あなたはこの花に込められた想いを知っていますか? 作:トマトルテ
あなたは造花を愛している。
白いカーネーションと共に奉げた愛の告白への返答は、そんな皮肉気な言葉。
けれども彼は
その反応に納得が行かないのか、彼女は自分の異常性を改めて彼に告げる。
彼女曰く―――
「見た目は人間でも、私は実験で創り出された怪物です。子を産むこともできないし、なにより、寿命の長さが違いすぎます。どれだけ生きても何も変わらない。そんな存在と添い遂げようなどとは正気の沙汰ではないですよ? それこそ生きている花ではなく永遠に腐らない造花を愛すようなもの……作り物の愛です」
彼女はある研究室で生み出された存在だ。
見た目こそ普通の女性だが、生み出された意図も忘れる程に生きている。
だが、人間とは、目の前の彼とは全く違う存在であることだけは覚えている。
故に彼と寄り添うことは決してできない。彼が不幸になると思いわざと拒絶する。
しかし、相も変わらず彼はにこやかな笑顔のまま彼女の言葉を肯定する。
彼曰く―――
「作り物の愛でも愛であることには変わらないじゃないか」
もう一度、白のカーネーションを差し出しながら彼は告げる。
本来、亡くなった者に贈る花を彼女に贈るのは彼女の不死性故か。
それとも、自分が生きてると思えない彼女でも愛するという決意表明か。
彼女には彼の真意は測りかねたが、その思いが純粋であることだけは理解できた。
「……作り物の私でもあなたは愛してくれるのですか?」
「造花と生きた花は確かに違う。でも、どちらも美しいと思う心に違いはないよ」
例え作り物であったとしても、あなたを愛する心に偽りはないと彼は笑う。
その笑顔に何を言っても無駄だと理解し、彼女は頬をほんの少し緩める。
彼との付き合いは短いものではない。こうなった以上止まることはないと分かっていた。
だから、受け入れることにする。その声に微かな嬉しさを滲ませながら。
「私にとっては短い間だけですが、よろしくお願いします」
「僕にとっては残りの一生全部だけど、よろしくお願いするよ」
そうして彼女は彼の
二人での生活は非常に楽しいものだったと彼女は振り返る。
彼の希望で、広い庭のある質素な家で二人で暮らした。
彼は自分をその短い生の全てを使って愛してくれた。
どこか子供っぽい部分がある彼のおかげで自分も笑っていられた。
子どもは無理だったが、まるで自分が普通の女性のようだと錯覚することもあった。
ただただ、楽しい時間だった。二人で一緒に居られる時間が少ないことも忘れる程に。
死ぬことすらできずに色あせていた世界に、彼は色をくれた。
どこまでも純粋で無垢な愛情は、彼女の魂を虹色に輝かせる。
二人で遊んだ。二人で料理を作った。二人で花を育てた。
ずっと一緒に居て二人で愛し合った。
だが、どれだけ楽しくても、彼女と彼で違う時間の流れだけはごまかすことはできなかった。
少しずつ老いていく彼の姿に、最初は達観した態度で見ていられた。
あの若者がこんな風になるのかと、純粋に楽しんでいられた。
しかし、それも長くは続かなかった。徐々に心を偽ることが出来なくなる。
二人の外見が父と娘程に離れ始めたあたりから、時が進むことに恐怖を抱くようになる。
日々衰えていく彼の姿に、絶望を抱いたことも一度や二度ではない。
祖父と孫に見間違えられる程に彼が老いてきたときには、彼の言葉を受け入れた自分を呪った。
彼を愛したから、彼の愛を受け入れたから、
こんなことになるのなら、愛さなければよかった。一人で孤独に生きればよかった。
そう、何度も一人ベッドの中で声を押し殺して泣いた。
それでも、そんな時はいつだって彼が気づいて抱きしめてくれた。
「見た目が変わっても僕の君への愛は変わらないよ。僕が死んでも生き続けるぐらいにはね」
彼はいつだって、腕の中の彼女を撫でながらそう言ってくれた。
世の中は変わるものばかりだが、変わらないものだってあるのだと教えてくれた。
むしろ変わらない方が良いものだってあると言って憚らない。
「いつまでも奥さんが若くて綺麗なままなんて最高じゃないか」
一度、せめて自分の見た目だけでも彼と同じように年を取れないかと、四苦八苦していた時にはおどけてそんなことを言われた。
その時には既に祖父と孫ほどに見た目が離れていたが、笑う彼の姿は彼女と同じぐらいに若く見えた。だから涙を流すのをやめて笑っていられた。
思い出は数えきれない程にある。
どれこれも大切な思い出だ。
でも、だからこそ……思い出すのが辛い。
「結局あなたは……私を残して逝きましたね」
彼女は彼の墓の前で一人呟く。彼が死んで10年が経過した。
今では二人で過ごした家にも帰っていない。本当に彼女にとっては短い時間であった。
しかし、彼にとっては一生の全てを彼女に奉げてくれた。そこに嘘偽りなどない。
だが、人は死ねばそれまでだ。永遠の愛を誓おうとも死んだらそこで終わり。
そんな投げやりなことを考えながら、彼女は墓の掃除を終える。
「あなたは死んでも愛は生き続けると言っていましたけど……人は長く生きれば生きる程、色んなことを忘れていくんですよ。いつの日かあなたの名前も顔も忘れる日が来るかもしれません」
人は忘れる生き物だ。それは寿命の長い彼女も例外ではない。
どんなに愛していても時が流れれば全てを忘れてしまう。
まず声が思い出せなくなる。そして次に肌の温度や顔を忘れる。最後には愛してくれた人がいたことすら忘れる。
それは仕方のないことだ。人は忘れなければ生きていけない。
それに多くの人はそこまで忘れる前に自分自身が死んでしまう。
しかし、彼女にはそれがない。ただ流れる時のままに記憶だけが薄れていく。
彼を愛していた思い出を亡くすことが堪らなく怖い。
「創られた
次に思い悩むのはもう確かめることのできない彼の想い。
自分が作り物であるからといって、彼の愛が偽物であったとは思えないし思いたくもない。
だが、どうしても彼が幸せだったのかだけは気になる。
もしも、普通の人間と添い遂げていればもっと幸せだったのではないかと思ってしまう。
「いえ……これを疑うのは彼に失礼ですよね」
これ以上考えるのは彼への冒涜だろうと判断する。
そして陰鬱な気分を払うように首を振り、彼女は立ち上がる。
「また来ます。あなたの記憶を思い出すのは辛いけど…あなたの愛を忘れるのはもっと怖いから」
彼女は思い出を恐れながらもそれにしがみついている。
彼からの愛が、彼の死と共に亡くなってしまった事実を認めたくなくて思い出にすがる。
どこまでもか弱く儚げな彼女。
そんな笑うことすらなくなった彼女の頬に、風と共に柔らかい何かが当たる。
「これは…白のカーネーション…? そう言えば、よく私に贈ってくれましたね…」
風が運んできた白いカーネーションの花びらに昔を思い出す。
何故か彼は彼女にこの花を好んで贈っていた。
それに庭でよく育てていた記憶もある。
「あなたはこの花が好きでしたよね。プロポーズの時もこれをもらいましたし」
指先で花びらと共に、彼の思い出に触れながら彼女はある記憶を思い出す。
彼女は、なぜそれほどにまでこの花が好きなのかと聞いたことがある。
本来であれば白いカーネーションとは死んだ母に贈るものなのだ。
そう言うと彼は、ちょっとした趣返しの準備だと意味ありげに笑って見せた。
さらに、彼は白いカーネーションの花言葉が好きだと言い、それを教えてくれた。
一つは「純粋な愛」。そして、もう一つ花言葉あったはずだがどうにも思い出せない。
「……確か二人で過ごした家に花言葉の本があったはずですよね。せっかくここまで来たのだから久しぶりに行ってみましょうか」
放置していた家に何となしに足を運ぶことにする彼女。
今までは二人でいるべき場所に一人で居るのが嫌で離れていたのだ。
本来なら足取りが重くなる道のり。
しかし、今日は花を見たからか不思議と足が軽かった。
「十年ぶりですね……まだ家の形を保っていてくれて何よりです」
彼の墓から家までは、大した距離ではないためにすぐに着いた。
今まで掃除などしていなかったせいか、家に入るとすぐに大量の埃に見舞われてしまう。
仕方がない、後で掃除をしようと考えながら彼女は目当てのものを探す。
幸いなことに、本棚の整理自体はされていたのですぐに本は見つかった。
「でも、こんな手に取りやすい場所に置いていましたっけ?」
記憶と違う本の配置に首を傾げながらも、埃を掃い使い込まれた表紙を開く。
1枚めくるごとに彼に近づいていく。
そんな感傷に浸っていたところでピタリと手が止まる。
「うそ……これって…まさか…ッ」
白いカーネーションのもう一つの花言葉が彼女の目と心をくぎ付けにする。
そして、なぜ彼が執拗なまでに白いカーネーションを贈ってくれていたのか理解する。
そこからは心が思考を置き去りにする。彼女は靴を履くことすらなく庭に飛び出していく。
庭には二人で育てていた花があった。しかし、あれから10年もの間放置していた。
ひょっとすると全て枯れているかもしれないと心配する。だが、それは杞憂であった。
“白いカーネーション”は死んでなどいなかった。
10年の時を花は逞しく次代へと受け継いでおり、庭一面は白いカーネーションの花畑となっていた。そこだけ彼が守ってくれていたかのように。
「これが…これが……あなたの本当に伝えたかったことですか…?」
かすれた声で彼女は声を絞り出す。
その瞳からは涙が溢れだし、零れた滴が雨のように花達に優しく降り注いでいく。
彼曰く、白いカーネーションの花言葉は―――
―――私の愛は生きています。
「あなたは…ここでずっと―――生きていてくれたのですね?」
溢れる涙を拭うこともなく、彼女はかつて教えられた花言葉を噛みしめる。
最初から彼は、自分が彼女を置いて逝ってしまうことは分かっていた。
だから、この花を彼女に奉げた。自分が死んだ後も、彼女を愛し続けられるように。
永遠に続く彼女の生の隣に寄り添い続けるために。
「これをしたいから……本来贈るべきでない花を贈り続けたんですね」
本来ならば白いカーネーションとは死者に奉げるもの。
だが、彼は逆に死者となってこの花を彼女に贈ってみせた。
故人への愛を示す花言葉を、故人からの生者への愛へと変えた。
生きている限り彼女と永遠に寄り添うことができないのなら、死んでから永遠に寄り添えばいいという趣返し。
「あぁ…今も…こんなにも…こんなにも…! ―――愛してくれているんだ…ッ!」
彼女は無意識のうちに一面の花畑に腰を下ろし、おえつを上げる。
そして、彼に抱きしめられているような感覚に身を委ね、あの日のことを思い出す。
彼が彼女にプロポーズをしてきたあの日。
彼女は“あなたは造花を愛している”と言った。
そして、彼は言いえて妙だと返した。
しかし、それは彼女が自身を造花に例えたからではない。
それを今ようやっと理解することが出来た。
「造花は作り物…でも、作り物故に、その
彼の彼女への愛を、永遠だと例えたからである。
例え、彼女が彼のことを全て忘れたとしても、誰かが愛してくれたことを忘れないように。
「あぁ……なんで、こんなにも長い間気づかなかったんでしょうか…?」
もっと早くに気づけばよかったと彼女は思う。
彼がこんなにも素敵な贈り物を残してくれたというのに気づかなかった。
でも、それでよかったのかもしれないとも考える。
十年も離れていた。だが、それでも彼の愛は生き続けていたのだ。
永遠に愛するという誓いをあの日からずっと守り続けてくれている。
そのことがどうしようもなく、嬉しく感じられたから。
「ごめんなさい……昔から私はあなたに励まされてばかりですね」
頬を伝う涙を拭いながら彼女は笑う。
もう何年も笑っていなかった。しかし、それも今日で終わりだ。
「でも、大丈夫ですよ。もう絶望なんてしません。だって―――」
彼女はその長い生の中でも、もう迷うことはないだろう。
何年経っても、彼の愛を忘れることなく歩み続けていけるはずだ。
「―――あなたの愛と生きていけるから」
注意、白いカーネーションは作中でも書いているように死んだ人に贈るものです。
今回は死なない人間に死人から贈るというシチュエーションなので使いました。
間違って母の日に贈らないようにしよう。
カーネーション(白)
「尊敬」「純潔の愛」「私の愛情は生きている」「愛の拒絶」