聖グロリアーナ女学院は英国とつながりが深い学校だが、すべてが英国に染まっているわけではない。
その代表的な例の一つが食事。聖グロリアーナ女学院の学食には、英国料理以外のメニューも幅広く用意されているのだ。腕利きの料理人が作る食事は好評であり、昼の時間になると学食は多くの生徒でにぎわいを見せていた。
みほの昼食は基本的に学食。ローズヒップとルクリリも学食派なので、昼食はいつも三人一緒だ。みほにとって昼食の時間は、友達と共にすごせる貴重な時間なのである。
聖グロリアーナ女学院の学食はインテリアが英国風なのを除けば、普通の高校の学食とほとんど変わらない。違いがあるとすれば、おしゃれなテラス席が多めに用意されているぐらいだろう。
今日のみほ達はそのテラス席で昼食をとっていた。
三人の本日の昼食は、みほがさば煮定食、ローズヒップがミートパイ、ルクリリがハンバーグ定食であった。
「ローズヒップさんってミートパイ好きだよね。ついこの前も食べてなかった?」
「ミートパイはダージリン様がお好きな食べ物なのですわ。憧れのダージリン様に少しでも近づくために、わたくしもミートパイを食べているのでございますわ」
「ダージリン様はそんな豪快にミートパイは食べないと思うぞ……」
ローズヒップは口を大きく開けてミートパイにかぶりついている。その姿は上品なダージリンとは似ても似つかない。
「ルクリリさんはハンバーグ定食なんだね」
「今日のおすすめメニューだったからな。……どうした? 私のハンバーグをじっと見て。ハンバーグ食べたいのか?」
「ち、違うの! ちょっと昔のことを思い出しちゃって……」
ハンバーグを見たみほの脳裏には、ある一人の人物の顔が浮かんでいた。その人物とは、アールグレイに容姿が似ている中学時代の苦手な同級生。彼女はハンバーグが大好物で、学食ではよくハンバーグ定食を注文していたからだ。
中学時代のみほは、姉と苦手な同級生の二人と一緒に昼食をとっていた。そこに楽しい会話は存在せず、話題は戦車道のことと、みほの態度のことばかり。弱気で頼りなかったみほは、もっとしっかりしろというお小言を毎日のように言われていた。
みほにとって、中学時代の昼食の時間は苦痛という思い出しかない。
「ルクリリの食べるのが遅いから、ラベンダーが目移りしてしまうのですわ。わたくしはもう食べ終わりましたわよ」
「いつも思うんだけど、なんでそんなに食べるのが早いんだ? ローズヒップがせっかちなのは知ってるけど、食事ぐらいゆっくりでもいいんじゃないか?」
「お食事の時間は戦いなのでございますわ。自分の食べる分を確保するには、相手を上回る食事スピードが必要不可欠。ご飯をのんびり食べてたら、大家族の中では生きていけないのですわ」
「そういえば、ローズヒップさんの家は十八人家族だって前に言ってたね」
三人が昼食の時間に話す内容は世間話が多い。戦車道の話題も少しは出るが、中学時代のように息が詰まるようなことはなかった。
充実した昼食の時間はみほの心を温かくしてくれる。友達と楽しく話しているうちに、中学時代の嫌な思い出は綺麗さっぱり消えてくれた。
午後からは戦車道の授業。みほ達が搭乗しているのはクルセイダーではなく、マチルダⅡ歩兵戦車である。
マチルダⅡに搭乗するときのポジションは、車長兼通信手がルクリリ、みほが操縦手、ローズヒップが砲手。装填手は手の空いている上級生が入ってくれるので、ポジションを兼任しているのはルクリリだけだ。
「よし、次は横隊から斜行陣に移行だ。ラベンダー、私がしっかり指示するから慌てずに頼むぞ」
「は、はい! 迷惑かけないようにがんばります」
クルセイダーの車長を務めていたときとは違い、みほは緊張でガチガチに固まっている。そのせいでルクリリに対する返答がいつもより丁寧になっていた。
みほは優れた戦車乗りだが運転だけは苦手なのだ。運転技術だけなら、一年生の中でも下から数えたほうが早いぐらいである。
そんなみほがマチルダⅡの操縦手をしているのは、遅すぎるマチルダⅡの操縦をローズヒップが拒否したからだ。ルクリリはマチルダⅡの車長を希望していたので、マチルダⅡはみほが操縦するしか選択肢がない。
「ローズヒップも少しは気合を入れるんだぞ。今日は砲撃訓練もあるんだからな」
「はーいですわ……」
ローズヒップは普段と違って意気消沈している。猪突猛進ぶりはすっかり鳴りを潜め、今は魂の抜けたような顔でおとなしく砲手席に座っていた。
ローズヒップはマチルダⅡに搭乗するとテンションが急激に下がるのだ。
「ラベンダー、前の車輌に近づきすぎてるぞ。減速、減速!」
「はい!」
ルクリリはキューポラから身を乗り出して、みほに指示を出していく。片手に持ったティーカップの中身は大きく波打ち、今にもこぼれそうだ。
戦車道を始めたばかりの生徒は、怖がってキューポラから上半身を出せないことが多い。
それに加えて、聖グロリアーナは紅茶入りのティーカップを持つという制限もつくので、なおさらキューポラから上半身は出しづらい。
今年の一年生の車長でキューポラから身を乗り出せるのは、みほとルクリリのみ。ルクリリがニックネームを与えられたのは、その度胸の良さと車長としての能力が評価されたからだ。
今日の訓練もみほは大きなミスなくマチルダⅡを運転できた。
みほが失敗せずにマチルダⅡを運転できる理由。それは的確な指示をくれるルクリリのおかげである。みほの運転下手を知ったルクリリが、自ら進んでキューポラから身を乗り出してくれた姿は、今もみほの目に焼きついていた。
自分を助けてくれる友達がいる喜びを噛みしめながら、みほは今日も戦車道を楽しんでいる。
茜色の夕暮れが照らす学園艦の街中を、みほ達はおしゃべりをしながら歩いていた。三人は同じ女子寮に住んでいるので登下校の時間も一緒だ。
「今日のお茶会は最高でしたわね。ダージリン様とご一緒できるなんて、超ラッキーですわ」
マチルダⅡでガタ落ちしていたローズヒップのテンションは、ダージリンとのお茶会で完全復活した。それとは対照的にルクリリのテンションは下降気味である。
「私は眠気を我慢するのが大変だったぞ。ダージリン様の話は小難しいからな……」
「ダージリン様は格言とかことわざが好きだからね。私も意味がわからなくて混乱するときがあるよ」
ダージリンは偉人の格言やことわざをよく会話に組みこんでくる。ダージリンの話を完璧に理解するためには、その格言やことわざの意味を知っていなければならない。格言にはスポーツや芸能関係の言葉が出てくるときもあるので、幅広い分野の知識が必要であった。
「わたくしもダージリン様のお言葉の意味は、これっぽっちもわかりませんわ。だけど、いつかきっとダージリン様のお考えを理解してみせるでございます」
「がんばってね、ローズヒップさん。私にできることがあればなんでも協力するから」
「頼んだぞ、ローズヒップ。お前がダージリン様の話し相手になれば私達は解放される」
「お二人の声援があれば勇気百倍ですわ。これからも日々精進いたしますわよー!」
夕日に向かって叫びながら力強く拳を振り上げるローズヒップ。
みほはそんなローズヒップの前向きなところが好きだった。中学時代に後ろ向きなことばかり考えていたみほには、ローズヒップの前向きさが輝いて見えるのだ。
しばらく談笑しながら歩いていると、帰り道の途中にあるコンビニが見えてきた。
多くの学園艦に店舗をかまえているこのコンビニは、学校帰りの生徒達の立ち寄りスポットになっている。みほ達もここにはちょくちょく訪れており、放課後に寄るのが最近の日課になっていた。
「私は立ち読みしてるから、終わったら声をかけて」
ルクリリは買い物ではなく立ち読みがメイン。読んでいるのは漫画雑誌が主で、すでに棚に置かれている週刊誌を物色していた。
漫画を探し始めたルクリリと分かれたみほとローズヒップは、店内の奥へと入っていく。目的地はお菓子やアイスが陳列されているコーナーだ。
「うーん、新しい商品がいっぱいあって悩むなあ。これはおいしそうだけど、あっちのほうが値段は安いし……」
「ラベンダーは相変わらず優柔不断ですわ。たまにはスパッと決めるのも大事でございますわよ」
「でも、どれもおいしそうだからやっぱり迷うよ」
みほはアイスが満載されている冷凍ケースの前で、うんうんとうなっている。いろんな商品に目が引かれてしまうのはみほの欠点の一つで、新商品が発売されると決まってこうなってしまう。
「しょうがないですわね。わたくしは先に会計をすませて外で待ってますわ。では、ごめんあそばせー!」
ローズヒップは飲み物とお菓子をささっと選ぶと、風のように去っていった。
ローズヒップはダージリンの話に聞き入っていたので、今日のお茶会であまり飲食をしていない。さっきから腹の虫をグーグー鳴かせていたので、おそらくかなりお腹を空かせているのだろう。
あまりローズヒップを待たせては悪いと感じたみほは、本腰を入れて商品を選ぶことにした。
◇
会計を終えたローズヒップは、コンビニの敷地内に設置されたテーブル席で買ってきたお菓子を食べていた。飲み物はペットボトル飲料だが、ローズヒップは鞄から取り出したティーカップにそれを注いでいる。
「やっぱりお飲み物をいただくのは、ティーカップが一番でございますわ。いつダージリン様からお茶会に誘われてもいいように、マイカップを持ち歩く。これも淑女のたしなみですわね」
「淑女は通学路で堂々と買い食いはしないわよね? そうでしょ、ローズヒップ」
「へっ?」
ローズヒップが声のしたほうに顔を向けると、そこにはアッサムの姿があった。
「アッサム様!」
「下校途中で買い食いをしてはいけないとあれほど教えたのに……残りの二人もここにいるはずよね? 呼んでくるからここで待っていなさい」
ローズヒップをその場に待たせ、アッサムはコンビニへと入っていく。
目当ての二人のうち、ルクリリのほうはすぐに見つかった。出入り口付近の本が陳列されているコーナーで漫画雑誌を読んでいたのだ。
アッサムは静かに近づくと、ルクリリの肩を軽く叩いた。
「お、もう終わったか。今日は早いな」
「淑女は立ち読みなんて下品な行為はしないもの。そう教えましたわよね、ルクリリ」
「げっ! アッサム様!」
「店内で大きな声は出さないの。それに、その言葉づかいも少しは直しなさいといつも言ってるでしょ」
アッサムはルクリリの手をつかむと、残った一人を探すために店内を歩いていく。
最後の一人であるラベンダーは、冷凍ケースの前で両手にアイスを持ちながら考えごとをしていた。
「決めた。こっちのアイスにしよう」
「食べたい物が決まってよかったですわね、ラベンダー」
「ふえっ!?」
「あなた達には、聖グロリアーナの流儀をもう一度叩きこむ必要がありますわね。ラベンダー、早く会計をすませてきなさいな」
アッサムはそう言い残し、ルクリリの手を引いてコンビニの出入口へと向かう。
一人残されたラベンダーは、アイス片手に青い顔をして立ちつくしていた。
◇
アッサムのお説教からようやく開放され、みほたちは重い足取りで女子寮に帰宅した。
三人が住んでいる女子寮は外観がレンガ造りの三階建てマンション。入り口にはフロントがあり、女性管理人の門限のチェックはとても厳重であった。
すでにあたりは薄暗くなっていたが、門限にはまだ時間がある。三人はフロントの管理人にあいさつをして女子寮に入ると、階段を上がって三階にあるみほの部屋までやってきた。
「ちょっと散らかってるけど、入って入って」
三人は月に数回、それぞれの部屋に集まって夕食会を開いている。この女子寮には食堂がなく、自炊が推奨されているからだ。
この日はみほの部屋で夕食会をする予定で、材料は昨日すでに購入してある。
「いつまでも失敗を引きずっていてはいけないですわ。さっそくお料理を作りますわよ」
「そうだね。今日は肉じゃがを作るんだっけ?」
「予定ではそうなってるな。アッサム様の説教はいったん忘れて、今は料理に集中しよう」
三人は役割を決めて、てきぱきと料理を作っていく。聖グロリアーナ女学院は調理実習も教科に含まれているので、三人は料理が苦手ではなかった。
英国ではあまり料理スキルは重視されていないが、ここは英国ではなく日本。お嬢様だからといって料理ができないようでは、日本では理想的な淑女とは呼べないのだ。
作業を分担したのが功を奏し、肉じゃがをメインに据えた夕食は手早く完成した。調理実習のかいもあり、料理は見た目も味も悪くない出来に仕上がっている。
先ほどまでの暗い雰囲気はおいしい料理のおかげで消えさり、三人は雑談に花を咲かせながら夕食の時間を楽しんだ。
夕食の時間も終わりに差しかかったころ、時計で時間を確認したみほは慌ててテレビのスイッチを入れた。
画面に映ったのは、両手に包帯を巻いて頭に大きな絆創膏を貼った、デフォルメされた熊のキャラクター。名をボコられグマといい、ボコという愛称で呼ばれている。
「あぶないあぶない。再放送があるのを忘れるところだったよ」
「あ、ボコですわ。今日もぼこぼこにやられるんですの?」
「うん。それがボコだから」
テレビ画面では、ボコが三匹の猫のキャラクターに因縁をつけていた。ボコが様々な相手に突っかかり、返りうちにあってぼこられるのがボコのお約束だ。
「いつも負けてばかりだとワンパターンじゃないか? 私はたまには勝つ展開も見たいぞ」
「ダメだよ! ボコが勝ったらボコじゃなくなっちゃう。ボコはどんな強い相手にも立ち向かうけど、絶対に勝てないの!」
「わ、わかった。私が悪かった。ほら、今日もボコは負けてるぞ」
ルクリリが指差したテレビ画面には、いつも通りやられているボコが映っている。それを見たみほはさっきまでの剣幕が嘘のように消え、すっかりテレビに夢中になっていた。
みほは熱狂的なボコマニアである。部屋中に並べられているたくさんのボコのぬいぐるみが、それを物語っていた。普段は引っこみ思案でおとなしい性格のみほだが、大好きなボコのことになると感情がむき出しになるのだ。
夕食の片づけを終え、食後の紅茶を飲んだあと、夕食会は解散となった。
ローズヒップとルクリリがいなくなった部屋はしんと静まり返り、一人になった寂しさをみほに実感させる。みほはその寂しさをまぎらわせるために、お気に入りのボコのぬいぐるみを手に取った。
今日という日を振り返ると、いつもより失敗が多かった気がする。アッサムからは過去最大級のお説教を受け、ボコのことではつい熱くなってしまった。
みほが失敗にあまり落ちこまないでいられるのは、ローズヒップとルクリリがそばにいてくれるからだ。二人と一緒なら、失敗もいい思い出の一つにできる。
明日も二人といい思い出を作れますように。
みほはそう心の中で願い、ボコのぬいぐるみを力強く抱きしめた。