私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第三話 ラベンダーと大洗

 大海原を進む聖グロリアーナ女学院の学園艦を朝の日差しが柔らかく照らしている。

 みほは今日も友達二人と一緒に登校しているが、いつもとは登校風景が違っていた。普段は早歩きで先頭を行くローズヒップが、今日は最後尾でとぼとぼと歩いているのだ。

 

「ローズヒップさん、元気出して。きっともうすぐクルセイダーも帰ってくるよ」

「そうだぞ、ローズヒップ。それにこの前、マチルダの砲撃訓練でアッサム様にほめられてたじゃないか」

「マチルダでほめられてもうれしくないですわ。ああ、クルセイダー、あなたは今どこにいるんですの?」

 

 ローズヒップの元気がない理由。それは、ここしばらくクルセイダーに搭乗していないからだ。マチルダⅡに搭乗し続けたことで、戦車を降りたあともローズヒップはおとなしくなってしまったのである。

 

「クルセイダーなら陸の整備工場で元気にやってるよ。だから今日もマチルダでがんばろうな」

「もう、もうマチルダは嫌ですの! クルセイダー、カムバーックですわー!」

 

 ローズヒップは両手を口元に添え、空に向かって叫んだ。今までのうっぷんを晴らすかのような大声のせいで、通行人からは奇異の目で見られてしまう。

 みほはそんなローズヒップに対し、申し訳なさそうに声をかけた。

 

「ごめんね、ローズヒップさん。クルセイダーが壊れちゃったのは、車長である私の責任だよ……」

 

 みほ達のクルセイダーは、先日行われた紅白戦で故障してしまった。

 原因は速度制限用のリミッターの解除。クルセイダーはリミッターを外すことで時速60㎞近いスピードを出せるが、その分エンジンに多大な負荷がかかる。クルセイダーのリミッターを解除したのはこれが初めてだったが、運悪くエンジンは寿命を迎えてしまったのだ。

 

 整備科の生徒ではお手上げ状態だったクルセイダーは、本格的な修理を受けるために陸の整備工場に運ばれている。クルセイダーがいつ戻ってくるのか、現状では見通しはまったく立っていない。

 

「ラベンダーのせいではないですわ。ダージリン様の前でいい格好をしようとしたわたくしが悪いのでございますわ……」

「私もラベンダーも最終的にはローズヒップの意見に賛同したんだ。全員に責任があるでいいじゃないか。私たちはチームだからな、何があっても一蓮托生だ」

「それってたしか、どんな結果でも最後まで運命や行動を共にするって意味の言葉だよね。お茶会でダージリン様が話してたから、私もよく覚えてるよ」

「今の私達にぴったりの言葉だろ。ダージリン様の難しい話もたまには役に立つな」

 

 ダージリンの話の最中によく居眠りをしていたルクリリであったが、ここ数日はまじめに話を聞いていた。

 アッサムに指摘されていた言葉づかいも大幅に改善。今ではルクリリがお嬢様言葉を使わないで話すのは、みほとローズヒップの前だけだ。

 

 ローズヒップがおとなしくなったのと、ルクリリの態度が良くなったことで、アッサムに怒られる回数も減少した。この分なら、問題児トリオの汚名を返上する日は案外近いのかもしれない。

 

「ところで、クルセイダーはどこに運ばれたんですの?」

「茨城県の大洗ってところだ。どうして大洗なのかは私もよくわからないけどな」

「大洗は昔戦車道が盛んだったの。大洗女子学園の学園艦で直せなかった戦車は、大洗町の整備工場で修理してたんだよ。もう二十年も前に大洗女子学園の戦車道は廃止になっちゃったけど、大洗町の整備工場はまだ現役で稼動してるんだ」

「ラベンダーは大洗に詳しいですわね。お知り合いが住んでたりするのでございますか?」

「大洗女子学園は進学先の第一候補だったの。中学のころ、戦車に乗るのが嫌になった時期があったから、最初は戦車道がない学校に進学したかったんだ。けど、西住流の看板を背負ってる私が戦車道から逃げるのをお母さんは許してくれなくて……。それがきっかけで喧嘩になっちゃったの」

 

 みほは悲しい顔で目を伏せた。

 母と喧嘩をし、姉に暴言を吐いたあの日以降、二人とは会話らしい会話をしていない。家族と疎遠になる原因を作ってしまったのをみほは深く後悔していた。

 

「大丈夫ですわよ、ラベンダー。わたくしも小さいころは家族と殴り合いの喧嘩をしたでございますけど、今はみんな仲良しですわ」

「私だって親とはよく口喧嘩してたし、誰だって一度や二度は親と喧嘩ぐらいするさ。今はつらいかもしれないけど、あんまり気に病まないほうがいいぞ」

 

 ローズヒップとルクリリはみほを必死に励ましてくれる。

 みほは今まで、家族や西住流のことは二人にあまり話さないようにしてきた。二人の自分を見る目がラベンダーから西住みほに変わってしまうのを恐れたからだ。

 

 大洗の名前が出たことでうっかり口を滑らせてしまったが、みほの不安は杞憂だった。二人は西住流など気にもせず、みほを励ますのを一番に考えてくれたのである。

 二人の目に映っているのは西住流の西住みほではなく、聖グロリアーナのラベンダーなのだ。

 

「二人ともありがとう。私、大洗女子学園じゃなくて聖グロリアーナ女学院に入学して本当によかった。だって、こんなにステキな友達に出会えたんだもん」 

 

 感謝の言葉を口にするみほの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 

 

 

 それから数日後、みほ達は訓練後のお茶会の最中に隊長室へ呼び出された。三人がアールグレイから呼び出しを受けるのはこれが初めてだ。

 

 隊長室に向かう途中の三人の表情には緊張感が漂っていた。アールグレイが苦手なみほはとくにそれが目立ち、顔からは血の気が引いている。

 

 ほどなくして隊長室に到着した三人は、ルクリリを先頭に部屋に入っていく。みほが入室したのは一番最後であった。

 隊長室は中世ヨーロッパの貴族の部屋をイメージした作りになっており、部屋を彩る家具は一目で豪華なものだとわかる。その隊長室の中央に置かれたソファーで、アールグレイは上品に紅茶を飲んでいた。

 

「失礼します。ルクリリ、ローズヒップ、ラベンダーの三名、お呼び出しに従い参りましたわ。アールグレイ様、ご用件はなんでございますか?」

 

 ルクリリが先陣を切ってアールグレイに問いかけた。怯えるみほと本調子ではないローズヒップを守るように、体は二人より一歩前に出ている。

 

「そんなにかしこまる必要はありませんよ。あなた達をここへ呼んだのは、お願いしたいことがあったからなの。だからそんな不安な顔はしなくていいのよ」

 

 アールグレイは笑顔でみほ達に優しく語りかけてくる。

 その表情を見たみほは、不安や恐れの気持ちが少しずつ薄れていくのを感じていた。中学時代の苦手な同級生は、あんな綺麗な笑顔を見せたことは一度もなかったからだ。

 

「あ、あのっ! アールグレイ様の頼みごとってなんですか?」

 

 みほは勇気を奮い立たせてアールグレイに話しかけた。

 アールグレイはあの同級生と容姿が似ているだけで、何も怖がる必要はない。いつまでも過去の幻影に怯えていてはアールグレイに失礼だ。

 

「あなた達には、大洗の整備工場にクルセイダーを受け取りに行ってもらいたいの。学園艦は明日の早朝には大洗港に入港する予定ですから、午後の戦車道の授業中に向かってもらうことになりますわ」

「アールグレイ様、それはマジでございますか!」

「ええ。時間がかかってしまいましたけど、クルセイダーが直ってよかったですわね」

「やったでございますわ! 直ったばかりのクルセイダーに一番乗りできるなんて、超ハッピーですわ!」

 

 ローズヒップは喜びを爆発させ、ガッツポーズをしながらぴょんぴょん飛び跳ねている。先ほどまでのおとなしい様子とはまるで別人であり、さすがのアールグレイも驚いたような表情で固まってしまった。

 

「よ、喜んでもらえたようでなによりですわ。それとは別にもう一つお願いがあって、実はその整備工場には聖グロリアーナのお客様が来ているの。申し訳ないのだけど、クルセイダーを受け取ったら彼女を学園艦まで送ってほしいのです」

 

 アールグレイは一枚の写真をみほ達に見せた。

 写真には小学生ぐらいの少女が写っている。銀色の長い髪をサイドテールにしており、手にはボコのぬいぐるみが握られていた。

 

「お客様はこの子よ。名前は島田愛里寿さん」

 

 島田という苗字はみほには聞き覚えがあるものだった。

 日本には西住流と双璧をなす代表的な戦車道の流派がある。

 その流派の名は島田流。

 島田流は集団よりも個の力を重視し、あらゆる状況に柔軟に対応するのを得意とする流派。集団の力強さに重きを置く西住流にとって、島田流はライバルといえる存在である。

 

 島田流が一瞬頭をよぎったみほであったが、そのことはすぐに忘れさられた。みほの興味は、すでに少女が持っているボコのぬいぐるみへと移っていたからだ。

 

「この子もボコが好きなのかな? 貴重なレアボコを持っているなんて、ただものじゃないよ」

「そうかしら? 私には違いがよくわからないけど……」

「全然違うよ! 両目を怪我してるタイプのボコには滅多にお目にかかれないもん!」

「そ、そうね。よく見てみたら、ラベンダーの部屋にあるボコとはまったく違いますわ」

「ルクリリはうかつ者ですわね。同じ失敗を何度も繰り返すようでは、上品なお嬢様にはなれないでございますわよ」

「お前にだけは言われたくないわ!」

 

 みほの突然の豹変とルクリリの乱暴な言葉づかいに、アールグレイは目を丸くしている。

 もしこの場にアッサムが同席していたら、久しぶりのお説教タイムが始まっていただろう。

 

「こほん、では頼みましたよ。大事なお客様なのですから、くれぐれも粗相のないようにお願いしますわね」

 

 

 

 翌日、午前中の授業を終え昼食を終えたみほ達は、大洗港からバスに乗り整備工場へと向かった。

 整備工場はバスを使って一時間ほどかかる場所にある。三人は陸の景色を見ながら短いバスの旅を楽しむことにした。

 

 バスは海沿いの道を北上し、目的地に向かって進んでいる。途中で渋滞もなく移動は順調であったが、ゴルフ場の看板を越えたあたりからみほが急にそわそわしだした。

 

「ラベンダー、どうしたのでございますか? もしかしておトイレですの?」

「ち、違うよ。ちょっと看板を探してるの。このあたりにあるはずなんだけど……」

「どんな看板なんだ? 私たちも探すのを手伝うぞ」

「ありがとう。実は……あっ! 見つけた!」

 

 窓側の座席に座っていたみほが指差した先にあったのは、薄汚れたぼろぼろの看板。ボコの絵が描かれたその看板には、ボコミュージアム500m先左折と書かれてある。

 

「ローズヒップ、私は今猛烈に嫌な予感がしてるんだが……」

「わたくしもでございますわ。今のうちに覚悟を決めておいたほうがいいかもしれないですわね」

 

 浮かない表情の二人とは違い、みほは輝くような笑顔で徐々に小さくなっていく看板を見つめていた。  

  

 

 

 整備工場に到着したみほ達は、工場の女性スタッフに案内されて戦車が格納してあるガーレジへとやってきた。

 この整備工場は戦車の販売も手がけており、ガレージの中には様々な戦車が並んでいる。その一角にある英国戦車が集合している場所に、ぴかぴかに磨かれたクルセイダーの姿があった。

 

「クルセイダー! こんなに凛々しい姿になって、やっぱりあなたは最高ですわ!」

 

 ローズヒップは大喜びでクルセイダーに飛びついた。

 そこまでなら微笑ましい光景だったのだが、ローズヒップは喜びのあまり車体に頬ずりを始めてしまう。それを見た女性スタッフは、お嬢様とは思えないローズヒップの奇行にドン引きしていた。

 

「あ、あの。こちらに受け取りのサインをお願いできますか?」

「わかりました。これでいいでしょうか?」

「申し訳ありません。本名ではなく、ニックネームでお願いします。聖グロリアーナ女学院のお客様とは、いつもニックネームでやり取りしておりますので」

「ふえっ!? ご、ごめんなさい……」

 

 みほは慌てて西住みほというサインを二重線で消し、隣にラベンダーと書き直した。

 

「ありがとうございます。この度はわざわざご足労願うことになってしまい、大変申し訳ありませんでした。本来ならこちらの車輌と一緒にお届けに上がる予定だったのですが、手配ミスで大型の運搬車輌が用意できなくなってしまって……。引き取りに来ていただけたのは本当に助かりました」

 

 女性スタッフが手のひらで指し示した先には、濃い緑色のごつごつした戦車が置かれていた。隣にあるクルセイダーよりもサイズは大きく、チャーチル歩兵戦車を小さくしたようなデザインだ。

 

「正面から見ると、少しチャーチルに似てるでございますわね。これはなんて名前の戦車なんですの?」

「これはクロムウェル巡航戦車だよ。すごく足が速い戦車で、クルセイダーよりも速く走れるの」

「マジですの!? 見た目だけだと、とてもクルセイダーより速いとは思えないですわ」

「聖グロリアーナは、マチルダとクルセイダーとチャーチルしか使用できないんじゃなかったかしら? OG会の圧力があるから、別の戦車は導入できないって話を聞いたことがありますわ」

 

 女性スタッフがいるのでお嬢様モードになっているルクリリが指摘した通り、聖グロリアーナの戦車道はOG会の強い影響下にある。

 

 戦車道はお金がかかる武芸。戦車の購入費や整備費はもちろん、燃料や砲弾などの消耗品費にも多額の出費をともなう。

 そんな聖グロリアーナの戦車道を財政的に支えている組織。それが卒業生で構成されているOG会である。OG会の援助のおかげで、聖グロリアーナはいっさいお金に困らず戦車道を行えるのだ。

 

 貧乏な高校が聞いたらうらやましがられる話かもしれないが、援助をもらえるのはいいことばかりではない。OG会は聖グロリアーナの戦車道チームに、使用する戦車の車種や戦術などで注文をつけてくるからだ。

 他の強豪校に比べて聖グロリアーナの戦車が劣っているのはOG会が原因であった。

 

「OG会の了承がないと新しい戦車は買えないはずだよ。アールグレイ様は許可を取ったんだと思うけど、急にどうしたんだろう?」

「クロムウェルを購入したいという連絡があったときは、私共も驚きました。去年まではクルセイダーの購入を検討されていましたからね。それでは、私は島田愛里寿様をお連れします。しばらくこの場でお待ちください」

 

 女性スタッフはその場で一礼すると、きびすを返してガレージを退出した。

 クロムウェルが気になったみほであったが、島田愛里寿の名を聞いた瞬間、クロムウェルの存在は即霧散。みほの頭の中は、愛里寿と早くボコの話がしたいという思いで埋めつくされてしまった。

 

 

 

 

 整備工場の応接室では、一人の少女が女性スタッフが来るのを待っていた。

 少女は持っていたボコのぬいぐるみを膝に乗せ、ぬいぐるみの腕を動かして遊んでいるように見える。しかし、無表情な顔でぬいぐるみをいじっている姿はとても楽しそうには見えない。

 

「お待たせしてすみません。ここを片づけたら、すぐに聖グロリアーナの生徒さんのところへお連れしますので、もうしばらくお待ちください」

 

 応接室に入室してきた女性スタッフは手にしていたバインダーを机に置き、応接室の片づけを始めた。片づけといっても、少女が飲んでいたお茶とお茶請けを下げるだけの簡単な作業だ。

 

 女性スタッフが片づけをしているなか、少女は机の上に置かれたバインダーを凝視している。正確にいうと、バインダーに挟まれた書類の受領欄のサインに注目していた。

 そこに書かれていたサインは、二重線で消された西住みほという名前とラベンダーという植物の名前。

 

「西住みほ……ラベンダー?」

 

 少女は女性スタッフが片づけを終えるまで、不思議そうな表情でその名前を見続けていた。


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