私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第三十三話 大洗女子学園対サンダース大学付属高校 後編

 観客席の前面に鎮座しているのはドイツ製の列車砲、クルップ K5。

 この列車は車体の上面に装備された砲を大型ディスプレイに換装した改造列車である。ディスプレイには試合の詳細な情報が表示されており、観客はこれで試合の展開をつぶさに確認できるのだ。

 

 大勢の観客がひしめいているサンダース側と観客もまばらで閑散としている大洗側。双方がディスプレイの映像に一喜一憂し、会場は大きな盛り上がりを見せる。膠着状態となっていた試合が一気に動きだし、派手な砲撃戦が始まったからだ。

 森の入口で砲撃戦を始める大洗とサンダースの戦車隊。数は大洗が三輌に対し、サンダースは九輌と圧倒的な差がある。しかし、大洗側は森に隠れながら応戦し一歩も引く気配がない。サンダースの数の暴力に屈することなく戦う大洗の姿に、双方の観客席から歓声が上がった。 

 

 そんななか、大洗側の観客席で冷静に試合を観察する一団がいた。昨年の大会の準優勝校である黒森峰女学園の生徒たちだ。 

 

「大洗はサンダースの手品に気づいたみたいですね」

「西住元隊長が気づいたんだろうな。やる気がないって噂されてたけど、噂は噂でしかなかったみたいだ」

「手品? いったいなんのこと?」

 

 赤星と根住の会話を隣で聞いていた三郷は頭に疑問符を浮かべて首をひねる。

  

「私たちの目的を忘れたの? 深水隊長からサンダースが使う手品の種明かしをするようにって言われたでしょ」

「そういえばそうだった。直下もわかったのか?」

「えっ! いや、それはその……」

 

 三郷にツッコミを入れた直下も種明かしはできていないようだ。

 そんな二人に手品の種を明かしたのは、暗い表情で一番端に座っているエリカであった。

 

「無線傍受よ。まさかサンダースがこんな姑息な手を使うなんてね」

「なるほど、だからサンダースは大洗がいる森に向かって迷わず突き進んでいったのか。ん? ということは大洗の二輌が別行動しているのは……」

「大洗はサンダースの無線傍受を逆手にとって、フラッグ車を撃破するつもりなんですよ」

「丘の上で動かないのは、フラッグ車の位置を探っているからだ。闇雲に動き回って相手に感づかれたら、大洗に勝ち目はなくなるからな」

 

 赤星と根住から試合の状況を説明され、三郷と直下は合点がいったと手を叩く。

 そのとき、丘の上で待機していた大洗の別動隊が動きを見せた。ほかの観客もその動きに気づいたようで、前に座っている聖グロリアーナの制服を着た少女たちから声援が飛ぶ。

 

「ウサギさんチームが動きましたよ!」

「サンダースのフラッグ車がいる竹林に向かってますの。どうやらフラッグ車の居場所がわかったみたいですわ」

「いっけー、あずっちーっ! サンダースをやっつけろー!」  

「いよいよあれを使うんですね。紗希さん、がんばってください」

 

 サンダースのフラッグ車が潜む竹林へと一直線に歩を進める大洗の別動隊。

 決着のときが刻一刻と近づいていた。

 

 

◇◇◇

 

 

『アリサ、森に隠れてた大洗の車輌は全部撃破したけど、肝心のフラッグ車が見当たらないわよ?』

「そんなバカな! どこかに隠れてたりはしていませんか?」

『もう隅々まで探したわ。この森には最初からフラッグ車はいなかったみたいね』

「わかりました。大洗のフラッグ車の居場所を予測しますので、少し待ってください」

 

 いったん無線を切りケイとの会話を中断したアリサは思案に暮れる。

 大洗のフラッグ車が森にいなかったのはまったくの想定外だった。大洗の隊長である武部沙織は、フラッグ車を連れて森の奥へ隠れるようにM3リーの車長に指示を出していたからだ。

 

「もしかしてあれは演技だった? 大洗は無線を傍受されているのに気づいて、一芝居打ったっていうの?」

 

 無線傍受を大洗に看破された。その結論に至ったアリサの背中を冷たい汗が伝う。

 それが事実なら大洗の残存部隊の狙いはアリサのフラッグ車だ。そう考えると護衛がいないこの状況はどう考えてもまずい。M3リーの主砲は旋回角度に制限があるので使い勝手は悪いが、その分威力はある。当たり所が悪ければシャーマンの装甲も抜かれてしまうだろう。

 

「大丈夫。大洗にフラッグ車の居場所はわからないはずよ。本隊と合流できれば私の勝ちだわ」

 

 キューポラから身を乗りだし、アリサは念のため辺りを確認する。

 竹林は不気味なほどの静寂を保っており、物音一つしない。その様子にほっとしたアリサは車内に戻ろうとしたが、途中でピタッと動きを止めた。誰かに見られているような鋭い視線を肌に感じたからだ。

 アリサはこの状況に覚えがある。島田愛里寿と西住邸の様子をうかがっていたときに気づいた殺気を帯びた視線。今アリサに向けられている視線はそれと酷似していたのだ。

 

「い、今すぐ出発しなさい!」

「そんなに怯えてどうしたんですか?」

「この場所にいたら危険なの! 私はまだ死にたくないのよ!」

 

 どこへ移動するかの指示も出せないほどアリサは取り乱していた。

 早くここから逃げなければならない。アリサの頭にはその思いしか浮かんでこなかったのである。

 

「ひとまず竹林から出ますけど、それでいいですか?」 

「なんでもいいから早くっ!」   

 

 アリサの指示で操縦手はシャーマンを発進させた。

 シャーマンは行くあてもなく前進し、竹林を抜けて森を切り開いた広い道に出る。そんなシャーマンの前に現れたのは、消息不明だった大洗の一輌の車輌。前方からこちらへと向かってくる小さな戦車は、大洗のフラッグ車である38(t)だ。

 

「車長! 大洗のフラッグ車がこちらへ向かってきます!」

 

 混乱状態だったアリサは操縦手の言葉で我に返った。敵が出てきたのだから、いつまでも冷静さを失っている場合ではない。 

 38(t)が真正面から突っこんでくるこの状況で打てる手は二つ。ここで38(t)を始末して決着をつけるか、それとも後退して本隊との合流を優先するか。その二つの選択肢からアリサが即座に選んだのは、フラッグ車の撃破であった。

 

「飛んで火にいる夏の虫とはこのことよ。蹂躙(じゅうりん)してやりなさい!」

 

 向かってくる38(t)を撃破すべく、アリサは砲撃命令を下す。

 アリサが後退を選ばず、攻勢に打って出たのには戦車の性能差以外にも理由がある。38(t)の砲手である河嶋桃は砲撃の命中率に難があるのだ。彼女の腕ではシャーマンに傷一つ付けることはできないだろう。

 一回戦の対戦相手である大洗女子学園をアリサは徹底的に調査した。ラベンダーの姉である西住まほのやる気がないことや、大洗が今年で廃校になることまで情報は完璧である。大洗の選手の長所も短所もアリサにはすべて把握済みだ。

 

 アリサの命令でシャーマンの砲撃が38(t)に放たれた。

 しかし、38(t)は砲撃をぎりぎりで回避し、なおも前進してくる。愚直に突き進む38(t)の姿にアリサは小さく舌打ちすると、すぐさま次の砲撃を指示した。

 操縦手の小山柚子はとくに特徴がない並みの選手で、車長の角谷杏はそもそも練習すらまともにしない。そんな連中がシャーマンの砲撃を何度も避けられるはずがないとアリサは高をくくっていた。

 

 それが慢心だったことをアリサはすぐに思い知らされる。

 シャーマンの砲撃は38(t)に当たる気配がなく、逆に38(t)の攻撃は的確にシャーマンに命中。38(t)の火力が低いおかげで白旗は上がらないが、衝撃で車体が揺れるせいで装填手はうまく装填ができず、シャーマンの砲撃回数は徐々に減っていく。立て続けに起こった予想外の事態にアリサのイライラは頂点に達した。

 

「なんでっ! なんで当たらないのよ!」

「車長、後退しましょう。このままだと負けるかもしれませんよ」

「相手は38(t)だぞ! あんな貧相な戦車にシャーマンが負けるわけないわ。近づいてきたところを狙い撃ちしなさい!」

 

 見事な回避能力を見せていた38(t)だが、近距離なら確実に当てられる。この距離で外すような選手はサンダースの一軍にはいないのだ。

 当たりさえすれば軽戦車の38(t)など一撃で撃破できる。無駄な抵抗を続けてきた38(t)もいよいよ年貢の納め時だ。

 

「手間をかけさせられたけど、これで終わりよ。おとなしく廃校になりなさい」

 

 余裕の笑み浮かべアリサは勝利を確信する。

 そのとき、今までとは比べ物にならない衝撃がシャーマンを襲った。白旗は上がっていないが、あまりの衝撃に乗員は慌てふためいている。

 

「車長、これは38(t)の砲撃じゃありません。威力が違いすぎます」

「まさかM3!? いったいどこに隠れてたの!?」

 

 アリサは急いでキューポラから周囲を確認した。M3リーが出てきた以上、もう38(t)に構っている場合ではない。

 砲撃を受けた方向にアリサが目を凝らすと、森の中を緑色の大きな物体が走っている。その物体の正体は大きな布を被ったM3リー。大量の木の葉が付けられている布は、薄暗い森の中では判別がつかない精巧なカモフラージュであった。

 

 大洗のM3リーが偽装作戦で聖グロリアーナのマチルダⅡを撃破したのをアリサは知っている。しかし、38(t)の撃破に躍起になっていたアリサはそのことをすっかり失念していた。

 

「後退! 後退!」

 

 二対一となったことでアリサはすぐさま撤退を決断する。

 その判断は間違ってはいなかったが、タイミングはあまりにも遅すぎた。大洗はシャーマンを逃がさないための策をすでに施していたのだ。

 

「車長! 38(t)に履帯をやられました!」

 

 操縦手の悲痛な叫びが車内にこだまする。

 履帯を破壊されれば戦車はもう動けない。アリサは38(t)を取るに足らない存在だと見くびっていたが、ここにきてそのツケが回ってきた。

 

「こんな連中に負けるなんて……私はあの子に勝たないといけないのに……」

 

 目前まで迫ったM3リーを涙目でボーっと見つめるアリサ。

 そんなアリサを装填手の少女が車内に押しこんだ瞬間、M3リーの主砲が火を吹き、長い戦いに終止符が打たれた。

 

 

 

 

「よっしゃー! 大洗が勝ったぞ!」

「ざまあみさらせですわ! 悪の栄えた試しはないんですのよ!」

「二人とも、興奮しすぎだよ。少し落ち着こう、ね?」

 

 大興奮のルクリリとローズヒップをなだめるみほ。淑女らしからぬ言動はダージリンの前では控えなければならない。

 

「ラベンダーももっと喜んでくださいまし。ほら、お姉様も歓喜の涙を流してますわよ」

「大洗で戦車道を始めたのを知ったときは戸惑ったけど、ラベンダーのお姉さんがこの道を選んだのは正しかったのかもしれないな」

 

 大型ディスプレイには大泣きしているまほが沙織と抱きあう姿が映っていた。

 恥も外聞もなく人前で号泣するまほの姿は、西住流の元後継者とは思えないほど見苦しい。おそらく、西住流に所属している人間がこの映像を見たら誰もが苦い顔をするだろう。

 

 その西住流に所属している人間の中で、頂点に近い位置にいるのが現後継者のみほだ。西住流の後継者としての在り方を考えれば、眉をひそめるぐらいはすべきなのかもしれない。

 しかし、みほにできたのは涙を流すことだけだった。苦しみ続けたまほが沙織たちと喜びを分かちあっている光景は、みほの心を大きく震わせたのだ。

 

「泣いてる場合ではありませんわよ、ラベンダー。次はあなたが答えを出す番なのだから」

「駐機場はここからそう遠くありません。今から出発すれば、黒森峰の人たちが戻ってくる前にたどり着けますよ」 

 

 ダージリンとオレンジペコの言うとおりだ。みほにはこのあとやるべきことがある。

 ポケットからハンカチを取りだし、みほは涙をぬぐった。泣き顔でエリカと会うわけにはいかない。 

 

「よしっ! この勢いでワニ女……逸見とも仲直りするぞ!」

「『思い立ったが吉日』ですわ。急いで駐機場に向かいますわよ。どおりゃあああああー!」

「待ってくださいローズヒップさん! ちゃんと車で送りますからー!」

 

 ものすごい勢いで走るローズヒップをオレンジペコがダッシュで追いかける。

 なにも言わずに付きあってくれる友人たちに心の中で感謝し、みほもローズヒップのあとを追った。

 

 

◇◇

 

 

 夕焼け空の下で行われた試合後のあいさつが終了し、大洗女子学園の一回戦は幕を閉じる。

 あとは学園艦に帰るだけなのだが、その前にサンダースの隊長が沙織たちのもとへやってきた。

 

「一回戦突破おめでとう。二回戦もがんばってね」

「あ、ありがとうございます」

 

 負かした相手から激励の言葉をかけられた沙織がドギマギしていると、ケイは次にまほへと言葉をかけた。

 

「ハーイ、まほ。囮と偽装を使ったあの作戦、Greatだったわよ」

「作戦を考えたのは私だが、勝てたのはチームメイトの助力があったからだ。全部みんなのおかげだよ」

 

 大泣きしたせいでまだ少し目が赤いまほは、すっきりしたような笑みをケイへと向ける。 

 

「あなたが転校したって聞いたときは心配したけど、どうやら杞憂だったみたいね。私は今年で卒業だけど、大学であなたと戦える日が来るのを楽しみに待ってるわ」

「ああ。そのときはよろしく頼む」

 

 夕日に照らされた二人がガッチリと握手を交わす。まるで漫画のようなその光景に、沙織は思わず見入ってしまった。

 

「それと、そのロングヘアーとってもcharmingよ。大学生になったら男の子に囲まれちゃうかもね」

「それは少し困るな。私は男子とほとんど接点がなかったから、どう対応したらいいかわからない」

「ふふ、あとで私が男の子のあしらい方を教えてあげるわ。See you next time!」

 

 ケイは英語で別れのあいさつを告げると、ゆっくりと歩き去っていく。

 試合に負けたとしてもそれを表に出さず、さわやかに対戦相手と会話ができる大人な女性。それが沙織がサンダースの隊長に抱いた印象であった。

 沙織が出会う戦車乗りは魅力的な女性ばかりだ。練習試合で戦ったラベンダーとダージリン、そして今回対戦したケイ。同性の自分ですら彼女たちを好ましく思うのだから、世の男性の目にはもっと魅力的に映るだろう。

 自分もみんなと肩を並べられるような戦車乗りになってモテモテになる。沙織の原点であるモテモテになりたいという思いは、今熱く燃え上がっていた。

 

「武部殿がすごく気合を入れてますよ」

「もう次の試合のことを考えているのでしょうか?」

「いや、あれはきっとろくでもないことを考えてる顔だ。関わると面倒だから、そっとしておこう」

「すごいな。幼馴染というのはそこまでわかるものなのか……」

 

 なにやら感心した様子のまほに対し、麻子は静かに首を横に振った。

 

「西住さん、沙織は単にわかりやすいだけだ。そのうちみんなにもわかって……すまない、電話だ」

 

 会話を途中で切り麻子は携帯電話を手に取る。すると、麻子は少し話しただけで携帯電話を地面に落としてしまった。

 青ざめた表情で小刻みに震える麻子の様子は、なにか深刻な事態が起きたことを物語っている。

 

「もしもし、私は麻子の友人で武部と言います。いったいなにがあったんですか?」

 

 沙織は麻子が落とした携帯電話を拾いあげ、電話の声に耳を傾ける。

 電話の主はとある病院の看護師。要件は麻子の祖母が倒れたので、今すぐ病院に来てほしいというものだった。

 麻子に電話がかかってきたのは、彼女の両親が交通事故ですでに亡くなっているからだ。麻子にとって、祖母は残された唯一の肉親なのである。

 

「どうしよう、麻子のおばあさん倒れたって。看護師さん、早く病院に来てほしいって言ってる」

「まずいな。まだ試合が終わったばかりで、撤収には時間がかかる。学園艦が帰港するころには真夜中になっているぞ」

 

 まほのその言葉を聞いた麻子は急に駆けだすが、すぐに足をもつれさせて転んでしまう。精神的動揺のせいで体も満足に動かせないようだ。

 

「冷泉殿、大丈夫ですか!?」

「嫌だ……おばあ、私を一人にしないで……」

「しっかりしてください、冷泉さん」 

 

 優花里と華に助け起こされた麻子の顔は土で汚れてひどい有様。あまりの痛々しさに沙織は胸が締めつけられる思いだった。

 一刻も早く麻子を病院に送り届けなければならないが、沙織がいくら考えてもいい案はまったく浮かんでこない。サンダースとの試合で沙織に策を与えてくれたまほも難しそうな顔で考えこんだままだ。

 そんな絶望的な状況のなかで、実に意外なところから救いの手が差し伸べられた。

 

「隊長! 黒森峰のヘリを使ってください!」

「エリカ? それに小梅まで……なぜ二人がここにいるんだ?」

「お久しぶりです、西住元隊長。話はあとにして今は駐機場に向かいましょう。さあ、急いでください!」 


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