─そこは朝方の秋津駅。
自動ドアが開くと、外に停車する1台のタクシーの方へと歩く人影が見える。
銀色の髪に、日焼けした小麦色の肌、そしてサングラス。
そんな彼は、タクシーの運転席の横へ立つと、窓ガラスを3度ばかりノックした。
高いびきをかいていた運転手が跳ね起き、
「……ハッ、ハロォー?」
といくらか頓狂な声で応じる。すると、この銀髪の彼は、
「安心しろ……日本語は分かる」
と返して、1枚の紙を差し出して、こう言った。
「……ここまで頼む」
「はっ……はぁ」
紙を受け取ると共に、運転手はこうして尚もいくらか間抜けな返事を返した。
銀髪の彼がドアを開け、後部座席に腰をかけるまでの数秒で、運転手は紙へと目を通した。それは地図になっており、目的地とおぼしき場所を赤い丸で囲んでいた。
「この……丸の所でいいんですか?」
と振り返り、後部座席の彼に尋ねる。
「……あぁ」
との応答を聞き、運転手は正面へ向き直って、エンジンをかけた……
走り出してから少し経ち、信号に止まったところで、運転手が、
「ここって確か……メリーさんの館……ですよね?」
と言ってきた。
「……あぁ?」
などと聞き返せば、
「いえ……アダ名ていうか、なんて言うのか……この辺りじゃ不釣り合いなヨーロッパのお城みたいな建物でして……とっくの昔に人は出払っているらしいんですが、心霊スポットだとかってんで地元の人間には多少人気はありますが……」
とそう冗談っぽく話す運転手。
特段反応を示さない客ではあったが、続いての、
「何でも、白い髪に赤い目をした異邦人らしき女性を見かけたかとか、見かけないとか」
との一言には、多少ながら眉を動かした。もっとも、
「……何でまた、ここに?」
とする問いには、何も語らなかったが。
やがてタクシーが止まり、男が降りる。
タクシーが走り去って後、目前に建つボロボロの城を見て、男はこう呟いた。
「……帰ったぞ」
と。言葉と共に、サングラスを取った。
その両目は、血のような赤色をしていた……
─そこは、図書室。
天井と接する程に高い本棚いくつも並んで部屋の半分以上を占拠するものだから、空間は正味各クラスの教室と同じか、あるいはもっと狭い部屋となっている。縦長のテーブルが2つばかりと、それに1つにつき、右にも左にも10席、計40ものイスが備えてある。
もっとも、下校時刻の近付き、斜陽の射す紅い部屋には今や、1人の女子学生を残すのみであるが。
紫髪で長髪で、どこかな儚げな横顔を見せる彼女の手には、1冊の本。
その本、おどろおどろしい藍色をバックに不気味な蒼白い肌の胸像が描かれた表紙のそれは、シェリダン=レ=ファニュ・著、平井呈一・訳の「吸血鬼カーミラ」。
ゆっくりとした手付きでページをめくる彼女の横で、忙しない足音が響き出すは、それから間もなくのこと。
窓ガラスに隣接した比較的背の低い本棚と天井との割に広い隙間から、クシャクシャの髪が見えた。おそらくはパーマでもかけているのであろうが、どうにもそれは、海藻、例えばワカメのようである。
一目見た彼女は、一瞬目を丸くしたが、間もなく止め、その表情はどこか悲しげな微笑みへと変じた。
「はぁぁ……はぁ……」
そんな荒い息遣いが外から聞こえたかと思えば、これまた荒っぽくドアを開け、1人の男子学生が姿を現す。
勢いよく開けられたドアが激しい音を響かせる横で、曲げた両膝に手をついて顔を下げていた彼が、ゆっくりとその頭を上げ、その儚げな少女を見て、
「ぃよかってぁ……やっぱ、こっこにいたぁ」
なんて呼吸に言葉を乱されつつも言った。
対する少女は、本に付随する細い紐を、今開いているページの真ん中に挟むと、ゆっくりと本を閉じて、それから、
「どうしたの?矜(きょう)ちゃん」
と尋ねた。
「ねぇさんに……早く伝えなきゃってぇ、思って……」
「……何を?」
と彼女が聞く側で、少年は小走りやはや歩き気味に駆け寄り、テーブルを挟んだ少女の向かい側で、イスに座らずテーブルに両手をつき、
「届いたんだよ……触媒が」
と告げた。
少女は左右に首を動かし、周囲に人がいないことを再確認する。
対して、少年は心なしか顔を近付けると、こう話を続けた。
「遠坂も、もう準備を済ませたらしい……トロイヤの遺跡で発掘された、古代ギリシャ時代の兜が遠坂家に届けられたって話を聞いた。召喚される英霊にはおおよその見当がつく」
こうした話の中途、少年は姉だ呼ぶ少女から若干顔を反らしたかと思えば、小声でこう呟いた。
「……きっと、最初はヘクトールの馬でも再現するつもりだったんだろうな……計画が狂ってよかったよ。あの淫獣め」
と。
少女がそれを聞き逃すはずもなく、ボンと多少荒くテーブルに本を倒して相手の視線をまた向けさせると、本の叩きつけられた側を軽く手で撫でながら、こう言った。
「よくないよ。憶測で人を悪く言うのは」
「……だけど」
と少年が食い下がれば、続けて、
「新生クンのことが気に入らないのはわかるよ……同い年で、何かにつけては比べられて、嫌な思いもしたとは思う……でもね。陰口を言うってことはね、相手には敵わないって言ってるのと同じなんだよ?……もし、自分が正しいって分かっているなら、ちゃんと相手に言える筈だよね?」
と諭す。
少年が納得がいかないという顔付きでいれば、少し微笑んで、
「矜ちゃんが正しいのは……おねぇちゃんが知ってるから」
とも言った。
しかし、なおも少年は腑に落ちないのか、
「ねぇさんは、まだ……新生のヤツに未練があるのか?」
と告げた。
「……どうして?」
首を傾げて少女が問えば、
「だって、いつも……ねぇさんは新生の肩を持つじゃん」
というのが少年の返答。
言った拍子に、テーブルについた手をあげ、ポケットに入れると、やや斜めに構える少年。
「今更……」
そう呟いたのは、少女の方だった。少年が、
「今更?」
と聞き返すと、こう答えるのだった。
「今更、なのよ……おねぇちゃんと、新生クンは」
そう答えた少女の視線は、どこか下を向いていて、なお一層薄幸そうに写った……
─あの松明の並ぶ暗室で、あの少年がいて、やはり足下は暗くよくは見えないが、おそらくは血であろう、赤いサークルが描かれている。あの鳥を描いたらしき木彫りの人形もそこにはある。
少年はゆっくりと目を閉じ、赤い紋様が浮かぶ右手を前に、左手をそれに添え、深呼吸と共に、こう唱えた……
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。
降り立つ風には壁を。
四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ。
閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。
繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する……」
目前では、件のサークルの周囲が光を放ち始めている……
「……告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、 我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
一連の詠唱を終えたところで、目前へと深い霧が立ち込め始めたかと思うと、サークル中央、地に足を下ろす何者かの足音が聞こえた。
……そこにいたのは、『褐色の肌をした流麗な白衣の青年』
「勝ったぞ、若刃……この戦い、ボクらの勝利だ……」
そう叫ぶ少年の声を、外でドアに凭れて聞く彼女は、言峯若刃は、何を思ったことであろうか……
(To Be Continued……)