聖グロリアーナのクルセイダー隊が一方的に押されている状況に観客席は大盛り上がり。
判官びいきの観客と大洗女子学園の応援団にとっては、理想的ともいえる試合展開。応援にも熱が入るし、ボルテージもどんどん上がっていく。
それとは対照的に、聖グロリアーナ側は静かに試合を見守ることしかできない。
その聖グロリアーナ側の観客席の中にカモミールとアサミの姿があった。
カモミールの黒目がちな瞳には大粒の涙が溜まっており、ときおりぐしぐしと制服の袖で涙をぬぐっている。
「泣いているのですか?」
「アサミ姉さん、私は悔しいです。どうして私はみんなと一緒に戦えないんだろうって考えると、涙が止まらないんです」
「それは仕方ありません。あなたは病み上がりなのですから」
「でもっ!」
カモミールは涙でぐちゃぐちゃになった顔でアサミに反論しようとする。
そんなカモミールをアサミは優しく胸に抱き入れた。
ダメ姉一直線だったころのアサミだったら、間違いなくビンタしていただろう。この短期間で彼女もずいぶん大人になったようだ。
「この程度で泣いていたら妹たちに笑われますよ。あなたにはまだ来年がある。この悔しさは次の機会に晴らしなさい」
「……私……もっと強くなります。もう……みんなに……迷惑かけません」
カモミールは嗚咽交じりの声で言葉を絞り出す。
この経験はカモミールにはつらい出来事かもしれない。それでも、この失敗を活かして前に進むことはできる。成長した彼女は、来年きっとこの場所に帰ってくるだろう。
「しっかりお姉ちゃんしてるねー。感心感心」
「そう言うあなたは妹さんの暴走を止められなかったみたいですね、キクミさん」
アサミの視線の先にはキクミと愛里寿の姿があった。
どうやら、二人は少し遅れて試合会場に到着したらしい。
「ライオンちゃんにとっては、私よりあの子の言葉のほうが重いんだよ。なんといっても、人生を変えられちゃったからね」
「あの子はこの事態を予測してキクミさんの妹を調教したんじゃないですか? 手駒にするには最適ですから」
「ストップ。それ以上言うと怒るよ。私は妹をまともにしてくれたあの子に感謝してるんだから」
「……すみません。失言でした」
深々と頭を下げるアサミ。
友人相手でも彼女の生真面目さは変わらない。
「アサミ、状況を報告して」
「はい。聖グロリアーナはすでにクルセイダーを四輌失っています。それに対し、大洗はすべての戦車が健在です。序盤戦は大洗の圧勝でした」
「……そう」
アサミから試合経過を聞いた愛里寿は、手にしたボコのぬいぐるみを胸の前で抱きしめている。
友人が苦戦を強いられているのだ。表情には出さないが、愛里寿の心中は穏やかではないのだろう。
「大丈夫です! ラベンダー様はきっと大洗をボコボコにしてくれます!」
「ボコみたいに?」
「そうです! 喧嘩を売ってきたら即カウンターですよ!」
大きな声で愛里寿を励ますカモミール。
さっきまで大泣きしていたが、すでに気持ちを切り替えたようだ。
「ほらほら、ラベンダー様がⅣ号を追跡していますよ。元気いっぱい、テンションアゲアゲで応援しましょう」
「うん!」
二人が見つめる大型ビジョンに映っているのは、Ⅳ号戦車とそれを追う三輌のクルセイダーMK.Ⅲ。
序盤戦を終え、試合は中盤戦へと突入した。
◇
みほが率いるクルセイダー小隊は、路地裏に逃げこんだⅣ号を一列縦隊で追っていた。
路地裏は砲撃の手数も減るし、数の有利も活かせない不利な地形。それでも、追跡をやめるわけにはいかなかった。
もうすでに四輌もクルセイダーを失っているのだ。相手のフラッグ車を見失うような失態は犯せない。
「フラッグ車の撃破を急ぐ必要はありません。今は追いかけることに専念してください」
最後尾のみほは僚車にそう指示を下した。
この路地裏には必ず罠が用意してある。Ⅳ号を撃破するのはそれを見破ってからだ。
そのとき、大洗がついに動きを見せた。
Ⅳ号が十字路を通過した直後、一輌の戦車がいきなり横から現れ、十字路を塞いだのである。
現れたのはフランス製の重戦車、ルノーB1bis。
クルセイダーはスピードを出していたが、重量があるルノーB1bisを弾き飛ばすことはできず、先頭車と後続車は激突して停止してしまう。
「後退してください。ただし、曲がり角の前では急停止を忘れないように」
「任せてくださいまし!」
この先には左に入れる道がある。そのほんの少し手前で、勢いよくバックしていたクルセイダーは急停止。決勝戦という大舞台でもローズヒップはみほの要求に的確に応えてくれる。
すると、一発の砲弾が左の道から飛んできた。何も考えずに後退していたら車体の側面を撃ち抜かれていたのは間違いない。
みほは市街地の地形を頭に叩きこんでいる。大洗が十字路を塞いだ時点で、この場所を待ち伏せポイントにしているのはお見通しだった。
みほはクルセイダーを再び後退させて左の道を確認した。
待ち伏せしていたのは三式中戦車。前面装甲は50㎜しかないので、クルセイダーの6ポンド砲ならこの距離でも装甲を抜ける。
そこからのみほの判断は早かった。
「砲塔旋回。まずは三式中戦車を撃破します」
「はいですの」
ベルガモットは素早く砲塔を旋回し、三式中戦車に向かって砲撃を放つ。
57㎜口径の6ポンド砲はいともたやすく三式中戦車の装甲を撃ち抜き、大洗に初の白旗を上げさせた。
「次はルノーを仕留めます。次の角を左に曲がってください」
「了解でございますわ」
ルノーB1bisは車体前面と側面の装甲は60㎜と厚いが、背面の装甲は55㎜。至近距離ならクルセイダーでも撃破可能である。
みほのナビゲーションでクルセイダーは狭い路地裏を進む。もちろん、スピードはいっさい落とさない。ルノーB1bisが同じ場所に留まっているとは限らないからだ。
最短距離を猛スピードで駆け抜けた結果、クルセイダーはルノーB1bisの背後をつくのに成功。近距離で放った6ポンド砲によって、ルノーB1bisも白旗を上げた。
二輌の戦車を撃破したみほは、クルセイダーのハッチを開け砲塔の上に躍り出た。ティーカップを手に持ちながら戦車に立つみほの姿は、勇ましさと優雅さの両方を兼ね備えている。
次の獲物であるⅣ号は必ず近くにいるはずだ。みほが自分の直感を頼りに索敵をしていると、大通りの方向に逃げるⅣ号の姿を発見した。
「フラッグ車は大通りに向かっています。隊長車が先行しますので、あとに続いてください」
みほは僚車のクルセイダーに命令を飛ばしたあと、Ⅳ号の追跡を再開する。
みほの手がⅣ号に届くのはもはや時間の問題だ。
◇◇
M3中戦車に二輌のクルセイダーを撃破され、逆に自分が追われる羽目になったハイビスカス。
校舎が立ち並ぶエリアでM3中戦車に決闘を挑んだものの、一度傾いた流れを止めることはできず、苦境に立たされていた。
「いやー、あずっちも強くなったねー。ちょっと前まではあたしが圧倒してたんだけどなー」
「このままでは小隊は全滅ですわ。どうするおつもりなんですの?」
砲手の少女の問いかけに、ハイビスカスはなにやら思案顔。
憂いを帯びたハイビスカスの表情はまるで美の化身。その威力は砲手の少女が思わず見とれてしまうほどだった。
「よし。リミッター外そう。くまっち、よろしく頼むじゃん」
「正気ですか!? ガバナーを解除したらすぐにエンジンが壊れますよ!」
「それぐらいしないと勝てないよ。今日のあずっちはものすごく勘が冴えまくってるし」
M3中戦車はクルセイダーの動きを予測し、つねに先手先手を打ってくる。
梓がこんなに勘が鋭いとは知らなかった。能ある鷹は爪を隠すというが、梓の天性の勘はまさにそれだ。
「……わかりました。ここでM3を道連れにしましょう」
「死なばもろともってやつだね。それじゃ、いっくよー!」
リミッターを解除し、時速60km近いスピードで疾走するクルセイダー。
スピードを殺さずに校舎の陰から飛び出したクルセイダーは、M3中戦車に向かって砲弾を発射。砲撃は外れたものの、M3中戦車の反応は明らかに遅れていた。
勘の良さを誇っていた梓もリミッターを解除したクルセイダーの動きにはついてこれないようだ。
「さすがのあずっちも戸惑ってるみたいだし。このまま縦横無尽に走り回って、隙を見て一気に叩くよ!」
梓がすべてを先読みできる超能力者でもない限り、こちらの勝利は揺るがない。
そんなハイビスカスの思惑は次の瞬間、もろくも崩れ去った。校舎脇を走っていたクルセイダーの車体側面に砲弾が直撃したのである。
白旗が上がったクルセイダーの車内でハイビスカスが唖然としていると、M3中戦車の車体に一人の少女が降り立ったのが目に飛びこんできた。
彼女の名は犬童芽依子。M3中戦車の主砲装填手を担当している忍者少女だ。
種がわかればなんてことはない。梓の勘が鋭かったのは、芽依子が校舎の屋上でナビゲーションをしていたからだ。
「参った参った。あずっちに一杯食わされたじゃん。はぁ……負けるのってこんなに悔しいんだね……」
ハイビスカスの夏は終わった。
だがしかし、この敗北の経験はきっと彼女の糧となるだろう。
◇◇◇
一方そのころ、団地エリアではマチルダ隊と大洗の戦車隊が激しい砲撃戦を繰りひろげていた。
大洗の戦車隊は全部で四輌。八九式中戦車、Ⅲ号突撃砲、38(t)。そして、88㎜砲搭載のポルシェティーガー。
このポルシェティーガーがマチルダ隊にとっての最大の難敵であった。
マチルダⅡは装甲の厚さが売りではあるが、88㎜砲相手では分が悪い。さらに、ポルシェティーガーの堅牢な装甲を抜くには、2ポンド砲では火力不足。マチルダⅡで重戦車の相手をするのは荷が重すぎるのだ。
そんな不利な状況にも関わらず、ルクリリの表情に焦りの色はなかった。
この試合はフラッグ戦。ポルシェティーガーを無理に倒す必要はないのである。
「うかつに前へ出てはダメよ。私たちの役目はフラッグ車の護衛、それを決して忘れないように。ラベンダーが相手のフラッグ車を撃破するまで耐えきれば、聖グロリアーナの勝ちですわ」
遮蔽物が多い団地エリアは、ルクリリの守備的戦術を活かせる絶好のフィールド。相手が重戦車だろうと、この鉄壁の防御はそう簡単には破れない。
ちなみに、ルクリリの口調は再びお嬢様言葉に戻っている。
決勝戦は聖グロリアーナの戦車道を貫く。みんなでそう決めたのだから、優雅とはいえない汚い言葉づかいは当然NGだ。
『ルクリリちゃん、ラベンダーちゃんを助けに行かなくていいんですか? ハイビスカスちゃんも撃破されちゃいましたよ?』
「すでにニルギリを増援に送っていますわ」
『ラベンダーちゃんはルクリリちゃんの助けを求めてますよ。だってそうでしょ? ラベンダーちゃんの一番の理解者は、あなたとローズヒップちゃんなんですから』
バカめ、だまされるか。そう言いたい気持ちをルクリリはぐっとこらえた。
ルクリリがいなければこの守りは維持できない。ダンデライオンは大洗を自然な形で勝利させるために、ルクリリをこの場から遠ざけようとしているのだ。
本音を言えば、ルクリリだってラベンダーを助けに行きたい。けれども、それをしたら彼女の信頼を失ってしまう。
ルクリリがフラッグ車の守備に徹するのは、ラベンダーを真に理解しているからこそだ。
「私がここを離れたら防衛線が崩壊します。その命令は断固拒否しますわ」
『仕方ありません。あなたがその気ならあたしにも考えが……ん? なんですか、オレンジペコちゃん。あたしは大事な話の途中……』
ダンデライオンの言葉はそこで途切れた。
不思議に思ったルクリリが耳を澄ますと、無線からはダンデライオンの悲鳴じみた声が聞こえてくる。どうやら、チャーチルの中でただならぬ事態が起こっているようだ。
しばらくすると、ダンデライオンの声は完全に消え、無線は沈黙する。
ルクリリが試しに呼びかけてみると、次に無線に出たのはチャーチルの装填手、オレンジペコだった。
『ルクリリさん、オレンジペコです。今から私がチームを指揮しますね』
「……いいのか、ペコ? あとで問題になるぞ」
『構いません。それに、私は問題児カルテットの一員ですから。問題行為の一つや二つ、今さらどうってことないです』
おそらく、オレンジペコはダンデライオンを力でねじ伏せたのだろう。彼女もたくましくなったものである。
『大洗の戦車を二輌撃破したとラベンダーさんから連絡がありました。まだまだ勝負はこれからです』
「そうだな。そのためにも、まずはここをしっかり守ろう。そうすれば、ラベンダーも安心して戦える」
『はい。全車に通達。これより、チーム全体の指揮は隊長代理のオレンジペコがとります』
聖グロリアーナ女学院の懸念事項はこれでなくなった。
あとは大洗女子学園と雌雄を決するだけである。
◇◇◇◇
体調不良のダンデライオンにかわって、オレンジペコが指揮をとる。
この情報はまたたく間に全車輌を駆けめぐり、ジャスミン小隊の生き残りであるクルセイダーMK.Ⅲにも伝わった。
「隊長は拘束されてしまったみたいですわ」
「実力行使に出るなんて、オレンジペコさんも大胆なことをしますね」
「かわいそうな隊長。今ごろチャーチルの中で泣いていますわ」
車長兼装填手の最上、砲手の
物語の登場人物で例えるなら、彼女たちの役柄はダンデライオンの取り巻きABC。一年生のころからずっと行動を共にし、ダンデライオンが矯正されても態度を変えなかった数少ない隊員である。
彼女たちはダンデライオンを裏切らないし、ダンデライオンも彼女たちを頼りにしている。なので、このような事態になった場合の対策も事前にしっかりと打ち合わせていた。
「隊長の意思は私たちが継ぎます。フレンドリーファイア作戦を開始しますわ」
「ラベンダーさんは大通りでカニのクルセイダーと交戦中。タイミング的にはばっちりですね」
「ラベンダーさんがいなくなれば、聖グロリアーナは総崩れですわ」
大洗がクルセイダーを使用しているのだから、誤射は普通にあり得る展開。乱戦ならそれはなおさらだ。
ジャスミン小隊を壊滅させたクルセイダーの実力はラベンダーにも匹敵する。ラベンダーが外野の動きに意識を向ける余裕はないだろう。
「仮に私たちが失敗しても、こちらにはまだルフナさんがいますわ。いざというときは相打ち覚悟で突撃しますわよ。戦車前進、目標はラベンダーさんのクルセイダーMK.Ⅲですわ」
裏切り者のクルセイダーがいよいよ動き出した。