Muv-Luv LL -二つの錆びた白銀-   作:ほんだ

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誤謬の沈殿

 教練終了の後には教官補佐としての立場からのまりもへの状況報告を簡単に済まし、時間を合わせてPXにて207Bの皆と夕食、そして後は本来の訓練兵であれば自由時間のはずだ。だが当然のように武にはそんな余裕はなく、夕呼の執務室に向かうというのがこのところの日課となっていた。

 

 夕呼への報告は義務付けられているというわけではないが、この世界で目覚めて以来、二日と空けずに呼び出されるようになれば如何に武と言えど自分から足を向けるようになる。

 

(そういえば元の世界……いやEX世界線か、あっちじゃ物理準備室に行くのは気が重かったんだよなぁ)

 

 ふとそんなどうでもいいようなことを思い出してしまったのは、ここ二日ほどは夕呼の機嫌が悪く、顔を出しても追い払われる事があったからだ。そして夕呼が不機嫌になる要因は、わずかながらに漏れ聞いた言葉だけでも推測できる程度には、武には情報が与えられていた。

 

 ただ、原因が判っているからと言って武に解決できる問題でもなかった。

 なんといっても第四とJASRAとの共同で国連安保理に提出したBETAの行動予測に関して、各国の重鎮から何度も個別に通話が鳴り続けているというのである。半分以上はターニャに押し付けているようではあるが、もともとが武とターニャの別世界線での記憶を元にしたという、出所の証明できない情報だ。今後のBETAの行動推移を観測しながら実証していくと言うしかない。

 

 

 

「さて。不機嫌なままに追い払われるか、今日は顔を出さずに明日さらに不機嫌な夕呼先生に会うべきか?」

 もう主観時間としては何年も昔になるのだが、いつかそんなことを考えていたな、とわざと口に出してみる。

 実際のところは、勝手に自室に帰るという選択肢はないものの、夕呼に殺されるような目つきで睨み付けられるのはあまり歓迎したい事態ではない。どうしてもドアをノックする手が伸びづらい。

 

「何バカなこと言ってるの早く入りなさい」

「うぇっ!?」

 まさか部屋の主が廊下に出ており、背後から聞かれていたとは予測もできず、掛けられた声に文字通り飛び跳ねてしまった。

 

「そんなに不機嫌な訳ないでしょ。じゃあ社は隣でお願いね」

「社~無理しない程度に、な」

「……(コクリ)」

 霞も、夕呼の後ろをほてほてと着いてきていたが、武に向かって軽く頭を下げると隣の部屋にひとり先に入っていった。なにやら仕事があるようで、いくつかファイルを抱えていた。

 

 

 

「でも珍しいですね、夕呼先生が出歩いてるなんて」

「今晩あたり不審者が来そうだから、ちょっと防諜の強化のために出てただけよ」

「不審者……ああ、鎧衣課長が来られるのですか」

 夕呼が心底イヤそうに顔を歪めるのと、その不審者という言葉で誰が来そうなのかおおよそ予測がついてしまう。

 

「……さすがに先に入ってた、ということはなさそうね」

 夕呼は、さっさと入りなさいとドアを開けたが、ふとそこで立ち止まる。

 どうやら鎧衣課長を警戒していたようだ。一通り室内を見まわした後、いつも通りに机に座り、コーヒーを促す。

 

「そういえば、アンタは別世界線で会ってるのよね」

「こちらではまだ会っていませんし、息子のような娘が、娘のような息子になっているので、俺の知ってる鎧衣課長とはもしかしたら大きく違ってるかもしれません」

 

 別世界線の人物とは似ていても別人である、と再度自分に言い聞かせておく。特に情報省の人間を相手にするのだ。下手に予断を持っていると足を掬われかねない。まして同じような性格であれば、間違いなく煙に巻かれてしまう。どちらにせよ警戒しておくに越したことはない。

 

「ま、気を付けておくのは良いことだわ。あたしは相手したくないから、来たときはアンタがあのおしゃべりに付き合いなさい。廊下で」

「部屋から連れ出すのがまず問題ですよ……」

 廊下で立ち話くらいで済むのなら、むしろ武としては願ったり叶ったりだ。夕呼の執務室の中で、防衛のために下がる場所もないまま、鎧衣課長と話をするよりははるかにマシである。

 

 

 

「で。あの斯衛、どういう感触だったの?」

 鎧衣課長の話はどうでもいいとばかりに話題を変え、代替コーヒーを準備する武に、次の話も重要ではなさそうに声をかけてくる。

 少しばかり声が弾んでいるように聞こえるのは、武の思い過ごしではなさそうだ。どうやら何も知らせずに篁唯依をハンガーへ向かわせたのは、武を驚かすためでもあったようだ。

 

「XM3に対してはかなり好感触でした。現時点で開示できる情報についてはすべて渡しているので、数日中には帝国軍にも斯衛にも伝わっているかと思われます」

 夕呼が軍人の、それも中尉程度の者の為人を聞いてくるはずもないので、実務に関することだけを簡単に報告する。とはいえどうしても武個人の主観による判断でしかないので、感想程度のものだ。

 

「ふ~ん、斯衛には良い値段で買ってもらえそうね」

「買うかどうか決めるのは、斯衛といえど今だと大蔵省なんでしょうけどね」

 

 少しばかりは部隊指揮の記憶がある武にしてみれば、装備の新調など軍の意向だけで決められるものではないことくらいは判ってしまう。バビロン災害、大海崩後の軍政のような状況であればまだ無理が通せただろうが、今の日本帝国ではそんなことはできない。

 そしてソフトの値段は最悪無視できるとしても、フルスペックのXM3を運用できるCPU関連は、どうしてもそれなりの価格となっている。搭載する機体の数にしても、今日明日に即断できるようなものではない。

 

 

 

「でも、来るのを知ってたんなら、もう少し早めに連絡くださいよ。判っていれば予定も立てたもの……」

 代替コーヒーのカップを二つ用意しつつ、少しばかり愚痴を零す。

 武にしてみれば、見知らぬ人間に対する最初のXM3の説明でもあったのだ。事前に準備できていれば、もう少し上手くこなせたのではないかと、どうしても考えてしまう。

 

「上役へのいきなりの説明なんて、アンタにはこれからはいくらでもあるわよ。斯衛ならまあ失敗しても取り返せるから、いい練習になったでしょ?」

 今日のところは機嫌が良さそうなのは、武へのちょっとした悪戯が成功したからかもしれない。

 ニヤニヤと笑いながら、まるで本物の教師のようなことを言ってのける。ただその言葉は一面では真実だ。本土防衛軍の将官相手であれば、どういった因縁が付けられてくるか、今から考えるだけでも胃が痛い。

 

「それはそうなんですけど、さすがにいきなりすぎましたよ。月詠中尉が許諾してくれたからシミュレータ訓練に参加していただけましたが、そうでなければ何もないままに口頭だけで説明するところでしたよ」

 

 A-01や207Bの訓練データが映像なども含め溜まりつつはあるが、その多くはまだまだ未整理な物だ。今のところXM3に関してもっとも判りやすい説明というのは、207Bの教導の為にまりもが纏めた即席の教本だというのが実情である。

 まして開発衛士を務めた、そして今まさに新型戦術機の開発主任に就いているような人物相手に、一切の準備なく滑らかに説明できるほど、武はXM3の全容を把握しているわけではない。

 

 

 

 

 

 

「ふん。XM3の方はまあ良いわ。その斯衛の中尉、御剣に対してはどうだったの?」

 こちらが本題だとばかりに、夕呼は話を切り替える。

 

「あ~月詠中尉が断りを入れていましたが、まったく信じているようには見えませんでしたね。最初は『御剣冥夜訓練兵』という偽装を何とか受け入れようと、挙動不審でした」

 

 唯依は結局最後まで勘違いしたままだった。

 そして譜代武家として教育されてきた結果か生来の気質からか、冥夜に対しては上官として振る舞うべきなのか、御忍びの将軍に対する態度とするべきなのか判断できないままに、ちぐはぐな対応を取っていた。

 

 ただ黄の強化装備を身に纏いシミュレータに乗る頃には、完全に意識は切り換えられていたのは間違いない。

 それ以降はあくまで分隊員として対応していたが、訓練後の虚脱した時の様子からしても、すでに冥夜のことよりもXM3に関する衝撃だけで許容範囲を超えていたということもありうる。

 

 

 

「なら、アンタがこの前言い出したネタは、進められそうってことね」

「御剣の使い道、ですか。あの様子だと思った以上に成功してしまいそうですよ。まさか譜代武家の次期当主でさえ疑問に思わないとは」

 

 先日、冥夜から悠陽の為にできることに自分を使えと言われて、ふと武が思いついたことがあったのだ。

 そもそも影武者として隠すように育てられてきたというが、逆にあからさまに前面に出てしまえば、いろいろと問題が解決できるのではと考えてしまった。

 

「控え控え~とか、上様の顔を~とかだったわよね?」

 

 夕呼が言葉にするように、武が言い出したのは時代劇の概要だ。

 「気のいい町人」が最後に「実は権力者」であると正体を明かして悪を制する。この国に限らず、よくある話の類型である。

 

「ええ。その逆を御剣訓練兵には演じていただきます。御剣冥夜には、完全に煌武院悠陽殿下の『陰』となってもらいます」

 計画説明ということもあり、武は自然と口調を改める。

 

「今、夕呼先生が挙げられたものは、ご存知の通り市井の娯楽作品です。これら作品において、劇中人物はその正体を知らずとも、観客は判っているという点が重要です」

 

 紫の武御雷を駆る「御剣訓練兵」と名乗る、「煌武院悠陽」に瓜二つの衛士。戦場でその姿を見た兵は、その正体をどう捉えるのか。

 事実はどうであれ、噂は流れる。殿下御自ら先陣を切っておられる、と。

 

「さらにたとえもし煌武院家の事情を知りつつ、その『御剣冥夜』の行いを苦々しく思う者がいたとしても、国連軍という立場が、彼の者の身を護ります」

 御剣冥夜が所属するのは在日とはいえ国連軍だ。帝国軍や城内省からは内々に抗議は出せても、直接的な命令は無理だ。

 

 

 

 現実的に前線には立てない悠陽に、冥夜が成り代わる。

 

 馬鹿げたように思える話だが、先日話した時にはターニャは笑って受け入れ、夕呼も否定はしなかった。

 

 表向きに二人にはXM3の絶好の広告塔になってもらえるとは言ったものの、武にもそれ以外の思惑はある。

 トライアルの後に斯衛へXM3が導入されることとなれば、第19独立警護小隊とともに冥夜は斯衛への教導補佐に回ることが予定されている。その際、悠陽への教導を冥夜が担当することにでもできれば、二人を半ば私的に会わせることも可能なはずだと、武は考えている。

 

(お節介だとは自分でも思うんだが、唯の姉妹としてわずかな時間でも二人を会わせたい)

 感傷に過ぎないと言われるかもしれないが、UL世界線でのクーデターの際に悠陽から聞いたいくつかの事情。そして先の桜花作戦においての、冥夜の末期の言葉がどうしても心に刺さっているのだ。

 

 

 

「でもそれは御剣という存在を消すことになる。本人判ってるの?」

「御剣なら、殿下の為になると判れば受け入れますよ」

 

 今後、いかに冥夜が武勲を立てても、それは「御剣冥夜」を騙った煌武院悠陽の実績となる。それどころか下手をすると御剣の家を継ぐことさえ不可能になる可能性もある。

 それでも自身が身代わりとなることで、少しでも悠陽の負担が減ると感じれば、冥夜は間違いなくこの話に乗ってくる。

 

「将軍家の政治利用だとか煩く言いだしそうなのもいるけど、そっちは?」

「それこそ炙り出すのにいい口実でしょう。そもそも将軍家とか王家とかは、政治利用するのもされるのも専門なんですから」

 

 ただ、冥夜自身は納得しても悠陽やその周辺がどう捉えるか、という点は問題だ。

 この世界線では、今のところ在日米軍が日本から撤退するということも、国内にG弾を投下したという事実もなく、日米関係は比較的良好だ。それでも今後九州の防衛戦が開始されれば、武の知る世界線と同様の流れとなる可能性は否定しきれない。

 そしてこの世界線においても、国粋主義的な若手将校たちが、アメリカの言いなりになっている政府への不満をくすぶらせているという。

 

 そんな状況に、在日国連軍が悠陽の名を勝手に使っていると知れれば、間違いなく不満が吹き上がる。が不満をあげてくれれば、警戒する対象も判りやすく、対処も可能になる。

 

 

 

 

 

 

「と言いますか、良いか悪いかということでしたら、そもそもこの話って夕呼先生にはあまり利点が無いように思うんですが」

「そうね。あたしには利点が薄い。ただ、あの事務次官補が、妙に拘ってるのよねぇ……アメリカ国内の意向を直接参戦する方向に変えたいみたいで、ね」

 武の疑問をあっさりと肯定する。

 

「ま、事務次官補の考えとは別に、こちらとしても実のところけっこう便利になりそうなのよね。御剣を差し出してきたときにはどうしてやろうかと思っていたけど、そういう使い方なら、帝国の小煩い連中には口出しさせないし、安保理にもハッタリが効かせられるわ」

 

 そしてなによりもアメリカに対しては、人を出さないなら金を出せ、と言える。

 この辺り、ターニャはアメリカ軍の大規模動員を画策しているようだが、夕呼にしてみれば無駄に口を差し挟まずに金を出してくれるだけの方が楽なのだろう。

 

 

 

 その上で付け加えてくるのは、今や共犯者ともいえるターニャの動向だ。

 

「次のアメリカの中枢に繋がる人材と、それをサポートするに足るだけの兵力を、喀什攻略に参加させる。おそらくはあの事務次官補が画策しているのはそんなところでしょうね」

 もちろんそれだけではないでしょうね、と他にもいくつか想定できそうな要因を思い浮かべているのだろうが、口には出さない。武には今はまだ伝えるべきではない、ということなのだろう。

 

「……さすがにあの人でも無理じゃないですか、それ?」

 それでも今言われたことだけでも、なかなかに難しい問題だというのは、武にも判る。

 この時点においてさえ、今なおアメリカは対BETA戦に、全力で取り組んでいるわけではないのだ。

 

 アメリカが対BETA戦に対して積極的攻勢に出たことは、BETA大戦が勃発して以来、まだ無い。失敗したものの一大反攻作戦であった1978年のパレオロゴス作戦でさえ、アメリカはNATOの一環として参加しているもののあくまで補助的な立場だった。

 

 武の記憶の中でさえ、アメリカが攻勢に出たのは桜花作戦かバビロン作戦のどちらかだけだ。

 そして現状では桜花作戦の時ほどに、アメリカを動かすことができそうなほどの情報があるとは、武には思えない。

 

 1974年のアサバスカへの核攻撃以来、国土をBETAの危機から完全に遠ざけているアメリカは、国民だけでなく政府でさえ戦時下であるという意識が薄いように武には感じられる。実戦証明されているわけでもないG弾、その大量投入による大規模反攻作戦などという半ば夢想じみた計画が政府や軍内部で主流となってしまうくらいには、前線から意識が離れているのだ。

 

 

 

「御剣冥夜が将軍家所縁の者、いえ将軍の双子の妹だというのは諸外国に対しては告げる必要はないけど、隠すこともない。高貴なる者の義務なんて陳腐な言い方だけど、それをチラつかせるだけでも交渉のカードにはなるわ」

 

 ユーロやアフリカ諸国では貴族や王家の者が既に前線に立っている。だがこれはあくまで防衛においてのみだ。

 今後、喀什を皮切りに攻勢に出る際、日本帝国が将軍家の者を前線に差し出しているのに対し、アメリカが派遣していたのがグリーンカード目当ての連中だけという状況では、戦勝後の発言力にも関わってくる。

 

「捕らぬ狸の皮算用、でしたっけ? 勝てるとも知れない特攻じみた作戦に、アメリカがそこまで乗ってきますか?」

「だから。乗らせるための一手なんでしょうね。欲しい物があるなら自分らで取りに行けとでも言うんじゃないかしら?」

「あ~つまり、御剣に並ぶくらいにはアメリカ政府の中枢に近しい誰かさんに、先陣を切らせて実績を作っておく必要があるってことですか」

 

 アメリカが狙っているのは、ハイヴ内部の「アトリエ」と呼称されるG元素の貯蔵エリア、そこに蓄積されている資源である。

 払った犠牲に応じて報酬を受け取るという意味では、移民希望者の死体が積み上がるだけでは説得力が薄い。政治的な意味合いにおいて、純粋な兵力だけでなく、それなりの地位ある者たちの参戦がどうしても宣伝として必要となる。

 

「まあ内実はどうあれ、兵力出してくれるなら助かりますよ」

 それでも武としては、喀什の攻略にはアメリカの協力が絶対に必要だと考えている。第四から出せる説得材料が薄い現状、ターニャの働きに期待するしかないところもある。

 

「白銀。これはちょっとした忠告よ。事務次官補に飲み込まれないように注意しておきなさい」

 そんな風にターニャに期待している様子を見せた武に、夕呼はおちゃらけた作り笑いを消し、いつか見たような教師の顔で言葉を告げる。

 

 

 

「ターニャ・デグレチャフと白銀武とが思い描く『BETA大戦後の世界』は別の物よ」

 

 

 

 

 

 




なんとか週1回更新は維持してみましたという感じですが、もしかしたら後々ちょこちょこと修正するかもです。

冥夜さんだけは普通にしておくとどうしても国連軍士官には任官させようが無さそうなので、ちょっと強引な状況に持って行ってます。で鎧衣課長まで出てくるはずだったのですが、次回以降に。たぶん今頃エアダクトの中で出る機会を伺っているいるはず。

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