勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第12話-08 良心の呼び声

 

 

「緋女さん!」

 名前を呼ばれて目が覚めた。

 気が付けば馬車は第2ベンズバレン大通り沿い、コバヤシが経営する酒屋の前に止まっており、御者のパンチが緋女の顔を覗き込んでいた。緋女はもう一度目を閉じ、大きく伸びをして、起き上がる。

「着いたかぁーっ」

「ここでいいっすか?」

「ん。OK」

 ひょいと荷台から飛び降りて、緋女はコバヤシの店に入った。コバヤシは素晴らしい手際で帳簿纏めを進めているところだったが、緋女の姿を認めると腰を浮かせた。

「緋女さん? おひとりで? 何かありましたか?」

「お前もヴィッシュも、そういうとこ、よくホイホイ分かるよな。はい手紙」

 ヴィッシュから託された布片を手渡す。コバヤシは中の文面に目を通すと頼もしく頷いた。

「分かりました。街のことは任せてください」

「よろしくー。あたし戻る」

「緋女さん?」

 去り際に呼び止められた。振り返ってみると、コバヤシが眉をひそめている。

「……大丈夫ですか?」

 弱みを見せないように、胸を張っていたつもりだったのに。

「……ほんっと、そういうとこ」

 緋女は目を伏せた。ヴィッシュもそう。カジュもそう。ゴルゴロドンもそう。コバヤシだって。緋女の胸の中を、みんなして明け透けに覗いてくれる。頭のいい連中はこれだから。何も隠し事はできないし、演技で誤魔化すこともできないし、時には、緋女自身が気付いていないことさえ、彼らには分かってしまう。

 でも。

 たとえ全てを見抜かれようと……

 緋女は己の胸に手を当て、悪戯っぽく笑う。

苦悩(これ)()()()()だ。お前にはやらねえ」

 言った自分で驚いた。どうしてこんなことを口走ったのだろう。まるで自分で考えた言葉ではないみたいだ。なのに妙にしっくりくる。ずっと前から胸にあったような気がする。

 ――()()()()だ。そうだ。あたしだけのものだ。

 肩で風切り、緋女は店を飛び出した。外ではパンチが緋女を待ってくれていた。

「どうすか?」

「うん。だいじょうぶ」

「お役に立てましたかねえ、へへえ」

「助かったよ」

「いやァ、当然っすよ。このくらいでも恩返ししないと……」

「恩返し?」

 首を傾げる緋女に、パンチが照れ臭そうに頭を掻く。

「俺たち、緋女さんに助けてもらったことあるんすよ。ほら、(ヴルム)が街に山ほど来たとき」

 パンチがローディの首を撫でる。

 あ、と緋女は声を上げた。

 昨年の初冬、万魔の竜(バッドフェロウズ・ヴルム)が襲来した事件のことだ。あの時緋女は、カジュと一緒に100匹余りもの(ヴルム)を狩り殺した。その過程で、襲われていた人を助けたこともあったかもしれない。あの時は時間に追われていたし、あまりにも数が膨大だったから、ひとつひとつを記憶できてはいないが。

「正直覚えてないでしょ?」

「うーん、ごめん」

「いいんすよ、緋女さん忙しそうだったし。でも俺ェ、あの時ほんとヤバくって。前の日に彼女に結婚申し込んだばっかで! 『今度の仕事から帰ったら結婚しような』って。いやーマジでやばいっしょ! これ絶対死ぬやつっしょ! って思ってたらマジで襲われて『やべえマジ死ぬ』って! だからもうホント怖くてェ……そのとき助けてもらったから、俺、もう……憧れてたんす。感謝してます! 絶対いつか恩返ししなきゃって思ってて! まさかこんな日が来るなんて! あっすんません、俺ひとりで喋っちゃって」

 緋女は目を丸くして聞いていた。懐かしいものが胸の奥からこみ上げてきた。この男の喋り方、人懐っこい性格、意外な義理堅さ。以前の友人によく似ている。

 “探し屋”のゴロー。力になりたかった。でも助けられなかった。苦すぎる思い出……

 ちょうどその時だった。ゴルゴロドンの()()()が、第2ベンズバレンの城壁に突き刺さったのは。

 突如の爆音が街を揺るがす。大通りでざわめきが起き、パンチが恐怖でわあわあ騒ぎ出す。ローディは何もかも諦めた風で、しかし落ち着かなげに尻尾を振っている。にわかに巻き起こる混乱の中、緋女だけが事態を察していた。

 ――来たな。

 緋女は刀の柄に手をかけた。

「ね」

「はい?」

「した?」

「え?」

「結婚」

 ああ、とパンチが手を掲げる。その指には、安物ながらも眩しく輝く、結婚指輪が填められていた。

 緋女は微笑んだ。心からの祝意を込めて。

「おめでとう。あと……ありがと」

 助けたかったもの。

 助けられなかったもの。

 気付きもしないうちに助けていたもの。

 その全てが緋女の過去。これまで振り続けてきた剣の軌跡。そして、これから振りぬく刃の行く先。

 緋女という、一条の太刀筋。

「あたし、仕事してくるわ」

 パンチの顔から、ひと撫でに恐怖が拭い去られた。

「そっかァ! 緋女さん!」

 緋女が駆けだす。混雑する人々の頭上を飛び越え、屋根の上まで跳躍し、矢のように走り去っていく。見る見るうちに小さくなっていくその背中に、パンチは力限りの激励を送る。

「緋女さん! がんばって―――――ッ!!」

 街の屋根を真一文字に駆け抜けながら、緋女は火炎の威勢で咆哮した。

「任せなッ!!」

 

 

   *

 

 

 槍投げ第3射。第4射。それらはあえなく狙いを外したが、第5射が再び城壁に命中。街では否応なしに恐怖と混乱が広がりだす。遥か彼方に霞む砂埃を苦々しく見つめながら、巨人ゴルゴロドンは6本目の丸太を掴む。

 そのとき、横手の茂みからひとりの剣士が飛び出し、裂帛の気合とともに巨人の脛に切りかかった。ヴィッシュだ。

 が。

 分厚い皮膚と筋肉であえなく剣は弾き返され、ヴィッシュが焦燥に唇を歪める。文字通り、刃が立たない。

 ゴルゴロドンは低く唸りながらヴィッシュを蹴り飛ばしにかかる。慌てて後退し難を逃れるヴィッシュ。そこを狙い、煌めく銀糸が輪を描いてヴィッシュを取り囲む。

 ――刃糸(ブレイド・ウェブ)! ムードウ!

 とっさにヴィッシュは身をかがめ、襲い来る糸の下を潜り抜けた。すぐさま駆けだし距離を取り、木の陰に隠れながら魔族ムードウの姿を探――そうとした彼の目の前に、横一文字、煌めく刃糸(ブレイド・ウェブ)が迫っていた。

「ウオッ!?」

 避ける暇もあらばこそ。剣を目の前に構えて辛うじて糸を防ぎ、その一瞬の間に刃糸(ブレイド・ウェブ)の下を転がり抜ける。だがその途中で帽子に糸が食い込み脱げ落ち、剣が絡めとられて手から離れる。予備のナイフを抜きながら走り逃げるヴィッシュの背筋に、今さらながら悪寒が走った。

 狩り装束の帽子には鋼糸が編みこまれ、軽量ながらもある程度の攻撃を防げるようになっている。そうでなければ、今頃ヴィッシュの頭は刃糸(ブレイド・ウェブ)に切り裂かれていただろう。まさに間一髪。

「逃げ回るだけか。情けないな、猿め」

 頭上からムードウの声がする。どうやら奴は、樹上の枝のどこかに潜み、上から刃糸(ブレイド・ウェブ)を垂らして攻撃しているらしい。見えづらく長さがある武器ならではの戦術だ。本当に便利。うらやましい。

 などと感心している場合ではない。このままでは、まずい。

 敵を誘き出そうと、ヴィッシュは余裕綽々の顔を装う。

「猿を相手に逃げ隠れか? 大したもんだな、高貴な魔族様は」

「狩りとは安全圏から獲物を追うものだ。そんな単純な事実さえ、獣ふぜいには分かるまい!」

 森の中にいくつもの煌めき。刃糸(ブレイド・ウェブ)が来る! ヴィッシュはその間を巧みにすり抜けながら、内心で歯噛みしていた。

 ――挑発に乗ってこない! 昨日より腰が据わってやがる。死の覚悟……か!

 

 

 ゴルゴロドンはヴィッシュへの対処をムードウに任せ、槍投げの体勢に入った。もともとそういう約束だったのだ。勇者の後始末人たちは必ず槍投げの妨害に来る。その時はムードウが足元を食い止め、その間にゴルゴロドンは1本でも多く第2ベンズバレンに投げつけてやるのだと。

 ムードウは死ぬ気だ。自分に残された命を、可能な限り使()()()()つもりなのだ。

 そのあまりにも悲壮な覚悟に、応えずにはいられなかった。

 ――見ておれ、ムードウ。お前にはわしが付いているぞ!!

 天地震わす咆哮とともに丸太の槍が投擲される。人智を超えた剛力によって槍は亜音速にまで加速され、猛烈な轟音と豪風を撒き散らしながら空を貫かんと飛んでいく。

 が、その槍の進路上に、不可視の翼をはばたかせて小さな影が立ち塞がった。

「《光の盾》《光の盾》《光の盾》《光の盾》《光の盾》。」

 カジュ。空中で《風の翼》までキャンセルし、自由落下しながら魔術ストック5枚分を全力投入。五重に張った《光の盾》で亜音速の槍を受け止める。とはいえ槍の持つエネルギーは圧倒的。《盾》は次々に貫き割られ、光の残滓となって散っていく。

 しかし、目的を果たすにはこれで充分。

 《光の盾》を突き破るためにエネルギーを使った槍は大きく減速。街に届く遥か手前で勢いを失い、何もない草むらに落着した。

「なんと!」

 驚くゴルゴロドンの目の前に、墜落直前で再び《風の翼》を発動したカジュが飛来する。その小さな手のひらには赤く輝く光の玉。巨人の鼻先目掛けてそれを投げつけ、

「《爆ぜる空》。」

 淡々と唱えた呪文が炸裂する。

 巻き起こる爆発。ゴルゴロドンの巨体を丸ごと飲み込む爆炎。常人なら中隊ひとつをまとめて薙ぎ倒すほどの威力がある大量殺戮の術だが、相手は巨人ゴルゴロドンだ。これでもどこまで通じるか……

 案の定、炎を左右に引き裂いて、ゴルゴロドンが堂々たる巨体を現す。損傷は、皮膚を少々焦がす程度。

「やっぱダメかー。」

 などと呑気にぼやいてる間に、ゴルゴロドンの拳がカジュに迫る。カジュは全速力で飛んで逃げ、再びゴルゴロドンと街を結ぶ線上に陣取った。それだけで彼女の意図はゴルゴロドンに通じたらしい。巨人が丸太を掴み上げ、構えを取る。

「OK。勝負だ。」

 カジュの指にひとつずつ、術式の光が灯されていく。

「止めてあげるよ、何度でもね。」

 

 

 ヴィッシュが走る。目を凝らし、微かな刃糸(ブレイド・ウェブ)の煌めきを捉え、針の穴を通すような精度でその隙間を潜り抜ける。うまく避けているようではあるが、その実、とてつもない集中力を要する動きだ。そろそろ気力も体力も限界。遠からず死の糸に絡めとられる時がくる。

 ――くそっ、このままじゃ……

 歯噛みしながらヴィッシュは樹上の葉の中にナイフを投げつける。糸の動きからムードウの位置を予測したのだが、これは外れ。悪態を吐く暇もなく、次なる刃糸(ブレイド・ウェブ)の下を潜り、上を飛び越え、身体を半身にずらして縦糸を裂け、その向こうの安全圏へ抜ける。

 と安心したのも束の間、今度は四方八方を糸が取り囲み、一気にヴィッシュへ迫ってくる。

 咄嗟にヴィッシュは木の枝を折り取り、薙ぎ払うように振り回した。糸の数本が枝に絡め取られ、包囲に隙間が生じる。その枝を踏みつけて包囲の外へ逃げ出す。しかし僅かに避け損ねた。左腕を浅く刃糸(ブレイド・ウェブ)が撫でていく。

 ただそれだけで肌が裂け、鮮血が破裂するように勢いよく吹き出した。

「うおッ!」

 木材や金属のような固い物には絡まるだけだが、相手が柔らかい肉であればこの破壊力。首あたりを絡み付かれたらそれだけで命を取られる。

 そのとき、ヴィッシュの周囲をこれまでにない量の刃糸(ブレイド・ウェブ)が取り囲んだ。彼の負傷と焦りを好機と見て、一気に勝負を決めにきたか。ヴィッシュは歯噛みし、脂汗を滴らせる。

「貴様の罪を貴様自身の血で償うのだ」

 樹上のどこかから魔族ムードウの罵り声が聞こえる。

「己の血の海で溺れるがいい!! 猿がァーッ!!」

 刃糸(ブレイド・ウェブ)がくる。

 逃げ場は――ない!

 

 

(つづく)

 


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