先に試合の流れをつかんだのはプラウダ高校であった。
三式中戦車を撃破したのを皮切りに、Ⅲ号突撃砲、八九式中戦車と立て続けに二輌を撃破。その戦闘の際にT-34を二輌失ったが、大洗とプラウダには最初から戦力差がある。
失った戦車の数が同じであれば、勝利の天秤はプラウダに大きく傾く。戦車を失えば失うほど大洗は追いつめられていくのだ。
「カチューシャ、残りは四輌です。次はどう動きますか?」
「雪原で撃ち合いをしてもプラウダには勝てない、それくらいは大洗も理解しているはずよ。そうなると、打てる手は限られてくるわ。玉砕覚悟でフラッグ車に突撃するか、それともどこかに身を隠して籠城するか。選択肢はその二択しかないでしょうね」
「破れかぶれで突撃してくるとなると、双方に怪我人が出るかもしれません」
「スポーツに怪我はつきものだけど、できればそんな事態は避けたいわ。武部沙織が愚かじゃないことを祈りたいわね」
やれやれといった感じで両手を軽く広げるカチューシャ。この試合に対する興味はすでに失われてしまったらしい。
「まほさんに期待するのはやめたんですか?」
「ノンナも見てたでしょ。カチューシャたちが今まで戦っていた相手は、西住まほじゃなくて武部沙織よ」
西住まほは試合中に一度も姿を見せていない。それどころか、彼女が何かしている様子すら感じられなかった。
拍子抜けとはまさにこのこと。西住まほは依然として負け犬のままだ。
『カチューシャ隊長! 大洗の戦車を発見しただ』
そのとき、戦車を降りて偵察に出ていた隊員から連絡が入った。
試合中のプラウダ高校は偵察を盛んに行っている。新鮮な情報は、作戦を練るのにもっとも重要な要素だからだ。
「大洗の連中はどこに雲隠れしていたの?」
『廃集落の教会の中に隠れでますた。四輌全部そろってら』
「よくやったわ。本隊が到着するまで、大洗を見張っていなさい」
『わがったべ』
これで試合の行く末は決しただろう。包囲戦術はプラウダ高校が一番得意としている戦術なのだ。
「大洗に引導を渡しに行くわよ。
『
カチューシャがロシア語で戦車前進と伝えると、隊員から勇ましい返事が返ってくる。雪が降り続く極寒の中での戦いだが、プラウダ高校の士気はまったく衰えていなかった。
廃集落へ向けて移動を開始したプラウダ高校。大洗の運命はまさに風前の灯であった。
◇
劣勢を強いられ廃集落の教会へと身を隠した大洗女子学園一同。
激しい戦いの連続で疲労はピークに達し、多くの仲間を失った精神的動揺は計りしれない。
それでも、彼女たちはまだ試合を諦めてはいなかった。
「梓ー、M3のペンキの塗り替え終わったよー!」
作戦会議に参加している梓にあゆみが声をかける。
背後のM3リーは白一色に塗り替えられており、まるで白磁の置物のようだ。
「じゃあ、次は後藤先輩と小山先輩を手伝ってあげて」
「了解。桂利奈と紗希は私についてきて。あやと優季はルノーのほうをお願い」
ウサギチームのメンバーにテキパキと指示を出すあゆみ。
さっぱりした性格のあゆみは、グループの風通しをよくするのに一役買っている。梓はそんなあゆみをサブリーダーに指名したようだが、どうやらうまく機能しているらしい。
「よっしゃー! やったるぞー!」
「ねえ、優季ちゃん。ペンキが髪に付いちゃったんだけど、これ取れるかな……」
「ほんとドジだな~あやは~」
「よりによって優季ちゃんに言われるなんて、サイアクー!」
わいわい騒ぎながら次の作業場へ向かうウサギチームの面々。
彼女たちは何があっても明るさを失わない。大洗女子学園の希望の光は簡単にくもりはしないのだ。
「武部ちゃん、塗り替えが終わったらどうすんの? みんなで突撃して乱戦にでも持ちこむ?」
「戦車の色が同じならプラウダの混乱を誘える。武部、会長の案を試してみよう」
「風紀委員はその案に反対します。怪我をするかもしれない危険な行為は認められないわ」
杏と桃の提案をみどり子がバッサリ却下する。
生徒の安全を守るのも風紀委員の仕事だ。討ち死に上等の特攻などもってのほかである。
「なんだと! それなら、お前には何かいい案があるのか? ないとは言わせんぞ!」
「あるわけないでしょ! 私はこの試合が初陣なのよ!」
桃とみどり子は口喧嘩を始めてしまう。
精神的に未熟なところがある桃と突然戦車道の世界に放りこまれたみどり子。追いつめられつつある状況も手伝って、両名ともかなりのストレスが溜まっているようだ。
「お二人とも、イライラする気持ちはわかりますが、ここは冷静になりましょう」
「秋山先輩の言うとおりです。それに、そろそろ芽依子も偵察から戻ってきます。作戦を立てるのは情報がそろってからにしましょう」
優花里と梓からやんわりと注意された桃とみどり子は、気まずそうに下を向いた。
最上級生がみっともなく取り乱してしまったのを恥じているのか、二人の頬は少し赤くなっている。
「それじゃあ、芽依子ちゃんが帰ってくるまで少し休憩しようか。華ー、スープをみんなに配ってー!」
準決勝の舞台が雪原ということもあり、沙織は温かいスープを用意していた。戦いには休養も必要なのだ。
沙織の号令で休憩に入る大洗の生徒たち。そんな中、スープに手すら付けず、教会の隅で毛布にくるまっている生徒がいた。
Ⅳ号戦車の通信手、西住まほだ。
「沙織、西住さんは重症みたいだ。一声かけてやれ」
「任せて。この前雑誌で、男を励ます魔法の言葉が載ってたから、それを試してみる」
「そんな本ばかり読んでいるからモテないんですよ。沙織さん、知識ばっかり貯めこむのはもうやめにしましょう」
華に厳しい言葉を投げかけられた沙織は、がっくりと地面に膝をついた。
モテないという言葉は、沙織を打ちのめす威力を持ったパワーワード。安易に使ってはいけないのだ。
「西住、いつまでそうしているつもりだ? お前には勝つ気がないのか?」
そのとき、打ちひしがれた沙織に代わって、桃がまほの前に立った。
先ほどの一件を反省しているのか、声のトーンは抑え気味になっている。
「カチューシャは去年の大会でMVPに選ばれた選手だ。勝てるわけがない」
「……この状況を打開しろとか、先陣を切って戦えとか言うつもりはない。やる気さえ見せてくれればそれでいい」
右手で左手の甲をつねりながら、空気を読んだ発言をする桃。その姿からは、爆発しそうな感情を必死に抑えているのがうかがえる。
「私に期待してもがっかりするだけだぞ。私にはカチューシャのような意志の強さも、みほのような才能もないからな」
桃の気持ちなどおかまいなしで、ネガティブな発言を繰り返すまほ。
さらっと妹の名前まで混ぜるあたりが、筋金入りのシスコンのまほらしい。
「いい加減にしろ! 西住、お前の根性はどこまで捻じ曲がってるんだ!」
怒りを爆発させた桃は、まほに向かってずんずん歩を進める。
人の本質はそうすぐには変わらない。ここまで我慢できただけでも上出来だ。
しかし、桃はまほに詰め寄ることはできなかった。
教会の天井から一人の人物が地面に降り立ち、桃の行く手をふさいだからだ。
「おい、びっくりしただろ! 犬童、心臓に悪い登場の仕方はやめろ」
桃の前に現れたのは犬童芽依子であった。
芽依子は偵察から戻ったばかりなのだろう。体は上から下まで全身雪まみれだ。
「河嶋先輩、まほ様を殴るおつもりですか?」
「止めるな、犬童。今日という今日はもう我慢ならん」
「殴るのを止めはしません。ただ、その役は芽依子がやります」
芽依子はそう言うと、まほの胸倉をつかんで強引に立ち上がらせ、強烈な平手を一発見舞った。
その一連の動作はまさに電光石火の早業。あまりの速さに、まほは受身も取れずに地面へ転がった。
「口を開けば、みほ、みほ、みほ。そうやって一生みほ様にすがって生きていくつもりですか? 自分を恥ずかしいとは思わないんですか?」
「……仕方ないだろ。私はみほみたいに強くないんだ」
「妹の名前を免罪符に使うのはやめなさい!」
芽依子は再びまほを立たせると、今度は反対側の頬を張った。
忍道の世界で無敵を誇った芽依子の力の前に、まほはなすすべがない。
「みほ様は支えてくれる人たちがいたから、強くなれたんです。最初から強かったわけじゃありません。芽依子だって同じです。梓たちがいなかったら、芽依子は自責の念に押しつぶされてました」
芽依子がちらっと目を向けた先には、心配そうな表情で事態を見守るウサギチームの姿がある。
「まほ様にだって支えてくれる人がいるはずです。まほ様は今まで一人で戦ってきたんですか?」
「私は……」
地べたに座りこんだまま視線を漂わせるまほ。
その視線があんこうチームの姿を捉えるまで、そう時間はかからなかった。
「気づいたのなら、芽依子はもう何も言いません。暴力を振るってしまったのは謝ります。申し訳ありませんでした」
芽依子はまほに謝罪したあと、沙織のいる方向に体を向けた。
「武部隊長、この教会はすでに包囲されています。一刻も早く対策を練りましょう」
「わ、わかった。休憩終了! みんな、持ち場に戻って」
沙織の命令で大洗女子学園の生徒たちがそれぞれの場所へ散っていく。
「芽依子ちゃん、プラウダの配置を教えて」
「はい。すでに地図は用意してあります」
芽依子の用意した地図には、教会をぐるっと取り囲むプラウダの戦車が書かれている。
教会の入口正面には、85mm砲搭載のT-34が五輌。その内の一輌がカチューシャの搭乗する隊長車だ。
右側にはIS-2が一輌とT-34が三輌。ここに配置されている76.2mm砲搭載のT-34がフラッグ車である。
左側はKV-2が一輌。他と比べて左側は配置が薄いが、教会の真後ろにはBT-5が二輌隠れている。ここを抜けても、BT-5に道をふさがれ挟み撃ちにされてしまうだろう。
大洗の戦力は残り四輌。たったこれだけの戦力では、どこへ突撃しても返り討ちにされる。袋のネズミとはまさにこのことだ。
「少し時間をもらってもいいか?」
「まほ……ってどうしたのその髪!?」
沙織が驚くのも無理はない。まほはロングヘアからショートヘアにイメチェンしていたのだ。
「切った。ハサミは華に借りた」
華は生け花用のハサミをつねに持ち歩いているが、どうやら試合の際も所持していたらしい。
生け花で使うハサミは髪を切るものではないので、当然見栄えは悪い。髪の長さもバラバラであり、とても人前に出られるような髪型ではなかった。
しかし、髪を切ったまほの表情は先ほどまでとはまるで別人だ。伏し目がちだった顔はまっすぐ前を向いており、目には力強い光が宿っている。
「沙織、プラウダの戦術のタクトを握っているのはカチューシャだ。彼女さえ倒せば、プラウダの作戦は機能不全に陥る。勝利をつかむにはカチューシャを撃破するしかない」
「でも、どうやってカチューシャさんを倒すの? こっちは四輌しか戦車がないんだよ?」
「これから話す作戦は沙織のプライドを傷つけることになる。そのかわり、絶対にカチューシャは仕留めてみせる。沙織、私を信じてくれ!」
まほは沙織に向かって頭を下げた。
そんなまほの手を沙織は両手で優しく包みこむ。
「私はいつだってまほを信じてるよ。だって、まほは私の友達だもん」
「沙織……ありがとう」
いよいよ大洗女子学園の反撃が始まる。戦いはここからが本番だ。
◇◇
カチューシャは教会を包囲する布陣を敷いた。
大洗がKV-2を配置した包囲が薄い場所を選べば、BT-5を使って挟み撃ち。フラッグ車を狙いに行けば、ノンナのIS-2の餌食。正面はカチューシャが率いる五輌のT-34がふさいでおり、大洗に逃げ場はない。
「さっさと出てきなさい、武部沙織。ここで決着をつけてあげるわ」
余裕の態度を崩さないカチューシャ。
彼女は自分の作戦に絶対の自信を持っているのだろう。
そして、ついにそのときが来た。大洗の戦車が教会から姿を現したのだ。
「来たわね。どこへ逃げようとしても無駄よ。カチューシャ戦術に死角はないわ」
しかし、カチューシャの余裕の態度もそこまでだった。
教会から出てきたⅣ号戦車のキューポラから身を乗り出していたのは、武部沙織ではなかったのである。
「西住まほ!? ノンナ、フラッグ車を守って!」
引きこもる前の西住まほは、西住流そのものと呼ばれるほどの優秀な戦車乗りだった。隊長として優れているのはもちろん、車長としての能力も同年代ではずば抜けている。
カチューシャの選手としての実力はまほの足元にも及ばない。だからこそ、カチューシャは戦術という自分の武器を必死に磨いてきたのだ。
そのまほが車長のポジションで試合に出てきた。しかも、試合前に会ったときとは違い、表情に覇気がある。カチューシャが危機感を募らせるのは当然であった。
だが、カチューシャの予想は外れた。
Ⅳ号戦車が目指す先にいるのは教会の正面に展開している部隊。どうやら、まほはカチューシャと戦うつもりのようだ。
「カチューシャの首をとろうってわけ! いいわよ、やってやろうじゃない!」
『カチューシャ、撤退してください。あなたを失うわけにはいきません』
「逃げるなんて隊長じゃないわ。それに、トモーシャが見てる前でカッコ悪い真似はできないの。西住まほは私が倒す!」
ノンナの言葉を無視し、カチューシャはまほとの戦いに挑む。
カチューシャはトモエの前では無茶をする。ノンナが危惧していたカチューシャの不安要素が一気に噴出してしまった瞬間だった。
◇◇◇
静まり返っていた観客席から地鳴りのような歓声が沸き起こった。大洗のⅣ号戦車がプラウダの戦車隊を相手に派手な立ち回りを演じ、合計五輌の戦車を撃破したからだ。
残念ながらⅣ号戦車は撃破されてしまったが、最後の最後でプラウダの隊長車を落とした。プラウダの絶対的存在が消え、大洗にも逆転の目が出てきたのだから、観客が熱狂するのもうなずける。
その観客席から少し離れた場所に設置された巨大なテントの中で、優雅にお茶を飲みながら試合を観戦している二人の少女がいた。
ダージリンとオレンジペコである。
「『人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するのだ』。まほさんはようやく自分を取り戻すことができたようね」
「日本海軍大将、山本五十六の言葉ですね」
いつものように誰の格言かを言い当てるオレンジペコ。ダージリンと一緒のこの時間は、オレンジペコが優等生に戻れる貴重な時間であった。
ちなみに、偵察に放ったメイドの報告で、オレンジペコは問題児トリオの動向を把握している。彼女たちが観客席で静かにしているのを考えると、オレンジペコの不幸は今日は休業中らしい。
「ここからは両校の総合力が問われる試合になるわ。ペコ、あなたはどちらが勝つと考えているのかしら?」
「個人的には大洗を応援したいです。いろいろとご縁もありましたし」
「それなら、ここでのんびり観戦している場合ではありませんわね。ペコ、あなたも大洗の応援団に参加しなさい」
ダージリンはそう言って、大型ディスプレイの一部を指差した。
それを見たオレンジペコは紅茶を吹き出してしまう。大型ディスプレイには、チアリーダー姿で大洗を応援する友人たちが映っていたのだ。
そのとき、外で控えていたメイドたちがテントになだれ込んできた。しかも、メイド長の手にはチアリーダーの衣装が握られている。
「お嬢様の衣装も用意してあります。今すぐ着替えて車にお乗りください」
「いったいなんのつもりですか? 私を裏切ってダージリン様についても、あなた達に利益はありませんよ」
「お嬢様、お許しください。これは旦那様のご命令なのです」
「お父様の?」
意外な名前が出てきたことで、オレンジペコはあっけにとられてしまう。
しかし、その時間もごくわずか。オレンジペコの優れた頭脳はすぐに再起動し、ある一つの結論にたどり着いた。
「ダージリン様! 謀りましたね、ダージリン様!」
「生まれの不幸を嘆きなさい。あなたのお父様がチアフェチなのがいけないのですわ」
その後、オレンジペコはチアリーダーの衣装に無理やり着替えさせられ、車で連れていかれた。
オレンジペコの不幸に休日という文字はないらしい。
◇◇◇◇
オレンジペコとメイドたちがいなくなり、テントの周囲に人の気配はなくなった。
ここは興奮に包まれている観客席とはまるで別世界。このテントがこの会場内で一番静かな場所なのは間違いない。
それを見計らったかのようなタイミングで、一人の人物がダージリンの元へやってきた。
GI6所属のエージェント忍者、キャロルだ。
「人払いはすませました。キャロル、準備は整っているかしら?」
「万事滞りなく進んでおりますわ。あとは半蔵たちの到着を待つだけですの」
ダージリンがキャロルと話をしていると、テントの外から大きな声が聞こえてきた。
「頭領ー! お客様をお連れしたでござるー!」
「噂をすればなんとやら。ダージリン隊長、少々お待ちくださいませ」
キャロルはテントから退出した。おそらく、客人に事情を説明しに行ったのだろう。
ダージリンがしばらく待っていると、テントの中に客人が入ってきた。
「西住しほ様、ようこそおいでくださいました。本日はお忙しいなか、貴重な時間を割いていただき、感謝申し上げますわ」
どうやら、ダージリンの