「私の話はこれでおしまい。愛里寿ちゃんは後悔しない進路を選んでね」
自分の過去をすべて話し終えたみほは、雲一つない青空を見上げた。
青いキャンバスには自分が傷つけた人達の顔が次々と浮かんでくる。真剣な眼差しで信じていると言ってくれたしほ、悲しみに染まった顔で逃げ出したまほ。そして、怒りと憎しみで表情を歪めたエリカ。
自然とみほの目からは涙がこぼれてきた。
聖グロリアーナで友達に囲まれているみほは、夢にまで見た幸せな時間をすごしている。それが多くの人の思いを踏みにじって得られたものなのが、どうしようもなく悲しかったのだ。
「ラベンダー! わたくし達はずっとお友達ですわ。もう寂しい思いはさせませんわ」
ローズヒップはクルセイダーの砲塔に腰かけていたみほにいきなり抱きついてきた。
よく見ると、ローズヒップの顔は大粒の涙でぐちゃぐちゃだ。一緒に泣いてくれる友達がいるのがうれしくて、みほの目からは再び涙があふれてくる。
「ありがとう、ローズヒップさん。本当にありがとう……」
みほはローズヒップの背中に手を回し、優しく抱きしめ返した。
先ほどまで曇っていたみほの心は上空の青空のように澄み渡っていく。ボコでは味わえなかった人の温もりは、みほの想像以上に素晴らしいものだった。
泣きながら抱きあうみほとローズヒップの姿は、まるで恋愛ドラマのワンシーンのようだ。
そんな二人に向かって二枚のハンカチが差し出される。目を涙でにじませているルクリリと申し訳なさそうな顔をした愛里寿のハンカチであった。
「涙の跡を残して訓練に参加したら、アッサム様からお説教されるぞ。淑女は人前で簡単に涙を見せてはいけないって前に教えられたからな」
「つらいことを聞いてごめんなさい。ラベンダーの話を無駄にしないように、進路はお母様とよく相談して決める」
みほは愛里寿から受け取ったハンカチで涙をぬぐった。
みほの隣では、ローズヒップがルクリリからハンカチを手渡されている。
「泣き虫な先輩でごめんね、愛里寿ちゃん」
「泣きたいときは誰にでもある。泣いてすっきりするなら、そのほうがいい」
「愛里寿ちゃんはしっかりしてるね。私とは大違いだよ」
みほはまだまだ心が弱く、大人になりきれていない。それに比べて、愛里寿は受け答えがはっきりしており、みほよりも大人の雰囲気を漂わせている。
みほがそんな愛里寿の姿に感心していると、隣から鼻をかむ大きな音が聞こえてきた。
「バ、バカっ! 鼻をかんでいいとは言ってないぞ!」
「ごめんですわ。つい癖で……」
「うわっ、べとべとだ。思いっきり出しすぎだろ……」
「いっぱい出たからお鼻もすっきりですわ」
「満足気に言うなっ!」
ローズヒップとルクリリが騒ぎ始めたことで、さっきまでの寂しい空気はすっかり霧散してしまった。つくづくシリアスな空気が長続きしない二人である。
みほはいつものように仲裁に入ろうとするが、一輌のマチルダⅡがこちらに向かってきたのを見て動きを止めた。
周囲を見渡すと待機していた他のクルセイダーの姿が消えており、車内の無線からは応答を求める声が聞こえてくる。みほ達が話に夢中になっている間に、すでにマチルダ隊の訓練は終了していたようだ。
マチルダⅡはクルセイダーの前で停止し、キューポラからシッキムが姿を見せた。シッキムの表情からはみほ達を心配している様子がうかがえる。
「みなさん目が真っ赤ですけど、何かありましたの? 無線で呼びかけても反応がなかったので、アールグレイ様が心配なさっていましたわよ」
「問題ない。訓練への参加が遅れたのは私の責任。アールグレイ隊長にはあとで謝罪するので、そう報告してほしい」
「わ、わかりましたわ。すぐにアールグレイ様に連絡します」
愛里寿からの矢継ぎ早な回答に圧倒されたシッキムは、無線でアールグレイと連絡を取っている。愛里寿はその隙にみほ達に向かって目配せをした。愛里寿の視線の先にあるのはクルセイダーのハッチだ。
愛里寿の意図を察したみほはクルセイダーに搭乗し、ローズヒップとルクリリもあとに続く。全員が持ち場につくと、ローズヒップがクルセイダーのエンジンを始動させ発進準備は即座に完了。あとは車長である愛里寿の到着を待つのみとなった。
「準備が整ったので今から訓練に参加する。クルセイダー隊は今どこへ?」
「アールグレイ様、少々お待ちください。クルセイダー隊なら砂地エリアに向かっていますわ」
「わかった。感謝する」
アールグレイと無線でやり取りしているシッキムに感謝の意を伝えると、愛里寿はクルセイダーに乗りこんだ。
「余計なことを悟られないうちにこの場を離脱する。目的地は砂地エリア」
「がってん承知の助でございますわ!」
ローズヒップの巧みな操縦で、クルセイダーはあっという間にマチルダⅡから離れていった。
愛里寿は演習場の地図を見ながら、ローズヒップに最短ルートの指示を出す。そんな愛里寿を横目で見ながら、みほはあることを考えていた。
みほの脳裏に浮かんだのは、愛里寿のように振る舞えれば母との約束を果たせるのではないかという考えだ。希望的観測にすぎないかもしれないが、天才である愛里寿を目標にするのは悪い案ではないように思えた。
この日から、愛里寿はみほの目指すべき目標になったのである。
時刻は夕方。
一日の授業を終えたみほ達は帰宅の途についていた。もちろん、みほの部屋で暮らすことになった愛里寿も一緒だ。
四人は楽しく話をしながら歩いており、今話題になっているのは今日のお茶会であった。
「今日のお茶会のダージリン様はご機嫌だったな。訓練に遅れたのもそんなに怒られなかったし、これも全部愛里寿のおかげだ」
「愛里寿ちゃん、ダージリン様の話に一人だけついていけてたもんね。誰の格言なのかすらすら答えちゃうのは本当にびっくりしたよ」
「あんなに楽しそうにお話するダージリン様は初めて見ましたわ。今のわたくしでは愛里寿さんには歯が立たないですわね……」
ダージリンの格言を織りまぜた小難しい言い回しも、愛里寿にはまったく問題にならなかった。
愛里寿はダージリンが引用した格言やことわざをすぐさま理解し、うまい言い返しで会話を盛りあげたのだ。自分の話についてこれる人がいるのがうれしかったのか、ダージリンの引用した言葉はいつもの倍近かった。
「本を読むのが好きだったから答えられたの。私が小さいころ、お母様がよく偉人伝を買ってきてくれたから」
「偉人伝とか表紙すら見たことないな。私が小学生のころはほぼ漫画しか読んでなかったぞ」
「私はお姉ちゃんと一緒に戦車の図鑑ばっかり見てたよ」
「わたくしも似たようなものですわ。後悔先に立たずとは、まさにこのことでございますわね」
何気なくことわざを使っているローズヒップだが、みほはローズヒップがその手の本をよく読んでいるのを知っている。
ローズヒップの努力の成果が少しづつ出ているのをみほは微笑ましく思った。
みほ達は女子寮に向かって歩いているが、普段とは違いコンビニには立ち寄らない。今日は他に行かなければならない場所があるのだ。
四人がコンビニの代わりに足を止めた場所。それは女子寮の近くにあるスーパーマーケットだった。
「愛里寿ちゃん、何か食べたいものはあるかな? 簡単な料理なら作れるからなんでも言ってね」
「本当にいいの?」
「今日は愛里寿の歓迎会だからな。主役が遠慮する必要はないぞ」
「お味のほうも心配しなくて大丈夫ですわよ。わたくし達はお料理が得意なんですの」
愛里寿はしばらく考えたあと、ある料理の名前を口にした。
それを聞いたみほは一瞬顔が曇りそうになったが、すんでのところで持ちこたえる。愛里寿が食べたいといった料理は、エリカが好きだった料理と同じだったのだ。
「じゃあ、ハンバーグがいいな。ハンバーグに目玉焼きが乗せてあるのが好きなの」
食材を買いこんだみほたちは女子寮へと帰ってきた。
愛里寿は管理人から女子寮の説明を受けるため応接室に向かい、ローズヒップとルクリリもいったん自分の部屋へ向かう。今日の歓迎会はパジャマパーティーも含まれているので、準備をする必要があるからだ。
女子寮では管理人の許可さえあれば、他の寮生の部屋に泊まるのも可能であった。
聖グロリアーナは会話術の授業があるほど、会話スキルを磨くのを重要視している。淑女を目指すのであれば、相手を不快にさせない上品な会話ができるのは必要不可欠だ。
それにジョークなどを加えてユーモアな会話ができれば完璧なのだが、授業だけでそれを身につけるのは難しい。
そのユーモアセンスを磨くべく、聖グロリアーナでは生徒同士の交流は積極的に行うよう勧められていた。寮生同士のお泊り会が許されているのもその一環である。
「みんなが来る前に少し片づけておかないと」
自室に戻ったみほは片づけを開始した。短期間とはいえ、これからは愛里寿もこの部屋で暮らすのだから、だらしない姿は見せられない。
「あっ……」
みほがボコのぬいぐるみがたくさん置かれている棚を整理しようとしたとき、棚に飾られている写真立てが目に入った。写真立ては二つあり、それぞれ別の写真が収められている。
一つはみほとローズヒップとルクリリの三人が笑顔で写っている写真。そしてもう一つは、小さいころに家族で一緒に撮った写真であった。
写真の中の家族は本当に幸せそうで、みほも笑顔でまほと手をつないでいた。
「お姉ちゃん……」
まほのことを思うとみほは胸が苦しくなる。まほに大嫌いと言ってしまったのは、みほにとって悔やんでも悔やみきれない失言だった。
今になって思えば、中学時代のまほが厳しかったのは全部みほのためだったのがわかる。まほの言う通りにしていたおかげで、みほは母に怒られることもなかったし、戦車道でも優秀な成績を収められた。
それに、西住流のライバルである島田流には天才の愛里寿がいるのだ。
流派が違う愛里寿とは、いずれ対決しなければならないときが来るかもしれない。そう考えれば、まほがみほに厳しく接したのも納得できる。今のみほでは愛里寿には逆立ちしても勝てないからだ。
「逸見さんの言う通りだった。お姉ちゃんは私のためを思って忠告してくれてたのに、何も知らない私はそれを疎ましく思って拒絶した。中学時代の私はどうしようもない愚か者だったね」
まほと昔のように仲良くすることはもうできないかもしれない。
それでも、みほはまほともう一度会って話がしたかった。仲違いしてしまったとしても、まほはみほの大切な家族なのだ。
みほの部屋に全員が集まったところで、さっそく歓迎会の準備が始まった。
みほ達が料理を作っている間に愛里寿は食器を並べている。主役である愛里寿は何もしなくてよかったのだが、どうしても手伝いたいと言うので料理以外の仕事を頼んだのである。
愛里寿が手伝ってくれたおかげで歓迎会の準備は滞りなく終わった。
テーブルの上には、愛里寿のリクエストである目玉焼きハンバーグが四つ。ご飯やサラダ、飲み物の準備もばっちりであった。
「愛里寿さんの聖グロリアーナご入学を祝って乾杯するでございますわ」
「おいおい、愛里寿はまだ入学してないぞ。あくまで体験入学だからな」
「細かいことは気にしなくていいんですの。さあ、愛里寿さん。一言あいさつをお願いしますわ」
「あいさつ……何を言えばいいの?」
「そんなに難しく考えなくても大丈夫。お友達同士なんだもん、簡単なあいさつでいいよ」
愛里寿はグラスを持って立ち上がったが、なかなか言葉が出てこない。どうやらかなり緊張しているらしい。
「えっと、今日は私のために歓迎会を開いてくれてありがとう。短い間だけど、これからよろしくお願いします」
愛里寿は赤い顔で頭を一つ下げると、すぐに座ってしまった。
「それでは、かんぱーいですわ!」
愛里寿が座りこんでしまったので、乾杯の音頭はローズヒップがとった。ローズヒップの行動力はこういうとき頼りになる。
乾杯も終わり、四人は食事に移った。
愛里寿はハンバーグをおいしそうに食べている。ハンバーグは焼きかたや味つけによって好みが分かれる料理であるが、みほ達の作ったハンバーグは愛里寿の口に合ったようだ。
「こんなにおいしいハンバーグが作れるなんて、みんなすごいね。私にも作れるかな?」
「愛里寿ちゃんならすぐ作れるようになるよ。私も聖グロリアーナに入学するまでは料理を作ったことがなかったんだ」
「聖グロリアーナは調理実習が必修科目だからな。私も最初は苦労したよ」
「作りかたはわたくし達が教えますので、今度一緒に作ってみてはいかがでございますか?」
「うん。みんなと一緒にハンバーグが作れたら、きっとすごく楽しいと思う」
愛里寿とハンバーグを作る約束をしたみほ達は、そのあとも会話を弾ませながら食事を楽しんだ。まほのことで悩んでいたみほであったが、それを忘れるぐらい心安らぐひとときであった。
食事のあとはパジャマパーティーの時間である。
食事の片づけと入浴を交互にすませ、みほ達は全員すでに寝間着姿になっていた。
みほと愛里寿の寝間着はボコの着ぐるみ型パジャマ。ボコの頭部を模したフードを被ることで、ボコと同じ姿になれるマニアにはたまらない逸品だ。
ローズヒップの寝間着はピンク色のネグリジェ。下半身部分はショートパンツ型であり、動きやすさを重視したデザインであった。
ルクリリの寝間着は浴衣。薄い紫色をした上品な柄の浴衣は、髪を下ろしたルクリリによく似合っていた。
「今日はみんなでこのDVDを見ようね。私のボコグッズの中でもとっておきのレア物なんだよ」
みほは上機嫌でボコのDVDの再生準備をしている。大好きなボコのアニメを友達と見られるのが、みほはうれしくてしょうがないのだ。
それは愛里寿も同じようで、表情は満面の笑み。冷静沈着な天才児の姿はすっかり鳴りを潜め、今は年相応な小学生の姿に戻っていた。
DVDの準備が整うとみほは部屋の明かりを消した。
オープニングが終わり本編が始まると、最初に登場したのはボコではなく青い目をした銀色のワニ。どうやらこのワニが今回のボコの対戦相手のようだ。
『ついにやってきたワニ!』
ボコのDVDを見終わったみほ達は就寝の準備をしていた。
みほの部屋にある寝具は、ベッドが一台と来客用のふとんが二組しかない。四人で相談した結果、みほと愛里寿がベッドで一緒に寝ることになり、ローズヒップとルクリリがふとんで寝ることになった。
みほ達より先に就寝準備を終えたローズヒップとルクリリは、ふとんの上でさっき見たボコのDVDについて話している。
「それにしても、あのワニは嫌なキャラクターだったな。思い出すだけでむかむかする」
「嫌味と皮肉ばかりが目立つキャラクターでございましたからね。人気が出なかったのも当然ですわ」
ボコのテレビシリーズはボコが喧嘩を売るのがお決まりのパターンなのだが、銀色のワニはボコに喧嘩を売ってくるキャラクターであった。嫌味と皮肉たっぷりのセリフでボコをあおり、怒ったボコを文字通りぼこぼこに打ちのめしたのである。
銀色のワニはワンパターンからの脱却のために作られた革新的なキャラクター。
しかし、不評だったせいですぐに画面から消えた。ボコマニアの間であのDVDがレア物扱いなのは、幻のキャラクターと呼ばれている銀色のワニが登場する唯一のDVDだからだ。
「このまま寝るのは精神衛生上よくないな。気分を変えられるようなことでもするか?」
「それなら、わたくし一回やってみたいことがあったのでございますわ」
「気分転換できるならなんでもいいぞ。それで、何をやりたいんだ?」
ローズヒップはルクリリの質問には答えず、枕片手にゆっくりと立ち上がった。そのまま素早い動作で距離を取るとルクリリめがけて枕を投げつける。
ローズヒップの投げた枕は見事にルクリリの顔面に命中。ローズヒップのやりたいのは枕投げだったのだ。
「よくもやったな。お返しだ」
「おほほほほ、そんなスローリィな攻撃、わたくしには当たりませんわ」
ルクリリの投げた枕をローズヒップは難なくかわす。動きやすい格好をしているので、枕のような投げにくいものは簡単に回避できてしまうようだ。
ルクリリは追撃を加えるため、手近にあったボコのぬいぐるみを手に取った。比較的小さいサイズなので枕よりも投げやすい。
「これならどうだ!」
「あだっ!」
ルクリリが投げたボコのぬいぐるみは、ローズヒップの顔面にクリーンヒットした。
攻撃が当たったことでルクリリの顔には笑みがこぼれている。この部屋がボコマニアの巣窟なのをルクリリはすっかり忘れているようであった。
「ボコを投げるなんて、ひどいよルクリリさん」
「ボコの仇。覚悟」
「こらっ、二人いっぺんはずるいぞ!」
みほと愛里寿のダブル枕攻撃がルクリリを襲う。
負けじと反撃するルクリリだが一対二では圧倒的に不利だ。
「ルクリリ、加勢いたしますわ」
「よし、ローズヒップは私の盾になれ」
「そんなの嫌ですわ。ルクリリが盾になってくださいまし」
「こうなったのはお前のせいだろ」
助太刀に入ったローズヒップであったが、ルクリリとの息はまったく合っていない。
それに対し、みほと愛里寿のコンビネーションは抜群のキレを見せている。
「愛里寿ちゃん、次はダブルボコアタックでいこう」
「わかった」
「ちょっと待てー! ラベンダー達もボコを投げてるじゃないか!」
枕とボコが飛びかう白熱の戦いはその後しばらく続いたが決着はつかなかった。寮生からの苦情で駆けつけた管理人にしこたま怒られ、全員廊下に正座させられたからである。
色々な出来事があった愛里寿の体験入学初日は、こうして幕を閉じたのであった。