私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第四十四話 犬童頼子の暗躍

 大洗女子学園の廊下で瓶底眼鏡の少女が肩を落としていた。

 この少女の名は猫田。ハンドルネームはねこにゃー。

 猫耳カチューシャを頭に付け猫背でたたずむその姿は、名は体を表すということわざを如実に物語っている。

 

「はあ……。どうしてボクはこんなにチキンハートなんだろう」

 

 ため息をつきながら自虐的な言葉をつぶやくねこにゃー。

 

「ボクに少しでも勇気があれば戦車に乗れたかもしれないのに……」 

 

 大洗女子学園で今話題沸騰の戦車道。それがねこにゃーのため息の原因だ。

 ねこにゃーの趣味はネットゲーム。なかでも一番好きなゲームが対戦型の戦車ゲームである。そんなねこにゃーにとって、戦車道はゲームではなくリアルで戦車に触れられるまたとない機会だった。

 しかし、戦車道はスポーツ。スポーツとは無縁の生活を送ってきたねこにゃーは二の足を踏んでしまい、履修するタイミングを逃してしまったのだ。

 

「やっぱりボクにはゲームがお似合いなんだにゃ」

「簡単にあきらめていいんですかぁ?」

「にゃ!?」

 

 突然声をかけられたねこにゃーが振りかえると、そこにはカメラを手に持った少女が立っていた。ピンクブロンドのポニーテールとニコニコ笑顔がまぶしい美少女であり、オタクのねこにゃーは少し怯んでしまう。

 

「戦車に乗りたいんですよね? だったらいい情報ありますよぉ」

「いい情報?」

「はい。近いうちに戦車に一輌空きが出るんで、戦車道履修生を追加募集する予定があるんですぅ」

 

 搭乗する戦車がない。ねこにゃーが戦車道をあきらめかけていた理由がそれだ。

 学校の駐車場に戦車が放置されているのをねこにゃーは知っていた。

 あの戦車があれば、いつか勇気が出たときに戦車に乗れる。ねこにゃーはそう楽観視して結論を先延ばしにしていたのだが、駐車場の戦車はすでに戦車道履修生に見つかってしまった。そのときの後悔をねこにゃーは今でも忘れていない。

 

「その話、本当かにゃ?」

「お、やる気が出てきたみたいですねぇ。これでも放送部の端くれですので、信じてくれていいですよ」

 

 ポニーテールの少女は、カメラをポンポン叩きながら笑みを浮かべる。

 大洗で一番熱心に戦車道を取材しているのは放送部だ。その放送部の情報なら間違いはないだろう。

 

「ところで、ほかにも戦車に乗りたいという人の当てはありませんか?」

「ネトゲ仲間の二人も乗りたいって……。会ったことはないけど、この学校の生徒だって言ってたにゃ」

「それは好都合ですぅ。あなたはお友達に声をかけておいてください。三人いれば戦車を動かす人員は足りますので、すぐに乗ることができますよ」

 

 おそらくこれがラストチャンスになる。もう二度と後悔しないために、なけなしの勇気を奮い立たせるときが来たのだ。

 そう決意したねこにゃーは、背筋をピンと伸ばし気合を入れる。いつもより景色が明るく見えるのは、きっと気のせいではない。

 

 このとき、ねこにゃーは気づくべきだった。隣に立つポニーテールの少女の笑みが邪悪に歪んでいたことを。

 

 

 

 

 大洗女子学園の公園といえば、学園艦の左舷に整備されている通称左舷公園が有名だ。空と海の大パノラマが自慢のこの公園は、大洗女子学園の生徒にも人気がある憩いの場であった。

 とはいえ、今の時間は午後の九時。公園は普段のにぎわいが嘘のように静まりかえっている。

 

 そんな公園のベンチに犬童芽依子は一人で座っていた。

 行儀よくベンチに座る芽依子の手には一通の手紙。芽依子はとある人物からこの場所へ呼びだされ、その人物が到着するのを待っているのだ。

 

「お待たせしましたー! めいめい、お姉ちゃんですよぉー!」

 

 現れたのは大洗女子学園の制服姿の姉、犬童頼子。ちなみに、芽依子はパーカーに半ズボン姿である。

 

「姉さん……」

「おやおやー? どうしたんですか、めいめい。そんな真剣な顔して」

「要件はわかっています。勘当される覚悟はできていますので、遠慮なく言ってください」

 

 犬童家の人間は戦車に乗ってはならない。芽依子はこの家の決まりに背いて戦車に乗った。しかも、アンツィオ戦では車長までこなしてしまっている。

 家から勘当されるのはもはや時間の問題だった。

 

「もうー、めいめいったら早とちりさんなんだからー。そんな時代錯誤な理由で、お父様がめいめいを勘当するわけないじゃないですかぁー」

「芽依子は犬童の名を捨てなくてもよいのですか?」

「お父様は芽依子を心から愛してくれてます。心配することはなにもありませんよ」

「よかった……」

 

 思わず安堵の声を吐きだす芽依子。

 覚悟をしていたとはいえ、勘当されることに不安がないといえば嘘になる。

 その不安が解消されたのだ。芽依子の心の負担が軽くなったのは言うまでもないだろう。

 

「ただ、まほ様のほうはそうはいかないかもしれませんねぇ」

「どういうことですか?」

「この際だからはっきり言います。最悪の事態になった場合、まほ様は勘当されるかもしれません」

 

 その言葉を聞いた瞬間、芽依子の安堵感は一気に吹き飛んでしまう。まほが勘当されるという事実は、芽依子を奈落の底に突き落とすのに十分な威力を持っていた。

 

「そんな顔しなくても大丈夫ですよ、めいめい。要はその最悪のシナリオを回避すればいいんですぅ。お父様もその方向で動いてくれてますよ」

「姉さん、最悪のシナリオとはいったい? 芽依子にできることはないんですか?」

「まあまあ、慌てなくても今からちゃんと説明します。もちろん、めいめいにもやってもらうことがありますよぉ」

 

 頼子が語った最悪のシナリオ。それには今開催されている第六十三回戦車道全国大会が深く関わっていた。

 大洗女子学園と黒森峰女学園。もしこの両校が対戦するようなことになった場合、まほが勘当を言い渡される可能性があるというのだ。 

 

「西住流と黒森峰は蜜月の関係ですからねぇ。門下生も黒森峰出身のかたが多いですし。まほ様が黒森峰に弓引くようなことになると、西住流が割れかねません」

「しほ様はまほ様より西住流をとるということですか?」

「島田流が勢いを増している今、仲間割れをしている場合じゃありませんからね。それに、しほ様はもうすぐ家元になられるおかたです。どちらを選ぶかなんて火を見るよりも明らかですよぉ」

 

 西住しほは厳しい女性だ。西住流を守るためなら実の娘を平気で犠牲にできるだろう。

 それほどの非情さがなければ、戦車道の名門流派である西住流の家元を務めることなどできはしない。

 

「決勝戦の相手は間違いなく黒森峰です。伝統を守るのに固執する聖グロリアーナの勝ち目はほぼゼロ。みほ様も伝統を守るおつもりのようですからねぇ」 

「大洗がプラウダに勝ったらまほ様は勘当される……」

「まほ様を守るには大洗が次の試合で負けるしかありません。けど、安心してください。八百長をしろなんて言うつもりはないですから。めいめいは三式中戦車を降りて、M3リーの装填手に戻るだけでいいんですぅ」

 

 大洗女子学園がアンツィオ高校に勝てたのは、芽依子が車長を務めた三式中戦車の活躍が大きい。その三式中戦車を失うことは、大洗にとって大きな戦力ダウンになる。

 だからこそ、芽依子は簡単に首を縦に振るわけにはいかなかった。

 

「仲間を裏切るような真似はできません」

「大洗に来た目的を忘れちゃいけませんよ。芽依子はまほ様を守るためにここへ来たんでしょ?」

「それは……」

 

 以前の芽依子であれば即座にまほを守る選択をしたはずだ。

 しかし、芽依子は大洗でたくさんの素敵な思い出を作ってしまった。まほも大洗もどちらも大切なのだから、すぐに結論は出せない。

 

「実はですねぇ。どうしても戦車に乗りたいという生徒がいるんです。その子は友達も連れてくると言っているので、三式中戦車は戦力外にはなりませんよ」

「そうなのですか?」

「はい。悩むことはなに一つないんです。めいめいは、戦車に乗りたい子の希望を叶えてあげるだけなんですぅ」

 

 頼子の幼く甘い声はまるで悪魔のささやきのようだ。芽依子の罪悪感を溶かし、すべてを肯定してくれる魔性の声。頼子が交渉事を得意としているのは、もしかしたらこの声の力が一番大きいのかもしれない。

 そんなことを漠然と考えていた芽依子に、頼子はさらに言葉を畳みかけてくる。 

 

「大洗は来年がんばればいいんですよぉ。しほ様が家元になられたら、大手を振ってまほ様を守ることができますから」

「それでも、芽依子は……」

「お父様もまほ様を守るために苦労してるんだよ。優しい芽依子なら、お父様のご苦労をわかってあげられますよね?」

 

 それは芽依子にとって最大級の殺し文句だった。

 芽依子は超がつくほどのファザコン。父親が苦労していると聞かされてしまえば、もう抗うことはできない。

 

「……わかりました。姉さんの言うとおりにします」

「うんうん。めいめいが良い子でお姉ちゃんはうれしいですぅ」

 

 頼子に抱きしめられ、頭を優しくなでられる芽依子。

 悪魔の誘惑に負けた芽依子は、姉の抱擁を黙って受け入れるしかなかった。

 

 

◇◇

 

 

 芽依子と別れた頼子は一人公園に残り、携帯電話で話をしていた。この日はブッキーから定期連絡が入る日なのだ。

 

「みほ様が島田愛里寿を連れて大洗にねぇ。ふむふむ、今度の三連休を利用してですか。なるほど、島田愛里寿の力を借りて、大洗にプラウダ対策を仕込むつもりですね」

 

 西住みほは本気で大洗女子学園を廃校から救おうとしている。あの島田愛里寿まで出張ってくるとなると、うかうかはしていられない。

 

「これは情報を集める必要がありそうですぅ。ブッキー、あなたは大洗が三連休でなにをしていたのか調査しなさい。潜入の手回しは頼子がやっておきます」

 

 会話を終えた頼子は携帯電話をポケットへとしまう。大洗での用事はあらかた済ませたが、どうやらもう一仕事しなければならないようだ。

 

「プラウダにはちょっかいを出さない予定でしたけど、そうも言っていられませんねぇ。みほ様の策は頼子が必ず潰してみせます!」

 

 そう力強く宣言し、闇の中へと消える頼子。

 大洗とプラウダの準決勝を巡る戦いは、水面下でさらに激しさを増していく。

 

 

◇◇◇

 

 

 今日は祝日の金曜日。多くの学生が待ち望んでいたであろう三連休の幕開けだ。

 そんななか、冴えない表情で大洗女子学園の学園艦を歩く少女がいた。大洗女子学園の船底で大暴れしたという伝説を作ってしまったオレンジペコである。

 

「そこまで暗くならなくても大丈夫だよ、ペコっち。不良が襲ってきたらあたしたちも戦うし」

「ペコさんはどーんと構えていてください。私が必ずお守りしますから」

「大洗ってそんなに治安が悪いんですか? 紗希さんはごく普通の学園艦だと言ってましたけど……」

「治安が悪いのは大洗の船底ですの。船舶科以外の生徒は、たぶん船底の現状をよく知らないんですわ」

 

 今回のオレンジペコは問題児トリオではなく、友人たちと一緒に大洗を訪れている。ただ、仕掛人は問題児トリオなので、遅かれ早かれ出会うことにはなるのだが。

 

「私は喧嘩を売られるのを恐れてるわけじゃありません。そろそろお払いが必要かなって考えてただけですから……」

 

 オレンジペコが問題児トリオに振り回されるのはいつものことだが、今度は友人たちまで巻きこまれてしまった。

 もう神に祈るだけでは被害は防げない。本格的な厄落としを行わなければ、オレンジペコに平穏な日々は戻ってこないだろう。

 

「ペコっちは大げさじゃん。大洗と合同合宿するだけなんだし、もっと気楽にいこうよ」

 

 少数精鋭での短期合宿。これが今回の大洗訪問の理由だ。

 オレンジペコはラベンダーの目的を知っているので、これに関しては思うところはない。

 

「それに、合宿ってなんだか楽しそうじゃないですか。私なんて昨日は興奮して眠れなかったくらいですよ」

 

 無邪気な笑顔でそう話すカモミール。このカモミールこそが、オレンジペコの唯一の気がかりであった。

 ラベンダーが最初に合宿へ誘ったのがカモミールであり、なおかつ必ず来てほしいと念押しまでしたのだ。普段控えめなラベンダーにしては珍しい、らしくない行動である。

 

 この合宿にはカモミール絡みでなにか裏があるに違いない。オレンジペコはそうにらんでいた。

 場合によっては、オレンジペコが問題児トリオの魔の手からカモミールを守らなければならないだろう。

 とはいえ、大洗女子学園の校舎に到着するにはまだ時間がかかる。問題児トリオは学校で待ちかまえているのだから、今くらいは肩の力を抜いてもいいのかもしれない。

 

 ところが、オレンジペコの巻きこまれ体質は安息の時間を許さなかった。交差点に差し掛かったちょうどそのとき、路地から異様な恰好の四人組が現れたのだ。

 

「むむっ! 敵でござるか?」

「違うようですわね。全員聖グロリアーナ女学院の制服を着ていますわ」

「同胞だな」

「ワニワニ」

 

 路地から出てきたのは、面頬付き日本兜をかぶった少女と時代劇で浪人がかぶる浪人傘を着用した背の高い少女。つば付きの黒い帽子を後ろかぶりにしているサングラスをかけた小柄な少女に、二足歩行する精巧なワニの着ぐるみという四人組。

 オレンジペコ一行は、道端で会ったら誰もが目をそらす奇天烈な集団と鉢合わせてしまった。

 

「本当に不良さんが出てきました!」

「マジかっ!? こうなったらやるしかないし!」

「ふぅ……」

「ニルギリさん!? 気を確かに持ってくださいませ!」

 

 友人たちはパニックに陥ってしまっている。見るからに怪しい連中と出くわしたのだ。普通の女子高生が冷静でいられるわけがない。

 その点、オレンジペコはこの手の輩には慣れっこであり、動じることはなかった。自分が普通の女子高生から逸脱しているようで、ほんの少し悲しくなったが。

 

「みなさん、この人たちは不良じゃありません。聖グロリアーナ女学院の忍道履修生の方々です」

 

 オレンジペコは、ダージリン発案の肝試しで脅かし役をしていた忍道履修生とは面識がある。

 一年生の忍道履修生グループのリーダー兼ムードメイカーである日本兜の少女、半蔵。

 この中で一番お嬢様っぽい雰囲気を醸しだす浪人笠の少女、弥左衛門。

 大洗の二年生、磯辺典子にそっくりなサングラスの少女、小太郎。

 着ぐるみ姿しか見たことがない謎の少女、五右衛門。

 ちなみに、彼女たちは有名な忍者の名前をニックネームにしているので本名は不明である。

 

「そういうあなたは戦車道履修生のオレンジペコ殿。こんなところで会うなんて奇遇でござるな。今日はなにゆえ大洗に?」

「話をする前に、まずはその恰好をなんとかしてください。なんで兜なんてかぶってるんですか?」

「大洗は無法地帯だと風のたよりに聞いたのでござる。万全の備えをするのは当然でござるよ」

 

 半蔵は誇らしげに少々控えめな胸を張る。この少女よりも自分が問題児扱いされている現実に、オレンジペコは理不尽さを感じずにはいられなかった。

 

「周りを見てください。これが無法地帯に見えますか?」

「見えないでござる」

「つまりそういうことです。無法地帯なんて根も葉もない噂ですよ」

「まことかっ!?」

 

 大洗の船底は無法地帯ともいえる状態になっているが、そこにはあえて触れない。面倒事はもうたくさんなのだ。

 

「誰でござるか! 大洗はヨハネスブルグだ、修羅の国だとか言って騒いだのは!」

 

 忍道履修生は半蔵をいっせいに指差す。どうやら下手人は半蔵のようだ。 

 

「拙者でござった。てへっ」

「五右衛門。一発ガブっと噛んでやりなさい」

「ワニィーっ!」

「うぎゃああっ! お代官様、どうかお慈悲をー!」

 

 弥左衛門に促された五右衛門が半蔵に襲いかかる。直立するワニに頭を丸かじりにされてジタバタもがく半蔵の姿は、まるでホラー映画のようであった。

 

「それで、どうして忍道履修生のみなさんは大洗に来てるんですか?」

 

 オレンジペコは半蔵とワニをスルーし、残りの二人に事情を聞くことにした。

 

「大洗の忍道履修生と合同合宿をするためですわ。副頭領が特別に手配してくださったのよ」

「副頭領?」

 

 弥左衛門の返答にオレンジペコは疑問符を浮かべる。忍道履修生の頭領はキャロルこと三郷忍だが、副頭領と呼ばれる人物にオレンジペコは心当たりがなかった。

 

「犬童頼子様だ」

 

 小太郎が口にした名前を聞いた瞬間、オレンジペコの背中に嫌な汗が伝った。

 犬童家は今年の戦車道全国大会の裏で暗躍している存在だ。サンダースの通信傍受機やアンツィオの三輌のP40も犬童家の差し金だと、すでにGI6は当たりをつけている。ダージリンの話では、決定的な証拠をつかむまでGI6は犬童頼子を泳がしているとのことだった。

 

 その犬童頼子が大洗に送りこんできた四人の忍道履修生。おそらく、この中にスパイがいるのは十中八九間違いないだろう。

 一人なのか、それとも複数なのか、はたまた全員グルなのか。わからないことは多々あれど、一つだけはっきりしていることがある。

 これ以上トラブルに巻きこまれたらオレンジペコの身は持たない。

 

「学園艦に戻ったら教会で悪魔払いをしてもらおう……」

 

 生気のない顔でそうポツリとつぶやくオレンジペコ。

 オレンジペコの明日はどっちだ。


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