一方、ヤシノキとレティアの担当する北側の森。
「大勢を立て直せ!! 残存するハウンドもこちらに合流させろ! 敵は強いが単機だ! 一度引いて取り囲めば勝機はある!」
通信デバイスに向かって叫ぶ指揮官らしき男を発見し、その背後へとヤシノキは慎重に気配を殺して、しかし素早くワイヤーを使って樹上を移動し接近する。
「ほう? 誰が単機じゃと言ったかのう」
ヤシノキの声に、まさかと男が振り返る。
「ま――」
だが遅い。
その瞬間、男は全身を締め付けられる感触を覚え、銃を取ろうとして自分の体がほとんど動かないことに気が付く、さらに開けた口にスルリと何かが入り込み閉じることも、言葉を発することもできなくなる。
赤いロープによって一瞬で縛り上げられ、バランスを崩し地面に転がる。更にロープに絶妙に力が加わり、強制的にしかし優しく関節を誘導され、いつの間にか亀甲縛りでM字開脚、口にはギャグボールという戦場では完全に敗者の様となっていた。
そして地面に転がった視線の先に、首を切り落とされて切断面からスパークを散らす、戦闘不能状態の相棒ハウンドの姿。
男は自分の敗北を悟った。
「引く判断の早さはなかなかに良かったんじゃがのう……。戦場の派手な部分にばかり目が行ってしまうのは、若さゆえかのう? まあ最近の戦場じゃあ索敵能力の向上で、伏兵や隠密部隊も戦術としては廃れてしもうたから、仕方のない傾向じゃろうが――」
縛った敵の若い指揮官を前に説教を垂れる、対レーダー仕様のステルスヤシノキ(キッコウメン)。
真っ黒な下地に亀甲縛りの痕ような六角形の荒縄の模様ライダースーツ姿のフルフェイスヘルメット男を前に、恐怖と混乱でパニック状態で転げもがく若い男。
そこにもう一人、森の中から光るマントとスラスターの閃光をなびかせて少女が姿を現す。
「ヤシノキ博士ー。指示通り追い立てたのです。最小限の被害で撤退を開始してた辺り、敵の指揮官もなかなかの……、ってもしかしてこの方なのですか?」
「じゃな」
レティアは足元で「あー」とか「おー」しか言えずに転がる敵指揮官を見た。
ここはヤシノキラボから見て敵陣の左端、北側の森の西よりの位置に当たる。敵は最前線をハウンドが扇状に展開し、その後ろから人間と少数のハウンドの混成部隊が進軍するという陣形であるため、この指揮官は自らが先頭に立って攻めるというなかなかに粋な選択をしていた。
「はぁ、まあたしかに最近の戦場だと指揮官が何処にいても、戦術的には大して変わらないのですが、まさかこんなところにいるとはちょっと驚きだったのです」
「実際ワシはもう敵陣の後ろに、トラップを仕掛けて回ってきたあとじゃからのう。何処にいたとしても同じ結果になったじゃろうて」
ヤシノキの言葉に男は一層激しく「あーあー!」ともがき始めた。ヤシノキの言葉からすると敵陣後方、すなわち彼らの後退ルートにはトラップが仕掛けてある。この男はどうにかしてそれを部下に伝え、トラップを回避させたいのだろう。無論、縛り上げられている以上、無駄な抵抗なのだが。
その様子を、二人が冷静に目を薄く光らせながら観察する。
「ふむ、その反応を見るに伏兵などはおらんようじゃのう」
「その他の奇策も無いみたいなのです」
ヤシノキとレティアは、指揮官の反応を見るためにあえて思考通信ではなく声を出して会話していたのだ。
――「彼らの勝利条件からすれば当然の戦術と言えばそうなのじゃがのう」――
ヤシノキは思考通信に切り替えて話す。その言葉通り、敵は一人でも死者が出ればそれを担ぎ上げて世界大戦を激化させ、その混乱の中で現在ソボ帝国領土となった日本という国を再建するつもりなのだ。
――「それでも、力押し戦術一択の昨今の戦場は遺憾を覚えるのです。まるでストラテジックシューティングからアクションゲームに路線変更して、ゲームバランスが崩壊したオンラインゲームみたいなのです。昔はもっと、人は、人類は考えて戦っていたのです」――
――「時代の流れじゃ。割り切るしかなかろうて。それにそういったゲームは大概、初期の頃から問題を抱えているものじゃよ」――
――「そういうものなのですかー」――
この後、敵指揮官の通信から彼の部下たちが罠にかかった悲鳴を聞き取るとふた手に分かれて森の中を飛び回り、罠を回避した残敵を捕獲し、ハウンドを撃破していった。
そして最後に後方に控えていた大きな人型機動兵器の前にハイテンションで躍り出た二人は、まごうことなき力押しでこれを撃破し、パイロットを拘束した。
そして一方、南側。未だミゾたちとグランたちが戦った爪痕も新しい草原を、敵の装甲車やハウンド、そして他の方面にもいた人型機動兵器が三体もが朝焼けの中ゆっくりと進撃してきていた。
時々散発的に狙撃や榴弾が防壁の上にいるヌードルたち目掛けて飛んでくるが、すべてロッドリクが振動感知能力で察知し、物質停止能力で無力化している。
「こっちはずいぶんとゆっくりさねー」
「他二方面があっさり壊滅しちまったんだ、慎重になるのも無理はないさ」
すでに任務完了の報告が西側のグランペアと北側のヤシノキペアから来ているが、援軍に来るという申し出はない。
どちらのペアもヌードルの能力を知っているがゆえの判断だ。信頼もさることながら、どちらかと言えば巻き添えを食らいたくないのだろう。
敵側も他の部隊が誰一人戦死すること無く捉えられた事は察しているのだろう。もしここが同じように落とされれば、残るは東側の山岳地帯に潜む京都江 苺だけになってしまう。彼らはもうこれ以上、あの誰よりも強く、誰よりもボロボロな彼女に何かを背負わせたくはないのだ。
「さて、こっちも頃合いかねえ」
防壁上で堂々たる仁王立ちで待ち構えていた割烹着姿の小太りな女性、ヌードルはすぐとなりで跪いて待っていたロッドリクの硬化させた重力制御マントへ「どっこいしょ」と搭乗する。
敵との距離は先頭のハウンドとは六〇〇メートルほど、間に装甲車部隊をはさみ、最後尾の大型の人型ロボットとは一キロメートルちょっとと言った所か。地を埋め尽くすほどに密集しているわけではないが、かなりの大部隊だ。普通のフィギュアハーツと人間のペアであれば、手こずることは間違いない。
「お手柔らかに頼むよ、母ちゃん」
「分かってると思うけど手加減なんて出来ないよ。今回もあんたには世話をかけるよ」
「いいさ。だから惚れたんだ」
イケメンスマイルで返したロッドリクがヌードルを乗せて防壁から飛び立つ。夜の闇にマントとスラスターが光の尾を引く。
一〇〇メートルも進まないうちに敵の集中砲火が始まった。
――FH-T GW-01 ロッドリクがnoodleのクロッシングスキルを使用――
――FH-T GW-01 ロッドリクがクロッシングスキルを使用――
その弾丸や砲弾を全て感知、停止させ光学兵器はRAシールドで弾く。
そして敵陣中央に突き進んでいく。
「そんじゃあ、ちょっと寒くなるけど! 我慢しな!」
その叫びとともにヌードルはクロッシングスキルを使用する。
――noodleがクロッシングスキルを使用――
まずは振動感知を使用。しかしヌードルが感知するのはロッドリクとは違い機械の振動や空気振動、すなわち音などではない。ヌードルが今感知しているのは半径五〇〇メートル内の分子振動である。
――noodleがFH-T GW-01 ロッドリクのクロッシングスキルを使用――
そして、感知した全ての分子運動を停止させた。
その瞬間、ヌードルたちの周辺の世界が凍りつく。それは机上の空有論であるはずの分子運動0の世界。絶対零度である。
先頭のハウンド部隊が一瞬で機能を停止し、急激な温度変化に耐えられない部品、特にフレームの軽量化のために使われていた超硬質特殊樹脂サリオレジンなどの樹脂系素材が崩壊し崩れるように筐体がバラバラになった。
眼下のドローン部隊の崩壊を見ながらロッドリクは感嘆の声を上げる。
「ヒュ~。さすがだぜ母ちゃん。そしてここからがオレの仕事だ!」
――FH-T GW-01 ロッドリクがクロッシングスキルを使用――
ロッドリクが自身のスキルを使い、人の乗った装甲車と人型ロボットのコクピットブロックを停止させる。これは逃さないためだけではなく、中の人間をヌードルのスキルから守るための処置である。先にロッドリクが停止させることで[aracyan37粒子]由来のスキルはその内部に影響を与えないようにすることが出来るのだ。それ故に二人は最も大規模な部隊ではあるが徒歩での歩兵のいない草原地帯を真っ先に選んだのだ。
そうして二人が飛び去った後には、一瞬で氷結した空気中の水分がキラキラと登ってきた朝日を浴びて舞うダイヤモンドダストと、動かなくなった車やコクピットブロックの中から出られなくなり、寒さに震えながら唖然とする、あるいは混乱する人々だけが残された。
そしてそんな彼らのもとに雪の精霊が現れた。
『なのですー』
否、防寒装備を施したプチレティアたちであった。
凍った草をシャリシャリと踏み鳴らしながら、プチレティアたちはせっせと車やコクピットブロックを数体がかりでラボへと運び込んでいった。
「さてさて、任務は完了さね。あたしゃちょっと近くの街まで朝食を食べに行きたいんだがねえ」
「まだ作戦は終わってないが、良いのか母ちゃん? それにミゾたちもまだ戦闘中だ。援軍に行かなくていいのか?」
「いぃんだよ。あのジジイの言う宴とやらにあたしゃ興味はないからねえ。それにミゾたちなら大丈夫さね」
そう言って草原を飛んで行くヌードルたちのBGMは、ラボの東側の山岳地帯から響く散発的な銃声や破壊音であった。