遊戯王Wings「神に見放された決闘者」   作:shou9029

62 / 119
ep61「自分自身の力」

「ねぇ、本当に体は大丈夫なの?」

 

 

 

昨日の遊良の身に起きた事件から、一夜明けたいつも通りの朝。

 

あんな目に遭ったばかりだと言うのに、体は大丈夫だと言っていつも通りに登校し始めた遊良へと、心配そうな声をしたルキがそう言葉をかけていた。

 

 

 

「あぁ、今の所どこも痛くないし。気分も…まぁ、良いとは言えないけど、とりあえずは大丈夫だろ。」

「…でもモンスターの攻撃受けたんでしょ?一回病院行って診てもらったほうが…」

「本当に大丈夫だって。それより、昨日鷹矢に殴られたところの方が痛いくらいだし。」

 

 

 

ルキの心配そうな声に対し、どこか冗談混じりにそう言葉を返した遊良ではあったものの…

 

実体化したモンスターのダイレクトアタックを受け、そして吹き飛ばされて地面に叩きつけられ、更にその後に謎の苦しみが襲いかかってきた割には自分の体にダメージがほとんど残っていないことに、遊良も若干の違和感を感じているのか。

 

…死ぬかと思った。冗談ではなく、本気で。

 

そうだと言うのに、体を動かせば多少の鈍痛が走るだけで、日常生活にはほとんど支障をきたさない程度のダメージ残ってはいない。まぁ、あれだけの苦痛を受けたと言うのに、どうして体がほぼ無傷に近いのかなど知る由もない遊良からすれば、今ソレを考えたところでどうしようも無いことではあるのだが。

 

 

 

「…ならいいけど。…でも、寝たらちょっとは顔色も良くなったね。目も、昨日より少し戻ってる気がするよ。」

「…そうか。」

 

 

 

…それよりも、心に負ったダメージの方がどちらかといえば深刻と言えるだろう。

 

【堕天使】のカードを失い、『昔の夢』を見た所為か、心の奥底へと封じ込めていたはずの過去の絶望を思い出したかのように『あの頃』のような濁った目へと戻ってしまった昨日。

 

目が覚めたとき、どうしてルキの顔を直視することが出来なかったのか。

 

それはきっと、『過去』の全てを拒絶していた頃の感情が表に出てきてしまっていたために、『過去』と『今』の混濁と乖離が起こっていたと考えられ…だからこそ、もしも昨日ルキが『傍に居る』という言葉を遊良へとかけていなければ、きっと遊良はあのまま深い絶望の中へと沈んだままになり、そのまま戻っては来られなかったに違いない。

 

…一度は克服した感情。今更、そんなモノに囚われてはいけない。

 

ルキの言葉によって、どうにか遊良は『今』の自分を繋ぎ止める事ができ…そのおかげで、心なしか沈んだ気持ちと濁った目も一晩経って少しは薄れた様子。

 

少なくとも、ルキへと向ける言葉には軽く冗談まで言える程に、ルキへと向ける瞳には拒絶している様子は見受けられず『今までの遊良』へと戻っていて。

 

…絶望を味わった『過去』と、それを乗り越えてきた『今』は違う。

 

これから先の不安は、まだ拭えぬままではあるものの、しかし『過去』の弱さを再び思い出してしまったのだとしても『今』を生きている以上、これからも日々は過ごさなければいけないのだから。

 

 

 

「…でもさ、理事長には何て言うの?」

「正直に言うしかないだろ。【堕天使】が無くなってしまったので、【決島】は辞退させてください…って。」

「…本当に…それでいいの?」

「…仕方ないだろ。正直、これから先どうやってデュエルすればいいのかも不安なんだ。こんな状態じゃ、出場したって砺波先生達に迷惑をかけるだけになる。」

「遊良…」

「…あと、フードの男の事も伝えなきゃ。警察に届けるよりも、砺波先生に言って【決闘世界】に動いてもらった方がきっと早く片付くだろうし…」

 

 

 

しかし、いくら自身が無事だったからとは言えども事態はまだまだ深刻なまま。

 

こんなにも不可解な事件が起こっていると言うのに、いつもと変わらぬ決闘市の雰囲気。

 

誰もがこの失踪事件のことを、『自分とは関係のない事』と認識しているかの様に…今の街には焦りや不安と言った感情の欠片が微塵も流れてはおらず、年初めに起こった先の『異変』のショックから誰もが暗い話題から話を逸らしたがっているかのよう。

 

当の遊良も、昨日実際に自分が『フードの男』に襲われなかったら、このまま事件に無関心のままだったことだろう。

 

しかし実際に危険な目に遭遇し、事件の被害者になりかけたからこそ、もう『無関心』ではいられないことを痛いほど理解させられてしまっているのだ。

 

 

…それは、実際に『対峙』したからこその危機感。

 

 

鷹矢の遭遇した『デュエル後に人が消えてしまっていた』という場面と、自らが受けた敗北の痛み。あの『フードの男』が放つ怒りと憎しみと悲しみと哀れみは、『実体化』したデュエルの危険性と相まって遊良へとこの異変に対する警笛をずっと鳴らしていて。

 

一応今朝のニュースでは、『失踪事件』の被害者は増えては居なかったものの…一つ事態が違っていれば、その被害者に自分の名前も入ってしまっていたと言う恐るべき事実。

 

あの『フードの男』の危険性は、先の『異変』の復興を今も進めている決闘市の『平穏』に上手く紛れてしまい、余計に殺気を隠してしまっているのだ。

 

それが遊良の危機感を強く打ち鳴らしてはいるのだが…

 

【堕天使】が消えてしまったことが災いし、どうしてもこれから先の戦っていける自信をなくしてしまっている今の遊良の姿は、【決闘祭】を最後まで戦い抜き成長した彼とは見間違えてしまうほどに小さく見えてしまっていることだろう。

 

 

 

「…ごめん。弱音吐いて。」

「…ううん。今は仕方ないよ。」

 

 

 

気を抜いたら迫ってくる、過去の恐怖。

 

最初に鷹矢とルキを、『謎の男』から助けることが出来たのも…

 

『闇』に操られた蒼人を倒し、【決闘祭】に出場出来たのも…

 

強者が犇めき合う【決闘祭】で、最後まで戦い抜けたのも…

 

先の『異変』の中心部まで、どうにか踏み込めたのも…

 

 

―すべては、【堕天使】があったからこそ。

 

 

どうにかルキが傍に居てくれるおかげで、『完全に』囚われることなく自分を保っては居られているものの…

 

自らの『心』がそう思い込んでしまっている以上、自らを削ってまで得た力を無くしてしまったことは遊良の『心』を深い所まで抉っていて。

 

得た『力』を無くしてしまった今、これからどうやって戦っていけばいいのか…と。

 

一晩経ち、このままでは居られないことは重々承知しながらも、コレばかりは時間をかけて、一人でどうにか乗り越えるしかないと遊良は自分の心に言い聞かせながら…

 

非常に重い足取りで、学園への道を歩いていた…

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

始業を待つ朝の教室。授業前と言う事もありにわかにざわめき合う教室内で、遊良は一人自分の席に座り、手を組んで下を向いていた。

 

どこか落ち着かない様子で、少しの息苦しさを見せながら。

 

 

 

(大丈夫だ…もう昔じゃないんだから…)

 

 

 

幼少期、師のおかげで絶望を少しだけ乗り越えられ、学園へ通うことを再開できた遊良。しかし黒翼の後ろ盾があったとは言え、一度『敵』に回った周囲の他人達に再び囲まれることは、遊良には苦痛で仕方がなかった。

 

また、鷹矢は未だ姿を見せず…まだ怒っていて、顔を合わせたくないのか、それとも普段の鷹矢の事を考えると遊良に起こされなかったために、単純にまだ寝ているとも考えられはするものの…

 

いつもならば簡単に分かるはずの鷹矢のことが、得も言われぬ不安が押し寄せている今の遊良では分からないのか。

 

 

 

(大丈夫…大丈夫だ…)

 

 

 

『普段通り』にざわつく教室に、どこか遊良の心は落ち着かず…

 

昨年度の【決闘祭】での優勝を経て、少なくとも同学年の中では誰も遊良を見下したり蔑んだりしてくる生徒は居ないはずだということは遊良にだってわかっている。

 

しかし、にわかに潜む『あの頃』の絶望が、昨日まで何とも無かった教室の雰囲気すら『居難い』環境にしてこようと忍び寄ってくるのだ。

 

『今』と『昔』は違う。そう強く思うことで、どうにかソレを押さえつけてはいるものの…どこか逸る心臓の鼓動は、遊良の精神に負担をかけてきていることに違いないだろう。

 

隣の席で未だ心配そうにこちらを見ている、ルキの視線を心の支えに…どうしても始まる一日を、どうにか乗り越えなければとして落ち着くことを自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

午前の授業が終わり、昼休みとなり校内がにわかにざわめき始めた時間。

 

どうにか午前の授業をやり過ごした遊良は、疲労の見える表情をしながら荘厳なる造りをしている扉の前に立っていた。

 

イースト校最上階のとある一角。普段ならば学生が絶対に立ち寄ることなどありえない、少々重苦しい空気が充満している静かな場所。

 

一度来たことのある…確か、昨年度の【決闘祭】に向けた校内選抜戦の直後に、緊急で呼び出されて連れてこられた…

 

 

―『理事長室』の、その前で。

 

 

無論、通常であれば学生が足を運ぶことなど許されないこの部屋。

 

また学生に限らず、教師達すら重役以外にはここへと足を運ぶことは出来ず…となれば、理事長である【白鯨】から直々に教えを受けている遊良であっても、この『理事長室』に足を運ぶには相応の理由を持っていたとしても簡単には許されないはず。

 

…しかし今の自分の現状と、自分の身に起きたことを早く伝えなければいけないという理由から、遊良は教師達に見つからないようここまで無断で立ち入ってきたのだ。

 

昼休みという限られた時間。そして多忙を極める砺波の過密なスケジュールを考えると、早く話をしなければという焦りがこの最上階の張り詰めた空気と相まって、遊良の緊張の糸を更に強く引っ張っていて。

 

そうして…

 

遊良は、【決島】の辞退と『異変』の情報、それを砺波へと告げるべく荘厳なる扉を三度ほどノックし始めて…

 

 

 

 

「入りなさい。」

「…し、失礼します。」

 

 

 

扉を叩いたその音の直後、扉の向こう側から聞こえた重々しくも静かな声に従い、重い扉を開けた遊良。

 

その扉を開けた瞬間に、張り詰めた雰囲気だった最上階の空気よりも、更に重厚なる雰囲気が部屋の中から漏れ出し…

 

その視線の先には何かの業務中だったのか、視線を手元の書類に落としたままのイースト校理事長、砺波 浜臣が机に向かっていた。

 

 

 

「…珍しいですね。君がここへと来るなんて。何の連絡も入っていませんが…」

「すみません…あの、そ、相談したいことが…」

「相談…ですか。生憎、私はこれからすぐに別の仕事で出なければいけません。どうしてもと言うのならば、来週の召喚別授業の時まで待っていただきたい。」

「あ…」

 

 

 

どこかピリピリとした砺波の言葉。

 

それは理事長室の異質な空気と交わり、より一層遊良の言動に緊張感を持たせていたことだろう。

 

…遊良とて、以前の『特別授業』の時に砺波のスケジュールを簡単に伝えられたために理解している。

 

イースト校理事長としての業務と、【決闘世界】の構成員としての仕事…そして、引退したとは言え未だ世界中の決闘界に多大なる影響を与えている元シンクロ王者【白鯨】としての責務が、砺波の生活をより多忙なものとしていると言う事を。

 

…事態は急を要する。

 

『平穏』を装う決闘市に忍び寄る『失踪事件』への恐怖と、自身のデュエルに対するこの喪失感。ソレを早急に何とかしなければ、手遅れになるであろうことは遊良にだってわかっているのだ。

 

しかし、一応遊良の方にも砺波に直々に鍛えてもらっているという大義名分があるにはあるとは言え…世界が誇る元王者【白鯨】に、自分一人の我が侭を無理やりに通せるなどと自惚れてもいなければ、思い上がってもいないからこそ、どうしてもそこから遊良は言葉に詰まってしまって。

 

こんな時、鷹矢ならばきっと砺波の予定などお構い無しに、無理やりに話しを続けることだろう。

 

そのあまりにふてぶてしい態度が疎ましくもあれば、何にも臆さない自我を羨ましく思ってしまうものの…昨日鷹矢に殴られた頬が不意に痛み、その痛みが自分の不甲斐なさを更に際立たせて来るではないか。

 

 

 

「…ふむ。」

 

 

 

しかし、そんな異質なモノとなっている遊良の雰囲気を察したのか…

 

それとも、初めから『そのつもり』だったのか。

 

重くなっていく理事長室の雰囲気を一蹴するかのように、いつもの特別授業のような口調で砺波はその口を開いた。

 

 

 

「…いつもならばそう言うのですがね。わざわざ先生達の許可も取らずに私の元へと来たと言うことは、本当に緊急の用なのでしょう?」

「…え?」

「…それに、今の君の目を見れば『何か』あったのだろうと言うことくらい察しが付きます。昨日の今日で何があったのかは知りませんが…いいでしょう、話しなさい。」

 

 

 

 

静かに伝えられる砺波の言葉。

 

そのどこまでも真っ直ぐに見据える鯨の眼差しは、『過去の絶望』に纏わり憑かれている遊良の心を見透かしているかの如く、鋭くも優しく遊良へと向けられていて。

 

…そんな砺波の言葉と視線に、遊良は急に体が軽くなるのを感じたのか。

 

 

 

「あ、あの…昨日の、事なんですが…」

 

 

 

ゆっくりと、昨日自分が遭遇した事を話し始めた遊良。

 

デュエルディスクの不調の理由…

 

帰りに何が起こったのか…

 

…そしてデッキが、いや【堕天使】が言う事を聞かなかったことも。

 

普通であれば突拍子も無い話。決闘市で起こっている『失踪事件』の核心と、『実体化したデュエル』。その遊良の身に起きたことを、普通の大人であれば誰も信じようとはしてくれないことだろう。

 

…しかし、砺波は静かに聴いていた。

 

それは、昨年度の『異変』に中心部まで関わった砺波だからこそだったのか、それとも以前は毛嫌いしていたものの今では己の教え子となった少年への慈悲だったのか。

 

それは砺波自身にしかわらかぬ答えではあるものの、少なくとも一人の少年の言葉を簡単に切って捨てずに傾聴している今の砺波の姿は、昨年度のあの態度からは考えられない佇まいであったことだろう。

 

そうして…

 

 

 

 

「…なるほど。話はわかりました。君の主観だけでは、その『フードの男』が本当に『失踪事件』の犯人かどうかは判断しかねますが…君が嘘を吐いていない事くらい分かります。とにかく、君が無事でよかった。」

「…ありがとうございます…」

「まぁ、私も前に『実体化』したデュエルを体験していなければ君の話も到底信じられなかったでしょうが…少なくとも、この街に良くない事が起こっているのは事実。再びこの街に『何か』が起こっている可能性があるのならば、【決闘世界】としても動かざるを得ないでしょうね。この件は私から【決闘世界】に報告し、迅速に調査を進めさせましょう。」

 

 

 

遊良の話を聞き終わったタイミングで、早急に手を打ってくれると言い放った砺波。

 

その手際の良さと話の飲み込みの早さは、彼も昨年度の『異変』を経験したからこその手腕なのか。

 

その話を持ってきたのが、同じく先の『異変』に関わっていた遊良だったことも関係あったのだろうが…あくまでも先に遊良の身を案じる言葉をかけた砺波の言動は、かつての復讐に囚われていた姿とはかけ離れたモノとなっていて。

 

そんな砺波は、街に起こっている『異変』についての話を伝え終わった遊良へと向かって、更にその口を開いた。

 

 

 

「それで…話したいことはそれだけでは無いのでしょう?」

「…は、はい…その…実は…【堕天使】のカードが消えてしまって…デッキが、無くなってしまいました…それで…その…」

 

 

 

まるで遊良の話が『失踪事件』の事だけでは無いことを分かっていたかの様な砺波の言葉に促され、詰まりながらも言葉を続ける遊良。

 

しかし、遊良の言葉は『失踪事件』の事を話し始めた時よりも、言葉の勢いを無くし徐々に弱々しくなっていき…それもそのはず。遊良にとっては『こちら』の話題の方が切り出し難く、砺波には言い出しにくいことなのだ。

 

そう、【決闘世界】が動いてくれるという『フードの男』の話よりも、『自分自身』の進退に関わるこちらの方が…

 

 

 

 

 

「【決島】を…辞退させてください…」

 

 

 

 

…言った。

 

 

 

 

―言ってしまった。

 

 

口にしたくは無かった言葉。

 

わざわざ面倒を被ってまで出場を推してくれた砺波にも、昨年度の【決闘祭】の功績を考慮し推薦してくれたウエスト校とサウス校の理事長達にも…

 

その気持ちを裏切ってしまうこんな言葉なんて、遊良だって言いたかったわけがないだろう。

 

しかし、『今』の自分の状態では満足にデュエルなど行えないことを遊良は理解しているからこそ、これ以上迷惑をかけるまえに自ら辞退を申し出たのだ。

 

 

…デュエルが出来ない。それはこの世界において、自らには価値が無いのだと言っているも同然。

 

 

デュエルが全てのこの世界では、老若男女全ての人間がデュエルと関わって生きていると言っても過言ではなく。

 

そんな世界の中で、『Ex適正』を持たない自分へのあまりに非人道的な扱いを、遊良は過去に嫌と言うほど味わってきた。

 

降りかかってきた絶望と、蔑まれ続けたその痛みは遊良に自らの価値を曇らせるのには充分であり…そんな自分を推薦し出場させたとなれば、砺波を含む理事長達の信用問題にも繋がることだろう。

 

ならば先に自ら身を引いて、砺波たちに迷惑をかけないようにするのが良いだろうと遊良が考えたとしても、それは何の不思議でもなく…

 

 

…そうすれば、少なくとも砺波達に見限られるだけで済む。

 

 

 

―そう、思ったから。

 

 

 

 

「なるほど…」

 

 

 

 

そんな遊良からの言葉を聞いた砺波は、一体何を思ったのだろう。

 

静かに漏らされたソレは、理事長室内の空気を再び引き締めるには充分過ぎるほどの重さを持って砺波の口から発せられ…

 

失望、落胆…そんな呆れを砺波に感じさせたのではないかという不安が胸の内に込み上がってくるものの、それも当然だろうという一種の諦めを受け入れているかのような遊良。

 

…しかし、その長く延びた白い髭の奥から消沈している遊良へと向かって…

 

砺波は意思の篭った言葉を鋭く発して…

 

 

 

 

 

「駄目です。」

「え?いや、でも…」

「言い訳は聞きません。全く、神妙な顔をして何を言い出すのかと思えば、たかが『そんな事』であれだけ思い詰めた顔をしていたとは。」

「たがか…そんな…事?」

「いいですか?君の出場は既に『決定事項』だと言ったはずです。そうだと言うのに、この私が君の勝手な都合で辞退など許すはずがないでしょう?」

「で、でもデッキが…【堕天使】が無いと、俺はデュエルが…」

 

 

 

自分の心のダメージを、『たかがそんな事』と切って捨てた砺波の言葉は一体何を考えての事なのか。

 

 

…堕天使が消えた。

 

 

それは遊良が、【決闘祭】に優勝したときの様な戦い方がもう出来なくなったと言っているも同然のようなモノなのだが…

 

元々自身に『Ex適正』がない時点で、ソレに頼らない戦い方を師である鷹峰の元で磨いては来ていたものの…【堕天使】を得てからの自分の戦い方が、それまでの自分のモノとは根本的な部分から一変したのは遊良にだって分かっている。

 

 

 

―しかし、今の遊良の現状はそんな簡単な話では断じて済まないのだ。

 

 

 

対融合、対シンクロ、対エクシーズ…『Ex適正』の無い自分に出来る、幼少期からこれまで師である鷹峰の修行の元で作り上げた、【冥界の宝札】を主軸にしていた『以前のデッキ』。

 

鷹矢に『なぜ回るのかが分からない』とまで言われた事もあるソレは、構築が上手く行かずに幾度も苦渋を舐め続け、自らの力の無さに打たれ続ける苦痛の中で、それでも必死になって一から遊良が作り上げてきたモノ。

 

【堕天使】がなくなってしまった今、現状で遊良が頼ることの出来るのは、その『以前のデッキ』しか無いのだが…

 

 

 

―『…【シャドール】パーツに、【カイザーシースネーク】…うわ、【銀河眼の光子竜】もない。…手に入れるの苦労したのに。』

 

―『…探すのに散々つき合わされたというのにな。』

 

 

 

 

そう、遊良が【堕天使】を得たあの時、その裏で…『以前のデッキ』から『消えてしまったカード』が、一体何枚あったことだろう。

 

遊良が持っていた『以前のデッキ』の中には、鷹矢と一緒に決闘市内を散々駆けずり回ってやっと一枚だけ見つけられたようなカードや、今はもう生産されていないが故に【黒翼】の伝手でやっと手に入れることの出来たモノもあった。

 

それ以外にも、よく遊良が使用していたカードの中でも【神獣王バルバロス】や【冥界の宝札】と言った重要なカードは何とか残ってはいたものの…

 

消えてしまったカードの中には、それまでの遊良のデッキの中核を担っていた重要なモンスターやカードが多々あったという事実。

 

…ソレらが軒並み消えてしまったからこそ、遊良は『あの時』にルキにいくら反対を示されようとも、もう『後には引けない』思いで【堕天使】のカードを使うことを決めたのだ。

 

故に、消えていったカードの方が多過ぎて、『以前のデッキ』を【堕天使】を得る前までと全く同じように組むことなど今更出来ない。

 

 

 

 

 

―だから、戦えない…

 

 

 

 

 

 

 

 

「…天城 遊良、我が教え子よ。よく聞きなさい。」

 

 

 

 

 

そんな遊良の雰囲気を、知ってか知らずか無視してか。

 

肘を重厳なる机に突き、手を組み口元を隠すようにして、遊良へと再度声をかけた砺波。

 

…その口調は諭すようではあったものの、どこか苦々しいモノにも聞こえた事だろうか。

 

しかし、はっきりと『教え子』と宣言したその言葉には、深海よりも深い意思が確かに込められていたことに違いなく…その意思を崩さぬまま、砺波は気落ちしている己の教え子へと言葉をかけるのみ。

 

 

 

「…君は、その目で見ているはずです。『力』を無くし、そのまま自分を見失い…あまりに『惨め』な姿を晒した、ある大馬鹿者の立ち振る舞いを。」

「え…?そ、それは…」

 

 

 

…何を思ってか。

 

砺波が唐突に語ったのは、何を隠そう今遊良の『目の前』に居る人物の話。

 

10年程前…当時、歴代最強のシンクロ使いだと謳われていた王者【白鯨】が、まだ年端も行かない釈迦堂 ランと言う少女に、手も足も出せずに敗北してしまったその過去のこと。

 

また、公にはされていないが、彼が自身の『名』の象徴であった【白鯨】を召喚出来なくなり、そのまま自分を見失って引退してしまったことは砺波にとっても思い出したく無い出来事のはずだと言うのに。

 

 

…また、その後の彼の姿は言うに及ばず。

 

 

ランへの『復讐』に取り付かれ、ソレによって拗れに拗れた復讐心によって、何の関係も無かった遊良にまで『Exデッキを使わないデュエル』をしているという理由で酷い態度をみせ、あろうことか遊良の人生そのモノを潰しかけた以前の砺波。

 

その全ての『負』の感情を、先の『異変』で精算でき、それに対して当人達が納得しているからこそ以前に一悶着あったとは言え…

 

今こうして砺波と遊良が師弟関係になっている事は、様々な出来事が折り重なった一種の奇跡。

 

そんな砺波が、一体どういった思いでこの話を始めたのか。

 

そのまま、砺波は話を続けて…

 

 

 

「だからこそ、そんな男の様にはなってはいけない。例え一つ『力』を無くしたのだとしても、君にはまだ『力』が残って…いや、残っているのではない。【堕天使】よりも誇ることのできる『力』を、君はずっと持っているじゃないですか。」

「…誇ることのできる…力?」

「…少なくとも、私は『その力』が【堕天使】に劣っているとは微塵も思いません。【決闘祭】の決勝…最後にあれだけ人の心を揺らし、そして君の勝利を誰にも文句など言わせない代物にしたのは…一体『何』でしたか?」

「あ…」

 

 

 

砺波にゆっくりとそう告げられて、思わず息を呑んだ遊良。

 

 

最初に鷹矢とルキを『謎の男』から助けることが出来たのも…

 

『闇』に操られた蒼人を倒し【決闘祭】に出場出来たのも…

 

強者が犇めき合う【決闘祭】で戦い抜けたのも…

 

『異変』の中心部まで踏み込めたのも…

 

 

 

―全ては、【堕天使】があったからこそ。

 

 

 

しかし、【決闘祭】の決勝で遊良は気付いたはずだった。

 

 

 

 

 

―『俺が『壁』を超えるためには…【堕天使】達に頼るだけじゃ駄目だったんだ!俺の!俺自身の力じゃないと!ここから先には絶対に行けないってわかったんだよ!だからこそ、俺は!俺の原点で鷹矢、お前を超えたい!』

 

 

 

 

 

―そう、『自分自身の力』に。

 

 

どうして、ソレを今まで忘れていたのか。

 

希望に満ち溢れていた幼少の頃も、絶望に塗れていた年少の頃も…立ち直り、前へと進むことを決めた時も、ずっと一緒に居てくれた存在は、一体『何』だったのかと。

 

デュエルを始めたときから、ずっと共にあった存在。

 

修業の中でいくらデッキのスタイルを変化させてこようと、使うカードをどれだけ変化させてこようと…例え扱うデッキが変化しようとも、ずっと自分と共にあったモノを。

 

 

 

「…例え【堕天使】が無くなって、弱くなってしまったとしても…俺は…俺には…まだ…」

 

 

 

『無』の中に囚われ、そのまま塵芥となって消えていきそうだった時に聞こえた『獣の咆哮』…

 

 

それが…

 

 

―それこそが、答え。

 

 

 

 

 

「…あぁそうだ、仮にも師となった者として…あと一つ、君に教えておいてあげましょう。」

「…え?」

 

 

 

 

 

そんな『何か』に気付いた遊良に対し、更に砺波は声をかけ続ける。

 

いまだ未熟な教え子へと、高みに立つ者として先導のために。

 

 

 

「一度自らの『壁』を越え、それまでの自分を超えた者は決して弱くはなりません。その高みに立った者は、例え何があろうとも弱くなることなど『ありえない』。…それを、胸に刻みなさい。」

「…弱くなることは…ありえない…」

「そうです。でなければ、一度【白鯨】を無くした私が、今もなおこの地位に居ることなど許されませんからね。地位や名誉のみで携われるほど、【決闘世界】は甘い所ではない。」

 

 

 

それは『仮にも』などと言ってはいても、砺波の伝えは紛れも無い、師から弟子への経験の教示。

 

その言葉の通り、昨年度に起きた『異変』の時、【白鯨】を使えなくなっていたままの砺波を相手に何も出来ず、手も足も出なかったことを遊良は思い出したのか。

 

そう、例え、何か一つ『力』を無くしたとしても…

 

それでも『己』自身が揺るがない強さを持ったままだったことは、何を隠そうこの砺波 浜臣自身が証明しているのだ。

 

語り継がれる【王者】の『名』とは、それだけに頼った故に語られるわけではない。

 

 

…あくまでも、『象徴』。

 

 

一辺倒に繰り出すのではない、何も考えず頼るのでは無い。

 

自らを誇り、自らが誇り…そして、自らが誇られる力を持っているからこそ、その魂とも呼べる『象徴』が、そのまま【王者】の『名』となるのだから。

 

 

 

「まぁ、【白竜】となった新堂君に敗れ、私がプロを引退したのは事実ですが…それでも、【白鯨】だけが私の力ではない。その他に『己』を磨き、その全てを持って【王者】となった私も紛れも無い『私自身』。その私自身の力は、例え私が『名』を無くしても揺らぐモノではありません。」

「砺波先生…」

「…と、鷹峰もきっと同じ事を言うでしょうね。あの男が良い例だ。何せここ数年間は、【黒翼】を出すこともなく全てを蹴散らしているのだから。」

「…た、確かに先生が【黒翼】を召喚するのは…もう何年も見てません…」

「えぇ、【黒翼】を出さずとも、あの男の力は桁違いに大きい。逆に、同じ【黒翼】を召喚できる天宮寺君は、私からみてもまだまだ鷹峰の域には達してはいません。…『力』とは、ソレを操る者によって姿も形も何もかも変わるモノなのです。」

 

 

 

伝えるべきことを丁寧に選び、飲み込みやすく伝えようとしているのが手に取るように分かるほどに…

 

今の砺波の言葉は、どこまでも慈愛に包まれていたことだろう。

 

一度は世界中のデュエリストの頂点に立った存在。

 

その果て無き人生の歩みの道筋は、今の遊良では想像することすら憚れるほどに険しく、そして厳しいものだったに違いない。

 

しかし、それを確かに経験してきた元シンクロ王者【白鯨】だったからこそ、他の誰にも出来ない『教え』を今ここで伝えることが出来るのだ。

 

そうして…

 

 

 

 

「だからこそ…」

 

 

 

 

己の思いの、最も大切な事を遊良へと伝えるべく…

 

 

砺波は、一呼吸置いて…

 

 

 

 

 

「【堕天使】という『力』を一つ無くした程度で…私の知る、天城 遊良と言う『デュエリスト』は、戦う事を決して放棄しないはずですがね。」

「あ…」

 

 

 

 

 

今、砺波は確かにこう言った。

 

 

 

―天城 遊良と言う『デュエリスト』、と。

 

 

 

…以前、『Exデッキを使えない者』は、『デュエリスト』ではないと切り捨てられた。

 

…自分の存在が、目障りで仕方がないと言い捨てられた。

 

 

そんな砺波が、今確かにはっきりとそう言ったのだ。

 

それは紛れも無い『本心』からの言葉。自分の全てが否定されていた子どもの頃に、ずっと『誰か』から言って欲しかった、その言葉を…

 

 

 

「砺波…先生…」

 

 

 

…子どもの頃、決して他人から認められなくなった自分を師や幼馴染が認めてくれた時、一体どれほど嬉しかったか。

 

その時と似た気持ちが、沈んだままだった遊良の心の底から湧き上がり始め…何にも変えがたいその言葉は、上辺だけのモノでないからこそ、確かに遊良の心を引き上げ始めるのか。

 

…一時は、その存在を否定されてしまった。

 

しかし遊良と砺波、お互いがお互いの『わだかまり』を乗り越えたからこその『肯定』は、何物にも変えがたい確かな存在の証明。

 

 

―認めてくれている。自分自身の存在を。

 

 

【堕天使】が使えなくなった事で、自分の価値が無価値となってしまったのではないかという大きなその不安を、いとも簡単に軽々しく吹き飛ばしてくれるその言葉の力は他の誰にも伝えることの出来ない代物。

 

思わず込みあがってくるモノが、塞き止められずに決壊しそうになり…

 

ソレを必死に堪える遊良へと向かって、更に砺波は言葉を続けて。

 

 

 

 

「…さて、もうこれ以上の説教は必要ありませんね?ではもう行きなさい。デッキが無いのならば、新たに作ればいいだけのこと。来週の召喚別授業までに新たにデッキを作り、戦えるようにしてきなさい。もう【決島】まであまり時間もありません。こうなった以上は、これまで以上に厳しく鍛えてあげましょう。」

「…は、はい…よろしくお願いします。」

「…あと、みっともなくウジウジと弱音を吐いた罰です。次回までに、レポートを通常の10倍書いてきなさい。期限は同じく来週までです。」

「じゅ!?…え、いや…あの、砺波先生…デッキ作りもありますし、い、いくらなんでもレポートは…」

 

 

 

話を始める前とはまるで真逆。いつもの召喚別授業の様な雰囲気へと変わった理事長室の雰囲気。

 

先程までの気落ちが嘘の様に、『いつも通り』に言葉を返せる遊良を見て…

 

砺波もまた、慈愛に満ちた先程の声から、『いつも通り』の厳しげな声へと口調を戻して。

 

 

 

「10倍です。異論は認めません。…返事は?」

「…は、はい…砺波先生。」

「よろしい。では下がって結構です。早くしないと時間がなくなりますよ?デッキも課題も、時間がいくらあっても足りませんからね。」

「は、はい、し、失礼します!」

 

 

 

そうして…

 

部屋から出て、扉を閉めて、そのまま遊良は駆け出し始める。

 

その足取りはどこまでも軽く、先程までの心の重さが嘘の様ではないか。

 

…そう、砺波からの言葉を受けて、遊良は気が付いた。

 

 

―何故、ここまで戦う気持ちが折れていたのか。

 

 

それは、過去の絶望から目が昔のような『濁った目』になってしまったのと同時に、心まで子どもの頃の『折れていた心』に戻っていたから。

 

しかし、あの絶望していた幼少の過去…

 

師となった【黒翼】天宮寺 鷹峰が、自分を一人の人間として見てくれ、そして自分の存在を認めてくれていたからこそ、遊良はここまで立ち直ることが出来た。

 

それは、今だってそう。

 

過去を悔やみ、過去を乗り越え、止まっていた『今』を再び進めることが出来た【白鯨】砺波 浜臣だったからこそ。同じく『過去』に囚われかけた遊良を、今再び立ち直らせることが出来たのだ。

 

…ソレは誰にでも出来ることではなく、これは遊良一人で乗り越えられるモノでもなかった。

 

 

周囲よりも多少大人びた考えを持つであろう遊良とて、『本当の大人』からすればまだまだ子ども。

 

 

悩み、苦しみ、迷い、立ち止まり…

 

もしもソレが自分一人で乗り越えられない程に険しいモノだった場合、『子ども』を導けるのは『大人』だけ。

 

だからこそ、一見簡単に吹っ切ることが出来た様に見える遊良の心も、本当の大人の正しい導きが無ければここまで乗り越える事も出来なかっただろう。

 

一人じゃない。自分が絶望に捕まりそうな時に、助けてくれる人が居る。

 

それは世界全てが『敵』だった遊良にとって、どれほど嬉しいことなのだろうか。

 

 

―『以前のデッキ』が組めないのならば、『今』だからこそ組める新たなデッキを、再び一から作り上げるしかない。

 

それは簡単な答え。

 

しかし絶望に包まれていた遊良からすれば、途方もなく難しい答え。

 

それに気付けなかったほど、遊良の心は傷付いていた。しかし、今こうして正しい導き手によって、遊良は自身がするべき行動を飲み込むことが出来たのだ。

 

 

 

 

 

 

…もう、迷いは無い。

 

 

 

 

 

「ルキ!」

 

 

 

 

 

勢い良く飛び込んだ『教室』の入り口で、叫ぶは大切な幼馴染の名前。

 

もうとっくに昼休みは終わっていて、午後の授業が始まっているが故に…あまりに勢い良く飛び込んできた遊良への注目は言うまでもなく。

 

すぐにざわめきが教室内に広がり、誰もが遊良の行動の理由を理解出来ずにただ混乱をみせていて…

 

それは名を呼ばれたルキも同じく、授業に遅刻してきたにも関わらず、突然こんな行動をした遊良にただただ驚いている様。

 

 

 

「ルキ、今すぐ来てくれ!」

「えっ!?ちょ、遊良!?」

「お前の力が必要なんだ!時間がないし、今すぐ来て欲しい。」

「おい天城!お前遅刻してきた癖に何を勝手に…」

 

 

 

しかし、ルキの手を強引に引いてそのまま教室を出て行こうとした遊良へと、授業を行っていた中年の教師が怒りと焦りの声を上げて。

 

以前と違い、遊良が【決闘祭】に優勝したことによって教師達からの遊良への態度は比べ物にならないくらい改善した。しかし、だからと言って授業に無断で遅刻してきた学生を叱ることは教師としては当たり前の事であり…

 

なんの言い訳も弁明もなしに勝手な行動を取ろうとする学生への対応においては、例え遊良でなかったとしてもこの教師は同じことをしただろう。

 

 

 

「だいたい授業が始まってるのに今までどこに…」

「すみません!でも理事長の許可は取ってあります!」

「理事…はぁ!?お前何言っ…っ!?え?…も、もしもし!?」

 

 

 

そんな中、遊良の説明に異を唱えかけた教師の元に、タイミングを見計らったかのようにかかってきた一本の電話。

 

遊良の述べた言い訳を、戯言と捉えようとしていたからこそこのタイミングで公用の電話にかかってきた一本の電話に示されている名前が、より一層この教師の焦りを大きくしてしまったのか。

 

 

 

「あ、え?り、理事長!?な、なんで…は、はい…え、いやあの…」

「よし、じゃあ行こうルキ。手伝って欲しい事があるんだ。」

「え?あ……う、うん、わかった!」

 

 

 

そして、呆気にとられているクラスメイト達と、突然の理事長からの電話に取り乱している教師を他所に、自分の荷物を素早く持って教室から駆け出していく遊良とルキ。

 

 

手を引かれるままに、駆け出すままに。

 

 

遊良に引っ張られているルキとて、未だに状況が飲み込めてはいないものの…突然の混乱の中でも、迷いなく遊良の誘いに応答したのはルキの反射行動的なモノだったのだろう。

 

そう、それは声をかけたあの時の、理事長室から戻ってきた遊良の目が…

 

 

―昔の、濁った目では…無くなっていたから。

 

 

また、力強く引っ張る遊良の手からは、何か強い意志の様なモノをルキは感じたのか。

 

引かれるままではあったものの、『前』へと迷いなく進んでいる遊良の足取りには先程までの暗い迷いが全く感じられないではないか。

 

…理事長室で何があったのかを、彼女は知らない。

 

しかし、遊良が『昔』の様な雰囲気から、『現在』の自信溢れる姿へと自分を取り戻した事は紛れも無い事実。

 

それを嬉しくも思い、かつ簡単に遊良を元に戻してしまった理事長への複雑な感情をその胸の内に感じながら…

 

 

 

辿り着いた玄関、外へと繋がる正面出入り口。

 

 

 

午後の授業中であるこんな時間には、誰も居ないはずのこの場所…

 

 

そこで、不意に立ち止まった遊良とルキの目の前には…

 

 

 

 

―間違えようのない、鷹矢が待っていた。

 

 

 

 

「…随分と遅かったな。待ちくたびれて腹が減ったぞ。」

 

 

 

まるで、遊良が来ることを初めから分かっていた様な口ぶりの鷹矢。

 

昨日のような怒りはなく、ソレを忘れたかのように平然と遊良へと声をかけてくる鷹矢の態度と声質は間違えようも無くいつものモノ。

 

そんな鷹矢を見て、昨日の今日でここまで態度を変えられる鷹矢の立ち振る舞いに、何かまだ思っていることがあるのでは無いかという勘ぐりを一瞬だけしかけた遊良とルキではあったものの…

 

 

 

「…第一声がそれかよ。つーか、何堂々と遅刻してきてんだよお前は。」

「待ちくたびれたって…どうせ鷹矢、今来たところでしょ?さっきまで教室に居なかったし。」

「む…」

 

 

 

…寝起きですぐに焦って着替えてきたかの様な鷹矢の格好と、走ってきたのか少々荒い呼吸と、疲れからか額に滲んだ汗が、どうしようもなく『いつもの鷹矢』なのだと言うことを間違いなく二人へと伝えていたことだろう。

 

 

…どれだけ格好つけて取り繕っても、鷹矢が『たった今到着した』という事は、遊良とルキには既にバレている。

 

そんな、『いつもの』鷹矢へと向かって…

 

遊良もまた、『いつもの』様に言葉をかけるのみ。

 

 

 

「まぁいいや。それより、昨日殴られた事…まだ謝って貰ってねーんだけど。」

「ふん、あんな目を俺に向けた罰だ。全く…俺がお前の敵となることなど、例え天地がひっくり返っても『ありえん』と言うことはお前が良く分かっていることだろうが。」

「わかってるって。…悪かったな。」

「うむ。何があろうと、今後は俺にあんな目をすることは許さん。…しかし、ようやく振り切れたようだな。」

「まぁな。ウジウジ立ち止まるんじゃなくて、次に俺は『何』をすれば良いのかわかったからな。」

「うむ。」

 

 

 

そう言葉を交わす二人からは、昨日のような拗れは無く。

 

いつもの遊良と、いつもの鷹矢。

 

昔の目を向けてしまったり、勢いで殴ったりしたとしても、その間にわだかまりや燻りなどは存在せず。

 

そんな二人を見るルキの視線は、お互いにいつもの二人へと戻ったからこそ例え喧嘩をしていても、すぐに何事も無かったかの様に振舞えるこの男達の関係をどこか羨ましく思っているかのようにも見え…

 

 

 

「よし!では早く帰って飯だ飯!」

「いやデッキ作るのが先だろ。」

「ふざけるな!俺は昨日から何も食っていないのだぞ!」

「知るかよ!お前が勝手に出て行ったからだろ!大体、鷹矢の癖に何の考えもなしに出て行くから…」

「煩い!大体お前こそ、遊良の癖に飯の用意もせずに俺を待たせるなど…」

「ちょっと二人とも!仲直りしてすぐに喧嘩しないでよ!もう!」

 

 

 

しかし、『いつも通り』に戻ったからこそ、すぐに衝突を始める男共に少々うんざりした声を漏らした彼女もまた、『いつも通り』の3人の関係性なのだということを証明していて。

 

良くも悪くも、『いつもの通り』。

 

ずっとこうして3人で過ごして来たからこそ、例え『何か』が起きて衝突したとしても彼らの関係は揺るがない。これまで十数年間共に過ごして来た『日常』は、横から何かが襲ってきたとしても崩れることは無いのだろう。

 

 

そうして…

 

 

 

「時間が無いからな。早くデッキを何とかしないと、【決島】どころか砺波先生の授業に間に合わなくなる。…そんな事になったら、課題がとんでもないことになりそうだ。」

「…むぅ、ならば仕方がない。手伝ってやるとするか。」

「もう、本当に素直じゃないよね鷹矢って。最初から手伝うつもりだった癖に。」

「ぬぅ…」

 

 

 

『やるべき事』へと向けて、彼らは学園を後にし始めた。

 

 

 

―どこまでも軽い、足取りで。

 

 

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 

 

 

「…まったく、手のかかる教え子だ。しかし、昔の鷹峰もよく天城君を立ち直らせたものですね…きっと、今よりもっと酷い状態だったでしょうに。」

 

 

 

イースト校の最上階から、階下を眺めつつそう呟いた砺波。

 

その厳しくも穏やかな視線の先には、まだ午後の授業の最中だというのにも関わらず、学園から立ち去っていく3つの人影があり…

 

そんな3つの人影を優しく見守りつつも、どこか憂いを帯びているその眼差しは遊良だけではなく何か『他』の事にも心配事を感じているかのよう。

 

 

 

「しかし、【決島】では彼が戦わないわけにはいきませんからね…」

 

 

 

そうして、先ほど手元に届いたばかりの『とある資料』に目を落としつつ、砺波は分厚いページをめくっていく。

 

まだまだ他の教師陣たちにも話していない、【決闘世界】から各校の理事長達だけに通達された最も早い【決島】に関する決定事項。近いうちに教師と学生達に情報が解禁されるソレには、決闘学園『デュエリア校』の代表者達の名前と、決闘市側の4つの学園の代表者達の名前が記されていて。

 

 

そして…

 

 

『イースト校代表選手』と書かれた名簿欄の、そのページに書かれていたイースト校の学生達の名前の羅列の中をなぞっていく砺波。

 

その中には先に推薦しておいた通り、『天城 遊良』と『天宮寺 鷹矢』の名前も当然記されており…そして、その他にも成績などを考慮して選出されたイースト校の実力者達の名前が載っている。

 

 

…しかし、砺波が憂いているのは傷心していた教え子の事でも、言うことを聞かない盟友の孫の事でも、ましてや他の代表者達のことでもなく…

 

 

 

「…何せ…」

 

 

 

不意になぞっていた手を止めた…

 

 

その、『一番下』にあったのは…

 

 

 

 

 

 

―『高天ヶ原 ルキ』

 

 

 

 

 

 

 

「…一体、どうして高天ヶ原さんが代表に…彼女の成績では、選出基準から確実に外れていたというのに…」

 

 

 

【決闘世界】に提出した、厳正なる基準を満たして選ばれたイースト校の成績上位者達の中には、ルキの名前はギリギリで入ってはいなかったはず。

 

それはもちろんイースト校理事長として砺波も確認済みの事であり、例え『事情』を知らない他の教師がルキを選んでいたとしても、砺波はルキの代表入りを許さなかったことだろう。

 

それは、昨年の遊良への『蔑視』のような感情から来るものでは断じて無く…

 

 

…一部の人間しか知らない、『赤き竜神』を持つ少女の事情。

 

 

その『ルキの事情』を知っている砺波だからこそ、鷹峰と交わした『約束』もあって、ルキを守るために密かに裏で動いていたというのに。

 

 

 

「…考えたくは無いが、『裏』で手を回している者がイースト校にも居る…と言うことか。全く、私も舐められたモノだ。」

 

 

 

…しかし、すでに決定してしまった【決闘世界】の選出は、例え元シンクロ王者【白鯨】と言えどもどうにも出来ないのか。

 

こうなってしまう前に、どうにかしてルキを【決島】から遠ざけるつもりだったというのに…しかし、こうなってしまった以上、【決島】の最中に『何か』が起こる懸念は十二分に考えられること。

 

【決島】の最中に、何が起こるのか。

 

 

―誰が、何の目的で、『赤き竜神』に近づこうとしているのか。

 

 

得も言われぬ不安の中で、それでも進んで行く事態に細心の注意を払いつつ…舞台で戦う教え子を信じ、確かに居るであろう『敵』に対し、決して屈するわけにはいかないのだと、そう自分を言い聞かせて。

 

 

 

 

 

「『赤き竜神』を持つ少女…【決闘世界】に、【神】を狙う者達の噂…そして劉玄斎…」

 

 

 

 

 

静かに呟かれた鯨の声は、どこまでも、どこまでも深く…

 

 

 

 

 

「私の生徒を好きにはさせん…【白鯨】の名に懸けて」

 

 

 

 

 

―決意に、溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

…着々と、時間は進む。

 

 

 

 

 

―ただ、無常に。

 

 

 

 

 

―…

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。