遊戯王Wings「神に見放された決闘者」 作:shou9029
『警視庁は本日、決闘市在住の天城 遊良容疑者を全国的に指名手配すると発表しました。天城容疑者は現在決闘市で多発している失踪事件に関与しているとされており、警察が捜査を…』
何気ない日曜日の夕方のニュース。
その、普段通りに過ぎていたはずの一日の終わりに…
「…え?」
「…む?」
「…は?な、何これ…な、なんで遊良が?」
突然聞こえてきた、耳を疑うあまりに不可解な言葉を聞いて…遊良も、鷹矢も、ルキも、思わずその場に固まってしまっていた。
…それはこの場に居る誰もが予想していなかった突然の出来事。
そう、ただ何気なくTVをつけただけだと言うのに…
何の前触れもなく、いきなりアナウンサーがそんな馬鹿げたことを言い始めたのだから、遊良達に襲い掛かった驚きはきっと想像を絶するほどに大きかったことだろう。
…しかし、その衝撃も当然のことなのか。
何せ、遊良には身に覚えが全く無いのだ。驚天動地、晴天の霹靂。脈絡も予感も思い当たる節もなく、いきなり『指名手配』されたという事実のみが遊良へと襲い掛かったものの…
…何の罪かもわからない、何をした覚えもない、指名手配される覚えが無い。
犯罪に手を染めた覚えもなければ、悪いことをした覚えすらない遊良からすれば。全くもって身に覚えのない突然のソレは、遊良の思考にただただ混乱を与えているだけで…
…一体、誰がこんな事を予想できたと言うのだろう。
まるで意味が分からない、どうやったって飲み込む事が出来ない。そんな、あまりに突然の出来事に対し…
ただただ混乱することしか出来ない遊良達の思考は、TVの前でどうする事もできずにただ固まっているだけ。
…すると、一瞬の間の後に。
不意に、遊良のデュエルディスクに一本の『電話』がかかってきた。
「ッ、も、もしもし!?」
『天城君、ニュースを見ましたか!?』
「は、はい…」
『やっかいな事態になりました。まさかこんな馬鹿げたことをしてくるとは…』
「え?」
電話をかけてきたのは他でもない。
決闘学園イースト校理事長、かつては【白鯨】と呼ばれていた元シンクロ王者である砺波 浜臣であった。
…しかし、いつも冷静な砺波にしては珍しく、焦燥に駆られた声で怒りを露わに。
何やらその口ぶりから、この事態に対して『何か』を知っている様子を砺波は電話の向こうから感じさせるものの…
「あ、あの、砺波先生、これは一体どういう…」
『説明している暇はありません、とにかく君は絶対に家から出てはいけない!私が迎えにいくまで絶対に外に出ないようにしてください!間違っても記者に捕まったり、警察に対応しないようにしなさい!』
「え、あの…」
『それと連絡は最低限に!どこから居場所が漏れるかわかりません、最悪、盗聴されている可能性も考えなさい!いいですね!』
「は、はい、砺波先生!」
手短に、端的に、即座に。
明らかに焦燥に駆られている砺波は必要最小限、最低限の事だけを電話口から叫んだかと思うと。そのまま弾けるようにして、自分から電話を切ってしまったではないか―
そして、今の砺波の態度を感じて…
真っ白だった遊良の頭は、唐突に理解してしまった。
そう、砺波の焦りが遊良へとひしひしと伝えてきた。コレがドッキリやイタズラの類ではなく、今確かに自分の身に起こっている不測の事態である…と言うことを。
砺波の焦りは、この突然の事態が幅広い情報網を持っている砺波からしても予想外で急すぎたと言う事の証明。砺波のあの焦燥は演技ではない。方々にコネクションやツテを持っている砺波を持ってしても、遊良の指名手配の知らせはまさに寝耳に水の出来事だったのだろう。
…そんな師である【白鯨】の焦りから、真っ白だった頭がようやくソレを理解した様子の遊良。
とは言え、いくらこれが現実に起こっていることなのだと理解した所で。それでもなお現状を把握し切れていない遊良は、どうする事も出来ずにその場に立ち尽くしているだけであり…
「遊良、理事長は何と?」
「…迎えに行くまで外には出るな、マスコミに捕まるな、警察には対応するな…連絡は最低限に…そう言われた。」
「け、警察って…ね、ねぇ、コレ、何かの間違いなんだよね?だって遊良が指名手配されるわけな…」
「砺波先生もかなり焦ってた。多分…砺波先生にとっても急な事だったんだと思う。」
「ぬぅ…」
「そんな…」
…
……
………
…沈黙。
静まり返ったリビングに、ニュースの続きが流れ続ける。
沈黙が痛いというのはこのことか。言葉を失ってしまった3人の間に流れるのは、ただただ重くなっていく空気が発する、耳鳴りにも似た不快な沈黙だけであり…
…沈黙。
テレビの音が流れているはずなのに、まるでこの部屋の中に音という音が消えてしまったかのようにして…
鷹矢も、ルキも、そして遊良も。徐々に現実味を帯びてきたこの事態に対し、何も分からぬままで何も口にすることができないでいるその様子は、一体これから自分達はどうすればいいのか分からぬままでただただ呆然と立ち尽くしてしまっているかのよう。
…沈黙。
耳鳴りにも似た沈黙の音は、まるで樹海か山奥か孤島にでも置き去りにされてしまったかのような喪失感を遊良達へと与えてくる。
遊良の中にあるのは、意味も分からず指名手配されてしまった混乱と…鷹矢とルキの中に浮かぶのは、遊良の指名手配に対する腑に落ちない、理解できない、納得など出来ない憤り。
…意味がわからない。なぜ遊良が指名手配されなければならないのか。
敵の思惑すら分からないこの事態に対し、噴火しそうな怒りが鷹矢とルキの中に浮かび上がる。けれども、【白鯨】すら予測できなかったこの事態においては、彼より力のない自分達に出来る事などたかが知れていることになんとも歯がゆい思いを浮かべるしかなく…
そんな、何が起こっているのか全くわからぬままで過ぎる沈黙の時間は…3人の雰囲気を、ただただ重くしていく。
『こちらが犯行があった3日前の現場付近の監視カメラの映像です。失踪した男性が路地に入っていった後、フードを被り顔を隠した天城容疑者と思われる男が同じ路地に入っていったのがわかるでしょうか。この数時間後、男性の物と思われる所持品が散らばっていると通報があり、警察が捜査を進めたところ容疑者に天城容疑者が浮上したということです。なお、男性は未だに行方がわかっておりません。』
チャンネルを変える。
『1~2ヶ月前にもありましたよねぇ、決闘市での失踪事件。先生はそちらとの関連もあると?』
『いやー間違いないでしょうねぇ。前回も10名が謎の失踪を遂げ、そして今回も10人目が失踪していますから。未だその手口は不明とのことですが、前回と今回の失踪事件にこれだけ多くの共通点が見られることを考えるとその可能性は大きいかと思われます。何よりこの監視カメラの映像が動かぬ証拠でしょう。』
『一部からは、この映像では顔を確認できないため証拠として不十分だとの声もありますが…』
『そんなことありませんよぉ、警察の調べは絶対ですから、天城容疑者が犯人でまず間違いありません。』
チャンネルを変えても…
『天城容疑者の犯行が明らかになったことで、失踪した人達は全員無事に帰って来るんでしょうか?』
『それはわかりません。天城容疑者が一線を超えていないことを願うしかありません。』
『もし全員が既に亡くなっているとすれば、天城容疑者は16歳にして20人を殺害した大量殺人鬼じゃないですか!』
『怖いですねー、Ex適正が無い人間っていうのは平気でこんなことをするんですか?』
『犯人はこの間の【決島】で準優勝したらしいじゃないですかー。それで調子に乗っちゃったんでしょう?嫌ですねー、今時の若者は何をしでかすか分かったものじゃない。』
どれだけ変えても…
『30年ほど前にも大量虐殺事件が起こりましたが、今回の事件はまさにそれに次ぐ最悪の事件という見方もあり…』
変えても、変えても、変えても。
TVに映るのはどれも同じ。口々に遊良を犯人と決め付け、全国放送の場で有識者を名乗る仰々しい肩書きをした大人達による、晒し上げにも似た緊急放送という名の井戸端会議。
…一体、いつこんな準備をしていたのだろう。
どの局のチャンネルに合わせても、その内容は等しく遊良を口々に犯人だと決めつけているモノばかり。そう、警察が指名手配を発表したばかりだというのに、一体いつこんな準備をしていたのだろうか、どの局からも流れ出るのは遊良が指名手配された事に対して組まれた特番だけであり…
…それはまるで、予め『こうする事』が決まっていたかのよう。
未成年であるはずの少年を実名報道し、まるで前から準備していたかのようなコメンテーターたちの台詞回しのソレは、口裏を合わせているとしか思えない、あまりに不自然なほどに準備されたとしか感じられない代物となりて全国の家庭へと放送され続けるのか。
…そして、そんなTVに嫌気が差したのだろう。
ゆっくりとTVに近づいた遊良が、そのままTVの主電源を切ったかと思うと…
立ち尽くしている鷹矢とルキへと振り返りつつ、徐にその口を開き始めた。
「鷹矢、ルキ…お前らは今すぐ家に帰れ。」
「え!?な、なんで!?」
「このままじゃ二人にも迷惑がかかる。それに、おじさん達にだって…」
搾り出すように零された遊良の言葉は、悲痛と悲嘆を必死になって堪えているような代物。
しかし、それでもなお鷹矢とルキにそう言う遊良の言葉は…嘘偽りなく吐き出されつつ、鷹矢とルキの身を心から案じているが故に零されたモノでもあるというのか。
そう、なぜ自分が指名手配されてしまったのかなど、遊良には全く持って分からないままではあるものの…
それでも唯一つ分かるのは、『敵』は警察やマスメディアにまで手を回せる恐ろしいまでの権力を持っている相手だと言う事。
警察の指名手配は本当の事で、メディアをも意のままに操る権力…そんな権力者に目をつけられてしまっている可能性がある以上、自分と居ればそれだけ鷹矢とルキにまで危険が及ぶ可能性はかなり大きいと言える。
それだけではない。身寄りのない、単なる学生の身に過ぎない自分とは違い…鷹矢もルキも、それぞれに大切な家族が居るのだから、もしかしたら自分のせいで鷹矢とルキの家族にまで危険が及ぶかもしれないのだ。
それは社会的な事かもしれない。それは直接的なモノかもしれない。鷹矢の両親が危害を加えられるかもしれない。ルキの両親が路頭に迷わされるかもしれない。もしかしたら、最悪の場合もあるかもしれない―
…ソレを、遊良もわかっているからこそ。
鷹矢とルキを、これ以上危険に晒すわけには行かないのだとして…
更に遊良は、言葉を続け…
「だから、ここは俺一人の方が…」
しかし…
遊良が、そう告げても―
「うむ、断る。」
と、鷹矢は間髪いれずにそう答えた。
「…なんでだよ。」
「今の俺の家はここだ。なぜ俺が出ていかなければならん。」
「なぜって…俺と一緒に居たらお前まで巻き込まれ…」
「そもそもソレが間違いと言っているのだ。巻き込まれるも何も、指名手配に納得していないのは俺も同じ…それに何だ、迷惑をかけたくないだと?お前は何を言っておるのだ、まだ寝ぼけているのか?」
悲嘆に塗れた遊良の言葉を、どこまでも真っ直ぐに否定する鷹矢の声。
それは遊良の人生に、この世の誰よりも寄り添ってきた鷹矢だからこそ間髪入れずに発せられた…あまりに迷いも淀みも無い、鷹矢の真っ直ぐな感情そのモノでもあるのだろう。
…遊良が自分達の身を案じていることは、鷹矢にだって良くわかっている。
いや、良くわかっているからこそ―
今の遊良が発した言葉は、鷹矢からすれば絶対に容認などするつもりが無いモノでもあったのか。
そう、自分やルキが傷付くことを、遊良が極端に恐れていることを鷹矢は知っている。これまでだって『そう』だった。特に中等部の時など、遊良は鷹矢やルキに学校で迷惑をかけないようにするために自らの存在をとことん消して過ごし続けていたことを鷹矢は覚えている。
故に…どれだけ遊良が自分だけ犠牲になろうとしても。どれだけ遊良が身を引こうとしても。
鷹矢は、ソレをどこまでも否定しながら―
「迷惑くらいかけろ。俺とお前はそういうモノだろうが。」
「鷹矢…」
鷹矢の口から紡がれる言葉は、どこまでも真っ直ぐな本心となりて遊良の耳へと伝えられる。
それは遊良がどんな立場に追いやられたとしても、決して遊良の敵には回らぬという子どもの頃から変わらぬ鷹矢の信念の表れのようでもあり…
…生まれてからこれまで、ずっと共に過ごしてきた仲なのだ。家族よりも長い時間、一緒の時間を過ごして来たからこそ…遊良が絶壁に立たされていたとしても、遊良の隣に並び立つことに対し鷹矢には何の抵抗もないのだろう。
…遊良の重荷を共に背負う事に、鷹矢には何の抵抗も無い。
そんな鷹矢の気持ちを、その短い言葉だけで遊良はきっと完璧に理解してしまったはず。そう、周囲からは理解されにくい鷹矢の感情を、この世の誰よりも理解しているのも遊良なのだから…
今の鷹矢の言葉が、生半可な決意で述べられたモノではないのだと遊良には充分わかっていて。
…だからこそ。
ここはルキだけでも無事でいてほしいと言わんばかりに。遊良は、今度はルキの方へと向き直しつつ…
「ルキ…ここはお前だけでも…」
「嫌だよ。」
けれども、ルキだけでも無事に逃がそうとした遊良の言葉を即座に否定しつつ。
遊良の目をまっすぐ見据えながら、強い瞳で間髪いれずにそう即答したルキ。
…ルキから向けられるのは、強い意思の篭った決意の言葉と…あまりに真っ直ぐに遊良を見つめる、迷いの無い済んだ瞳。
そう、先の鷹矢と同じように―
強い目をしている彼女から伝わるのは、自分も鷹矢と同じなのだという強い意思と、何があっても遊良から離れないという、慈愛に満ちた抱擁の雰囲気。
…遊良に何を言われても、ルキの心は既に決まっていたのだろう。
それこそ、子どもの頃から…
遊良を決して一人にはしない…ルキの真紅の瞳が、遊良へとそう伝えている。迷いの無いその澄んだ赤い目が、混じり気なく真っ直ぐに遊良を見据えているからこそ…
その気持ちが嘘ではないことを、彼女もまたゆっくりと言葉に変えるだけ。
「子どもの時に決めたから。ずっと、遊良の味方でいるって。」
「ルキ…」
…一人じゃない。
Ex適正が無いと宣告された、一人だった子どもの頃とは違う。
指名手配が現実のモノであると理解したときに感じた、あの世界から切り離されてしまった感触がゆっくりと遊良の中から溶け出して消えていく。
…それは自分が鷹矢とルキに傷付いて欲しくないと願うのと同様に、鷹矢とルキも自分に傷付いてほしくないと思っているのだと遊良が実感できたからこそなのだろう。
一人で絶望を味わい、孤独に心を閉ざしてしまった幼少の時とは違う…
あの頃より確実に遊良が精神的に強くなれていることと、すぐ傍でルキが支えてくれていることと、地獄まで鷹矢が付き合ってくれるという事が合わさって。
余裕の無かった遊良の心には、先の見えない闇の中であっても少しの余裕が生まれつつあるのか。
「…ありがとう。」
だからこそ、絶望を感じたその刹那に。自分を大切に思ってくれている人がすぐ傍に居てくれることは、果たして遊良の心にとってどれだけの救いになるのだろう。
全てを無くし、絶望に塗れた幼少の頃を経験しているからこそ…
今再び襲い掛かってきた、世界が敵になる感覚の中にあってもなお遊良の心は簡単に崩れることはなく―
「よし。では脱出するぞ。」
「…え?」
「なに言ってるの?お馬鹿なの?理事長先生に外に出るなって言われたじゃん、もう。」
そして、そんな遊良の感情の持ちなおしを鷹矢も察したのだろう。
何を考えているのか、ついさっき砺波から『家から出るな』と言いつけられたと言うのにも関わらず…
砺波からの命令を、即座に反故にしようとした鷹矢はそのまま呆れ顔をしている遊良とルキを一瞥すると。
「馬鹿はどっちだ。早く脱出しないともっと大変なことになると言うのに。…これを見ろ。」
それでもなお『脱出』すると言い放った鷹矢が、ゆっくりと…
それこそ外界からは分からぬ程度にほんの少しだけカーテンを開いた…
そこには―
「ッ…」
「なにあれ…全部…マスコミ?」
「うむ。」
そこに居たのは蟻のように群がる、マスコミ達の織りなす人の群れ―
押し寄せる人の波、陣地を取り合うケダモノの押し引き。そう、おおよそすぐには数え切れぬ程の人数が、この住宅街のど真ん中にひしめき合うようにして大集合していたのだ。
…それは近所の野次馬などでは断じてない。
何せ、その場に集ったケダモノたちが持っているのは、明らかにメディア側の人間だと自ら証明しているような持ち物ばかりだったのだから。
…報道用のテレビカメラを抱えているスタッフ、マイク片手に何やら喋っている女性記者、プロが使うようなしっかりした本格カメラを構えた群衆。
一体、いつこんな数が集ったのだろうか。少なくとも鷹矢が帰ってきた1時間前には、こんな人だかりは勿論存在すらしていなかったはずであり…
また、穏やかなはずだった住宅街の雰囲気の中で、遊良の指名手配が発表されたこの瞬間にこれだけ多くのマスコミが即座に集うなど平時では絶対にありえない。つまり、この住宅地の真ん中に近所迷惑も考えずにマスコミが群がっていると言うことは、すなわち彼らはここに遊良が居ると確信を持っていということ。
それこそ監視や張り込みでもしていたのか、今日は遊良が家からまだ一歩も出ていないことを分かっていなければこんな数のマスコミが家の周りに群がれるはずもなく…
…はっきり言って『異常』の一言。警察が到着する前にマスコミが集っていることもそう。警察が指名手配を発表した直後にマスコミがこれだけの動きを見せていることもそう。
全てが何者かの思惑通りに動かされているような、作為的な気持ち悪さが一連の動きには隠されているのだ。
そんな大手から弱小まで、TV局から出版社まで、近所迷惑な数のマスコミがマイクやカメラや電話を片手に遊良達のいる家の四方八方を取り囲んで群がっているその光景は…
見るからに作為的に用意された、気持ち悪いくらいに『異常』な光景であって。
「このままではいずれ家の中に進入してくる輩もいるだろう。マスコミはここがジジイの持ち家だと知っているからか、まだ手荒な真似はしてこない様子だが…」
まぁ、それでも一応マスコミたちがまだ家の外で大人しく蠢いているだけなのは、偏に鷹矢が言った通り『ここ』がエクシーズ王者【黒翼】の所有する個人的な一宅であるのが大きいのだろう。
…そう、門に攻め懸けるようにしてマスコミたちが張り付いてはいるものの、それでも社会人としての分別がまだ彼らの中にはあるおかげか、群衆の全てはまだ敷地内には入っては来てはいない。
それはいくら彼らが無礼なマスコミで、いくら『正義』と『報道』の為という薄っぺらい大義名分を勝手に掲げているとはいえ…
たかが一企業の雇われサラリーマンに過ぎない、一般人にカテゴライズされる彼らマスコミがもし【王者】の持ち物を勝手に傷つけでもして…その結果、もし【黒翼】がキレでもしたら、その圧倒的なる権力によって次に消されるのは自分達であることをマスコミは誰もが理屈で知っている。
過去、それで物理的に消された記者が一体何人いた事か…
半ば都市伝説となっているソレが、決して冗談ではない事をマスコミも理解しているからこそ。ある種の治外法権を許されている王者【黒翼】の後ろ盾の前に、彼らもまだ無理矢理な不法侵入はしてはこないのか、外から家を取り囲み家の中の様子をどうにか伺っているだけで…
…けれども、それも何時まで持つか。
そう、群衆の数が増えていく毎に過熱していく野次馬の熱は、次第に彼らマスコミから倫理観と理性を奪い去っていくモノ。
…かつてメディアにおもちゃにされた遊良と、ソレを間近で見てきた鷹矢やルキは分かっている。
どれだけ拒否しても、どれだけ抵抗しても、それがどれだけ犯罪まがいの事であっても、そしてここが【黒翼】の所有物であろうとも。
マスコミという人種は、目的の為ならば手段を選ばずどこまでも汚い真似をするモノであり…絶対に隙を見せてはならない、油断ならない下賎なる者達である…と言う事を。
何せ、マスコミが我慢できるはずがないのだ。
【決闘祭】や【決島】を経て、最近はめっきり『弄れ』なくなった良いおもちゃ…もとい、Ex適正のない天城 遊良に、こんな爆弾級の特ダネが舞い降りたのだから、かつて幼い遊良から人権を取り上げ、差別を先導し、世界中から蔑まれる原因の一旦を担った、捨ててはいけない人の倫理観を捨てているマスコミが警察の到着まで大人しく待っていられるはずもない。
それ故、この家が【黒翼】の所有物であろうとも…マスコミに充満している、狂気染みた熱が彼らから理性を取っ払った時に、彼らがどういった行動を取るのかは遊良には容易に想像できる。
燃え上がっていく野次馬根性、倫理観の無い出歯亀根性。
人としてのマナーなど元から持っていないマスコミが、このまま大人しくしているはずがなく…
「わかったか?理事長がいつ迎えにくるのかもわからんと言うのに、ここでじっとしていても事態は悪化するだけだ。それにいずれ警察も押し寄せてくれば…法を盾に、突入してくるに決まっている。」
「でもさ、外に出たら見つかる可能性高くなっちゃうじゃん。だったら家の中にいたほうがあんぜ…」
「…いや、鷹矢の言う通りだと思う。砺波先生も対応に追われてこっちに手が回らないだろうし…家に入ってこられたら…捕まって終わりだ。」
「遊良…」
「うむ。ルキよ、お前も覚悟を決めろ。奴らが話しの通じぬ輩だと言う事は、お前だってよく知っているだろうが。」
「…わかってるよ、もう。…でも脱出するってどうやって?外でたらマスコミに絶対捕まっちゃうよ?」
「あぁ、家の周りは全部取り囲まれてるし…外に出たらすぐに見つかっちまう。」
けれども、いくら逃げだすと言っても。
これだけの数のマスコミに囲まれてしまっているこの現状では、遊良とルキの懸念も最もな事と言えるだろう。
…多勢に無勢。いくらこの指名手配が仕組まれたモノであったとしても、ソレに嬉々として食いついているマスコミにとってはそんな事は関係ない。
いつものように面白おかしく、事実を捻じ曲げ虚偽を正義のようにして報道するに決まっている。それこそ昔、遊良にEx適正がないことをまるで『悪い事』のようにして報道したマスコミが反省しているはずもなく…
そんな者達が、家の周りを隙間無く埋め尽くしているのだ。これでは、いくら家から抜け出そうとしても…
顔を出した瞬間に、誰かの目に捕まってしまうのは至極当然の事と言え…
しかし…
「脱出路ならある。」
鷹矢が、不意に地面を指差したかと思うと。
打開策が思い浮かんでいない様子の、遊良とルキへと向かって…
徐に、その口を開き始めた。
「地下のデュエル場だ。」
「は?意味わかんないんだけど。地下からどうやって逃げるって言うの?」
「この家はジジイの避難場所のひとつなのだぞ?地下からの抜け道くらいあって当然だろう。」
「なんだそりゃ…いくらなんでも、地下室に抜け道なんてあるわけないだろ。」
「いいから来い。時間が無いのだ、俺に任せておけ。」
そして…
鷹矢に連れられるようにして。
これ以上問答をしている暇などないのだと、身支度をする暇も無くルキは自分の手荷物を、遊良と鷹矢はデュエルディスクだけをその手に取ると…
そのままと3人は、地下室の鍵を手に静かにリビングを出て廊下の方へと歩き始める。
半信半疑、鷹矢の言葉を鵜呑みにしたわけではないものの、それでも現状では鷹矢以外に打開策を思い浮かんでいる者が居ないために。遊良とルキは、鷹矢の言葉を半分信じつつ…
階段の裏、小さな物置の床にある長方形の地下室への入り口、その重い扉の鍵を開け…
子どもの頃は一人で持ち上げられなかった鉄の扉を鷹矢が持ち上げると、そのまま3人は冷たい地下の空気が流れ込んでくる感覚を肌で感じながら、入り口を閉めつつゆっくりと地下への階段を降り始めるのか。
…鷹矢の言った地下のデュエル場。
それは幼少の過去に遊良達が【黒翼】との修業によく使っていた、割と本格的な造りをしたデュエルフィールドが置かれている広い地下施設の一室のこと。
師である【黒翼】が趣味で購入し設置したというソレは、遊良が弟子入りするまで全く持って使われていなかったそうなのだが…
下手をすれば地方の小スタジアムなどよりも高額な機器を置いているコンクリート部屋のデュエル場が、まさか住宅街のど真ん中の一軒家の地下にあるなんて誰も思うまい。鷹矢とルキにとっては昨年度の【決闘祭】の時以来、遊良にとっては数年振りとなるその地下室へと、彼らは久方ぶりにその足を踏み入れて。
すると、遊良達が地下デュエル場の扉を開けたその直後に―
上で、ガラスが割れる音がした。
「ッ!?も、もう入ってきたのか!?」
「うそ…」
また、そのすぐ後。
ガラスの割れた音がしたその瞬間に、ドタドタとうるさい音が上の階で叩き鳴らされ始めたのが遊良達の耳へとはっきりと届けられ始めたではないか。
…それは大勢の人間が、一挙にこの家に押し入ってきたという紛れも無い証明。
そう、ガラス戸を割り、土足で屋内に踏み入りつつ…大勢の人間が1階と2階を家捜しするかのようにして、無礼極まりない侵入の仕方にて踏み入ってきたのだ。
また、激しい足音と同時に…
―天城 遊良がいないぞ!
―そんなはずない!探せー!
―特ダネを逃がすなー!
―どこ行ったクソガキー!犯罪者が逃げるなー!
―探せー!探し出して引きずり出せー!
そんな、怒号にも似た大人達のけたたましい声が上の階から響き渡る。
…足音に混ざって微かに聞こえるその怒号が、更に遊良の逸りを誘発する。
大の大人達が、怒号を飛ばしながら自分を探しているというその光景を思い浮かべただけで…絶対に捕まるわけにはいかない、捕まったら何をされるか分からないという恐怖が沸々と遊良の心には浮かび上がってきているのだろう。
…それは過去、同じように大人達に傷つけられた経験が遊良にはあるからこそ。
その時の恐怖を微塵も忘れていない遊良にとっては、土足で家に踏み入ってきた記者たちに嫌悪の感情意外を抱くことが出来ず…
「声を出すな。ゆっくりと扉を閉めろ。俺達がここに居ることはしらばくはバレんだろう。」
「でも、砺波先生が盗聴されてる可能性も考えろって…」
「俺は『地下から出る』と言っただけだ。その詳細も方法もまだ説明しておらんだろうが。それにこの家のことを知らん奴等が、この地下室を見つけるのにはまだ時間がかかるはず…鍵もかけていることだ、今の内にさっさと逃げるぞ。」
しかし、ある意味コレが想定内であったことが功を奏したのか。
あのままリビングで問答を続けていたら、きっとこの瞬間にも遊良はマスコミたちに捕まっていたはず。それこそ問い詰められるだけに留まらず、興奮した記者たちに暴力的な捕まり方をして外へと無理矢理引きずり出されていたに違いない。
だからこそ、鷹矢が有無を言わせず遊良とルキを即座に連れ出したのがよかったのだろう。ギリギリのところで間に合ったその判断は、ある意味『勘』の働く鷹矢だからこそ成し得たファインプレーだとも言え…
そうして…
デュエル場の地下の一隅、そこで立ち止まった鷹矢が説明も無しに迅速に。
何やらスタジアムの音響機器の1つを触り始めたかと思うと、いくつかのボタンを押し始めたそのすぐ後に…
ゴゴゴゴ…
と、ゆっくりとコンクリートで出来た壁の一部が上に開いていく―
「…何これ…初めて知ったよ、こんなの…」
「俺も…10年以上住んでるのに初めて知った…なんでお前がコレ知ってるんだよ。」
「ガキの頃、ジジイがここからこっそり出て行くのを見たのだ。後日問い詰めたら、親父に内緒にする代わりに白状したぞ。何でも、追っ手や記者を撒くときによく使う抜け道らしい。同じモノが他の持ち家にもあるそうだ。」
「先生らしい…」
「ねー…先生ってば狡賢いんだから、もう。」
「だが、今この時だけはジジイに感謝してやっても良い。用意周到なジジイのおかげでこの場を切り抜けられるのだからな。それに一度使ってみたかったのだ、この抜け道とやらを。」
「あぁ…こんな面白そうなモノが家にあったなんてな。どこに繋がってんだろ…」
「…え、遊良?」
「…なんでもない、行こう。」
そして、アクション映画かSF映画に出てくるような、本物の地下からの抜け道を前に。
鷹矢と、アレほど切羽詰っていた遊良の心の中に、少しばかりの躍動が生まれてしまうのは彼らも男だからなのだろう。そう、男という生き物の本能として、この様な代物にワクワクしてしまうのは人種関係なく男の遺伝子に規定事項として既に刻まれてしまっているから。
…こんなモノを仕込んでいるなんて師らしい。
師である【黒翼】が一体何の目的でこんな物を作ったのかは容易に想像できるものの、それでもアクション映画かSF映画のような、日常を生きていれば絶対に目にすることの無いであろうコンクリートの壁が開いていく非現実的な光景は…ある意味追い詰められていた彼らの心の、少しばかりの余裕を取り戻させた様子。
…少女のルキには理解できない、少年心をくすぐるロマン。
スパイ映画さながらの、そのコンクリートの壁が再び岩音と共に閉まるまで…マスコミたちは、地下のデュエル場の存在に気付く事も無く…
地下への抜け道へと足を踏み入れた遊良達は、足早で地下の抜け道を外へと向かって走りだす。
…そのまま、駆け足で数分走った頃だろうか。
突き当たりにて壁梯子を見つけ、そのまま梯子を上り出口らしき蓋を開けたそこは…
―家から少し離れたところにある、住宅街の隅にある空き地であった。
「…こんなところに繋がってたのか。」
「…うむ、周囲に人は居ないようだ。記者たちの気配もない。」
「…ホントに抜け道だったんだ…少しは先生見直したかも。いや褒めることじゃないんだけどさ。」
空き地の隅に、目立たぬように設置されているマンホールのような蓋から這い出る遊良達3人。
工事現場の資材置き場に使われているのか、土管やフェンスなどが置かれているためにすぐさまその影に身を隠し…
すぐさま周囲を警戒しつつ、どうにかマスコミの包囲網を突破した事で安堵したのだろう。緊張状態を解くために、大きく息を吐いた遊良達は一度落ち着くためにその場に力なく座り込み始めたかと思うと。
遊良はすぐさま、砺波へと電話し始めた。
『どうしました!何かあったのですか!?』
「いえ…あの、砺波先生、すみません、家に記者が突入してきて…」
『なっ!?』
電話越しでも容易に分かるほどの焦りを見せながら、即座に遊良からの電話に出た砺波。
…当たり前だ。
つい先ほど指示を出し、連絡は最低限にと念押しして電話を切ったばかりだと言うのにも関わらず。こんなにも早く教え子から電話が掛かってきたかと思うと、その第一声が『記者に突入された』だったのだから。
「…でも入れ替わりで脱出したので大丈夫です。それで、今鷹矢とルキと近くの空き地に隠れてるんですけど…近いし、とりあえずイースト校にでも向かおうかと…」
『…わかりました。私も現在対応に追われイースト校に居るので丁度いいでしょう…むしろ、私の傍に居るのが最も安全です。ですがイースト校にも記者が詰め掛けていますので、ひとまず私が気を引きますから君たちは人の居ない場所から忍び入って理事長室まで来なさい。その間、決して誰にも見つかってはいけません、いいですね。』
「はい、砺波先生。」
まぁ、とは言え落ち着いた声で電話してきた教え子の声を聞いたことで、砺波もその焦りを収めるのは容易でもあったのだろう。
…未だ対応に追われている忙しい身である中、こうして遊良に的確な指示と確かな避難先を用意できる辺り流石は百戦錬磨の元シンクロ王者【白鯨】か。
そのまま、再び短いやりとりにて砺波との電話を切った遊良も…砺波が昨年のような『敵』ではなく、これ以上無いくらいの『味方』で居てくれることに一体どれだけ救われたことか。
…何が起こったのかはわからない。何が起きようとしているのかも分からない。
何もかもが分からないままで、突如こんな事態に放り込まれた遊良が感じる街の風はどこか昔のような厳しい冷たさを感じさせるものの…
「遊良…大丈夫?」
「あぁ…とにかく急ごう、早く砺波先生と合流しないと。」
「うむ。…こんなふざけた真似をした奴を俺は許さん。直接会ってぶん殴ってやらなければ気がすまんぞ。」
それでも、自分の為に動いてくれる人が居ることと、自分を思い傍に居続けてくれる人の温かさに触れながら。
昔とは違う、『味方』で居てくれる人に強く支えられている事を実感しつつ…
誰にも見つからぬように、遊良は顔をフードで隠し…
(…何が起こってるんだろうか…)
遊良達3人は、静かにイースト校への道筋を駆け始めるのだった―
―…
どこかの路地裏…
「ぐっ…うっ…」
そこで、小さく蹲っている人間が居た。
「あぐっ……くそっ…もう少しだってのに…」
全身を黒ずくめのコートで隠し、フードで顔を隠し…
一体、何に苦しんでいるのだろうか。嗚咽を漏らしながら今にも倒れこんでしまいそうなその姿は、全身をコートで隠しているその怪しさと相まってあまりに不恰好なことこの上なく…
しかし、周囲に誰もいない状況ゆえか、弱った体をどうにか支えながらこのフードの人物はズリズリと地面を這い始めたかと思うと。
若者なのか老人なのかもわからぬ、意図的に変化させているであろう雑音混じりの声で苦しみを吐き出し続けながら…
汚い路地裏の建物の壁に寄りかかりつつ、ゆっくりと立ち上がり始める。
「…やはり、無理があるかと。既に貴方の体は限界を向かえています…1度だけでも限界だったのに、2度目となると…」
「うるさい…もう少しなんだ…もう少しで…全てを…」
「…貴方の器では、最初から扱いきれる力ではなかったのです。もう、いつ消えてしまってもおかしくはな…」
「わかってる!…けどもう少しなんだよ…あと一回…あと一人…それで、全てが終わる…」
そして…
一体どこから現れたのか、今の今まで全く周囲に居なかった一人の少女がフードの人物へと声をかけたかと思うと。
フードの人物は、途端にあまりの憤怒をそのフードの隙間から突如として漏らし始めたではないか。
…果たして、この二人は何を話しているのだろうか。
およそ他人は理解出来ぬであろう、彼らにのみ共有されている事項のみで2人は会話を交わしつつ。決して他人には理解してもらうつもりのない、彼らにのみ理解できる共通の事象で2人は更に会話を終わらせるだけ。
そのまま、突如現れた少女は…
そう、決闘学園イースト校の制服を着た少女、『釈迦堂 ユイ』はポツリと言葉を漏らしたかと思うと。
「努々忘れる事なかれ。自分が一体何なのか…」
まるで、始めから居なかったかのようにして…
再び、その姿を消してしまうのだった―
そして―
「あと一人…どうでも良い奴を消せば、それで全て終わらせられる…もう、手段は選ばない…」
釈迦堂 ユイが姿を消したその刹那、力なくその場に座り込んでしまったフードの人物。
…一体何を考えているのだろう。一体何を狙っているのだろう。
その正体も目的も行動も、その何もかもが謎のままであるフードの人物は押さえきれぬ憤怒をどこまでも駄々漏れにさせ隠さぬまま…
「天城 遊良…今度こそ…消してやる…」
…と、そう呟いたのだった―
―…
次回、遊戯王Wings
ep104「決闘市、消滅」