愛里寿が体験入学をしている間、みほ達と愛里寿はつねに共に行動していた。
みほは愛里寿のサポート係なのでそばにいるのは当たり前なのだが、実際は愛里寿がみほ達と一緒にいるのを好んだのである。
問題児であるみほ達と行動するのだから、当然愛里寿もトラブルに巻きこまれた。
戦車を降りるとドジが目立つみほ。しょっちゅう暴走気味のローズヒップ。油断すると荒っぽい言動が顔を出すルクリリ。三人が問題を起こすたびに、近くにいる愛里寿までとばっちりを受けるのだ。
しかし、そこは天才小学生である島田愛里寿。持ち前の頭脳でうまく機転を利かし、問題を素早く解決したことで問題児入りはしなかった。
体験入学の一週間は土日の休日込みだったので、みほ達は休日も愛里寿と共にすごした。
四人で買い物に行く。以前約束していたハンバーグを一緒に作る。海が見える公園をみんなで散策する。どれもいたって普通な休日のすごしかたであったが、愛里寿はいつものクールな態度を崩して大はしゃぎであった。
この一週間で四人は様々な思い出を作った。だが、始まりがあれば終わりもある。
気がつけば愛里寿の体験入学も今日が最終日。最後の戦車道の授業が終われば、愛里寿とはお別れしなければならない。
愛里寿は今後、他の高校や大学にも体験入学をするようだが、進路についてみほが言えることはすでに伝えた。みほがあとできるのは、愛里寿が選んだ進路に後悔がないのを祈るだけだ。
「本日は愛里寿さんの体験入学最終日ということで、特別に島田流を拝見させてもらえることになりました」
愛里寿との最後の授業は、アールグレイの衝撃的な一言から始まった。
今までの愛里寿は聖グロリアーナのやり方に素直に従っており、一度も島田流を見せていない。個の力を重視して様々な作戦を駆使する島田流は、集団で隊列を組む聖グロリアーナの戦術と相性が悪いのだ。聖グロリアーナの隊列と陣形重視の戦術は、どちらかといえば西住流に近いのである。
「愛里寿さんの搭乗する戦車は、あちらのクロムウェルになりますわ。車長が愛里寿さんで、他の乗員は島田流門下生の大学生の方々が務めてくださいます。大学選抜に選ばれるほどの実力がある方々ですので、愛里寿さんも十分に力が発揮できるはずですわ」
アールグレイがクロムウェルをお披露目したのはこれが初めてであった。
突然の新型戦車の登場に静かにしていた生徒達からざわめきが起こる。聖グロリアーナで新しい戦車を導入するのが難しいことは、ここにいる全員が知っているからだ。
みほがクロムウェルを見たのは愛里寿と出会った日以来だった。
アールグレイがクロムウェルを用意したのは愛里寿のためだったようだが、みほには少し気になる点がある。それは、アールグレイが聖グロリアーナの戦力を強化しようとしていることだ。
もし、愛里寿が聖グロリアーナに来年入学すれば大幅な戦力アップになるし、クロムウェルは現時点で即戦力の戦車だ。
アールグレイは勝つことにこだわらなくてもいいと公言している。しかし、この一連の行動はそれと矛盾しているようにみほには思えたのだ。
「愛里寿さんの対戦相手はダージリンとダンデライオンです。勝負方法は一対十の殲滅戦。愛里寿さんのクロムウェル一輌に対し、ダージリンにはマチルダ隊五輌、ダンデライオンにはクルセイダー隊五輌を率いてもらいますわ」
アールグレイのこの発言でざわめきは驚きの声に変わった。
いくら愛里寿が天才とはいえ、戦力差がありすぎる上に試合形式は殲滅戦。ダージリン達が愛里寿を倒せばいいだけなのに対し、愛里寿は十輌すべて倒さなければならないのである。
島田流をよく知らない生徒達が驚くのは至極当然だ。
みほは島田流をある程度知っているので、そこまでの驚きはなかった。愛里寿の島田流を見るのは初めてだが、愛里寿なら一対十という不利な戦いでも勝利してしまうかもしれない。愛里寿の天才ぶりを一週間見続けてきたみほには、そんな予感があった。
「双方の準備が出来次第、試合を開始します。試合に参加しないみなさまは、大型ビジョンで観戦してもらうことになりますわ。整備科の方々が観戦準備を整えてくださるので、その場で待機していてくださいね」
整備科の生徒達がせわしなく動きまわるなか、みほ達は愛里寿の元へやってきた。
一年生は全員見学なので、試合に出ないみほ達は愛里寿を激励しに来たのだ。
「愛里寿ちゃん、がんばってね。相手の数は多いけど、愛里寿ちゃんならきっと勝てるよ」
「ダージリン様には気をつけたほうがいいぞ。あの人は試合には手を抜かないからな」
みほとルクリリは愛里寿を応援する言葉をかけるが、ローズヒップは神妙な顔で考えこんでいる。
みほはなんとなくローズヒップの心情を察することができた。友達である愛里寿と憧れの人であるダージリン。どちらを応援するべきなのか、おそらくローズヒップは迷っているのだろう。
軽はずみに愛里寿を応援すると言わないあたり、ローズヒップのダージリンに対する深い敬意がうかがえた。
「愛里寿さんには申し訳ないですけど、わたくしはダージリン様を応援しますわ。ダージリン様が負けるお姿は見たくないんですの」
「私のことは気にしなくてもいい。曲げたくないものを無理に曲げる必要はない」
ローズヒップの宣言を聞いても、愛里寿はまったく気にする様子を見せない。実に大人な対応である。
「あ、ダンデライオン様は倒しちゃってかまわないですわ」
「ダージリン様と同じチームなんだから、そこはダンデライオン様も応援するべきだろ」
「二人とも、絶対にそのニックネームを本人の前で言っちゃダメだからね。タンポポ様、そのニックネームで呼ばれるのをすごく嫌がってるから」
ダンデライオンはクルセイダー隊の隊長を務めている二年生。黄色がかった茶色の長い髪をツインテールにしている小柄な生徒で、可愛らしい容姿と素直な性格からチーム内での人気も高い。少し子供っぽいところがあるのが欠点だが、小隊の指揮能力が高く、アールグレイからの信頼も厚かった。
そんなダンデライオンが声高に訴えているのが自分のニックネームについてだ。
ハーブティーの一種、ダンデライオンティーのニックネームを与えられたダンデライオンは、淑女のイメージに合わないライオンという名前を嫌がっているのだ。
なので、一年生と二年生には、ダンデライオンの和名であるタンポポというニックネームで呼んでほしいと、常日頃から主張していた。
「ダンデライオン。私はカッコいいニックネームだと思う」
「私も愛里寿と同意見だな。クルセイダー隊の隊長なんだから、タンポポなんて弱そうな名前より、ダンデライオンのほうが強そうで似合ってると思うぞ」
「ダンデライオン様は少し神経質すぎますわ。もっとご自分のニックネームに誇りを持つべきでございます」
「みんな、ダンデライオンって言いすぎだよ。もし聞かれたらまずいことに……」
「もぉぉぅ、みんなしてひどいっ! あたしがそのニックネームを嫌いなの知ってるくせにー!」
みほの悪い予感は見事に的中してしまった。
みほ達が声がしたほうに顔を向けると、そこにはプンプン怒っているダンデライオンが立っている。隣にはダージリンとアッサムの姿もあるので、どうやら試合前のあいさつに来たようだ。
「あら、私もあなたのニックネームはダンデライオンのほうがいいと思っていますわよ。あなたの勇猛果敢な指揮は、ライオンのイメージにぴったりではなくって?」
「ふぇぇん! ダージリンさんはいつもあたしに意地悪する。あたしはライオンなんかじゃないんですー!」
ダンデライオンは涙目でダージリンに猛抗議。甲高い声でわめくその小さな姿は、ライオンというより子猫のほうがしっくりくる。
「ダージリン、本人が嫌がっていることを言うのはよくありませんわ」
「あたしの気持ちをわかってくれるのはアッサムさんだけです。今からでも遅くはありません、あたしのクルセイダーの砲手になってください」
「私のマチルダの大事な砲手を引き抜こうだなんて、あなたもずいぶん大胆になりましたわね」
「あたしはまだアッサムさんを諦めてないですから。この件に関してだけは、ダージリンさんに負けるのは嫌なんです」
アッサムを間に挟んで火花を散らすダージリンとダンデライオン。
この二人は険悪な関係というわけではないのだが、ことあるごとに対立していた。
「そこまでです。お二人はアールグレイ様を補佐する立場なのですから、一年生の前でみっともない姿を見せるのはやめてください」
聖グロリアーナには副隊長という地位は存在しない。そのかわりに、マチルダ隊とクルセイダー隊の部隊長には二年生が就任し、隊長である三年生をサポートするのである。
アールグレイから次の隊長に指名されているダージリンは、今はマチルダ隊の隊長であった。
「アッサムの言う通りですわね。タンポポ、ここは一時休戦しますわよ」
「わかりました。あたしもアッサムさんを困らせるのは本意ではありませんから」
アッサムにたしなめられたダージリンとダンデライオンは素直に和解し、並んで愛里寿の前に立った。
「愛里寿さん、本日はよろしくお願いいたします。私達は本気で勝ちにいきますので、手加減は無用ですわ」
「こっちが有利な条件なのは少しずるいと思うけど、これもアールグレイ様の命令です。悪いけど勝たせていただきます」
「受けて立つ。勝つのは私だ」
愛里寿は真剣な表情で、ダージリンとダンデライオンを正面から見据えている。
冷静沈着な愛里寿が闘志を燃やしているのをみほは不思議に思った。愛里寿にとってこの試合はデモンストレーションのようなものであり、勝ち負けにこだわる必要はないからだ。
「『我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない』。愛里寿さん、お互いがんばりましょう」
「またダージリンさんの悪い癖が出た。アメリカの大統領の格言なんか使わないで、自分の言葉で語ればいいのに」
「……そろそろ戻りましょうか。行きますわよ、ダンデライオン」
「むぅっ! 違います! あたしはタンポポですー!」
頬をふくらませて怒るダンデライオンを無視して、ダージリンはその場を離れた。置いていかれたダンデライオンは抗議の声を上げながらダージリンを追いかけていく。
一人残されたアッサムは大きなため息をついて、二人のあとに続いていった。みほ達の教育係だけでなく、ダージリンとダンデライオンの調停役までこなさなければいけないアッサムは、チーム内一の苦労人なのである。
「私達も戻るか」
「そうですわね」
「愛里寿ちゃん、またあとでね」
「うん。絶対に勝ってみせるから」
愛里寿はみほ達に背を向けると、クロムウェルがスタンバイしている方向に歩いていく。
みほにはそんな愛里寿の小さな背中がとても大きく見えた。
「それでは、これより試合を始めますわ。一同、礼」
審判を務めるアールグレイの言葉を受けて、全員が礼とあいさつをした。もちろん、その中には観戦会場にいる生徒と整備科の生徒も含まれている。
礼節を重んじる聖グロリアーナでは、試合に参加しない生徒も礼を尽くすのが常識なのだ。
整備科が用意した英国アンティーク風のテーブルセットでみほ達は試合を観戦していた。
大型ビジョンには三分割された映像が映し出されている。映像は愛里寿のクロムウェル、ダージリンのマチルダ隊、ダンデライオンのクルセイダー隊の三者を追っており、試合の状況がよくわかるようになっていた。
愛里寿のスタート地点は観戦会場近くの平原エリア。ダージリン達のスタート地点は平原エリアから遠く離れた森林エリアの近くであった。
「タンポポ様はまっすぐ愛里寿ちゃんのほうに向かってる。ダージリン様とは連携をとらないで、単独で愛里寿ちゃんを叩くつもりなんだ」
「マチルダとクルセイダーは足の速さが違うからな。綺麗な隊列を作れないから、連携するつもりもないんだろ」
「ダージリン様のマチルダ隊は森の中へ入って行きますわ。待ち伏せをするおつもりなのでございますかね?」
「この試合は殲滅戦だから待ち伏せは有効な手段だけど、そんな卑怯な真似はしないんじゃないかな? ダージリン様のことだからきっと何か策があるんだと思う」
聖グロリアーナの戦車道は優雅でなくてはならない。たとえ練習試合だとしても下品な戦いは禁じられている。
ダージリンがそれを破って待ち伏せのような手段を使うとは、みほにはとても思えなかった。
◇
ダンデライオンが指揮するクルセイダー隊は、隊長車であるクルセイダーMK.Ⅱを先頭に二列縦隊で進軍中。左右二列で綺麗なジグザグを組んで走行する姿は実に華麗であった。
「敵戦車発見! 全車、二列縦隊から横陣に移行」
ハッチを開けて双眼鏡で周囲の索敵をしていたダンデライオンは、クルセイダー隊に指示を出す。先頭を走っていた隊長車に後続のクルセイダーMK.Ⅲが並び、クルセイダー隊は横一列の隊形になった。
「撃ちかた始め! バンバン撃っちゃってください」
ダンデライオンの命令を受けたクルセイダー隊は、行進しながらいっせいに砲撃を開始した。
移動しながら砲撃を行う行進間射撃は聖グロリアーナの基本的な攻撃方法。命中率が悪いのが難点だが、相手にプレッシャーを与えられるので、大部隊で陣形を組んで進撃する聖グロリアーナの戦術には合っている。
対する愛里寿のクロムウェルのとった行動は反撃ではなく進撃。砲撃を続けるクルセイダー隊に向かって猛スピードで突っこんできたのだ。
「嘘っ!? なんでそんなに速いの!?」
見た目が速そうに見えないクロムウェルの機動性に、ダンデライオンは心底驚いたような表情を浮かべていた。
クロムウェルは整地を時速60㎞近いスピードで走行できる快速巡航戦車。デザインがチャーチルに似ているだけでその性能はまるで違う。
一気にクルセイダー隊との距離を詰めたクロムウェルは、ここで初めて主砲の6ポンド砲を発射した。砲撃は横陣の中央を走行していたクルセイダーの正面に命中し、クルセイダーからは白旗が上がる。装甲が薄いクルセイダーでは近距離からの6ポンド砲の直撃は防げなかった。
クロムウェルは、一輌撃破されて穴が開いたクルセイダー隊の隙間を通りすぎる。
クルセイダー隊の隊長車は撃破された車輌の隣を走行していたので、すれ違う瞬間にキューポラから半身を出している愛里寿とダンデライオンの目が合った。
「ひうっ!」
淑女にあるまじき声を出してしまったダンデライオンは慌てて口に手をやった。愛里寿の表情はいつもと変わりはなかったが、その目は今までにない力強さにあふれていたからだ。
「ぜ、全車、180度回頭!」
ダンデライオンはクルセイダー隊にUターンするよう指示を出す。だが、驚くべきことにすでにクロムウェルは方向転換を終えていた。
背中をさらしたクルセイダーに向けてクロムウェルは再び砲撃を開始。一輌のクルセイダーが背面を撃たれて白旗を上げた。
「超信地旋回!?」
超信地旋回とは左右の履帯を互い違いに回転させて行う旋回で、前後に動かなくてもその場で進行方向を変えられる。聖グロリアーナではチャーチルのみができる旋回方法であった。
「このまま無様に負けたら、アールグレイ様に顔向けできません。全車、散開。三方向から突撃して至近距離で撃破します」
三輌まで数を減らしたクルセイダー隊は三手に分かれてクロムウェルに迫る。
距離を詰める間に一輌が撃破されたが、隊長車と残った一輌のクルセイダーはクロムウェルを左右から挟むのに成功した。
「撃てっ!」
ダンデライオンの号令により、二輌のクルセイダーから砲撃が放たれる。
この必殺の攻撃を愛里寿は思いもよらない方法で回避してみせた。クルセイダーが砲撃するタイミングを読んで、クロムウェルに急ブレーキをかけさせたのである。
クロムウェルが停止したことで左右からのクルセイダーの砲撃は無情にも空を撃つ。再び背面をさらした最後のクルセイダーMK.Ⅲも撃破されてしまい、残ったのはダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱのみになってしまった。
「クルセイダー隊が全滅するわけにはいきません。作戦変更、プランBを実行します。この場から全速力で離脱して、ダージリンさんとの合流地点に向かってください。リミッター解除!」
リミッターを外したクルセイダーMK.Ⅱは高速でクロムウェルから離れていく。
クロムウェルと距離が離れたことで安堵の息をもらしたダンデライオンは、スカートのポケットから懐中時計を取り出し時間を確認した。
「合流予定の時間まで逃げ切るぐらいの仕事はしないと、またダージリンさんにいじめられちゃう。そんなの絶対にイヤっ!」
「隊長、あれはいじめではありませんわ。これは私の憶測ですけど、ダージリンさんは隊長を好いているから、ああいう態度をとってしまうのです」
「私もそう思います。隊長とお話しているときのダージリンさんは、自然体でとてもリラックスしているようにお見受けしますわ」
「隊長があまりに愛らしいから、ダージリンさんも気を引こうとしてつい意地悪をしてしまうのですわ」
クルセイダーの乗員の話を聞いていたダンデライオンは、見る見るうちに顔を赤くしていった。
「こ、困りますよ。あたしにそっちの気はないんですから。確かにダージリンさんは美人で、スタイルも抜群で、頭もいいけど……」
「隊長、私の言っている好きは親愛感情であって、恋愛感情ではありませんわ」
「でも、隊長もダージリンさんを少し意識されているみたいです。これはもしかすると、何かの弾みでお二人が急接近することもあるかもしれませんわ」
「普段は喧嘩ばかりしている二人の禁断の恋。ロマンチックですわー」
試合中だというのに、クルセイダーの空気は桃色に染まっていた。
お嬢様といってもみんな年頃の女子高生。色恋沙汰が好きなのは普通の女の子となんら変わらないのであった。
「もぉー、やめてよぉー。あたしはダージリンさんのことなんて、なんとも思って……」
ダンデライオンの否定の言葉は砲撃が地面に着弾する轟音でかき消された。
ダンデライオンが急いでハッチから背後を確認すると、クルセイダーとほぼ同じスピードで追いかけてくるクロムウェルが目に飛びこんでくる。あまりの衝撃に、ダンデライオンは手にしていたティーカップを思わず落としてしまった。
「嘘でしょ……。リミッターを外したクルセイダーに追いついてきてる。相手に狙いを絞らせないようにジグザグに走ってください!」
クルセイダーは蛇行運転をしながら逃走を開始した。先ほどまでのゆるんだ雰囲気は一変し、車内には張りつめた空気が満ちていく。
「待っててね、ダージリンさん。必ず合流地点にたどり着いてみせるから!」