PSW~栄誉ある戦略的撤退~   作:布入 雄流

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サイドF&R:ふたりで逃げるもん

「やあ、久しぶりだね。フィリステル」

 

 空から男の声がした。

 それとほぼ同時にチチッという葉のこすれる小さな音。

 

 ――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――

 

 思考加速の能力を使用して音がした頭上を確認すると、十字架のようにシンプルなデザインの剣が一本、真っ直ぐにフィリステルを貫かんと落ちてきていた。

 加速した思考の中ゆっくりに見えるその剣を、同じくゆっくりにしか動かせないように感じる身体で避ける。能力を解除する。

 剣がトスッと軽い音を立てて、さっきまでフィリステルの居た場所に垂直に突き刺さった。漆黒のラバースーツに包まれた身体にも、補助スラスターにも損傷はない。

 右側だけ一房長い黒髪を風に揺らし、目を鋭くして冷静に周囲を警戒しながら挨拶を返す。

 

「ブンタさん、お久しぶり~。いきなりご挨拶だね~」

 

 フィリステルは刺さった剣を引き抜いて適当に離れた場所に投げ捨てた。何が仕込まれているかわからない以上、近くに置いておくのは得策ではないと判断したのだ。

 

 ここはヤシノキラボの西側の森。鬱蒼と生い茂る広葉樹の葉が夜の帳の中で時々ザワザワと風に揺られている。

 森の中は怪しげな緑の光がたゆたっているが、ホタルではない。ロザリスが言うには、リペア溶液を空気中に散布した物であり直接的に人体に害はない。実際、直接的被害は黒いラバースーツ内の下着が溶かされた程度だ。

 しかし直接的に被害は少なくとも、戦略的には大いに被害を受けた。この光の粒のおかげで姿を隠していても位置が露呈してしまい、ラボ内に留まることが出来なくなったのだ。そしてロザリスとの合流後に、陽動役のグランの撤退支援に向かう手筈がパーになり、彼女との通信もさきほど途絶えた。

 今フィリステルはラボの西の防壁から三〇〇メートルほど離れた戦略的には何とも分の悪い位置で、姿を隠してロザリスを待っていた。

 後ろを振り返ればフィギュアハーツの重力制御マントとスラスターで飛び立つにはちょうど良さそうな、小さな空き地が森の中にポツリと開けていて、背の低い草花が一面に萌えている。

 

「娘を誘拐されかかっているんだ。いくら吾輩が紳士でも気が立つさ」

 

 今そこに一人の紳士が降り立った。頭には黒いシルクハット、左目にはモノクル、口にはカイゼル髭、右手には銀のステッキ、ブンタのトレードマークとも言える英国紳士の象徴の数々を彼は今日も身に着けていた。

 

「それはそれは、物騒なご時世になったもので~」

 

 男は一瞬空を見上げて、すぐに視線を誘拐犯のいる方へ戻す。さらに森の上空からは微かにスラスターを吹かす音が聞こえた。ブンタのクロッシングパートナーであり妻、シンディアがラボの方へと飛んで行ったのだろう。

 フィギュアハーツ、ユータラスモデル GW-01 シンディア。アクセリナの母親である彼女は、直接娘を取り戻しに行ったのだ。

 ブンタは視線をフィリステルに向けてはいるが、姿は見えてはいない。散布されたリペア溶液によって、よく分析すればそこに人が居ることを観測できるが、光学迷彩を展開した彼女を肉眼で補足することはこの状況であっても難しい。

 しかし、彼は能力で感じ取っている。

 空間感覚能力。以前の資料が正しければ半径三〇〇メートル以内の空間を、直接感覚として認識できるのがブンタのクロッシングスキルであるとフィリステルにも情報はある。

 そして軽口のお返しとばかりに、今度は二本の剣がフィリステルの頭上の葉をかすめて降ってくる。

 

 ――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――

 

 先ほどと同じように避け、今度は地面に刺さった剣から離れるように、夜の森の中で位置を変えて木の後ろに隠れる。

 

 ――「ロザリス、見つかった~。たぶん、そっちにシンディアが行ったかな~」――

 ――「わかったわ。こっちもようやくユニットの操作に慣れてきたから、ここからは強行突破でいくわ。それよりフィリスは大丈夫なの?」――

 

 ロザリスは現在、ラボ中枢から誘拐した眠れるアクセリナを運んで、フィリステルとの合流のために西へと進んでいる。

 アクセリナ奪取時に見つけたというフィギュアハーツ用の新型ユニットも、最初こそ四苦八苦したものの思考加速能力で底上げした演算能力を活かしてどうにか動かせるようになったようだ。

 そして能力的に分の悪い男と交戦状態に入ったフィリステルを、ロザリスが心配するのももっともである。

 しかし問題はそこではなかった。

 

 ――「夜の森の中で裸の男と二人きりってのは、あんまり大丈夫じゃないな~」――

 ――「…………急ぐわ……!」――

 

 ブンタは紳士の象徴を身に着けてはいるが、それだけなのである。以前作戦で共闘した時に見たタキシードもスラックスも無く、裸体を露わにしている。

 いわゆる変態紳士スタイルである。

 散布されたリペア溶液は無差別にその特性を発揮しているらしく、今ヤシノキラボ内でロザリスを捜索しているフィギュアハーツたちも皆全裸だと聞いている。

 ついでにフィギュアハーツたちにはリペア作用も少ないながらも機能しているので、かすり傷程度はすぐに治るそうだ。そして人間にはそのリペア効果は無く、服と無駄毛だけを溶かすはた迷惑なバイオハザードとなっている。

 

「さて……。どうやら吾輩と君の能力では、勝負がつかないようだね」

 

 そう言ってブンタが手をかざすと草原に突如、瀟洒な椅子とテーブルとが現れる。

 位置を把握している無機物を手元に空間転移で引き寄せる能力。シンディアのクロッシングスキルであり、ブンタのスキルと合わせて使うことで半径三〇〇メートル以内を[手元]として認識し、先程のように突然剣を頭上に出現させることも出来るのだ。

 この二人はまさにフィリステルたちのクロッシングペアの天敵であり、今もブンタ一人と対峙していても逃げることすら出来そうにない。

 フィリステルの背に冷たい汗がつたう。下着がないのでスーツの中をお尻までつたってしまい気持ち悪い。

 そのブンタは更にテーブルの上にティーセットを出現させ、夜の森で優雅に紅茶を飲み始めた。

 

「君もどうだね? フィリステル」

「お断りするよ~。裸の男と相席する趣味はなくてね~」

 

 変態紳士からの誘いを、フィリステルは三発の銃弾を添えて答える。サイレンサーによって銃声は殆ど出ない。

 しかしその弾丸もブンタの能力圏内では転移させられ、これ見よがしにテーブルの上に力なく転がされた。

 ティーセットよりもまずは何か着るものを転移させてきて欲しい。

 紅茶の香りを楽しみながら足を組む裸体の紳士というのは、銃撃が無力化された以上に精神にくるものがある。

 

「それにしても君の能力は何なのだね? 本来なら銃その物をこちらに転移させられるはずなのだがね。君や君の持つ物はポッカリとその場に穴が空いたように何も感じ取れない」

 

 なるほどその空白の位置でバレバレだったのかとフィリステルは納得し、同時に考える。

 元々シンディアの能力は、自分の手元と認識することで転移を可能とするスキルであり、ブンタの能力が加わっても他人の体内などの明確に手元と認識できない場所には物を転移させることは出来ない。

 今までフィリステルはそういった原理で転移対象外なのだろうと論理的に煙に巻いてきたが、今改めてその話題を持ち出すということは、今回の襲撃ですでに彼女のクロッシングスキルについて感づいた者が彼に入れ知恵した可能性が高い。

 

「ヤシノキ博士から何か聞いたのかな~?」

「そうだ。君のクロッシングスキルに気を付けろと言われたよ」

 

 さすがは紳士を名乗るだけあって正直に答えてくれた。

 そしてやはりあの爺さん、腐っても天才と言われるだけのことはある。決定的な証拠は無いはずなのに、襲撃開始から三〇分足らずで何か感づいていたのか。

 

「ふむ、我が妻が君の相棒を見つけたようだ。もう観念したらどうだね? ……ムム?」

 

 紅茶を楽しみながら勝利宣言、のはずだがブンタの表情が僅かに曇る。

 

 ――「フィリス、こっちも見つかったわ。まあいいわ。この新型ユニットの力を試してみるわよ!」――

 

 ロザリスから思考通信で彼の言葉がハッタリではない事が証明された。

 本当ならロザリスが対峙するシンディアも、ブンタと同じスキルを操る天敵であるはずだが、彼女からはなぜか余裕すら感じる。

 そして、

 

「むむ……。んむむむむ……。フィリステル! 貴様一体何をした!?」

 

 ダン! とテーブルを鳴らしブンタが椅子から立ち上がる。

 さらにそして、立ち上がったブンタの股間も勃ち上がっていた。

 あたりに光の粒子がたゆたっていなければ、危うくモロに見えてしまうところだった。

 

「ひぃ……っ」

 

 木の陰から覗いたフィリステルも、思わず声が引きつる。

 

 ――「ロロロロロザリス~!? ぶ、ブンタさんが立って、ブンタさんのアレが勃ってるッ!? ボク襲われちゃう~!?」――

 ――「なるほど、クロッシングで繋がってるとそうなるのね……」――

 ――「いったい何したのぉ~?」――

 ――「揮発性の高い媚薬? を撒いたのよ。ふふふ、シンディアったらモロに浴びちゃってビクンビクンしてるわよ。……もうすぐそっちに着くわ」――

 

 ロザリスが思考通信で言い終わると、ラボ内からドンッと一際大きな地面を叩く音が聞こえ、彼女の位置を示す感覚が宙を舞、防壁の外へ飛び出してきた。

 

 ズゥゥンッ――

 

 巨大な何かが防壁の外に落ちてきて、周りの木々を揺らした。

 その巨大な何かは木々をなぎ倒しながら、猛スピードで蠢いてこちらへ迫ってくる。それが新型ユニットを装備したロザリスだと分かっていても、フィリステルは逃げ出したくなってきた。

 そしてそれは裸体を晒す紳士と、ラバースーツの下はノーパンノーブラの淑女の前に現れた。

 全高は森の木々よりも高く、ゆうに十五メートルはある。その姿は光学迷彩効果により見えなくとも、二人にはその異様を感じ取ることが出来た。

 FH試作拡張ユニット(未完成につき正式名称無し)。ヤシノキ博士とケンチクリン博士の共同研究によって開発され、演算装置への負荷が大きすぎるために誰にも扱えず失敗作として封印されていたフィギュアハーツ用拡張ユニット。狂気の研究、プロジェクトテンタクルによって生み出された未完の性交兵器の名は、通称、触手ユニット。

 その背中から生やした太細何本もの触手によって直立した、変わり果てたシルエットのロザリスはフィリステルのもとに帰ってきた。

 

 ――「ロザリス、戻りましてよ!」――

 

 触手の女王となったロザリスが、そのヌラヌラした触手の一本でフィリステルを絡め取り、軽々と優雅に持ち上げた。

 

「ひゃっ、ふぁッ……!」

 

 持ち上げられたフィリステルも思わず声が出てしまう程の、生理的嫌悪感と性的興奮。

 持ち上がった先にはフィリステルと同じように見えない触手でぐるぐる巻きにされた幼女アクセリナが、静かに眠っている。

 

 ――「これは……、思ってた以上に非道いな~」――

 ――「非道いとは失敬な。フィリス、約束は覚えてるわよね? 帰ったらフィリスを好きにしていいっていうあれ」――

 ――「そこまでは言ってないよ~!? むしろボクの方が好きにご奉仕す――んっ」――

 

「ひゃうんッ、んんっやめ……そこ、おっぱい……むにゅむにゅ、ダメ……ッ」

 

 反論を許さない女王様が、触手を蠢かしてスレンダーなフィリステルの小ぶりな胸を弄ぶ。

 

「くっ、吾輩の娘を返してもらうぞ!」

 

 あまりの異様に呆然としていたブンタが「おっぱい」という言葉で我に返った。

 即座にラボの武器庫から、手元にアサルトライフルを転移させて触手の中心にいるロザリスへ連射する。

 さらにロザリスの上に何本もの剣が出現し落下してくる。

 

「ちょこざいね」

 

 言ってロザリスは銃撃を太く弾力のある触手で弾き、頭上に出現した剣も落下速度が乗る前に薙ぎ払ってしまった。

 触手ユニットを制御する関係上、ロザリスはずっと思考加速状態なのである。迫る銃弾も降ってくる剣も難なく対処してしまう。

 

「くそッ! 触手ごときに吾輩が負け――何ぃ!? がはっ!!?」

 

 台詞の途中でロザリスが、長く太い触手で草原ごと撫でるように薙ぎ払うと、いくら空間感覚能力があれど避けきれず、ブンタはテーブルやティーセットもろともに殴り飛ばされ、森の木に叩きつけられて気を失った。

 

「黙れこの変態! 服を着てからものを言え!!」

 

 目下の敵を排除し光学迷彩を解除して、一息つく。

 

「ふう、それでロザリス~。この触手のまま逃げるの~?」

 

 フィリステルはとりあえず触手を解いて欲しい思いも込めて質問した。

 流石にこのまま逃げるのはいくらなんでも目立ちすぎるのだ。見た目ほど重さのない触手ではあるが、流石にこれだけ多いとロザリスの重力制御マントの範疇ではなくスラスターでも高速では飛ぶことは出来ない。

 

「ああ、それなら心配ないわ」

 

 ロザリスがそう言うと、無駄な触手がシューッと微かな音とともに溶けていく。持ち上げられて森の木々よりも高くなっていた視点が見る見るうちに下がっていく。

 残ったのはアクセリナとフィリステルを持つ触手のみとなり、地に足をついたロザリスはいつもの黒と紫のFBDユニットと頭部にはネコ耳ヘッドセットの姿となった。

 そして小さな背にアクセリナとフィリステルを軽々と背負うと、

 

 ――FH-U CA-01ロザリスがfyristelのクロッシングスキルを使用――

 

 再び光学迷彩を展開して光の舞う森の小さな空き地で助走をつけて、夜の星空へ飛び立つ。

 

「あの~。出来ればボクだけでも解いてほしかったんだけど~?」

「ダメよ。だってフィリス、スキあらば逃げようとしてるもの」

「…………」

 

 クロッシングによって考えてることが伝わることを、今だけは恨めしく思う。

 

「わかってるとは思うけど、ヤシノキラボの索敵範囲内を出るまではクロッシングは解いちゃダメよ。それにクロッシングを解いても触手は固定化してるから逃げられないわよ」

「……くぅっ……」

 

 脳のもっと深い部分で考えていた計画も看破された。

 そもそも、クロッシングなど無い頃からロザリスにはフィリステルの戦術は言わなくとも伝わっていたのである。どんなに不意を突こうとしても、根っこの部分を理解されている相手には手も足も出ない。

 

「さぁて、帰ったら進化した私をたっぷりと堪能してもらうわよ!」

「……ひぃっ!?」

 

 お尻の部分に当たる触手がうねうねと蠢き、フィリステルは全力で逃げるための思考を開始した。

 

 ――fyristelがFH-U CA-01ロザリスのクロッシングスキルを使用――

 

 やがてヤシノキラボの索敵範囲を突破し、光学迷彩からRAシールドに切り替えてスラスター全開の離脱体勢に入ってもフィリステルの戦いは終わらなかった。


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