私の名前はラベンダー   作:エレナマズ

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第十一話 ラベンダーと黒森峰女学園

 海が見える公園は学園艦の中でも人気の休日お出かけスポットだ。

 今日も多くの人でにぎわいを見せており、園内はどこも笑顔であふれていた。大海原が見渡せるベンチも人で埋まっており、それぞれが思い思いの表情で雄大な海の景色を眺めている。

 

 そのベンチの一つにみほの姿があった。

 休日ということもあり、みほの服装は白いワンピースに黄色のカーディガンというお嬢様スタイル。一人でベンチに座って考えごとをしているみほの姿は、清楚で可憐なお嬢様に見える。

 しかし、その表情は険しかった。

 

「黒森峰との練習試合は明日。私はどんな顔でお姉ちゃんと会えばいいんだろう……」

 

 黒森峰女学園との練習試合が発表されたときから、みほが考えているのはまほのことばかりだった。まほと会って何を話せばいいのか、そもそもどんな顔をして会えばいいのか、みほはいまだに頭の中を整理しきれていない。

 まほと会って話がしたいと願っていたみほであったが、こんなに早くその機会が訪れるとは夢にも思っていなかったのである。

 

「おまたせ。今日は人が多いから自販機も混んでて……また一人で悩んでるのか?」

  

 悩むみほの元に缶ジュースを両手に持ったルクリリがやってきた。

 みほが清楚なお嬢様スタイルなのに対し、ルクリリは上が濃い緑色のジャケットと白いシャツに赤いネクタイ、下はショートパンツというボーイッシュスタイル。みほは一人で公園に来たのではなく、ローズヒップとルクリリの二人と公園に遊びに来たのである。

 

「あれ? ローズヒップさんは?」

「ホットの紅茶が売り切れてたから別の自販機を探してる。今日は休日なんだから、別に紅茶にこだわらなくてもいいのに」

「ローズヒップさんはダージリン様に憧れてるからね。ダージリン様は休日も紅茶をよく飲むって前に話してたし」

「ダージリン様の真似をする前に、紅茶の一気飲みをやめるのが先だと思うけどな。はい、これがラベンダーの分」

「ありがとう」

 

 ルクリリは持っていた缶ジュースをみほに手渡し、ベンチに腰を下ろした。

 

「それで、何を悩んでたんだ? なんとなく察しはつくけど」

「……お姉ちゃんのことを考えてたの。明日の黒森峰との練習試合で顔を会わせないといけないから」

「やっぱりか。気持ちはわかるけど、あんまり深く考えすぎるのは体に悪いぞ」

「心配かけてごめんね。でも、どうしても不安になって色々考えちゃうの……」

 

 みほは両手で持った缶ジュースに視線を落とす。のどは乾いているはずなのに、ジュースを飲む気分にはなれない。

 

「ラベンダー、ちょっと手を貸して」

「ふえっ?」

 

 みほが缶ジュースをベンチの上に置くと、ルクリリはみほの手を両手で握りしめた。 

 みほはこの感触に覚えがある。カヴェナンターの履帯が外れて落ちこんだときも、ルクリリはこうやってみほの心を守ってくれた。

 

「ラベンダー、これだけは約束して。困ったことがあったら、私とローズヒップに相談すること。一人ではどうにもできなくても、三人ならきっとなんとかなる。クルセイダーだって三人で協力して動かしてるだろ」

 

 ルクリリの力強い言葉はみほの心に深く響き渡った。友達が助けてくれるとわかっただけで、今まで悩んでいたのが嘘のように気持ちが前向きになっていく。

 戦車が一人では運用できないように、一人で悩んでいては問題は解決しない。みほが強くなるためには友達の助けが必要なのだ。

 

「約束するよ、ルクリリさん。本当に困ったときは必ず二人に相談するね」

 

 みほはうつむいていた顔を上げると、ルクリリの目を見ながらはっきりと答えを口にした。みほが元気を取り戻したのが伝わったのか、ルクリリもどこかホッとしたような笑みを浮かべている。

 

 そんな二人の耳に、何かを地面に落としたような鈍い音が聞こえてきた。

 二人が音のしたほうに目を向けると、そこには唖然としたような表情で立ち尽くすローズヒップの姿があった。足元には口の空いていない缶紅茶が転がっているので、先ほどの音の正体は缶紅茶を落とした音なのだろう。

 ちなみに、ローズヒップは上は赤いジャケットに黒とグレーのボーダーニット、下はピンクのデニムパンツという服装である。前向きで行動力があるローズヒップには、明るい色がよく似合っていた。

 

「まさかお二人がそんな関係だったなんて、まったく気づかなかったですわ」

 

 海が見える公園のベンチで、両手をつなぎながら見つめ合うみほとルクリリ。

 確かに何も知らない人が見たら、恋人同士の触れ合いと思われてもおかしくない状態だ。ローズヒップが盛大に勘違いしてしまったのもうなずける。

 

「なるほど、ルクリリがキスされるのをすごく嫌がっていた理由がわかりましたわ。ルクリリのファーストキスはラベンダーのものだったんですわね」

「そそそ、そんなわけないだろっ! 勘違いするな、このバカっ!」

「ムキになって否定しなくても大丈夫ですわ。お二人が恋仲だったとしても、わたくし達の友情は不滅でございますわよ。お二人の結婚式には必ず参加させていただきますわ」

「ローズヒップさん、誤解なの! お願いだから話を聞いてよー!」

 

 結局、この日はローズヒップの誤解を解くだけで一日が終わってしまった。一般的に見れば、有意義な休日だったとはとてもいえないだろう。

 それでも、みほにとってはあれこれ悩む時間を忘れさせてくれた貴重な休日だった。

 

 

 

 

 聖グロリアーナ女学院の学園艦は熊本県西部の海域に到着した。

 今回の練習試合は黒森峰女学園に試合会場を決める権利がある。指定してきた試合会場は黒森峰女学園内の演習場であったため、黒森峰女学園の学園艦が停泊中の海域へとやってきたのだ。 

 黒森峰女学園の母港は熊本港なのだが、有明海は大きな学園艦が入りづらいため港ではなく沖合いに停泊しているのである。

 

 聖グロリアーナの一年生は全員演習場で待機中。一年生以外でこの場にいるのは、今回の練習試合の引率を任されているダージリンとダンデライオン、そして補佐役のアッサムだけだ。

 

「まもなく黒森峰から迎えが来ます。ご丁寧に戦車まで運んでくださるそうなので、いつでも動かせる準備をしておきなさい」

「試合後は黒森峰と合同でお茶会をする予定なので、ティーセットを忘れないようにしてくださいね」

 

 ダージリンとダンデライオンは一年生に手際よく指示を出していく。

 この二人が引率役なのには大きな理由があった。この練習試合は、どちらの部隊長が上手に一年生をまとめられるかを測るテストでもあるのだ。

 今年はすでにダージリンが次期隊長に内定しているので、部隊長が引率役をする意味は薄い。

 しかし、これも長い間続けられてきた伝統。聖グロリアーナで伝統をないがしろにすることは許されない。

 

「お二人とも、迎えが来たようですわ」

 

 ダージリンとダンデライオンのそばに控えていたアッサムが遠くの空を指差した。そこには巨大な飛行船が二機浮かんでおり、こちらへ向かってゆっくりと近づいてくる。

 

「それにしても、なんで黒森峰の学園艦で試合をやるんですかね? わざわざ飛行船を使うぐらいなら陸でやったほうが楽なのに」

「誰かさんは私達に黒森峰の学園艦に来てほしいのよ。正確にいえば私達ではなく、あの子が来るのを心待ちにしているの」

 

 ダージリンの視線の先にいるのは、クルセイダーの近くで友達と談笑しているラベンダーであった。

 

「ダージリン、ラベンダーは大丈夫でしょうか? あの子は黒森峰にあまりいい感情を抱いていないはずですが……」

「そんなに心配する必要はなくってよ、アッサム。ラベンダーにはあの二人がついているのだから」

「あの二人が一緒にいるほうがあたしは心配だと思うんですけど……」

 

 ダンデライオンがジト目で見つめているのは、ラベンダーと談笑しているローズヒップとルクリリだ。

 

「『案ずるより産むが易し』ということわざもあるわ。過度に心配するよりも、今はあの子達を信じましょう」

「また出た。ダージリンさん、黒森峰の生徒の前では格言とことわざは自重してくださいね」

「あら、ひどい言いぐさですわね。あなたもニックネームを間違えないように気をつけなさい、ダンデライオン」

「うぐっ! わ、わかってますよ。ニックネームはしっかり名乗ります」

 

 嫌っているニックネームで呼ばれたダンデライオンの口角が下がる。不機嫌なのが丸わかりな顔は優雅とは程遠かった。

 

「ダンデライオン、あなたはクルセイダー隊の隊長なのだから、黒森峰の隊長に名前を覚えてもらう必要があるわ。一字一句間違えないようにしっかりと発言するのよ、ダンデライオン」

「うぇぇぇん! ダージリンさんのいじわるー!」

 

 涙目でダージリンの前から走り去るダンデライオン。ダージリンのニックネーム連続呼びは、ダンデライオンにかなりの精神的ダメージを与えたようだ。

 それを見たアッサムは片手を額に当て天を仰いでいた。この二人の面倒も見なくてはならないアッサムにとって、今日は長い一日になりそうである。

 

 

 

 

 黒森峰女学園の学園艦はみほの記憶通りのままであった。ドイツを模した街並みも、だだっ広い演習場も何一つ変わったところはない。 

 黒森峰は変わっていなかったが、みほには変わったことがあった。それは着ているタンクジャケットの色。目の前に整列している黒森峰の生徒達のタンクジャケットが黒なのに対し、みほが着ているタンクジャケットは赤だ。

 

 その整列している生徒の中に、みほにとってはある意味まほよりも顔を合わせづらい人物、逸見エリカがいた。

 エリカはみほに向かって鋭い視線を投げかけてくる。みほはそんなエリカを直視できず、目をそらしてうつむいてしまう。

 

「怖い顔でこちらをにらんでくるかたがいますわね」

「本当ですわ。ルクリリ、もう黒森峰の生徒に喧嘩を売ったんですの?」

「私がそんなことするわけないだろ! お前は私をなんだと思ってるんだ!」

「おほほほ、これくらいのジョークでお言葉を乱すようでは、まだまだ淑女への道は遠いですわよ。あれ? ラベンダー、どうしたのでございますか?」

 

 みほがうつむいてるのに気づいたローズヒップが心配そうに声をかけてきた。

   

「あの子がにらんでるのは私だよ。逸見エリカさん、前に話した副隊長の……」

「ラベンダーをいじめた子ですわね!」

 

 ローズヒップは、うなり声を上げながら思いっきりエリカをにらみ返している。みほに暴力を働いたエリカに、ローズヒップはかなりの嫌悪感を抱いているようだ。

 

 ローズヒップからにらまれたエリカの目つきはさらに鋭さを増す。エリカの目に恐怖を感じたみほの体は、金縛りにあったかのように動かなくなってしまった。

 みほはアールグレイの目がエリカに似ていると思っていたが、本物が与えてくるプレッシャーは比べ物にならないぐらい強烈だったのである。

 

「ラベンダー、私の後ろに隠れていなさい」

 

 ルクリリはみほを隠すように立ちふさがった。ルクリリの背丈はみほとあまり変わらないので、問題なくエリカの視線をさえぎれる。

 視界からエリカの姿が消えたことでみほの金縛りは解けたが、同時に自分を情けないと思う気持ちが湧き上がってきた。みほはローズヒップのようにエリカに立ち向かうことも、ルクリリのようにエリカの視線を受け止めることもできなかったのだ。

 

 このまま友達に守られてばかりではいけない。強い心を持ってエリカに立ち向かうべきだ。

 そう決意を固め、みほは足を一歩前に踏み出そうとした。

 しかし、それよりも先に事態が動いた。

 

「みなさま、黒森峰の隊長が来られました。聖グロリアーナの生徒らしく、優雅な姿で出迎えましょう」

 

 ダージリンの言葉を聞いたみほが目を向けると、そこにはまほの姿があった。

 みほがまほの姿を見るのはあの暴言を吐いてしまった日以来だ。みほが最後に見た泣きそうな顔とは違い、まほの表情はキリッと引き締まっている。

 

 黒森峰の隊長に相応しい凛とした姿を見せるまほ。

 だが、みほはその姿に軽い違和感を覚えた。みほは幼少期からつねにまほと一緒にすごしてきたので、微妙な表情の変化や体調の不良もすぐに気づくことができる。

 みほの目にはまほが疲れているように映った。

 まほは戦車道全国大会九連覇中の黒森峰女学園を率いている。その苦労は並大抵のものではないのだろう。みほも去年中等部で隊長を務めていたが、まほの苦労はそれとは比較にならないはずである。

 

「練習試合を引き受けてくださったこと、感謝いたしますわ」

「こちらとしても聖グロリアーナと試合ができるのはありがたい。一年生にはいい経験になるだろう」

「試合方法は十対十の殲滅戦の予定ですが、すぐに始めますの?」

「いや、一度この演習場をそちらの一年生に案内してから始めようと思う。トモエ、ちょっと来てくれ」

「は、はい! 今行きます、西住隊長!」

 

 まほにトモエと呼ばれたセミロングボブの黒髪の少女が慌てた様子で走ってきた。まほよりも背が低く体型もスレンダーなので、発育のいいまほの隣に立つと違いがよく目立つ。 

 みほはこの少女にまったく見覚えがなかった。おそらく、彼女は高等部から入った新隊員なのだろう。

 

「紹介する。副隊長の深水(ふかみ)トモエ。学年は私たちと同じ二年生だ」

「深水です。よろしくお願いします」

 

 深水と名乗った少女はダージリンに向かってペコペコ頭を下げた。

 

「よろしくお願いしますわ。こちらもクルセイダー隊の隊長をご紹介します。出番ですわよ、ダンデライオン」

「はーい。あたしがクルセイダー隊の隊長、ダンデライオンです。よろしくお願いしますね」

「あ、あの。こちらこそよろしくお願いします、ライオンさん」

「ライオンじゃありません! ダンデライオンです!」

「ご、ごめんなさい!」

 

 トモエは再びペコペコ頭を下げている。

 その姿は常勝軍団である黒森峰の副隊長とは思えない実に気弱なものであった。

 

「ダンデライオン、タンポポの英語名だな。ニックネームはタンポポコーヒーか?」

「惜しいけど違いますね。ハーブティーのダンデライオンティーがあたしのニックネームです。だけど、別にタンポポと呼んでくれてもいいんですよ」

「聖グロリアーナの生徒にとってニックネームは大事なものだろう? 間違った名前で呼ぶような失礼なことはできない。ちゃんとダンデライオンのニックネームで呼ばせてもらうよ」

「そ、そうですか……」

 

 がっくりと肩を落としたダンデライオンの隣で、ダージリンは必死に笑いをこらえていた。

 ダンデライオンの期待に満ちた表情が一転して曇り顔になったのが、笑いのツボに入ったようである。

 

「トモエ、聖グロリアーナの一年生に演習場を案内してくれ。人手が必要ならうちの一年生を使うといい」

「一年生の人選はどうしますか?」

「誰を使うかはお前に任せる」

「了解しました」

 

 先ほどまでの弱々しい姿とは打って変わり、きびきびとした動作でまほの命令を遂行するトモエ。命令を与えられると生き生きした姿を見せるのは、戦車に乗るとドジで弱気なところが直るみほに少し似ているのかもしれない。

 

 みほが親近感を覚えながらトモエの姿を目で追っていると、偶然まほと目が合ってしまった。なんの心の準備もしていなかったみほは思わず視線をそらしてしまい、助けを求めるようにローズヒップとルクリリの手をつかんでしまう。

 

「ラベンダー、不安にならなくても大丈夫ですわよ。逸見エリカが喧嘩を売ってきたら、わたくし達が守ってあげますわ」

「前にも話したけど、困ったら遠慮なく私達を頼りなさい。あのかたは、ラベンダーが一人で相手をできるような人ではないようですわ」

 

 ローズヒップとルクリリは、みほがエリカに怯えて手をつかんできたと勘違いしているようだ。それでも、二人から守ってもらえるという言葉が聞けただけで、みほの心には安堵感が広がっていった。

 二人が一緒ならまほとも向き合える。そう確信したみほは、まほに顔を向けるがそこで見てはいけないものを見てしまった。

 

 まほはダージリン達と話していたときとは違い、冷たい目でみほを見ていたのである。

 まほの表情からは親愛の情はまったく感じられない。感じられるものがあるとすれば、それは負の感情と呼ばれるものだけだ。

 

 まほの目を見てしまったみほは、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。背筋には冷たいものが走り、呼吸も徐々に乱れていく。この展開をみほはある程度予想していたが、まほに嫌われることで受ける衝撃はみほの想像をはるかに超えていた。

 みほはローズヒップとルクリリの手をつかむ両手にぎゅっと力をこめる。二人がそばにいてくれることが、崩れそうなみほの心を支える最後の頼みの綱であった。

 

「ラベンダーのお顔が真っ青になってますの!」

「ラベンダー、深呼吸だ! 気を確かに持て!」

 

 みほの異常に気づいたローズヒップとルクリリが大声を出したせいで、聖グロリアーナの一年生の間にざわめきが広がる。

 つねに優雅な態度を崩さないのが聖グロリアーナの作法。しかし、初めての練習試合にのぞむ一年生にはまだ心の余裕が足りていないようだ。

 

「みなさま、お静かに。聖グロリアーナの戦車道はいかなるときも優雅。アールグレイ様のこのお言葉を思い出して、今一度冷静になりなさい」

 

 ダージリンが諭すように語りかけるとざわめきはすぐに収まった。

 

「まほさん、ごめんなさいね。見苦しいところをお見せしてしまいましたわ」

「……私は何も見ていない」

 

 まほは一言だけそう告げると、聖グロリアーナの生徒達に背を向け黒森峰の生徒達がいるほうへと戻っていった。

 まるで二人の心の距離を表しているかのように、まほはみほから遠ざかっていく。友達の手を借りなければ立てないみほは、黙ってまほの背中を見つめることしかできなかった。


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