銃口がレティアの頭部に向かうのを、スローモーションのように見ながらアーネストは無力感を噛みしめるしかなかった。
――このナイフさえどうにか……
キィンッ
そう思った瞬間、ナイフが弾け飛んだ。
「なっ!?」
ロザリスが驚き怯む声が聞こえる。遅れて
――ダァァァン
という銃声が遠くから響く。
考えるより先に体が動く。位置や大勢を悟らせない為にロザリスに拘束されてなかったアーネストは、すかさずフィリステルにタックルをかける。
「きゃっ! ――くはっ!」
不意を付かれたフィリステルが、突き飛ばされて塹壕の中に落ちて苦悶の声をあげる。
「フィリス! くっ……しつこい!」
ロザリスがさらに牽制で数発飛んできた弾丸を避け、姿を隠したまま塹壕の中に飛び込む。
アーネストは負傷したレティアを素早く背負い、走り出す。彼女は一瞬痛みに顔を歪めながら短く礼を言った。
「大丈夫か! 撃ってきたのは仲間か!?」
「いえ、それは分からないのです。それよりもアーネストさんつかまってください、飛ぶのです!」
レティアはアーネストから離れ大砲をパージし、マントを光らせ浮遊したままスラスターを吹かして腰の高さで低く飛ぶと、今度はアーネストが彼女に乗るよう促された。レティアの背中や足の装甲には、人が掴まったり足をかける箇所があり、発光したマントはバイクのシートのような形状で硬化している。アーネストがすぐさま飛び乗り肩の後ろのストックに掴まり装甲のステップに足を固定すると、プシュッと小さな射出音とともにベルトが飛び出し体が固定される。
そして一気に加速する。あっという間に過ぎ去る景色。
「本当に体は大丈夫なのか!?」
「ワタクシはロボットなのです。痛覚も今切ったので大丈夫なのです。ちなみに、捨ててきたランチャーはすぐに砂に還るので、情報漏洩の心配もないのです」
撃たれた手足を動かしてみせる。
慌ててマントに跨って捕まったため密着した体の柔らかさも感じ、本当の普通の少女のように錯覚してしまうがこの娘はロボットなのだ。戸惑いもあるが、今はそれよりも重要なことがある。
「そうか。……ところで、さっきのフィリさんの動きはなんだ?」
フィリさんとは、フィリステルの昔の略称である。突然現れた彼女の先程の動きや、もう一人いた見えないロザリスも、現代の技術で説明できるものではなかった。
「あれはロザリスのクロッシングスキルなのです。詳しい説明は省きますが、彼女たちは思考を加速させて体感時間を遅くさせる事ができるのですよ。そしてロザリスが使っていた完全な光学迷彩はフィリステルさんのスキルなのです。二人は今、これらのスキルと思考や感覚を共有状態、ワタクシ達が言うところのクロッシング状態なのです」
「クロッシング……。それにクロッシングスキル……? 完全な光学迷彩っていうのは熱感知や屈折のゆらぎの問題も解消してるってことか?」
「はいなのです……」
そんな超技術の情報は、三年ものあいだ戦場という技術の最先端にいたアーネストでも聞いたことがなかった。
しかも見えない上に思考加速とかどんなのチートだ。どうりでいきなり現れてナイフや銃を突き付けられるわけだ。
「それじゃあ、今奴らに追いつかれる可能性ってのはどんなもんなんだ?」
加速するのが思考だけなら、移動速度そのものが加速するわけでなければ、大丈夫だと願いたい。
「約七%といったところなのです。ロザリスの姿が見えなかったので不確定なのですが、彼女たちのスキルは充分に活かすためには装備にかなり制限がかかるはずなのです。大きな武器やスラスター、ブースターの類は付けない傾向にあるのです。それに光学迷彩展開時は、シールドは張れなかったはずなのです。今のワタクシの速度でも充分に振り切れる公算が高いのです」
今、高速で飛んでいるアーネストが風で飛ばされないのも、レティアがシールドを展開してくれているからである。これがない状態で人間が乗っての高速飛行は出来ない。ならばこの速度で飛び続ける限り、いきなり見えない彼女たちに襲われる心配もないのだろう。移動速度についても、レティアの装備してきたスラスター性能は恐らくは勝っている。
アーネストは少しホッとした。
「なら、このまま俺もヤシノキさんの所、ラボとやらまで行くのか?」
「はいなのです。拉致するような形で申し訳ないのですが、大人しくそうしてもらえれと助かるのです。それが今回のワタクシの努力目標なのです」
「努力目標って……」
主目的は戦争を終わらせること。だとすれば確かに、アーネストの命は努力目標程度なのか。
「ワタクシとしては出来れば、さっき撃ってきた銃も破壊しておきたかったのですが……」
この状況で戻るのは愚行とレティアは判断した。
さっき撃ってきた銃とは、アーネストたちを援護してくれた物であろう。窮地を救ってくれた物でも、武器兵器の類は破壊目標になる。第一目標がそちらである以上、状況次第ではアーネストを捨てて銃器の破壊に行くということもあり得たが、有り難い事にアーネストを優先してくれたようだ。
しばらく飛んでいると、アーネストの端末にノイズ混じりの通信が入ってきた。
『――ち――――なしょ――い――――フォ――がいます――ザス――応答――――す』
「?」
「ちょっと待ってくださいなのです。ワタクシが中継してノイズをクリアにするのです……、……はい、できましたなのです」
『こちら、第二十七カザス小隊、カザスフォー。カザスワン、応答願います。カザスワン、応答願います』
「カザスフォー! 生きていたのか!?」
あの変わり者のスナイパーは生きていたのか!?
『……隊長、ご無事で何よりです。先ほどは援護射撃をさせて頂きましたが、離脱できたようで何よりです』
なるほど、旧式の狙撃銃を持っていた彼ならばネオニューロニウムの消えた戦場でも狙撃が可能だったのだ。
「そうか、さっきのは君が……。ありがとう、助かったよ。ところで、我々が遭遇した二人組はどうした?」
『やはりアレは、二人だったのですね……。隊長たちが飛び去ってしばらくして、南西方向に飛んでいきました。隊長と一緒にいる方も、あの黒い二人組みも、アレはいったいなんだったのですか』
アーネストたちは今、だいたい北西方面に飛んでいる。ということは、どうやら追って来てはいないようだ。
「詳しくは説明できないが、俺はこれから――」
「え……ちょっと待ってくださいなのです。まさか、……声紋照合…………。FHラモン適合者パーソナルID Mizo、本人と九七%合致を確認……。なんてことなのです……行方不明だったミゾさんまでこんな所に……」
「え……? えぇぇぇぇぇぇぇっ! ミゾさん!?」
『ほぁ!? なぜその名を!!?』
二人はかつてのクラン仲間であるミゾの回収のため、戦場だった場所にとんぼ返りすることとなった。
ミゾの座標を確認したレティアとアーネストはすぐにその場に急行し、アーネストたちとミゾは合流を果たした。
ミゾは先ほどの戦場を見渡せる小高い山の中にいた。茂みの中にギリースーツ姿で伏せていた為、姿を表した時はレティアが盛大に驚いた。
ギリースーツを脱いだミゾは出撃前にも見た野戦服姿にはなったが、身長はアーネストよりも一回りも低く、体つきも華奢な少年のようで、長く伸びた前髪で、顔立ちや表情が分かり難い。
そして、小さな体つきに不釣り合いな旧式の対物ライフル。
『ミゾくんの銃については、今は保留にしておくのじゃ。君の本当の雇い主とも話を付けないとならんからのう』
とヤシノキが意味深に言うが、今はそういうことになったらしい。
結局いくらミゾが小柄でも(ミゾがどうしても対物ライフルを置いていけないと言うので)、レティアでは二人も運べないということでヤシノキへ連絡して迎えをよこしてもらったのだが、
「このフレーム、うちの軍のヘリだよな? しかも無人で飛んできた……。いったいどんなトンデモ技術だよ……」
一番近くにあったからという理由で、軍のヘリをハッキングして飛ばしてきたらしい。戦闘ヘリに本来あるべきNNR装甲はなく、金属のフレームがむき出しだ。旧時代のフレームを再利用したのが完全に露呈してしまっている。
どうやらレティアの放ったネオニューロニウムを分解する光線は遠く離れた本部にまで及んでいたようだ。単に長射程というだけでなく、多少の障害物ならX線のように貫通してしまうらしい。
『先に言っとくがアネさんは正確にはもう、その軍とやら、ではないのじゃよ。ミゾさんもじゃけど、君たちは戦死したことになっとる。二階級昇格おめでとう、中佐殿、大尉殿』
と、ヤシノキ。アーネストもミゾも、二階級特進していた。
「そうか…………そうか……」
あまり驚かないのは、アーネストもいい加減驚き疲れていたのだ。先程もミゾに軍を抜けると告げようとしたのもそうだが、戦争というものに辟易しているのだ。いくら史上最も死者の少ない世界大戦と言われようと、それでも戦死者は増え続け、最前線の兵士の精神は否応なく削れていく。
「隊長……では、もうないのですね……。アネキ、どうかしたのですか?」
アネキとは、昔ゲーム内でミゾがアーネストをそう呼んでいたのである。結局そこに落ち着くらしい。
「いや、何か違和感があるなと、思ってな……」
アーネストは疲れているが、それ以上に何かが引っかかっていた。
「戦死と断定するのが早すぎるということなら、それはたぶん博士とあの娘が軍のデータを書き換えたからでは?」
「……え? そんなことも出来んのか……」
「戦闘ヘリのハッキングが出来るくらいですし……恐らくは?」
どんなトンデモ技術だと言いたいが、出来るのだろうな実際……。
しかしアーネストの違和感とは、それとは違う気がする。何かを見落としている。そんな気がするのだ。
アーネスト達がヘリに乗り込み、離陸しても、アーネストは引っかかった何かに思い当たることは出来なかった。
フレームだけのヘリも、レティアがシールドを展開してくれたおかげで快適で、プロペラの音に慣れる頃には、アーネストもミゾも肩を寄せ合って眠っていた。