7
トールオークス市の大学内の会場で大規模なバイオテロが発生し、講演予定だったアメリカ合衆国大統領アダム・ベンフォードを含む、トールオークスのほぼすべての市民がバイオテロの犠牲になった。まさかの事態に政府は混乱を極め、わたしのいる施設内でもその慌しさが拡がっていた。
そしてシモンズからの着信。その声は、僅かながら苛立っている様に感じられた。
『グレイディ君、仕事だ。cEVAは打たずに、直ぐに出発出来るよう準備しておいてくれ』
「はい。わかりました」
準備の為、服を着替えようとクローゼットドアに手を伸ばす。すると再び、携帯情報端末の着信を知らせる音が鳴った。
因みにこれは、直属となったわたしへシモンズから直接渡された端末だ。連絡が来るのは決まってシモンズか、それか繋がりでマヤしかいない。きっとどちらかであろうと思って表示を見れば、相手は非通知だった。一体誰だ。
『ハァイ、エヴァ』
通話ボタンを押せばこの声。女性──、聞き覚えがある。
「……エイダ・ウォン?」
『覚えてくれていて良かったわ』
「用件は何?」
『今を楽しめているのかどうか気になって。……ああ、自ら籠の鳥になるのを選んでいるんだったかしら?』
含みのある言い方が気に障る。
「何が言いたいの?」
『フフ、ごめんなさい。別に怒らせるつもりで連絡したんじゃないの。親切心からあなたに知らせてあげようと思って』
「なら早く言って」
急かせるとエイダ・ウォンは『本当にせっかちね』と、溜め息混じりに話を続けた。
『保管されていたあなたの情報が、あなたのいる極秘施設から盗み出されてしまったの』
「わたしの情報?」
『ええ。全てよ』
「どうしてそれを?」
『盗んだ奴はシモンズに内緒で潜ませていた私の部下──だった男。優秀な人間だったからとっても残念ね。裏切りは勿論いけない事だけど、仕事はちゃんとしてくれたし、今だけは特別に見逃してあげたわ』
「わざわざどうもありがとう。用が終わりなら切るから」
『あら、随分あっさりな反応ね。自分の情報が盗まれたっていうのに』
「こんなの、遅かれ早かれよ』
『それもそうね……。それじゃあエヴァ、またね。早くそこから出られる世界になる事を祈ってるわ』
通話を終了し、それをベッドへと放り投げる。エイダは本当に親切心だけでわたしに連絡をして来たのか。シモンズとエイダの関係性、二人の間に何があったのか。
「どうでもいい」
さっさと着替えてしまおうとすれば、またもや着信が。今度はマヤからだった。
はぁ、仕方ない。手を伸ばして通話ボタンを指でタッチする。
『……君のことは、大統領から聞いていたよケネディ君』
マヤである筈が、聴こえてきたのはシモンズの声。近くではなく、少し距離がある。通信機を使って誰かと会話しているようだ。
これは何なのかを問いたいところだったけど、わたしは黙って聞き流そうとした。
『大統領の死に君達2人だけで立ち会ったそうだが……。この卑劣なテロの容疑が君達にかかっていてね、特にハーパー、君はテロ発生前後に自らの任務を放棄し、大統領の側から姿を消している。これは何よりの証拠ではないのかな?』
『このテロを仕組んだのはあんたよ!』
シモンズが話する相手の荒げる声。女性か。
『何を証拠に? 告発のつもりかね? ……私は合衆国を守る立場。国家の安定を保つ事、それこそが私の使命』
『嘘よ!!』
『君達は大統領を殺害したテロ事件の容疑者だ。無実であると証明したければ、是非とも私の前へ来たまえ』
シモンズがそれを言い終えると同時、通話は切られた。
何これ──。
間違い電話にしては変だし、敢えて聴かせたのだろうか。
理由は?
ここまでの流れからわたしは、腹立ち紛れに携帯情報端末機を壁に叩き付けたくなった。それから3分も経たない内に着信。
「何度もご苦労様」
嫌味を込めて応えると、次はちゃんとマヤが出た。
『ごめんなさいエヴァ。さっきの聴いてた? 突然FOSのオペレーター室に大統領補佐官が側近達と現れてね、何事かと思ってたら珍しく声を荒げて信じられない事を言い出したの。だからあなたにも聴いてもらいたくてこっそり繋げたわ』
「さっきのって、シモンズが言ってたテロ容疑者の事?」
問えば、騒がしい周りの環境音にかき消されない程度の小声でマヤが言った。
『ええ。補佐官が容疑者だって言ってた相手、USSSに入ったばかりの元CIAのヘレナ・ハーパーと、あのレオンよ』
USSS。合衆国シークレットサービスであるヘレナという女性は、今回のトールオークスのバイオテロの際、大統領の警護の一端を任されていたらしい。そしてもう一人、マヤが興奮気味に話すのはレオン・S・ケネディの事。
彼は同じDSOの大統領直轄エージェントだ。アメリカ政府が一番の信頼を寄せてる人物で、DSO立ち上げメンバーでもある。配属されて直ぐに彼についての情報はシモンズから得ていた。あのラクーンシティでの生き残りだって。
エージェントの中でも有名人な彼には熱を上げてる人も少なくないみたいで、マヤもその一人だ。こっちは聞いてもないのに、まるで崇拝者かの様に何度か彼の話題を出されてうんざりした時もあるくらい。
実は一度実際に会った事がある。副大統領の表敬訪問の護衛での事前確認で会議室へ向かう途中、ホワイトハウスの廊下でレオン・S・ケネディにすれ違いざまに声をかけられた出来事があった。
「これ、落としたよ」
まるでどこぞの映画俳優の様な端正な顔立ち。彼がわたしに手渡そうとしたのは、わたしのではない誰かの万年筆。
「わたしのじゃないわ」
「通りで。こんな渋めのセンス、俺でも使わない。キミのじゃなくて良かったよ」
「そうね」
気になる事もないしさっさと会議室へ足を向けようとした去り際、『ちょっと待ってくれ』と再度呼び止められる。
「間違えたお詫びに、この後ランチでもどうかな? コーヒーの美味い店を知ってるんだ」
「悪いけど急いでるの」
「それは残念。呼び止めて悪かったよ」
「ええ。では良い一日を」
「良い一日を」
そのまま踵を返して会議室へ。彼がレオン・S・ケネディだと知ったのは、用が済んで会議室を出た後の事。
「今日彼を見たわ」
「レオン・S・ケネディでしょう?」
「羨ましい。忙しいみたいだからなかなかお目にかかれないのよね」
廊下を歩く女性職員達の楽しそうな会話が耳に入り、次に『あ、いたわ。彼よ』って発見したらしい声で、わたしは何となくその方向に目を向ける。彼女達と同じ様な興味があったんじゃなく、マヤから散々聞かされてたから何となくどんな人なのかついでに見てみただけだった。
丁度外から室内へ戻って来た彼がホールを歩いてる。そう、わたしに万年筆を落としてるって渡そうとして来た人物が、レオン・S・ケネディ本人だったのだ。確かに凄く容姿の良い男性で、マヤが興奮気味にわたしに語るわけだと、その時はそう納得した覚えがある。
この程度くらいしか彼を知らないけど、シモンズが言っていたように、あんな酷いテロを引き起こす人物なのだろうか。
「で、それを何でわたしに聴かせたの?」
思考をマヤへと戻す。
『大統領に一番に信頼されてたレオン・S・ケネディがこんなテロを起こす為だけにわざわざ信用を得てただなんて思えないのよ。FOSで私の尊敬する先輩が彼を担当してるから、彼についての話もよく聞いているし』
「そんなのわからないじゃない。表面上は良く見えるだけかも。目的の為に手段を選ばない人間は沢山いるんだから」
『それはそうだけど、 でも……』
「わたしはシモンズの直属のエージェントであなたも仕事を請けてる。どこで
レオン・S・ケネディを疑いたくない余り、冷静に欠けるマヤに対して敢えて強い口調で返す。別にマヤを嫌って言ったんじゃないのは確か。『表面上は良く見える』ってのはシモンズにも当てはめてるつもり。まあ、シモンズ贔屓だと思われても別にかまわない。
『そうね、エヴァ。私冷静じゃなかったわ』
「ええ。シモンズがわたしに仕事の連絡を入れてきたわ。気を引き締めて」
通話を終了させて準備し終えると同時、シモンズからの迎えで空港へ。
到着して直ぐにプライベートジェット機へ乗せられ、中で待つシモンズと合流した。
「中国へ向かう」
シモンズが告げる。中国でバイオテロが起きたと。東欧で確認されたC-ウィルスが使用されているのだそうだ。
「中国でのわたしの仕事はあなたの護衛ですか?」
「その為に君を連れてる。この先色々と物騒だからな」
何故こんな時に中国へ行くのか。何の為に──。
少しだけ気にはしながらも、わたしからは詳しい理由を問わなかった。
空へ発って少し、トールオークスで滅菌作戦が実行された。あのラクーンと同じように、全て消滅してしまった。それを今回も決議させた中心人物はシモンズだった。プライベートジェット内、通話一本。
ラクーンでの実行の件は極秘内容で、本来ならわたしなんかが知り得ない事。だけどそれを知ってるのは、思い出したくも無いリカルド・アーヴィングとの等価交換で得ていたからだった。
シモンズが裏で実行していたという事実を知ってるって事は、今現在誰にも話していない。カウンセラーにもね。
「グレイディ君、バーキン君から無事の知らせが入ったよ」
中国、蘭祥。中国南部沿岸に位置し、複数の地区に分けられた大都市。到着して直ぐ、シモンズにシェリーから直接の連絡が来た。
「この半年間、ジェイク・ミューラーと共に中国で監禁されていたらしい。……裏切り者によってな」
なんとか自力で脱出した2人は、どうにかしてシモンズへ連絡したのだ。シモンズの言う『裏切り者』とは誰なのかわからないけど、シモンズには心当たりがあるらしい。
それよりも兎に角、わたしはシェリーが無事で良かったと安堵していた。
「彼女が送ってくれた現在地によれば、我々と同じ中国だった」
急ぎシェリー達と合流しなくてはならないと、シモンズがとある場所へと移動し始める。
わたし達は、中心部である達芝に近接している偉葉地区とへ向かった。空港で用意されていた車で街中を通る最中、バイオテロによる被害が及んでない中心部へ市民を避難させるべく、誘導の役割りをするBSAAの隊員達の姿が目に入る。他にも彼らは部隊を組み、被害が大きい地区へ次々と移動している様子だった。
「BSAAに足止めされないルートを行け」
シモンズが運転手に命令を出し、正規ルートとは離れた道へと出る。道は避難する人や車で混雑していて、やがて車から降りて徒歩で向かわざるを得なくなった。
偉葉は中心部と違って酷く荒れていた。スラム街から近い所為で治安も悪く、発生したジュアヴォにより更に悪化。シモンズの護衛達が突如現れたジュアヴォに苦戦する中、わたしだけは難なく応戦してシモンズの壁となっていた。
「──ああ、合流場所を送る。そこで落ち合おう。他の接触は避け、くれぐれも用心をするように」
途中、シェリーに連絡を入れたシモンズが、クーチェンの崑崙ビルを合流場所に指示した。
シモンズの壁をしながらのクーチェンへは特に、だった。護衛が1人が死んだけど。周りへの警戒を広げていると、上空から轟音がして立ち止まる。それほど遠くない場所で、民間航空機が派手に墜落したようだった。それもバイオテロの被害によるものだったのだろうか。
「……さあグレイディ君、急ごう」
「はい」
崑崙ビルに到着して内部に入ると、シモンズは見知った様に歩く。
「以前此処へ?」
今まで静かに黙って従っていたわたしが問い掛ければ、シモンズは僅かに眉間に皺を寄せて言った。『いいや。初めてだよ』と。なんて分かりやすい嘘だろうとは思う。いつもは冷静な人物であるのに、どこか何かを気にしている様な……。疑問はあるけど、特別それ以上追求する気もしなかった。
「バーキン君、合流場所へは来れそうかね? これ以上は危険が伴う。急いでくれ」
またもシェリーに連絡を取ったシモンズが、ビル内部から屋外へ通じる線路沿いの裏手にまわる。線路の数は一本。まともに運行しているかわからない電車が何度か通り過ぎて行く。
「あそこで待とう」
シモンズが指差し、外壁も無いコンクリート剥き出しの非常階段を上る。それ程高さはない最上階の屋上。このビルは一見、まともに使われているとは思われないような、安全性が感じられないような建物に見える。
「周りに高いビルもあります。此処は狙われやすく、危険では?」
護衛の1人が、独特なネオン看板だらけの建物に目を配りながら言う。同意見だ。
「何の為の護衛かね?」
シモンズが冷たい視線を向けて返せば、護衛は平謝りで外への警戒を強めた。
すると、此処へ向かってる来る複数の足音がわたしの耳に入る。シェリー達か。いや、2人にしては多い。
「大統領補佐官、誰か来ます」
わたしがそう言うと、シモンズは護衛達に前へ出るよう命令する。
「シモンズ!」
男女2人が現れ、気づいて直ぐさまに銃口をシモンズへと向けて下段階から見上げた。よく見れば、男の方はあのレオン・S・ケネディだった。なら女はヘレナ・ハーパーか。
「おやおや。これは意外なお客人だ」
そして数秒遅れてシェリーとジェイク・ミューラーがドアを開けて入り、シェリーが慌ててレオンらの前に出る。
「待って下さい!」
「バーキン君、この場所を彼らに教えたのは君かね?」
シェリー達4人を見下しながらシモンズが問うた。
「貴方がテロに関与しているというのは、本当ですか?」
「余計な事まで吹き込まれたか!」
「答えて下さい!」
「アメリカの為、ひいては世界の安定の為だ」
何故か、何故だかわからない。全く違う台詞なのだけれど、シモンズがソレを言った瞬間、テンプレートの悪役の様な台詞を吐いたあの男が頭を過って胸がざわりとした。
「それが大統領を殺した理由か!」
レオンが怒りを露わにする。
「そんな、まさか大統領を……!?」
シェリーが信じられないというような、ショックを受けた目をしてシモンズを見上げた。
「何を言うかと思えば。殺したのは君だろ? レオン・S・ケネディ君」
「どこまで卑怯なの!」
ヘレナは今にも銃弾を放ちそうだ。
「エヴァ! どうしてあなたも此処へ?」
シモンズの前に立てば、シェリーはやっとわたしに気づく。
「大統領補佐官の護衛。仕事よ」
「今の、聞いてたでしょう?」
この状況の中、淡々とした態度のわたしを見つめながらシェリーは、『おかしいと思わないの?』と言わんばかりの表情を向ける。
「グレイディ君、バーキン君は騙されているんだ。あの2人に」
答える前に先にシモンズが割り込み指差す。わたしはシェリーから、レオンとヘレナへ目を向けた。
「賢い君ならわかるだろう? 私がどんなにアメリカや世界の事を思い考え、君やバーキン君の心の安定を願って尽くしてきたのを」
「エヴァ!」
「シェリー無駄だ!」
レオンがシェリーを止めようとすれば、シモンズが黙るわたしに痺れを切らして合図した。
「邪魔者は始末しろ」
危ない。危機一髪。護衛達が放った自動小銃の弾がシェリーに当たりそうになる寸前、ジェイクがシェリーごと死角へ避けた。
「シェリーとジェイク・ミューラーは殺すな! まだ聞きたい事があるからな!」
護衛達に命令を下すシモンズは、わたしにも続けて言う。
「よく考えるんだグレイディ君。君ならば直ぐにでもこの場を対処出来るだろう?」
「……大統領補佐官、シェリーをどうする気です?」
わたしはシモンズと対面して訊いた。
「彼女は重要参考人だ。おとなしく同行してもらい、アメリカへ連れ帰る。何、殺したりはしない。情報を必要としているからね。本当だ。言っただろう? 私は君達の様な存在を救いたい。これからの平穏の為に、君とシェリー、2人の心の安定を願っていると」
初めて会った時のように優しい笑みを浮かべるシモンズの瞳の奥は、黒い黒い、ドス黒い深い闇が見えた。
「わたしは────」