勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第10話 “土用の丑の日は「う」のつくアレを”
第10話-01 絶滅危惧種の保存に関する緊急会議


 

 

 “魔界(ドリームランド)”。

 それは、実世界と薄皮一枚隔てたところにあるという並行世界のことである。人の夢を媒介として実世界と繋がっていることで知られており、時折、眠っていた人間が夢の深淵を通じて迷い込んでしまうことがある。術士であれば意図的に“(ゲート)”を開いて魔界に(おもむ)くことも難しくはない――もっとも、無事に戻って来られるのは卓抜した技量を持つ術士のみであるが。

 魔界の奇妙な性質については、ポンヌフ兄弟の研究に詳しい。彼らは著書“魔界――そこには()()()()()()()”の中でこう語っている。

『魔界を我々の常識で推し量ることはできない。魔界の時間、空間、その他もろもろに関する法則は我々の世界とは全く異なっており、というか、そもそも一定の法則を持っているのかどうかすら不明であり、つまるところ、何も解らないということしか言えないのである。

 そこでは、どのようなことでも起こりうる。およそ起こりそうにないと思えるようなことも、である。とりわけ、絶対に起きてほしくないと強く願うようなことに限ってあっさり起きてしまう傾向がある。

 我々の世界でも、術士は己の意識の中にイメージした事象を具現化させることができる。これが魔術である。とすれば、魔界についてはこう表現するのが最も適切であると言えよう。

 “そこでは、なにもかもが魔法なのだ”――と』

 要するに魔界とは“なんでもあり”の不合理極まりない世界であり、そこに整合性を求めるのがそもそも間違いなのである。そこには神もあれば魔もあり、神秘もあれば異形もある。ありとあらゆる不思議に満ちていながら、何が起きても不思議ではない。

 それが魔界なのだ。

 しかし、ポンヌフ兄弟は、著書の最後をこう締めくくってもいる。

『なるほど、魔界は幻想(ファンタジー)じみている

 だが真に幻想じみているのが我々のほうではないと、一体誰に言えようか?』

 さて――今回は、そんな魔界で起きた事件を、ひとつ紹介してみることにしよう。

 

 

   *

 

 

 その日、とある議場で、いささか気の抜けた会議が行われていた。扇状にずらりと並んだ議席はざわざわと私語に満ち、演台に立つ男ひとりが声を涸らして叫んでいる。

「ひとつの種が絶滅に瀕しているという事実を、あなたがたは真剣に考えているのか!」

 悲痛な訴えが議場を引き締めたが、それもいっときの事だった。再び湧き上がる緩みきったざわめきは、とても世を憂う声には聴こえない。捕獲業者、養殖業者、卸売、小売、板前、報道、研究、広告代理店、政府関係省庁からただの野次馬に至るまで、様々な立場を代表して集まった――集められた――有識者たちであったが、真面目にこの問題に取り合っているものは、そのうち一割にも満たなかったであろう。

「データをご覧ください」

 演台の男が、背後の大きな折れ線グラフを叩く。

「数字は無慈悲にひとつの事実を示しております。それは、長くとも数年以内に、種の保存について深刻な問題が生じるという事実であります」

「今年の捕獲量は増えたんだろう」

「資源回復してるんじゃないの?」

 面倒臭げなヤジに、とうとう男は怒鳴り声をあげた。

「過去の推移を見てみなさい! 今年の捕獲量は50年前の僅か一割以下なんだ! こんな低水準で誤差みたいな増減を繰り返している、これが回復していると言えますか!」

「ドクター、落ち着いて」

 と、隣に控えていた助手が腕に手を添えてくれた。彼女は、演題の男ドクター・ゲイナンの自制心そのものとさえ言える、大切な人物である。その冷静な声のおかげで、ゲイナンは辛うじて感情の手綱を取り戻したのだ。

 怒りに歪んだ顔を、再び義憤に燃える若き学士のそれに戻して、ゲイナンは聴衆に訴えかける。

「失礼。しかし、このままでは最悪の事態は避けられません。

 もって5年。あと5年で、我々の大切な食文化、すなわち――」

 静けさだけが充ちた議場に、絶望的な警句はむなしく響いた。

「“うつくしい乙女”は絶滅します!!」

 

 

     *

 

 

 ヴァンパイア族による“うつくしい乙女”食の始りは、古く先史時代にまで(さかのぼ)る。5000年前の遺跡から食べ残しの骨が見つかっているし、1300年前の文献にも“うつくしい乙女”を詠んだ詩が登場する。1000年前のヴァンパイア大衰退期には貴重な蛋白(たんぱく)源となって種の命脈を繋いでくれた。味にも栄養にも優れた“うつくしい乙女”は、古来ヴァンパイア族のかたわらにあったのである。

 状況が大きく変わったのは、今から200年前のことだ。それまではやや下等な食べ物とされていた“うつくしい乙女”であるが、この時代に画期的な調理法が開発された。これによって、ごつごつと骨ばっている“うつくしい乙女”を白くふんわりと仕上げることが可能になり、また調味料の工夫もあって、全世界的な大流行が始まった。

 この流行に、“うつくしい乙女”を(きょう)す飲食店による魅力的なキャンペーンが拍車をかけた。

 すなわち、『夏の土用の丑の日に“う”のつくものを食べると精力がつく』というキャンペーンである。

 ヴァンパイア族はこうした迷信を非常に重視する。()めぼし、()マの肉、()なぎなど、さまざまな食材が土用の丑の日に食されたが、“()つくしい乙女”はとりわけ好まれた。その後、他の“う”のつくものは廃れ、“うつくしい乙女”を食べる風習のみが現代に残された。

 以来、“うつくしい乙女”は、ヴァンパイア族の夏の風物詩となったのである。彼らの“うつくしい乙女”に対する思い入れは、工夫の凝らされた多岐にわたる調理法からも明らかだ。

 衣服を剥ぎ、そのまま血を吸う「(しろ)やき」。

 (ガマ)の穂でくすぐりながら吸い尽くす「(かば)やき」――「やき」とは乙女が焼かれたように身をよじることからいう。

 食す前にサウナで汗を流させ身を柔らかくする東方風。

 この工程を省いて引き締まった身体を愉しむ西方風。

 香りをつけた精油の風呂にいれたまま、くんずほぐれつしながら食す「ひまつぶし」――食事に極めて長い時間を要することから――などなど、枚挙に(いとま)がない。

 ところが近年の急速な消費拡大が、皮肉にも、彼らが愛して止まない“うつくしい乙女”を危機に陥れている。約50年前をピークに“うつくしい乙女”の捕獲量は減少の一途を辿り、深刻な資源の枯渇が問題視されるようになった。

 実のところ、“うつくしい乙女”の生態は極めて複雑で、未知の部分が非常に多い。とくに繁殖についてはほとんど何も分かってないと言ってよい。よって完全養殖は不可能であり、現在行われている養殖は、幼児期に捕獲した“うつくしい乙女”を適正年齢まで育てるだけのものなのだ。

 政府は資源管理のため捕獲制限をはじめたが、需要が縮小しない限り、リスクを負ってでも供給しようともくろむものは後を絶たない。無免許の密猟者が横行し、養殖業者や販売業者もまた闇ルートでの流通を事実上黙認した。政府による監視団体が業者と癒着し骨抜きにされることも珍しくはなかった。

 ゆえに、“うつくしい乙女”の減少に歯止めがかかることは、一切なかったのである。

 

 

     *

 

 

「そうは言うけど、50年も前から危なかったわりには、毎年ふつうに食べてきたじゃないか」

 広告代理店のヴァンパイアが偉そうに口を挟んだ。ドクター・ゲイナンが口を開きかけると、横で他のものが手を挙げる。

「それについては、私から説明しましょう。よろしいですか?」

 ドクターから演台を譲られた男は、小さく咳払いして、すばらしい営業スマイルを議場全体に振りまいてから、語り始めた。

「どうも、私、輸入業をしている者です。

 えー、このグラフにありますとおり、“うつくしい乙女”の捕獲量は、今から40年ほど前にはすでに急落を始めておりまして……このままでは供給が追いつかんというわけで、私どもが業界参入をいたしました。ま、つまり、代替品種の輸入ですな」

「代替品種?」

「“マアうつくしい乙女”だとか、“うつくしいカモシレナイ乙女”、“見ようによってはうつくしい乙女”などです。

 見てくれはいささか劣りますが、味のほうは遜色(そんしょく)なく……」

「なぁにが遜色(そんしょく)ないだ! あんなもんは“うつくしい乙女”じゃねえ!」

 遠くから聞こえた怒声は、板前のものである。輸入業者は苦笑する。

「ま、私のような庶民に充分な程度にはね。ともあれ、ここ30年ほどは、市場の大半を代替品種の輸入でまかなっていたような、そういう状況であったわけです、はい」

 ぺこりと頭を下げて、輸入業者が(だん)を下りる。と、それを待っていたように別の手が上がった。いちいち壇上に上がらせるのも面倒になり、助手に命じて魔法拡声器を持っていかせる。立ち上がってマイクテストをしている背広は、政府関係者である。

「あー、あー、あのね、僕、通産省です。

 いっときますが、今後はもう輸入は無理ですよ」

「なんでだー?」

「向こうの代替品種も個体数激減してんだよ! 貿易交渉でカードに使われて大変だったんだ! おまえんとこは世界中の“うつくしい乙女”を食い尽くす気か! ってスゴイ剣幕でねっ!」

「そこをなんとかするのが通産だろー」

 横手から飛んできたヤジに、通産省がキレた。

「うるせー農水! てめーんとこの大臣、業界団体から献金されてんだろ!」

「あっ、根も葉もない! 通産こそ接待漬けのくせに!」

「やかましーっ! 交渉の邪魔なんだよ! “うつくしい乙女”なんか業界ごと絶滅しろーっ!」

 その口げんかを皮切りに、議場の一同がそれぞれてんでバラバラ、好き勝手なことを言い始める。

「うーん、供給が減ったらね、我々小売としちゃあ困るので」

「これはあれかな。ひとつ、いっせーのーせで値段を上げて、ウチらの粗利(あらり)は確保するってことで」

「それは搾取だ! 談合反対! 低価格での安定供給を求める!」

「だれきみ?」

「消費者団体」

「とにかく本物の“うつくしい乙女”をよこせ! 味もわからねえあんぽんたんどもが!」

「黙れ板前っ」

「えー、生物学的見地から言いますとー、この問題は……」

「大事なのは供給がないものでも売りぬく広告だよ。広告。キャッチコピーで解決する」

広告代理店(おまえんとこ)はいつもそれだ」

「あ、明日の記事ね、見出し入れといてくれる? 『“うつくしい乙女”絶滅!? 食べるなら今のうち!』……」

 

 

「やあぁっかましいっ!!」

 

 

 ドクター・ゲイナンの激怒が、議場をしんと静まらせた。

 ついさきほどまでツバを飛ばし、なかば取っ組み合いの様相で怒鳴りあっていた有識者たちが、凍りついたように演台に注目する。助手が音もなく歩み寄り、ドクターの心を的確に読んで、彼の求めるものを差し出した。すなわち、声量MAXに調整された魔法拡声器である。

「もはや、“うつくしい乙女”の絶滅を避ける方法は、たったひとつしかない」

 有無を言わさぬ迫力で、ドクターはぴしゃりと言い放った。

「たった今! 即時! “うつくしい乙女”の完全禁猟! 流通の禁止! これを周辺各国とも共有! これしかない!」

「そんなの無茶だ!」

「無茶でもやるしかない!

 いいか? はっきり言おう。これだけのことをやっても、それでも“うつくしい乙女”の資源量が回復するかどうかは怪しい! 今、我々はそれほどのところにまで追い込まれているんだ!!」

 誰も、反論するものはなかった。

 だが納得したわけではない。ただ、聴衆はこう思っていただけだ。理屈はわかる。だがそんなことは実現不可能だ。周辺諸国は禁猟など納得しないし、闇業者の摘発は困難だし、なにより――大衆はそんなことお構いなしに“うつくしい乙女”を求め続けるだろう、と。

 身じろぎすらなく、衣擦れの音ひとつなく、しんと張り詰めた静寂が横たわり……

 やがて、ひとりがおずおずと手を挙げた。

「あの……」

 全員の目がそちらを向く。見れば、みすぼらしいヴァンパイアであった。正装はよれよれで、着慣れていないことは誰の目にも明らか。ただ、にぱりと、垢抜けない、憎めない笑顔を浮かべている。

 ドクターが目配せすると、助手が拡声器を持って飛んでいった。

「あの、(わたス)、北部の、農家の代表で、来まスたが」

「承りました。ご意見をどうぞ」

「あのォ……代替の品種っていうんじゃねえけども、代わりンなる食い物がありますんで」

 ざわめきが走る。

「それは?」

「“うつく()い少年”」

 農家は、連れに合図をして、彼の自慢の()()をステージに上らせた。薄絹を身に(まと)い、細い手足を衆目に(さら)し、耐え難い羞恥(しゅうち)と、絶望に満ちた諦めに、目を伏せ、しずしずと歩むその姿。誰もが息を呑んだ。なんと素晴らしい、“うつくしい乙女”たち――

 いや、違う。乙女ではない。少年だ。これが“うつくしい少年”なのだ。

 まさか、これほどのものとは!

「マアその、見てのとおりでスて、はい」

 農家がにこりと笑う。

「なかなか、ようございましょう。少()筋張(すじば)ってて、食べてみるとちょっと違いますけども、味付けでだいぶん分からなくなりますし。人によっちゃ、“うつく()い乙女”よりいいと、そうおっしゃるかたも、おるくらいで。

 ()かも“うつく()い少年”なら、あっちこっちに、まだまだたくさんおります。これで、問題は、解決すんでネェかと」

 途端。

 スタンディングオベーションが議場を包み込んだ。あらゆる参加者が満面の笑みで手を叩き、この新発見を歓迎した。なにより、壇上に(さら)された“うつくしい少年”たちの美貌が、彼らの心を完全に捉えていた。これなら誰もが納得する、そう思えるだけのものを、“うつくしい少年”たちは持っていたのである。

 だが――鳴り響く拍手の中にあって、ただひとり、ドクター・ゲイナンだけが苦虫を噛み潰していた。

 やがて彼は静かに(だん)を下り、助手と共に、声もなく議場を後にしたのである。

 

 

 

(つづく)

 


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