河川敷を二列に並び走る高校生達が数十メートル先から見えた。ユニフォームを見るに部活は野球なんだろう。
野球部が通り過ぎた後蓮はいつもの癖になっていた溜息を吐いた。治そうと思っていてもつい出てしまうこの溜息、毎回無意識でやった後にしまったと後悔する。
その悩みの理由は数十分前に遡るムザン電気店内での出来事だった。白衣の開発者である威はブースが疲労で眠り込んだのを見計らって、蓮にサグーの悪事を阻止するのを手伝ってほしいと血迷った目で頼み込まれたのだった。徹夜した威は数十分ほどしか眠っていなかったから余計に迫力が増した説得だった。当然、蓮にそんな事断る事なんて難しかった。だからその場から逃げ出した。
「はぁ……これからどうなるんだろう……」
悪いことをする生物とはいえ他人を傷つけたことなんて一度も記憶にない蓮からしたら倒すなんてアルプス山脈より高いハードルだ。
自分の断れない性格を呪うしかない。
今日は疲れた、早く家に帰ってベッドで眠ろう、威の話はまた今度断ろう。断れる勇気を鍛えておこう。
早歩きに変えようとした時だった。太陽の陽で照らし出された川に何か大きなものがどんぶらこと流れていた。
「……? なんなんだろう」
蓮は人と目を合わせたくない性格ゆえか前髪を伸ばして最低限視界の妨げにならないよう両目を隠している。
だから川に流れる物体がよく見えなかった。仕方ないので前髪を避けて物体に集中した。
「……え!? もしかして……人?」
桃のように流れていたのは仰向けになった人だった。
「え、あ……と……あ……わ…………」
その悲惨な光景に蓮の脳内は考えることを数秒間やめてしまっていた。
「と、とにかく、た、助けないと……!」
何があったのか頭がよく回らなく、とにかく流れている人をどうにかしようとカバンを捨て川に飛び込んだ。
「ごほっ…………げほっ……」
蓮は泳げない事を忘れてしまっていた。助けに川に飛び込んだところまではよかったのだが、水の中に入った途端子供の頃母親に無理矢理プールに入れられたトラウマが蘇りパニックになってしまった。
それでも威達に貰ったゴリラのキーホルダーの効果を一時的にだけ消して(オンオフの切り替えがある)何とか無理矢理溺れている人ごと川から放り出す事に成功したのだ。
「ごほっ……だ、大丈夫ですか……!」
溺れていた金髪の青年に息が合ったのを見て蓮は安堵した。
「ま、待っててください、今救急車を呼びますから……」
そう言い蓮はズボンのポケットからケータイを取り出そうとした時だった。金髪の青年が急に蓮の腕を掴み出したのだ。
「い、医者は怖いからやめてくれ……食い物を食わせてくれ……」
ぜぇぜぇと息を切らした青年は注射に怯える子供のようにやめてほしいと頼み込んだ。
「で、でも……怪我だってしてます……」
顔がボコボコに殴られた跡のように腫れていて、もしかして喧嘩でもあったんじゃないかと勘ぐった。
「飯……があれば大丈夫なんだ……頼む……」
蓮はよくわからないまま、カバンの中にあった板チョコを一つ差し出した。すると青年はガツガツと包み紙ごとチョコを食べてしまった。その様子に蓮は少し怖いと感じた。
そして食べ終えた同時に「よっしゃぁぁぁぁ!」と叫び声をあげて、その場から立ち上がった。
「本んんんんんん当に助かった! この恩は二倍、いや百倍にして返させてほしいっ! だが今は少し急いでいて悪いっ! また今度必ず返す!」
そう青年は言ってどこか急ぐかのように走りだそうとしたのだが。
「うっ……!」
突然肩を抑えてその場で倒れ込んでしまった。よく見るとジャージに血が染み付いていた。
「やっぱり救急車を……」
そう考えケータイを開いたのだが、画面が真っ暗のままでボタンを押してもうんともすんとも言わない。
(このケータイ……防水じゃなかったの忘れてた……)
ケータイをポケットに入れたまま川に入ったのを思い出した。
どうしたらいいんだろうか、道を通りかかった人に助けを求めようとしても声が上手く出ず掠れたノイズしか発せない。
蓮は今日一日、こんなに他人と関わった出来事は久しぶりで胃の気分が悪くなって頭もフラフラしてきた。
そんな時、ざっざっと草を踏む足音が聞こえ、よかったその人に電話を借りようと蓮は振り向いたのだが。
後ろにいた人は黒いコートを身に纏い、赤髪にサングラスをかけた見るからに怪しそうな人だった。
「そいつを……渡してくれないか……」
怪しい男の第一声がそれだった。
「俺は……怪しい奴ではない。その……男の関係者だ」
感情のこもっていない話し方で説得力なんて微塵も感じなかった。蓮はどうしたらいいのか、男の気迫に圧倒され恐怖を感じ口を開く事さえ出来なかった。
「……こいつを……雷尾を助けてくれた事を感謝する」
怪しい男は隣に倒れている雷尾を大きな右肩で担ごうとした。
本当に知り合いなんだろうか、人を見た目で判断してはならないとよく言われるが、今回は少しケースが違う。怪我した男性は恐らく喧嘩辺りなんだろうけど、喧嘩と怪しい男の関係性があまり見つからない。
悪い言い方をすると怪しい彼はヒットマンにしかみえない。
確かめるんだ、本当に彼が知り合いなのか。だけど声が掠れてうまく出てこない、出せ、出せ、出すんだ。頼むから出てくれ。
「ま、ま、待って……待ってください!」
自分が出せる全ての声を使って男を引き留めた。
「他に……何かあるのか……?」
ビビるんじゃない、ビビるんじゃない。
「ほ、本当に、その……男性の……雷尾さんの知り合い……なんですか……?」
「ああ……何度もそう言ったはずだ…………俺は、人を誤解させる性格だとこいつに言われている……」
「本当にし、信じて……いいんですよね……」
「そう思ってくれたら助かる……」
怪しい男は無表情ながらもどこかしら呆れたような返しであった。本当にただの自分の思い過ごしなのかもしれない、男にすみませんと謝ろうとした時だった。
今まで男の氷の凍てついた表情が変わっていた。それも相手を睨むような、向けている方向は恐らく自分。
「どういう事だ…………なぜ……………………と………………じ……」
男の声が小さくなっていきよく聞こえない。エナの力を解放している状態なら聞き取れると思うけど今はキーホルダーをオンにしてしまっている。
蓮は怖くなり逃げ出そうとしたが、こんな時に限って足が動けなくなった。石のように重かった。
男はゆっくりとゆっくりとこちらに近づこうとした。
そして目と鼻の先の距離になり、男の剛腕が蓮の身体に触れようとした時。
「う…………ここは……えっ俺空を飛んでいる! まさかここは天国という奴かっ!? まだ餅を食ってない、だが死んでたまるかぁぁ!」
男が担いでいた雷尾が目を覚まして暴れ出した。蓮は「助かった」と胸をなでおろした。
「落ち着けライオニック……お前は……死んでなどいない」
数秒間ジタバタ暴れた雷尾は落ち着きを取り戻した後、男の肩から降ろしてくれたと頼み込んだ。
ズシン。
「痛つつつつつっ! 降ろしてくれとは言ったが、落とせとは言ってないぞ!」
「そうか……悪い」
雷尾は怪我している身体中を撫でていた時、ふと尻餅をついている蓮と目があった。
雷尾は蓮の両腕を掴みうんうんとうなづいた、どうやら感謝の行動らしい。
「いやぁおま……君がいなかったら俺は死んでいた。本当に本当に感謝感激……いや待て待て! K! 今一体どうなってるんだ!」
さっきまで笑顔だった雷尾が突然、何か用事を思い出した化のように慌てだした。
「お前を……襲った奴等なら、今アパートにいる……」
「もしかして捕まえたのか……? 流石Kだ!」
雷尾とKという男二人はその場から立ち上がり、走り出した、雷尾は手を振りながら「本当に助かった」と大声で叫んでいた。
太陽も沈み、夜の前兆が近づき、舐め回すような冷たい風が蓮を通り過ぎた。
「へ、へくしゅ!」
川に入ったせいか身体中の体温が冷えている。
家に帰った後、なぜ全身が濡れているのか質問責めされた。蓮はちょっと転げたのだとヘタクソな嘘をついた。良心が少し痛んだ。
夜、身体に異変を感じ体温計で熱を測ると37,9℃だった。