私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第二十五話 犬童芽依子の決意

 聖グロリアーナ女学院が毎年行う一年生だけで戦う練習試合。今年の対戦相手は早い段階で決まっており、入学したばかりの一年生はこれが初の実戦である。

 今年の対戦相手は前年の戦車道全国大会で優勝したプラウダ高校。一年生だけで戦うには荷が重い相手だが、それだけダージリンは今年の一年生に期待しているのだろう。

 

 優勝校のプラウダ高校は練習試合で人気がある。なかでもとくに練習試合を行っているのが黒森峰女学園で、プラウダ高校の試合スケジュールは多くが黒森峰女学園で埋まっていた。

 そんなプラウダ高校と早期に練習試合を組めたのは、ダージリンの手腕によるところが大きい。プラウダ高校の新隊長であるカチューシャはダージリンの茶飲み友達であり、ダージリンがプラウダの学園艦へおもむくことも多かった。その際にダージリンはカチューシャを言葉巧みに誘導し、練習試合の約束を取りつけたのだ。

 

 一年生の引率はマチルダ隊とクルセイダー隊の隊長の役目。

 ダージリンの指示を受けたみほとルクリリは、補佐役に任命されたローズヒップとともにプラウダ高校の指定した演習場へと向かうことになった。

 

 

 

 

 雪が舞う演習場は見渡す限り一面の銀世界。あちこちに雪だるまが作られており、雪景色という言葉がよく似合う。聖グロリアーナ女学院一行がやってきたのはそんな極寒の地であった。

 ほとんどの一年生が身を震わせ、持参した防寒具で寒さを耐えしのんでいる。つねに優雅が聖グロリアーナの合言葉だが、この寒さでそれを実践できる一年生は少ないようだ。

 

 そんな一年生とは対照的に、引率役であるみほたちは身じろぎ一つしていなかった。一年生のお手本にならなければいけない二年生が、この程度の寒さで見苦しい姿を見せるわけにはいかない。いつものタンクジャケット姿で、防寒具すら身につけていない三人は聖グロリアーナの精神を身をもって示していた。

 

「もうすぐプラウダ高校がやってきます。あと少しの辛抱ですので、みなさんがんばりましょう」

「プラウダ高校が到着したらコートは厳禁ですわよ。聖グロリアーナの生徒がこれぐらいの寒さで音を上げていたら、他校の生徒の笑いものになりますわ」

「みなさま、『心頭を滅却すれば火もまた涼し』でございます。心持ちがしっかりしていれば、こんな寒さなんてへっちゃらですわ。カモミールさんとハイビスカスさんを見習ってくださいまし」

 

 ローズヒップが指差した先には、雪合戦をしているカモミールとハイビスカスの姿があった。たしかに二人は寒さをものともしていないが、雪遊びに夢中になっている姿は淑女とは言いがたい。 

 

「なにをやってるんですかあの二人は……ちょっと注意してきますね」

「私も行きますの」

「あの、私も……」

 

 オレンジペコはベルガモットとニルギリを連れて注意に向かう。

 不幸な事故により問題児の仲間入りを果たしてしまったオレンジペコ。それでも、彼女が一年生の中でリーダー的存在であることに変わりはない。

 

 オレンジペコに任せておけば大丈夫だろう。みほはそう楽観視していたが、事態は思わぬ方向に進んだ。友達が来たことでハイビスカスの悪ノリがさらにエスカレートし、雪合戦の第二ラウンドが始まってしまったのだ。

 

 顔面に雪玉を連発されたオレンジペコが反撃したことで、すでに事態は収まりがつかなくなっている。どうやら問題児入りしたことで、オレンジペコもいろいろと染まりつつあるようだ。  

 

「オレンジペコさんたちはやっぱり一味違いますわね。元気があってたいへんよろしいですわ」

「ペコのやつ、雪だるまの頭を投げてるぞ。さすが聖グロ一の怪力無双だな」

「感心している場合じゃないよ。こんなところをプラウダの人たちに見られたらまずいことに……ってもう来ちゃった! みなさん、整列! 整列してください!」

 

 みほたちは慌てて雪合戦を止めに入る。三人の行く先々でドタバタ騒ぎが起こるのは、もはや宿命なのかもしれない。

 

 

 

 試合前はゴタゴタしたが、練習試合はとくに問題も起こらず終了した。

 結果はプラウダ高校の勝利。とはいえ、聖グロリアーナもプラウダの車輌を数多く撃破したので、戦車の性能差がある割に善戦したといえる。

 

 プラウダの主力戦車であるT-34は高い機動性と攻撃力を兼ね備えた優秀な戦車だ。聖グロリアーナのマチルダとクルセイダーに比べると、その性能差は歴然。さらにプラウダはソ連製の重戦車、KV-2まで投入してきたので、最初から分の悪い戦いだったのだ。

 

 そのプラウダ相手に一年生が健闘できたのは、オレンジペコの指揮が優れていたからである。

 普段チャーチルの装填手を務めているオレンジペコは、ダージリンから直々に指揮官になるための指導を受けている。おそらく、ダージリンはオレンジペコを将来の隊長に育てたいと考えているのだろう。今回の練習試合でオレンジペコが活躍したことは、ダージリンの人を見る目が正しいことの証明でもあった。

 

 オレンジペコの指揮で動いていたクルセイダー隊も大きな戦果をあげた。その中でもっとも活躍したのが、ハイビスカスが車長を務めるクルセイダーMK.Ⅲだ。T-34だけでなくKV-2まで撃破したのだから、その活躍には文句のつけようがない。

 

 ハイビスカスのクルセイダーが活躍できた一番の要因はチームワークの良さにある。車長がハイビスカス、装填手がカモミール、砲手がベルガモット、操縦手がニルギリ。仲のいい友達同士でチームを組んだことが、抜群の連携を可能にしていた。

 入学したばかりの一年生は戦車に不慣れである。それを見越したオレンジペコは、技術よりも信頼関係を重視した乗員の配置をしたのだ。

 

 試合で大活躍したハイビスカスたちは、試合後のお茶会でKV-2の乗員と仲良く紅茶を飲んでいた。もちろんそこにはオレンジペコの姿もある。

 試合の勝敗や撃破されたことを双方が気にしている様子はない。敵味方でいがみ合うことなくお茶会を楽しんでいるその姿は、聖グロリアーナの戦車道が次の世代にしっかり受け継がれている証拠であった。

 

「あなたのとこの一年生もなかなかやるわね。正直、ここまでやるとは予想してなかったわ」

「今年の一年生は優秀ですから。ダージリン様もすごく期待しているんですよ」

「それに比べてうちのニーナたちときたら……相手の力を甘く見てカーベーたんを撃破されるなんてお仕置きが必要ね。シベリア送り25ルーブルぐらいが妥当かしら?」

「ふえっ!? そんなに厳しい罰を与えるんですか?」

「ラベンダーさん、安心してください。カチューシャが大げさに言ってるだけで、実際は日の当たらない教室で25日間の補習を受けるだけですから」

「ちょっとノンナ、大げさとはなによ。これはプラウダの伝統的な罰なんだからね」

「聖グロリアーナのカヴェナンターみたいなものですわね」

「補習を受けるぐらいならカヴェナンターのほうがましでございますわ。二回目は楽勝でしたもの」

 

 カチューシャとノンナがいるテーブルでみほたちはお茶会を楽しんでいた。ちなみに、このお茶会が行われている会場は演習場近くのホテルの食堂。人数が多いので当然貸し切りだ。

 費用はお茶会を主催している聖グロリアーナがすべて負担する。戦車道に関わることなら、なんでもOG会の援助でまかなうことができるのだ。

 

「それはそうと、聞いたわよラベンダー。やっぱりあなたが西住流の後継者だったのね」

「だますつもりはなかったんです。実はあのあといろいろあって……」

「気にしなくても大丈夫ですよ。詳しい話はトモーシャが教えてくれましたから」

「トモーシャさん?」

「トモーシャは黒森峰の隊長の愛称よ。カチューシャがつけてあげたの」

 

 黒森峰の新隊長は去年副隊長だった深水トモエである。黒森峰女学園にはすでにしほが事情を説明してくれたので、新隊長に就任したトモエが詳しい話を知っているのもうなずけた。

 どうやらカチューシャにとって、トモエは愛称をつけるほど親密な間柄のようだ。プラウダの試合スケジュールが黒森峰で埋まっているのもそれが大きな理由なのだろう。

 

「トモーシャの話だと、ラベンダーの評判は黒森峰ではかなり悪いらしいわ。まあ、詳しい話を知らない子が多いから仕方がないわね。なかでもとくにあなたのことを嫌ってるのは、副隊長の逸見エリカって子よ」

「あのワニ女、まだ去年の練習試合のことを根に持ってるみたいだな」

「次に会ったら今度こそやっつけてやりますわ!」

「言われてみれば、逸見さんの鋭い目つきはワニのイメージに合いますね。カチューシャも最初は怯えてましたから」

「あれはあの子の威圧感にちょっと押されただけで、別に怯えてたわけじゃないわ!」

 

 逸見エリカに嫌われる原因を作ったのはみほだ。

 みほは聖グロリアーナ女学院に在籍したまま西住流を継ぐという第三の道を選び、相談に乗ってくれたエリカに嘘をついた。それだけでなく、再び聖グロリアーナに通えることに浮かれ、エリカに事情を説明するのを忘れてしまったのである。こんな不義理な自分にエリカが腹を立てるのは当然だろう。今さら遅いかもしれないが、次にエリカに会ったときはしっかりと謝らなければならない。

 

「逸見エリカは西住まほを敬愛してたみたいだからね。ラベンダーが後釜に座ったことがおもしろくないのよ。そういえば、西住まほは元気にしてるの? 戦車道がない学校に転校したのよね?」

「お姉ちゃんはもう大丈夫です。新しい学校で友達もできて、楽しい生活を送ってるみたいですから」

 

 カチューシャの問いかけにみほははっきりとした声で答えた。まほが大洗女子学園で穏やかな日々を過ごしているのは、沙織から送られてきたメールや写真で確認済みである。

 

 まほが元気になれたのは沙織たちのおかげだ。みほはまほと友達になってくれた沙織たちに心から感謝していた。

 メールには大洗の戦車道が復活することも書かれていたので、沙織たちと試合をする日も案外近いかもしれない。もしそうなれば、沙織たちの練習に協力しているまほも応援に来るはずだ。

 その日が来るのを楽しみに思いながら、みほは熱い紅茶に口をつけた。

 

 

◇◇

 

 

 犬童芽依子は大洗女子学園に通う高校一年生。

 黒森峰女学園中等部出身でありながら、芽依子がそのまま高等部へ進学しなかった理由はただ一つ。犬童家の当主を務める父から、西住まほの支えになるようにと指示を受けたからだ。

 

 すべての授業が終わり放課後になると、芽依子はとある場所へと向かう。

 校庭を見渡すことができる大きな木の上。ここが芽依子が最初に陣取るお決まりの場所だ。芽依子はここで、まほが参加している戦車道部の練習が始まるのをいつも待っているのである。

 

 犬童家の人間が戦車に乗ることは決して許されない禁忌。なので戦車道部に入れない芽依子にできることは、こうやってまほを見守るぐらいしかない。まほはすでに友達もできたようなので、芽依子が積極的に動かなくてもいいのが救いであった。

 

「おーいっ! めいちゃーん!」

「そんなところでなにしてるのぉ~?」

 

 芽依子が木の上で戦車道部の活動開始を待っていると、下から二人の少女が声をかけてきた。

 元気いっぱいの阪口桂利奈とのんびりした口調の宇津木優季。二人とも芽依子のクラスメートであり、クラスで一番親しくしている。

 

 芽依子は表情が硬く、会話下手。そんな芽依子が二人と仲良くなれたのは、忍道で鍛えた身体能力の賜物であった。体育の時間に驚異的な運動神経を披露したことがきっかけで桂利奈に好かれ、そのおかげで桂利奈の友人である優季とも親しくなれたのだ。

 アニメや特撮モノを見るのが趣味と語っていた桂利奈は、芽依子の人間離れした身体能力とクールな雰囲気が気に入ったらしい。めいちゃんって戦隊モノならブルーポジションだねとは、桂利奈の談だ。

 

 クラスメートを無下にはできず、芽依子は素早く木をおりていく。その際に風圧でスカートがふわりとめくれあがるが、芽依子はスパッツを着用しているので下着が見えることはない。

 素早い身のこなしと飛んだり跳ねたりする動作は忍道の基本。普段からその基本を忘れないようにしている芽依子にとって、スパッツは必須アイテムである。

 

 最後はジャンプで華麗に地面へと着地する芽依子。その姿を見た桂利奈は少し興奮した様子であった。

 

「やっぱりめいちゃんってカッコいいね! 今の着地なんて特撮ヒーローみたいだった!」

「これから友達とアイスを食べに行くんだけど、芽依子ちゃんも行かない? 芽依子ちゃんのこと、みんなに紹介したいのぉ~」

「申し訳ありませんが芽依子には任務があるので……」

 

 芽依子が誘いを断ろうとしていると、ガレージから数台の戦車が飛びだしてきた。戦車道部の練習が始まったのである。

 

「芽依子はもう行かねばなりません。ごめんなさい」

 

 戦車が走りさった方向へと芽依子も走る。目にもとまらぬ速さで戦車のあとを追う芽依子の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。

 

「任務って戦車道のことなのかなぁ? 今日のオリエンテーションで生徒会は戦車道をおすすめしてたし、芽依子ちゃんも秘密裏に協力してるのかもぉ」

「もしそうなら、めいちゃんは戦車道を選択するってことだよね? 一緒の戦車に乗れたらいいなー」

「桂利奈ちゃんは芽依子ちゃん大好きだよね。これが初恋だったりするのかなぁ~」

「そ、そんなんじゃないよ! ただ憧れてるだけだもん!」

「そういうことにしといてあげるよぉ~」

「だから違うってばー!」

 

 桂利奈と優季はじゃれ合いながらその場を去っていく。芽依子に誘いを断られても、二人がそれを気にしている様子はないようだ。

 

 

 

 翌日の昼休み。芽依子は桂利奈と優季と一緒に学食へやってきた。

 芽依子が学食に来たのはこれが初めて。いつもはまほを見守るために昼はさっさと一人で済ますのだが、今日は桂利奈と優季に強引に押し切られてしまったのだ。

 幸いなことに今日はまほも学食だったので、芽依子の任務に支障は出ない。

 

 桂利奈と優季に連れられた芽依子は、彼女たちの友達である四人の少女を紹介された。

 まじめで落ち着いた印象の澤梓。ロングの黒髪とスタイルの良さが目立つ山郷あゆみ。ツインテールの眼鏡っ子という特徴的な外見の大野あや。無口で表情の変化が乏しい丸山紗希。

 この四人は桂利奈と優季の親友であり、放課後もだいたいこの六人で一緒に過ごしているとのことだった。

 

 芽依子は目つきが悪いので初対面だと怖がられることが多いのだが、みんなフレンドリーに接してくれる。桂利奈と優季は芽依子のことを友達に紹介したがっていたので、芽依子のことはある程度知らされているのだろう。

 

「ねえ、芽依子さんは必修選択科目どうするの? 私たちは戦車道にするつもりなんだけど」

「芽依子はまだ決めていません。子供のころから修行している忍道を選択したいとは思っていますが……」

 

 梓の問いかけに対し、芽依子はそう答えた。

 戦車道部に所属しているまほの友達は、当然戦車道を選択するはず。そうなると、立場的に戦車道を選択できないまほは一人になってしまう。まほを守るためには、芽依子が選択科目を合わせるしかなかった。

 

「えー! めいちゃんも一緒に戦車道やろうよー」

「桂利奈、無理強いはよくないよ。修行してたんなら忍道やりたい気持ちもわかるし」

「芽依子ちゃん、忍道って感じするもんねー。手裏剣とか投げるの上手そう」

 

 あゆみとあやの否定的な意見でふくれっ面になる桂利奈。

 芽依子としては桂利奈の気持ちをくんであげたいところだが、こればかりはどうすることもできない。

 

「二人とも、あんまりいじめないであげてね。桂利奈ちゃんは芽依子ちゃんが大好きだから、ずっと一緒にいたいんだよぉ~」

「芽依子さんの話をするときの桂利奈、いつも楽しそうだったもんね」

「ライクじゃなくてラブかもしれないのぉ」

「えっ!?」

「嘘っ!?」

「マジでっ!?」

 

 梓、あゆみ、あやが驚きの声をあげる。紗希は声こそ発しないが、視線は桂利奈に向けられていた。

 

「そうだったのですか……桂利奈の気持ちはうれしいのですが、芽依子は女性を愛することはできません。芽依子のことは諦めてください」

「優季ちゃん! めいちゃんが信じちゃったじゃない!」

「ごめん、ごめん。芽依子ちゃん、今のは冗談なのぉ~」  

「冗談でよかったです。桂利奈を傷つけずに済みましたから」

「なんか、芽依子さんって達観してるね。忍道をやってるからなの?」

「たしかに忍道は芽依子を強くしてくれました。ですが、まだまだ芽依子は未熟者です。もっと心や体を強くしなければなりません」

 

 西住姉妹が苦しんでいるとき、芽依子はなにもしなかった。姉の頼子は家の事情があると言っていたが、それは言い訳にすぎない。芽依子がやろうと思えば、もっと早く西住姉妹の支えになれたはずである。

 

 結局のところ、芽依子は勝手なことをして父に嫌われるのが怖かったのだ。愛する父と西住姉妹を天秤にかけ、父を選んでしまった結果、西住家は家庭崩壊の危機を迎えた。みほのおかげで危機は去ったが、あのときほど自分の不甲斐なさを痛感させられたことはない。西住家を支えるのが犬童家の誇りだったはずなのに、芽依子はそれを放棄してしまったことを深く悔やんでいた。

 

 だからこそ、今回の任務は犬童家の誇りを守る絶好の機会。まほを全力で支えることで、今度こそ西住家の役に立つ。芽依子は並々ならぬ決意を抱いて大洗女子学園にやってきたのだ。

 

『普通一科、二年A組、武部沙織さん、五十鈴華さん。普通二科、二年C組、秋山優花里さん。至急職員室まで来てください。繰りかえします。普通一科……』

 

 芽依子が自身の決意を再確認していると、生徒の呼びだしを伝える校内放送が流れた。

 武部沙織、五十鈴華、秋山優花里。まほが仲良くしているこの三人の名前は芽依子もよく知っている。

 

「武部先輩って戦車道部の部長だよね? 職員室に呼びだされるなんて、なにしたんだろ?」

「戦車でなにか壊しちゃったんじゃない。学園長の車とか……」

「きっと戦車道のことだよ。戦車道の授業は戦車道部の人たちが担当するみたいだから、その打ちあわせじゃないかな?」

 

 あゆみ、あや、梓の三人が話しているのを聞きながら、芽依子は視線を別の場所へ向けた。

 友達が職員室に呼ばれたことで、まほは今一人。まほにはほかにも冷泉麻子という同学年の友達がいるが、今日は一緒ではないようである。

 

『普通一科、二年A組、西住まほ。普通一科、二年A組、西住まほ。至急生徒会室に来ること。以上』

 

 芽依子がまほに意識を向けていると、再び校内放送がアナウンスされる。先ほどの放送とは違うこの声は、たしか生徒会の広報を担当している生徒のはずだ。

 

「みなさん、すみません。芽依子は急用ができましたので、これで失礼します」

「また任務なのぉ~?」

「ええ。いつもすみません」

「気にしないでいいよめいちゃん。任務がんばってね!」

「ありがとう桂利奈」

 

 芽依子は深々と会釈をすると、猛スピードで駆けだした。食堂は多くの生徒で混雑しているが、芽依子は誰とも衝突することなく食堂をあとにする。まったく無駄のない動きで生徒を回避するその姿は、まさに忍者そのものであった。

 

 

 

 生徒会室の扉の前で芽依子はまほの到着を待っていた。

 しばらく待っていると、不安そうな表情のまほが重そうな足取りでこちらにやってくる。まほの表情を見る限り、芽依子が行動を起こしたのは正解だったようだ。

 

「まほ様。芽依子もご一緒します」

「……あまり気持ちのいい話じゃないぞ」

「芽依子に気づかいは無用です。どこへでもお供します」

「わかった。一緒に来てくれ」

「はい」

 

 芽依子はまほと一緒に生徒会室へ入っていく。

 そこで二人を待ちうけていたのは、三人の生徒会役員。生徒会長の角谷杏と副会長の小山柚子、そして広報の河嶋桃だ。

 

「生徒会室に来るように伝えたのは西住だけだぞ。部外者は立ち入り禁止だ」

「その命令には従えません。芽依子はまほ様をお守りしないといけませんから」 

「なんだとっ!」

「いいよー、犬童ちゃんが一緒でも」

「いいんですか? それだと武部さんたちを職員室に呼びだした意味が……」

「小山、余計なこと言わない」

 

 生徒会はまほだけを生徒会室に呼びだしたかったらしい。まほの友達が職員室に呼びだされたのは生徒会の策略だったのだ。

 芽依子は生徒会は信用できないと判断し、警戒レベルをグッと引きあげることにした。

 

「まほ様にご用件があるようですが、芽依子もうかがってよろしいですか?」

「その前にさ、犬童ちゃんは必修選択科目、どうするか決めた?」

「芽依子はまほ様と同じ科目を選ぶつもりです」

「なら犬童ちゃんも戦車道で決定だね。いやー、戦車道履修生が増えてくれて助かるよ」

「あなたはなにを言っているのですか? まほ様が戦車道を選択するわけないでしょう」

「たしかに西住ちゃんは香道を選択してるね。けど、それじゃ困るんだよー。西住ちゃんにはどうしても戦車道を選択してもらわないといけないんだ」

 

 にこやかに話しかけてくる杏に対し、芽依子の警戒心は最高レベルまで跳ねあがった。姉の頼子を思わせるこのひょうひょうとした態度と話し方。とても芽依子が口で勝てるような相手ではない。

 

「必修選択科目は自由に選べるはずです。あなたに決める権利はありません」

「そうなんだけど、西住ちゃんだけは別なんだ。西住ちゃんが戦車道を選択するのは決定事項。断られちゃうと、私もいろいろ考えないといけないんだよねー。ねえ西住ちゃん、せっかく新しい環境でうまくやれてるのに、また転校するのは嫌でしょ? 留年もしてるしね」

 

 杏のその言葉で、元気のなかったまほの顔がさらに曇る。それと同時に、芽依子は懐から棒手裏剣を取りだし、杏に向かって投げつけた。

 芽依子の投げた棒手裏剣は杏の顔付近を通過し、彼女が座っていた革張りのイスに穴を開ける。それでも、杏の表情はまったく変わらず、余裕な態度も崩さない。芽依子が考えつくような脅しでは、杏を動揺させるのは無理そうである。

 

「おいっ! 会長になんてことを……」

 

 詰めよってきた桃に向かって芽依子は棒手裏剣を投げる。勢いよく投げられた棒手裏剣は、桃の髪をかすめて背後の壁に突き刺さった。手裏剣術の大会で毎回上位に入る芽依子にとって、近距離から放つ棒手裏剣は百発百中。相手に当たらないように投げることなど造作もない。  

 

「柚子ちゃーん!」

「よしよし、怖かったね桃ちゃん。あとは会長に任せよう」

 

 芽依子の脅しを受けてすっかり戦意喪失した桃とあまり争う気がないように見える柚子。どうやら、この二人を警戒する必要はなさそうだ。

 敵は角谷杏ただ一人。芽依子は気を引きしめなおすと、再び杏と対峙した。

 

「さすがは小さいときから忍道をやってるだけあるねー。犬童ちゃんはあんまり怒らせないようにしたほうがよさそうだ」

「そう思うならまほ様のことは諦めてください」

「そうはいかないよ。私にも譲れないものがあるからね。西住ちゃん、やっぱり考えは変わらない?」

「戦車道を選択することはできない。すまないな」

「そう。なら、戦車道部は今日で廃部だね」

「なっ!? 沙織たちは関係ないだろっ!」

 

 まほは声を荒げるが、杏はどこ吹く風と聞き流している。どこまでもマイペースでつかみどころがない、本当に厄介な相手だ。

 

「武部ちゃんたちは戦車道部を作るのに一生懸命だったんだけどなー。廃部理由を知ったらきっとがっかりするだろうね。西住ちゃん、嫌われちゃうかも」

「……わかった。戦車道を選択する」

「いけませんまほ様! そんなことをしたら、まほ様のお立場が危うくなります!」

「芽依子、ごめん。でも、沙織たちは私の初めての友達なんだ……」

 

 まほは震える声でそうつぶやいた。おそらく、まほの心の中は友達に嫌われたくないという思い一心なのだろう。もとからそれほど強くなかったまほの心は、長い引きこもり生活でさらに弱くなってしまったようだ。

 まほが決断してしまった以上、もう芽依子にはどうすることもできなかった。殺気をこめた視線を杏にぶつけても、彼女が怯む様子はまったくない。ならば、芽依子がやるべきことはただ一つだ。

 

「まほ様、芽依子も戦車道を選択します」

「ダメだ。私の勝手な判断に芽依子を巻きこむわけにはいかない」  

「芽依子のことは気にしなくても大丈夫です。まほ様を支えることが芽依子の使命ですから」

「……すまない」

 

 犬童家の当主である父は、芽依子が戦車に乗ることを許さないはずだ。もしかしたら、愛する父から勘当を言い渡されてしまう可能性すらある。

 それでも、芽依子に迷いはいっさいなかった。もう二度と同じ後悔はしたくない。その思いが芽依子を突き動かしていた。 


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