暑い夏が終わり、季節は秋。
三年生が引退した聖グロリアーナの戦車道チームはダージリンが隊長に就任し、新しい体制がスタートした。今後はダージリン主導が主導して、マチルダ隊とクルセイダー隊の隊長人事や訓練方針などを決めるのだが、新隊長にはその前にやるべきことがある。
毎年秋に開催される聖グロリアーナ祭。生徒達が日ごろの成果を発表する場であるこの催しを、新隊長は三年生の力を借りずに成功させなければならないのだ。
聖グロリアーナ祭は新隊長の力量を示す最初の機会であり、新チームの結束を高める大事なイベントであった。
ちなみに、聖グロリアーナ祭は普通の高校の文化祭とは違い、クラスごとの出し物は行われない。聖グロリアーナ女学院では、どのような発表を行うかは生徒の自主性が尊重されているからだ。
ほとんどの生徒は、履修している選択科目や部活動の成果を発表することが多い。戦車道を履修している生徒は、戦車道チームで発表を行うのが恒例である。
今日の戦車道の授業は訓練ではなく、校舎内の会議室で聖グロリアーナ祭の打ち合わせを行うことになっていた。
みほ達も会議室の席に着いているが、そこにローズヒップの姿はない。会議室に入る直前、ローズヒップだけダージリンから呼び出しを受けたのだ。
「ローズヒップさん、大丈夫かな……」
「ここ最近はとくに問題も起こしてないし、心配しなくても大丈夫よ。きっと軽い用事ですわ」
「でも、いつも三人一緒に呼び出されてたのに今日は一人だけだよね。やっぱり心配だよ」
「確かにローズヒップだけっていうのは変ですわね。もしかして、一人で何かとんでもないことを仕出かしたのかしら?」
みほとルクリリがローズヒップのことを話していると、会議室の扉が開きダージリンが入室してきた。会議室に入ってきたのはダージリンのみで、ローズヒップはまだ戻ってこない。
「みなさま、ごきげんよう。本日の議題は間近に迫った聖グロリアーナ祭についてですが、一年生のみなさまにとっては初めての行事になります。ですので、まずは去年行った発表をご説明いたしますわ」
ダージリンの説明によると、去年の戦車道チームは二種類の発表を行っていたらしい。
一つ目は戦車を使用したパフォーマンス。日ごろの訓練の賜物である綺麗な隊列と素早い陣形の切り替えを来校者に披露したのだ。
二つ目は来校者を招いたお茶会。『紅茶の園』で開かれるお茶会に来校者を招待し、紅茶とティーフーズでもてなしたのである。
「今年も去年と同じような発表を行うつもりです。ただ、まったく同じことをしたのでは面白みがありません。そこで、今年は新しい試みをしたいと思っておりますの」
新隊長に就任して間もないダージリンだが、この聖グロリアーナ祭でさっそく自分の色を出していくつもりのようだ。
「まずは戦車を使用する発表について。こちらでは、お客様が直接戦車に触れられる時間を作る予定ですわ。来年入学予定の付属校の方々もご来校されますので、戦車のことをよく知ってもらう良い機会にもなります」
戦車道は世間ではマイナーな武芸。茶道や華道に履修生を奪われないためにも、戦車の良さをアピールするのは重要なことだ。
「次にお茶会の発表に関してですが、その前にみなさまに見てもらいたいものがありますわ。ローズヒップ、入ってきなさい」
「お呼びでございますか! ダージリン様!」
ダージリンに呼ばれたローズヒップが、大きな音を立てて会議室の両開きの扉を開け放った。
ローズヒップがようやく姿を見せたことに安堵するみほ。しかし、その表情はすぐに驚きに染まってしまう。ローズヒップは学校の制服姿ではなく、黄色のフリル付きブラウスとこげ茶色のフレアスカートを着用したウェイトレス姿だったからだ。
「今年はこの制服を着てお客様をもてなしたいと考えております」
「ダージリンさん、気でも狂ったんですか!?」
「ダンデライオン、隊長である私に対してその物言いは失礼ではなくって? どうやら、あなたには少しお仕置きが必要なようですわね」
ダージリンがパンパンと手を叩くと、会議室に数人の生徒が入室してきた。その手にはミシン糸や待ち針、メジャーやはさみなどの裁縫道具が握られている。
「こちらは今回の企画にご協力してくださる被服部のみなさまです。お手数ですが、次はこの子をお願いしますわ」
「お任せください」
「小さい子の服を作るのは慣れておりますから、すぐにご用意できますわ」
「あたしは断固拒否しますからね。ダージリンさんの世迷いごとには付き合っていられません」
両腕を組んでプイッとそっぽを向くダンデライオン。そんなダンデライオンを両隣に座っていた生徒がガシッと拘束した。
「隊長、ダージリンさんの意見に逆らうのはよくありませんわ」
「そうですよ。ここはみんなで協力するべきですわ」
「隊長のウェイトレス姿。楽しみですわー」
「あなた達、あたしを裏切るの!? は、放してくださいっ!」
自分の戦車の乗員に捕まったダンデライオンは引きずられるように、会議室から連れ出されていく。その姿を見送ったダージリンは、何事もなかったかのように話を続けた。
「他にも疑問に思われるかたがいるかもしれませんが、この企画にはちゃんとした根拠があります。アッサム、詳しい説明は任せますわ」
「わかりました。みなさま、前方のスクリーンをご覧ください」
アッサムは会議室の電気を消すと、いつも愛用しているノートパソコンをプロジェクターに接続し、大型スクリーンに映像を映し出した。
「これは去年の聖グロリアーナ祭のアンケート結果をまとめたものですわ。注目していただきたいのは、二ページ目の不満点の項目。去年のアンケートによると、お茶会の雰囲気を苦手に感じたかたが多かったのがわかります」
アッサムの言う通り、不満だった点のアンケート結果上位にはお茶会の雰囲気についての意見が目立つ。
みほにはなんとなくその気持ちがわかった。みほも最初のころは、お茶会の時間は苦労が絶えなかったからである。
「具体的には『堅苦しい』、『気疲れする』といった意見が挙げられます。お茶会は聖グロリアーナの戦車道に欠かせないものですが、お客様は窮屈に感じてしまったようですわ」
説明を終えたアッサムは会議室の電気を点灯させた。ダージリンとローズヒップはすでにスクリーンの前に移動しており、生徒達の視線が二人に集まる。
「この制服はその問題を少しでも緩和するためのものよ。学校指定の制服よりも、お茶会の空気を柔らかくすることができるはずですわ。ローズヒップ、一回転してみなさまにその姿をよく見せてあげてちょうだい」
「わかりましたわ! それっ!」
ローズヒップはものすごい速さでその場でターンした。あまりに早く回転しすぎたせいで、短いスカートから危うく下着が見えそうになってしまう。
その姿を目の前で見ていたアッサムは、両手で顔を覆って机に突っ伏してしまった。
「それじゃダメよ。もう一回、今度はゆっくりと回転しなさい」
「ご、ごめんなさいですわ」
ダージリンにたしなめられ、二回目はゆっくりと一回転するローズヒップ。
いつもと違うローズヒップのウェイトレス姿は、みほにとっても新鮮であった。黄色を基調にした制服は、明るい色が似合うローズヒップを魅力的に見せており、頭に付けたホワイトブリムやスカートに付いている白いエプロンも愛らしい。
「ラベンダー、あなたはどう思っているのかしら?」
「ふえっ? は、はいっ!」
ローズヒップのウェイトレス姿に見とれていたみほは慌てて立ち上がった。
会議室の全員の視線が集まったことで顔が熱くなるみほであったが、ここで動揺するわけにはいかない。準決勝で敗北したのはみほの心の持ちかたが原因だ。同じ過ちを何度も繰り返さないように、普段から平常心を保つのをみほは心がけていた。
「私はダージリン様の意見に賛成です。お客様に楽しんでもらうのが一番大事ですから、いろいろ工夫を凝らしてみるのはいい案だと思います」
「ありがとう、ラベンダー。反対意見がないようでしたら、この件はこのまま話を進めていきたいと思います。みなさま、いかがですか?」
ダージリンの問いかけに対し、反対意見を出すものは誰もいない。
先の全国大会準決勝で黒森峰のフラッグ車をあと一歩まで追いこんだみほは、みんなから一目置かれている。そのみほがダージリンの案に賛同しているのだから、反対意見を言う生徒がいないのも当然だ。
「ダージリンさん、隊長の準備が完了しましたわ」
「隊長、みなさんがお待ちかねです。もう観念なさってください」
「ダージリンさんも隊長のウェイトレス姿をほめてくれるはずですわ」
「やっぱり恥ずかしいですよぉ。あ、ダメっ! 引っ張らないでー!」
クルセイダーの乗員に連れられて会議室に戻ってきたダンデライオン。その姿はローズヒップと同じウェイトレス姿だが、一点だけ違うところがある。スカートに付けられたショートエプロンに、デフォルメされたライオンのアップリケが縫いつけられているのだ。
「あら、かわいらしいウェイトレスさんが来ましたわね。似合ってますわよ、ダンデライオン」
「かわいいだなんて、そんな……。うぅぅ、お世辞を言ってもだまされませんよ」
「私は自分の思っていることを正直に話しているだけですわ。それで、あなたはまだ反対しますの?」
「……わかりました。あたしも賛成します」
「これで全員の意見がまとまりましたわ。みなさま、明日からの戦車道の授業は聖グロリアーナ祭の準備になります。三年生の先輩方が安心してご卒業できるように、私達の手で聖グロリアーナ祭を成功させましょう」
日が落ちるのが早くなったことで薄暗くなった街中をみほ達は帰宅していた。
聖グロリアーナ祭は横浜港に帰港して行われる。陸と同じような日の落ちかたなのは、学園艦が日本近海を航行中だからだ。
「ダージリン様、すごく張りきってたね」
「隊長としての初仕事だからな。そりゃ気合も入るだろう」
「明日からはわたくし達もがんばらないといけませんわ。ダージリン様に恥をかかせるわけにはいきませんの」
ウェイトレス姿から学校の制服に着替えたローズヒップは、両手で握りこぶしを作って気持ちを高ぶらせていた。
「そういえば、二人は招待状を多く申請してたけど、いったい誰に渡すんだ?」
「わたくしは家族全員を招待するから、いっぱい招待状が必要なのですわ」
「私は大洗の人達を招待しようと思ってるの」
聖グロリアーナ祭は付属校の生徒以外は入場に招待状が必要であった。
上流階級のお嬢様が通う学校で万が一の事態が起これば、学園艦の存亡にもかかわる。当日は警備に万全を期すために警備員が大量に動員される予定で、招待状がなければアリの子一匹通ることはできない。
「大洗か……全国大会で会ったときに戦車を見つけたって言ってたし、もう戦車道を復活させる目処は立ったのかな?」
「武部さんの話だとまだ難しいみたい。戦車も一輌しかなくて、人数も四人しかいないらしいから」
「人数が増えてるだけでも大したものですわ。『千里の道も一歩から』、諦めなければ道は開けるはずですの」
「ローズヒップさん、最近ダージリン様に少し似てきたね。今のことわざを引用したところなんてそっくりだったよ」
「マジですの!? やったでございますわ! これも日々努力してきた成果ですわね」
「似ているのは格言とことわざを引用するとこだけで、それ以外はダメダメだけどな」
「ひどいっ! そこは態度も似てきたと言ってほしかったですわ」
「ふふっ、それはこれからがんばっていこうね。まだまだ高校生活は長いんだから」
友達との楽しいひとときは、悩みを抱えているみほの心を軽くしてくれた。二人が一緒にいてくれるから、みほは悩みを忘れて平静を保つことができる。
決勝戦で黒森峰女学園はプラウダ高校に完敗した。みほもテレビで試合を見ていたので、もちろんそれは知っている。
西住流の後継者が敗北したという事実はきわめて重い。それが黒森峰の十連覇がかかった試合ならなおさらだ。
つらい心境で過ごしているだろうまほのことを思うと、みほは気が気でなかった。本当なら今すぐにでも黒森峰の学園艦に乗りこんでいきたいが、まほに会うことはできないだろう。準決勝の試合が終わったあと、まほはみほに会うのを激しく拒絶したからだ。
まほが涙を流した理由がわからない以上、みほができるのはまほの身を案じることだけであった。
◇
横浜港に帰港している聖グロリアーナ女学院の学園艦には多くの人が集まっている。
人々のお目当ては聖グロリアーナ女学院で行われている聖グロリアーナ祭。招待状がなければ入ることができない文化祭だが、学校の正門前にはすでに長蛇の列ができていた。正門を守る警備員のチェックが厳重なせいで、入場に時間がかかっているせいだ。
入場チェックをしている警備員はすべて女性である。女性といえどもスタンガンと特殊警棒で武装した猛者ばかりなので、警備体制の不備はいっさいない。
列には家族連れと付属校に通う中学生の姿が多いが、招待状を受けとったであろう他校の制服を着た高校生の姿もある。その中には大洗女子学園の制服姿の沙織達も含まれていた。
「武部殿、ありがとうございます。戦車に乗る機会を与えてもらえただけでなく、憧れの西住殿に会えるチャンスまでもらえるなんて……、もう武部殿には足を向けて寝られません」
「ゆかりん、大げさすぎ。私はラベンダーさんから招待状をもらっただけで、そんな大それたことはしてないよ。それに、ゆかりんが入ってくれたおかげで戦車道部が発足できたんだもん。感謝するのはこっちのほうだよ」
沙織にゆかりんと呼ばれたフワッとしたくせ毛が印象的な少女。彼女の名は秋山優花里といい、少し前に沙織達の活動に加わった新たな戦車仲間だ。
「ところで秋山さん。西住殿とはどなたのことですか?」
「みなさんがラベンダーさんと呼んでいるかたですよ。西住殿は戦車道ファンの間では有名人なんです」
「あれだけ自由自在に戦車を操れるんだ。有名になるのもうなずけるな」
「冷泉殿、それだけじゃありませんよ。西住殿は日本戦車道の二大流派の一つである西住流の後継者なんです。彼女の西住流は完璧との呼び声も高くて、とくに去年の中学の全国大会で見せた戦いぶりはファンの間で今でも語り草に……」
「ゆかりん、ストップストップ! みんなに見られてるよ!」
「はっ! すみません……」
優花里が突然熱く語りだしたことで、沙織たちは列に並んでいる人から注目されてしまっていた。
「それと、ラベンダーさんのことを西住殿って呼ぶのも禁止。私達はニックネームしか教えてもらってないんだから」
「聖グロリアーナのみなさんはお互いニックネームで呼び合っていますから、私達もそれに習いましょう」
「郷に入っては郷に従えともいうしな」
「わかりました。不肖秋山優花里、ラベンダー殿と会う際には細心の注意を払うことをお約束します」
背筋をビシッと伸ばし、右手を額に当てて敬礼する優花里。敬礼姿はなかなか様になっているが、そのせいでさらに周りから注目を集めてしまう。
「やだもー! ゆかりん、お願いだから普通にしててよー!」
騒ぐ沙織達のすぐ後ろには、聖グロリアーナ女学院付属中学の制服を着た三人の中学生が並んでいた。彼女達は沙織達の話を聞いていたようで、ひそひそと話をしている。
「戦車道チームにはすごい人がいるみたいですの」
「なんだかわくわくしてきましたねぇ。テンションも上がってきましたよー!」
「大きな声を出したらダメですよ。私たちも来年にはここに入学するんですから、つねに優雅な振る舞いを意識していないといけません」
「あぅ、ごめんなさいです……」
オレンジがかった金髪の小柄な少女が、大声を出した同級生を注意する。どうやら彼女がこのグループのリーダー格らしい。
「クルセイダーで大立ち回りを演じたラベンダーさん。いったいどんな人なんでしょうね……」
小さな声で独り言をつぶやくオレンジがかった金髪の少女。その後ろには、少女よりもさらに背が低いプラウダ高校の制服を着た女の子の姿が見える。
このプラウダ高校の制服を着た少女の正体は、ダージリンから招待状を受け取ったカチューシャであった。隣には同じく招待状を受け取ったノンナの姿もある。
「あのラベンダーとかいう一年生。ただものではないと思ったけど、まさか西住流の生まれだったなんてね……。きっとあの子が西住流の真の後継者だわ」
「カチューシャは西住まほさんが後継者ではないと考えているのですか?」
「あんな弱っちい子が西住流の後継者だなんて変だと思ったのよ。本命は妹のほうだったわけね」
「なぜ後継者が聖グロリアーナ女学院にいるのです? 普通に考えれば、西住流と関係が深い黒森峰女学園に入学するはずでは?」
「それは、その……カチューシャにだってわからないことぐらいあるわ! 今日はそれを確かめるいい機会なのよ!」
ノンナからの質問の答えに詰まったカチューシャはそうまくし立てた。ヒステリックを起こした姿は身長同様お子様そのものだ。
わめくカチューシャの後ろには、ボコのぬいぐるみを両手で抱えた私服姿の少女が並んでいた。
聖グロリアーナ女学院を訪れるのは体験入学以来となる島田愛里寿である。
「ラベンダーが西住流の後継者……」
愛里寿は一言そうつぶやくと、不安そうな表情でボコのぬいぐるみを両手でぎゅっと抱きしめた。