勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第2話-03 9は3で割り切れる

 

 

 夜の裏通りを一匹の犬が歩いている。

 青白い月の光を浴びて黒々と輝く毛並みは、明るい陽光の元でなら鮮やかな深紅に見えただろう。堂々たる体躯を踊るように揺らし、しなやかで強靱な脚を軽やかに運び、犬は月夜の散歩を満喫していた。

 どことなく、その足取りに美しさすら感じられるのは気のせいだろうか。

 気のせいではあるまい。彼女は緋女(ヒメ)だ。

 獣人(ライカンスロープ)――狼亜(ローア)族の緋女(ヒメ)にとって、夜の散歩は日課のようなものだ。街を闊歩(かっぽ)するとき、彼女はもっぱら犬の姿でいることを好む。不思議な魔法の力によって服も剣もまとめて変身してしまえるから不便はないし、人間でいるより身軽。鼻も夜目も利くこの体なら、見えない物が見えてもくる。

 それが今夜は幸いした。貧民街にさしかかったころ、緋女(ヒメ)の鼻が不快な臭いを捉えた。ご機嫌な月夜の散歩が一瞬にして血生臭い緊迫の下に塗り込められる。よく知っている臭いだ。血の臭い。それもこれは――

 思うのと、四つ足で駆け出すのと、一体どちらが先だったのか。

 緋女(ヒメ)は地を蹴り、塀を伝い、長屋の屋根を跳び越えて、矢のように貧民街を駆け抜けた。一直線。目指すはわだかまる不快の源。血の臭い。

 臭いのもとへ辿り着き、野次馬が作った人垣をひとっ飛びに跳び越え、その中心に着地すると同時に人間へと変身する。靴底で砂埃を蹴り上げながら、緋女(ヒメ)は覆い被さるように彼のそばに(ひざまず)いた。

「ヴィッシュ! 起きろこら!」

 ヴィッシュは血だまりの中、月を仰ぎ見るように横たわっていた。緋女(ヒメ)が見たところ、腕と腹にかなり深い傷がある。一目で分かる、刀傷だ。

 緋女(ヒメ)の中にあった赤くて熱くて激しいものが爆発のように拡大した。髪が逆立つ。八重歯が血を求めて剥き出しになる。

「誰がやった!? ぶった斬ってやるっ!!」

 睨みつけるように周囲を見回すが、目に入るのは罪もない野次馬ばかり。どいつもこいつも、貧民街の住人達だ。武器を持っているやつなどいない。ヴィッシュほどの剣士をこんなにできるやつなど居ようはずもない。

 そのとき、ヴィッシュが小さく呻いて意識を取り戻した。

緋女(ヒメ)か……?」

「こんなかわいい子が他にいるかよ。おい、お前、死ぬんじゃないよな!?」

「……ちょっとしくじっただけさ」

 眼を細め、ヴィッシュは青い月を見る。

「死んでたまるか」

 どこからか聞こえてくる。

「死んでたまるかよ」

 夜鳴きする蝉の声。

 

 

     *

 

 

「魔族ぅ?」

 箸でつまんだ綿を傷薬のビンにペタペタ浸けながら、緋女(ヒメ)は思いっきり眉をひそめた。

「なに、お前、そんなもんに負けちゃったわけ?」

 何も言い返せず、ヴィッシュは渋い顔であった。

 あの天恵の者(カリスマ)に敗れたヴィッシュは、危ないところで野次馬たちに助けられた。派手なチャンバラ音を聞きつけた興味本位の観客たちを嫌い、敵は舌打ちしながら立ち去ったのである。人の目が集まるタイミングがもう少し遅ければ、ヴィッシュはとどめを刺されていただろう。

 間一髪。薄氷の上を幸運にも渡りきった、というところか。

 その後、緋女(ヒメ)に助けられたヴィッシュは、自宅まで運ばれ、手当を受けた。内臓にまで届いていた脇腹の重傷は、カジュの魔法で即座に治され、その他の細々した傷には薬が塗られた。その間ずっとヴィッシュは眠りこけていて、気が付いたら翌朝だったのだ。夜が明けたら、薬を塗り直そうということになって、体中の細かな傷に……

 べちゃっ。と、濡れたワタが擦りつけられた。

「痛ッてえ! もっと丁寧にやれよ!」

「ピーピー言うんじゃねーよ。そんなだから魔族とかに負けんだぞ。あんなの狩りの獲物じゃんか」

「簡単に言ってくれるぜ……」

 ヴィッシュは力なく溜息を吐く。

 緋女(ヒメ)の言うことも、乱暴だが正論ではある。言い返せないのが辛いところだ。

 魔族というのは、10年前、全世界相手に戦争をふっかけてきた魔王ケブラーの一族である。外見は人間とよく似ているが、体つきがやや華奢で筋力や体力に劣る。その代わり、手先の器用さと魔法の才能については、人間の及ぶところではない。ある政治的理由によって、“第11条指定種(エルフ)”とも呼ばれている。

 ヴィッシュを完膚無きまでに叩きのめしたあの男は、紛れもなく魔族であった。魔王軍の生き残りを始末するのが後始末人の仕事。そしてヴィッシュはこの道10年の大ベテラン。緋女(ヒメ)の言うとおり、魔族は獲物の一種に過ぎないのだ。それにこうも簡単に破れたとあっては沽券に関わる。沽券は信用に関わり、とどのつまりは、収入に関わる。

 ヴィッシュが落ち込んでいると、薬の買い足しから戻ったカジュが、

「お客さんだよ。」

 と、男をひとり連れてきた。演劇に使う仮面のように不気味な事務的笑顔を浮かべた、身なりのきちんとした男だ。

 ヴィッシュは眉間に皺をよせ、緋女(ヒメ)の体をどけながら立ち上がった。あまり歓迎したい客ではなかった。こいつが来ると、いつもロクな目に遭わないのだ。

「ごきげんよう。後始末人協会のコバヤシでございます」

 コバヤシと名乗った男は、定規をあてたように背筋を伸ばして、気さくに会釈を送ったのだった。

 

 

     *

 

 

 黒海牛の革をなめしたジャケットは、縁取りに金糸のさりげない装飾が入っていて、この男のために存在するかのごとく似合っていた。コバヤシはヴィッシュの向かいの寝椅子に腰掛け、カジュが出してくれた白湯を丁寧に啜っている。

 落ち着き払った礼儀正しい態度であったが、この男の場合、どんな礼節も笑顔も涙も、驚きや恐怖ですら道具に過ぎない。自分の体が放つありとあらゆる情報を、相手を誘導する手段としてのみ用いる男だ。

「いや、私も嬉しいですよ。あなたがたにチームを組んでいただけて」

「別にチームなんざ組んでねえ」

 にこやかなコバヤシに対して、ヴィッシュは仏頂面のまま目を合わせようともしない。つい先日の、緋女やカジュと出会った事件のときも、そもそもの発端はこの男が持ち込んできた依頼だったのだ。妙な居候に押し掛けられたのも、元をただせばコバヤシのせいなのである。

 そんなヴィッシュの内心を知ってか知らずか、コバヤシは天井に視線を送る。3階の部屋に引っ込んだ緋女たちの様子を想像しているのだろう。

「そうなんですか? 彼女たち、ここに住んでるんでしょう?」

「あんたのおかげで、とんだ苦労させられてるよ」

「しかし、ヴィッシュさんも明るくなりました」

 言われてヴィッシュは、苦虫を噛み潰したような顔してそっぽを向く。確かにそう。コバヤシの言う通りなのだ。多少は自覚していただけに、指摘されると余計に腹が立つ。

「……で? 始末の話か」

「ええ。本部から手配書が回って来ましてね」

 強引に話題を変えるヴィッシュに、コバヤシはにこりと笑って、懐から取り出した巻物を広げてみせた。質の悪い(わら)紙には、共通語で書かれた名前と特徴、それから見事な筆致で描かれた似顔絵。

 ヴィッシュは片方の眉を持ちあげた。どこかで見たような顔だ。それも、つい最近。

「魔族の剣士です。名前はゾンブル・テレフタルアミド」

「おい、その名前は……」

「テレフタルアミド王家――由緒正しい魔王の血統です。もっとも、かなり遠縁だそうですが」

 ヴィッシュは大きく深呼吸して、それから盛大に溜息を吐いた。寝椅子の背もたれに体を投げ出す。板張りの天井を仰ぎ見る。ほらみろ、この男が来るとロクな目に遭わない。

 魔族の剣士ゾンブル。昨夜ヴィッシュを叩きのめした、あの男だ。

「どおりで、取り巻きどもを引き連れてるわけだぜ……」

「は?」

「なんでもねーよ。敗残兵がすがりつくには、もってこいの天恵の者(カリスマ)ってわけだな」

「そうですね。既にこの男、魔族の残党を集めて、十数人規模の野盗団を組織しています。しかも、その組織の活動が最近活発化していまして」

「近所の村でも襲われた、か?」

「ええ。皆殺しにされました」

 ヴィッシュは目を丸くする。

「……マジかよ」

「マジなんです」

「キレてやがるぜ……後先考えてないのか」

「そこがどうにも不気味というわけで。後始末人協会としては、これ以上看過できません。しかしかなりの強敵ですので、ここは、第2ベンズバレン支部きっての優秀なチームにお願いしようと」

 一体何が嬉しいのやら、上機嫌にコバヤシは小さな革袋を取り出した。テーブルに載せるとき、コインがぶつかり合う素敵な音が、袋の中から漏れ聞こえてきた。袋の口を開いてみれば、中にはぎっしり詰まった金貨。

「前金で4000。後金でもう4000。いかがでしょう」

 協会も奮発したものだ。あるいは、国か市長あたりから大口の依頼を取りつけたのか。いずれにせよ相場の倍は行っている。相手は魔族が十数人以上。ヴィッシュひとりでは絶対に請け負えない仕事だが、今の彼には強力な剣士と術士という手駒がある。この戦力なら充分に対処できる相手だ。

 ヴィッシュは金貨に手を伸ばした。

「ま、そんじゃ引き受け――」

 と、彼の手が止まる。

「合わせて8000か」

「8000です」

 少し考え、

「やっぱやだ。後金を5000にしてほしい」

「珍しいですね、あなたが報酬を上げにかかるなんて。何か急ぎでご入り用で?」

「別に。危険手当だよ。ヤバい相手だろ」

「……ま、よろしいでしょう。その代わり、今後とも()()()()お願いしますね」

 悪魔の笑みを浮かべるコバヤシに、ヴィッシュは口をへの字に曲げた。ああ、やだやだ。おかげで、次に依頼が来たとき断りづらくなってしまったじゃないか。それというのも、全てはあいつらの――

 そのとき、確信めいた直感が、不意に頭をよぎった。

「……おい、あんた」

「はい?」

「ひょっとして、緋女(ヒメ)たちとケンカになったあの一件……俺たちを組ませるために、あんたが仕組んだんじゃなかろうな?」

 コバヤシはにこりと笑って――これは珍しく、作為のない本物の笑顔のように見えた。

「ご想像にお任せします」

 

 

     *

 

 

 コバヤシが帰った後、ヴィッシュは背もたれに体重をかけたまま、じっと金貨の詰まった革袋を見つめていた。40枚の金貨。かたぎの人間にはひと財産だ。とはいえ、それも彼の空しさを埋めてはくれない。金は最も安定な金属で、腐食しにくく、重く、柔らかく、光沢がある。ただそれだけだ。柔らかすぎて実用性には乏しい、ただの金属だ。

 こんなものが欲しいのではないのだ。

 しばらくして、上の階にひっこませていた女ふたりが、階段を軋ませながら下りてきた。獣のように軽やかな足取りと、夜の森のように静かな足取り。いつものように、背もたれの上で体をそらし、背後に立っているふたりを逆さまに見上げる。

「コバヤシ、なんだって?」

「仕事さ」

 ヴィッシュはテーブルの革袋をつまみ上げ、重みのある金貨をジャラジャラと得意気に鳴らして聞かせると、子供のように無邪気な笑みを浮かべたのだった。

「ひとり頭3000だ。乗るかい?」

 

 

 

(つづく)

 


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