気が付くともう年の瀬、2001年もあと僅かとなっていた。
(前回は、年越しどころの話じゃなかったからなぁ……)
武の記憶としてはまだ3ヶ月ほど前の話、AL世界線において2001年の12月31日は「桜花作戦」が発動した日だ。しかもその12月は月初めにはクーデター、そこからすぐにXM3のトライアルがあり、武自身世界から逃げ出すような無様を晒した。そして佐渡島ハイヴの攻略と、そこから溢れたBETA群の横浜基地襲撃。直後に「桜花作戦」だ。
それに比べれば、九州防衛戦から休む間もなくユーコンに渡ったとはいえ、今の状況には余裕があると言えなくもない。
たしかにこの世界線でも九州へのBETA上陸という事態もあったが、気候条件などの影響も少なく比較的に軽微な被害のままBETAの排除は完了し、防衛線も再構築できている。それもあって帝国軍のみならず、在日国連軍でも、これまでの後方国家時代と同様に年末にはまとまった休暇を取る余裕があった。
そういう事情もあり、もともと優先的にシミュレーターの利用割り当てを受けていた武たちだったが、この三日間はほぼ完全に占有するかのような状況で訓練ができた。おかげでシミュレーターを半日近くは占有する形になるハイヴ侵攻演習も、本日分を含め三回はこなした。途中幾度かの「リトライ」を含みながらも、最深部、主広間までの行程を達成していた。
もちろんシミュレーターでの演習ということもあり、周辺部隊の展開状況などが完全に再現できているわけではないが、それでも主広間に至る行程すべてをそれなりには把握できたはずだ。
(あとはXG-70の仕上がり次第か? いやそれ以前に、アレを護衛しながらのシミュレーション・データって作れるものなのか? さすがにそろそろ作戦計画通りの訓練を始めたいところなんだが……)
訓練後のデブリーフィングは、真那たち第19独立警護小隊の四人を交えながらであり、最低限に必要なことは伝えあってはいる。だが冥夜を含め彼女たちにはいまだXG-70に関しては秘されており、通常の戦術機戦力での最深部突入計画だと疑いもしていないだろう。
「白銀? 先の訓練で、何か気掛かりでもあったのか?」
「ん? ああ、いや、気掛かりっていうか、年明け以降の予定の方だな。もうちょっと実戦に近しい形でって思ってたんだが、ちょっとまだ難しいかもなっと」
「済まぬな。私の不手際で要らぬ無理をさせているとは判ってはいるのだが、精進が足りぬか」
「あ~そっちじゃねえよ。てか、月詠中尉はともかく、他の少尉三人の被撃墜が多いのは、無理にカバーに入ってくるからってのもあるからな。気にするなと言っても気にするだろうけど、まあ気にするな」
「ふふっ、了解した」
冥夜自体の被撃墜回数は、実のところ最も少ない。ただそれは真那たち第19独立警護小隊の四人に庇われているからだと、冥夜自身が誰よりも強く実感している。ただ武は先のデブリーフィングでも話していたのだが、中衛のはずの戎までもが冥夜を庇おうと前に出てくることで、逆に隊全体を危険に晒している場合も幾度かあった。
「それにだ。考え込んでたのは、予定している装備のシミュレーション用のデータが出来上がってるのかどうかまだ聞いてねぇだけだ。それが無いままに、進攻途中で失敗しまくるのは……想定の範疇、だと思う」
演習だから死んで良いとはけっして言えないが、それでもXG-70の支援無しで、いくら戦力想定を調整しているとはいえ半個中隊で喀什の最深部を目指すというのが無理な話なのだ。
訓練自体開始してようやく三度目ということもあり、あと数回はルートの確認とそれらを覚えることに費やしても良いくらいだ。
「なるほど。部隊編成なども、その新装備とやらが揃ってから、というわけか?」
「そうなるはずだ。基本的には俺たちは今の半個中隊のままになるだろうけどな」
「鑑や神宮司中尉殿とは別行動となる、ということだな」
「まあ、いまだ未定だけど、な」
このところ続けている長時間のシミュレーション演習に参加しているのは、第一小隊としては武と冥夜だけだ。まりもと純夏とはユーコンから持ち帰えらざるをえなかった各種の報告書の処理に手一杯であり、いまはようやくの休暇で自宅に戻っていた。年が明けて以降も、参加の予定はない。
そもそも第一中隊はXM3の教導こそが主任務であり、武と冥夜を除く他の10名はそれにあたっている。喀什攻略は確かに重要だが、失敗した場合の保険は必要だ。XM3対応型の第三世代戦術機の数が揃い、衛士もそれに準じた訓練を経てくれば、ハイヴ攻略の可能性も高くなる。
流石に言葉にはしないが、自らが立案したほぼ帰還見込みのない死地へと顔見知りを送り込むことにならずに済みそうで、武は少しばかり気を緩めてしまっていた。同じく口にはしないが、横を歩く冥夜も似たような心境のようで、どこか安堵したかのような表情だ。
それに武たちが挑む喀什攻略作戦がたとえ失敗したとしても、ターニャが残っているのだ。武の知る世界線とは違い、ユーラシア全域に対するG弾の集中運用での一斉反撃などと言う無茶な「バビロン作戦」ではなく、喀什に限定した攻撃案を再度取り纏めてくれるはずだ。
「とまあ、そういった色々は、来年の話だな」
「ふむ? あとわずかとはいえ、鬼に哂われる、というやつか」
「鬼というか、我らが上官殿の面々に、だな」
「なるほど、それは確かに怖いな」
冥夜と共に軽く笑いながらかなり遅くなった夕食を二人で取ろうとPXに入り、適当に定食を見繕う。
年末の、それも食事時から外れた時間だったので誰も残っていないと思いながら歩いていたが、慣例的にA-01専用という形に割り当てられている区画に向かうと、夕呼が霞を連れてこちらも遅い夕食を取っていたようだった。
「とっ、失礼いたしましたッ」
トレーをテーブルに置き、あらためて夕呼に敬礼する。
「そういうのは良いって言ってるでしょ。それにPXでの休息時間くらい、楽にしなさい」
「ははっは、一応このあたりは人目もあるので、あまりだらけた姿は見せられませんよ」
いつもの夕呼の様子に武はすぐに態度を崩して見せるが、冥夜は深く目礼する。武とて流石に夕呼の執務室と違い、基地副司令相手に気安い対応はできない。最低限の礼儀は弁えつつ、冥夜と並んで席に着く。
「でも、夕呼先生がこちらに食べに出てくるのって、珍しくありませんか?」
「そうかしら? アンタとは時間がズレてるだけじゃない? それに今のこれは食事って程じゃないしね」
「ああ……年越し蕎麦、でしたか」
トレーに残っていた丼から、なんとなく麺類だろうとは思っていたが、年末行事とも言える軽食だ。ちなみにいま武と冥夜とが持ってきた定食にも、おまけとして半玉ほどの蕎麦が付けられてはいた。
EX世界線の夕呼ならば、何かと季節毎の行事では騒いでいたが、こちらでこういう姿を見るのは、もしかすると初めてかもしれない。
「こういう行事ごとは隙間がある限りは熟しておかないと、時間の感覚を無くすのよ」
「なるほど、参考にします」
以前は半ば無理やりに開催したクリスマスも、今回はユーコンで任務に就いているうちに過ぎ去ってしまっていた。ユウヤが言っていたように、夕食にケーキが付いてこなければ下手をすれば忘れていたかもしれない。
なによりも、自分のというよりは冥夜の誕生日を忘れていたことは、さすがに武とて気に病んでいる。純夏の計らいや、あるいはターニャも気を使ってくれたのかもしれないが、あの日が休暇でなければ今も思い悩むことになっていたに違いない。
ただそう言われても、定食にも付けてくれてもいるのだ。日付が変わるころになら、蕎麦の一杯くらいなら腹には入るが、無理に食べようとするほどでもない。
「そういえば、アンタ帰ってないってことは、明日も暇でしょ?」
季節行事と言えばあとは雑煮と御節、初詣。あとは親も親戚もいないからお年玉には期待できない。そもそもすでに働いているのだ、親戚の子供がいればむしろ渡すほうだろうとし、そうなると霞やイーニァには渡すべきなのかと、そんなどうでも良いことに意識が割かれていると、夕呼から唐突な質問が来た。
「暇とは違いますが、何かありましたか?」
「つまりは暇ってことでしょ」
休暇申請を出しているわけでもなく、一応は通常業務のつもりで予定は入れている。なによりもユーコンからの帰国があまりに急すぎて、いまだすべての報告関連が完了しているとは言い難い状態なのだ。シミュレーター演習に参加してなかったまりもと純夏とはほぼ片付けていたようだが、二人に比べて量が少ないとはいえ冥夜と武とはまだ終わりも見えてこない。
むしろ新規の案件が舞い込んでこないこの年末年始の間に、片を付けておこうという心積もりでもあった。
それでも夕呼からの依頼となれば、他の何を差し置いてでも処理しなければならない案件のはずだ。
「ちょっと出る予定があるから、そうね……御剣も付き合いなさい。時間は、まあ出る時にまた連絡するわ」
「了解いたしました」
「おなじく、了解です。おそらく明日は机にかじり付いているはずです」
即答出来た冥夜と違い、武は少し考えこんでから答えた。元旦の間に終わらせなければならないほどではないが、他部隊が通常業務に入る前には片を付けておかねばならない案件は、いくつか残ってしまっていたのだ。
だが武の躊躇いなど夕呼が気にするはずもなく、言いたい事を言いきったようで残っていた合成玉露を飲み切り、素早く席を立つ。霞も連られてか、普段よりも急いだ様子で立ち上がり、ぺこりと耳を動かして頭を下げてくる。
「はいはい。じゃ、良いお年を」
「ははっ、明日の予定もありますが、夕呼先生も良いお年を。社も、いろいろとありがとうな。来年もよろしく」
「……はい。良い……お年を?」
ありきたりの挨拶を交わし、霞は慣れていないのか、言葉の意味を考えての反応のようだったが、言われたとおりに繰り返してもう一度頭を下げてから、ほてほてと夕呼の後を追いかけて行った。
夕呼と霞が去り、武たちも食事は終わってはいたが、特にこの後に急ぎの予定があるわけでもないので、冥夜共々に合成玉露を淹れなおした。
「香月副司令にはああは申したが、そなた実家には戻らなくても良かったのか? 鑑は其方と共に帰るつもりであったようだが?」
「戻っても家には誰もいねぇからなぁ」
結局ちゃんとは調べられてはいないが、この世界での武の両親は東亜アジア方面で将来的な疎開計画の何かに従事しているらしい。年末にも帰ってくるという話は聞いていないため、武が家に帰ったとしても一人過ごすだけだ。
「あ~それに下手に戻って一人でいると、鑑のところのおばさんに余計に手間かけさせることになりそうで、な」
毎日ではないが、それなりに家の換気や、それこそ掃除までこなしてくれているらしい。機会を作って礼に行かねばならないとは考えてはいるが、今行けば逆に世話を掛けるだけだとも判ってしまう。
武が一人でいると知れば、それこそ御節だけでなく何かと気を使ってくれるのだろうという予想が付くのだ。せっかく一人娘の純夏が久しぶりに家に戻っているのだから、家族だけでゆっくりしてもらうべきだろう。
「ふむ? 家族水入らず、というやつか?」
「御剣の家だと違うのか?」
「む? そう、だな。どうしても私の場合は、御剣の屋敷であれば周りに誰かが控える形となるからな。余人を排してとなると……元服の際に祖父からお言葉を頂いたとき、くらいか」
「それはそれで大変そうだが……」
「なに。私にとってはそういう生活が日常であったというだけだ。それに御剣に連なる者は少なく、皆気心の知れた者たちであるからな」
冥夜は名は告げなかったが、傍に控えていた、というのは間違いなく真那のことだろう。
「そう言われると、悪い生活じゃなさそうに聞こえるな」
もうはっきりとは思い出せないが、EX世界線では真那が用意してくれた食事を白銀の家で食べていたこともあるのだ。こまかな料理の味などは忘れつつあるが、香り高いコーヒーだけは鮮明に思い出せた。
「良いか悪いかなど他と比べるものではないとは思うが、ふむ、私はあの生活に馴染んでいたのであろう」
「なら、御剣こそ帰っても良かったんじゃねぇのか?」
なにか思い出すことでもあったのか、冥夜が柔らかく笑う。その表情を見ると、素直に年始の休暇を取って帰宅したほうが良かったのではと言いたくもなる。
「なに、国連軍に入隊する際、御剣の屋敷には戻れぬと、そういう心積もりで出てきたからな。挨拶なども済ませてはある」
「いや、普通に国連軍軍人でも実家があれば休暇には戻ったりしてるぞ? まあ自宅があるって段階で限定はされるだろうけど、さ」
在日国連軍は帝国臣民からの志願兵が主体であるが、大陸からの撤収に伴い、他の亡命国家から参加している者も少なくはない。当然ながらそのような者たちは兵舎での生活が基本で、帝国内に自宅を持つ者など極めて稀だ。
「それに今の私の状況であれば、御剣家には近付かぬ方が良かろう? 御剣はさほど名の知られた家ではないが、かといってその血縁を隠しているわけでもない。武家ならば当然、一部の財閥関係者などでも事情は察していよう。下手に動いて不測の事態を招きたくはない」
「あ~いまお前が御剣の家の近くで顔を見られると何かとややこしい話になるのか? 年始の挨拶とかもあるだろうに、本当に済まない」
「気にするでない。幾度も申したが、選んだのは私だ。それに、正直なところ戻ったとしても訓練の内容が気になって、ゆっくり気を休めるのも難しそうだからな」
「いや、だからなぁ……」
「休むのも任務のうち、であろう?」
ニヤリと笑って冥夜の方から言いたい事を言われてしまう。このままでは、元旦くらいは仕事をするなと言い返されてしまいそうだった。
「というか武家の正月って何かと忙しいんじゃないのか?」
「ふむ……他の家に関しては詳しくは知らぬが、そもそもが御剣家は広く交友があるとは言い難く、また親族も少ないからな。元旦だからといって然程特別なことはないぞ。集まった一族での挨拶の後は、邸内の社に詣でるくらいであったな」
「一市民からすると家ん中に社があるってのが、もう想像できねぇ」
「珍しいものでもなかろう? たしかにこのあたりは大戦後に開発された住宅地であるから少ないであろうが、地蔵菩薩などはいくつもあろう? それに少し郊外に出れば田畑の守護と豊穣を願う祠などであれば、元庄屋などの屋敷にはあってもおかしくなかろう」
「そう言われれば、家の中じゃねぇけど道の端、敷地との境とかには地蔵様や稲荷様っぽいのはちょくちょく見かけるな」
無意識的に外に出ることを避けていたせいで、武はいまのこの街並みに詳しいわけではないが、かつてのEX世界線での通学路途上には、地蔵を祀っているのだろう小さな祠はいくつかあった。確かに手入れはされていたし、何某かの供え物もあったはずだ。なるほどそういうものであれば、確かに年末年始であっても参ることもおかしくない。
「それに一々と意識はせずとも、祖霊への敬意というものは日々の暮らしの中にあろう」
「そういう意味じゃあ、この白陵基地内にも神社とかあってもおかしくねぇのか」
「いや何を言っている? 社はあろう。白銀、そなた知らなんだのか?」
「え、マジ?」
思ってもいなかったことを言われて、久しぶりにその言葉が出てしまう。だが武が記憶する限り、かつての白陵大付属柊学園には社などなかったはずだし、基地となった今の世界でも見かけた覚えがない。
「私も何を祀っておられるかは詳しくは知らぬが、グラウンドから少しばかり奥に入ったところにあるぞ」
「ああ、そっちの方はあまり行くことが無いから知らなかったのかもしれねぇ……」
場所を言われても思い浮かばない。
基地としての記憶と、学園としての記憶が混ざっていることもあるが、訓練兵から秘匿部隊であるA-01へと配属されたという経緯から、実のところ武はこの白陵基地内をそれほど詳しくは知らないのだ。
むしろ夕呼の執務室のように隔離された区域の方が、一般区域よりも詳しいと言えてしまう程度には、武の行動範囲は偏っている。
「ならばちょうど良い機会かもしれぬな。今から参ってみるか」
「は? 今からって、今か?」
「先の副司令のお言葉にもあったであろう? こういう事は折を見て熟しておくべきだ、と」
「なるほど、ちょうど初詣ってところか。基地内なら、許可もいらねぇか」
なにか悪戯を仕掛けるかのように、冥夜が目を細めて語る。ただ言われてみれば夕呼の先の話ではないが、行けるならば行っておいても良い。それに冥夜の言うとおり基地内部にあるのなら、外出届などを用意する必要もない。
あとは警護のために隠れて着いてくるであろう真那たちへの負担だが、それも基地内部なら通常警備の範疇で済みそうだ。これがどこか他の神社に参るとでもなれば、大騒ぎになってしまう。
冥夜に案内されて、グラウンドを抜けるとすぐに目的地に着いた。年末の深夜ではあるが、基地施設内だ。少々暗がりではあるがそれなりに明かりはあり、また武たち同様に初詣代わりに訪れている兵士の姿も見える。
「たしかに社だな」
「そなた、私の言葉を信じていなかったのか? このようなことで嘘を述べるはずも無かろう」
「いや、そうじゃねぇけどさ。基地内に神社ってか社があるってのが想像できてなかっただけだよ」
「む? 帝国内の基地であれば、それこそ珍しくも無かろう? 近くでは、空軍ではあるが百里神社など名が知れておるはずだぞ?」
「あ~そういうもんかもしれねぇ……ユーコンとかでも教会とかあったみたいだしな」
EX世界線で生まれ育ったせいで、武は軍に対する距離感がやはりどうしてもこの世界線の帝国臣民とはズレている。加えて宗教関係と縁遠いというか、一般的日本人感覚の、神道仏教キリスト教纏めてのイベントごとくらいでしか関わってきていなかったことで、軍と神社とが頭の中で結び付きにくい。
「さて、と」
とはいえ初詣くらいは、年の数くらいは熟している。堅苦しく考えるほどでもないだろうと気楽に参列に並ぶ。正式な参拝、拝礼の作法など武は知らないため、なんとなくの記憶と横に並ぶ冥夜の所作を伺いながら、礼をして柏手を打ち、それらしい形で祈りを捧げる。
(とは言っても何を願うべきだ? 来年も良い年になんて言えるはずもねぇ。BETA殲滅を願掛けするってのも神頼みみたいでなんか違うし、心身健康でありますようにくらいか?)
年末の空気に当てられたかのように、冥夜と二人で参りに来たものの、そもそも願うような希望が今の武にはない。為すべきこととそれに付随する悩みはあれど、流石に神頼みで解決できるようなものではない。
ちらりと薄目で隣の冥夜の様子を窺ってみるが、冥夜は何やら深く目を瞑り、静かに祈りを捧げている。
(夕呼先生や事務次官補殿もそうだけど、御剣も神頼みとか願掛けとかからはほど遠い感じだったんだが、そこまで真剣に祈るようなことがあるのか)
眼は閉じてはいるが、どこか剣の鍛錬の時のように、冥夜は意識を集中させているように思える。邪魔をするものでは無いので、武は静かにその場で立ち尽くしていた。
「済まぬな。思ったよりも、時間を取らせてしまったようだ。雪もなく、まだ然程冷え込んでいないとはいえ、冬の夜だ。宿舎に戻るとしよう」
「ん、そうだな」
今着ている国連軍の冬季用BDUは、防寒具としても優秀だ。それでも本来冬場であれば、上からコートを羽織る物だ。
「何かすげぇ真剣に祈ってたみたいだけど、聞いても良いものか?
「願い事など話すものでもなかろう、というほどの物でもないぞ。日々の健やかに過ごせたことや、あとは様々な出会いの機会を得られたことへの感謝。あとはこれからのこと事への誓い、というか戒めだな。あとは……これはそなたに告げるのは憚られるな」
いくつか武が思いつかなかった願い事というよりかは、なるほど神仏への祈りとしては真っ当なものを冥夜が並べていく。ただ、なにやら言いにくいこともあるようで、最後は少し口籠ってしまっていた。
「あ~いや言えない願いってまでは聞き出すつもりはねぇが、言われてみればそういうの感謝とかで良かったんだよな。なんか普通に健康でありますように、くらいしか思いもしなかった」
「そなたは二年ほど療養していたのであろう? ならば健康を祈るのはおかしくも無かろう」
「いや、ホントにうぱーっと寝ぼけてただけなんだけどよ」
冥夜は笑いながらおかしくは無いというが、いまだ冥夜の中では207訓練分隊に来る前の武はなにやら極秘任務に就いていてことにされていそうだ。
「そういえば、市井では初詣というのはこれで良いものなのか?」
「良いっていうか、そうだなぁ……神社とかならおみくじとか引くか、あとは祭りみたいに出店が出たりするから屋台で食い歩くくらい、だと思うぞ」
「ふむ? さすがにそれは基地内では無理であるな。食べ歩きというのはユーコンでできたから良しとして、他は何かあるのか?」
「ユーコンのはちゃんとした店だっだろ? 新年の神社に並ぶようなのは、本当にその日だけの屋台だぜ? まあそれはともかく、他というとあとは除夜の鐘を突くくらいか?」
「ああ、あれは僧職の者でなくとも突いて良いものなのか」
「よほど格式高いところじゃなけりゃあ、大丈夫だろ?」
こちらの慣習に詳しくはないために、武としても詳しくは説明できない。あとはそもそもEX世界線の経験になってしまうが、純夏や尊人たちと初詣に行った時の目的の大半は屋台での買い食いであり、あとは当たった記憶の一切無い各種のクジ引きや射的くらいのものだ。
「しかし、除夜の鐘か」
「まだ時間的には早いからな。鳴りはじめるとしても消灯時間が過ぎてからだろうな」
秘匿部隊のA-01に所属しているからと言って、消灯時間を無視できるわけでもない。
「ならば仕方あるまい。これで戻るとしよう」
「冷えるから早く戻ろうって言ったのは、御剣の方だったはずだぞ?」
「ふむ。なるほど、次の機会には外套を用意しておくべきだな」
「はははっ、違いねぇ、あまり使う機会が無くて袖を通したのもサイズ合わせの時くらいだったからな」
思った以上にゆっくりと時間をかけて二人は歩いていたのだ。
軍や戦術機、あるいは国、ましてやBETAなどとは何の関係もないただのどうでも良いようなやり取りが、武には楽しかったことは間違いない。
だが、そんな時間は長くは続かない。
士官用の、自分たちの部屋の近付くにつれて、二人ともに言葉は少なくなる。
そして冥夜は自室の前で立ち止まり、扉に手をかけたままに、武へと振り向いた。
「白銀。今年は本当にそなたには世話になった」
「俺の方こそいろいろ迷惑かけて来ただろ、気にすんな」
「ふむ。では、ありきたりではあるが、そなたには心からの感謝を。そして来年も良き年を過ごされるよう願う」
「ああ、こっちこそ、いろいろと助けられてきて、感謝してる。だから……良いお年を」
二人ともに、残された時間が長くないことは判りつつも、ありきたりな年末の言葉を取り交わして、静かに別れた。
作中日時ではすでに2001年の瀬ですが、謎の日常回でした。原作だとどうしても年末年始イベントすなわち「桜花作戦」となってしまうので、無理やり押し込んでみました。
で色々と設定捏造ですが、在日国連軍とはいえ帝国軍からの租借なら基地内に神社の一つくらいはあってもおかしくないよなぁ、と。大日本帝国陸軍には従軍神職制度もありましたし、海軍なら神職は居なかったようですが艦内神社とかの形もありますし。合衆国軍とかだとチャペルを各宗教で共同で利用している形のようですけど、このあたりちゃんと調べ始めると終わらないのでスルーしています。
あとマブラヴ世界の年末年始休暇の制度は本当に判らないので完全捏造状態です。たぶんいまだ本土進攻が無いこの作中だと、今の自衛隊とかに近い形かなぁ、と。
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