30組60人が消えた。
異様であった。寮の部屋には荷物ひとつ残っていなかった。いつ、どこへ行ったのか、見た者は誰もいなかった。先生に尋ねても曖昧に微笑むばかり。何より他の生徒たちを――カジュも含めて――戦慄させたのは、彼らが消えたのが第四次中間試験の翌日であったということ。消えた面々が、成績の下位から数えてきっかり30組であったということ。数日後、何事も無かったかのように張り出された成績表からは、彼らの名すらも消えていたということ。
集団脱走――などと思う生徒はひとりもいなかった。
きっとどこか他の学校か部署へ異動させられたのだ、成績に応じたどこかへ。表向き、そういうことで誰もが納得した。
だが噂はまことしやかに流れた。
彼らは異動させられたのさ、《死》の国へ――と。
思えば、ここに至るまで、ニ号館の生徒たちは考えた事もなかったのだ。
寮の部屋で、いつもの勉強机に
そこへクルスがやってきた。いつもの、何も感じていないかのような無表情で。
「勉強、しよ。」
「うん……」
カジュは生返事を返したが、手はペンひとつ握れなかったし、魔導書のページひとつめくれなかった。
ただならぬ彼女の様子に、クルスが首をかしげる。
「どうしたの。」
「知ってるでしょ? 同級生が消えたんだよ」
「処分されたんだね。」
ぞっとして、カジュは彼の顔を見た。彼の表情には、恐れも
「何とも思わないの?」
「思ったより早かったと思ったよ。最終試験でまとめて削るんだとばかり。」
「え……」
「キミたちにプレッシャーをかけるつもりなんだと思う。」
「そうじゃなくて! 怖くないの!? カジュたちだって……!」
椅子を蹴って立ち上がり、カジュはクルスに食ってかかった。苛立ちと恐怖を八つ当たり気味にぶつけてしまっているのは分かっていた。しかし、そうでもしなければ、どうにかなってしまいそうだった。怖くて、胸が苦しくて――
だがクルスは、落ち着いて、優しく、カジュを抱きしめた。
突然のことに、カジュは驚きすら覚えられないほど驚いた。嫌がるとか、突き飛ばすとか、そういうそぶりを見せることさえ忘れて、ただ彼のからだの暖かさがありがたくて、抱かれるままに彼の胸に耳を擦り寄せた。
「大丈夫。怖くなんかないよ。」
「カジュは怖いよ……」
「怖くないよ。だって、どうせすぐ死ぬもの。」
カジュは、彼の胸を突き飛ばすようにして、彼から離れた。
「なんだそれ?」
「誰にだって《死》は訪れる。《死》は怖いお
死ぬまでの僅かな時間で、自分のやりたいことを成し遂げられたら、それでいい。ボクはそう思う。」
「そんな理屈で怖くなくなったら苦労しないよ!」
ときめいて損した。カジュはどっかりと椅子に腰を下ろした。こんな奴に心を許してしまった自分に腹が立つ。腹が立つと、なんだか無性に勉強したくなってきた。要するに、勝てばいいのだ。
「ほら、座って! さっさと始めるよ!」
「うん。今日は修辞的疑問文の係数計算を復習したいな。」
「おっけ。カジュも気になってたとこ」
しばらくの間、部屋の中はペンを走らせる小気味よい音と、ふたりの息づかい、そして時折交わされる議論の声だけに満たされた。たっぷり夕暮れまで勉強を進めて、疲れ果てたふたりは小休止をとった。
その時、ふとカジュの頭に疑問が浮かんだ。さっきの話で、どうしてもひとつ、心に引っかかることがあったのだ。
「ねえ」
「なに。」
「クルスはさ、やりたいことって、あるの?」
「あるよ。」
「何?」
「ひみつ。」
思いっきりジト目で睨んでやった。クルスは気にしてもいない。軽く微笑んだだけだ。
「そういうカジュは、何がやりたいの。」
「え? えーっと、それは」
沈黙。
天井を見上げ、腕を組み、考えふける。
その答えもでないまま、外では、降り始めた雪がセカイを真っ白に染め始めていた。
*
それから半月余り。死月も半ばを過ぎた。生徒消失事件について口に上ることもなくなった。忘れられたわけではない。仮説が一通り出そろい、決定的証拠の不足から結論を出せないことが明らかとなり、議論の価値がなくなっただけの話だ。
あの事件の記憶そのものは、あらゆる生徒の心に
そんな折、新たな事件が起きた。
リッキー・パルメットが消えた。
午前の授業にリッキーが出席していないことが、ちょっとした騒ぎになった。先生たちは
熱心な捜索の甲斐もなく、昼休みになっても彼の姿は学園のどこにも見出されなかったようだった。昼食を手早く済ませたカジュとクルスは、自分たちでもリッキーを探してみようと、校舎の中をうろつき回った。
その途中、廊下の角を曲がりかけたところで、出くわしたのだ。その場面に。
職員室前で、壁に手を突き、今にも倒れそうになりながら、ロータスが必死に何事かを先生に訴えていた。彼女の顔面は蒼白だった。体調を崩している――それもかなり深刻に――のは、誰の目にも明らかだった。
何も考えずそちらに近づこうとするカジュの腕を、クルスが引っぱった。ふたりは曲がり角の手前に身を隠し、密かに話を盗み聞いた。
「リッキーは……わ、わた、わたしを……助けようと、モノモ草を……山に……!」
モノモ草。薬草の一種である。かなり標高の高い山にしか生えない多年草で、その葉や実には生命の魔力が満ちている。昔から万病に効く薬とされてきたが、今では似たような成分が合成できるようになり、少なくとも
つまるところ、ロータスが病気になり、それを治すべくリッキーは山に入ったのか。それも、この真冬の雪山に! カジュは窓の外を見た。朝から降り出した雪は吹雪の様相を
それにしても、医務室に行けばちゃんとした治療が受けられるだろうに。なんでわざわざ、雪山に薬草取りなんか行くのやら。
「……なるほどね。」
だが、隣のクルスは納得したようだった。カジュには、彼の
その時、黙ってロータスの話を聞いていた先生の声が、こちらに漏れ聞こえてきた。
「残念だが、この吹雪では捜索隊は出せない。二次遭難の危険のほうが高い。リッキー・パルメット君のことは諦めると、職員会議で結論が出た」
「そんな……! あの……!」
先生はすがりつくロータスを振り払い、冷たく職員室に入っていった。ぴしゃりと戸が閉められた。ロータスは力尽き、その場にくずおれた。慌ててカジュたちが駆けよる。彼女を抱き起こそうと体に触れると、その肌は火のように熱い。
「……これ、やばくね?」
「限界なんだ。」
「は?」
「技術部がいい加減な仕事をしてる……。彼女の部屋に運ぼう。」
「それより医務室でしょ?」
「無駄だよ。診てくれないから。」
クルスは無言でロータスの脇に腕を通した。彼に促され、カジュも反対方向から同様にする。ふたり力を合わせてロータスを担ぎ上げ、廊下をゆっくりと歩き出す。歩きながら、ぽつりとクルスは呟いた。
「助けに行こう。」
ふんっ、とカジュは鼻息吹いた。
「あったりまえだよ」
*
意識を失ったロータスを部屋に寝かせ、ふたりは二号館の屋上へ飛び出した。吹雪がふたりの前に立ちはだかる。だからどうした。こっちはカジュだ。
カジュは杖を天に掲げ、指先で魔法陣を描き、圧縮呪文を口にする。最速最精密の呪文構築。完成まで僅か1秒。
「《広域探査》……ビンゴ!」
人など他にいるはずもない雪山だ。リッキーの居場所を探り当てるのは造作もない。それは確かにそうなのだが、横のクルスが微笑むのを見ると、なんだか腹が立ってくる。
そのうえ、まるでこっちの考えを読んでいるかのようにクルスが言う。
「サボってるボクを探すのに比べたら楽勝だよね。」
「自分でゆうな」
と、彼がいきなり、カジュを後ろから抱きしめた。吐血するかと思った。
「うへおあぁ!? なにっ!?」
「大丈夫、ボクに任せて。」
クルスが早口に呪文を唱えた。《風の翼》だ。クルスの術が発動し、ふたりの体は空に舞った。雪に阻まれ視界も定かならぬ冬の空へ。こんな状態で飛んだら顔中雪だらけになってしまうかと思ったが、不思議なことに、雪は彼らの体に当たる直前に、見えない壁にぶつかって蹴散らされていく。
どうやら彼の術にはアレンジが入っていて、体の周囲を結界で包んでいるらしい。いつのまにこんな術を組み立てたのやら――というより、よもや、今即興で考えたアレンジではあるまいな。なにしろアドリブ好きで無計画な男なものだから。
ともかくこれで、雪山までひとっ飛びだ。視界がホワイトアウトしようが関係ない。カジュが術でリッキーの居場所を探知し続け、クルスをナビゲートすれば済むこと。カジュは真っ白な空の一点を指さし、
「あっち!」
「分かった。」
背筋がぞわぞわした。
「うひっ! ちょっと、喋らないでくれる?」
「なんで。」
「息が変なとこあたる……」
「変なとこって。」
「だから喋るな! 分かってやってんでしょ!」
やいのやいのと騒ぎながら、ふたりの姿は吹雪の中へ消えていった。
*
ほどなくして、リッキーは山頂付近の崖下で見つかった。
岩場に倒れ、体の半分ばかりを雪で覆われた状態で――危険な状態なのは一目で分かった。ふたりは慎重に舞い降りると、リッキーの側に駆けよって彼の体を揺すった。耳元で声を張り上げる。うっすらと、リッキーがまぶたを開いた。
「カジュ……クルスもか……」
意識はあるようだ。まずは良かった。カジュはニヤリと笑って、
「貸しだからね。後でプリン、オゴってね」
「ダメだ……オレ、もうダメだよ……」
「弱気になったら本当に終わるよ。」
クルスの助言も、弱り切った彼には通じないようだった。リッキーは残る力を振り絞って、右手をカジュの方に差し出した。手にはしなびた草が握られている。特徴的なギザギザの葉――裏に生えた短い毛で類似の毒草と識別できる――間違いなくモノモ草だ。
「頼む……これ、ロータスに……」
「嫌だね。生き残って、自分で渡しなよ」
「はは……きっびしいなあ、お前……」
とは言ったものの、どうしたものか。空模様は酷くなる一方。吹雪は今や嵐へと姿を変えていた。自分ひとりならともかく、とても他人を抱えて飛べるような状態ではない。リッキーの魔力は尽きかけているし、ここで夜を明かすのも危険。となれば。
カジュはクルスに目を向けた。
「《瞬間移動》で校舎に送ろう。そのあとカジュたちは《風の翼》で帰ればいい」
「手伝うよ。」
「うん」
ふたりは指を走らせ、リッキーの体を中心にして魔法陣を描き始めた。青白いカジュの魔力光と、赤いクルスの魔力光が、絡まり合ってひとつの紋様を紡いでいく。《瞬間移動》は大技だ。ここから校舎まで人間ひとりを転送するとなると、独力では気絶ギリギリまで魔力を消費してもなんとかいけるかどうか、というところ。しかし、ふたりがかりでなら安定して術を構築できる。
やがて魔法陣は完成した。あとは術を発動するだけ。
だが、その瞬間。
カジュたちの頭上で、低い獣の唸りのような音が響き渡った。
見上げれば、山が――山肌が落ちてくる。
雪崩である。
術は発動直前。今、主術者のカジュが持ち場を離れれば何が起きるか分からない。クルスは反射的に陣を離れ、カジュを
雪の怒濤がふたりに迫る。それが小さな子供達を飲み込む直前、クルスの術が発動した。
「《石の壁》。」
ずどんっ!
地面から巨大な石壁が天高くつきだした。だがこの程度で雪崩の勢いは防げない。そこへさらに次の術。
「《凍れる刻》っ。」
一定範囲の時間を停止させる大技。対象は、いま立てたばかりの《石の壁》。
時間停止した物体は、術の効果時間が切れるか解除されるかするまで、一切動けなくなる。本来は対象の動きを封じるための術である。だが一切動けないということは、一切
雪崩が壁に激突し、白い飛沫を上げて弾け飛んだ。
*
ほどなくして、雪崩の音が完全に収まり、あたりを包んでいた白い粉雪が晴れてきた。どうやら助かったようだ。とはいえ、すぐにこの場を離れねばならない。《凍れる刻》の持続時間は短い。もはや効果は切れている。彼らを守ってくれた《石の壁》が、いつ、積み重なった雪の圧力に耐えかねて崩れ落ちるか、分かったものではない。
クルスはカジュの方に目を遣り、目を見開いて、彼女に駆けよった。
リッキーの姿はもはやない。《瞬間移動》は成功したようだ。
だがカジュは、雪の中に力なく倒れ、身動きひとつしていなかった。
明らかに、魔力枯渇の症状であった。
(つづく)