フィギュアハーツとは、三年前、アーネストが戦場に身を置く前にやっていた対戦型オンラインゲームである。プレイヤーは二足歩行型のロボット[ツーレッグ]を操り、戦闘をしたり拠点を制圧したりするEスポーツとして側面の濃いTPSゲームであり、最大の特徴は自機の操作と並行して二機の僚機を従えて様々な指示を出しながら戦うことでありストラテジー要素も強いゲームであった。
そして、レティアとはフィギュアハーツ内の戦闘サポートAIキャラクターの名前で、その姿もアーネストの記憶にあるものと類似している。ただし、ゲーム内での彼女は寮機ツーレッグの操作や自機ツーレッグの戦術補佐をするAIであって、間違っても戦闘用ラブドールではなかったし、そもそも直接戦ったりはできない存在だった。
「あわわっ、そうでした、連絡連絡、忘れる前に連絡なのです。ちょっと失礼しますのです。……あ、ヤシノキ博士。レティアなのです。パーソナルID、arnest、本人の無事を確認したのです。通信つなぎますか? ……あ、はいなのです。では先に戦場を片付けてしまうのです」
彼女はチラチラと彼、アーネストを見ながら通信を終えた。
「では、少々行って参りますのです」
言ってスカートを摘んで丁寧に礼をすると、彼女の背中のオレンジ色のマントが淡く光、フワリと地面から浮き上がり、さらにスラスターでヒラリと高く舞い上がる。スカートの中が下から丸見えである。
白地に橙色のリボンとフリル。右クリック、名前をつけて保存。
アーネストを遥か眼下に、戦場を見渡せる高度まで上ると、背負った大砲をその細腕では考えられないほどヒョイと構え、撃った。
大砲からは光がほとばしり、迫りくるドローンやその後ろを歩いてくる兵隊に照射していく。何発か銃弾が飛んできたが見えない障壁に弾かれ、それを発射したドローンや兵士にもビームを当てていく。
還元砲ウラカーン、光重合されたネオニューロニウムを土に還す特殊波長光線を照射する非殺傷兵器。
RAシールド。大気中の[aracyan37粒子]に干渉し、一定範囲内に特殊な力場を展開するシールド。エネルギー消費は激しいが、物理、爆熱、光学兵器も通さない不可視の障壁。
それらは現代の戦場ではまだ誰も知らない兵器である。
レティアはさらに、クルリと回って敗走するアーネストの味方だった一団にもウラカーンを照射し、戦場を隈無く一周し、あるいは一蹴し、
「あ、それもダメなやつなのです」
最後にはアーネストにもビームを照射した。
「うぁぁぁぁぁ……ってあれ? 痛くない……?」
反射的にガード姿勢をとったアーネストだが、予想していた痛みは全く無かった。
そしてアーネストの持っていた武器が、防具が、サラサラと砂になり小さなネジなどの鉄の部品とともに足元に散らばった。
「……え……?」
アーネストは何が起こったか分からず、呆然とするしかない。
「あ、あの、何か大切な思い入れがある物だったら、ごめんなさいなのです。でもでも、これもワタクシの任務なのです……」
「任務?」
「はいなのです。ワタクシたちは戦争を終わらせるのです!」
レティアは、えへんと胸をそらしてそう誇らしげに言った。巨乳というほどではないが、胸を反らすとなかなかの存在感だ。
「……この戦争を、終わらせる……? そんなこと……」
無理だ――そう口に出そうとしたアーネストの手からはもうすでに武器はない。見れば先ほど粉砕された[アサルトハウンド]も砂と鉄クズになっている。
まさかと思い、塹壕から這い出てみるとそこには、もう戦争は、兵器は無くなっていた。
荒野の所々に散見する砂と鉄クズ。あれがすべてさっきまで戦争の代名詞とも言える兵器だった?
――信じられない。
『驚いたかな、アネさん。これが我々PSWこと[栄誉ある戦略的撤退]の目的なのじゃよ』
男の声が聞こえた。振り返ると、手元にホログラフモニターを展開したレティアが立っていて、画面にはSOUND ONLYの文字。
懐かしい声。かつて毎日のように競い合い、共闘し、遊び呆けた友の声。ゲーム内ではYSNKと書いてヤシノキ。
[栄誉ある戦略的撤退]とは、アーネストたちが出会ったきっかけのフィギュアハーツでのゲーム内クランであり、その略称がPSWであった。
「ああ、驚いた。色々なことがありすぎて何から驚いていいか分からないくらいだ。とりあえず、お久しぶり、助かったよ、ヤシノキさん」
『礼ならそこに居るレティアに言っとくれ、ワシはその娘を射出しただけだからのう。まあ、色々聞きたいこともあるだろう。まずはワシのラボに――』
そこでブツリッと突然通信が切れた。レティアが慌てて通信を復旧しようとするが、
「ふぇ? あれ? あれれ? 繋がらなくなったのです……」
ダメらしい。
「さっきのビームの照射で変な電波出ちゃって切れたとかじゃないの?」
「そんなはずはないのです。これはネオニューロニウムを分解するだけなのです。変な電波とか出ないのです!」
なるほど、それでドローンも武器もネオニューロニウムで出来ているものは全部、砂になったわけか。
現代の戦場でネオニューロニウムで出来ている物ばかりであり、それを分解できればすなわち戦場は消える。戦闘は継続不可能となる。
通信が切れたレティアは、慌てて次の行動を選択する。さすがは元戦術AIだ。
「と、とにかく、アーネストさんとラボに帰らないとっ」
「おっと、そうはさせないよ~っと」
その時、バサァっとレティアのスカートがめくれ上がった。
白と橙を今度は正面から見れた。束の間の幸せ。
「ファっ!?」
可愛い奇声を上げて、とっさにスカートを抑えるレティア。
しかしその僅かな瞬間だけで、この場は突然現れた彼女のものとなっていた。
「はい、レティアちゃんもアネさんも動かないでね~。もう詰んでるから~」
「……くっ、想定よりも早かったのです……まさか裏切った中であなたが来るなんて……フィリステルさん……」
「喋るのも無しだよ~」
拳銃を頭部に突きつけられたレティアは、場を支配した彼女の名前を呻くように呟いた。
AIというプログラムであるフィギュアハーツも、そのプログラム本体が内蔵されている頭部と破壊されれば、文字通りの[死]を迎える。ラブドールとして殊の外人間に似せられて作られたが故に、記憶装置は頭部に、動力源は胸部に配置されているのだ。記憶のバックアップは、初期人格以外は存在しない。すなわち、頭部を破壊されれば文字通り死ぬのだ。
そしてアーネストの喉には宙に浮いたナイフが当てられていた。正確には宙に浮いているわけではない。見えない何者かがそこに居る、まがりなりにも戦場を渡り歩いたアーネストにはそれが感じられた。そして、その誰かが喋った。
「フィリス、スカートを捲る意味はなかったんじゃない?」
冷静な少女の声。幼さは残るが、決して甘さは感じられない。
「そんなことはないよ、ロザリス~。目の保養は必要だったよ~? それに、不意をつかないとシールド展開内部まで近寄れないしさ~」
「シールドなんて、私にかかればどうとでもなったわよね!? 役割を逆にすればそれでスマートに済んだのよ」
「それじゃあボクがレティアちゃんのパンティを見れないじゃ~ん」
「……あなたって人は、なんでいつもそうなの! パンティなら私がいつも見せてるじゃない!」
「ふふふ、ロザリス分かってるくせにぃ~。こうゆうのは普段見れないものだからこそ見たくなるだよ~」
「わかるわ! わかるけれど! あなたの気持ちはクロッシングで余すこと無くわかるけど! 納得はしかねるの!」
何やら言い争っている内容は馬鹿げているが、アーネスト達の状況はフィリステルが言ったとおり詰んでいた。アーネストもレティアも、何一つ気付かない内に一瞬で生殺与奪権を奪われた。
フィリステル。彼女も[栄誉ある戦略的撤退]のクランメンバーで、そのアサシンめいた戦術は独特でアーネストもよく苦しめられた。そしてロザリスは彼女が好んで使用していたAIキャラクターである。
――PSWの仲間は、皆仲間じゃないのか? 裏切り者?
アーネストは訳が分からないことがまた増えた。
初めて見る現実のフィリステルは、年の頃は二十歳前後。黒髪を右の一房だけを伸ばしたアシンメトリーショートヘアで、その下の表情はニタニタと笑みを浮かべ状況を楽しんでいるのが見え見えである。ゲームのプレイスタイルと同じく、愉快的な性格は変わらないらしい。
全身真っ黒なラバースーツで最低限のポーチとホスルターだけを身に着け、スレンダーなボディラインはレティア以上によく分かる。
一方でロザリスは、ナイフを持つ手も含めて姿が見えず、声だけが近くから聞こえるのみだ。
「さて、アネさんにはボク達と一緒に来て戦争を終らせるお手伝いをしてもらうよ~ 良かったらレティアちゃんも一緒に来る~? もちろんその場合はヤシノキさんとのクロッシング契約は切ってもらうけどね~」
「そんな、こと! するわけないのです!」
言いながら拳を目にも留まらぬ人外の速さで振り回して彼女を追い払おうとするが、信じられないことにレティアの拳はフィリステルに当たるどころか、一定の距離から追い払うことすら出来ない。さらには後退すれば肉薄され、蹴りを放てばヌルリと避けられる。
至近距離で交わされる目まぐるしい攻撃と、圧倒的な回避力の歪な攻防だった。ヒラリヒラリと最小限の動きで回避するフィリステルは、まるでレティアの動きを完全に読んでいるかのようだ。
そしてレティアは拳銃を突きつけられた状態を変えられないままに、ついにはパンパンパンと、右腕、右脚、左腕を撃たれて地面に倒れ伏してしまう。
「くっ、ふぅ……クロッシングスキルさえあれば……」
レティアが痛みで苦悶の表情を浮かべながら、悔しそうに負け惜しみを言う。
「ん? ホントにスキルがあれば勝てたのかな~? 君たちのスキルじゃあボクにもロザリスにも攻撃は当てられないんじゃないかな~」
「…………」
フィリステルはニタニタと笑った表情はそのままに、息を切らしてすらいない。
レティアはさらに悔しそうに下唇を噛む。
「フィリス、目標は確保したんだからさっさとそいつ殺して帰還するわよ」
「は~い」
――このまま、レティアが殺されるのを見ていることしか出来ないのか!?