─秋口の、日が傾き始めた時だった。
田舎町の校舎の廊下を、そこには不釣り合いな銀髪の白人男性が歩いている。
彼が、階段前の全身を写すタイプの鏡に差し掛かったとき、
「……クラコビチャック先生?」
との呼び掛けに応じて、振り返った。
後ろにいたのは、短めのおかっぱ頭をした、少し小柄なセーラー服の女子生徒であった。
「モウ……カッエル、ジカンヲスギテ……」
などと片言の返事をする男性の言葉を遮るように、女子生徒が、
「これ……先生のお忘れものだと思うんですが……」
とプリントファイルを提示してきた。
「次が移動教室だったので……後で渡そうと思っていたんですが、渡しそびれてしまって……今になりました」
女子生徒が首を傾げて笑いかける。
男性の方は一瞬反応が遅れてから、
「アァ……アリガトウ」
と返した。
「ヨク……ワカッタネェ?」
「……髪の毛です」
「……ホワァイ?」
そんな男性の応答は、いくらか声のトーンが上がっていた。
「銀色の髪がプリントとプリントの間に挟まっていて……その色は、先生以外にいない色ですから……すぐに分かりました」
それを聞いた男性は、何気なくプリントをパラパラッと何枚かめくってみて、最後から2枚目のプリントに、言う通り確かに、銀色の髪が1本挟まっていた。
また少しの間が出来てから、
「イヤァ……ホントニ、アリガトウ」
と、男性はファイルを持つ手を上げて、伝えた。
そうして振り返ろうとしたとき、女子生徒がボソリと、こう呟いた。
「実は……それだけじゃ、ないんですけどね」
自然、立ち止まる男性。背中を向けていたが、首から上は彼女を見ている。
彼女は首を引っ込め、若干斜め下を見つめ、頬を赤らめている。
「……ジツハ?」
などと聞き返されれば、首を伸ばして、正面を向いて、
「私も……忘れ物しちゃいまして」
と告げた。
言った後で、赤い顔のまま、少し口角を上げた。
「……教室の鍵って、わかりますか?」
首を傾げて尋ねる女子生徒に、男性は、
「アァッ……」
とこちらもこちらで首を傾げつつ応じ、また続けて、
「……ワカッタヨ」
そう笑いかけた……
─このあと、二人の姿はある教室の中にあった。
そこは実験室らしい。部屋の周囲には筋肉のついた人体模型やら、薬品の瓶やら、空のビーカーやらが置かれている。
今二人は、特有のシンクつきの黒いテーブルの前で、少女はテーブルの下に覗き、男性はその傍らで彼女を見ている。
「おかしいですね……」
とは少女の弁。
「……ここだと……思ったんですけど」
次には、彼女がこう呟く。
「……ノー」
との声を漏らした男性は今、両手を軽く広げて、顔は斜め上を向いている。
「いやぁ……すいません」
少女はゆっくりと上体を起こすと、横にあったイスに腰を下ろして、
「……勘違いだったみたいです」
と言い、また口角を上げた、何も言わずに睨み付ける横の男性の顔をしばらく見たあとでは、口角を下げ、首も下げた。
「イッタイ……ドコニアルンデショウカ?」
そんな呟きを漏らした男性。
他方、当の女子学生の方は、首を下げていることもあってか、視線が男性の手元にいっている。
「あの……前から聞いてみたかったんですけど……」
そうゆっくりとした口調で言ったのは少女の方で、この直後、男性の視線が下がる一方で、少しずつ彼女が上げた視線。
必然的に、両者の目線が合致し、その瞬間、少女が少し微笑んだ。
「……ナンダイ?」
と男性が聞き返す。
「いえ……いや、全然大したことじゃないですけど……」
首を傾げて笑いかける少女。
そんな彼女の次の台詞で、男性に激震が走る。
「どうして……いつも手袋をされているんですか?」
それまで、睨んではいたが、幾らか和やかだった顔つきであった彼が、正に一瞬で変わったのである。
冷たいというよりは、神妙な顔付きであった。
話しかけた少女の方にもそれは伝わり、
「あの……ダメでしたか?」
慌ててそう言った。
すると、男性は急に顔色を戻し、
「イイヤ……ダイジョーブダヨ?」
と笑いかける。
更に、その場で左の手袋を外し、その何の変哲もない至って普通の手を、彼女の前に出した。
また、
「タダノ、ファッション、ダヨ」
とも。
「……そうなんですか……いや、てっきり……何かあるかと思って」
笑みを浮かべる口許を左手で押さえつつ、彼女がそう返す。
「ソレジャ……ソロソロ、カエロウカ?」
「……そう、ですね」
言葉と共に、スカートの端に手を添えて、立ち上がる少女。
それを確認すると、男性は振り返った。
しかし、またも彼は呼び止められることになる。
「ちなみに……右手はどうなんですか?」
そんな声を背中で聞いた。振り返れば、彼女は先程より1歩踏み込んでいて、少し首を振れば鼻同士が当たるかというばかり、側にいた。
「……見たいです」
と笑う少女。
横で男性は、ゆっくりと唾を飲む。
「……ダメですか?」
少し、首を傾げる少女。
男性は胸の前で両手を振り、
「ノー、ノー……ゼンゼン、オーケーデス」
と笑いかけて、その手の位置のままに、右の手袋の方に手をかける。
そうしてめくると……
「……えっ?」
右手の甲には、奇妙な傷跡がある。
六角の星形を、クワガタのアゴのような形が囲むような構図。傷跡であろうが、何かのマークのようでもあった。
「スコシ……ニホンニクルマエニ……ケガヲ、シテシ……」
彼がそう言いかけたところで、遮るようにこう返事が返ってきた。
「……やっぱり」
と。
「わかりますよ、それ……令呪でしょ?」
そう言ったのは、彼女。
男性の表情がまたも強張る。
「……知ってるのか?」
そう言った男性の言葉は、片言ではなかった。
少女の顔は、このとき下がっていた。
「そりゃあ……フツー、疑いますよ?この秋津市(あきつし)なんて田舎町に、急に手袋をした外国語の教員が転任してきたならば……現に、当たっていた訳で」
言いながら少女が顔を上げれば、表情は先程から変わらぬ笑顔だった。
「やめてください……怖いですよ?」
なんて言いながら、首を傾げる。
「……オマエ、一体」
「……ご安心ください。私は聖堂教会の人間です。信じてもらえませんか?」
上目遣いで見つめる少女。
「証拠は……あるのか?」
そう告げられて少女は、1歩、2歩と下がり、後ろのテーブルに腰を据えると、右腕をまくって、
「……これで、どうですか?」
と見せた。
彼女の右腕には、何本もの赤い線が描かれていた。
「これは何れも……アナタの手にあるものと同じ令呪。といってもこれは、預託令呪と言って、以前の参加者が使用せずに残ったもので、私が今回、監督役を任されるにあたって、母から受け継いだものです」
まくった腕を元に戻したのち、続けて、
「……信じていただけますか?」
とまた首を傾げがちに尋ねる。
「まあ……どちらにせよ、いいことなんですけど……監督役って役職である以上、誰がマスターで、どんなサーヴァントを従えているかは、一応知っておく必要がありますので……少なくとも、これだけに答えていただきたいところですが……どうです?アドリアノ・クラコビチャック先生」
テーブルの上に腰掛ける彼女は、右へ左へ体を揺らしながら、たまに体とは別方向に首を傾けている。
「……他に、マスターは確認されているのか?サーヴァントも、だが」
と男性が告げた。返答は、
「お答えできません……個人情報ですから」
とのことだった。
「ただ……まだ全員が確認された訳ではない、とだけ……まあ、もっとも、それはこうしてアナタに提示している時点で、それはお分かりでしょうが」
そう言っている間だけ、少女は体を止めるのだった。話を終えれば、また動き出す。
「でも、ですよ?……こうして開示しないということは、逆に言うと、ここでの内容は口外しないっていう証明になっている訳ですから……率直に言ってもらっていいんですよぉ~?」
少しの間を開けて、このクラコビチャックという男は言う。
「まだ、召喚はしていない。先に、この秋津の街の様子を見ておきたかったからな」
その一言に、微笑む少女。
「……召喚のご用意は?」
「勿論ある……物は、アーサー王の円卓の欠片。うちの衛宮(えみや)って助手が届けてくれることになってる……三日後、駅で落ち合ってな」
「そうですか……」
少女がテーブルより降りる。地に足がついたタイミングで、体操選手みたく、両手を広げる。
「…………残念」
ポージングそのままに、相手の顔も見ずに、そう言った。
「は?」
と聞き返した男だったが……
「すいませんねぇ……いや、別に、先生に恨みがある訳ではないんですよ。えぇ、本当に……でも、言ったじゃないですか?他のマスターの話は、できないと」
言葉のあとで、首を振り、クラコビチャックの方を見れば、彼は胸を槍に貫かれていた……
「……オマエも、マスターだったのかぁ……ゴホォッ」
吐血するクラコビチャック。同時に、彼の体が地面へと倒れる。
「……お答えできません」
女はまたも、首を傾げて、そう告げる。
「サーヴァントが……いれば……クソッ、クソッ」
床へと広がっていく血の水たまり。
少女はしばらく、それをただじっと見つめていた。
やがて男の動きがなくなるまで。
「ランサー……ご苦労でした」
そう言った彼女の視線は、死体の方に。
すると、部屋のどこからか、
「……片付け、手伝おうかい?」
と返事が返ってきた。しかし、その姿はどこにも見えない。
「大丈夫です……神秘の秘匿は、監督役の業務ですから」
「それなら、後よろしく……オジサン、寝るぜ」
─これより数分後、校舎を去るときに、彼女は1度、ある名前は呟くことになる。
それは、こうだ。
「……エミヤ、か」
と。
(To Be Continued……)