ダイの大冒険異伝-火水の法則-   作:越路遼介

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エイミの最期

 カール王国は大敗を喫した。世界最強の騎士団と呼ばれたことも、今ではただ虚しいばかりである。あの凄まじい追撃から逃れた者たちもすでに帰国しており、アバンとフローラも帰国した。疲労の極みであった。

 大軍勢で出陣したカール軍であったが生き残った者はわずかである。九割以上の犠牲者を出したのだ。

 国民はアバンの大勝を確信していたゆえに、その落胆ぶりや失望ぶりは大きかった。そしてこの敗戦で身内を亡くした者の悲しみは、やがて指揮官であったアバンへの憎悪と変わった。何故なら彼らはポップの魔法によって、ほとんど無傷の状態で帰国したからだ。兵を大量に死なせ、アバンとフローラは疲労していたとはいえ無傷も同じ。罵りを受けるのは当然であろう。おそらく、ポップはこれも想定して彼らを助けたのかもしれない。殺さないことが残酷ともなりうる。

 アバンとフローラはそれを骨身にしみて味合わされた。勝利していれば兵士たちも名誉の戦死とでもなるのだろうが負け戦では犬死である。アバンとフローラの信頼は大いに失墜した。

 

 フローラは一度死んで体調でも崩したのか帰国後に病の床についた。よほど敗戦が身に堪えたのだろう。微熱と下痢が続き、食欲も無い。敗戦の痛手、領民の突き上げ、フローラの病、国王としての激務と、アバンは精神的に追い詰められていた。

 そんなある日、疲れた体を癒すように彼は勇者ダイとその仲間たちを祀っている廟堂に来ていた。心地よい静けさがアバンを癒す。アバンは孤独だった。髪はボサボサ、無精ひげをのばし、目の下には隈。左手には酒瓶。もう彼に大勇者としての面影は欠片もない。

 

「陛下…」

 そんな孤独なアバンの背中を呼ぶ者がいた。

「メルル…」

 この時、アバンの心に魔が走った。アバンは精神的に疲労困憊しており、そして孤独。しかも目の前にいるメルルは、その元凶となったポップの妻なのだ。アバンは何も言わずメルルに詰め寄り、そして押し倒した。メルルは何の抵抗もしなかった。体に触れられ、服を脱がされようがメルルはアバンのされるがままとなっていた。あきらめきった目を廟堂の天井に向け、涙はもはや枯れ果てたのか一滴も出ない。メルルは無表情であった。

 欲望に身を任せたアバンはメルルに遠慮はしなかった。メルルを犯してもポップに対し仕返しになるわけでもないことは承知している。だが自己に厳しく冷静沈着なアバンがこんな暴挙に出るほどに、彼は心を病んでいた。

 やがてメルルは一糸まとわぬ姿となった。メルルは手と足で何も隠そうとしない。そしてアバンは我に帰った。メルルの裸体は健康的な女性のものと程遠いものだった。肋骨が浮き出て、手足は枯れ木のごとく。それほど彼女はやせ細っていた。壊れてしまいそうなほどに。

 

 アバンはマントを脱ぎ、メルルにかぶせた。

「…すまん…。どうかしていた…」

 メルルは起き上がり、マントを肩からかぶった。涙が溢れて止まらなかった。

「すみません…。こんな体じゃ抱く気にもならないでしょう…」

 メルルはアバンを責めるどころか、受け入れることができないことを詫びた。敗戦後、しばらくしてメルルはシャルイ山から降り、アバンに会いに来た。そしてこの廟堂にアバンがいると聞き、メルルは彼を少しでも励ましたく、慰めたく、ここに来た。だがアバンの寂しそうな背中を見たとたん何も言えなかった。自分が励ましたとしてもアバンを余計にみじめにするだけなのだ。

 だからアバンが孤独の反動から欲望のままに自分を押し倒したとき、彼女は何の抵抗もしなかったのだ。少しでもアバンの孤独を癒せることができるならと、彼女はなすがままにされていた。

 しかし、彼女の体は今、男を受け入れられる状態ではなかった。ゆえに彼女はアバンに詫びたのだ。

「そんなことを言わないでくれ…。君の方が私よりどれだけ辛い思いをしていることか…。すまない…すまない…!」

 アバンの眼鏡の内側に涙が落ちる。徐々に、徐々にアバンの歯車も狂い出してきた。

 

◆  ◆  ◆

 

 帝国軍が帝都ディーノに凱旋してより3日が過ぎた。勝利の余韻も鎮まり帝国は日常の様相を取り戻しつつあった。

 そしてエイミはいつものとおり、自室で化粧をしてディーノ・キャッスル内のダイたちを祀った廟へと向かった。本日2度目であった。ヒュンケルの絵と、彼の装備一連のレプリカが祭壇の上にあるが、彼の御霊がここにあるのかは分からない。それでもエイミは日に3度の礼拝を欠かさなかった。

「ヒュンケル…貴方に会いたい。でも私が行くのは地獄。貴方も昔は悪い人だったけどバーンを倒したことで、きっと神様に許してもらって天国でダイくんと一緒にいるのでしょうね。死んでも私は貴方に会えないんだね。ううん、きっと会っても悪魔となった私を貴方は許さない。でも…たとえ顔の形が変わるほど殴られてもいい…会いたい…」

 そんな会話を返事をしないヒュンケルの絵に向かって彼女は語りかけていた。祭壇の前でこうしてヒュンケルに語りかけている時間がエイミただ一つの安らぎであった。

 

「お前ごときにヒュンケルの御霊に祈りを捧げる資格があるのかしら…?」

「!」

 声の主は廟堂の入り口に立っていた。逆光で誰かは確認できない。

「誰!」 

「魔に手を染めすぎ、かつての主君の声すら忘れてしまったの。魔将エイミ!」

 エイミに向かい歩いてきた人影。それは彼女の旧主レオナであった。

「姫様…」

「ふん、もう姫様でも何でもないわ。パプニカはエイミに滅ぼされたのだからね」

 悲しい主従の再会であった。レオナにはもうエイミに対して憎悪しか無い。エイミも祭壇の前で、しおらしくなっていた自分を拭い去るようにレオナに対した。

「よくここまで来られましたわね…」

 レオナはカールには戻らなかった。追撃を何とか逃れ、エルフ族の戦死者から服と防具をはぎとり、それを着用してエルフに化けた。そして兵たちに紛れ、そのまま帝国までやってきたのである。

「ですが、さっきの言葉はどういう意味でしょう?」

「意味?」

「姫様こそダイくんの御霊に祈る資格がお有りなのでしょうか?仇も討たず、戦も惨めに負けてしまい今ごろ姫様のこと腰抜けレオナと笑っているかもしれませんね…」

「仇を討つと云うのは罪も無いパプニカの国民を虐殺することだと言うの?そんなことダイくんもヒュンケルも望むわけがないでしょ!お前とポップはただ愛する人や友を無くした辛さに耐えきれず腹の立つまま暴れているだけじゃないの!お前達の方がよっぽど腰抜けよ!」

 そしてレオナはエイミをあざ笑った。

「ヒュンケルも浮かばれないわ…。こんな馬鹿な女に惚れられて」

「うるさいッ!」

 容赦なくレオナを殴打するエイミ。

「あうっ!」

「言わせておけばふざけたことを…」

「ふん…。先ほどのしおらしさが嘘のようね…」

 レオナは血の流れる口元を拭いながらエイミを再びあざ笑った。

「何が貴方に会いたいよ。お前みたいな性悪女、ヒュンケルが相手にするものか」

「まだ言うのですか。そんなに死にたいなら殺してあげます!」

 

 エイミはこの廟堂に来るときは丸腰であった。鎧も身に着けてはいない。だからレオナはエイミがこの部屋にいる時を狙ったのだ。そしてここまで挑発すれば魔法で殺そうとせず、ひたすら殴打することで嬲り殺しにしようとするはず。事実、ヒュンケルを殺した国民をエイミは死ぬまで殴り続けたのであるから。

 その予想どおり、エイミは倒れているレオナに詰め寄り始めた。そしてエイミがレオナの胸倉をつかもうとした、その時だった。

 

 レオナは懐から二つのネックレスを取り出した。ひとつはレオナがフローラを通じてアバンより授かった輝聖石。もうひとつはすでに持ち主を失った輝聖石であった。その鎖の部分をレオナは交差させ、即席の十字架を作った。

「…!その輝聖石…!」

「そう、これはヒュンケルのものよ。お前はこの技で死ぬのよ!」

 十字架が光を放ち始めた。

「ま、まさか!?どうして姫様がその技を!」

「私は生きて帰るつもりはない。命を闘気に変えて撃つ!ヒュンケルの技にかかって死になさい!魔将エイミ!」

 レオナの闘気が上がる。鎖から、そして輝聖石から金色の光が神々しく輝いた。

 

「グランドクルス!!」

 

 この時、直撃の時、レオナは確かに見た。エイミが嬉しそうな顔をしていることを。エイミは避けようともせず、むしろ両手を広げてこの技を受け入れた。

 廟堂は吹っ飛び、城の側面に大穴が開いた。

 

 ………

 

 そしてレオナは全生命力を使い果たし、その場で倒れた。彼女は今、死んだのである。どのくらいの時間が経ったであろうか。長いのか短いのも分からない。そのレオナの元に光の輪が降りてきた。暖かい光であった。そしてその輪は中にレオナを包むように降りた。

「ん…んん…はっ?」

 その輪の中にいるのはレオナだけではなかった。エイミも共におり、そしてレオナを抱きしめていた。

 

 そうエイミはグランドクルスの直撃を食らったが辛うじて生き延びた。破邪の洞窟を踏破したエイミの肉体は防具無しでも防御力は水準を越えている。それに加え、残念ながら本家のヒュンケルのそれとは、やはり威力に差が出たのであろう。

 だがレオナは死んでしまった。エイミは破邪の洞窟で会得した賢者のみ、しかも女性しか会得できない古の自己犠牲魔法をレオナに唱えたのだ。魔法の名前は彼女も知らない。だが効果は知っていた。

 その魔法は自分の生命エネルギーを死した愛する者にのみ与えることが出来る完璧な蘇生魔法である。魔法力は十分にあるものの、ザオリクを使えるほどの気力はすでにエイミには無かったのだ。

 

「…エイミ…あなた…」

 エイミはニコリと笑った。その笑顔はレオナが子供のころから大好きだった笑顔だった。そしてエイミは力を使い果たしたように倒れた。

「エイミ!あなた私に命を…!」

「いいえ…私の命など与えたら姫が汚れます…。姫は運良く助かったのです…」

「嘘よ!あなたは嘘が昔から下手だと言ったでしょう!」

「そうでしたね…」

 照れくさそうに微笑むエイミ。もう顔の険は取れ、昔のままの顔であった。

「エイミ!」

 エイミはレオナの腕の中にいた。だが体が徐々に消えかけていた。この蘇生魔法を使えば死体も残さずに消滅してしまうのだ。

姫様…申し訳ございません…。ヒュンケル…そして姉さんやアポロが殺されてしまった時…私どうしても領民たちが許せなかった…。でも復讐を成した後…もう後戻りはできませんでした…」

「エイミ…」

 エイミの体が透き通る。だがエイミには死の恐れは無かった。満面の笑みである。

「…ヒュンケルの技で私を倒して下さり…ありがとうございます…。もう思い残すことはありません…」

「エイミ!」

「姫様…私を許さないで下さい…。それが…愚かな臣めの…ね…がい…」

「……」

「…ヒュン…ケ…ル…」

 最後の最後、愛しい人の名を呼び、エイミは逝った。

「エイミ…!」

 エイミの体はまるで風の中に溶け込んだように消えてしまった。魔将エイミは死んだ。(自分の死などは惨めなものに違いない)と考えていた彼女だが愛するヒュンケルの技で討たれ、そして、かつての主君レオナの胸の中で死ぬことができた。本望だったかもしれない。レオナが見た消えてしまう直前のエイミの顔はそれほど満ち足りた顔をしていた。


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