白陵基地には戻ってきたものの、武たちの任務が大きく変わることはない。第四計画直轄の秘匿部隊であるA-01において唯一対外的な対応ができるようにと編成された第一中隊の任は変わらずXM-OSの運用実証試験であり、帝国軍や在日国連軍そして斯衛を問わず他部隊と協力しての活動でもある。
夕呼のお膝元とも言えるこの白陵基地ではさすがにある程度の事務作業は分担できたとはいえ、小隊長たるまりもはやはり各方面への連絡のために休む間も与えられずに飛び回っている。
そして残された形の武たち第一小隊の少尉三人が為すべきことは、途中で放り出したに等しいユーコンでの書類作業を可能な限り早急に仕上げることだった。
以前にターニャから提供された合衆国軍用のチョコバーを小分けにしたものと、合成玉露をマグカップになみなみと注いだ後は、各自がそれぞれのデスクで書類を処理していく。黙々と、というほどではなく、時折は誰かが確認のために声を掛けるくらいだ。
「あ~ダメだ~終わりそうにないよ……」
武と冥夜とは基本的に弐型に関するものだけで済むが、純夏の場合はACTVだけでなく、もともと使っていた撃震の分もある。純夏自身が書類仕事に慣れていない、ということもあってあまり捗ってはいないようだ。
加えて分隊を組んでいたまりもも不在にために、細部の確認などが出来ずにいる。
「む。このあたりは……我らでは力になれぬな」
「こればっかりは手伝いたくても、なぁ……いや、そもそもが手伝う気もないけどな」
「タケルちゃん酷いよ~」
「しゃべってる間に手を動かした方が前向きだぞ、鑑」
冥夜が純夏の作業を軽く見たが、即座に下がる。武にしても突き放したような言い方になってしまうが、機種ごとの差異に関する修正案が主な任務でもあったために、同じ弐型に乗っていた冥夜ならばまだしも、純夏の抱えている案件には手が出せない。
それに武にしても、実のところ余裕はない。
以前の世界線での経験から小隊指揮官程度の定型的な報告書であればそれなりには手慣れはいるのだが、いま仕上げねばならないのは機体開発にも等しいXM3関連の報告書だ。
さらにユーコンの整備班から上がってきた報告書などにも目を通した上で返信せねばならないのだが、これが日本語の物だけでなく英文の物も混ざっているために、余計に時間がかかってしまう。
(喀什攻略ってか、対「あ号標的」用の想定シミュレーションとかも作っておきたいんだが、マジで時間がねぇな)
積み上がってしまっている書類の処理は、たしかにやらねばならぬ作業ではあるが、武はどうしても集中しきれていない。攻略作戦までさほどの時間が残されていないこともあり、実機で訓練できずともシミュレーターで可能な限りはハイヴ侵攻の演習などは熟しておきたいところなのだ。
それに単なる思い付きではあったが、複数体の要塞級との戦闘演習は、冥夜にも体験しておいてほしい。
「あ号標的」の自衛的攻撃手段である触手は、要塞級の後尾触手よりも射程が長いが、用意できるシミュレーション用データとしてはあくまで武の記憶に基づいた仮の物だ。ならばデータ精度の高い要塞級の数を増やすことで、似たような想定状況を作る方が確実かもしれない。
そんな風に意識を逸らしながらではあるが、午前一杯を使っていればある程度の目途が付く。今日明日中に終わるような分量ではないが、それでもなんとか年内には方が付くという程度には処理も進んだ。
そして昼食をいつものような早食いで済まし、今日中には急ぎの分だけでも片付けておこうと思った矢先に、まりもから通話が入った。
「自分に面会、それも富士教導隊の方がですか?」
上官からの指示を聞き返すような形になってしまったが、指名された理由が武には判らなかった。
第二と第三小隊ならば、以前に教導隊とは合同で演習などを熟している。なのでどちらかの小隊がこの白陵基地に残っていたならば、孝之か慎二かが対応させられたかもしれないが、いまだは揃って北海道方面での合同訓練に赴いたままだ。
「神宮司隊長が対応なされた方がよろしいのでは?」
なにも仕事がしたくないというわけではない。どう考えても、武に限らず他の二人よりも、まりもが相手をすべきではないかと思えてしまう。
まりもは今でこそ国連軍所属となってはいるが、夕呼が引き抜く前は富士教導隊にいたのだ。面会に訪れた者と顔見知りかどうかは判らないが、新任の少尉でしかない武よりかは間違いなく適任なはずだ。
『先方は香月副司令への面会希望だったんだが、XM3関連ならばとこちらへと話が回ってきた。副司令からも、貴様が対応するように、とのことだ』
それはつまり、夕呼が邪魔くさいことをこちらに放り出した、というだろう。
それに、主不在のまりもの執務机の上を見ると、武たち以上に積み上がってしまっている書類がどうしても目に入る。これらの処理に加え、目的不明の面会人の相手まで押し付けるのは、少々心苦しい。
「了解しました。そういうことでしたら、お受けいたします」
『なに、相手は尉官が二人だ。政治的な背景はあっても薄かろう。ユーコンで用意された手引書を持っていけば、大方の話は片付くはずだ」
まりももある程度は背景を疑っているのだろうが、この白陵基地にまでわざわざ出向いてくるような相手だ。それほど大きな問題にもならないだろうと、武に面会を一任した。
A-01の中で唯一対外的な部署となってしまった第一中隊には、一応は専用の応接室も用意されていた。第一小隊は武と冥夜の武御雷を含むその編成から斯衛へと赴くことが多く、武がこの部屋を使ったことはなかったが、孝之たちは利用する機会は多かったらしい。
(これは……政治的な背景しかなくねぇか?)
その用意された応接室で出迎えた形だが、入室してきた二人の帝国陸軍士官の顔を見て、安請け合いをした自分を叱責したくなる。少なくとも誰が来るかくらいは確認しておくべきだったと反省にもならない後悔が沸き立つ。
合成ではないお茶を用意はしたが、その味と香りを楽しむような余裕はなさそうだ。
いま眼前に座っているのは、沙霧尚哉。
武が知る、クーデター時の所属は帝都守護の第1戦術機甲連隊だったはずだが、この世界線では富士教導隊に所属するらしい。
尚哉の副官と名乗った駒木咲代子中尉を武は知らないが、おそらくはその立場であるならば、先の世界線ではクーデター軍に組していてもおかしくはない。尚哉と並んで座ってはいるが、一歩引いた姿勢からは、聞き役に徹するつもりにも見える。
(いやいや落ち着け。ここじゃ帝国軍と国連軍、というかアメリカとの関係はそんなに悪くないはずだ。クーデターの動きも聞いてないし……)
BETAの帝国本土上陸からの、アメリカからの日米安保破棄やその後の「明星作戦」などが起こらなかったこの世界線では、日米関係は比較的良好だ。もちろん親ソ派や親中派などは帝国軍の中にも一定数いるらしく、そちらからはアメリカへの対立志向もあるとは聞いてはいる。
ただこの眼前にいる尚哉がどちらに寄る思想を持つのかを武は知らない。もちろん派閥としては本土防衛軍に居るとは言え彩峰中将派に属しているのだろうが、その彩峰中将の政治信条が判らない。
彩峰中将自身は悠陽の教育役を務めていたというし、先のクーデターなどでの発言だけを頼りにするならば、尚哉自身も将軍家や帝国臣民への忠誠が何よりも優先されるようには思える。
(ダメだ。他世界線での経験を下に判断するのはダメだ)
いつか自戒したように、眼前の人物を他世界線の者と重ねて見るのは礼を失するということもあるが、判断を誤らせる危険性も高い。状況がこれほどに変わっているならば、それに対する反応も、たとえ同一人物であっても大きく変化する可能性もあるのだ。
いまこの場で、沙霧尚哉という人物を見極め、そして対応しなければならないのだ。
「神宮司が手を離せず、申し訳ございません」
双方、官姓名だけを名乗っただけの簡単な挨拶の後、席に着いたと同時に武は頭を下げる。顔が強張るのを武は自覚はするが、さすがにどうしようもない。
「あるいは彩峰がこちらに残っていれば対応させたのですが……」
「はははっ、それは流石に公私混同が過ぎる。というよりも、だ。私が勝手に会っていたとなれば、中将殿に申し訳が立たん」
尚哉が彩峰中将から目を掛けられていることは、よく知られている。そして慧と尚哉とが幼少時よりの付き合いであることは、この世界線では特に秘されている話ではない。 慧本人は嫌がる素振りを見せるかもしれないがもしこの白陵基地に居たならば尚哉への対応は彼女に任せられたのだが、などと武は考えてしまう。
「ただ……そうだな、彼女は壮健か?」
「九州での戦闘、と言いますか初陣直後は少々暴走気味でしたが、こちらに帰る頃には、いっぱしの衛士の顔をしていたかと。ただ、このところは自分も直接顔を合わせる機会が無かったもので、北の寒さで参ってるかもしれません」
自分から口に出した話題ではあったが、詳しく語れるほどには他小隊の直近の状況を把握してはいない。報告書などに目を通している限りでは特に問題はなさそうなので、そう答えるしかなかった。
「楽にしてくれたまえ、というのもおかしな話だが……年末のこの時期、時間の無い中で無理を言ったのは我らの方だ。それに月の後継者の懐刀たる君には一度会っておきたかったのは確かだ」
共通の知人を話のネタにして相手の出方を伺うような形になってしまったが、警戒の解けない武に、尚哉はにこやかに笑って応える。所属が違うとはいえ、上官に当たる者から指名されたことからくる緊張だとでも、考えてくれているのだろう。
その姿勢は、なるほど部下から慕われるというのもよく判る、落ち着いた余裕のある態度だった。
「そう言っていただけると恐縮であります、大尉殿。ですが懐刀、でありますか?」
まずは話を聞こうと武も緊張を解すが、聞き慣れぬ言葉に引っ掛かりを覚えた。
「月の後継者」が夕呼を指しており、この意味をこちらが知っていて当然と話してくる。
ターニャは第一線を退き後任にその座を譲っていてもおかしくはない年齢でもあり、先の朝鮮半島視察の際での負傷による療養中というのが公的な発表でもある。このままその経歴に幕を下ろすと思われていてもおかしくはない。むしろそれを期待している者たちも一定以上に存在しそうだ。
そして次期JASRA局長という地位だけであれば合衆国からそれなりの経歴を持つ人物を充てれば良いが、ルナリアン派閥のみならずその周辺においては、ターニャの人脈を取りまとめる事ができる者が待望されていることは間違いないだろう。
ターニャの「幼女化」ともいえる現象を知っているのは極めて少数に限定される。養女としての「ターシャ・ティクレティウス」が一定の年齢に達しそれなりの経歴を作り上げた後には、ターシャとして自身の後を継ぐなどと考えられるのは事情を知る者の中でもさらに極一部だろう。
そのためJASRAが第四計画へと接近している現状では、夕呼がターニャの後継と目される事は不思議ではない。ターニャ共々に第五に対して対立姿勢を貫いていることも、その推測を裏付けてしまう。
夕呼本人にはルナリアン派閥を利用しこそすれ、その人脈を引き継ごうとする意図はないはずだ。「月の後継者」などという呼び名もかなり嫌がってはいたが、状況だけを見れば、たしかに最もターニャの後継の立場に近い。
だがそれは夕呼に限っての話だ。流れからして「懐刀」が武を意味するようにしか取れないが、そのように噂されているとは思ったこともなかった。
「君はXM3の概念提唱者にして、最初期から開発衛士をも務めていたのだろう? 一衛士として、君には非常に感謝しているのだ。間違いなく、衛士の生存率は高まった。先の九州戦においても、XM-OSのお陰で命永らえた者は多い。本当にありがとうと、こうして直接伝えられる機会が欲しかったのだ」
「それは……光栄であります。ですが、お顔は上げてください。XM-OSは皆の手助けがあってこそのものです」
腹芸などではない、尚哉の心からの謝意に武は慌ててしまう。尚哉も咲代子も揃って頭を下げており、そんな上官二人を前にしては、武も落ち着きようがない。
「それに感謝するのは我らの方です。先の九州戦の折、須野村での防衛に際し大尉殿の御助力が無ければ、我らが中隊はかの地を護り切れなかったと思われます」
「はは、それこそ君たちの成果だろう? あの時の光線級吶喊が無ければ、大規模なBETA上陸を許すところだった。君自身に限れば、中尉への特進があってもおかしくない働きではなったか?」
「さすがにそれはあり得ないかと。そもそも自分はまだ任官して三ヶ月と過ぎていない若輩者です」
光線級吶喊はたしかに衛士としては特筆すべき実績ではあるが、それだけで昇進できるほどではない。大陸での最前線ならば部隊損耗が激しく戦時昇進などを経て臨時の中隊や大隊指揮官などに充てられることはあるが、ありがたいことにいまだ帝国陸軍も在日国連軍もそこまでは人材が逼迫してはいない。
「いや。なにも九州戦に限った話ではない。君のこれまでの実績、先のユーコンでのことなども踏まえれば、来年度には昇進していてもおかしくはなかろう」
「……過分な評価ありがとうございます」
評価されること自体は嬉しいが、正直なところ今の武はそれほど階級には拘りがない。衛士として前線に立てるだけの地位、つまるところは今の少尉で十分と考えている。
先のAL世界線では、階級というよりかは作戦に関与できるだけの地位を欲したこともあるが、自身のそれほどの能力があるとは思えなくなっている。それに今は昇進に伴う試験や講義に充てる時間が惜しい。
まりもも似たような状況だろうとは思う。実績だけで見れば、最速で少佐にまで上がっていてもおかしくはないのだが、第一中隊の再設立などの任のために昇進を遅らせている向きがある。
(あ~いや、神宮司大尉の場合は、今後のA-01第一大隊の再編の際に大隊長に就けるために、夕呼先生が時間取らせそうだよな)
今は第一大隊が実質的に武たちの属する第一中隊だけのため、大隊指揮官は夕呼が兼任しているか、不在のままだったはずだ。今後A-01への増員があるかどうかは怪しいが、喀什攻略が成功裏に終われば、部隊の再編などに伴ってのまりもの昇進はありえる話だ。
「いえ。そういうお話でしたら、沙霧大尉殿こそ、御昇進するのが当然かと」
まりもの事を考えてはいたが、眼前のこの尚哉もいまだ大尉だ。大陸派遣軍に属していたから出世が遅れたとは考えられるが、それこそ実績を見れば少佐になっていてもおかしくはない。先の再編に伴って富士教導隊に移籍となるのならば、それに合わせて佐官教育を経てからというのが自然に思える。
「はははっ、負傷などもあって遅らせてはいたが、さっさと佐官になれとは言われているよ。ただ、それも年が明けて新しい任地が落ち着いてからだろうがね」
「新しい任地、ですか?」
富士教導隊はその名が示すとおりに富士駐屯地に本部を駐屯している。アグレッサー部隊としての性格もあり、他基地への出向くことはあるだろうが、それは短期的なもののはずだ。
「ああ。我々にとっても急な話だったのでね。渡米前にXM3に関して、開発関係者からあらためて話を聞いておきたかったのだ」
「……は? 渡米、ですか? ッ、失礼いたしましたッ!」
話の流れが掴めず武は疑問をそのまま口に出してしまったが、上官に対する態度ではなかったと慌てて詫びる。だが新しい任地というのも判らないが、それが合衆国に渡るとなればさらに理解が及ばない。
「そう畏まられても困る。それに我々も似たような反応をしてしまったことでもあるからな。簡単に言えば、君らフェアリー小隊の後任というわけではないが、私は年明け早々にユーコンに向かうこととなった。プロミネンス計画の再編人事の一環とのことだ。あたらしく赴任される計画総責任者の補佐として、帝国からは私が選ばれた」
「それは……おめでとうございます。しかし『帝国からは』ですか?」
祝福の言葉は述べたが、ただ素直に歓迎できる人事とは言い難いはずだ。そして尚哉はどこか含みを持たせた言葉を残す。
「合衆国からも補佐官が派遣されるそうだ。プロミネンス計画の現状は、少々EUに偏りすぎだという見方があったようだからな」
「……なるほど」
武は少しばかり冷えた茶に手を付け、考えを廻らす。
帝国が推進する第四計画と、それにとって代わろうとする合衆国の第五。それらとは距離を置いた現実的な路線というのが、先進戦術機技術開発とされた「プロミネンス計画」だった。他のオルタネイティヴ計画のような秘匿されたものではないが、知る者の間では第4.5などと呼ばれる程度には期待されていたはずだ。
しかし各国が情報交換や技術協力を行うという命題は達成されることはなく、満足な結果も出せずに今その計画は形を変えようとしている。
計画総責任者だったハルトウィック西ドイツ陸軍大佐が、本当にテロ計画に関わっていたかどうかは武には判らない。ただハルトウィックは護るべき国土となによりも多くの国民を失った西ドイツの軍人だ。対BETA戦に全力を傾けない合衆国に対して思うところがあっても当然だ。
尚哉はEU寄りに過ぎたというが、武がユーコンで見聞きした範疇ではむしろ東側諸国への援助が大きすぎると感じた。むしろ東側への技術漏洩に加担していると言っても良かった。
それらを踏まえれば、どこまでがターニャの思惑かなどは推し量れないが、次の計画総責任者は亡命国家からは選ばれないはずだ。前線国家の士官に形だけの地位を与え、合衆国から派遣された補佐官が計画を統括することになるのだろう。
帝国から送られるの尚哉にしても、変わらず国際協力を進めているという姿勢を示すためか、あるいはXM-OS開発国たる帝国を尊重するという形式だけかもしれない。
「その赴任のために、だ。XM3が何を目的としているのかを、直接聞いておきたかったのだ」
そう言って射貫くように、尚哉は武の眼を見据える。
これは簡単に終わる話ではないなと武は腹をくくった。
今年の汚れは今年のうちに、ではありませんがユーコンの後始末です。一話で納めるつもりがちょっと伸びそうなので分割してます。
で、年末なのにタケルちゃんたちは普通に勤務中と言いますか、この調子だと年始にチョロッと休暇が貰えるくらいというブラックっぷりですが、よくよく考えたら原作オルタ世界線だとそもそも「桜花作戦」直前なので休む間がない時期だったよなぁ、と。
あと沙霧大尉はどこかでちゃんと出そうと思ってましたが、いまいちキャラが掴めずでこんな感じになりつつあります。彩峰中将生存かつ反米感情が特に強いわけでもないこの作中世界線だと政治思想的な活動からは離れてしまうから、もう別人レベルになってしまいそうですが……。
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