私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第四十九話 プラウダ高校と大洗女子学園

 雪がちらつく海域を一隻の学園艦が航行している。

 寒い北方の海域を主な航路にしているこの学校の名は、プラウダ高校。第六十二回戦車道全国大会優勝校であり、今年度の大会の筆頭優勝候補だ。

 そのプラウダ高校の学園艦で二人の人物がお茶会を行っていた。

 

 一人はプラウダ高校戦車隊隊長、カチューシャ。もう一人は黒森峰女学園戦車隊隊長、深水トモエ。

 この二校は去年の決勝戦でも対戦したライバル校である。ところが、お茶会の二人の様子はそれを微塵も感じさせない。

 それもそのはず、トモエはカチューシャの友人であり、カチューシャに傾倒する崇拝者でもあるからだ。

 

「トモーシャの次の相手は聖グロだったわね。ダージリンは今までの対戦相手とはワケが違うから、十分に注意するのよ」

「はい。カチューシャ様の教えを活かして、必ず勝ってみせます」

「トモーシャもだいぶ自信がついてきたみたいね。隊長は部隊にとっての生命線。どんな相手だろうと絶対に弱気になっちゃダメよ」

 

 トモエに隊長としての心構えを説いたカチューシャは、イチゴジャムを舐めながら紅茶を飲んだ。

 ここまではカッコいい隊長像をキープしていたカチューシャ。しかし、ここで痛恨のミスを犯してしまう。イチゴジャムでべったりと口元を汚してしまったのだ。

 

「カチューシャ、口元にジャムがついていますよ」

 

 テーブルのすぐそばで控えていたノンナがそう言うと、カチューシャよりも先にトモエが動いた。

 

「あ、私がお拭きしますね」

 

 トモエはさっとハンカチを取り出し、カチューシャの口元を丁寧に拭いていく。

 もちろん、このハンカチは未使用。彼女はカチューシャ専用のハンカチをつねに持ち歩いているのだ。

 

 トモエはあまりにもカチューシャを崇拝しすぎている。ノンナはそれが心配であった。

 トモエが自信満々に振舞えるのはカチューシャの存在があるから。もしカチューシャに何かあったら、トモエは一気に崩れてしまうだろう。

 ノンナがそんなことを考えていると、隊長室の扉が控えめにノックされる。

 この部屋に来るのはほとんどが戦車道履修生だ。どうやら、カチューシャに用がある生徒がいるらしい。

 

「カチューシャ様、(しずく)です。お伝えしたいことがあります」

「今は来客中よ。あとにしなさい」

「侵入者がいます。早めに対処したほうがよいかと思いますが……」

「……入りなさい」

 

 カチューシャに促され、一人の生徒が隊長室に入室する。

 髪は黒髪ショートカット。前髪は七三分け。顔には大きな丸眼鏡。

 彼女の名は三郷雫。戦車道を履修しているプラウダ高校の二年生だ。

 

「あなたは、もしかして三郷さんの……」

「はい。三郷(あかね)の妹、三郷雫です。姉がいつもお世話になっております」

 

 トモエに向かって雫は深々と頭を下げる。雫の礼儀正しさに、トモエは心底驚いたような顔をしていた。 

 

 雫はプラウダ高校内でも屈指の大和撫子。礼節を重んじる女性の育成という戦車道の本質を体現した存在である。

 そのかわり、雫の戦車道の成績はパッとしない。平均を下回る程度の実力しかなく、試合もスタンドで観戦することが多かった。

 そんな雫ではあるが、一年生からは圧倒的な人気を集めている。

 誰に対しても親切で優しく、上品でお淑やか。戦車道の授業にも積極的に取り組み、実力がなくても腐ったりしない。外見は地味でも内面が優れている雫は、純朴な田舎娘が多い一年生の憧れの的なのだ。

 

「雫、侵入者がいると言ったわね。根拠は?」

「一年生が怪しい人物から手紙を渡されました。プラウダの役に立つからカチューシャ様に渡してほしい、そう言われて手紙を押しつけられたそうです」

「なるほどね。それで、困った一年生は雫を頼って、あなたが私に手紙を届けに来たと……侵入者はどんな人物だったの?」

「顔は暗がりでよく見えなかったそうです。ただ、ちらっと見えた髪色は桃色だったと言っていました」

 

 プラウダ高校にピンク髪の生徒はいない。その人物が他校からの侵入者なのはほぼ確定だろう。

 

「侵入者を探しに行きます。まだそう遠くへは行っていないはずですから」

「待ってください、ノンナさん。その人は私の知ってる人です。恐ろしく手際がいい人ですので、もう艦内にはいないと思います」

「トモーシャ、詳しく聞かせなさい」

 

 その後、トモエは第六十三回大会の裏で起きている出来事について、知っているすべてを話してくれた。

 廃校が決まった大洗女子学園の廃校撤回条件。犬童家の他校への助力。そして、その思惑。

 諜報活動にあまり力を入れていないプラウダ高校の生徒にとって、それは衝撃の事実であった。

 

「アンツィオが失敗したから、次はプラウダの番ってわけね。カチューシャもなめられたものだわ。大方、この手紙には大洗の攻略法でも書かれてるんでしょうね」

「カチューシャ、その手紙をどうしますか?」

「決まってるわ。こんなものはこうよ!」

 

 カチューシャは手紙をその場でびりびりに破り捨てた。カチューシャの手から離れた手紙は、紙吹雪となって床に落ちていく。

 それを見たトモエは感激したような表情で両手を合わせている。どうやら、トモエの崇拝はまた一段階レベルが上がってしまったようだ。

 

「雫、今の話は他言無用よ。しゃべったらシベリア送りだからね」

「心得ております」

「なら、訓練に戻りなさい。まとめ役のあなたがいないと、あの戦車は前に進むことすらできないでしょ。十人の一年生の手綱をしっかり握って、次の試合までに実戦で使えるようにするのよ」

「カチューシャ様のご期待に添えるように精一杯務めさせていただきます。それでは、失礼します」

 

 雫はカチューシャに頭を下げたあと、部屋から退出した。

 

「本気であの戦車を使うつもりですか? あまり役には立たないと思いますが……」

「どんな戦車でも使い道はあるわ。それに、新しい戦術にはあの戦車が必要不可欠なのよ」

「また新しい作戦を考案したんですね。さすがカチューシャ様です」

「戦車道の世界は日進月歩なの。現状で満足してたら置いていかれちゃうわ」

 

 ノンナは先ほどトモエの心配をしていたが、同じぐらいカチューシャのことも心配であった。トモエの前でいい格好をしようとするカチューシャは、無茶を平気でやってしまう危うさをはらんでいるからだ。

 どうかこの二人が笑顔で今大会を終えられますように。ノンナは心の中でそう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 大洗女子学園に謎の号外がバラまかれてから、学園を取り巻く状況は一変した。

 生徒会室には連日のように説明を求める生徒が押し寄せ、生徒会はその対応にてんてこ舞い。風紀委員は全員総出で騒ぎを収めようとしているものの、人手はまったく足りていなかった。

 非常事態ともいえる状況だが、教師陣がしてくれるのは生徒の相談に乗ることのみ。

 生徒の自主性を重んじる学園艦は、学生だけで運営しなければならない。大人が助けてくれるのは事故や災害のときだけだ。

 

 戦車道履修生のところにも多くの生徒がやってきた。戦車道の全国大会の結果は学園の運命を左右する。不安になった生徒たちの矛先が向くのは当然の成り行きであった。

 隊長の沙織の元にはひっきりなしに生徒が集まり、休み時間には長蛇の列。風紀委員が規制してくれなければ、昼休みの昼食すらとれなかっただろう。

 

「こんなに人に注目されたの生まれて初めてだよ。モテる女はつらいね」

「沙織さん、モテモテになる夢が叶ってよかったですね」

「武部殿と五十鈴殿、けっこう余裕ありますね」

「隊長の私がへこたれるわけにはいかないもん。それに、ようはプラウダに勝てばいいんでしょ? 女は度胸、やってやれないことはない。ケイさんもそう言ってたし」

 

 今は戦車道の授業中。最初に行っているのはガレージに集まってのミーティングだ。

 

「しかし、相手は去年の優勝校。それに比べて、我々は戦車道を始めたばかりのルーキーだ。そうやすやすと勝てる相手ではないだろう」

「新政府軍に挑む白虎隊の心境ぜよ」

「ローマは一日にして成らずともいうが、努力するにしても時間が足りないな」

「鉄甲船並みの新兵器でもあれば話は違うのだが……」

 

 いつもは頼りになるカバチームも今回ばかりは士気が低い。それだけで、大洗がプラウダに勝利するのがどれだけ困難かがわかる。

 

「初めて戦う相手がラスボスクラス。しかも、ノーコンティニュー」

「無理ゲーぴよ」

「せめて中ボスと戦わせてほしいもも」

 

 ルーキー中のルーキーであるアリクイチームも嘆き節だ。

 ちなみに、もう一組のルーキーチーム、カモチームは生徒への対応で授業に遅れている。生徒会のカメチームも同様の理由で不在であった。

 

「バレー部復活どころか、学校の存続が危うくなるなんて……」

「このままだと、バレー部は永遠に復活できないです」

 

 元気が売りのアヒルチームもすっかり意気消沈。近藤妙子と佐々木あけびにいたっては、何も言葉を発せなくなっていた。

  

「こんな士気では有効な訓練はできないな。沙織、なんとかしろ」

「なんとかしろって言われても……。まぽりん、何か良い案は……あれ? まぽりんは?」

「西住さんならあそこだ」

 

 麻子の指差す先には、ガレージのすみっこで体育座りでうつむくまほの姿。

 その姿は、大洗女子学園に転校してきたばかりのころのまほを彷彿とさせる。謎の号外事件は、まほにかなりの精神的ダメージを与えたようだ。

 

「そういえば、ウサギチームの姿が見えませんね。どこへ行ったのでしょうか?」

「号外を見た犬童殿は、かなりのショックを受けていた様子でした。もしかして、それがチーム全員に波及したのかも……」

「ゆかりん、縁起でもないこと言うのはやめてよ!」

 

 そのとき、ガレージに七人の生徒が入ってきた。梓率いるウサギチームだ。 

  

「遅くなってすみません!」

 

 謝罪の言葉を口にする梓の額には白いハチマキ。よく見ると、ウサギチームは全員おそろいの白いハチマキ姿だった。

 表情はみんな引き締まっており、気落ちしているようにはいっさい見えない。

 

「武部隊長、すぐに訓練を始めましょう。プラウダに勝つには練習しかありません」

「梓ちゃん……うん、今日のミーティングはおしまい。みんな、訓練開始するよ。優花里、まほを連れてきて」

「了解です!」

 

 やる気あふれるウサギチームの勢いに押され、全員がいそいそと動き出す。

 完全ではないものの、チーム全体の士気は上向いた。これで少しは実りある練習ができるだろう。

 

 

◇◇

 

 

 ウサギチームがやる気に燃えている理由。それは、合宿最終日の夕方に起こったある出来事が発端だった。 

 

「あの号外を作ったのは私の姉さんです」

 

 場所は夕暮れの校舎裏。衝撃の発言をした話し手は犬童芽依子。聞き手はウサギチームのメンバー。他に誰もいない七人だけの舞台の幕はこうして上がった。

 

 犬童芽依子は様々な事情を友人たちに話していった。

 三式中戦車を降りたワケ。西住流と黒森峰の関係。そして、姉の頼子が大洗を敗北させようと画策している事実。

 そうしてすべてを話し終えたあと、芽依子はその場で土下座した。地面に頭をこすりつける本気の土下座だった。

 

「芽依子は裏切り者です。姉さんの手のひらで踊らされた愚者です。この事態を招いた責任は全部芽依子にあります。絶交してもらってもかまいません」

「そんなこと言わないでっ! 私はめいちゃんと絶交なんてしたくないよ!」

 

 目に涙を浮かべた桂利奈が芽依子に抱きつく。

 

「桂利奈ちゃんを泣かせちゃダメだよ、芽依子ちゃん。憧れてる人の土下座姿を見たい人なんていないんだからぁ」

 

 のんびり口調の優季が芽依子をさとす。

 

「私、なんか安心しちゃった。だって、私たちだけに打ち明けたってことは、私たちが芽依子ちゃんの特別になれたってわけだし」

 

 弾んだ声のあやが芽依子に向かって微笑む。

 

「ボロ泣きしてる顔で絶交していいとか言われても説得力ないよ。絶交されたくないって丸わかりだもん」

 

 さばさばした様子のあゆみが芽依子にそう指摘する。 

 

「大丈夫」

 

 いつもと同じ無表情の紗希が芽依子の背中をさする。

 

「芽依子、前に私に言ったよね。愛しのハイビスカスさんにカッコいい姿を見せるチャンスだって。正直に言うとね、私は今まで恋とかしたことなかったから、この気持ちがなんなのかよくわからないんだ。でもね、はっきりと言えることが一つだけあるよ」

 

 真剣な表情の梓が芽依子の目を正面から見据える。   

 

「私はあの人に、ハイビスカスさんに勝ちたい。でも、私一人じゃハイビスカスさんには絶対に勝てない。私にはみんなの、芽依子の力が必要なの。芽依子、私たちと一緒に戦おう。プラウダに勝って、その先にいる聖グロリアーナにも勝って、私たちの学校を守ろうよ」

 

 梓は地面に膝をついている芽依子に手を差し出した。

 その手を芽依子は迷いなくつかむ。ウサギチームの結束は大洗一。そう簡単に途切れるヤワなものでは決してない。

 

「芽依子はもうみんなを裏切りません。全身全霊をかけてともに戦います」

 

 その瞬間、校舎裏に歓声があがった。

 

「めいちゃん、私も一緒にがんばる!」

「芽依子ちゃんがいてくれたら百人力だよ! プラウダなんて怖くない」

「私たちはチームワークが売りだもんねぇ」

「お前たちはチーム内のバランスがいいって、アンチョビさんもほめてくれたしね」

「絶対に勝つ」

 

 不安渦巻く大洗女子学園の希望の光が今ここに誕生した。

 

 

 

 

 準決勝の舞台に選ばれたのは雪原。ところどころに集落や森林があり、作戦次第ではいろんな戦い方ができるステージだ。

 しかし、大洗女子学園にとっては不利なステージともいえる。

 プラウダ高校は寒い地域を航行する学園艦。寒さや雪上の戦いは彼女たちの得意とするところだろう。

 

 だがしかし、大洗女子学園だって負けてはいない。

 この日のために猛練習を積み重ねてきた。多少の雪など障害にはならないし、寒さだって我慢できる。

 学校を守るための戦いにおもむく準備は万端。といいたいところだが、実は一つだけ懸念があった。チームの知恵袋、西住まほのモチベーションが上がらないのだ。

 それを象徴付けるような出来事がプラウダ高校とのあいさつの場で起こった。

 

「少しはマシになったのかと期待したけど、カチューシャはあなたを買いかぶりすぎていたようね。西住まほ、あなたは一年前と何も変わっていないわ」

 

 大洗女子学園の陣地にやってきたプラウダ高校の隊長、カチューシャは開口一番そう言い放った。

 それに対するまほの反応は黙って下を向くだけ。その姿はカチューシャを怖がっているようにしか見えない。

 

「そんなにカチューシャが怖いなら、今すぐここから立ち去りなさい。やる気がない相手と試合をしてもつまらないわ」

「やる気はあります! 今はちょっと気持ちが揺れてるだけで、試合が始まれば元のまほに戻ってくれます。まほのことをよく知りもしないで、勝手なこと言わないでください」

 

 まほの前に立ち、カチューシャの視線を一身に受ける沙織。

 それを見たカチューシャは、おもしろくなさそうな表情を一変させ、不敵な笑みを浮かべた。 

 

「武部沙織って言ったわね。あなたはなかなか骨のある隊長のようだわ。ノンナ!」

 

 そばに控えていた副隊長のノンナを呼びよせ、肩車をさせるカチューシャ。

 身長が高いノンナに肩車をしてもらったことで、カチューシャは沙織を見下ろす状態になった。

 

「沙織、悔しかったらカチューシャに勝ってみなさい。もしあなたが勝てたら、西住まほに謝罪してあげてもいいわよ。もっとも、そんなことは絶対に起こらないでしょうけどね。ПокаПока(パカパカ)~」

「カチューシャ、Пока(パカ)は親しい人に使う別れのあいさつですよ。この場合はДа свидaния(ダスヴィダーニャ)を使うのが正しいです」

「ちょっと間違えただけよ! ノンナ、今のはトモーシャには内緒だからね」

 

 ノンナに肩車されたままカチューシャは去っていった。

 小さな暴君との異名を持つカチューシャだが、そう呼ばれるのも納得の傍若無人ぶりである。

 

「沙織……すまない」

「まほは何も気にすることないよ。悪いのはあっちだもん」

「沙織さんの言うとおりです。まほさんは悪くありません」

「西住殿、一年前とは違うってところをカチューシャ殿に見せつけましょう」

「勝ってロシア語で謝罪させるぞ。何て答えるか見ものだ」

 

 まほに励ましの言葉をかけるあんこうチーム。

 そんなあんこうチームに厳しい視線を向ける人物がいた。白ハチマキを風になびかせ、両腕を組んだ状態で仁王立ちしている犬童芽依子だ。

 忍道の大会で殺気を帯びていると恐れられた芽依子の眼力。数多の忍者を震え上がらせたその鋭い眼差しは、今はまほだけに向けられていた。


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