酒場だ。酒はある。

 

 ゴンベエはそれに黙って付き合った。ゼロの心中は察していない。ただ、良く酒を呑む奴だなと絶賛した。黙々と呑んでいるだけであったが、ゴンベエが話しかけてやるとゼロは静かに、だが熱を持って喋り出した。

 

「お前は何者なんだ。この俺に勝てる奴などそうそう居ない」

 

「観光に来た旅人よ」

 

 酒の手を止め、ぽかんとゼロは口を開けた。巌の如き男がする表情ではない、まるで似合っていなかった。

 

「観光だと………」

 

 絶句とゼロは肩を落とし、拳を震わせた。純粋な怒りであった。ゼロは六腕最強の男であり、彼を仕留めさえすれば八本指の戦力は大きく低下する。ゴンベエの狙いがそれで何処かの貴族が放った刺客だと考えていたが、本人から出た言葉は『観光』であった。もちろん、信じはしなかった。

 だが、こんな事は嘘であってほしいと願う。最強を自負する自分が、観光客を名乗る男に敗れたなど、例え天地がひっくり返ろうとも信じたくない。

 

(驕りが祟ったか……)

 

 酔わねばならない、酔わねば正気を保てない。ゼロは大酒を胃に押し込もうと暇もなく呑み続けた。

 

「おお、今度は呑み比べか!」

 

 腕も度胸も酒量も並外れていた。にやにや笑いながら肴をつまみ、酒を食らう。強い男は何をやらせても強いのである。ゼロから見ても気持ちの良い呑みっぷりであった。

 

「おい」

 

「謝らぬぞ、先に殴ったのはお主だからな」

 

「そんな事はどうでもいい。なぜ殺さなかった」

 

「……武人ならば、喧嘩ごときで死ぬこともないだろう」

 

 白い歯を見せてそう言った。美男子とは言えないが、品があり、優しさがあり、何よりも人を惹きつける笑みであった。

 ゼロは複雑な思いでゴンベエを見据えた。彼は照れているように見えるが、微笑を保っている。

 

「名はなんだ?」

 

 気が付けば、ゼロはそう尋ねていた。

 

「権兵衛。名無しの権兵衛と申す」

 

 丁重にゴンベエは名乗った。

 己が打ち負かした相手に対する礼儀の込もった言葉を受けて、ゼロは杯に酒を献じようと立ち上がった。そこには男が男に対する誠意があった。拳をぶつけ合った出会いであっても、相手の素性など何一つ知らなくても、男とは酒と拳を交えれば分かり合えるものである。荒れたゼロの心に、涼風が吹き抜けた気さえした。

 

(ゴンベエ…か。久しぶりに本物の強者(つわもの)に会えた)

 

 みるみる酔っていくのを感じた。ゴンベエは相変わらず温かく笑っていたが、懐に手を突っ込むと顔色が青く変わっていく。どうやら手持ちが少なくて、呑んだ分を払えないらしい。

 

(こいつは碌な死に方をしないな………)

 

 禿げ頭は苦く笑った。




書きたい物と、書き上がった物が余りにもかけ離れていて何度も書き直しましたが、もうこれでいいかと妥協。ぱぱっと書いて気楽にやらねば、書き続けられませんからね。

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