Muv-Luv LL -二つの錆びた白銀-   作:ほんだ

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濫立の双連

 

 EX世界線へ飛べと言われて指定されたのは、指揮通信車の後部、先ほどまで武たちが乗り込んでいた場所だ。その一番前の、増設された機材の横に無理矢理に作られた椅子に、指示されるままに座る。

 

「どうすればいいかは、知ってるわよね?」

「たしか……一心に跳べるように祈れ、でしたっけ?」

「まあ、そんな感じよ。できる限り鮮明に思い出しながら、アンタがアッチの世界に居て当然だというくらいに思い込みなさい」

「了解」

 

 夕呼にしては歯切れが悪いが、理論ではなく最早根性論の範疇だ。ただEX世界線で、白陵大学の原子力研究機関か何かから最後にこちらへと飛んだ時、あちらの夕呼から言われたこともそんな感じだったはずだ。

 純夏への思いが強ければ、世界の壁を越えられるとでも言わんばかりの無茶な話だった。

 

 

 

(あれからまだ三ヶ月も過ぎてないのか? それにしちゃあ記憶とか曖昧だけど、このあたりが意識操作されてたってことなのか?)

 

 純夏を愛していると叫んだ時、そのシロガネタケルの心に偽りはなかったはずだ。だがそれよりも前、UL世界線において遺書に残した、何に代えても護りたい愛する者が居るというのも、また幾多の「白銀武」にとっては間違いなく真実の言葉だ。

 

「なに? アンタ雑念が混ざってない?」

「あ、ああ、いえ。少しばかりいろいろと思い出していると混乱しそうになってまして」

「まったくそこのヘルメットでも被って眼も瞑ってしまいなさい。こっちの監視は社がしっかりやってくれるわ」

「あ、とそうだな。社。大変だとは思うが頼む」

「……はい」

 

 世界から存在確率が消え去ろうとする白銀武を観測する。そのことがどれほどに霞の幼いままの身体に負担となるかは、武には想像することしかできない。しかしそれでも夕呼が実験をするという限りは、必要な行程なのだろうとも理解できてしまう。

 だからこそ、無理はするなと言いたいところをあえて、頑張ってくれとの思いを込めて頭を下げる。

 

 

 

「電力来たわね。始めるわよ」

「了解です」

 

 XG-70bのML機関が素直に立ち上がっていることに意識の片隅で驚きながらも、あたらめてしっかりと目を瞑り、転送のためにかつての自分の生活を思い出していく。

 この時のためというわけでもないが、この世界の柊町へと出歩いたことはほとんどない。いまでも脳裏に浮かぶ町並みは、かつて武が生まれ育ったターニャが言うところのEX世界線でのものだ。

 

(あれ? オレ、というか「白銀武」達はいつの時点でコッチに来たんだ?)

 

 以前のEX世界線での生活を思い浮かべようとすると、ふとそんな疑問が浮かんでしまった。

 

 冥夜が隣に引っ越してきたことは、はっきりと記憶している。

 少なくともその後、冥夜が白陵大付属柊学園に編入し、クラスメイトたちとのどこかズレた学園生活を始めたことも間違いなく覚えている。ラクロスの試合があったことも、なにか料理対決じみたことがあったこともたしかだ。年末あたりで皆と温泉旅行に行った記憶もある。

 

(だいたい今転移したら、オレはアッチの世界の「いつ」に出るんだ? 2002年の元旦か? 元旦にオレは何をしていた?)

 

 いくつかのイベントじみたことは覚えていても、最後と言える部分がはっきりしない。それどころか、年を越したかどうかすら怪しい。以前の転移の時のことも細かくは覚えきれていないが、時間にズレがあったかどうかでさえ明確ではなかった。

 

 

 

 

 

 

「もういいわ、眼を開けなさい。社もお疲れ様」

 

 そんな風にいろいろと元の世界とでもいうべきEX世界線のことを武が考えていたら、夕呼から停止の指示が出た。体感ではほとんど時間が過ぎた気がしないが、時計を見る限りは30分程度は目を瞑っていたようだ。

 

「はい、で、どうだったかしら?」

「あ~申し訳ありません。アッチのことはつらつらと思い出してはいましたが、跳べたって感じじゃないです」

「でしょうね。こちらの観測でもそんな感じよ」

 

 夕呼は気にするでもなくあっさりと流してはいるが、武の体感としては間違いなく失敗だ。以前にあった知覚だけが乗り移れたというレベルでさえない。ただ、少しばかり昔のことを思い返していただけだった。

 

「社もごめんな。頑張って、くれてたみたい……だけど」

「……(へにゃり)」

 

 霞はリーディングしながら、武らしき人物を描いていたのだろう。スケッチブックが狭い作業台の上に広げられていた。ただ残念ながら描かれた姿は、幼稚園児が描いたモノといえる程度の精密さだった。

 武の視線と、そしておそらくは意識を見たのか、霞は隠すようにスケッチブックを閉じつつ、頭の耳がいつも以上に垂れ下がる。

 

 

 

「失敗して助かったわ。これでもし下手にアンタが世界線、だったかしら? それを超えて他の確率事象分布世界へと移動可能とかだったら、抜本的に対策を考え直さなきゃならないところだったわ」

「は? 対策……ですか?」

「まさかアンタ、自分が選ばれた主人公だと勘違いしてないわよね?」

「あ~事務次官補殿の言う、ゲーム世界、ですか?」

「って、そうね。そっちだと本当にアンタが物語における主人公だったって訳よね。それは確かに……いや、むしろそういう可能性から……」

 

 武の言葉の何かがキーになったのか夕呼は少し考えこむが、わりとあっさりと思考を中断して顔を上げた。主人公という言葉で武が顔を顰めてしまったのを見咎められたようだ。

 

「まあそっちの考察はどうでも良いわ。なに? アンタ、英雄にでもなりたかったの?」

「それは勘弁してください。聞いてるかもしれませんが、オレはそれで手酷い失敗をしてしまってるんですから」

「後睡眠暗示と興奮剤のオーバードーズで、バカやったって話? 詳しくは聞いてないわよ」

「……ありがとうございます」

 

 子供じみた英雄願望で、武は取り返しのつかない失敗をしたのだ。誰からどのように慰められようとも、二つの世界でまりもを失うことになってしまったのは、間違いなく武の慢心と弱さとが招いてしまったことだ。

 たとえ今、この世界でまりもが生きているからと言って、あの時のことが無くなるわけではない。そしてターニャからどこまで聞いているかは、夕呼の態度からは武では読み取れない。それでも知らないという素振りをしてくれるだけで、今の武には十分だった。

 

 

 

「で、前提として、各種のG元素と反応炉のエネルギーを盗用できた『カガミスミカ』が、自分に都合の良い『シロガネタケル』を選び出したか作り出した。ここまでは良いわよね?」

「は? はあ……まあ自分のことですから、外部からは確認しようがないのですけど、そういう感じなんでしょうか?」

 

 夕呼の話があちこちに跳ぶのには慣れているとはいえ、凡人でしかない武には追い付くのが難しい。それでも以前に聞いた内容の延長だったので、まだなんとか理解が及ぶ。

 

「これもあくまであの事務次官補の言葉を基にした推論以前の妄想ではあるけどね。蓋然性は高いとは思える」

 

 元の世界に戻ろうとした武のために、世界そのものを『カガミスミカ』が作り変えたなどと言う話もあったが、さすがにそこまで行くと武の範疇を超えている。フィクションとしての設定ならば想像できるが、そこに自分が自立して生きているなどとは実感することは無理だった。

 

 ただ先のAL世界線での「シロガネタケル」と今この場にいる武の、純夏への感情のズレから、なるほど自分たちは似てはいるが別の存在なのだろうという程度のことは判っているつもりだった。

 

 

 

「当たり前だけど、G元素はBETAが加工して集めた物よ。アイツらがそれらを用いて恒星間航行を実現していることも、おそらくは超光速通信を可能としていることもほぼ間違いはない。ここまでは良いわね?」

「え、ええ。それは何となく分かります」

 

 まるで講義のように夕呼は言葉を続けているが、武へと伝えているというよりかは、自分の考えを口に出しながら纏めなおしているようだ。かつてのEX世界線で授業中に暴走を始めていた夕呼の姿が頭を過る。

 

「つまり、反応炉いえ頭脳級ね、その末端に接続された『カガミスミカ』が制御できる程度のことは、超頭脳級であれば可能であると予測できる」

「まさか……BETA、いえ『あ号標的』が他の並行世界、ですか? そっちから因果とか情報とかを持ち込んでいるってッ!?」

 

 夕呼が述べるのは、恐ろしいまでの予測だ。BETAの物量に加えて、未来予知どころか、未来知識まで含められてしまえば、人類に勝利の目は無い。

 

 

 

「そういう可能性も否定はできなかった……ってところね。ただアンタが移動できなかったってことは今のところこの世界線の、そうね他の世界との間には高くて硬い壁がある。そういう想像でも良いわ」

「ああ……そういえば、前の夕呼先生から、オレの、というか因果導体の存在は世界間の壁に空いたパイプみたいなものだって話を聞いたような」

「そうね。パイプというと判りやすいかもしれないわ。おそらくは一定以上の認識能力を持つ知性体は確率分布状態の世界を無意識にしろ意識的にしろ観測はしているのでしょうけど、細いパイプからしたたり落ちる程度でしか把握できていない。バカな男子生徒どもが更衣室の壁に穴を開けてるくらいね」

 

 武がいまいち判っていない顔をしているのを見て、夕呼はひどく卑近な例えを出す。

 

「と、そんな覗きはともかくとしてですね、オレが今回跳べなかったってことから逆に考えて、世界間の壁に穴が開いていないか、有ったとしても無視できる程度に小さいと?」

「この世界では他世界との干渉が顕著で、BETAが他確率分布世界の未来結果から学習してくるようだったら対処は困難だったし、なによりも『カガミスミカ』みたいに望まぬ結果になったら世界ごと壊してやり直すようならば、文字通りに盤面をひっくり返されるところだったわ。今のところはその可能性が低いと予測されるってところね」

 

 AL世界線において、「桜花作戦」において「あ号標的」を破壊できたのは、幾度も繰り返された結果と考えることもできるらしい。今後はこの可能性分布が広がっていくであろうから、人類側が勝てる世界の割合が増えるかもしれないともいう。

 

 

 

「それで対策を立てる前に、世界間移動の可能性を確かめるために、今回の実験を執り行った、と?」

「転生者なんてのが存在するのよ? できるところから検証していくのが当然。予算も時間も限られてるんだから、無駄な労力は掛けられないでしょ」

「ああ……そういえば事務次官補が転生で、しかもナゾの若年化でしたっけ」

 

 武自身は今のターニャ、横にいる霞と似たような年齢の姿しか知らないが、この世界での実年齢は70前後で、それ以前におそらくは一世紀以上の経験を積んでいるのではと夕呼が予測していた。

 

「そっちは本当に調べようがないわ。鉄原の間引きに参加していた将兵の内でただ一人の症例、それもサンプルがあの事務次官補よ? まさか人体実験のためだけにG弾を使用するわけにもいかないし、老化抑制なら別に研究が進められてるしね」

 

 ターニャの現状も異常な状況ではあるが、それを調べるのはまさに労力の無駄だ。転生者を自称する狂人を秘密裏に集めるような余裕など、国連にあるはずもない。

 

 

 

「それに今の実験が失敗したことで、アンタが因果導体でないって事もほぼ確定できた。これでいきなりコッチから消えてしまう可能性は低いし、なによりも逆に負け続けてきた世界からの因果導入も無視できると思われるわ」

「もしかして、オレがループしていたことで、他の世界線では人類側の敗北がより強まっていたかもしれないってことですか?」

「その可能性も無くはない、という本当に妄想の範疇ね。第三者的な客観視、いえこの場合アンタたちの言うゲーム? それであっても観客か読者からの視点は判明も確定もできない。そして文字通りの神の視点、制作者であっても無理ね」

「あ、いや……制作者、この場合は監督とかシナリオライターですか? その人たちなら理解してるんじゃないんですか?」

「だからそれでも無理よ。世界はおそらくは相互に認識・観測されることで確定していく。制作者が考えた範疇すべてを表現しきることは不可能だし、そしてその限定的に表現された物でさえ観客はありのままに受け止めることはできない。観客それぞれの認識で世界の有り様は変わっていく。クオリアの共有さえ不可能な人類では可能性分布世界群の統括的理解は無理よ」

「……なるほど?」

 

 BETAの創造主や、世界の選択をし続けた「カガミスミカ」の視点であれば複数の並列世界を認識できるのではないか、それにそもそも神というかゲーム制作者ならばすべてを知っているはずではないかと、武は考えてしまう。考えてしまうが、それがどういう状況かは想像を超えるし、夕呼の言葉では制作者であっても無理だという。

 

 

 

「すいません……ちょっとというか、かなり理解の範疇を超えてきました」

「でしょうね。アンタは簡潔に考えておきなさい。アンタは次の作戦で死ねばそこで終わり。作戦が失敗してしまえば、たとえ生きて帰ったとしても、人類はじり貧よ。第五が発動されてそれで終りね」

「はははっ、判りやすくなってありがとうございます」

 

 結局のところ、喀什で勝たねばならないのだ。

 先の「シロガネタケル」が関わった世界すべてと人々を救うなどと大言壮語していたが、そんなことを考える余裕など不要だ。シンプルに、ただ「あ号標的」を打ち砕けば、まずはそれでいい。

 

 

 

 

 

 

 実験は以上だと夕呼から言われて、武は指揮通信車両から追い出された。機材の片付けなどは、詳しくない武の手を借りるよりかは、詳しい夕呼と霞とで熟した方が安全かつ早いらしい。

 

「では、失礼しますッ!」

「はいはい、御剣たちの見学はまだ終わってないでしょうから、少しあっちに行ってなさい」

 

 文字通りに夕呼の追い払うような仕草に合わせて武は外に出た。時計を確認すれば一時間と経っておらず、資料を手にしながらXG-70dを眺めている冥夜たちもまだ読み込み切れていないようだ。

 

 そしてXG-70dを仰ぎ見て、武は大きく息を吐く。荷電粒子砲が無いという戦力的減少にも拘わらず、あの機体に自分で乗らなくて済むということで気を休めてしまうことに、自虐的な嗤いが込み上げてきそうになる。

 

 

 

(実際のところ、武装が荷電粒子砲しかなかった弐型はともかく、四型でそんなに撃った記憶はねぇんだよな)

 

 指揮通信車の後部ドアの開閉の音で、こちらに気が付いたようで冥夜が軽く手を上げてくる。それに武も手を上げるだけで応えながら、まだ少し意識が浮ついているのを自覚しつつ、ゆっくりと足を進める。

 

(いや、まあ記憶と言えば……UL世界線だったか? 一周目のオレの最後ってのも、はっきりと覚えてねぇってことは、「カガミスミカ」の都合が良いように、いくつかの可能性を束ねてるっていう話に繋がるのか?)

 

 先ほどの実験で元の世界を思い出そうとしたことで、普段は忘れていた疑問がいくつも浮かび上がってくる。

 さすがに普段は意識していないが、間違いなく武自身の記憶としては「死んだ経験」がある。ただそれらの最期は幾つものパターンがあり、明確な記憶としてははっきりしていない。EX世界線での生活の記憶も、同じように曖昧だ。明確にいつこちらの世界に飛ばされたのかと問われても、答えられない。

 

 

 

 ただ始まりは判る。2001年10月22日。

 武の部屋に、冥夜がやってきたときこそが始まりだ。

 

(そういえば、鑑のところじゃなくて反対側の……誰だったっけ? いやそれさえも記憶が消えてるのか? まあ喜んで立ち退いたみたいだったけど、それで良かったのか?)

 

 武の自宅の隣に、いきなり隣に屋敷を建ててしまっただけに留まらず、武の部屋の壁に専用のドアまで作ってしまうような勢いだった。もちろん屋敷の建設や用地買収などは冥夜ではなく真那が指揮したのであろうが、今思い返せば金持ちの故の暴走とは笑えないくらいに、ある面では悪質な振る舞いだ。

 

(記憶の抜け落ちがオレが思っている以上に広いのか? ああでも、あの立ち退きに、あっちの御剣冥夜はどう感じたんだ?)

 

 隣の家の苗字さえも思い出せない事態に他人事のように驚きながらも、武の思考は散漫に広がっていく。以前の柊町を思い出したせいか、時折感じていた世界線ごとの違いからくる違和感が明確になっていく。

 

 

 

 冥夜の、先のUL世界線で避難勧告を頑として受け入れなかった老婆への冥夜の対応と、EX世界線での白銀家周辺の住民に対する態度との差が、気になってしまう。

 

(あの小さな公園だけは残したんだよな? なら場所に対する思いの深さってのは有るんだろうけど、他人には気が配れていなかったのか?)

 

 思い出の場所を護りたいという思いは、あちらの冥夜にもあったはずだ。それでいながらも、周辺住民を冥夜一人の保安上の観点だけから強制退去させたことに対しては、一切の反応が無かった。

 

 どちらが人として正しいのかという話ではない。ただ、世界線が違えば育ちは違い、当然意識も変わる。

 そして他の世界線での振る舞いを知っているからと、勝手に相手を推し量ってしまうのは、先のAL世界線で一時的に逃げ出した先で学園生活を謳歌する皆に感じた身勝手な不満と似たようなものになってしまう。

 

 

 

「副司令からの任は済んだのか? 顔色は戻っているようだが……」

「ああ、あっさりと終わったし、座ってただけだからな。お陰でゆっくりできた」

 

 歩く武と違い、小走りに近い速度で冥夜が近寄ってきて、声を掛けてくる。

 先ほどの武の反応を踏まえてか、冥夜はXG-70dに関しては欠片の注意さえ払っていないような素振りだ。それは間違いなく武への配慮があっての振舞いだった。

 

 そんな冥夜の様子を見て、どうせならば直接聞くべきだと、武は割り切った。

 

「なあ御剣。あまり関係のない質問、それも個人的なものだが良いか?」

「ふむ? 私が答えられる範疇ならば、と断りはあるが、何だ?」

「ああ、機密とかそういうんじゃねぇよ。気の持ちよう? みたいな話だ」

「ならば聞かせてもらおう」

 

 一応は任務中であるのに、雑談に興じることに冥夜が乗ってくる。それくらいには先ほどの武の変調を気に掛けられているのかもしれない。

 

 

 

「例えばなんだが……理由も説明されずに、カネだけ積まれて自分が住んでいた家をいきなり立ち退けって言われたら、どうする?」

「御剣の屋敷がある土地が必要とされるのであれば、無論提供するぞ。ただ近隣に住む他の方々の手前、無償は当然、大きな値下げなどには応じれぬ」

「あ~そっちか……」

「当たり前だ。我らが土地を差し出すのは問題ないが、それを先例として他の方々に強要するのは受け入れがたい」

 

 なにを問われるのかと冥夜は少し構えていたようだが、武の問いを聞いて悩む素振りなど一片も見せずに即答した。それは武が聞きたい答えではなかったが、質問の仕方が悪かった。

 帝国の今の時世であれば、防衛のための用地買収としか考えられない問いだった。そしてその答えも、この冥夜であればそう考えるだろうと、武も納得してしまいそうになる。

 

 武家が率先して土地を国に差し出してしまえば、なるほどその近辺に住まう一般市民が反対することも、金銭交渉にて強く出ることさえ難しくなってしまう。札束でゴリ押したようなEX世界線の話ではないが、無ければ疎開先での生活も覚束ない。

 

 

 

「だが東京の屋敷の方はともかくも、京の本邸ならば交渉などせずに即座に畳むぞ」

 ただ武がどう話を続けようかと悩んでいるのを見て、思い違いをしたのか、冥夜はさらに言葉を続けた。

 

「は? いや、逆じゃないのか?」

「琵琶湖運河があるとはいえ、京都の防衛は地形的に困難を極めるであろう? ならば京都周辺から一般の方々には疎開してもらう外は無い。なに小なりと言えど将軍家に連なる武家が、屋敷を捨てて逃げ出すのだ。臣民の方々も緊急性と危険性を理解してくれよう。後ろ指も、帝国軍ではなく我らに向けられるであろうしな」

 

 京都の防衛を担うはずの武家の者たち、それも知名度は低いとはいえ将軍家に近しい御剣家が我先に逃げ出したとなれば、なるほど確かに非難の矛先はそちらに向かうだろう。

 

「お前がそこまで背負うことはねぇだろ」

「なに。武家のすべてがそうであるとは言わぬが、そのような時のための御剣家だ。立場はそれぞれに少しばかりは違うが月詠家や、そして篁殿や真壁殿も似たようなものだぞ」

「ったく。そういう話を聞きたかったんじゃなくて、だな……」

 

 

 

 どう聞けばいいのかと一瞬は悩んだが、やはりここは直接的な方が良いかをあらためて割り切る。

 

「慣れ親しんだ土地や家から、カネだけ積まれて追い出されて、それでいいのかって話だよ」

「ふむ……それは事務次官補殿のギリシアでの振舞か?」

「あ~そういえばそれはそれであったな……」

 

 また武が聞きたい所からはズレてしまったが、この流れであればそういう風にも取られる。ただ話の例としては適しているのかもしれない。

 

 ユーコンでチラリとVGから話が出た時にも調べ直したが、ターニャがJASRA局長でありながら国連軍の指揮を執ることとなったギリシアでの防衛戦は、非公開情報も多いがそれでも軍事筋では有名だ。

 

 JASRAが勧告し、実質的に合衆国の意向として安保理で押し通したギリシアの防衛案。

 地形的に防衛に適していないからと、ギリシアの国土の大半を放棄、それでいてギリシア半島の火山性山岳地帯をつかった防衛線構築を構築。その上でアテネを要塞化し兵站線は確保、さらにクレタやキプロスを後方することで地中海方面の防衛にも余裕を作る。

 これで黒海方面へのアクセス・地中海の防護、ひいてはスエズ・ジブラルタル航路の安全も確保できるはずだったのだ。

 

 だが、そうはならなかった。

 

 

 

 合衆国基準でさえ手厚いと言えるほどの立ち退き補償額やギリシアのインフレ事情を踏まえた上での予算策定であったにも拘らず、ギリシアは内輪揉めで予算と資源そして何よりも時間を食いつぶした。

 アテネでの立ち退きとその後の要塞化は遅々として進まず、結果としてアテネはあっさりと陥落した。

 

 駐アテネ国連軍司令部付准将相当官。

 たしか当時のターニャの肩書はそんなもののはずであった。それでいてアテネ陥落の結果、国連軍司令の上級指揮官が根こそぎ失われ、海軍との連絡のために地中海艦隊へと赴いていたターニャが最上位となってしまった。

 

 合衆国での危険視とは裏腹に、ターニャはバンクーバー協定に基づく初の強制避難勧告措置で、人的被害を最小限に抑えたとも言われている。だがBETA群から戦術機甲部隊の最後尾集団を逃すため面制圧が不可欠であると、バンクーバー協定規定外の避難民キャンプを含めて砲撃を加えたという事実も残っている。

 どこまで正確かは判らないが、その際にターニャは「土地を捨てない代わりに命を捨てる自決権は尊重する」と嘯いたとまで言われている。

 

 

 

「住み慣れた家や土地、そこに根付いた人々の思いは大切だ。我らはたしかに父祖の地を護らねばならぬが、それでも何よりも尊ぶべきは土地ではなく、人々の意思であろう。ただ、それも生きてこそ皆と分かち合えるものではないか、とも思えてしまう。難しいものだな」

「……じゃあ、さっきの話に戻るが、移転先での生活が保証されていれば良いって考えか?」

 

 白銀家周辺、柊町から引っ越した近隣の住人たちのその後の生活は、間違いなく御剣財閥が手厚く保証したはずだ。そのあたりの真那の手腕には武も疑いはない。

 

「ただ生かされるだけでは意味はなかろうが……絶対の正解などない問いではあろう。ただ……そうだな」

 繰り返す武の問いに、冥夜は少し考えこんだ後で言葉を続ける。

 

 

 

「たとえ家も土地も失ったとしても、生き永らえて欲しいというのが、今の私の想いだ。人が残る限りは、その記憶を次代に伝え、そしてまた築き直せるものもあるはずだ」

 

 冥夜は武へと話しながらも、こちらの声が聞こえぬ程度の距離を開けてくれている第19独立警護小隊の四人へと、視線を送る。

 武たちが整え、冥夜自身が選び取った今の立場ゆえに、真那たちは本人の選択権はなく、喀什へと赴くことが確定している。文字通りに巻き込むこととなったことを冥夜がは悔いていることは判る。

 

「我らが次の作戦から帰れぬとしても、中隊の皆が残ってくれれば、笑いながら語り継いでくれるであろう。それが衛士の流儀というものであろう?」

「ああ……そう、だ。そうだったな」

 

 武自身の想いはいまだ言葉としては形作れていないが、残していけるものは確かにあるのだ。

 

 

 

「たしかに鎧衣や鑑あたりがあることないこと付け足したり差し引いたりして、俺たちの話は次の神宮司教官殿の教え子に伝わるんだろうな」

「そう考えれば、榊や涼宮が残ってくれるのは心強いな。彼の者達であれば、些細な間違いも修正してくれそうだ」

「はははっ、違いねぇ」

 

 武も冥夜も、ただの空元気ではあるとは判っている。

 それでもいまは二人して形だけでも笑えることに、満足していた。

 

 

 

 

 

 




いまさらに独自解釈で冥夜がナゾな状態ですが、この作品においては冥夜に限らず同名キャラであっても各世界線ごとに独立した別人格であるとしています。まあ原作でもULとALは開始時点の2001/10/22までは武以外は極めて近似で、EXとは違うという解釈っぽい?

で、そーいえば説明していなかったということで"Lunatic Lunarian"でのギリシア撤退もさらっと。このあたりデグさん輝いているのでとても好きです。


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