勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第12話-03 野盗団討伐

 

 

 結論から言えば、緋女のこの願いは、彼女が望んだのとは全く異なる形で叶ってしまうことになる。

 緋女たちの乱痴気騒ぎから、2日後。

 無制限街道からやや外れた荒野の一角に、ぱっくりと口を開いた巨大な地溝帯がある。“大喰らいの喉口”――遥か神代に起きた神々と力ある九頭竜(パワー・ナイン)との戦争でついた傷跡と言い伝えられるこの亀裂は、険しい地形が災いして踏み入る者もなく、今では魔獣や魔族、野盗どもの格好の隠れ家と化していた。

 その奥に、ひとりの、傷を負った魔族の姿があった。

「死ぬものか……死んでたまるか……」

 魔族は伏したまま、竹で組んだ粗雑な寝床の縁を軋むほどに握りしめた。過日の戦いで切り落とされた左腕の切り口が、痛烈に疼いた。射貫かれ潰れた右の眼球が、高熱を発して絶え間なく彼の脳を苛み続けた。

 彼の命は尽き果てようとしていた。それでも必死に生にしがみついている。全てはただ、

「復讐だ! 私は人間どもに……復讐を果たすのだッ!!」

 この一念のためだけに。

 魔王が勇者に倒された後、補給も退路も失った魔王軍は、絶え間なく襲い来る残党狩りに必死で抗いながら、地を這いずり、泥を啜り、時に仲間の血肉さえ糧にして――比喩ではない、文字通りだ!――生き延びてきた。彼はその生き残り。最後のひとりだ。

 今では彼は、魔獣や鬼を率いる野盗団の頭目。頭目などと言えば聞こえはいいが、周囲にいるのは野蛮な獣ばかり。住処は荒野の崖の横穴。食うものも食えず、愉しみも将来への希望もなく、傷ついたとて治療のあてさえない、最悪のその日暮らしだ。

 それでも彼は耐えてきた。生き抜いてきた。どんな悪逆非道も厭わなかった。村を焼いて奪い、子供を殺して食い、年端もいかぬ少女を攫って部下どもの慰みものとしてきた。それがどうした。生きねばならぬ!!

 彼の名は、ムードウ。

 戦時中には“刃糸吐き(ブレイドスピナー)”ムードウと恐れられた術戦士である。

「まだか! あの男はまだなのか! 報告を!」

 ムードウは熱に浮かされながら、朦朧とした意識の中で部下たちに絶叫した。配下の小鬼(ゴブリン)が醜い身体を跳ねさせながら駆けてくる。ムードウに仕える小間使い、名前は小蝿(コバエ)。コバエは小鬼(ゴブリン)の中では飛びぬけて知能が高く、簡単な言葉を話せるうえ、命令を30分も覚えておくことができるので、ムードウは重宝して側に置いているいるのだった。

「コバエ。あの男は来たか」

「来ねえ、だんな。来た、ほかの」

「他だと?」

「ほか()()

 ぞっとムードウの背筋に悪寒が走った。萎えた四肢を奮い立たせ、洞窟の壁に縋りつきながら外に出る。そこは深い地溝の絶壁。崖面にはいくつもの横穴が開いており、その入り口が、藁のように頼りない足場や梯子で辛うじて繋がれている。何年もかけ、頭の悪い鬼どもを指揮して、苦労して造った野盗団の根城だ。

 その根城の上に、普段と違う形の影が差すのに気付き、ムードウは崖上を見上げた。

 ムードウの目が裂けんばかりに見開かれる。

 崖の上から、じっとこちらを見下ろす影がある。

 ひとつやふたつではない。ずらり並んだその数、ゆうに百を超える。鎧が鳴る。馬がいななく。ムードウはよろめき、崩れ落ちる。

「騎士団だッ!!」

 その声を号令にしたかのように、騎士団が矢の雨を降らせてくる。ムードウは這いずって横穴の奥へ逃げ込む。飛()が唸り声をあげて襲い掛かり、ろくに身構えもしていなかった鬼や魔獣を針山のような姿に変えていく。

 ムードウは全く気付いていなかった。ここ半月ほど、後始末人たちが――ヴィッシュのチームである――この近辺を嗅ぎまわっていたことに。

 彼ら後始末人は、野盗団を退治して功を立てんと意気込む若き騎士団に依頼され、根城の位置を探っていたのだ。数日前にはもうこの根城は発見されており、満を持して騎士団の出撃となったのだ。いささか特殊な依頼ではあるが、自分で魔物を狩るばかりが後始末人ではないというわけだ。

 そんな事情を知らぬムードウにとっては青天の霹靂。

 ろくに動かぬ身体を引きずって、ムードウは横穴の中に逃げ戻った。寝床の前を横切り、さらに奥の隠し扉を開く。この先に、万一のために作っておいた外への抜け穴がある。今は逃げるしかない。

 だが。

 抜け穴の角を曲がったところで、ムードウは恐怖のために凍り付いた。

「あっ」

 と間の抜けた声を上げたのは、敵兵! 鉢合わせとなったのだ。

「“刃糸吐き(ブレイドスピナー)”だ!」

 敵が恐怖に駆られて叫ぶ。

 ムードウは咄嗟に術式を編んだ。驚くべきことに、死にかけていたはずの肉体と頭脳は全盛期を思わせる機敏さで反応し、4条の極細超硬ワイヤーを手首から打ち出した。ワイヤーは彼の舞うような動きに従って敵兵の首や胴に絡みつき、一息に引き絞られるや、敵の身体を切断した。

 これがムードウの二つ名の由来。肉眼ではほとんど見えないワイヤーの刃を魔術と体術で操り、相手の肉体を切り刻む技。

 敵兵から血が噴出する。血の噴水を浴びながらムードウは膝をつく。体が震える。今の一瞬の攻撃は、突如訪れた極度の緊張が、一時的に肉体の機能を蘇らせたに過ぎないらしい。

「いまの聞いたか?」

「こっちだ、気を付けろ!」

 奥からさらなる敵兵の話し声が聞こえてくる。

 ムードウは喘ぎながら引き返し始めた。敵は、最後の手段として備えておいた秘密の脱出路まで発見していたのだ。無論、ヴィッシュの仕事である。さすがにそつがない……ムードウにとっては最悪の事態だ。

 ムードウは元の寝室に戻り、そこで、はたと立ち止まった。

 ――逃げてどうなる? 表は表で戦場だ。

 聞こえる。騎士団が野盗団を蹂躙する音が。剣戟の響きと、悲鳴と、喊声。

 ムードウはその場に座り込んだ。気が遠くなる。四肢が萎えていく。もういい、眠ってしまえ。復讐も延命も、もうどうでもよい。死ねばいい。死んでしまえば楽になるのだ――

 

 

 少しして目が覚めた。

 穴の中に、耳障りなコバエの大騒ぎが反響している。ムードウは眉をひそめた。自分は死んだのか? いや、そうではないらしい。外から歓声が聞こえてくる。人間の声ではない、魔獣たちの雄叫びだ。ムードウの手下たちが喚いているのだ。

 おかしい。騎士団の襲撃を受け、野盗団は壊滅するはずではなかったのか? それがなぜ、ああして騒いでいられる?

 ぼんやりとした興味を覚え、ムードウはよろめきながら立ち上がった。穴の入口へ向かう。太陽の光が目を差すように降り注ぐ。

 痛烈な逆光の中に、巨大な黒い影を、ムードウは見た。

 ムードウの目から涙が零れる。

 崩れ落ちて跪く。

 手がひとりでに、神を称える印を結んだ。

「来て……くれたのか」

「遅くなってすまぬな、友よ!!」

 雷鳴の如く巨人が叫んだ。

「一日千秋の思いで待っていたぞ」

 感涙にむせびムードウが応えた。

「我が生涯の友、“岩盤纏い”のゴルゴロドンよ!!」

 屹立する巨人ゴルゴロドンの足元は、騎士団の血肉で赤一色に染まっていた。

 

 

   *

 

 

「祭剣騎士団が全滅!?」

 ヴィッシュは驚きのあまり手の中の卵を握りつぶしてしまった。手を拭きながら台所を出、居間のコバヤシに寄って行く。コバヤシは物憂げに首を振り、聞き間違いでも勘違いでもないことを保証した。

「生還者は1割にも満たず、団長も戦死。組織としては再起不能でしょう」

「そんな馬鹿な話があるか。拠点の構造も敵の戦力も完全に調べたし、数の上でも圧倒してる。顧客サービスで戦術案のアドバイスまでしてやったはずだ。負ける要素がどこにある?」

「皆さんの仕事に遺漏はないんですよ。ただ、敵方に想定外の増援がありまして。

 生き残った兵の話によれば、岩の鎧に身を包んだ、巨人の戦士、だとか」

 二度目の衝撃。

 背後に気配を感じてヴィッシュは振り返った。ちょうど階段を下りてきた緋女が、目を丸々と見開き、唇を一文字に結んでいる。かける言葉を見つけるより早く、緋女がこちらに迫ってくる。

 一歩足を踏み出すごとに、怒りの炎が、(おこ)り、膨らみ、爆裂する。

「なにそれ。なんだよ。なんだってんだッ!!」

「落ち着け緋女。俺にも分からん」

()()()が魔族の味方をしたってのか!?」

 そのとき、緋女の脳裏にふと、巨人ゴルゴロドンの言葉が蘇った。後始末人にならないかと誘った時、彼はこう答えた――『やらねばならぬことがある』と。それが魔族の野盗団に加勢することだったのだろうか。

 一方、コバヤシはヴィッシュの側に寄り、耳打ちする。

「先日のお祭り騒ぎは知れ渡っています。一朝(いっちょう)(こと)あるたびに()()()()に熱中するような方々にもね」

「俺たちが魔族と通じている、か?」

「既にそんな話が出始めています。この疑念を払拭するには……」

「俺らで始末をつけるしかない……な」

 なにしろ祭剣騎士団の依頼を受けて敵勢調査を行ったのも、敵に加勢した巨人と楽しく酒盛りしていたのもヴィッシュたちだ。何か災害が起きるごとに原因と責任の押し付け先を探し回るような手合いはいくらでもいる。そいつらにしてみれば、ならず者同然の後始末人なぞは格好の標的、手ごろな娯楽というところだろう。

 放置しておけばこの街にいられなくなる可能性もある。対処するしかない、のだが。

 ちら、と緋女を見れば、彼女の目は既に炎の如く燃えていた。

「すぐ出るだろ。カジュ連れて来るわ」

「大丈夫か?」

「平気」

 と言いながら緋女が階段の柱を掴むと、恐るべき握力のために柱が軋みだす。

「あいつに直接聞く。あたしたちを騙したのか。ほんとは悪い奴だったのか」

 静かな声色の奥で、炎は確かに赤熱している。焼けた黒炭が灰の中で恐るべき熱を保ち続けるように。

 緋女は階段を上って行ってしまった。ヴィッシュは歯噛みする。今は何を言っても逆効果だろう。下手なアドバイスは彼女を混乱させてしまうだけだ。戦場においては些細な精神の混乱が死に直結する。

 だから言えない。しかしヴィッシュには、未来に待つであろう困難な問いが既に見えていた。

 ――騙されてたなら簡単だ。斬ってしまえばそれでいい。

   だが、もしも彼が()()だったら……一体どうする気なんだ、緋女?

 

 

(つづく)

 


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