マァルの手から毒蛾のナイフが落ちた。
「ハアハア…かあさんの無念と悲しさ…思い知ったか…」
「…まだだ…」
ナイフはポップにほんの掠り傷を負わせただけであった。ポップの肉体は一流の武闘家を思わせるほどの筋肉質となっている。それに加えてマァルの力の無さ、そしてナイフはあのカール王国の北部山脈で行われたヒュンケル、クロコダイン処刑の日の戦い以降、一度も砥いではいないため切れ味も鈍い。致命傷にはほど遠い傷しか負わせることしかできなかったのだ。
一瞬、歓喜したサリーヌだが、すぐに表情が曇った。
「ちっ しぶといヤツだね」
「あれではどんなに滅多刺しにしても結果は同じでしょう。こちらからもっと鋭い武器をオクルーラで送りますか?」
「無理だよサイヴァ。あのお嬢ちゃんにナイフ以上の重たい武器は使えないだろうし、また武器を送れば私たちの目論見もポップに気取られる。この場では手の出しようが無い。くそ、どうしたものやら」
マァルはナイフを拾い、再び刺すのを試みるが結果は同じであった。ナイフより生じる毒も、もはや毒耐性も魔王級であるポップには何の意味も無かった。
「ハアハア…くそ…」
「どうした。もう終わりか?お前の母はもっとあきらめが悪かったぞ」
「うるさい!」
(とはいえ…これでは何度やっても同じ…。かあさん力を貸して…)
「ああ~ もうじれったらないねえ。何とかならないかな。武器は送れないし、かといってあの嬢ちゃんの力じゃポップを殺せないし」
サリーヌは忌々しそうに、吸っていた煙草を床に吐き捨てた。サイヴァもどうにか良策を出そうとしているが、頭に浮かばない。
「私がポップに取って変わって帝国の王となる千載一遇の好機なんだ。そうだ!サイヴァ、バイキルトを嬢ちゃんに遠隔でかけられないかい?」
「それもやはりポップに気づかれましょう。やはりこの場からは我々は手出し…」
サイヴァが言葉を途切れさせた。ポップとマァルを映す水晶玉を見つめる。それに気づいたサリーヌもサイヴァから水晶玉に視線を移した。
「玉座の間の天井が!?」
サリーヌは思わず水晶玉をつかみ、その映像を凝視した。
「な、何か来る!?」
轟音と共に玉座の間の天井に突如、大穴が空いた。そして空から何かが降ってきた。
「な、なんだ!落雷!?」
突如、天井に大穴が穿かれたことで大なり小なりの岩が落ちてくる。しかし落下物は何故かマァルには全く当たらない。何かがマァルを守っているかのようだった。そして一振りの剣が天から降りてきた。
それはマァルの傍らに突き刺さった。ポップはその剣を見て絶句した。
「ダ…ダイの剣!」
かつてロン・ベルクが勇者ダイのために作り上げたダイ専用の剣。現在はカール王国のダイと仲間たちの廟に祀られている剣である。それが今、マァルの傍らに飛んできたのである。マァルは毒蛾のナイフを鞘に納めてダイの剣の柄を握った。
「勇者ダイ様!私に力を!」
「無理だ。お前にその剣は抜け…」
「えいっ!」
「……!?」
ダイの剣はなんの抵抗も無く抜けた。かつて持ち主のダイさえも抜くのに苦労し、魔人大戦の前にアバンがその剣を使おうとしても剣は拒否するごとく、刀身を見せなかった。だがマァルによって、あっさりその剣は抜かれたのである。しかもただ抜けたのではなく、まるで勇者ダイの手にあった時のように神々しい光を放っていた。
「なんて軽い剣…まるで羽のよう…」
マァルの手にあるダイの剣を見つめるポップは悟った。
「…そうか…ダイ…お前なんだな…。お前が俺を倒そうとしているのだな…」
そしてポップは魔将たちの最期を思い出した。
「ヒムはヒュンケルの技で深手を負い、ノヴァに討たれ、ラーハルトはバランの技で討たれ…エイミもヒュンケルの技で倒れた…。そして今、ダイの剣が俺を討とうとする者の手にある…。そうか…お前たちなのだな。お前たちが俺を滅ぼそうと云うのだな…」
ポップは静かに笑った。まるでずっとこの瞬間を待っていたかのように、ポップは笑った。
「やっと…来てくれたか。この時が」
◆ ◆ ◆
「あれが?」
「ええ、間違いありません。あれが『ダイの剣』です。しかしカールの廟に奉納されているあの剣がなぜここに」
「なるほど、勇者ダイの魂が…ポップの娘に助太刀と云うわけかい」
サリーヌはまた煙草をくわえ、サイヴァがそれに火を着けた。水晶玉から見えるその映像にほくそ笑み煙を勢いよく吐いた。
ポップにははっきりとマァルの後ろに見えた。アバンストラッシュの構えをしているダイの姿が。ダイの顔は悲しみに満ちていた。
「ダイ…」
(ポップ…どうして…どうして狂ってしまったんだよ。お前はあんなに優しい男だったじゃないか。あんなに平和を望んでいたじゃないか。何で魔王になんかなってしまったんだ。なぜ人間をあんなに殺したんだよ!)
(わからねえ…。気がついたときはもう魔王だった…。俺はただお前を殺した人間が許せなかった…。それだけなんだよ…)
(レオナにしたこと…。俺は絶対に許さない)
(そうだ。絶対に許しちゃいけない)
マァルは立ち尽くすポップを見つめていた。そして目線が自分の後ろにあることに気づき自分も後ろを見た。そして彼女にも見えた。勇者ダイの姿が。
「勇者…ダイ様?」
(ポップ…俺はお前を殺さなくちゃならない…)
(それでいい…。魔王を殺すのは勇者の仕事だ)
ダイの剣がいっそう光を増した。マァルはポップに突進して行く。
(かあさん!勇者ダイ様!)
ポップの左胸にダイの剣が突き刺さる。マァルの顔に返り血が飛んだ。そしてポップは自分の胸の中に入り、剣を突き刺しているマァルを抱いた。
「…は、初めて娘を抱くのが…こんな形とはな…フフ…いったいどこで…ボタンをかけちがえたのか…」
「くっ、触るな!汚らわしい!」
マァルはポップの胸の中から離れた。
「今さら何だよ!死んだって私はお前を父親なんて思うもんか!」
マァルはポップの返り血を忌々しそうに拭きながら叫んだ。剣を胸に刺したまま、ポップは床に膝を屈する。そしてマァルに詫びた。
「すまん…メルルを…お前の母さんを不幸にしてしまった…。あの世ではメルルとは会えないが…地獄でずっとメルルに詫び続ける…」
「アッハハハハハ!!」
静まり返っていた玉座の間に甲高い笑い声が轟いた。
「ざまあないわね、ポップ!実の娘に殺される感想はどう?でも安心していいわよ。閣下の仇は私が取ってあげる。礼には及ばないわ。だって謝礼として私、この帝国をいただくのだからさ!アハハハハハ!」
ポップはマァルを庇うようにサリーヌの前に。胸にはダイの剣が刺さったままである。幸か不幸か、心臓は外れているようだ。だが出血はおびただしい。
「しかも、ダイの剣で突っ殺されるなんて、アンタにとっちゃ本望だろう?」
「サリーヌ…」
「改めて自己紹介させてもらうわ。私はサリーヌ、妖魔司教ザボエラの娘、そしてザムザの妹さ!驚いたかい?アハハハハ!」
「ザッ、ザボエラの娘?」
サイヴァはスッとマァルの背後へと立ち、いかずちの杖を彼女の首元につけた。
「さびしくはありませんよ閣下。ご息女も一緒にお送りします。と言っても閣下は地獄行きでしたな。ククク…」
「な、なんだよお前ら!」
マァルは自分の首につきつけられた杖から不気味に発せられる光に震えた。
「マァル…ぐはっ」
ポップの吐血が床に飛び散る。
「フフフ…最後にいいこと教えてあげる…パプニカにて領民に城を襲わせたのは私さ!私の得意とするメダパニで洗脳してやったのさ!」
「な、なん…だと?」
「ああ、お人よしにも領民たちは、前非を悔い、正義のために戦ったヒュンケルを許していたのさ。だから心の底に無理に押し込めたヒュンケルへの憎悪を私が倍加してダイ帰還の時に襲わせたんだよ!」
「貴様が…ッ!ぐはっ」
ポップは全身から力が抜けていく気持ちだった。
「お前たち勇者一行に復讐するのが父上や兄上への一番の供養なのさ!その時お前がパプニカにいなかったのは誤算だったけど、その後は何とも愉快だったよ。そのお前が人間への復讐に狂って人間を大虐殺するのだからね!勇者を殺して、その仲間が魔王となって人間どもを殺しまくる!これほどの復讐があろうかね!アーハハハハハハ!」
「……」
サリーヌの笑い声が玉座の間に響く。ポップはもはや立つこともままならない。サリーヌの嘲笑に乗ってサイヴァも笑う。その嫌味な笑みに我慢ならなくなったマァルはサイヴァの足を思い切り蹴った。
「この!」
サイヴァにとっては蚊に刺された程度である。
「ふっふふふふ、目の前で娘が殺される…。どんな顔をしてくれるのか我が目で見られないのが残念ですよ閣下」
「どうだい魔王様!お前はすべて私の手のひらで踊らされていたのさ!ハハハハハ!」
「く…」
ポップの悔しさに歪む顔を見つめ、サリーヌは満足そうに笑った。そして同時にサイヴァに目で合図を送った。
「それではお嬢ちゃん。お父上の前で死になさい…」
サイヴァの持つ、いかづちの杖が光を放つ。
「ヒッ」
マァルは恐怖で目をつぶった。と、その時ひとすじの光がサイヴァに向けて放たれた。ポップの目から出た光線がサイヴァの胸を貫いた。同時に炎上していく。
「ぐああああ!」
「ちっ、まだそんな力が残っていたのかい!」
「うかつだったなサリーヌ…。俺が完全に事切れてから本性を現すべきだった」
「けっ、そんなこたぁ分かっているんだよ!でも貴様が事の真相を知り、悔しそうな顔するところを見たくてたまらなかったんだよ!」
「ふ…。なら今の俺の顔を見れば満足しただろう。まさか貴様がザボエラの娘とはな…」
そう言いながらもポップのダメージも大きい。出血もおびただしい。
「そう、そして目の前で娘が殺された挙句、テメエが炎に包まれ、真っ黒焦げの死体となったのを見たら私の腹の虫も納得してくれるだろうよ!」
サリーヌは右手に魔法力を集め出した。そして掌の上で紅蓮の炎が逆巻いている。
「ふ、ははは、できるのか?貴様ごときの魔力でこの俺を…」
「死にぞこないが偉そうに!引導を渡してやる!メラゾーマ!」
しかしサリーヌのメラゾーマは彼女から放たれて間もなく消滅した。ポップは刺された左胸を右手で押さえている。だが空いている左腕で気力を振り絞り、メドローアを撃ったのである。
「ひ、ひ、ひいいいいいッッッ!!!」
メドローアの白き光がサリーヌに迫る!
「ぎゃああああああッッ!!」
重傷を負ってのメドローアゆえに威力はさほどではないが、サリーヌを倒すには十分なほどの威力であった。サリーヌは跡形もなく消滅した。そしてポップは崩れた。今のメドローアが最後の力だったのかもしれない。
「ぐはっ!」
再び血を吐くポップ。そして自分を侮蔑の眼差しで見つめるマァルに気づいた。決して許さない。その瞳がそれを物語っている。しかしポップは娘の前でポロポロと涙を流しだした。
「…とんだ茶番を演じた…。ザボエラの娘に踊らされるとはな…」
「ふ、ふふふ…」
地獄の底から聞こえるような笑い声がポップの耳に入る。
「サイヴァ…貴様まだ生きていたか…」
サリーヌの腹心、悪魔神官サイヴァはまだ息があった。どうやらポップの怪光線の直撃の際、回復呪文を自分に施していたようだった。しかしポップの怪光線の威力はすさまじく、回復などはほとんどしていない。わずかに命を永らえただけである。全身に重度の火傷を負い、美男を自負する彼の顔は焼けただれていた。倒れているサイヴァの元にポップは歩み寄る。
「馬鹿な奴だ…。なまじに回復呪文を唱えたから楽に死ねず、苦しんで死ぬことになる…」
「ふ、ふふ…閣下にお教えしたいことがございましてね…」
「なに?」
「サリーヌ様は確かにパプニカ国民にメダパニをかけました。しかし本来メダパニは戦闘中の相手を混乱に落とし入れて同士討ちを誘うのが目的。それ以上でもそれ以下でもありません…」
「…何が言いたい?」
「サリーヌ様は、メダパニを応用して、力は強大でも知能は低いモンスターを手なづけ、ご自分の兵にしていたことがございます。それをパプニカで人間相手に行いましたが人間の知能は高い。モンスターと同様のようにはいきませんでした。つまり洗脳などはメダパニでは不可能なのですよ…ククク…」
「では何故あの女はことさらメダパニの成功を誇った?」
「…クククク…分かりませんか?私ですよ。私が人間を扇動したのです…」
「な、なに?」
「サリーヌ様は、パプニカ国民にメダパニをかけたことを万が一にもアバンやレオナ姫にも悟らせないため魔法そのものは小さく放ったのですが、その結果、混乱しても頬を叩かれた程度で正気に戻ってしまう微弱な効果しか得られませんでした。だから私が人間に化けたのですよ。青年、若い娘、子供、年寄りなどに化けて、パプニカの国中で声を大にして訴えましたよ。『私たちの国を滅ぼしたヒュンケルがお城にやってくる!家族の仇を討とう!』とね…フッハハハハハ!」
ポップは呆然として立ち尽くした。
「部下たちも総動員してやらせましたよ!まあ面倒な仕事でしたが、サリーヌ様にメダパニが成功したと喜んでいただきたいためパプニカ中を走り回りましたよ!ハッハハハハハハ!」
「それでは人間はサリーヌのメダパニなどではなく…」
「そうです。自分の意思でダイやヒュンケル、マァムを殺したのですよ。私はたった一言しか言っていないのですよ。『家族の仇を討とう!』これしか言っていません。魔法なんて気の利いたものなど使ってなどはいません。たった一つの言葉で人間はダイたちを殺したのですよ!ハッハハハハ!人間はモンスターより愚かで恐ろしいものですね!ハーハハハハハハッ!!」
「き、貴様…ッ!」
メダパニなら、まだ良かった。パプニカの国民蜂起は人間の意思ではない。そう思えることが出来たのだから。
しかし真実はポップが当初から思っていた通りのものであった。人間は自分たちの意思でダイたちを殺したのである。玉座の間にサイヴァの笑い声が大きく響く。ポップは倒れているサイヴァの頭を足で踏みつける。それでもサイヴァは甲高い声で笑い続けた。ポップはサイヴァの頭を力任せに踏み潰した。
「ハアハア…グッ…」
ポップは膝から崩れ落ちた。同時に涙が溢れてくる。
「お笑い種だ…。サリーヌのみならず、その部下の掌の上でも俺は踊っていたのか…」
左胸から鮮血が飛び散る。そして目からは涙が止め処なく溢れてくる。
「いい気味だ。魔王なんて言っても結局お前はそいつらに利用されていただけじゃないか。馬鹿で間抜けな魔王様!そのまま死んじゃえ!」
マァルはポップを許さなかった。母メルルがどれだけ惨めな最期を遂げたか彼女は見てきた。アバンは魔人大戦の敗戦後ほどなくしてメルルとマァルへの援助は止めてしまった。やはり、あの敗戦はアバンとフローラの寛大ぶりを少なからず蝕んでしまったのである。
廟堂にてメルルを押し倒した負い目か、アバンはシャルイ山の小屋で暮らしていく事は許していたが、それ以上の援助は無かった。ゆえにメルル、マァルの暮らしぶりは赤貧そのものであった。
心労でやせ細ったメルルは身を売ることもできず、シャルイ山に自生する山菜や薬草を売って細々と暮らしていた。病にかかっても医者に診てもらう金も無い。ある日メルルは突然血を吐き、何の治療も受けられず、最後まで苦しんで逝った。
その時、マァルは決めたのだ。一生父のポップを許さない。母メルルの一生を目茶苦茶にしたポップを絶対に殺してやると。
だから悔恨の涙を流すポップを見ても、マァルのこの気持ちは変わらない。自分と母メルルが貧乏のどん底にあったときも、この男は城で美味いご馳走を食べて、若くて美しい女を抱いていたのだから。号泣するポップを見て胸のすく思いだった。魔王の威厳はもはや無い。惨めに泣く、一人の男だった。
「…すまん、すまん、すまん…!結局俺はダイの死の悲しみから逃れるために殺戮と酒色に溺れた馬鹿野郎だ!最後の最後まで…俺は逃げ出し野郎だったんだ!!」
誰に謝っているのかは分からない。しかしポップは泣きながら詫び続けた。頭を何度も床に叩きつける。額から血は流れ、そして泣いた。広い玉座の間にポップの号泣の声が響く。マァルはそれをただ見つめていた。
やがてポップは激しく血を吐いた。もう死まで間近なのであろう。そしてポップはマァルを見つめた。
「何だよ」
「帰る場所は…あるのか?」
「……」
「あるのなら…俺が送ってやる…」
「カール王国、シャルイ山。そこにかあさんの墓がある…」
ポップは懐からバンダナを取り、マァルに差し出した。彼が子供のころから身につけていたもので、かつてまだ魔王ではなかった頃のトレードマークである。魔王となり、すでに外していたバンダナであるが彼は今でも、肌身離さず、このバンダナは持っていたのである。
「許されるのなら…これをメルルの墓に…」
「ふざけるな!かあさんの墓が汚れる!」
マァルはバンダナを投げ捨て、足で踏み潰した。
「今さら、かあさんと同じ墓に入りたいなんて虫が良すぎるんだよ!髪の毛一本だってお断りだよ!」
踏まれたバンダナをポップは見つめた。今まで魔王として人間を虐殺してきた自分。今、娘にされた仕打ちも自分が作り出したものである。妻メルルの容貌に似ている娘マァル。まるでメルルに言われているようだった。
「そうだな…その通りだ…虫が良いよな…」
だがその時、マァルの脳裏に病床の母が言ったことが思い出された。
(おとうさんはね、私があなたを身ごもったとき、本当に嬉しそうだった…)
(おとうさんはね、あなたが生まれることを本当に楽しみにしていたのよ…)
(おとうさんはね…おとうさんはね…)
「どうして今、この言葉が頭に浮かぶの…」
マァルは頭を激しく振って、脳裏に浮かんだ言葉を否定した。そして改めて自分の前に立っている父ポップを指して言った。
「私は一生、お前を許さない!」
「ああ、それでいい。こんな俺を許しちゃいけない。絶対にな…」
マァルはさらに言う。
「お前が私の父親なもんか!」
その言葉にポップは微笑を浮かべて答えた。
「そうだ…。俺はマァルの父親じゃない…」
「なに?」
「お前の父親が…お前の母メルルの夫が…こんな男のはずがない…」
そして彼は最後の力を振り絞り呪文を唱えはじめた。
「さらばだ。マァル、幸せに生きてくれ。母メルルの分まで!」
ダイの剣により空いた天井の大穴、それに向けてポップは呪文を唱えた。まるで空に向けて何かを確かめる手のひらのように、右手を天に掲げた。
「オクルーラ!」
ダイの剣が開けた天井の穴に向けてマァルは飛んだ。
「このバッカヤロ――ッ!」
マァルの姿が空の彼方に飛んでいき、見えなくなるまでポップは右手を上げていた。
「…『このバッカヤロ――ッ!』…か。フ、ハハハ…」
かつて彼自身が大魔王バーンを一喝した時に言った言葉。それがポップの聞いた娘マァルの最後の言葉だった。
マァルはカールへと帰っていった。玉座の間には静寂が流れる。ポップはふらふらと玉座へと歩き、そして腰掛けた。彼の表情からは、もう魔王の面影は無い。孤独に涙を流す、ただの男であった。
「母さん…親父…マァム…ヒュンケル…」
左胸から鮮血が飛び散る。
「ダイ…」
意識が遠のく。ポップのまぶたが閉じ始めた。そしてポップはダイの剣をにぎり、外れていた急所、心臓を切り裂いた。体内に残る血が彼の左胸から噴出する。
「メル…ル…」
最期の瞬間、彼は夢を見た。姿はあの勇者ダイと共に旅をしていた当時の格好であった。黄色いバンダナをなびかせて、何かウキウキして歩いている。そして夢の中のポップは小さな白い家の前に立ち、ドアを開けた。
「おかえりなさい、あなた!」
そこには長い黒髪も鮮やかな美しい新妻のメルルがエプロンを着て、満面の笑顔で自分を迎えてくれた。ポップは新妻の頬に口づけすると共に、2人の愛の結晶が宿る彼女のお腹を撫でた。愛しそうに…本当に本当に愛しそうに…
ポップは玉座に沈んだ。顔には少し微笑が浮かぶ。魔王ポップ。大魔道士ポップは波乱に富んだ人生の幕を今、閉じた。