私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第五十五話 聖グロリアーナ女学院対黒森峰女学園 後編 

 ティーガーⅡが川に落ちた瞬間、みほの心に様々な思いが去来した。

 聖グロリアーナを勝利に導ける。まほを救うことができる。

 黒森峰の隊員を助けなければならない。見殺しにしてはいけない。

 西住流は勝利を目指して前進する流派。勝つためなら多少の犠牲はやむを得ない。

 聖グロリアーナの戦車道はいかなるときも優雅。他人を犠牲にするような野蛮な行為は慎まなければならない。

 多くの思考が頭をかすめるが、みほが悩んだのはほんの一瞬だった。

 ティーガーⅡに砲撃をしなかった時点で、みほの答えはすでに決まっていたのだ。

 

「止まってください!」

 

 クロムウェルを停車させたみほは戦車から飛び降り、崖の斜面を滑るように下りていく。

 西住流の後継者になったあの日から、みほは日々のトレーニングで体を鍛えている。この程度の斜面を下りることなど造作もない。

 

 崖を難なく下りたみほは、ためらうことなく荒れ狂う川へと飛びこんだ。

 そのままティーガーⅡが水没した地点まで泳いでいくと、数人の黒森峰の隊員が水面に浮かび上がってきた。

 どうやら、彼女たちは自力で戦車から脱出したようだ。しかし、これで状況はさらに深刻化したといえる。

 ハッチを開ければ車内は一気に浸水してしまう。逃げ遅れた隊員がいたら命はない。

 

 水面に上がってきた隊員は四人。

 ティーガーⅡの乗員は基本五名なので、人数が一人足りないことになる。戦車の中に置き去りにされた隊員がいるのは間違いないだろう。

 だが、いくらみほが鍛えているとはいえ、水没した戦車に突入するのは容易ではない。下手をすればみほも命を落としかねない危険なミッションである。

 さらに厄介なことに、水面に上がってきた四人はひどく狼狽している。混乱している彼女たちが無事に岸へたどり着けるかはまったくの不透明だ。

 

「ラベンダー! 助けに来ましたわよ!」

「大丈夫ですか! ラベンダー様!」

 

 悩むみほの元へ駆けつけてくれたのはローズヒップとカモミールであった。

 自分は一人ではない。その事実がみほにさらなる勇気を与えてくれる。

 

「私は車内に取り残された人を助けにいきます。二人はこの人たちを岸に案内してください」

 

 二人にあとを託し、みほは水中へと沈んでいった。

 目指すティーガーⅡは目と鼻の先。あとは一気に突き進むのみだ。

 

 

 

 

「どどど、どうしよう! ティーガーⅡが川に落ちちゃったよ!」

 

 ヤークトパンターの車内でエミは慌てふためいている。

 仲間が崖から落ちるシーンを目撃してしまったのだ。小心者のエミがパニックになるのも無理はない。 

 

「車長が真っ先に取り乱してどうすんのよ。エミ、あんたは大会本部に救援を要請しなさい。いい、わかったわね!」

「はい!」

 

 エリカに大声で念を押されたエミはすぐさま無線機に手を伸ばした。

 ヤークトパンターの車長を任されているエミは、決して無能ではない。やるべきことがわかれば最善を尽くすだろう。 

 

「エリカ、クロムウェルを撃たないのか?」

「下で救助活動してるのに撃てるわけないでしょ。くだらないこと言ってないで、私たちも助けに行くわよ」

 

 茜の問いかけをエリカは一蹴する。それに対し、茜は納得がいっていない表情。

 どうやら、彼女はまだ何か言いたいことがあるようだ。

 

「ここで撃たなかったらまた総スカンを食らうぞ。そんなことになったら、もうお前は隊長にはなれない。それでもいいのか?」

「茜、戦車道は戦争じゃない。味方を救ってくれた恩人を撃つような恥知らずな真似はできないわ」 

 

 真剣な表情で向かい合うエリカと茜。

 一触即発の空気が漂うなか、先に折れたのは茜のほうだった。

 

「……わかったよ。あたしの負けだ」

「悪いわね。来年もあなたの運転のお世話になると思うけど、よろしく頼んだわよ」

「おうよ。来年はお前を痔にしてやるから覚悟しろ」

 

 笑顔を浮かべながら軽口を叩く茜。

 エリカも茜に向かって笑みを返すと、ヤークトパンターのハッチへと向かう。

 そのとき、今まで黙っていたヒカリがエリカに声をかけた。

 

「エリカの選択は正しい。私とマウスメンバーは全力でお前を支持する」

「ありがとう。あなたも付き合ってくれるわよね?」

「もちろんだ。早く小梅たちを助けに行くぞ!」

 

 エリカはヒカリと連れ立ってヤークトパンターをあとにした。

 外は戦車の中とは別世界。雨は滝のように降り注ぎ、風がうなり声をあげて吹きすさぶ。

 自然の脅威と化した川のスピードはさらに勢いを増していた。

 

 

◇◇

 

 

 ティーガーⅡの車内に取り残されていた赤星小梅を救出したみほであったが、まだ岸にはたどり着けていなかった。

 腕の中の小梅は意識を失っており、みほは小梅を抱えながら泳いでいるのだ。いくらみほが鍛えているといってもそう速くは泳げない。

 それに加え、雨脚が強くなったことで川の流れも速くなっている。

 水の流れる力は容赦なくみほの体力を奪っていき、疲労はすでに限界寸前。今は気力を振り絞って前に進んでいるが、気持ちが切れた瞬間にみほの命は露と消えるだろう。

 

「ごめんね、赤星さん。私がもっと強い子だったらあなたを助けられたのに……」

 

 絶望的な状況のなか、ついにみほの口から弱音がこぼれる。

 西住流の後継者になってから人前で弱い姿を見せたのはこれが初だ。みほは体面が保てないほど追いつめられていた。

 

「ラベンダーは強いわよ。こうやって他人のために命をかけられるんだからね」

「えっ……」

 

 もうろうとした意識の中でみほが声のしたほうに顔を向けると、逸見エリカの姿が目に飛びこんできた。

 なぜ彼女がここにいるかなんて考えなくてもわかる。エリカはみほを助けに来てくれたのだ。 

 

「エリカさん……」

「まったく。だから無茶するなって言ったのよ……私の話を素直に聞かないところは昔と変わってないわね」

「ごめん。私、エリカさんに迷惑かけてばっかりだね」

「反省は後回しよ。みんなが引っ張ってくれるから、私にしっかりつかまってなさい」

 

 よく見るとエリカの体にはロープが巻きつけられていた。

 ロープの先は岸に続いており、クロムウェルの乗員とヤークトパンターの乗員がロープを手にしている。

 そこには、あとから合流したであろうベルガモットとニルギリ。さらに、先に脱出したティーガーⅡの乗員の姿もあった。

 

 その光景を目の当たりにしたみほの目から涙がこぼれていく。

 敵味方関係なく助け合う光景は美しいの一言に尽きる。みほは幼少期から戦車道に関わってきたが、こんな光景を見たのは生まれて初めてだ。

 

 戦車道には人生の大切なすべてのことが詰まっている。以前、継続高校の隊長に言われたことがみほの脳裏をよぎった。

 あのときのみほは彼女の言葉がよくわからなかったが、今なら理解できる。

 人生において、人とのつながりというのはもっとも大事なもの。戦車道は人と人を結びつけることができる、とってもステキな武道だったのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 準決勝第二試合は聖グロリアーナ女学院が勝利した。

 結果だけ見れば、聖グロリアーナ女学院が去年のリベンジを果たしたことになり、おもしろい結果になったといえるのかもしれない。

 しかし、この試合に関しては勝敗など些細なことにすぎなかった。

 

 人々の関心は少女たちの決死の救助活動に集約され、大きな話題となった。

 自らの危険をかえりみず救助に向かった彼女たちの行動は正しかったのか、それとも間違っていたのか。マスコミにも取り上げられたその議論は、様々な媒体で度々討論されるほどであった。

 正解などありはしないその議論に、人々は今日も答えを出そうと躍起になっている。

 

 そんな中、犬童家の屋敷では当主と頼子が別のことで議論を交わしていた。

 議題は犬童家にとって大きな問題になりつつある、大洗女子学園の廃校についてである。

 

「大洗女子学園は決勝に進出し、黒森峰女学園は準決勝敗退。おまけに、みほ様のとった行動は連日世間を騒がしている。状況は悪化の一途をたどっているな」

「お父様、申し訳ありません! 頼子が至らぬせいで、お父様にご迷惑をおかけしてしまいました……」

 

 畳の上で正座し深々と頭を下げる頼子。

 体を小刻みに震わせるその姿は叱責を恐れる幼子のようだ。

 

「頼子を責めるつもりはない。私も大洗女子学園を甘く見ていたからな」

「お父様……」

 

 慈愛に満ちた表情で頼子の頭を優しく撫でる犬童家の当主。

 しかし、彼が穏やかな表情を浮かべていたのはここまでだった。

 

「こうなった以上、もはや手段を選んではおられん。大洗女子学園には必ず廃校になってもらう」

「でも、大洗はもう素人とは呼べないレベルまで成長していますよ。それに、聖グロリアーナはOG会が支援を打ち切ると言い出して大騒ぎになってます。足並みがそろっていない聖グロリアーナが大洗に勝てるとは思えないですよぉ」

「聖グロリアーナのほうは私がなんとかしよう。納得できる答えを提示してやれば、OG会はおとなしくなるはずだ」

 

 裏工作は犬童家の得意とするところ。

 これまでの実績で培った人脈を駆使すれば、聖グロリアーナのOG会に渡りをつけることは可能であった。 

 

「頼子、大洗は自動車部がすべての戦車の最終点検をしていると言っていたな。それもたった四人で」

「はい。その自動車部もポルシェティーガーで決勝戦に参加するつもりみたいですぅ」

「失敗兵器まで投入するとなると、整備はもっと大変になるな。大事な決勝戦で故障する戦車が出なければいいが、そうもいかないだろう。なんせ人員が四人しかいないんだ。整備ミスの一つや二つは起こり得る」

 

 そう断言した犬童家の当主は不敵な笑みをもらす。

 悪い笑顔とはこういう顔のことを指すのだろう。

 

「お父様……まさか……」

「芽依子を大洗女子学園に入学させたのがここにきて役に立ったな。あの子なら誰にもバレずに細工ができる。頼子、芽依子の説得はお前に任せるぞ」

 

 第六十三回戦車道全国大会も残りは決勝戦一試合のみ。

 それと同時に、大洗廃校をめぐる裏の戦いもいよいよクライマックスを迎えようとしていた。

 

 それから数日後、聖グロリアーナ女学院の戦車道チームからある発表があった。

 ダージリン隊長の解任とダンデライオン新隊長の就任。 

 この人事がセットで発表されたことで世間に再び激震が走ることになる。


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