勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第18話-06 犬は涙を流さない

 

 さらに2年。

 七色樫が真紅に燃える喜びの春。朝の爽気がはりつめる中、緋女はもろ肌脱ぎに裸を晒して無心に剣を振っている。

 剥き出しになった肩と乳房で汗が清らかに煌めき爆ぜる。内から磨かれた肌と肉とに命の力が満々みなぎる。跳躍の鋭さ獣に敵し、身の艶めきは舞姫に優る。無駄なく鍛え抜かれた四肢から放つ迷いのない一太刀は、まるで世界そのものを真一文字に断ち割るかのよう。

 今や卓抜の剣士へと成長した14歳の緋女。その肉体美の輪郭が、朝日の中へ浮き彫りになる。

 ようやく満足のいく振りを得たのか、緋女は静かに呼吸を整えながら太刀を納めた。七色樫の根元へ置いていた水筒から一口含み、手拭いで汗を拭いとる。服へ袖を通しながらふもとを見やる。

 ここからなら、山と海の間に横たわる草地が一望できる。しかし青草が風にそよいでいるばかりで、歩く者の姿はない。

 ――おっせーなぁ師匠。もう3日目だぞ。

 デクスタは、ちょっと用事があるとかで麓の街へ行っている。そのあいだ緋女はもちろん一日も欠かさず一人稽古していたが、想像の中の敵を相手に剣を振るのもいささか飽きた。それに新しい技のアイディアもいくつか閃いている。それを早く師匠にぶつけてみたくて仕方がないのであった。

 

 

   *

 

 

 同じころ、剣聖デクスタは街の小さな講堂で、またしても詰問を食らっていた。椅子の上で悠然と足を組む剣聖へ、魔法学園の使者ふたりが挟み込むように詰め寄っている。しかし彼らの圧迫を、デクスタは涼しい顔で一蹴した。

「約束でしょ。緋女の養育は一任するってね」

「首輪を()めてあるならば、とも言ったはずです」

「ちゃんと()めてるじゃない」

()めたまま動けるようにしては意味がない!

 確かに我々はあの首輪を、いかなる外力によっても破壊できないように作ったつもりです。しかし理論は理論。想定外の事態はいつでも起きうる。身動き取れない者を守るのは簡単だが、自分の意志で好き勝手に動く者を監視し続けるのはほとんど不可能に近い。我々がこの5年間あなたの行方を完全に見失っていたようにね、剣聖デクスタ!」

「皮肉が利いてるわねえ」

「茶化さないでください。これは我々の意志。“我々”とはこの場合、勇者ソールを含みます」

 ぴくり、と、ここで初めてデクスタの眉が動いた。

「ソールが言ったの? あの子を狩ると?」

「学園の監視下に入ることをどうしても了承しないならと」

 デクスタは静かに目を閉じ、胸が痛むほどに息を吸い、吐いた。再びもちあげた(まぶた)の裏には、微かな煌めきが宿っている。

 彼女は理解している。学園の使者がふたりがかりで会見に臨んだのは、戦闘になるのを覚悟してのことだ。そしてまた察してもいる。実は使者がもうひとりいて、この場を魔術で監視しながらいつでも学園本部へ報告できる態勢を整えているのだと。たとえ交渉が決裂しても、万一デクスタが暴れだしても、すぐさま適切な対処ができる二重三重の備え……人類(かれら)は本気だ。勇者ソールの話も嘘ではあるまい。

「……そう。辛いとこだわね」

 デクスタは席を立ち、ひとり勝手に部屋を出た。その背に使者の声が飛ぶ。

「猶予は5日です。分かってください! 我々はあなたと敵対したくないんだ!」

 デクスタはぷらぷらと後ろ手を振り、外の陽光に溶け込むように姿を消した。

 

 

   *

 

 

 デクスタが山の隠宅へ戻ったのは、とっぷりと日が暮れた後のことだった。緋女は夕食――といっても、森で捕らえたウサギを(さば)いて焚き火に放り込んで黒焦げになるまで焼いただけの乱暴な代物――にかぶりついていたが、山道を登ってくる師の足音を聞きつけると、飛びつくように玄関を開けて出迎えた。

「しっしょー! おっせーよ! おかえり!」

「たっだいまーっ。お? いい匂いさせてるわねえ。もらっていい?」

「うん、いい……け、ど」

 デクスタは緋女の脇をすりぬけて家に入り、椅子に身体を沈めた。よほど腹が減っていたと見えて、木皿の上の焦げたウサギ肉を手づかみでむしり、ガツガツ口に放り込む。その背を、緋女は玄関に立ち尽くしたまま見ていた。彼女の鋭敏な嗅覚は、すでに異変を嗅ぎとっていた。

「師匠?」

「突っ立ってないで一緒に食べましょーよ」

「新しい技考えたんだ。あとで見てくれる?」

「んー……いいわよ。にしても焦がしすぎよ、これ。あんたももう少し料理覚えたほうがいいかもねえ」

「師匠」

 食い続ける動きで感情をごまかそうとしていたデクスタの、背中のそばに緋女は立った。

()()()()()()()()()()

 デクスタの手が止まった。

 無理して口に突っ込んでいた肉を、どうにか飲み下す。

「ほんっと……勘が良すぎて困っちゃうわ」

「なんて言ってきたの?」

「あんたを学園の監視下に置くって。おそらくはデュイルの学園本部で暮らすことになる」

 デクスタは無理な笑顔を作って振り返った。

「だーいじょうぶ! 心配いらないわ。首輪は効いてるんだし、拘束まではしないと言質も取った。最初の予定通り“保護”するだけよ。痛いこともされないし、その気があれば勉強もスポーツもさせてくれる。いい機会じゃない? あんたもほら、習ったほうがいいかもよ。文字とか教養とか、お料理とかもね~」

「師匠は?」

 沈黙。

 その一瞬の躊躇が全てを物語っていた。

 緋女は師に背を向け、部屋の隅の道具箱を漁り始めた。次々に取り出し床へ並べるのは、ベルト、小刀、頑丈なブーツに腰巻きの荷物鞄。さらには壁に掛けてあった太刀――師から譲り受けた東方由来の大切物(おおきれもの)――に緒を巻いていく。

 デクスタは立ち上がった。

「何する気?」

「ブッ潰す」

 武具一式を身に着けた緋女が、すっくと立って師に向かい合う。

「ケンカ売ってくんなら学園だろーが企業(コープス)だろーが関係ねえ。あたしがブッ潰してやる!!」

「ばか! 向こうには勇者がいるの。とうてい(かな)う相手じゃないわ。だいいちワガママ通してるのはこっちなのよ!」

「じゃあ我慢しろってのか!? あたしはあいつらに捕まって、また……」

「大丈夫よ、安全は保証されて……」

「そんでもう師匠と会えなくなるのか!? そんなの嫌だ! あたしはずっと、師匠がいい!!」

 童女のように純で熱いこの訴えが、師の胸を打たなかったわけがない。素朴で熱烈なこの愛着を、嬉しく思わなかったはずがない。だがデクスタは、剣聖は、大人としてわきまえねばならない。師としてわきまえさせねばならない。ひとりの少女をここまで育て上げた責任を、いまこそ果たさねばならないのだ。

 ゆえにデクスタは威儀を整え、弟子のまなざしに正対した。

「緋女。

 あんたは何故、剣を振る?

 感情に任せて暴れるためか?

 ……この5年、ずっと教えてきたはずよ。何を斬り、何故斬り、如何(いか)に斬るか。問い続け、答え続け、いつしか問いも答えも消え失せ、我も彼も(くう)となったその時、はじめてあんたはひとつの太刀筋となるのだと。いっときの執着、目の前の憤怒、そんなものに囚われた剣では、()()()()()ことはできないと。

 あたしの教えを、大切に思ってくれるなら。

 聞き分けなさい。これが一番……正しい道よ」

「……ずるいよ」

 一言一句噛み締めるように聞いていた緋女は、火の中の薪が弾けるようにして呟いた。

「師匠はいつだって、あたしに間違わせてくれない」

 緋女が家から弾丸のように飛び出て行く。蹴り開けられたまま軋むドア。音に驚きひととき静まる森の虫たち。虚しい風が吹き込んで、デクスタの金髪をかすかにそよがす。

「効くわね……がむしゃらの一撃は」

 

 

   *

 

 

 緋女は、決断した。

 走りながら太刀の緒を腰に結わえ、七色樫の幹にさっとひと撫でして別れを告げ、そのまま崖から飛び降りた。犬に変化し重力に任せて落下して、着地直前で人間に戻る。重くなった身体にかかる急減速を利用して苦も無く着地、そのまま森の中をひた走る。

 ――あたしは、旅に出る!

 爛々と輝く炎色の眼が、決意の熱さを物語っていた。

 これ以上のワガママは言えない。勇者と魔法学園は人類の脅威になるもの――緋女の中の“(ローア)”を是が非でも支配しようとするだろう。ここに留まれば戦いになる。土壇場になれば師匠はきっと緋女の味方をしてくれる。

 つまりそれは、師匠に、戦友たちとの殺し合いをさせてしまうということだ。緋女ひとりの我執がために。

 そんなのは嫌だ。

 では学園の支配を受け入れ、見世物の猛獣のように檻の中へ飼われるか?

 そんなのも嫌だ。

 なら道はひとつしかない。

 家を出るのだ。

 旅立つのだ!

 師匠と別れ、過去も忘れ、広い、広い、果てしない世界へと足を踏み出すのだ。

 ひとりで気ままに旅していれば、魔法学園の組織力でもそう簡単には見つけられまい。何も知らせず去ってしまえば、デクスタが勇者と争う理由も無くなる。そして緋女は自由になれる。首輪もない、檻もない、ただ一匹の野良犬として好きなようにどこへでも行ける。

 ――だからあたしは旅に出る!

 駆けながら、駆けながら、緋女は奥歯を噛み締める。

 ――寂しくなんか……寂しくなんかっ……

 立ち止まって、初めて気づく。

 あの時以来で、目尻へ浮かんだ、涙。

 人間だけが流すことができるもの――悲涙。

 振り返れば、反りかえるような険しい山の中腹に、温かな家の灯りが見える。緋女の優れた眼は、この闇夜の中ですら、崖際に立ってこちらを見つめるひとの影を捉えることができた。

 いつまでも、いつまでも、じっと見守ってくれる師デクスタの姿を、すぐそばにあるもののように見ることができた。

 緋女は犬に変化した。

 なぜなら――犬は涙を流さない。

 長い長い遠吠えが、谷間から天まで伸びあがるように響き渡った。幾たびも幾たびも木霊(こだま)して、緋女の心を伝えてくれた。

 ――師匠、あたし、行ってくる。

 再び駆け出す緋女の足には、もはや一片の心残りもない。

 ――そして……強くなって帰ってくる!!

 

 

   *

 

 

 それから矢のように月日は流れた。

 幾多の出会いと別れがあった。

 数え切れないほどの学びを得、知りたくもなかった暗闇をも知り、心も身体も大人になって、ようやくたどり着いた、現在(いま)

 丸5年に渡る武者修行から帰郷した緋女が、懐かしい七色樫の幹へそっと手を触れている。秋の葉は、どっしりと腰のすわった深緑。再会を喜ぶ緋女へ、涼風にそよいだ葉が応えてくれたような気がした。

「ぅおーい、緋ー女ーっ! 昼飯まだでしょ? 来なさいよーっ」

「うーん!」

 家の戸口で師デクスタが大きく手を振っている。緋女は崖際の稽古場を離れ、5年ぶりの我が家へと坂道を駆けのぼっていった。

 と、家の窓に、見知らぬ女の顔がある。緋女よりひとつかふたつ若いくらいの歳だろうか。黒く日焼けした、暗黒大陸風の顔立ち。ゆるりと垂れた眼には、しかし異様なまでに鋭い警戒の色が浮かんでいる。

 緋女の視線に気づくと、女は家の中へ姿を隠してしまった。

 師に招かれるままに家へ入ってみれば、女は素知らぬ顔をして、台所で昼飯の支度をしている。

「誰?」

「あんたの妹弟子(いもうとでし)ってとこかしらね。もう弟子を取る気はなかったんだけど、頼み込まれたら断りきれなくってねーっ! それに」

「強そう」

 立ち居振る舞いのみで相手の力量を見抜いた緋女に、デクスタは満足げに笑ってみせた。

「筋がいいのよ。ま、せいぜい追い抜かれないようにしなさい。

 ミラージュさん! こいつが緋女よ。仲良くしてちょーだいね」

 ミラージュ、と呼ばれた女性は、ほとんど睨むような目を緋女に向け、不承不承会釈した。緋女が屈託なく笑って「よろしく」と手を上げた時には、もうミラージュはこちらへ背中を向けている。

 ――なんだあ? なんか悪いことしたか、あたし?

 いささか腹立たしくはあるが、このくらいのことで喧嘩を吹っ掛けるような短気は……まあ、以前はよくやらかしたが……今はもう卒業した。思えば第2ベンズバレンで3人暮らしを始めてから、ずいぶん性格が丸くなったものである。

 さて、ふたりが席に着くと、ミラージュは音もなく昼食の皿を運んできた。新鮮な川魚を香草蒸しにしたものへ、塩漬けにした梅の実のソースが添えてある。大皿に積んだ焼きたての無発酵パンは野麦を挽くところから手作りしたものか。その香ばしさときたら、内海各地の美食を食べ歩いてきた緋女が思わずうなり声を上げるほど。

「うお」

「すごいでしょー! あたしゃーもうすっかり胃袋つかまれちゃてねー! さささ、みんなで食べましょ。いっただきまーす!」

 舌鼓を打ちながらに話は弾む。5年の旅の中で、師匠に聞かせたい話のストックは荷物袋から溢れそうなほどに溜まっていたのだ。

 フィナイデルで竜退治した話。クスタの棄民集落に肩入れして王国軍にたったひとりで張り合った話。卓越の術士カジュと果てしないどつきあいの末に互いを認め合って親友となった話。ふたりでシュヴェーアの魔族盗賊団7000人を壊滅させた話。ひょんなことから立ち寄ったベンズバレンで、素敵な男性と出会った話。

 そしてすっかり昼食を平らげ、ミラージュが後片付けに取り掛かったころ、緋女の話はとうとう本題に――最も辛い部分にたどりついた。

「そんでね……勇者とも会ったよ。ドタバタで話す機会もなかったけどさ」

 食後の茶を一口して、デクスタは目を伏せた。たとえこんな辺境でも、噂が届いてないはずはなかった。ベンズバレン王国に根城を構え、世界滅亡へ向けて動き始めた巨悪、魔王。その魔王と戦い、脆くも敗れ去った人類の希望、勇者。だがデクスタの振舞いに動揺はない。茶のカップを静かに脇へ置き、緋女の眼をじっと覗き込んだだけだ。

「どう感じた?」

「一目で分かった。あのひとの強さ。何を考えて、どんなふうに剣を振ってきたか。すごいと思うよ。伝説だなって。

 でも……負けた。

 手も足も出なかった。

 師匠のともだちが殺されたのに……あたしには何もできなかった。

 ()()()()()()()()()()()()

「それが悔しくて、帰ってきたの?」

 緋女は立ち上がった。爆炎の巻き起こるようにではなく、黒々とした炭の奥で静火が赤々と光を放つように。

「あの時の約束を果たしに来た。

 勝負だ、師匠。そんで勝ったら……究極奥義を教えてもらう!」

 がちゃり。

 と、ミラージュが洗いかけの食器を取り落とす。

 蒼白となった新弟子には一瞥もくれず、デクスタは例の不敵な笑みを顔面一杯に浮かべて応える。

「そうこなくっちゃ面白くない。

 お望み通り、この剣聖が相手になっちゃるわいっ!」

 

 

(つづく)


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