私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第五十話 大洗女子学園対プラウダ高校 前編

『カチューシャ隊長、こちらフラッグ車。大洗は最前線の部隊を無視して進行方向を右に変えたようです。どうしましょう?』

「囮には引っかからないってわけね。作戦変更よ。部隊を本隊に合流させなさい」

Поняла(パニラー)!』

 

 フラッグ車の車長はロシア語で返答してきた。

 Понялаは日本語で了解を意味する言葉。ロシア語を勉強中のカチューシャでもわかる簡単な単語だ。

 

「やる気があるのは嘘じゃないみたい。囮作戦を見破ったのは、おそらく西住まほでしょうね。ふふん、おもしろくなってきたわ」

「大洗の進む先にいるのは雫の部隊です。途中で進路が変わらなければ、カチューシャの目論見どおりの展開になりますね」

「うまくいきすぎて怖いくらいよ。さて、西住まほはどう出るかしらね」

 

 そう言って不敵な笑みを浮かべるカチューシャ。

 その自信満々の表情からは、大洗が罠にかかるのを確信している様子が見てとれる。

 

「雫、大洗がそっちへ向かったわ。止めを刺してあげなさい」

『了解しました。雫隊、前進します』

 

 最初の手は打った。あとはその結果を待つだけ。

 カチューシャの余裕は揺るがない。

 

 

 

 

 沙織はアヒルチームに偵察を敢行させ、プラウダの出方を探る作戦をとった。聖グロサンダース連合との練習試合で一定の成果を収めたこの策は、慎重に試合を進めるにはもってこいだ。

 その効果はすぐに現れた。プラウダは聖グロサンダース連合と同じような部隊配置をしていたのである。

 

「ここであの三輌と交戦したら、大部隊に包囲されるってオチだよね。もしかして、愛里寿ちゃんの作戦って全部プラウダの作戦?」

「そうかもしれません。島田殿はプラウダ戦の予行演習をしてくれたんですよ」

「ですが、愛里寿さんは大学生ですよね。どうやってプラウダ高校の作戦を熟知したんですか?」

「ラベンダーさんが教えたんだろう。あのメンバーを集めたのは彼女だからな」

 

 あんこうチームはいろいろ考察をしているが、まほは会話に入ってこない。

 試合が始まってもまほのメンタルは下降線のままで、いまだに上向く気配がなかった。

 

「ねえ、まほはどう思う」

「みほが大洗のために準備を整えたんだろうな。それに比べて……」

「その話は禁止!」

 

 沙織はまほの発言をさえぎった。まほは弱気になると、すぐに妹と自分を比べる発言をするからだ。

 

「まほ、ラベンダーさんと学校のことはいったん忘れて、今は試合のことだけ考えよう。そうしないと頭がパンクしちゃうよ」

「……そうだな」

 

 まほを気づかう沙織の姿はどこからみても立派な隊長だ。

 男子にモテる夢は叶っていないものの、カッコいい戦車乗りになる目標には着実に前進している沙織であった。

 

「よーし、囮は無視して先に進むよ。アヒルチーム、引き続き偵察お願いね」

『任せてください!』

 

 車長の典子から景気のいい返事が戻ってくる。

 一時は低下していた士気もだいぶ上がってきた。プレッシャーはゼロではないが、動きが極端に固くなることはないだろう。

 

 

 

 囮らしき三輌のT-34を無視し、大洗の戦車隊は別ルートを突き進む。

 すると、先行偵察を行っている典子から通信が入った。

 

『武部隊長、前方に敵戦車を発見しました! 大きくて強そうな戦車がこっちへ向かってきます』

 

 典子の情報はかなり漠然としている。大洗で戦車に詳しいのはまほと優花里だけなので、当然といえば当然であった。

 

「プラウダで大きい戦車ってなんだろ?」

「武部殿、おそらくKV-2ですよ。街道上の怪物と呼ばれたソ連製の重戦車です」

「IS-2の可能性もある。もし砲手がノンナだったとしたら厄介な相手だ。彼女の砲手としての能力は、全国の高校で一二を争うレベルだからな」

 

 優花里とまほが別々の答えを提示してくる。

 聖グロサンダース連合との練習試合で別ルートにいたのは愛里寿だった。それを参考にするなら、どちらが現れてもエース級なのは間違いない。対応を誤ると大洗はここで終わってしまう。

 

「典子、他に何か特徴はないか? どんな些細なことでもいい」

 

 更なる情報を求めるまほ。どうやら、少しは前向きになってくれたようである。

 

『えーと、砲塔がたくさんあります。全部で五つです』 

 

 砲塔が五つ。つまり、相手はそれだけ攻撃手段を持っているということだ。

 今までの対戦相手にそんな戦車はいなかった。大洗にとってはまさに未知の相手である。

 

「あの、武部殿。そんなに真剣に悩む必要はないかもしれません。その戦車、たぶんT-35ですよ」

「T-35?」

「はい、ソ連製の多砲塔戦車です。砲塔は多いんですが、砲塔同士が射線を妨害しちゃうので射界は制限されています。位置取りさえミスしなければ、さほど脅威ではありません。巨体なのでスピードもありませんし」

「攻撃だけでなく、防御にも問題がある戦車だ。一番厚い正面装甲でも30㎜しかない」

 

 優花里とまほの話を総合すると、T-35は見た目が強そうなだけで性能は大したことないらしい。

 とはいえ、油断はできないだろう。あえて弱い戦車を配置したのは罠かもしれないからだ。

 しかし、逃げ回っていても試合には勝てない。それに、相手よりも先に戦車を撃破できればチームに勢いをもたらせる。

 ここは沙織の隊長としての資質が問われる場面であった。

 

「決めた! 本当にT-35だったらここで撃破しよう。試合の流れをつかむには出足が肝心だと思うし」

「わかった。全車に通達。これから敵戦車と交戦に入る。準備を怠らないように」

 

 まほが無線で連絡を入れたことで、大洗はフラッグ車を守る陣形をとった。

 フラッグ車は一、二回戦同様、38(t)。戦車が増えてもフラッグ車が据え置きなのは、カメチームに対する信頼の表れだろう。

 

 

 

 アヒルチームが合流し、再び七輌になった大洗の戦車隊。

 そのまましばらく進んでいると、正面に巨大な戦車が現れた。

 

「あれがT-35?」

「ええ、砲塔の形状から察するに1933年型だと思われます」

「ずいぶん遅い戦車だな。自転車のほうが早いんじゃないか?」

「重量が45tありますからね。あんまりスピードを出すと、すぐにエンジンがオーバーヒートしちゃうんですよ。ドイツ軍との戦いでは、戦闘で撃破された数より、故障で動けなくなった数のほうが圧倒的に多かったぐらいですから」

 

 麻子の言葉に即座に反応する優花里。戦車マニアの血が騒ぐのか、その姿はすごく活き活きしていた。

 

「装甲が薄いならこの距離でも十分撃破できるはず。よし、全車停止! T-35に向けて砲撃開始するよ」

「華、狙いは正確でなくてもいい。長砲身になったⅣ号なら、どこに当たってもT-35の装甲を抜ける」

「わかりました。当てることに専念します」

 

 隊長車のⅣ号戦車は、この試合から43口径75mm砲に換装されている。T-35は火力が大幅に上がったⅣ号の力を試す恰好の的だ。

 

 沙織の号令で大洗の戦車隊は射撃体勢に入ったが、このタイミングでT-35が動きを見せた。

 五つの砲塔に搭載された主砲、副砲、機関銃。そのすべてがいっせいに火を吹いたのだ。

 

「デカブツが撃ってきたぞ。回避するか?」

「慌てる必要はないです。T-35の主砲は野戦榴弾砲、この距離で戦車の装甲を貫ける威力はありません」

「前面の45㎜砲にだけ注意すればいい。機銃と後方の副砲は無視してかまわない」

 

 優花里とまほは的確なアドバイスをくれる。

 そのおかげで大洗の戦車隊は平静を失わずにすんだ。正確な情報は戦車戦に必要不可欠なのである。

 

「反撃開始。全車、撃て!」

 

 沙織の指示で大洗の戦車隊から砲撃が放たれる。

 巨大で鈍重なT-35に避けるすべはなく、砲撃は全弾命中。ほどなくして白旗が上がり、T-35は完全に沈黙した。  

 

「やった! まずは一輌撃破」

 

 しかし、沙織の喜びは長くは続かなかった。T-35の陰から二輌の戦車が姿を現し、こちらに向かってきたからだ。

 しかも、T-35とは比べ物にならない速さである。

 

「あれはソ連が開発した快速戦車、BT-5!」

『そんな! 私たちが偵察したときは確かに一輌でしたよ!』

「アヒルチームの動きは相手に察知されていたようだな」

 

 偵察に長けているアヒルチームが見落としをするとは考えにくい。まほの言ったとおり、大洗の動きはプラウダに読まれていたのだ。

 

『武部隊長、私たちが前に出ます!』

「梓ちゃん、お願い!」

 

 BT-5の足止めをするためにウサギチームが前進する。

 ウサギチームは練習試合でクルセイダーと何度も交戦していた。足が速い戦車にぶつけるなら、彼女達をおいて他にいない。

 

「カバチームとカモチームはフラッグ車を守って! 他のチームはウサギチームを援護するよ」

 

 BT-5を迎え撃つため各車に指示を飛ばす沙織。

 ところが、事態は思わぬ展開を迎えた。二輌のBT-5は、ウサギチームが迎撃に向かうや否やすぐさま方向転換し、そのまま逃走を開始したのである。

 

「逃げた!?」

『武部隊長、追いましょう!』

『この機を逃す手はない』

 

 アヒルチームとカバチームがBT-5を追って前に出てしまう。

 T-35を撃破したことでチームは勢いづいたが、逆にそれが仇になってしまった。

 

「待って! これは罠……」

 

 沙織の無線は一発の轟音でかき消される。それと同時に一輌の戦車が吹き飛ばされ、真っ白な雪原に無残に転がった。

 このパターンは練習試合でファイアフライにやられたのと同じだ。もし、あのときのように38(t)が撃破されていたら、この試合は終了してしまう。

 沙織は高鳴る心臓を押さえながら撃破された戦車を恐る恐る確認した。

 

「三式中戦車……アリクイチーム!」

 

 横転した戦車は三式中戦車だった。

 ぽっかりと開いたフラッグ車の防御の穴を彼女たちは身を挺して埋めてくれたのだ。

 

『間一髪だったにゃ』

『教官の教えが活きたぴよ』

『あとは頼むもも』

 

 三式中戦車の乗員は無事のようだが、大洗は貴重な戦力を一輌失ってしまった。

 それに対し、プラウダは戦力として計算できない戦車が撃破されただけ。失った戦車はともに一輌だが、その価値は大いに異なる。

 初戦は大洗の完敗。そういって差し支えないだろう。

 

 

◇◇

 

 

 三式中戦車を遠距離からの砲撃で撃破したのは、街道上の怪物ことKV-2。

 しかし、敵戦車を撃破したにもかかわらず、乗員の表情は一様に暗い。

 

「フラッグ車の撃破に失敗しただ」

「カチューシャ様におごらえる……」

「もう一発お見舞いするべ。このままでは雫さんに申し訳が立たね」

 

 この中でもひときわ小さな黒髪おさげの少女が仲間を鼓舞する。

 KV-2の装填手をしているこのニーナという少女は、三郷雫をとくに慕っている一年生であった。

 

「でも、雫さんは撤退しろって言ってるだ」

「雫さん!? 代わっでけね!」  

 

 戦車が撃破されても無線には多少の猶予期間がある。

 KV-2の車長から無線機を受けとったニーナは、心配そうな声で無線に話しかけた。

 

「雫さん、怪我はねだが」

『私は大丈夫です、他の子達もみんな無事ですよ。それより早く撤退してください。KV-2は砲撃を終えたら撤退する。それがカチューシャ様の命令だったはずです』

「ちびっこ隊長は雫さんをポンコツに乗せで捨て駒にしただ。あったしゃっこい人の命令ば聞ぐ必要ね」

『カチューシャ様は冷たい人なんかじゃありませんよ。尊敬する姉さんがいつも見ている景色を私にも見せてくれたんです』

「したばって……」

 

 ニーナはカチューシャに粛清された回数がもっとも多い一年生だ。

 いくら雫の言葉であっても、そう簡単に踏ん切りはつけられないのだろう。

 

『カチューシャ様がニーナちゃんに厳しいのは、それだけ期待をしているということなの。KV-2の装填手にあなたを抜擢したのがその証拠よ。カチューシャ様が一番好きな戦車がKV-2なのは、ニーナちゃんも知っているでしょ?』

「……わかったじゃ。撤退するべ」

 

 通信を終えたKV-2はこの場を離脱した。大洗の戦車も後退したので、最初の戦いはこれで一区切りだ。

 この場に残されたのは、白旗が上がったT-35と三式中戦車の二輌のみ。

 そのT-35の車体の上で、雫は雪が舞うくもり空を見上げていた。

 

「これで少しは姉さんに近づけたかな」

 

 ポツリとそうつぶやく雫。白い息と共に消えたその言葉は、彼女が尊敬する偉大な姉にきっと届いたはずだ。

 

 

◇◇◇

 

  

「ぶえっくしょーい!!」

「汚なっ! 茜、くしゃみするならあっち向いてよ!」

「寒いんだからしょうがないだろ! エミ、ティッシュ持ってないか?」

 

 観客席で盛大なくしゃみをしたのは、黒森峰女学園の二年生、三郷茜。その隣で文句を言っているのが同じく二年生の直下エミ。

 さらに、この場には逸見エリカと聖グロリアーナ女学院の生徒の姿もある。

 クルセイダー隊の隊長、ラベンダー。マチルダ隊の隊長、ルクリリ。クロムウェルの操縦手、ローズヒップの三人だ。

 

「三郷さん、どうぞ」

「サンキューな、ラベンダー」

 

 ラベンダーは茜にティッシュを手渡した。

 さすがは名門お嬢様学校の生徒。細かいところにまで注意が及んでいる。

 

「名前で呼び合うことにしたんだな。隊長クラスじゃないと名前呼びは許されないんだと思ってた」

「黒森峰で名前呼びをすると浮ついた印象を持たれるから、基本みんな名字呼びなんだけど。ほら、私たちはもう外れちゃってるし」

「いわゆるアウトローだからな。堅苦しい名字呼びはやめたんだよ」

 

 ルクリリの質問にエミと茜は淡々と答えてくれる。戦車喫茶での乱闘騒ぎはちょっとしたことにも影響を与えたようだ。

 

「ということは、赤星様と根住様も名前呼びなんですの?」

「赤星は無理かな。あの子は副隊長だし」

「ヒカリはあたしたちの仲間だから、もちろん名前呼びだ」

 

 ヤークトパンターの装填手である根住は、どうやらヒカリという名前らしい。

 

「根住ヒカリ……ヒカリネズミ……ピカチュ……」

「おっと、それ以上はやめとけ。それに触れるとヒカリはキレるから」

 

 ローズヒップの発言を茜は途中で制した。

 

「赤星とヒカリは深水隊長と一緒だから、こっちには来ないんじゃない?」

「油断は禁物だ。あいつは怒らすと本当に怖い。ルームメイトのあたしが言うんだから間違いない」

「ルクリリも怒らすと怖いんですのよ。わたくしの頭をぐりぐりするんですの」

「お前が私をからかうのが悪いんだ」

 

 準決勝で戦う相手だというのに、実に和気あいあいとした雰囲気だ。

 全員制服姿なので、通りすがりの戦車道ファンには何度も二度見されてしまっている。聖グロリアーナ女学院と黒森峰女学園は、去年の準決勝でも対戦した因縁のライバル。戦車道ファンがいぶかしむのも無理はない。

 

「ラベンダー、隊長……まほさんは大丈夫だと思う?」

「大丈夫だとは思いたいけど、確信は持てないかな。あとはお姉ちゃんの気持ち次第だから……」

 

 エリカの問いかけにそう答えたラベンダーの瞳には、大型ディスプレイに大きく表示されたⅣ号戦車が映っていた。


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