遊戯王Wings「神に見放された決闘者」 作:shou9029
「はぁ…はぁ…おい鷹矢、何人倒した?」
「15人だな。」
「よし、俺は16人だ。」
「…む。」
荒廃した工場のような場所に身を隠して、遊良は荒くなった息を整えながら、鷹矢にそう聞いた。まだ夏休みも中盤、本来ならクーラーの効いた部屋でゆっくり過ごしているはずだったのに、こんな見るからに危ない場所に隠れる破目になるとは、彼らも思いもしなかっただろう。
もう夕刻が近いはずなのに、まだまだ照りつける太陽はなんとも暑苦しい。汗の滲んだ体に不快感を覚えながらも、日の入りまで競い合えという師の命令を守る彼らにはもう余り時間がなかった。とはいえ、少しくらい休憩しなければ体が持たないだろうが。
しかし、息切れしている遊良など気にせず、鷹矢は立ち上がると遊良に向かって言った。
「俺はそろそろ行く。お前には絶対に負けん。」
「…ハッ、疲れてつまんないミスすんなよな。」
「お前じゃあるまいし、俺の体力はまだまだ尽きん。もうへばったお前を見ると、どうやらこの勝負、俺の勝ちのようだな。」
「…チッ、お前にだけは負けたくねぇ。」
そう言って、疲れ果てた体に鞭を撃ち、重たい足を無理やりにでも前へと出すと、再び戦いに戻っていく二人。辛い、苦しい、寝転がってしまいたい。そんな誘惑が足を掴むが、それでも、『コイツにだけは負けたくない』という感情が、そんな心を蹴り飛ばして。
何故こんなことになったのか。その発端は、この日の早朝に遡る。
―…
「遊良、帰るぞ。」
「…は?」
夏休みもまだ中盤。規則正しく起きた遊良は、早朝からリビングでせっせと宿題を片づけていたのだが、そこへ唐突に鷹矢が自室から降りてくるなりそう言ってきた。
自分は宿題に一切手も付けず、昼まで寝ては夜中まで起きてを繰り返す自堕落甚だしい生活の癖に、今日に限ってなぜこんな朝早くから起きられたのだろうか。しかし、帰るも何も、見るからに家にいるというのに、こいつは一体どこへ帰るつもりなのだろうかと、鷹矢の言葉の意味の方へと思考を割く遊良。
「お前帰るって…って、あぁそっか。あっちのことか。」
「うむ。」
そうして、一瞬考えさせられたが、鷹矢が言った「帰る」という意味をすぐに遊良は理解した。慣れきっていたせいか、あまりにも違和感がなかったのだろう。すぐに気づけなかったが、元々鷹矢の実家は天宮寺本家なのだから、帰るというならそこしかない。遊良も幼少期に何度も遊びに行ったことがあるし、Ex適正のことが発覚してからも時々鷹峰に連れられて行っていたからそこの住人とは面識がある。
…まぁ、その頃から全く歓迎されていないのだが。
「でも急だな。どうした?」
「親父から電話が来た。休みに入ったのだったら一度遊良と帰ってこいとな。さっき催促の電話が鳴り続いて、出たらいきなり怒鳴られて目が覚めてしまったんだ。」
「ふーん、お前が起きるって、一体何回かかってきたんだよ。…でも俺行きたくねーぞ?どうせ行ってもグチグチ言われるだけだし。」
「ツボネ叔母か。俺も好きではない。今でも殴ったことをネチネチ言ってくる。」
そう、天宮寺家において、鷹矢の両親は寧ろ遊良の心配も兼ねて歓迎してくれているのだが、その他の天宮寺家の人間に遊良が歓迎されない大きな理由の一つに、鷹矢の叔母、つまり鷹矢の父の妹が、天宮寺家でもそれなりの発言力を持っていることが厄介となっている。
遊良の顔を見れば常に嫌味を言ってくるし、中等部辺りだったか、遊良を本気で遠くに追いやろうと裏で画策していた所を、鷹矢とその父親に見つかり思い切り殴り飛ばされてからは多少大人しくしていたのだが、どうやら最近また復活したらしい。その態度を見た他の人間達も、Ex適正が無い遊良への言葉に棘を増やしてくるのだから、遊良からしたら面倒くさい事この上ないだろう。
天宮寺家を代表する、【黒翼】である彼女の父、天宮寺 鷹峰が、Ex適性の無い天城 遊良の後見人となることにも反対していたという出来事もあって、今では遊良だけではなく、親の同意の上とはいえ本家を出ていった鷹矢のことも疎ましく思っているらしく、鷹矢の両親とも言い争いが絶えないらしい。
「ツボネ叔母は事あるごとに紫魔に対抗したがるからな。天宮寺の名をよほど大事にしたいと見える。」
「はは…変わってねーな。でもやっぱ俺はパス。おじさんには悪いけど、謝っておいてくれ。」
「む…じゃあ俺も行かん。一人で行った所で何も面白くない。行って何しろと言うのだあんなところ。」
「お前の実家だろ。それじゃ意味ねーじゃん。」
「嫌なものは嫌だ。俺は帰らん。」
広い家だが、どうせ行っても見つかって嫌味が飛んでくるのが関の山、進んでストレスを溜め込みに行くのも面倒だ、そう思って断ろうとした遊良だったのだが、鷹矢が子どもの如く駄々をこね始める。一体何故自分の実家に帰るのをそんなに嫌がるのだろうか、ついこの間までいた場所だし、そんなに嫌がらなくてもいいだろうに、と遊良がそう言いかけそうになる…
…そんな時だった。
―!
「うぉいガキ共!行くぞ!」
「先生!?」
「む、クソジジイか、何しに来たんだ?」
突如、リビングの扉が勢いよく開き、大きな声とともに現れたのは間違えようのない、彼らの師である鷹峰だった。しかし、玄関には鍵とともにチェーンまでかけてあったし、そもそも玄関自体も開けた音がしなかったが、一体この男はどこからどうやって入ってきたのだろうか。それに突如現れたはいいが、何も開口一番の台詞まで孫と似せなくてもいいだろうと、そんなことを感じてしまう遊良。
しかし、あっけに取られている弟子二人が、「行くぞ」の意味をうまく呑み込めない様子を見てもなお、鷹峰は続けた。
「何ボサッとしてやがるんでぃ、さっさと支度しやがれ!デッキさえありゃ問題ねぇ!」
「ちょ、先生、いきなり何を…」
「あぁん!?テメーの弟子に稽古つけてやろーって算段だろうが、いいからとっとと行くぞ!」
「人の家で遠慮のないジジイだ。よほど親のしつけが悪かったと見える。」
「ケッ、俺の持ち物に住んでやがる癖に、ありがたく思えってんだクソガキ!グチグチ言ってっと置いてくぞ。」
「わかったわかった。デッキさえあればいいんだな?」
「そう言ってんだろがボケナス。」
そう言って、口は悪いが無駄口を叩かずに、淡々と自室までデッキを取りに行き始める鷹矢。そんな鷹矢をよそに、あまりに急な状況を上手く呑み込めていない遊良はふと考える。
…久しぶりに鍛えてくれると言うのは願っても無いことだが、しかし今このタイミングで、ということは決闘祭での万が一を起こさないためにだろうか。…まぁ、確かに鷹峰も自分の引退をかけているのだからあたりまえだろう、そんな思考が遊良の頭の中で回り始めたが…
「お前さんが決闘祭で勝とうが負けようがどうでもいいけどよ、砺波のバカに舐められっぱなしってのも癪だかんな。」
「…勝っても負けてもって先生。」
「ケッ、あいつご自慢の生徒どもをギッタギタのメッタメタにしてぶっ飛ばすくれーにしとかねーと、俺様の気が済まねぇってんだ。」
…すぐに思ったことを撤回する遊良。そういえばこの人は引退程度で怯むような人ではなかったし、引退したところで食うにも困らないだろう。もしそうなったとしても、プロアマ問わずの大会なら引退したところで関係ない。どうせ、この人ならどこかの外国を放浪しながら神出鬼没に大会を荒らし回っていそうだと思い直して。
「でも先生、行くってどこへ?」
「あぁん?そりゃお前ぇ…ルード地区だ。」
「へ…るうど…地区?…」
その、突如言い放たれた鷹峰の言葉に、思わず理解が追いつかない様子の遊良。まるで、この単語を飲み込むのを拒絶するかのような頭に、無理をさせて読解させるが、なかなか頭に入ってこない。
「…って、ルード地区ぅ!?何でそんな所へ!?」
しかし、一瞬の間を置いて遊良に驚きの感情が沸きあがり、それと同時に絶対に行きたくないという感情が伴って師へと問いかけた。それは、せっかくの夏休みなのだからとか、まだ宿題が残っているからとか、そんな程度で行きたく無いとかでは、決してないからだ。
―
およそ、この国でもかなりブラックな部分。廃墟と無秩序が形成している、国から見てみぬ振りをされている地区。
元々は工場地帯とその住居区であったのだろうが、今では中で何が起こっているのかを外の人間が知ることが出来ず、またその中で起こったことは地区内で処理され決して表に出てくることは無い。そこには浮浪者や無戸籍者と言った人種が集まっているとされ、さらには廃墟となったビル郡が犯罪者の根城にも使われているという噂もある為、そこへ好んで近づく者などよほどの馬鹿か、あるいは何かの犯罪者しかいないという場所。
―そう、よほどの馬鹿か。
「おう、だからルキは置いてこうと思ってよ。あいつが居たらぜってぇー反対すっからな。」
「いや、ルキの身が危ないからじゃないんですか?」
「カッカッカ、それもあるけどよ。アイツにバレたらうるせーだろ。『そんな危ないところに遊良を連れて行くなんて!』ってな具合によぉ。アイツはテメーの母親かってんだ。それに、ガラの悪いゴロツキ共がわんさか居っからなぁ、修行にはもってこいだろ。」
「…デュエルに負けたら身包み剥がされるだけじゃ済まないと思いますけど。」
「勝てば何の問題もねぇ。ようは勝ちゃあいいだけだっての。負けたって…まぁ…死にはしねーと…思うぜ?」
「…それほぼアウトじゃないですか。」
「うっせーなぁ。若いうちは何をしても死なねーから問題ねーって。」
なんと無茶をさせようとする師だろうか、これでは体がいくつあっても足りるか分かったものじゃないと、身の危険すら感じる遊良。
確かに昔も似たようなことをさせられた事があったが、ルード地区にまで行かせられることはなかったという、それはそれで壮絶だった修行時代を思い出すも…確かに今の修行にはもってこいかもしれないが、それでも無茶と無謀には変わり無い。
そして、車でもかなり遠いがそれ以上に、遊良にはもう一つ気になることがある様子だ。
「どうやって中に入るんですか?」
そう、ルード地区というモノ自体は、誰も好んで近づかないだけで、実は世間にはその存在自体は知られている。国が黙認と無関心を貫いているだけ、ルードの肯定をしないだけだ。流石に探すことは禁止されているために詳しい場所を知る人間は少ないが、そこへ簡単に入ることは出来ない。
犯罪者の格好の根城になりやすいということもあって、その地区の境には非公式に警戒態勢がしかれているらしい。無論、国は関与していない体裁をとっているため、警察も中へは入れず、あくまで外で見張っているに留まってはいるという噂だが、近づいただけで犯罪者扱い、そこを探しに行った記者が、国に捕まり帰ってこれないという都市伝説まである。
「あぁん?んなもん、正面から堂々と入るに決まってんじゃねーか。」
「…いや、すんなり通してくれるかどうかですが。先生一人ならまだしも、俺と鷹矢も入るとなると…」
「何言ってやがんだ。入るのはオメーら二人だけだっての。」
「へ?先生は来ないんですか?」
まさか、暴れることが大好物な師であるにも関わらず、来ないとは思っていなかったのだろう、遊良が珍しいことを聞いたかのような顔をしていたが、そんな遊良を尻目に鷹峰は頭を掻きながら続ける。
「俺ぁよ、昔とある依頼であそこで暴れすぎちまってな。今じゃ出禁喰らってんだわ。何せあそこの住人を手当たりしだいデュエルで追い出しちまったからなぁ。カッカッカ、国家権力から裏金の金一封貰ったぜ。」
「…それ、バレたら大問題じゃないですか…スキャンダルどころじゃあ…」
「だからオメーら、俺が居なくても死ぬんじゃねーぞ。」
「…あ、行くのは決定なんですね…。」
「おいジジイ、準備ができた。さっさと行くぞ。」
「ケッ、クソガキの方が行く気じゃねーか。おい遊良、テメーまさかビビってるなんて言わねぇよなぁ?」
「…はぁ、わかりましたよ。俺のデッキはここにあるんですぐに出れます。でも泊りがけになるんだったら色々他にも準備した方が…」
「んじゃあ行くぞ。さっさとしやがれ。」
「ちょ…はぁ…はいはい。」
聞いてはいけなかったであろう事は置いておいて、半ば強引に連れられるように車に乗って出発する遊良と鷹矢。
本当にデッキとデュエルディスクしか持ってきていないのだが、こんな装備でルード地区へ放り込まれるのかと思うと、遊良の心は不安でしかたなかった。なぜこんな時でもこいつは堂々としていられるのだろうかと、隣でいつも通りの腕組みを崩さない鷹矢にも、一抹の不安を覚えて。
また、道中に鷹矢が実家に帰省を断る電話を入れていたが、行く場所を伏せたとはいえ、鷹峰と出かけると聞いた鷹矢の父親が電話越しからでも聞こえるくらいの声で鷹峰のことを怒っていた。
怒り狂う父と、それに応戦する鷹峰があまりにうるさかったのか、鷹矢が途中で通話を切り事なきを得たが、それによって遊良は今後を悟ってしまう。…今度会った時が面倒だ、きっと叱られるだろうな、と。
そして、そのまま暫く鷹峰の車は高速を走ったかと思うと、何故か途中でどこかのビルに止まり、そのビルの中で連れられるがままヘリポートまで案内された遊良達。それも、見るからに民間用のヘリではなく、まるで軍用かと思うくらいのヘリに乗せられて。
そのまま何の説明もなくソレが大空へ飛び始めたときには、流石に鷹矢と二人で師を問い詰めたものの、鷹峰は答えずそっぽを向いて外を眺めている姿勢を貫き通し、そのまま大型ヘリは遊良達を乗せて、猛スピードで大空の彼方へと消えていった。
…これが、事の発端である。
―…
『…本当に大丈夫なのかね黒翼。子供二人を行かせて。』
もう日も暮れてくる頃か、ルード地区の外部の、国家権力の建物の屋上でプカプカと煙草の煙を浮かせて空を見上げていた鷹峰の端末から、事の顛末を心配しているような声が聞こえた。非通知設定、決して名前を挙げられない人物、しかし遊良と鷹矢に、ルード地区に入る許可を非公式に与えた…いや与えさせられた人物。
「大丈夫だっての。心配すんなって。丁度弟子を鍛え直したかったところだ。」
『私は不安でならんよ…いくら君がルード地区に入れないとは言え、本当にアレが出てきたらどうするんだ。彼らで対処できるのか?』
「あー、大丈夫だろ、多分。」
『多分…か。何があっても責任は取らんぞ。』
「わーってるって。…まぁルードの奴ら程度にとり憑いたところで、大した変化は起きねぇだろうさ。」
『よくもまぁそう楽観できるものだ。…失敗を許すつもりはないからな、黒翼。』
「へいへい。」
そう言って電話を切った鷹峰は、もう一吸い煙草を吸い込むと、溜息とともに煙を吐き出しながら考える。いくら頼れる人物が自分しか居ないからといって、ここまでこき使われるのは性に合わない。この事案が片付いたら、あの電話の奴をどうしてやろうか、と。
新しい煙草へと火を点け直し、煙を吐き出しながら遥かに遠い空を見上げた。今あそこで戦っている弟子達を全く心配せずに待ち、白い煙と浮かぶ雲を、ぼんやりとその目で眺めながら。
―…
「【堕天使スペルビア】でダイレクトアタック!」
「ぐぁー!」
「【重装甲列車アイアン・ヴォルフ】でダイレクトアタック!」
「ぐっ…」
―ピー…
雑ビルが入り組んではいるが、多少開けた場所に無機質な機械音が二重に鳴り響く。それは、これで20人目になる相手を倒した遊良と、その後ろで鷹矢が21人目を倒し終わったところだった。
ここは浮浪者と犯罪者の根城。負ければどうなってしまうか分かったものじゃなく、必死で勝ちに行っているのもあるが、しかし群雄割拠の決闘市で戦い抜いてきた二人にとっては負ける要素の方が少ないだろう。相手だって過酷な生活を送っているのだろうが、それでもどこか子供だと侮っている様子に、負けてやる気も無いと言わんばかりの立ち姿で。
「クソッ…こんなガキに…」
そして、負けたことが恥じと感じたのか、散り散りに逃げていく敵二人がビル影に消えて見えなくなった所で、遊良と鷹矢はそこでやっと一息ついた。
「よし。これで俺の勝ち越しだ。そろそろジジイのところに戻るか?」
「負けたまま帰れるかよ。俺はまだ戦るからな。」
「ふん、負けず嫌いが。まぁいい、ならば付き合ってやるか。」
まだ日暮れまでは時間が多少ある。法が及ばない魔窟とはいえ、ここまで勝ち抜いてくると流石に多少はこの空気に慣れてくるものだろう。ここまで来たら、思い切りデュエルで暴れまわってやるか、そんな気分にすらなっていた遊良であったが、今デュエルしたばかりなので、近くに相手の気配がない。そうして遊良と鷹矢はまだ敵を探しに行こうとしてその場を離れようとした…
そんな時だった。
―!
「…ッ!?おい遊良!」
「なっ!?」
急に、遊良の腕を掴んで、そのまま思い切り引っ張って後ずさる鷹矢。勢い余って転んでしまったが、その直後に今まで二人が居た場所から爆音が響き、そこにはどこから飛んできたのか、大きなコンクリートブロックが突き刺さって土煙が舞い上がっている。
当たっていたら大怪我では済まない。遊良達の背をよりも大きなコンクリートブロックが飛んできたのだ、直撃していたら確実に死んでいたと思われる程の。
「し…死ぬところだった…」
「誰だ!出てこい!」
上空から落ちてきたのでは絶対に無い。明らかに投擲による攻撃だ。そのブロックが突き刺さっている方向からして、遊良達の後方から飛んできたものか。鷹矢がそちらへ向かって叫ぶと、暗い廃ビルの中から浮浪者と思われる一人の男が歩いてきたが、その様子が明らかにおかしかった。
「ア…アガガ…」
暮れ始めの太陽の逆光のせいなのか、男の姿がかすかに揺らいでいるように見え、手には先ほど飛んできた塊と同じくらいのコンクリートブロックを担いでいるその姿に、遊良達は驚きを隠せない。
「…いや、ありえねーだろ。」
「うむ。俺よりもひ弱そうなあの男が、あんな物を担げるわけが無い。俺でも無理だ。」
そう、およそ一人の人間が持てる重量を軽く超えているだろうに、目の前の男は意にも介さず持ち上げて、ゆっくりとこちらに向かって歩いているのだ。まるで豆腐でも担いでいるのではないかと錯覚しそうなくらいだが、塊から所々飛び出ている鉄筋がそれを許さない。
しかし、あの男はまさかソレを素手で投げたのだろうか、遊良は疑問を抱きつつも、大きくソレを振りかぶった男を見て、二人は思わず飛び退いた。
「いやいやいや、ヤバイって!鷹矢、逃げろ!」
「うむ!」
言い終わらない内に、二手に散って逃げ出す二人。投げられたソレが、寸前で二人が居た場所へ爆音とともに突き刺さると、先ほどよりも盛大に土煙が撒き散らされたが、それはある意味好機なのか。その土煙に紛れて、二人はその場を素早く離れ始めた。
「鷹矢!とにかく逃げろ!あとで落ち合え!」
「分かっている!」
「ク…カカ…」
そして、二人の気配がその場から消え砂煙も風に流されて消えると、元凶の男の姿もそこから消えていた。
―…
「…一体なんなんだよ。」
先ほどいた場所から少し離れた廃ビルの陰、路地になっているところに身を隠した遊良は、来た道の様子を伺いながらそこで一息ついていた。鷹矢は無事に逃げられただろうか、あの馬鹿のことだから、敵に向かっていないだろうかとも心配になるが、流石に逃げてくれているだろうと考え直す。
もう少し様子を見て、師の待つ外へ一目散に逃げよう、きっと鷹矢も追いついてくる…そんなことを考えていた時だった。
「…デュ…アガァ…」
―!
「ッ!?」
不意に背後からうめき声のようなものが聞こえ、思わず背後へと振り向く遊良だったが、するとそこには、先ほどの男の姿。
一体いつ、まるで幽霊だといわんばかりに、どうやって気配もなく近づいたのだろうか。遊良は叫び声よりもまず反射的に飛び退いて距離をとると、男はそれ以上近づきはせず、その場に立ち止まって、虚ろな目でこちらを見てくるだけだ。
「…ビ、ビックリした…」
「ア…ガガァ…エウ…」
先ほどはいきなりあんなことをしてきたというのに、今度は攻撃してくる気配は無い。しかし、いつ仕掛けてくるか分からない相手に、遊良の心は一瞬の気の緩みも許されていなかった。何か変な行動を起こした瞬間に、すぐに駆け出さなくては、と。
しかし、そうして全集中を目に集めて、一挙手一投足を見逃さないようにしている遊良をまるで意に介さず、男は何故か自分の腕にデュエルディスクを装着し始めた。
「デュ…エルゥ…」
「…は?」
「デュエル…デュエルゥ…」
「直接攻撃じゃなくてディスクをつけたってことは…ここで戦る気か?…どう見ても正気じゃねーんだけど。」
こんな危ない男が、いつのまにか背後に立っていたのも十分ホラーと呼べるレベルなのに、そいつが進んでデュエルをしようとしているのもある意味ホラーだろう。…まぁ、夏には丁度いいかもしれないが、しかし、実際にこんな体験はしたくないというのにと、遊良の思考がそんなことを考えているうちに、男のディスクの展開が終わってしまう。
初めから展開が済んでいた遊良のディスクが敵と見なされたのか、自動的にデュエルモードへと切り替わってライフが表示された。
「…まぁ、あんなモノで直接攻撃してくるより、デュエル挑まれた方がある意味マシだけどさ…しかたない…行くぜ!」
そして、まるでゾンビのようにも思える奇妙な敵とのデュエルが始まる。
―デュエル!
「センコウ…【レスキュー・ラビット】をショウカン…効果で除外ィ…デッキから【ヴェルズ・ヘリオロープ】2タイを特殊ゥショウカン…」
「ゲッ…ヴェルズだって!?」
【ヴェルズ・ヘリオロープ】レベル4
ATK/1950 DEF/650
【ヴェルズ・ヘリオロープ】レベル4
ATK/1950 DEF/650
先ほどまで呂律が回っていないように思えた相手だというのに、デュエルが始まると中々流暢に進め始める。しかし、その声が遊良の耳には妙に痛く、まるで直接頭の中に向かって話されているようで気持ち悪い。
しかも、敵が使ってきた【ヴェルズ】は、遊良も過去に何度かその使い手ともデュエルをしたことがあるが、そのときよりもどこか禍々しく感じてしまうのだから不思議だ。しかし、そんな表情をしている遊良などお構いなしに男は続ける。
「【ヴェルズ・ヘリオロープ】2体デ…オーバァレェイィ…エクシーズショウカン…ランク4【ヴェルズ・オピオン】…」
【ヴェルズ・オピオン】ランク4
ATK/2550 DEF/1650
そして男の場に現れるは、黒い姿をした一匹の竜。元はこんな姿ではなかったのだろうか、突然変異をしたかのように不自然な造りをしており、自らが発する闇に浸食されているのか、その叫びは何とも痛々しい。
「効果発動ゥ…一つ使っテ…デッキから【侵略の浸喰感染】を加えル…カードを2枚伏せてェ…ターンエンドォ…」
男 LP:4000
手札:5→3枚
場:【ヴェルズ・オピオン】
伏せ:2枚
「…俺のターン、ドロー。」
そしてターンが移るが、しかしこの男が使ってきたモンスターを見て、どこか違和感を覚える遊良。
今日戦ってきたルード地区の人間は、確かに手強くはあったが、実際ここまで纏まった戦法を取ってくることはなかったはず。カードの流通事情が悪いせいもあるだろうが、他の敵はどこか統一性が無く、テーマというよりスタンダードに近いデッキだったのだ。
この国で最もデュエルが栄えているとされる決闘市のデュエリストですら、名家と呼ばれている家の人間や、それなりに名の通った実力者は除いて、統一性のあるデッキを組めているデュエリストは思うほど多くない。
実際に遊良も、堕天使を得るまではテーマ統一でないデッキを使っていたのだから。
それなのに、この男のデッキは他のルードの人間とは違う。フラフラとしていて今にも倒れそうだし、モンスターから出る瘴気だろうか、微かに黒い靄がかかっているようにも見える。そもそも様子からして明らかに違うのだからそれも腑に落ちるが。
「…まぁ今はそんなことより、あのオピオンだよな。…特殊召喚が出来ない。」
それに気味の悪い敵といえば、堕天使を得た時のあの人形みたいな男にも言えることだが、あの男のこの敵も、よくもまぁ封殺してこようとするものだと、遊良はそのときのことを思い出した。
今思いだしても腹立たしい男だったが、しかし現状はヴェルズ・オピオンがいる限り、自分はレベル5以上のモンスターを特殊召喚できない。高レベルモンスターを特殊召喚することを得意とする堕天使との相性はかなり悪いと言えるだろうと、その思考を張り巡らせて。
「しかたない…俺は【堕天使イシュタム】の効果発動!手札の【堕天使アスモディウス】と共に捨てることで、デッキから2枚ドロー!続いて【堕天使ユコバック】を通常召喚!その効果で、デッキから【堕天使スペルビア】を墓地へ送る!」
【堕天使ユコバック】レベル3
ATK/700 DEF/1000
遊良が召喚したのは、高レベルが犇めく堕天使達の中では珍しい下級モンスター。敵が召喚した黒い竜には力が及ばないが、墓地に堕天使カードを送ることが出来る優秀な効果を持つ。しかし、遊良の行動が制限されていることに変わりはなく、これ以上行動することはできないため、ここは罠を仕掛けて待つしかなかった。
「カードを2枚伏せて、ターンエンドだ!」
遊良 LP:4000
手札:6→3枚
場:【堕天使ユコバック】
伏せ:2枚
「ドロォー…永続罠【侵略の浸喰感染】を発動ゥ…手札の【ヴェルズ・ヘリオロープ】をデッキへ戻しィ、新たニ【ヴェルズ・カストル】を手札に加えショウカン。カストルの効果で【ヴェルズ・マンドラゴ】も通常ショウカン!」
ターンが男へと戻り、次々とモンスターを繰り出して来る。そのどれもが漆黒のオーラを漏れさせていて、見ているだけでも禍々しいが、それ以上にこの頭に直接響いてくるような声が段々昂ってきている様子なのがもっと不気味だと感じる遊良。
しかし、ただでさえ【ヴェルズ・オピオン】だけでも厄介なのに、敵の場にはレベル4のモンスターが再び2体揃う。それを嬉々として、敵は不気味な声を荒げて宣言した。
「レベル4モンスター2体でオーバーレイィ!エクシーズショウカン!ランク4【ヴェルズ・タナトス】ゥ!」
【ヴェルズ・タナトス】ランク4
ATK/2350 DEF/1350
そして男の場に、これまでより一層強い瘴気を放ちながら現れた一体のモンスター。他と同じく禍々しい姿をしてはいるが、まるで元からこの姿であったかのように佇むソレは、今にも死を運んできそうな程に気味が悪い。
「く…次々と…好き勝手にやらせるかよ!リバースカードオープン、罠カード【背徳の堕天使】!手札の2体目の【堕天使ユコバック】を墓地へ送って発動だ!その効果で…」
「リバァスオォプン!速攻魔法!【侵略の汎発感染】を発動ゥ!このターン、ヴェルズはコレ以外の魔法、罠の効果を受けないィ!」
「何!?」
制限をかけながら自分だけ好き勝手に動く相手に、これ以上好きにさせるわけには行かないと遊良が発動しようとした罠。それは、堕天使1体を引き換えに相手のカードを何でも破壊できるカードだったが、これでオピオンを突破して次のターンに早くトドメを刺そうと考えていたのだろう。しかし、効果を受け付けられなくされては意味がない。
「く…【背徳の堕天使】は対象を取らない。俺が破壊するのは【侵略の浸喰感染】だ…。」
「バトルゥ!【ヴェルズ・タナトス】で【堕天使ユコバック】へ攻撃ィ!」
―!
遊良 LP:4000→2350
そして、黒く染まった愛馬を駆り、濁った剣の輝きが小さな堕天使へ襲い掛かった。その攻撃に、力の劣る堕天使は抵抗むなしく、為す術無く破壊されてしまう。
しかし、それだけでは終わらない。
―!
「グフッ!?…な!?」
モンスターの戦闘破壊に伴うLPダメージに連なって、何故か遊良の体にまで衝撃が巡ってきたのだ。
LPが大きく引かれるが、それだけでは終わらない衝撃が遊良へと襲い掛かり、内臓を直接殴られたような激痛によって口の中に血の味が広がる。それは、体内の何かが喉の奥から飛び出てきそうな程に苦しく、呼吸が一瞬止まる。
「カハッ…か、体が…痛い…ダメージが…実際に?」
「【ヴェルズ・オピオン】!ダイレクトアタックゥ!」
「…ッ!?」
そして、間髪入れずに敵がとどめを刺しに来たが、モンスターを戦闘破壊されただけでこのダメージなのだ、この攻撃でLPが尽きてしまうことを考えると、それは絶対に通すわけにはいかなかった。
きっと、今食らった以上のダメージが襲い掛かってくることは、容易に想像できるのだから。
「させるかぁ!速攻魔法【終焉の焔】を発動!2体の黒焔トークンを守備表示で特殊召喚!」
―!
寸前のところで、黒き巨竜の一撃から遊良を守るように、揺らめいた黒焔が立ちはだかった。攻撃はギリギリで遊良まで届かなかったものの、後ろへと抜けていった巨大な衝撃波がもし直撃でもしていたらと思うと、額に冷や汗が止まらない。
何せ、ソリッド・ヴィジョンに過ぎないはずのモンスターの攻撃で、左右にあるビルの外壁が砕かれているのを見てしまったのだ。
先ほどこの男が投げたコンクリートブロックの攻撃など、足元にも及ばないダメージが襲いかかってきていたことは必至。まさか実際のダメージを受けることなど想像もしてなかったのだろう、LPが残るからと、易々とユコバックを破壊させたことへの後悔を、遊良は感じていた。
「…なんなんだよ一体…ダメージだけじゃ無くて、モンスターまで実体化しているってのか?」
信じられないが、そうとしか考えられないだろう。目の前の非現実的な現象は、確かに起こっているのだから。もし堕天使を得ていなかったら、遊良とてこんなこと、直ぐには信じなかっただろう。あの時も信じられないことが起こったおかげで、今この場で取り乱さない程度の耐性を得ていることが逆に救いか。
「…けど、どうする…まだオピオンがいる限り、俺は特殊召喚が出来ない…」
「1枚伏せてターンエンドォ…。」
男 LP:4000
手札:4→1枚
場:【ヴェルズ・オピオン】【ヴェルズ・タナトス】
伏せ:1枚
再び遊良のターンが回ってくるものの、また伏せられたアレが【侵略の汎発感染】だった場合、罠でオピオンを破壊するのことが難しいことに変わりない。ここで何とかしなければ、次のターンで確実に殺られるだろう。
ただLPが尽きるのではない、悪意に感染した巨竜の爪が、牙が、想像もできない一撃が襲い掛かってきてしまえば、最悪の場合すら簡単に考えられる。
―それだけは絶対に阻止しなければならない。
「こんなところで、死んでいる暇なんて無いんだ!」
ウジウジしていたって始まらない。自分の進む道を、邪魔させるわけにはいかないのだ、そう言わんばかりに、意を決して自分のターンに入る遊良。
「俺のターン、ドロー!…よし、よく来た!俺は黒焔トークン1体をリリース!」
そして、意を決した遊良の宣言で、先ほど遊良を守った黒焔の片割れが、渦を纏って揺らめき始めた。シンクロでも、エクシーズでも、融合でもない。アドバンス召喚特有のエフェクト。およそ、このルード地区では扱う者などいないのだろう、その光景を初めて見たのだろうか。男の表情が一瞬変わったが、それに気づかずに遊良は続けた。
「ア…ド…バンスゥ…」
「こいつは墓地に闇属性モンスターが4種類以上存在する場合、闇属性モンスター1体でアドバンス召喚できる!レベル8【堕天使ゼラート】をアドバンス召喚!」
―!
【堕天使ゼラート】レベル8
ATK/2800 DEF/2300
そして遊良の場に現れるは、赤き装束を纏う堕天使の姿。一つ未来を違えば、大天使にも、そして悪魔にもなっていたその道は、堕天を選んだ一つの姿であって。いくら特殊召喚が封じられていても、アドバンス召喚ならば問題ない。遊良の手札で未だ眠る闇を糧にすることで、主の進撃のために舞い上がる。
「ゼラートのモンスター効果を、手札の【堕天使アムドゥシアス】を墓地へ送って発動!相手フィールドのモンスターを全て破壊する!」
「【ヴェルズ・タナトス】の効果発動ゥ!一つ使っテ、モンスター効果を受けなくすル!」
「クッ、でもオピオンだけは…絶対に破壊する!容赦はするな、やれ!ゼラート!」
―!
赤き装束纏う堕天使の、天空へと掲げた剣の一振りにより敵の場に落雷が轟いた。それは、発動コストがあるものの、とある落雷を模した古の魔法カードと同じ効果。そのリセット効果はあまりにも強力だが、その強大な力ゆえに、落雷を操ると最後には自身も力尽きてしまう諸刃の剣。
―だが、ここでトドメを刺しきれればなんの問題もない。
「これで制限は無くなった!俺は手札から【死者蘇生】を発動!墓地から【堕天使スペルビア】を攻撃表示で特殊召喚し、その効果で【堕天使イシュタム】も呼び戻す!羽ばたけ、2体の堕天使よ!」
【堕天使スペルビア】レベル8
ATK/2900 DEF/2400
【堕天使イシュタム】レベル10
ATK/2500 DEF/2900
そして、畳み掛けるように遊良が発動したソレによって、今まで封じられていた堕天使達も本来の力を取り戻して羽ばたいた。散々押さえつけられたのだ、もう容赦などするつもりも無い。主の意思を反映しているかの如く、そう言いたげに。
「イシュタムの効果発動!1000LP払うことで、墓地の【背徳の堕天使】の効果を得る!お前の伏せカードを破壊し、その後【背徳の堕天使】をデッキへ戻す!」
―!
先ほど上手く逃れられた破壊の力を、LPを糧にイシュタムが再発動する。ここで攻撃に転じても良かったのだが、念には念を。万が一を察知し、万全を期すためだ。
そして、今度は確実にソレを当てる遊良だったが、男の場の【聖なるバリア‐ミラーフォース】が砕け散るのを見て、遊良は心臓が大きく跳ねたのを感じた。
「…【侵略の汎発感染】かと思ったら、そんな危ない物伏せてたのかよ…。念を押して正解だったぜ…」
もしこのまま攻撃していたら、ここまで逆転したのが全て水の泡と消えていたことだろう。それを考えると、ゾッとするどころじゃない。なにせ、遊良のモンスターが逆に全滅し、最後にあの死を運ぶ瘴気の剣で、確実に体を貫かれていたのだから。
遊良 LP:2250→1250
「けどこれで終わりだ!バトル!【堕天使ゼラート】で【ヴェルズ・タナトス】へ攻撃!」
―!
男 LP:4000→3350
遊良の宣言によって、赤き翼の一閃が瘴気の騎士を切り裂き、敵へと初めてダメージが通る。散々苦しめられたが、ようやく相手の場にカードは無くるものの、これで終わりではない。間髪居れずに、遊良は攻撃を控えている2体の堕天使へと命じた。
「トドメだ!【堕天使スペルビア】と【堕天使イシュタム】でダイレクトアタック!」
―!!
今まで封じられていた苛立ちからか、堕天使達の攻撃がいつもよりも激しく炸裂し、無情にもフラフラ立っている男を路地の外まで盛大に吹き飛ばす。遊良が感じた実際のダメージは、あの男にもあるのだろうか。もしそうなら、きっとただでは済まないであろうことを容易に想像させるくらいに、盛大に。
男 LP:3350→0(‐2050)
―ピー…
そして、無機質な機械音が鳴り響き、遊良の勝利を告げてきた。
終了に伴って堕天使達が姿を消すと遊良は吹き飛ばされた男へと向かって行くが、いくらコンクリートブロックやデュエルで殺されかけたとは言え、それを逆に返してしまっては自分は犯罪者だ。そんな一抹の不安を胸に、遊良は男の傍まで近づくと、その安否を確認し始める。
「…よかった…生きてる。」
吹き飛ばされた男は、若干苦しそうではあったが、かろうじて呼吸をしていることが確認できたのか一安心する遊良。いくらここが無法無秩序のルード地区で、この男が例え犯罪者であったとしても、自分が犯罪者になるのだけは流石に御免なのだろう。
しかし、こんなところで苦しそうに倒れられているのも後味が悪いのも事実。殺されそうになったとは言え、一応どこかへ運んでやるか、もしもの時のために、応急処置を覚えておいて正解だった…戦いが終わった安心からか、遊良はそんなことを考えながら気を失っている男の肩へと腕を回そうとした…
そんな時だった。
―!!
「うわっ、な、何だこれ!?」
突如、男の体から噴出すようにして「何か」が飛び出てくる。目・鼻・口・耳、そしてそれ以外。まるで体の穴と言う穴から勢いよく噴出する黒い靄…いや、まるで闇と言ったほうがしっくり来るか。とめどなく噴出するソレは、栓を抜いた風船の如くの勢いで空へと散って行き、次第に空へ吸い込まれるように消えていく。
しばらくすると出ききったのか、男の体から黒い靄が完全に消えると、先ほどまでだらしなく涎をたらしていた口角も閉じ、表情も心なしか楽になったようにも見えた。
「…何だったんだ…もう、大丈夫か?」
先ほどのアレが体から抜き出て、
呼吸も整って表情も楽になっているのだからと、そそくさと気絶している男を近くの壁へと寄りかからせると、遊良はそこから一目散に駆け出した。
―…
橙色に染まって沈み行く太陽を背に、大空を猛スピードで駆けるヘリの中。無事に鷹矢と、そして師と合流できた遊良は、先ほど受けたダメージも相まってスヤスヤと寝息を立てていた。その隣でも、デュエルし通しで疲れたのだろう、鷹矢も同じく深い眠りについている。
先ほど、遊良が師と合流した直ぐ後に鷹矢も追いついてきたのだが、鷹矢の話によると、あの後別の一人に絡まれてデュエルを行ったのだとか。一刻も早く遊良に合流しようとしてすぐさま片付けたらしいのだが、しかし戻ってみれば遊良は居らず、近くで爆音が鳴ったのでその辺りを探していたらしい。
まぁ遊良とて、入り組んだ路地に逃げ込んだのだから、鷹矢が見つけられなかったとしても何の不思議も無いが。
「ケッ、呑気なガキ共だぜ。」
弟子達の寝顔を見ながらそう言った鷹峰だったが、その表情はどこか嬉しそうにも思える。過去、自分が行ったことを弟子も行ったのが嬉しいのだろうか。その真意は誰にも分かりはしないものの、疲れた少年達を乗せたヘリは、大空へと消えていった。
―…
「おい、ガキ共!そろそろ起きやがれ!」
「…む?」
「あれ…もう着いたんですか?」
もうすっかり日も落ちて、外は真っ暗になっている時間。鷹峰の車が、もう家の近くなのだろうか、すっかり見慣れた町並みを走っていた。
しかし、今日一日で色んなことをやりすぎた。まさか遠く離れたルード地区まで言って、一日中デュエルをして、最後に実態化したモンスターに殺されかけて、空を飛んで戻ってくるなんてそうそうできる体験じゃない…まぁ、もう一度したいかと問われれば、確実にNOと答えるだろうと、遊良は思った。
「おら着いたぞ、さっさと降りろ。」
「先生は寄っていきますか?夕食作りますけど。」
「うむ。腹が減った。」
「あぁん?あー…んじゃあ食ってくか。マシなモン作れるようになったんだろーな。」
「遊良の飯は美味いぞ。文句言ったらジジイの分も俺が食う。」
「ケッ、口の減らねーガキだぜ。腹は減らす癖によ。」
「…あれ?」
そんなことを話しながら、遊良は玄関の鍵を開けようと鍵を差し込んだ。
しかし、閉めていったはずの玄関の鍵が何故か開いており、まさか泥棒か、と考えを張り巡らせる遊良。それを不信に思いながらも、ゆっくりと玄関の扉を開けはじめる。
すると、そこには…
「…随分と遅かったね?」
まるで今にも頭から角を生やしそうな形相で、口だけ笑わせたルキが仁王立ちをしていた。目の錯覚か、ルキの背後には炎が見え隠れし、目は笑っていないのがとても不気味なくらいに。
「ルキ…た、ただいま…」
「…うむ。」
「ただいま…じゃないでしょ!もう!連絡しても繋がらないし、デュエルモードで電話に出られません?そんなボロボロになってまで、二人ともどこで何をしてたのよ!?」
一瞬で形相を変え、矢継ぎ早に繰り出される文句に思わずたじろぐ二人。これが単なる外出ならば、ここまでルキも怒りはしない。しかし、一日中危険地帯を駆けずり回ったせいもあって、遊良も鷹矢も擦り傷だらけ、服はボロボロ、しかもどこか怪我をしているようにも見えるではないか。
何の説明もなしに、幼馴染二人がこんな状態になっている姿など、とてもじゃないが容認できるものではないだろう。
「いや、あのさ…せ、先生がさ!そう、先生、先生!?」
「む!?あのクソジジイ!どこへ消えやがった!?」
しかし、二人が助け舟を求めて後ろを振り向いて見れば、先ほどまで居たはずの師の姿は無く、無人の車だけ置いて姿を消していた。なんと偉大な危機察知能力なのだろうか。真似できないソレを遊良は恨みながらも、ルキの怒りを浴び続ける二人。
「二人とも聞いてるの!?ちゃんと説明してもらいますからね!」
「わ、わかったよ…落ち着けって…」
「むぅ…」
―…
『…私だ。報告は聞いている。君の弟子達も中々やるようだね。』
「カッカッカ。たりめーだろ。…んで、どうだったんでぃ?」
怒り狂ったルキの声が、少しはなれたここまで聞こえてくるのは、どのくらい怒っているのかを鷹峰にも容易に想像させる。
しかし、自分の弟子にうるさく言われるのは好きじゃないのだろう。叱られている弟子二人をおいて、やや離れた場所で煙草を吸いながら電話に出ていた鷹峰。その相手は、もう何度も連絡を取っている例の男。
『あぁ…送り込んでいた密偵からの報告だ。君の弟子達が倒した浮浪者2人のデッキは、やはりデュエル時と異なる物だそうだ。…【ヴェルズ】でも、【エーリアン】でも無く、ルードらしい…単なる寄せ集めのデッキに戻っていたそうだよ。』
「…やっぱしな。今までと同じってことだ。勝てば消え、負ければ感染…なんとも分かりやすいねぇ。しかも、何もない奴でも突然憑かれると来たもんだから、手の施しようがねぇ。」
『しかしこれでは埒があかない。ルード程度の人間でさえあのレベルになるんだ、偶々2人しか感染していなかったとは言え、これが強者ともなれば…』
「わーってるって。だから俺様が手伝ってやってんだろーが。心配しなくても片っ端から蹴散らしてやるって。」
『今は現状に対処するしか方法がない…なんとも腹立たしいことだ。…また連絡する。何か分かったら君も教えろ。』
「へいへい。」
この切羽詰った様子の相手との電話も、もう何度目だろう。流石に慣れたが、それでもウザッたらしい事この上ない。こんな態度を取られては、何かわかっていたのだとしても教えたくは無いというのに。彼の表情はそう言っているのと同義だったが、なによりガキを育てることもそうだが、元来他人に使われることなど性に合わないという、最近よく感じるようになったその感情を、今再び感じながらも、鷹峰は乾いた笑いを漏らした。
「カカッ…まぁ、そこそこ強くなった奴らと戦れるだけまだましか。…ランに全部食われる前に…根こそぎぶっ潰してやんぜ…」
殺気を駄々もれにしながら呟いたそれを、聞いている者はこの空には誰も居なかった。
―…