勇者の後始末人   作:外清内ダク

43 / 125
第10話-02 吸血鬼どもの饗宴

 

 

 “うつくしい乙女”保存会議は成功に終わり――公式には、そういうことになっている――世は()け、月が天に昇った。ドクター・ゲイナンは、ひとり、城のテラスに佇み、やけくそ気味に杯を(あお)っていた。

 会議の会場となったこの城の大広間では、今、参加者たちをねぎらう宴が開かれている。そのざわめきが、石壁と夜風を伝わり、遠くこのテラスまで漏れてくる。溜息が零れた。もどかしい。鬱々(うつうつ)としたこの気持ちを、胸のうちに溜め込むことしかできない。

「ドクター」

 助手の(ささや)きを聞いて、ゲイナンは振り返った。見れば彼女は、淑女の装いで、じっと切れ長の目をこちらに向けている。決して豪奢(ごうしゃ)とはいえない、むしろ簡素なドレスであったが、彼女の知的な美しさには、これがぴたりと似合っていた。

「お疲れ様でした」

「何もできなかったがね……」

「前進はあったでしょう?」

 ゲイナンは苦笑する。助手が労わるように隣に並んだ。彼女が憧れをもって見上げるその視線が、今のゲイナンの胸には痛い。

「後退の勢いが少々緩んだに過ぎないよ。

 考えてもみてごらん。“うつくしい少年”が市場に出回ったとして、“うつくしい乙女”が駆逐されるだろうか?」

「いいえ……」

「だろうね。今後の市場で“少年”が占める割合は、どう高く見積もってもせいぜい5割。私の予測では3割といったところだ。焼け石に水。“乙女”は減り続ける。絶滅してしまうまでね。

 しかも問題はそれだけではない。今度は“うつくしい少年”が激減するだろう。10年後には、また同じことの繰り返しだ。きりがないんだ。資源を管理するという意識が、人々の間に徹底されるまでは、ひとつひとつ、種を食っては潰していく、そんなことばかりが……」

 強い酒を一気に流し込もうとするドクターの手に、助手が、そっと、白い手のひらを重ねる。

「いけません。お体に(さわ)ります。あなたが傷つくと、私は哀しいです」

 慰めあうようにふたりは近づいていった。腰を抱き寄せても、彼女は抵抗するどころか、半歩身を寄せてなすがままに任せた。何も出来なかった自分の無力を、自分を慕ってくれる女性の好意で埋め合わせている。その事実が、ドクター・ゲイナンにとっては涙が込み上げるほど情けない。

 と、そこに酔っ払いの声が聞こえてきた。弾かれたようにふたりは離れ、平静を装って無粋な闖入者(ちんにゅうしゃ)を迎える。

「やあドクター。ここにいたのかい」

 良い機嫌に千鳥足なのは、会議に参加していたどこだかの業者だ。彼は、ドクターと助手の距離を見ると、ニタニタと下品に笑ってみせる。

「なにか?」

「君を呼びに来たんだ。行こう、早くしないとなくなっちまう」

「何がです?」

「今のうちにたっぷり食べておかないと……」

 嫌な予感がした。怒りが腹の底から沸きあがってくるのが分かった。一歩詰め寄ると、業者は怯えて身を引いた。

「何がだ」

「メインディッシュだよ……“うつくしい乙女”さ」

 ドクター・ゲイナンは業者を突き飛ばして走り出した。倒れた業者の腕に、助手のかかとが追い討ちをかけた。ふたりは風のように消えていった。欲望に塗れた醜い豚の悲鳴などには、全く耳を貸すことなく。

 

 

     *

 

 

 その宴の豪勢なことといったら目も(くら)まんばかりであった。数千を数える水晶のシャンデリアに照らされ星のごとく(きら)めく佳酒(かしゅ)(ぜい)を極めた細工の杯。所狭しと並ぶ色とりどりの美食たち。広間の奥では耳もとろけるような弦楽が奏でられ、美しく着飾ったヴァンパイアたちが愛欲と陶酔を舞踏に乗せてひけらかす。

 その中にあって、ただひとり、炎色の髪をした女だけがウンザリと酒を(すす)っている。隅で息を潜めてはいたものの、目立たぬようにしようなど土台無理な話であった。これほどの美男美女の間にあっても、彼女の燃えるような魅力はあまりにも際立ちすぎている。

 自信たっぷりのスケベ面をしたヴァンパイアがふたり寄ってきて、ひとりは仰々(ぎょうぎょう)しく、もうひとりは気さくに口説いてきた。いっそ斬り捨ててやりたかったが、彼女は頬を引きつらせて愛想笑いを返すことしかできない。苦手なのである。演技というやつは。

 スカートをちょんとつまみ、駆け足で逃げ出し、背後からの苦笑も聞こえないあたりまで遠ざかって、ようやく緋女(ヒメ)は溜息をついた。

「おい、まだかよ。なぁカージューぅ」

 

 

     *

 

 

 テーブルクロスの下から手が伸びて、上の料理をひと皿さらった。確かに《不注意》の術をかけてあるから、大きな騒ぎを起こさない限り気づかれることはあるまい。それにしたって、これはあまりに図々(ずうずう)しい所業である。

 テーブルの下では、小柄な少女がひとり、あぐらをかきながらサンドウィッチをもぐもぐしている。ソースのついた指をねぶり、カジュは水晶玉をタップした。

「今やってるとこ。少し辛抱しなよ。」

〔もうやーだー! おケツさわられたー!〕

「金ぶんどってやれ。」

〔金もらってもヤなもんはヤダ!!〕

「価値観の相違だね……。ん、いけた。」

 

 

     *

 

 

〔へーいボース。おわったよー。〕

了解(コピー)

 (ささや)いて、ヴィッシュは一息に暗闇を突っ切った。本来ならこの通路に敷かれた《番犬》の術はネズミ一匹見逃さない。彼ほどの体格の男ならなおさらだ。しかしカジュの手に掛かればこの通り。術式構成を分解し、歪め、ループを作り、効力を根こそぎ奪い取ることも朝飯前。

 そして厨房で忙しく働きまわるヴァンパイアどもの死角を縫って、そっと奥に忍び込むようなことは、後始末人ヴィッシュの得意技である。

 勇者の後始末人は、魔物の始末をするのが生業。面倒はいつものことであったが、今回の面倒さはいささか度を超えていた。このところ頻発していた、魔界の住人による誘拐事件の解決、およびさらわれた少年少女の奪還。まず魔界に入り込むだけでおおごとなのに、ヴァンパイアの城に潜入せねばならないというのだからまともではない。しかも任務の性格からいって少数精鋭が適当。となれば、こんな厄介な案件は、“うちの支部きっての優秀な”チームにお(はち)が回るに決まっている。要は、おだてに乗せられたのである。

 ――損な役回りだなァ。

 こっそり溜息ついて、ヴィッシュはそっと曲がり角の向こうを(のぞ)き込んだ。石造りの湿った地下道、その奥にぼんやりと浮かび上がる鉄格子。すすり泣きと絶望の(うめ)き声。彼が寄っていくと、牢に囚われていた何十人という半裸の少女たちが、潮の引くように後ずさった。壁に身を寄せ、怯えた目でヴィッシュを見つめ、ただ慈悲だけを求めて震えている。

 途端に怒りが沸いてきた。こんなことを許してはおけない。さきほど失敬しておいた鍵束を取り出し、ひとつひとつ格子戸の鍵穴に当てはめていく。

「あの……」

 誰かが声を挙げかけたので、ヴィッシュは人差し指一本口元に当てて、へたくそなウィンクを送る。

「静かに。今助けてやるからな」

 声もない衝撃と歓喜が広がった。牢が開いた。少女たちがなだれ出て、そのまま感極まってヴィッシュに抱きつき押し倒した。泣きじゃくる、いずれ劣らぬ美しい乙女たちに、幾重にも取り囲まれ身を押し付けられては、ヴィッシュのごとき男は顔を紅潮させてたじろぐしかない。

「おおい、落ち着けって……困るぜ」

 だが本音のところはこうである。

 ――役得!

 

 

     *

 

 

「やっべえあいつ殴りてえ」

 緋女(ヒメ)が思いっきり目をすわらせて(つぶ)いた。

〔なんでよ。〕

「なんかデレてる気がする」

〔よし。やったれ。〕

「ぜってーボコす」

 鼻の利く女たちである。

 と、そのとき、彼女らの耳に騒ぎが届いた。緋女(ヒメ)がひょいと大広間を覗き込む。カジュもどこかのテーブルの下で、クロスをたくし上げて見ていることだろう。

 広間の奥、ヴァンパイアどもが卑猥なダンスに興じていたところの更に向こう、壮大な昇り階段の途中に、口論をする者たちの姿があった。ひとりのヴァンパイアに、別のふたりが食って掛かっている。彼らの後ろにずらりと並ぶのは、からだが透けて見えるような薄絹一枚に身を包む、素晴らしい美貌の少年少女たち。

 今夜のメインディッシュをお披露目せんと連れてきたのはこの城の主であり、そこにつっかかるふたり組は、言うまでもなくドクター・ゲイナンとその助手であった。

「ドクター、固いことを言わなくてもいいじゃないか」

「固いとか柔らかいとかの問題ではない! あなたがたは何のために集まったんだ? 希少動物を保護しようというその会議の夜に、よりにもよって“うつくしい乙女”を(きょう)するなど!」

「もう会議は終わったんだよ。資源維持の目処も立ったんだから」

「あれのどこに目処が……!」

「さあみなさん! 無粋な学問は無しにしましょう!」

 ホストの呼びかけに、広間を埋め尽くす賓客(ひんきゃく)たちの、上品で下劣な笑い声が呼応した。

 ドクターは愕然(がくぜん)として眼下の光景を見下ろした。ここにきて、ようやく彼は悟ったのである。彼に賛成するものは誰もいない。仮にいたとして、彼ら彼女らが声を挙げることはない。食欲と、肉欲と、経済という名の至高神、そして我が身さえ無事ならそれでよいという怠惰の悪魔。ヴァンパイア族の心の全てを、それらの悪徳が塗りつぶしているのだ――ということを。

「ご覧あれ。ここに集めた“うつくしい乙女”たちは、いずれも選び抜かれた一級品。このあとにもまだまだたくさんご用意してあります。みなさん心行くまでご賞味ください。

 なんたって、もうすぐ食べられなくなるそうですからね! 今のうちにしっかり食べておこうじゃありませんか!」

 信じがたいことに、これはウィットに富んだジョークとして述べられた言葉である。事実、ヴァンパイアたちは爆笑している。それをただ見ているしか出来ない保護論者の苦痛はいかほどであったことか。

 一方、テーブルクロスの下では、カジュが口を尖らせ水晶玉を忙しく叩いていた。

〔ヴィッシュくん、まだスか。〕

〔もう少しだ〕

〔ちょっとまずい状況で……。〕

「さあどうぞ! お好みの少女を、あなたの思うがままに……」

 さらなる呼びかけ。大勢が殺到する足音。ヴァンパイアどもが少女に手をかける。その衣を剥ぎ取り、剥き出しの首筋に唾液をしたたらせる。少女たちの怯えも、涙も、震えも、その全てが吸血鬼どもを奮い立たせる味付けに過ぎない。

〔やばいって。このパターンは。〕

〔ンなこと言っても〕

 カジュの焦りが最高潮に達した――そのとき。

 ()(はし)った。

 地を蹴り、跳び越え、一筋の雷となって、緋女(ヒメ)の体が宙を駆ける。いつの間にか抜き放った刃。スカートの中に隠し持っていた銘刀が、太刀風巻き上げたかと思った途端、ヴァンパイア5人の首を()ね飛ばす。

 目にも留まらぬ早業だ。少女に手をかけていた4人と城の主が、糸の切れた人形のように倒れ伏す。

 少女たちが、事態を把握できずにぽかんと口を開けている。彼女らに向けて、緋女(ヒメ)はにぱりと無邪気に笑った。肩に力強く刀を担いで。

「助けに来たぜ」

 階下のヴァンパイアたちがどよめく。突如現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)に、闇の者どもが抱いた印象は第一に驚き。次に怒り。やがてそれは賞賛と狂喜に変わる。理由はこうである。

「あれは人間か?」

「仲間を救いに来たのか」

「素晴らしい腕前。そして勇気」

「だがこれはいささか蛮勇というもの」

「さぞかし腕に覚えがあるのでしょう」

「なるほど、これは面白い」

「それほどに満ちた自信を、(ひね)り潰し、蹂躙(じゅうりん)し、辱めの限りを尽くしたとき、あの赤い髪の“うつくしい乙女”がどんなふうに顔を歪めるのか」

「宴の興も増すというもの!」

 うんざりだ。

 緋女(ヒメ)は階段に仁王立ちして、眼下で(うごめ)くヴァンパイアを睥睨(へいげい)した。さきほどまで上品なドレスに身を包んでいた紳士淑女たちが、肩の筋肉を盛り上げ、絹を内側から突き破り、牙を大きく伸ばして、だらしなくよだれを滴らせ、化物の本性を露わにしていく。

「……あっそ。頭ん中は食い気だけか」

 それなら、もうこちらも大人しくスカートなんか引きずる必要はあるまい。刀で裾を裂いて捨て、動きやすいよう腿を(さら)け出して、戦闘準備完了。

「そういう了見(りょうけん)なら――てめえが喰われても文句はねェな!!」

 ひしめく化物どもの真っ只中に、緋女(ヒメ)は自ら踊り込んだ。

 

 

     *

 

 

「んもーっ。絶対こうなると思ったっ。」

 カジュはぶつくさ言いながら、テーブルの下から()い出した。相棒は上機嫌に血の雨を降らせている。こうなってしまっては仕方がない、こちらはこちらの仕事をするまでだ。

 《風の翼》で大乱闘の頭上をびゅーんと飛び越え、少女たちの背後に着地する。怯えた少女たちが一斉に振り返った。

「はいみなさん。二列に並んでー。」

 カジュは観光案内きどりで旗など振って、

「お帰りはこちら。」

 

 

 

(つづく)

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。