勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第18話 “愛の火を探して”
第18話-01 原点


 

 

 青草そよぐ秋晴れの山道を、野火の如く駆け上る影がある。真紅の体毛。躍動する四肢。鋭く天を刺す三角耳。犬と呼ぶには勇敢に過ぎ、狼と呼ぶには愛嬌あり過ぎる、この獣こそは勇者の後始末人。緋女の変化した姿である。

 仲間たちのもとを旅立ってはや二ヶ月。ベンズバレンから山越えに隣国ハンザへ入り、南岸航路の貿易船で密航。適当な寄港地でするりと船を抜け出して、あとは陸路をひた走る。幾多の野山を乗り越えて、緋女はここへ帰って来た。少女時代の大半を過ごした土地。もっとも多感な十代前半の思い出が詰まった、第二の故郷と呼ぶべき場所。

 懐かしい()()()()が、そこで緋女の帰りを待っていた。

 海を見渡す崖のふち、大きく枝を伸ばす七色樫の根元に、ひとりの女剣士が佇んでいる。総髪(ポニーテール)の金髪をゆるりと垂らし、東方風の衣を風になびかせ、遠い水平線をじっと見守っている。その背からほんの5歩まできたところで、緋女は息を飲み、足を止めた。

 女剣士が、腰の剛刀を音もたてずに抜いたのだ。

 緋女は人間へ変身した。気圧(けお)されている。声も出せない。息もつけない。ただ背筋の凍る緊迫感に駆り立てられて、緋女も太刀を抜き放った。

 秋風が止む。玉の汗が鼻筋へ伝い落ちる。緋女が構える。対手は()()()()。なのにあの……無造作に剣をぶら下げ、いまだこちらへ背を向けたままのだらしない姿勢に、緋女ほどの剣客ですら隙を見出すことができないのだ。

 ――やべえ。

 直感が走った。

 ――間合いのうちに……入っちまった!

 次の瞬間。

 ふたりは刃を激突させた姿で()()()()()()

 そう、静止である。見えないのだ。わからないのだ。早業、などという次元ではない、()()()()()()()()()()光速の太刀。ふたりは今の一瞬、恐るべき速度で距離を詰め、剣を繰り出し、太刀筋を読み合い、無言の駆け引きを戦わせ、ついに互いに決め手を欠いて、互角に剣を噛み合わせたまま動きを止めた。初動から終わりまでが10分の1秒にも満たぬ間の出来事。ゆえに常人には、全てが終わった後の結果しか認識できない。

 まさに一瞬の死生。その境目をどうにか乗り越えて、緋女の顔面からどっと滝の汗が溢れ出す。

 対して女剣士は、にやりと不敵に笑いながら剣を引いた。

「ま、サボってはいなかったよーね」

「こ……のっ……心臓に(わり)ィんだよクソ師匠!!」

「あっはっはーっ! この悪態も5年ぶりだわねーっ!

 そろそろ来るころだと思ってたわ。おかえり、緋女!」

 緋女は口をへの字にひん曲げ、太刀を納めながらそっぽを向く。

「……ただいま」

 この女剣士の名は、デクスタ。

 緋女を育てた剣の師にして、討魔三英傑がひとりに数えられる女。剣閃の鋭きこと弧雷の如く、心技の冴え渡ること蒼天の如く。勇者と共に魔王を倒した古今無双の武勲(いさおし)で、生きた伝説とさえ讃えられる最強の剣客。

 “剣聖”デクスタ、その人である。

 

 

   *

 

 

 本当のはじまりがいつだったのか、それは緋女にすら分からない。自分がいつ、どんな親から生まれたのか、それすら定かではないからだ。ようやく物心つきはじめた頃にはもう、緋女は森の奥で野獣のように暮らしていた。

 うりふたつの顔をした()と、たったふたりで。

 おそらく双子であろうこの姉妹は、千年前に絶滅したはずの伝説的種族、狼亜(ローア)族の末裔である。古伝承が語るところによれば、ローアは人から獣へ、獣から人へ、自在に変身する能力を持つという。この特別な力が、親も家族もない双子を過酷な自然の中で生きながらえさせた。獣の姿で獲物を狩り、ひとつの臓物をふたりで千切り合うように(むさぼ)る。鳥の羽をむしったり木を登ったりするときは人間の手足が役に立つ。姉妹でじゃれ合い、ケンカをし、すぐに忘れてひとつの寝床に丸くなる。野生そのものの、満ち足りた暮らしであった。

 この頃のふたりには自分と相手の区別さえあいまいだった。すべて概念というものは言葉によって成る。数限りない要素が絡み合う混沌の世界において、ただ言語表現のみが「あれ」と「これ」の境界線を作りうる。生まれたばかりの赤子は、自分に世話を焼いてくれる親のことを己の手足の一部のように勘違いするというが……言葉を知らぬ双子はまさにそのように、お互いを自分と一繋がりの存在と思い合っていたのである。

 転機が訪れたのは、双子が5歳――あくまで推定だが――になった頃のこと。

 ある旅狩りの老猟師が、素裸のまま野山を駆け回る双子の女児を発見したのだ。

 どのような意図があったのかは分からないが、ともあれ猟師は双子とコミュニケーションを試みた。元より言葉は通じない野生児だ。野犬を手懐ける時のやりようで、何日もかけて距離を詰めていった。餌付けをした。無防備に寝ころんでみせた。好奇心をくすぐる狩人歌で誘った。

 先に興味を示したのは、姉の方。

 緋のような赤毛の少女。生来の外交的な血が騒いだのだろうか、猟師が無害であると確信するや急速に接近していった。たちまち彼の手から餌を食うことを覚えた。そしてやはり獣ではなくヒトである証拠にか、猟師の粗野な言語まで真似し始めたのだ。

「来るか? 俺ン()

 問われた言葉の意味はまだ理解できない少女だったが、意図はなんとなく察したらしい。距離を置いて縮こまっていた妹へ駆け寄り、ぎゅっと抱き寄せて、上目遣いに猟師を見た。

 ――ふたり一緒なら。

 燃えるように赤い眼が、そう訴えているように見えた。

 かくして野生の双子は山を下り、老猟師と共に暮らし始めた。服を着た。調理された食い物の美味さを知った。屋根のある住まいや藁を敷き詰めたベッドの素晴らしさに酔い痴れ、言葉というものの面白さと必要性を痛感した。そして言葉によって互いを区別し想い合うこと――“名前”を得た。

 燃える赤毛の姉は緋女。

 ()おる銀髪の妹は游姫(ユキ)

 ふたりの姫。老猟師シバが付けてくれた名。

 義侠の男であった猟師シバは、双子を実の孫のようにかわいがってくれた。大自然の中では望むべくもなかった安心。緋女の、人好きのする明るい性格は、この時期に(つちか)われたと言ってよい。幼少期に注ぎ込まれた愛情がひとの自信を育む、その好例である。

 1年が過ぎ、2年が過ぎ、双子はすくすくと成長した。ふたりは猟師シバを無邪気な信頼で喜ばせ、またひどい悪戯で怒らせもした。学び始めが遅れたせいか言葉はあまり得意でなかったが、知能そのものは高く、技術の飲みこみも早かった。いずれ自分の跡を継がせよう、とシバが考え、狩人仲間の寄り合いに双子を連れて行くようになったのも自然なことであった。

 が、この行為が、思わぬ事態を引き起こすことになる。

 猟師シバと暮らし始めて4年後、双子が推定9歳になった頃。

 ひとりの女剣士がシバの山小屋を訪れた。

「よっ! おっちゃん久しぶりィ!」

 気さくに手を振る女剣士に、シバは薪割りの手を止めた。割った薪を運ぶ仕事をしていた双子が、来訪者にそれぞれの反応を見せる。緋女は好奇心で眼をらんらんと輝かせ、游姫(ユキ)は薪を放り出して姉の背中へ隠れこんだのだ。

 シバは暫時、いぶかしげに女剣士の顔を見つめていたが、やがてその目鼻立ちに古い知人の面影を見出した。

「や……? おまえ、まさかデク助か?」

「あっはっはー! また懐かしいアダ名ねえ。元気そうでよかったわ、シバさん!」

 女剣士デクスタは、苦笑しながら手土産の酒瓶を持ち上げてみせた。

 

 

   *

 

 

 緋女と游姫(ユキ)はたちまちデクスタに懐いた。

 なにしろデクスタは魔王と正面から渡り合った当代随一の剣士である。身体能力はほとんど超人の域にある。それが本気で鬼ごっこやら相撲やらの相手をしてくれるのだから、歯ごたえのない遊びに飽き飽きしていた双子の野生児にとっては最高の()()であった。

 庭で逃げ回るデクスタを、緋女が追う。游姫(ユキ)が待ち伏せる。ついにはふたりピタリと息を合わせて挟み撃ちを狙ってくる。9歳の子供とは到底思えない身のこなしと狩りのセンスに舌を巻き、しかしデクスタもさるもの、ひらりひらりと身をかわす。やがて双子が熱くなってくる。わざと隙を作ってやる。すぐさま緋女が足に絡みつく。動きが鈍ったところへ游姫(ユキ)が食らいつく。

「うわー! 捕まったー!」

 などと悲鳴を上げながら倒れるデクスタ。

 こうなれば、もう双子は夢中である。

「もーいっかいっ! もーいっかいっ!」

「……もーいっかい、もーいっかい」

 片や火のように元気よく、片や雪のように冷静に、同じことをねだっては、繰り返しデクスタに挑みかかった。

 こんな調子で日が暮れるまで遊び倒せば、夜は寝床に入るなり熟睡である。眠りながら無意識に犬に変身した双子が、互いの尻尾を絡め合ってあどけない寝息を立てている。その毛並みをひと撫でし、布団をかけているうちに、猟師シバが美味い(さかな)をこしらえてくれていた。川魚のつみれをネギ味噌で和えたものに、さっと塩茹でした初夏の山菜である。

「あらっ、コゴミじゃないの~! あたしゃコレが好きでねえ!」

「ガキの時分からツマミみてえな物に目がなかったよなァ。おら、(こっち)もイケるようになったんだろ?」

 と、猟師シバが酌をしてくれる。グッと一息に盃を空け、返杯する。清酒のふくよかな香気がふたりの頬をほころばせる。

「いい飲みっぷりだ。立派になったな、デクスタ」

「ふふっ……ありがと」

 デクスタと猟師シバは同郷の出である。都市国家レンスクの属領クー村……といっても知っている者はほとんどいない、辺境の山間部にひっそりと根付いた狩人の村だ。デクスタも代々猟師の家系で、幼いころから祖父に厳しく狩りの技を仕込まれてきた。シバはその修業時代に何かと面倒を見てくれた大先輩だったのだ。

 7年前、12歳で成人するや、デクスタは祖父と大喧嘩して村を飛び出した。猟師シバと顔を合わせるのもその時以来。この7年間にデクスタは剣士として修行を積み、卓越した技を身に着け、ついには魔王討伐という偉業を成し遂げ“剣聖”の名跡を継いだ。そのまばゆいまでの栄光が、猟師シバは嬉しくてならない。

「さすがは剣聖様だぜ」

 と、シバはベッドの中の双子へ目をやる。

「俺ァもう、あいつらの身軽さに身体がついていかねーんだ」

「ま、チャンバラより鬼ごっこの方が、ナンボか世の中の役に立つってもんよ」

「世界を救った英雄(ヒーロー)たァ思えねえセリフだな」

「やればやるほど見えてくるのよ。どんなに哲学的理屈で飾ろうと、しょせん(こいつ)は殺しの道具。あたしもロクな死に方はできないだろう……ってね」

「猟師も同じさ。罪深ェもんだ……」

「だから、拾った?」

 猟師シバの杯が一瞬、止まる。

「かも、しれんし……」

 不意に緋女がわうわうと寝言を言い、游姫(ユキ)がうにゃうにゃと寝言で答えた。シバは子供たちを見つめたまま頬を緩める。

「……単に潤いが欲しかっただけかもな」

 それからしばし、ふたりは無言で酒を交わした。猟師シバは学こそないが、勘働きの鋭さはどんな賢人にも負けない。デクスタが旧交を温めるためだけに来たのでないことは、とうに見抜いていたのだ。

「で。話は双子(あいつら)のことなのか」

 デクスタはきまり悪そうに頭を掻く。

「うーん……まいった」

「良くねえ話か」

「ものすごくね……」

 猟師シバが盃を置く。

「……聞こう」

「“失われし(まこと)のローア”」

 耳慣れぬ名を唱える剣聖の目は、すでに懐かしい知己へ向けるそれでなく、世界の命運を背負う英雄のものへと色を変えていた。

「あの双子は、あたしたちを滅ぼすために顕現した……人類の天敵かもしれないのよ」

 

 

(つづく)


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