“うつくしい乙女”保存会議は成功に終わり――公式には、そういうことになっている――世は
会議の会場となったこの城の大広間では、今、参加者たちをねぎらう宴が開かれている。そのざわめきが、石壁と夜風を伝わり、遠くこのテラスまで漏れてくる。溜息が零れた。もどかしい。
「ドクター」
助手の
「お疲れ様でした」
「何もできなかったがね……」
「前進はあったでしょう?」
ゲイナンは苦笑する。助手が労わるように隣に並んだ。彼女が憧れをもって見上げるその視線が、今のゲイナンの胸には痛い。
「後退の勢いが少々緩んだに過ぎないよ。
考えてもみてごらん。“うつくしい少年”が市場に出回ったとして、“うつくしい乙女”が駆逐されるだろうか?」
「いいえ……」
「だろうね。今後の市場で“少年”が占める割合は、どう高く見積もってもせいぜい5割。私の予測では3割といったところだ。焼け石に水。“乙女”は減り続ける。絶滅してしまうまでね。
しかも問題はそれだけではない。今度は“うつくしい少年”が激減するだろう。10年後には、また同じことの繰り返しだ。きりがないんだ。資源を管理するという意識が、人々の間に徹底されるまでは、ひとつひとつ、種を食っては潰していく、そんなことばかりが……」
強い酒を一気に流し込もうとするドクターの手に、助手が、そっと、白い手のひらを重ねる。
「いけません。お体に
慰めあうようにふたりは近づいていった。腰を抱き寄せても、彼女は抵抗するどころか、半歩身を寄せてなすがままに任せた。何も出来なかった自分の無力を、自分を慕ってくれる女性の好意で埋め合わせている。その事実が、ドクター・ゲイナンにとっては涙が込み上げるほど情けない。
と、そこに酔っ払いの声が聞こえてきた。弾かれたようにふたりは離れ、平静を装って無粋な
「やあドクター。ここにいたのかい」
良い機嫌に千鳥足なのは、会議に参加していたどこだかの業者だ。彼は、ドクターと助手の距離を見ると、ニタニタと下品に笑ってみせる。
「なにか?」
「君を呼びに来たんだ。行こう、早くしないとなくなっちまう」
「何がです?」
「今のうちにたっぷり食べておかないと……」
嫌な予感がした。怒りが腹の底から沸きあがってくるのが分かった。一歩詰め寄ると、業者は怯えて身を引いた。
「何がだ」
「メインディッシュだよ……“うつくしい乙女”さ」
ドクター・ゲイナンは業者を突き飛ばして走り出した。倒れた業者の腕に、助手のかかとが追い討ちをかけた。ふたりは風のように消えていった。欲望に塗れた醜い豚の悲鳴などには、全く耳を貸すことなく。
*
その宴の豪勢なことといったら目も
その中にあって、ただひとり、炎色の髪をした女だけがウンザリと酒を
自信たっぷりのスケベ面をしたヴァンパイアがふたり寄ってきて、ひとりは
スカートをちょんとつまみ、駆け足で逃げ出し、背後からの苦笑も聞こえないあたりまで遠ざかって、ようやく
「おい、まだかよ。なぁカージューぅ」
*
テーブルクロスの下から手が伸びて、上の料理をひと皿さらった。確かに《不注意》の術をかけてあるから、大きな騒ぎを起こさない限り気づかれることはあるまい。それにしたって、これはあまりに
テーブルの下では、小柄な少女がひとり、あぐらをかきながらサンドウィッチをもぐもぐしている。ソースのついた指をねぶり、カジュは水晶玉をタップした。
「今やってるとこ。少し辛抱しなよ。」
〔もうやーだー! おケツさわられたー!〕
「金ぶんどってやれ。」
〔金もらってもヤなもんはヤダ!!〕
「価値観の相違だね……。ん、いけた。」
*
〔へーいボース。おわったよー。〕
「
そして厨房で忙しく働きまわるヴァンパイアどもの死角を縫って、そっと奥に忍び込むようなことは、後始末人ヴィッシュの得意技である。
勇者の後始末人は、魔物の始末をするのが生業。面倒はいつものことであったが、今回の面倒さはいささか度を超えていた。このところ頻発していた、魔界の住人による誘拐事件の解決、およびさらわれた少年少女の奪還。まず魔界に入り込むだけでおおごとなのに、ヴァンパイアの城に潜入せねばならないというのだからまともではない。しかも任務の性格からいって少数精鋭が適当。となれば、こんな厄介な案件は、“うちの支部きっての優秀な”チームにお
――損な役回りだなァ。
こっそり溜息ついて、ヴィッシュはそっと曲がり角の向こうを
途端に怒りが沸いてきた。こんなことを許してはおけない。さきほど失敬しておいた鍵束を取り出し、ひとつひとつ格子戸の鍵穴に当てはめていく。
「あの……」
誰かが声を挙げかけたので、ヴィッシュは人差し指一本口元に当てて、へたくそなウィンクを送る。
「静かに。今助けてやるからな」
声もない衝撃と歓喜が広がった。牢が開いた。少女たちがなだれ出て、そのまま感極まってヴィッシュに抱きつき押し倒した。泣きじゃくる、いずれ劣らぬ美しい乙女たちに、幾重にも取り囲まれ身を押し付けられては、ヴィッシュのごとき男は顔を紅潮させてたじろぐしかない。
「おおい、落ち着けって……困るぜ」
だが本音のところはこうである。
――役得!
*
「やっべえあいつ殴りてえ」
〔なんでよ。〕
「なんかデレてる気がする」
〔よし。やったれ。〕
「ぜってーボコす」
鼻の利く女たちである。
と、そのとき、彼女らの耳に騒ぎが届いた。
広間の奥、ヴァンパイアどもが卑猥なダンスに興じていたところの更に向こう、壮大な昇り階段の途中に、口論をする者たちの姿があった。ひとりのヴァンパイアに、別のふたりが食って掛かっている。彼らの後ろにずらりと並ぶのは、からだが透けて見えるような薄絹一枚に身を包む、素晴らしい美貌の少年少女たち。
今夜のメインディッシュをお披露目せんと連れてきたのはこの城の主であり、そこにつっかかるふたり組は、言うまでもなくドクター・ゲイナンとその助手であった。
「ドクター、固いことを言わなくてもいいじゃないか」
「固いとか柔らかいとかの問題ではない! あなたがたは何のために集まったんだ? 希少動物を保護しようというその会議の夜に、よりにもよって“うつくしい乙女”を
「もう会議は終わったんだよ。資源維持の目処も立ったんだから」
「あれのどこに目処が……!」
「さあみなさん! 無粋な学問は無しにしましょう!」
ホストの呼びかけに、広間を埋め尽くす
ドクターは
「ご覧あれ。ここに集めた“うつくしい乙女”たちは、いずれも選び抜かれた一級品。このあとにもまだまだたくさんご用意してあります。みなさん心行くまでご賞味ください。
なんたって、もうすぐ食べられなくなるそうですからね! 今のうちにしっかり食べておこうじゃありませんか!」
信じがたいことに、これはウィットに富んだジョークとして述べられた言葉である。事実、ヴァンパイアたちは爆笑している。それをただ見ているしか出来ない保護論者の苦痛はいかほどであったことか。
一方、テーブルクロスの下では、カジュが口を尖らせ水晶玉を忙しく叩いていた。
〔ヴィッシュくん、まだスか。〕
〔もう少しだ〕
〔ちょっとまずい状況で……。〕
「さあどうぞ! お好みの少女を、あなたの思うがままに……」
さらなる呼びかけ。大勢が殺到する足音。ヴァンパイアどもが少女に手をかける。その衣を剥ぎ取り、剥き出しの首筋に唾液をしたたらせる。少女たちの怯えも、涙も、震えも、その全てが吸血鬼どもを奮い立たせる味付けに過ぎない。
〔やばいって。このパターンは。〕
〔ンなこと言っても〕
カジュの焦りが最高潮に達した――そのとき。
地を蹴り、跳び越え、一筋の雷となって、
目にも留まらぬ早業だ。少女に手をかけていた4人と城の主が、糸の切れた人形のように倒れ伏す。
少女たちが、事態を把握できずにぽかんと口を開けている。彼女らに向けて、
「助けに来たぜ」
階下のヴァンパイアたちがどよめく。突如現れた
「あれは人間か?」
「仲間を救いに来たのか」
「素晴らしい腕前。そして勇気」
「だがこれはいささか蛮勇というもの」
「さぞかし腕に覚えがあるのでしょう」
「なるほど、これは面白い」
「それほどに満ちた自信を、
「宴の興も増すというもの!」
うんざりだ。
「……あっそ。頭ん中は食い気だけか」
それなら、もうこちらも大人しくスカートなんか引きずる必要はあるまい。刀で裾を裂いて捨て、動きやすいよう腿を
「そういう
ひしめく化物どもの真っ只中に、
*
「んもーっ。絶対こうなると思ったっ。」
カジュはぶつくさ言いながら、テーブルの下から
《風の翼》で大乱闘の頭上をびゅーんと飛び越え、少女たちの背後に着地する。怯えた少女たちが一斉に振り返った。
「はいみなさん。二列に並んでー。」
カジュは観光案内きどりで旗など振って、
「お帰りはこちら。」
(つづく)