魔王が持ち込んだ魔獣の中でも、極めて厄介なもののひとつである。
鱗が羽毛状である点で鳥に似ているが、四肢と翼を併せ持つ骨格構造から六肢類――つまりは
なのだが……
*
「ヤバいのは奴らの生殖方法なんだ」
ヴィッシュが土の上に、簡単な塔の図解を描きながら説明していく。
「
「あの塔だね。」
「ああ……ひとつの塔に産み付けられた卵は少なく見積もっても2万個。時にはそれ以上。この数の雛が1日から5日ほどで一斉に
本格的に
「どうやって?」
「頂上にいる母親を倒せばいい。戦ってみて分かったろ? 塔の雛たちは母親にコントロールされていて、外敵が近づいたら未熟な状態でも
「ま、母体を守る一種の要塞ってなとこだが……そこが弱点にもなる。親さえ仕留めてしまえば
「はいボス。しつもん。」
「どうぞカジュくん」
「どうやって登るんすか。空からは酸の雨でとても近付けないんすけど。」
「……いい質問だ」
ヴィッシュは苦虫を噛み潰したような顔で、塔の上を睨み上げた。今ごろ頂上では、母竜がのうのうと昼寝でも食らっていることだろう、腹立たしいことに。
「そこだよ。ほんと……そこなんだよなぁ……」
*
「ほんっと……! これがっ……! 気が滅入るんだよ……なああっ……!」
ヴィッシュは愚痴を垂れ流しにしながら、次の手掛かりに腕を伸ばした。下を見れば地面は遥か彼方。横手を見れば見渡す限り広がる第2ベンズバレンの街並。ああ、絶景かな。これで、絶壁の素登り中でさえなければ。
対空砲火を避けて頂上にたどり着く方法は、極めて単純。
ヴィッシュは過去に2度、これと同じ仕事をしたことがある。最後に塔を登ったのは7年前。あの頃でも充分に辛かったが、7年分歳をとった今では、消耗が骨身に染みわたるようだ。
――俺も歳食ったなァ……なんて思いたくはねェが。
疲れる。時間かかる。そして何より、地味。もう少し華やかであったり変化に富んでいたりするならまだ耐えられただろうに。称賛もなくピンチもなく、ただひたすらにキツい仕事を淡々と続けなければならない……このしんどさは、まるで人生そのもののようだ。
ところが隣では、
「ホラ。がんばれよ。あとちょっとっ」
「なんか、すまんな」
「んー?」
「俺は足手まといみたいだ」
「それキライ」
チクリと刺すような言葉に驚いて、目を向けてみると、頬が擦れそうな距離に
「テメーが何したか考えてみ?」
「そりゃあ……支援の段取りつけて。敵の正体調べて。作戦を立てた?
……仕事はしてる、か」
「ん」
「まあ、それはそれとして、今度ちょっと鍛え直してみるかなあ」
「すき」
「ありがとうよ」
そこにカジュから《遠話》が飛んでくる。
〔イチャつきやがって。撃つぞコノヤロウ。〕
「勘弁してくれ」
〔じゃさっさと移動してくださーい。左上方卵みっつぶん先で
言われてそちらを見上げてみれば、確かに、薄くなった卵殻の中でモゾリモゾリと動く姿が透けて見える。
ヴィッシュは冷や汗が額を伝うのを感じながら、小さく囁き声を返した。
「……了解」
*
カジュの仕事は、手近な建物の屋根に待機、塔の様子を観測して
昼食の肉はさみパンをもぐもぐとやりながら、カジュは観測用の水晶玉を指で叩いた。即席で術式を構築し、《魔法の目》で集めた情報を分析していく。今のところ異常はない。万事順調……の、はずなのだが。
彼女の喉から低い唸り声が漏れる。
「……なんか変だな。」
*
一方、ヴィッシュたちは塔の先端まで残り10m弱のところまで進んでいた。果てしない崖登りも、ようやく終点が見えてきた。体力もいよいよ限界近い。そしてなにより、
「あぁー腹減ったァー!」
「畜生めっ。仕留めたら食ってやろうぜっ」
「え、あいつら? 食えんの?」
「極めて美味」
「まじか」
「肉質は鳥に似ているが、味はむしろ引き締まった牛の赤身に近い。噛めば噛むほど旨味が湧いてくる感じでな。胃袋にガツン! と来るんだなあコレが」
「そんで!?」
「煮てよし焼いてよしだが、俺ァシンプルに炭火で串焼きが最高だと思うね」
「塩? タレ?」
「ゆず胡椒」
「あーっ!! いい! いいなー!! まじかー!!」
「酒はパワフルに辛口の
「いやーあぁー! 死ぬー!!」
と、ふたりで盛り上がっていると、ぱきり、と気味の悪い音が聞こえてきた。目を向けてみれば、横手の卵に大きなひび割れが走っている。
その時、さらにふたつみっつの破砕音が重なった。いや、ふたつみっつどころではない。視界内にあるほとんど全ての卵が同時に
ヴィッシュたちの背筋にゾッと冷たいものが走った。
「おい、なんだよこれ」
「まずいぞ、まさか……」
そこにカジュの《遠話》が舞い込み、予想通りの報せをもたらした。
〔ヤバいよ。塔全体で雛が
「一斉
早すぎる。これは完全に想定外であった。卵が産み付けられてから僅か半日足らず。これまで見聞きした中で最短の事例より、さらに丸一日分は早い。
このタイミングでは、卵の中の雛はまだ充分に育ちきっておらず、飛ぶことさえままならない。当然、塔の高所から生まれ落ちた雛は大半がそのまま墜落死してしまうはずである。
そのリスクを承知の上で、母竜は早期に一斉
「……一体何を焦ってるんだ?」
だが、今は詮索していても仕方がない。動揺などはなおさら邪魔だ。素早く頭を切り替えて、作戦の修正案を立ち上げる。
「カジュ! 雛の数が増えれば壁も食い破られる。街に出さないように食い止めてくれ!」
〔イエス、ボス。〕
「
「任せなッ!」
類まれな脚力で卵から卵へ次々に飛び移り、ついでにヴィッシュの進路上で産まれた雛を何匹か斬り捨てながら、みるみるうちに駆け上っていく。最後のひとっ飛びで塔の頂上に躍り出ると、華麗な宙返りを決めて着地した。
塔の上は、中央がくぼんだスリ
『――思ったより早い到着だったな、人間よ』
うおっ、と
「喋れんの?」
『人間ふぜいの原始的な言語など、我ら上位者が操れぬはずもあるまい?』
「なんかよく分かんねーけど……
じゃあさー、迷惑だからどっか行ってよ。ここはあたしらの縄張りだからよ」
竜は、何か咳き込むような音を発して――ひょっとすると、笑い声だったのかもしれない――こう答えた。
『いかにも獣の言いそうなことだ。
ちょうどよい……食料を獲りに行く手間が省けたわ!』
竜が叫ぶと同時に、
だが、
――言葉は通じても話は通じねーか。
一閃。
なんたる速さ!
まさに電光石火の早業。想定外の事態に母竜がたじろぐ。雛を片付けた
竜は慌てて身を捻り、辛うじて身をかわした。地面に食い付いた
人間離れした
『化物め!』
「てめーが言うなッ!」
続いて産まれ出た雛たちが、またしても
その上ここでは、雛たちが母竜の指示のもと、効率的な陣形を組んでさえいる。まず数匹が遠巻きに
ジャッ、と脂の焦げるような音がして、周囲から幾筋もの矢が飛来した。カジュを悩ませた酸の矢を、遠くの雛たちが吐き出したのだ。
彼女の身体は風となり、いとも容易く酸の雨を振り切った。その行く手を狙ってさらなる酸が襲いかかる。が、進路を切り返し、飛び上がり、あるいはひたすらに駆け抜けて、絶え間なく降り注ぐ矢をことごとくかわし切る。
雛たちも黙って見てはいなかった。横陣になった雛たちが
ここまでがわずか数秒のこと。
次々に屠られていく雛たちを見て、母竜は戦慄した。
――とても
決断するや、竜の行動は早かった。自分の前で壁にしておいた雛たちを、
母竜は逃げにかかったのだ。せっかく我が身を痛めて産んだ卵塔は惜しいが、命には換えられない。母が生き長らえるための時間を稼いでくれたなら、それだけで産んだ価値があったというもの。子供はまた作ればよい。
だが、致命的なことに、竜は気づいていなかった。
時間を稼いでいたのは、狩人のほうも同じだったということに。
母竜が大きく翼を広げた、そのときだった。
突然背後から振り下ろされた剣が、片方の翼を半ばから切り落とした。
『ギャッ!?』
悲鳴とともに振り向けば、そこにいたのは、もうひとりの狩人――ヴィッシュ。
これが彼の立てた作戦だったのだ。
そこで
今や竜は全てを悟っていた。だがそれはあまりにも遅すぎた。
『おのれ! 身をやつしさえしなければ!』
痛みと恐れを怒りによって塗り潰し、竜はヴィッシュに襲いかかった。大槍のようなクチバシが、ヴィッシュの首に向かってくる。
が、その槍が届くことはなかった。
雛たちを蹴散らした
(つづく)