勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第18話-04 絆

 熱風渦巻く夜空をどうにかうねり進む空艇魔獣“ハンマーヘッド”。その白い腹が、不気味な緋色の光を浴びて明滅する。絶え間なく振動し続ける船室には、窓へ貼り付いた剣聖デクスタ。彼女の眉が痛恨に歪む。一文字に縛った唇の奥で奥歯が軋む。

 地上(した)で、炎が()いている。

 “炎は獣。ひとたび牙剥けばもはや止まらぬ。世の万象を喰い尽くすまで”

 古伝承が語るその警句を、デクスタは焼け付くような苦渋の中で思い起こしていた。大気さえ凍り付くはずの極北の冬に充満する熱気。山肌を一面に覆っていた銀雪はことごとく融けて滝川を為し、あちこちで起きる爆発が超高温の蒸気を間欠泉めいて噴出させる。ついには足元の土砂までもが飴の如くに歪んで流れ出し、大地を、山を、溶岩の沼に変えていく。

 “企業(コープス)”の後先考えない干渉がために、緋女は完全に炎を暴走させてしまった。これが、この熱が“(ローア)”の真の力。あの子の情火――魂の叫びなのだ。

 デクスタは地上の一点へ視線を張り付けたまま、操縦席の術士へ叫びかけた。

「もっと寄せて! 火の中心部へ!」

「無茶ですよ、船体が燃えてしまう!」

「高度をあげればいい! できるでしょっ」

「いいんですね? ……知りませんよ!」

 炎が巻き起こす予測不能の突風にたびたびあおられながら、なんとかハンマーヘッドは火災中心部の直上へとたどり着いた。乗り込み口を蹴り開け見下ろせば、地面は目もくらむほどに遠い。だがデクスタは、恐れるそぶりさえ見せずに太刀やら荷物鞄やらを身に着け始めた。術士の顔が青ざめる。

「なにするつもりですか、剣聖!?」

首輪(コレ)()めれば炎は止まる。学園の最高傑作じゃなかったかしら?」

()められればの話でしょう! あんな炎に飛び込めば、いくら貴方だって……」

 ほとんど泣き叫ぶように制止する彼へ、デクスタはおどけてウィンクなどして見せた。

「“誰が猫に鈴をつけるのか”……ってね!」

 そして、とうっ! と気炎を吐くや、船の外へ飛び出した。

 眼下に広がる火炎地獄へ真っ逆さまに落ちながら魔術を発動。まずは防火に《水の衣》。さらにギリギリまで地面を引き付けておいて《重力軽減》。融解しぬかるむ地面へ流星の如く着陸するや、デクスタは雷光の速さで駆け出した。

 立ち止まっている暇はない。彼女の魔術の腕は並以下、術式の出来も褒められたものではない。周囲の恐るべき高熱で《水の衣》は早くも破られはじめている。猶予は長く見つもって、あと10秒。

 走る剣聖の左右から、業火が蛇のようにしなって襲い掛かった。だが彼女は止まらない。太刀風唸らせ、炎を千々に斬り散らし、速度を緩めもせずに駆け抜ける。

 しかし斬っても斬ってもキリがない。炎はデクスタの動きへ呼応するかのように次々噴き上がり、行く手を塞ぐ壁となる。

 ()()()()、とデクスタは直感した。この炎には意思がある。デクスタの接近に気付き、火の壁を立てて拒絶しているのだ。

 逆に言えば――この道で正解!

「どっおりゃあ―――――っ!!」

 気合一閃、デクスタは正面の炎壁を切り裂いて、業火の最奥へと侵入した。

 思ったとおり。そこで“炎”が、()いていた。

 “炎”。そう、炎と呼ぶしかない姿だ。辛うじて全身の輪郭が少女の形を留めてはいる。牙や耳や手足の爪が獣の本性を物語ってはいる。だが、全身から(ほとばし)る炎に絶え間なく自身を焦がされながら、火傷の激痛に泣き叫び続けるその姿は、もはや生物のそれではない。神でもない。魔でもない。もっと素朴で、もっとありふれた、誰の心にも眠っている愛の火。誰だって自分の想いの熱量に我が身を焼かれたことはある。これはその――最悪の具現なのだ。

 “炎”は腕をわななかせ、胸の前の虚空を必死に抱き寄せようとしていた。炎色の涙を流す緋女の目が、そこに何を見ているのか。あの腕が、一体何を取り戻そうとしているのか。言葉はなくとも分かる気がした。何が彼女をこうまで狂わせてしまったのか、その仕草ひとつでデクスタは察してしまった。理解してしまった。分かってしまった。

「でもね」

 デクスタは胸を息で満たす。

「それでも“大人”は、やるしかないのよ!!」

 咆哮とともにデクスタが走る。光を思わせる超高速の踏み込みで瞬く間に緋女の眼前へ肉迫する。ここでようやく緋女が反応を見せた。怯え、恐怖、それを塗り潰すための悲痛な敵意が、実体ある炎となって噴き出し、緋女の全身にまとわりついて鎧と化す。その姿はさながら火炎の巨狼。巨狼が唸る。灼熱の牙を剥きだし迫りくる。

 対してデクスタは、反射的に太刀を握り締め。

 直後、()()()()()()

 予想外の行動に戸惑いながら、それでも巨狼は剣聖の首へ喰らい付いた。ついにその火力を防ぎきれなくなり、《水の衣》の術式が崩壊した。凄まじい熱気が一挙にデクスタへ襲い掛かる。肌が焦げる。炭化する。それでもデクスタは攻撃しない。少女の魂の熱量を、あるがままに全身で受け止める。

 生きながら身体を焼かれる激痛に襲われていたはずだ。死の恐怖に魂をえぐられ続けていたはずだ。それでも、にやり、と不敵な笑みを口元に浮かべ――

 ――“大人”のやることなんて、ひとつでしょ。

 デクスタは緋女を抱きしめた。

 炎が止まった。

 困惑が火炎を通じてデクスタの肌にも伝わってくる。緋女を守っていた炎の鎧が一瞬緩み、その隙間に、素裸の肌がさらけ出された。

 ――今なら!

 好機を見出した途端、デクスタの手が走った。“折り合いの首輪”を少女の首へ巻き付け、流れるように留め金を()めた。

 緋女の身体が小さく痙攣した。口から弱々しく啼き声が漏れた。

 炎が急速に薄れ始めた。地を焼いていた火炎は風に吹かれ、寒気に冷まされ、みるみるうちに雲散霧消していく。明々と照らし出されていた天に、漆黒の夜が戻ってくる。緋女は意識を失い、その場に崩れ落ちた。デクスタが慌てて手を伸ばし、倒れる寸前で抱きとめる。が、そこでデクスタ自身にも猛烈な痛みが走り、支えきれなくなって、ふたりもろともに転がり倒れた。

 終わった。

 とにかくどうにか、火は止まった。

 もはやデクスタには立ち上がる気力も残っていなかった。何しろ身体は半分以上炭になりかかっているのだ。今まで動けていただけでも奇跡のようなものである。

 しばらくそのまま仰向けに寝転がっていると、遠くから術士たちの歓声が聞こえ始めた。誰かが残り火の消化を命じ、他の誰かがデクスタの名を呼ぶ。デクスタは倒れたままパタパタ手を振り上げる。

「こ~こよ~」

「あっ……剣聖! ご無事で!?」

「あんま無事って感じじゃないわねえ」

 なんとも気楽な調子で答えるデクスタへ、術士が魔法の光を向ける。彼女の身体のありさまを直視し、術士が「うっ……」と低く呻く。

「おい! 《大治癒》ができる者、全員来い! 《復活の奇跡》も……最優先だ急げっ!!

 ……お疲れ様でした、剣聖。これは偉業ですよ。あなたはまた世界を救ったんだ!」

 興奮気味の術士へ、デクスタは疲れた果てた顔で、どうにか笑みを作って見せた。

 治療の術を受けながら、デクスタは、己の腕の中でいまだ眠り続ける少女へ視線を落とした。その首には、しっかりと首輪が()められている。どんな外力によっても断ち切ることのできない首輪。魔力も筋力も完全に封印し、ひとを物言わぬ人形へと変える呪物。

 これでもう、二度と“炎”が暴走することはない。だがその代償に、この子は生きる力を失った。歩くことも、喋ることも、手を伸ばして物に触れることもできない。ベッドの上で誰かに世話されながら、一生涯の退屈をやり過ごすことしかできない。

 これが()

 少女を社会へ縛り付ける首枷。

 デクスタは腕に力を籠め、小さな緋女を抱きしめる。

「大人の都合を……押し付けてごめんっ……」

 唸るように囁かれた慚悔は、幸いにか、呪わしいことにか、周囲に聞きとがめられることはなかった。

 

 

   *

 

 

 それから2ヶ月。

 緋女は毎日ずっと天井を見ていた。ベッドの上に手足を投げ出し、枕の中へ頭を沈めて、ひたすら木目の流れを追っていた。

 好きで見ていたわけではない。寝たくて寝ていたわけではない。魔法学園が技術の粋を凝らして創った“折り合いの首輪”は、十全にその力を発揮した。手も、脚も、首も、指も、舌ひとつすらも、緋女は動かせなくなっていたのだ。辛うじて操れるのは(まぶた)と唇のみ。それもごくゆっくりと、重い石材を引きずるかのように開け閉めするのが精一杯。

 体中ひどい火傷になっている、と聞かされてはいたが、皮膚の感覚が失われたから痛みらしい痛みもない。まともに咀嚼(そしゃく)できないから、食事はゆるい粥を流し込んでもらうしかない。排泄欲も排便の感触もないまま汚物が垂れ流しとなっていることは、時折取り替えてもらうオムツの匂いでそれと知るのみだった。

 こうなってしまえば、肉体なぞは重荷に過ぎない。無意味な生をこの世へ繋ぎ止める脱出不可能の牢獄に過ぎない。

 息を吸い、吐き、(まぶた)を開き、そして閉じ、匂いが鼻まで来てくれるのを待ち、遠い遠い話し声に耳を傾け、そこに交じれない疎外感だけを味わう。

 これが、自分。

 これが、人生?

 これが、いのち……

 肉の中で生きていく、ということ……

「緋女ーっ! おっまたせ! お昼ご飯ができたわよーん!」

 陽気に声を弾ませながら、剣聖デクスタがやって来た。胸には似合わないエプロンを着け、手には粥の皿をつまんでいるのが視界の隅に見える。ベッドの脇に椅子を引き寄せ腰を下ろし、緋女の上体を助け起こし、背の後ろに丸めたクッションを挟んで支え、

「お腹空いたでょー? 今日のは最っ高にうまくできたと思うのよね! お口に合えばいいんだけど!

 はい、あーん」

 などと口走りながら、粥の匙を口元まで運んでくる。

 この2ヶ月、ご丁寧に毎日毎日、繰り返し続けた行為。耐えがたい空腹がために受け入れるしかなかった媚態だ。だが緋女はこの日、口を開こうとはしなかった。

 固く唇を結んだまま、じっと、壁の染みを睨んでいた。

 吐息の漏れる音。

 遠い梢の鳥の声。

 匙が皿の上へ戻され、小さく鳴った。

「……ま、お腹が空かない日もあるか」

 見当違いの作り笑い。デクスタはそばのテーブルに皿を置き、今度は他愛もないおしゃべりを始めた。今日はあったかいわね、とか。いよいよ梅のつぼみが膨らみだしたのよ、とか。最近このあたりに野良犬が迷い込んできちゃって、とか。どうでもいいことを、一方的に。うるさいと思っても、鬱陶しく感じても、拒絶する方法さえ緋女にはない。黙らせるための声も、逃げ出すための足も、既に失われた。保護者(づら)のこの女が満足するまで耳ざわりな雑音を我慢するしかない。話は続く。とりとめもなく。言葉は響く。ただ空虚な部屋の中にのみ。

 思いは届かない。緋女の心は、閉ざされている。

「……おっと。今日は出かける用事があるんだったわ」

 ようやくデクスタは話を切り上げ、重い腰を上げた。

「オムツはまだ大丈夫そうね。ごめん! ちょっと行ってくるわ、夕飯までには戻るから」

 騒音は消えた。あの見飽きた天井も、緋女の視界にまた戻ってきた。

 

 

 用事がある、というのは半分本当。もう半分は、あの場から逃げ出すための口実。

 デクスタは己の住まいへ緋女を引き取った。かつて魔法学園との交渉の終わりに、デクスタが提案した条件がこれだったのだ。

「封印はあたしがやる。そのかわり、後はあたしに任せてほしいの」

「任せろとは、具体的には?」

「世話する。育てる。一緒に暮らす。

 “(ローア)”が暴走さえしなければ満足でしょ? だからもう、あの子の人生に口出ししないでほしい。残された命を、せめて自由に生きさせてやりたい。責任は……あたしが取るわ」

 学園の使者たちは互いに顔を見合わせた。ひとりが頷き、他も無言で賛同した。

「よろしいでしょう。“首輪”さえ()めてあるならば」

 こうして緋女の養育を自ら買って出たデクスタなのに、わずか2ヶ月で(はや)音をあげている。仲良くなりたい、信頼されたい、そう願えば願うほど、かえって緋女の心は遠ざかっていくようだ。嗅ぎ取っているのだ。浅ましいへつらいの臭いを、残酷なまでに鋭敏なあの鼻で。

 粥の皿を台所に戻したデクスタは、胸に重い息を吸い込むと、握り拳を己の頬へ叩き付けた。

「……へたくそっ」

 

 

(つづく)


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