ダッシーラボの内部はコンクリートの通路が縦横無尽に走る地下施設である。それこそマップがあっても迷いそうな迷路のような構造だ。
その中のひときわ太いメイン通路の一つを、アーネストたちはスラスターを使って飛ぶように進んでいく。
前方には同じく先行するミランダと、その肩部装甲に腰掛けるように自身を投影するハスクバーナ。
――「この状況、……罠、じゃないですよねぇ?」――
――「正直、俺にもさっぱり分からん……。ここまで誰も見かけてないし……」――
アーネストの言う通り、ここまで結構な距離を進んで来たが人っ子一人見かけていない。ショウコもその辺を危惧してか、先程から同じような会話がループしていた。
サラーナはラボに入ってからは何かを考えているのか、ずっと黙ったままだ。
『君たち、その内容の会話はもう四回目だ。警戒してもらうのは結構だけど、いい加減無駄だって気付いて欲しいものなのだけど?』
「!? 口に出てた!?」
「違いますたいちょぅ! 思考通信をハックされて読まれてたんです!」
ショウコが後ろ向きに投影し直されたハスクバーナをキッと睨みつける。
ちなみに[aracyan37粒子]を介して行われる思考通信を傍受するという事は、可能か不可能かで言えば可能である。ただし通信の元となる脳内OSシステムを管理するクロッシングチャイルドに限られる。カンパチロウやアクセリナはそういった事は極力しない性格だったため、盲点となってしまったのだ。
『ごめんごめん、そう睨まないでくれよ。あくまで利害が一致しているだけの関係なんだ。警戒し会う程度がちょうど良いと思うのだけど?』
「それは……、そうだけど、納得行かないですぅ……」
プライバシーを侵害されたショウコがムッとするが、そもそもハスクバーナOSをインストールしたことで、物理的にもシステム的にも敵地の真中でプライバシーも何もないのである。
『それから一応言っておくと、誰とも会ってないのは予めそうなるように職員を誘導しておいたからさ。そもそも知っての通りダッシーラボの主な人員は、今は戦場に出張っている。残りの少ない人員には、うまいこと仕事を割り振ってどいてもらってるのさ』
「なるほど、そういえばヤシノキさんも今が一番手薄だって言ってたな。まさか残りの人員までスルーさせてもらえるとは思ってなかったけど」
そもそもそのタイミングを見計らっての潜入作戦だったのだ。まあ、まさかメイン通路を堂々と進めるとは思ってもいなかったのはアーネストの言葉通りで、その辺はハスクバーナの手引のおかげだろう。
「というかミランダ。お前がこうしているって事は、この件はダッシー博士も了承してるってことなんですかぁ?」
ショウコの記憶ではミランダとダッシーはクロッシングパートナーどうしだったはずだ。ならばミランダがこうしてアーネストたちを手引していることは、当然、意識や感覚が繋がったダッシーにも伝わっているはずなのである。
「あの人は関係ないわぁん」
「はぁ? どういうことですぅ?」
「もう別れたのよぉ」
ミランダの言う、別れた、とはクロッシング契約の解消ということ。すなわち、現在のミランダはダッシーとは感覚や意識を共有していないどころか、RAシールドも張れないしクロッシングスキルも使えない。
「はぁ!? 子供まで作っておいて別れただぁ!?」
「だってあの人、変わってしまったんだもの……、もうハスクちゃんを産んだ時みたいに愛することは出来ないわぁん」
乙女チック思考回路を搭載したショウコの言い方だと誤解が生まれそうだが、元々フィギュアハーツと人間の結婚とは、子供が出来たから夫婦として認められるというもので、言ってしまえば一〇〇%できちゃった結婚であり、それ以外の例は今のところないのだ。さらに言えば、どこの国にも属さず無宗教の者が多い[PSW]は法的にも宗教的にも結婚や離婚といった手続きも存在しないのである。強いて言えばクロッシングペアの解消が離婚に近い。
「クロッシングペアも色々ですぅ……」
「そうねぇ、わたくしもバツイチ子持ちのフィギュアハーツになっちゃったわぁん」
二人の会話が徐々に世間話みたいになってきたな。
「ねえ、ハスクくん?」
『なんだいサラーナ』
ここで黙っていたサラーナが口を開いた。
「もしかして、さっき襲ってきたフィリステルたちも貴方たちとグルなのかしら?」
「そうだよ。彼女たちにはあの夫婦の足止めをお願いしている。ブンタとシンディアには、アクセリナの下に辿り着いてもらいたくなくてね」
そういうことならば他にもっと良い方法がありそうなものだが。結局、戦闘という形での足止めになったのは、ひとえに娘を誘拐されたブンタたちが殺気立っているせいだろうか。
「なるほどやっぱり……。ふむ……、今回のあなたたちの目的はわからないけれど、その指揮をしているのは、もしかしてニフル博士なの?」
『……、ほぅ、なぜそう思うんだい?』
ハスクバーナは質問に対して質問で返したが、サラーナは特に気分を害したりはせずに続ける。
「ワタシたちはこれでも一応、スニーキングミッションのつもりで来たのよ。それがこうもあっさりと、完膚なきまでに、あなたたちの手の中で踊らされている。そんなことが出来るのは、未来を見ることが出来る天才だけじゃないかしら」
『なるほどなるほど、さすがは元夢見のフィギュアハーツと言ったところか……』
「あらハスクちゃん。一応、今回の指揮官は貴方でしょう? そこは訂正しなくていいのぉ?」
『はは……。あの天才が関わってる時点で、指揮官なんてお飾りみたいなものさ。それこそ、誰も彼も結局はあいつの手の中で踊るしかない。さてママ、そろそろ止まるポイントだ』
ハスクバーナの言葉でアーネストが通路の先へ目を向けると、ちょうど大きな通路同士が交わる十字路が見えてきた。
速度を落としていくミランダに習い、アーネストを乗せたショウコとサラーナも十字路の手前に停止していく。
そして、ちょうど一同が十字路の手前で止まった時、右手の通路から声が聞こえてきた。
「おっとチヅル、ここでストップだ!」
「ふぇ!? お兄ちゃん博士いきなりそんなこと言っても、チヅルは急には止まれなーいッ!!」
ズゴン! ゴリゴリゴリゴリゴリゴリ……
アーネストたちの目の前で、高速で飛んできた青年を乗せた青い装甲の少女が、コンクリートの床に派手に杭を打ち込んで十字路に傷跡を残し、土煙を上げながら減速して横切っていく。
「……ショウコ様、あれって……!」
「ああ……、あの知性と緊張感のない声……」
「チヅル!? それに、もしかして……」
アーネストは期待を込めて、ショウコは呆れ気味に、サラーナは少女ではなく青年の登場に、それぞれに驚く。
立ち込める土煙の中、青年のシルエットがゆらりと立ち上がる。
「ゲホッ、ゴホッ、チヅル……急に止まる必要はないんだ。通り過ぎたら戻れば良いんだよ。ぶおっへぇん!……煙……ひどっ」
「そういえばそうだね! お兄ちゃん博士、あったまいーっ! 煙、晴らしちゃうねー!」
ドッパンッ!!
脳天気なチヅルの声に続いた何かを打ち出すような打撃音とともに、立ち込めていた土煙が衝撃波によって一瞬で飛ばされる。
衝撃の余波から顔をかばったアーネストが、再び顔を上げると、そこには虚空に向かってパイルバンカーを放った青い装甲の少女が栗毛色の短い髪をなびかせていた。
FH用試作型近接杭打機、クロスレンジにおける爆発的な破壊力をコンセプトに開発されていたパイルバンカーの試作品。ダッシーラボで開発が頓挫していたものをコッソリ拝借してきたものである。
チヅルが纏うのは青いFBDユニット、背には硬化を解いてはためく青く発光する重力制御マント。
さらに背中の兵装ラックにはショウコと同じように、長身の男性を乗せるために足りない身長を補うためのミサイルポッドが装備されている。
そしてそのフィギュアハーツ少女の後ろには、シルクのパジャマに部屋用スリッパ姿で白衣をはためかせる黒髪に眼鏡の青年が立っていた。
なぜ白衣?
「ニフル博士!!?」
サラーナが今にも駆け出しそうになるが、
――「待ってサラーナ、まだそいつらも信用できませんよぉ?」――
――「くッ……。でもニフル博士なら……きっと……」――
ショウコの制止に迷いながらも止まってくれた。
しかし、そのショウコの横をゆらりとした足取りで、チヅルに向かって歩くロリコンが一人……、
「たいちょう! ステイ!」
「……はっ。俺は、何を……」
「たいちょう! ハウス!」
ショウコの命令でアーネストはそそくさとショウコの背中へと戻った。
実はアーネスト、オンラインゲーム[フィギュアハーツ]でショウコ購入時、チヅルとかなり迷ったのだ。それはもう、胸に手を当て心に問いかけ、股間に手を当て本能に問いかけ、考え! 抜いた! その末にショウコを選んだのである。
ならばあのチヅルの後ろに立つ青年、ニフルは自分が選べなかったもう一人の自分だ。アーネストはそんな思いを込めて視線を投げかける。
「……久しぶりだね、サラーナ。それにショウコ。それからはじめましてアーネスト。僕様がニフルだ」
「はじめましてニフルさん。クランメンバー一覧で名前だけは見かけてたけど、結局一緒に遊んだことは無かったっけ?」
「ああ、だからそんな同士に投げかけるような、熱い視線を受ける覚えはないのだけど……?」
「大丈夫、分かってる」
「何か分かられた!?」
男達が熱い視線を絡ませるが、今はそんなことをしている暇はない。
ハスクバーナがサクサクと話を進めてくれる。
『それで、こんな道のド真ん中でわざわざ止まって、何をしようっていうんだい、ニフル博士?』
「ああまあ、これは僕様の個人的な用事だったんだけどね。サラーナに言いたいことがあるんだ」
「え? ワタシに……?」
――「え? これってもしかして……、ここからは僕様に付いてこい、とか言われちゃうの!? どうしよう今のワタシにはもうアーネスト隊長というパートナーが…………キャーッ/// 二人がワタシをとりあってそんな!? いやん♡ もうワタシのために争わないでーッ///♡」――
――「サラーナ、全部漏れて聞こえちゃってるよ……?」――
――「と言うかこの話の流れだとぉ……、絶対そうはならない気がしますぅ」――
珍しくサラーナが冷静さを欠いて思考通信で考えていることをだだ漏れにし、珍しく二人がまともなことを言った。
ニフルの手がかりだけでも、という思いでここまで来たサラーナにとってまさか本人に会えるとは思ってもいなかった展開であり、冷静でいられないのも無理はない。しかしここまでアレなのは、ひとえにクロッシングによって外付け接続された乙女チック思考回路のせいかもしれない。
サラーナが頬を赤く染めて身体をクネクネさせる様を見て、ニフルは「ちょっと見ないうち気持ち悪くなったな」と一瞬躊躇するもきちんと伝えるべきことを伝える。
「サラーナ、君はこれからアーネストとともに行きなさい」
「……え? ニフル博士……? だってワタシたちずっと一緒だったのに……。それにニフル博士にはワタシが必要なはずでしょ!!?」
サラーナの言葉に、ニフルは首を横に振る。
「君はもう、僕様に縛られる必要はないんだ。ちゃんと言っておかないと君は僕様を探し続けるだろ? だから今回、ここで時間を取らせてもらったんだ。アーネスト、サラーナを頼んだよ」
「うん……いやはい? もちろんそのつもりだけど……」
急に話を振られて、困惑したがアーネストもここでサラーナを手放す気はない。しかし、アーネストに流れ込んでくるサラーナの感情は少し違った。
「イヤよ! ニフル博士も一緒に来ましょう!? ヤシノキラボならきっと受け入れてくれるわ! それで、みんなで一緒に――」
「それは出来ないんだ。それでは最善の未来へとたどり着けない」
「運命なんて!! いくらでも変えてみせる! そう……、そうよこの力で……」
――FH-U SA-01サラーナがクロッシングスキルを使用――
サラーナが自身のクロッシングスキル、触れた人を強制的に恋に落とす能力を発動させ、ニフルへと早足で歩み寄って行く。
しかし、
「ダメだよ、サラーナお姉ちゃん。それじゃあ、誰も幸せにならないの」
チヅルがニフルとの間に立ち、パイルバンカーをサラーナに向けたのだ。
サラーナは一度止まり、チヅルを見下ろす。
「どきなさい、チヅル。あなたの筐体じゃあその武器はもうまともに撃てないはずよ」
その言葉通り、パイルバンカーを構えるチヅルの腕はプルプルと震え、時折小さなスパークも見える。次に撃てば腕ごと吹っ飛びかねない。
「大丈夫だよ? チヅルもお兄ちゃん博士を守る力はあるもん」
そう言ったチヅルの身体が光を帯び、光のシルエットが変化する。まるで魔法少女の変身シーンのようではあったが、変わったのは衣装ではなかった。
「チヅル……!? その姿は……」
驚くサラーナの目の前には、もう小さな少女の姿はなく、数年成長した成人前後のチヅルがいた。もう限界だったはずの腕も回復し、真っ直ぐに力強くパイルバンカーを構えている。
「成長した!? ショウコ様も同じ機能があったりする!?」
「ねえよ!! ですぅ……。あれはチヅルのクロッシングスキル、変身能力ですぅ。一度見たものならなんでも変身可能……、って、あれ? それじゃああの姿はおかしいはず?」
そう、フィギュアハーツは基本的に、一部の例外を除いて成長しないのである。ならば当然、チヅルには成長した姿などあるはずもなく、存在しない、見ることの出来ないものには変身もできないはずなのだ。
「チヅル、まさかその筐体……」
「うん、これはね、チヅルが夢に見た6年後のチヅルの身体」
チヅルはそう言うが、フィギュアハーツの筐体は成長などしない。
そう、一部の例外を除いて。
「サラーナ、その子は本気だよ。チヅルは僕様と同じ時間を生きるために、マリィたちと同じZSシリーズの筐体になったんだ」
ZSシリーズ。マリィやレティアなど型式番号の前にZSが付くフィギュアハーツの筐体である。その大きな特徴は、人と同じように成長すること。そして理論上、老いて、死ぬ。
「そんな……。だってチヅルはワタシたちと同じSAシリーズでしょう? そんな簡単に筐体の変更なんて……」
「ああ、だからその子は結構無茶をしたんだ。僕様と共に生きて、いずれ死ぬために。そして僕様もそれを受け入れた」
それを聞いたサラーナはその場に崩折れる。AIである彼女にも分かってしまったのだ。この二人の関係は、こんなスキルで奪い取って良いようなものではないと。
「大丈夫だよ、サラーナお姉ちゃん。お兄ちゃん博士はチヅルがちゃんと守るから。こう見えてもチヅル、夢を見るのも上手いんだよ」
「うぐ……っ」
チヅルの言葉が、予知夢を見る才能が致命的になかったサラーナに突き刺さる。
「それではアーネスト、あとは頼んだよ。君たちの作戦はうまくいく。僕様が保証しよう」
「バイバイ、お兄ちゃん、お姉ちゃん。また今度遊ぼうねー!」
そう言ってニフルたちは、元の姿に戻ったチヅルの背に掴まって、アーネストたちの来た道の方へと行ってしまった。
残されたのは、わざわざ別れ話を見せつけられるために立ち止まった人々と、振られた上に完全敗北したフィギュアハーツだけだった。
「サラーナ、行くよ? 予知能力者からのお墨付きも貰ったんだ。明るい未来のために立ち上がらなきゃ」
アーネストが言葉をかけるも、サラーナから悲しみや悔しさ、無力感は消えない。
「残念でしたねぇ、サラーナ。二人の男にチヤホヤされる未来がつかめなくてぇ」
ショウコの言葉に、サラーナは顔を真赤にしてバッと立ち上がる。
「ちがっ――」
「何が違ったんですぅ?」
「ぐぬぬ……」
サラーナは言い返せない。よく考えたら、何も違わなかったのだ。
『さて、それじゃあ行くよ。次こそは君たちの本命、アクセリナの下へ』
ハスクバーナの言葉に、一同はまた進み始めた。