勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第6話-02 バッドフェロウズ

 

 万魔の竜(バッドフェロウズ・ヴルム)

 魔王が持ち込んだ魔獣の中でも、極めて厄介なもののひとつである。

 鱗が羽毛状である点で鳥に似ているが、四肢と翼を併せ持つ骨格構造から六肢類――つまりは(ヴルム)類に分類される。体長は馬より少々大きい程度。竜としては小柄で、身体能力もさほど高くはなく、炎を吐く力もないことから、単独では別段手強い相手ではない。

 なのだが……

 

 

     *

 

 

「ヤバいのは奴らの生殖方法なんだ」

 ヴィッシュが土の上に、簡単な塔の図解を描きながら説明していく。

凡食(はんしょく)性と言ってな。奴らはとにかくなんでも食う。動物、植物、土や岩までお構いなしだ。そうして周辺のものを食い尽くしたら、それを材料にして産卵を始める」

「あの塔だね。」

「ああ……ひとつの塔に産み付けられた卵は少なく見積もっても2万個。時にはそれ以上。この数の雛が1日から5日ほどで一斉に孵化(ふか)し、餌を求めて周辺に溢れ出る!

 本格的に孵化(ふか)が始まったら、万単位の軍勢でもなきゃ止められん。そうなる前に始末するのが俺らの仕事だ」

「どうやって?」

「頂上にいる母親を倒せばいい。戦ってみて分かったろ? 塔の雛たちは母親にコントロールされていて、外敵が近づいたら未熟な状態でも孵化(ふか)できるようになっている」

 緋女(ヒメ)とカジュは嘆息しながら顔を見合わせた。次から次へと数を増して襲ってきたり、一斉に酸の矢を吹きかけてきたり……あの一糸乱れぬ連携は母親からの制御があればこそだったのだ。

「ま、母体を守る一種の要塞ってなとこだが……そこが弱点にもなる。親さえ仕留めてしまえば孵化(ふか)を命じるものがいなくなり、あとは放っといても卵の中で死んでしまうってわけだ」

「はいボス。しつもん。」

「どうぞカジュくん」

「どうやって登るんすか。空からは酸の雨でとても近付けないんすけど。」

「……いい質問だ」

 ヴィッシュは苦虫を噛み潰したような顔で、塔の上を睨み上げた。今ごろ頂上では、母竜がのうのうと昼寝でも食らっていることだろう、腹立たしいことに。

「そこだよ。ほんと……そこなんだよなぁ……」

 

 

     *

 

 

「ほんっと……! これがっ……! 気が滅入るんだよ……なああっ……!」

 ヴィッシュは愚痴を垂れ流しにしながら、次の手掛かりに腕を伸ばした。下を見れば地面は遥か彼方。横手を見れば見渡す限り広がる第2ベンズバレンの街並。ああ、絶景かな。これで、絶壁の素登り中でさえなければ。

 対空砲火を避けて頂上にたどり着く方法は、極めて単純。(ふもと)から天辺(てっぺん)まで、この塔の外壁をよじ登るのである。と、言葉にするのは容易いが、ほとんど垂直に近い外壁を、腕力と脚力のみを頼りに、50mあまりも登りきらねばならないのだ。その労力たるや並大抵のものではない。

 ヴィッシュは過去に2度、これと同じ仕事をしたことがある。最後に塔を登ったのは7年前。あの頃でも充分に辛かったが、7年分歳をとった今では、消耗が骨身に染みわたるようだ。

 ――俺も歳食ったなァ……なんて思いたくはねェが。

 疲れる。時間かかる。そして何より、地味。もう少し華やかであったり変化に富んでいたりするならまだ耐えられただろうに。称賛もなくピンチもなく、ただひたすらにキツい仕事を淡々と続けなければならない……このしんどさは、まるで人生そのもののようだ。

 ところが隣では、緋女(ヒメ)がヒョイヒョイと猿のような身軽さで登っている。卵がたくさんの凹凸を作っているおかげで、手掛かり足掛かりには困らないのだが、それを差っ引いても、あの身体能力は超人的だ。そのうえ、登りながらヴィッシュに手を貸す余裕さえある。

「ホラ。がんばれよ。あとちょっとっ」

 緋女(ヒメ)が手を握って引っ張り上げてくれ、ヴィッシュは卵と卵の間の狭いくぼみに身を落ち着けることができた。ここなら座って休憩が取れそうだ。そこに緋女(ヒメ)も尻をねじ込んできて、ふたりギュウギュウ詰めのまま一休み。

「なんか、すまんな」

「んー?」

「俺は足手まといみたいだ」

「それキライ」

 チクリと刺すような言葉に驚いて、目を向けてみると、頬が擦れそうな距離に緋女(ヒメ)の不機嫌顔がある。

「テメーが何したか考えてみ?」

「そりゃあ……支援の段取りつけて。敵の正体調べて。作戦を立てた?

 ……仕事はしてる、か」

「ん」

「まあ、それはそれとして、今度ちょっと鍛え直してみるかなあ」

 緋女(ヒメ)は一転、にこにこと上機嫌に笑顔を見せた。

「すき」

「ありがとうよ」

 そこにカジュから《遠話》が飛んでくる。

〔イチャつきやがって。撃つぞコノヤロウ。〕

「勘弁してくれ」

〔じゃさっさと移動してくださーい。左上方卵みっつぶん先で孵化(ふか)しかかってるよー。〕

 言われてそちらを見上げてみれば、確かに、薄くなった卵殻の中でモゾリモゾリと動く姿が透けて見える。

 ヴィッシュは冷や汗が額を伝うのを感じながら、小さく囁き声を返した。

「……了解」

 

 

     *

 

 

 カジュの仕事は、手近な建物の屋根に待機、塔の様子を観測して登攀(とうはん)組を誘導することである。登っている途中で雛と遭遇したら対処が難しい。戦闘に気を取られ落下でもしようものなら目も当てられない。そんな事態を避けるための役割分担だ。

 昼食の肉はさみパンをもぐもぐとやりながら、カジュは観測用の水晶玉を指で叩いた。即席で術式を構築し、《魔法の目》で集めた情報を分析していく。今のところ異常はない。万事順調……の、はずなのだが。

 彼女の喉から低い唸り声が漏れる。

「……なんか変だな。」

 

 

     *

 

 

 一方、ヴィッシュたちは塔の先端まで残り10m弱のところまで進んでいた。果てしない崖登りも、ようやく終点が見えてきた。体力もいよいよ限界近い。そしてなにより、

「あぁー腹減ったァー!」

 緋女(ヒメ)がヴィッシュの気持ちを見事に代弁してくれた。何しろ今日は早朝に魔獣騒ぎで叩き起こされ、それからほとんど休みなく働きまわっていたのだ。疲労が心地よく食欲をかき立ててくれる。ヴィッシュは力強く鼻息を吹いた。

「畜生めっ。仕留めたら食ってやろうぜっ」

「え、あいつら? 食えんの?」

「極めて美味」

「まじか」

「肉質は鳥に似ているが、味はむしろ引き締まった牛の赤身に近い。噛めば噛むほど旨味が湧いてくる感じでな。胃袋にガツン! と来るんだなあコレが」

「そんで!?」

「煮てよし焼いてよしだが、俺ァシンプルに炭火で串焼きが最高だと思うね」

「塩? タレ?」

「ゆず胡椒」

「あーっ!! いい! いいなー!! まじかー!!」

「酒はパワフルに辛口の麦酒(エール)だ!」

「いやーあぁー! 死ぬー!!」

 と、ふたりで盛り上がっていると、ぱきり、と気味の悪い音が聞こえてきた。目を向けてみれば、横手の卵に大きなひび割れが走っている。孵化(ふか)しかかっているのだ。しかし、さっきと同じように避けてしまえば……

 その時、さらにふたつみっつの破砕音が重なった。いや、ふたつみっつどころではない。視界内にあるほとんど全ての卵が同時に(かえ)りはじめたのだ。

 ヴィッシュたちの背筋にゾッと冷たいものが走った。

「おい、なんだよこれ」

「まずいぞ、まさか……」

 そこにカジュの《遠話》が舞い込み、予想通りの報せをもたらした。

〔ヤバいよ。塔全体で雛が(かえ)りだしてる。〕

「一斉孵化(ふか)! もう始まったのか!?」

 早すぎる。これは完全に想定外であった。卵が産み付けられてから僅か半日足らず。これまで見聞きした中で最短の事例より、さらに丸一日分は早い。

 このタイミングでは、卵の中の雛はまだ充分に育ちきっておらず、飛ぶことさえままならない。当然、塔の高所から生まれ落ちた雛は大半がそのまま墜落死してしまうはずである。

 そのリスクを承知の上で、母竜は早期に一斉孵化(ふか)させる道を選んだのだ。そこにヴィッシュは、母竜の切迫した心理を垣間見た気がした。

「……一体何を焦ってるんだ?」

 だが、今は詮索していても仕方がない。動揺などはなおさら邪魔だ。素早く頭を切り替えて、作戦の修正案を立ち上げる。

「カジュ! 雛の数が増えれば壁も食い破られる。街に出さないように食い止めてくれ!」

〔イエス、ボス。〕

緋女(ヒメ)、お前は先に行け! 奴の足を止めろ!」

「任せなッ!」

 凛々(りり)しく一声吠えるや、緋女(ヒメ)は翼あるかのごとく跳躍した。

 類まれな脚力で卵から卵へ次々に飛び移り、ついでにヴィッシュの進路上で産まれた雛を何匹か斬り捨てながら、みるみるうちに駆け上っていく。最後のひとっ飛びで塔の頂上に躍り出ると、華麗な宙返りを決めて着地した。

 塔の上は、中央がくぼんだスリ(ばち)状の形をしていた。その中央で、羽毛に覆われた竜が一頭、鎌首もたげてこちらを睨んでいる。あれが今回の獲物、万魔の竜(バッドフェロウズ・ヴルム)――その母竜というわけだ。

『――思ったより早い到着だったな、人間よ』

 うおっ、と緋女(ヒメ)が驚きの声をあげ、髪の寝癖をピンと逆立てる。

「喋れんの?」

『人間ふぜいの原始的な言語など、我ら上位者が操れぬはずもあるまい?』

「なんかよく分かんねーけど……

 じゃあさー、迷惑だからどっか行ってよ。ここはあたしらの縄張りだからよ」

 竜は、何か咳き込むような音を発して――ひょっとすると、笑い声だったのかもしれない――こう答えた。

『いかにも獣の言いそうなことだ。

 ちょうどよい……食料を獲りに行く手間が省けたわ!』

 竜が叫ぶと同時に、緋女(ヒメ)の周囲で十匹以上の雛が一斉に卵を飛び出した。獲物を狙う飢えたクチバシが緋女(ヒメ)臓物(はらわた)目がけて殺到する。母竜が無意味に話しかけてきたのは、このための時間稼ぎだったのだ。

 だが、緋女(ヒメ)に焦りはなかった。彼女の犬並みの聴力が、足元で蠢く罠の気配をとうの昔に捉えていた。

 ――言葉は通じても話は通じねーか。

 緋女(ヒメ)が太刀の柄に手を掛ければ、覗いた刃が陽光に煌めき――

 一閃。

 なんたる速さ! 緋女(ヒメ)の姿は(かす)んだ残像と化し、攻撃の網目を縦横無尽に掻い潜る。走る刃はしなやかな絹糸のごとく。かと思えば次の瞬間、一斉に雛たちの首が飛ぶ。

 まさに電光石火の早業。想定外の事態に母竜がたじろぐ。雛を片付けた緋女(ヒメ)はその勢いのまま母竜に肉薄し、列帛(れっぱく)の気合とともに頭上から一撃を叩き込んだ。

 竜は慌てて身を捻り、辛うじて身をかわした。地面に食い付いた緋女(ヒメ)の太刀は、足元の卵をかち割るどころか、塔の上部に一文字の亀裂を走らせさえした。

 人間離れした膂力(りょりょく)――いや、剣の冴えか。竜は大急ぎにその場を離れ、次々に雛たちへ孵化(ふか)を促す波動を送りながら、憎々しげに悪態を垂れた。

『化物め!』

「てめーが言うなッ!」

 続いて産まれ出た雛たちが、またしても緋女(ヒメ)の前に立ち塞がる。緋女(ヒメ)は小さく舌打ちした。これでは地上で戦った時と同じだ。斬っても斬ってもキリがない。

 その上ここでは、雛たちが母竜の指示のもと、効率的な陣形を組んでさえいる。まず数匹が遠巻きに緋女(ヒメ)を取り囲む。更に数匹が前線で横陣になり、残りが母竜の前で壁を作っている。この構えはおそらく――

 ジャッ、と脂の焦げるような音がして、周囲から幾筋もの矢が飛来した。カジュを悩ませた酸の矢を、遠くの雛たちが吐き出したのだ。

 緋女(ヒメ)は、地面をひと蹴りした。

 彼女の身体は風となり、いとも容易く酸の雨を振り切った。その行く手を狙ってさらなる酸が襲いかかる。が、進路を切り返し、飛び上がり、あるいはひたすらに駆け抜けて、絶え間なく降り注ぐ矢をことごとくかわし切る。

 雛たちも黙って見てはいなかった。横陣になった雛たちが緋女(ヒメ)を押し包みにかかる。が、緋女(ヒメ)は一体目の脚を切り、二体目を蹴って跳躍し、落下しながらの一撃で三体目の胴を両断、続く四体目をむんずと掴み、酸の矢を防ぐ盾にして、焼け焦げ悲鳴を上げるそれを五体目めがけて投げつける。

 ここまでがわずか数秒のこと。

 次々に屠られていく雛たちを見て、母竜は戦慄した。

 ――とても(かな)わぬ!

 決断するや、竜の行動は早かった。自分の前で壁にしておいた雛たちを、緋女(ヒメ)にけしかけた。これでどうにかなるとは思っていない。ほんの数秒、羽ばたいて飛び立つまでの時間が稼げればよい。

 母竜は逃げにかかったのだ。せっかく我が身を痛めて産んだ卵塔は惜しいが、命には換えられない。母が生き長らえるための時間を稼いでくれたなら、それだけで産んだ価値があったというもの。子供はまた作ればよい。

 だが、致命的なことに、竜は気づいていなかった。

 時間を稼いでいたのは、狩人のほうも同じだったということに。

 母竜が大きく翼を広げた、そのときだった。

 突然背後から振り下ろされた剣が、片方の翼を半ばから切り落とした。

『ギャッ!?』

 悲鳴とともに振り向けば、そこにいたのは、もうひとりの狩人――ヴィッシュ。

 これが彼の立てた作戦だったのだ。緋女(ヒメ)をぶつければ竜を撃退することは簡単だが、飛んで逃げられれば面倒なことになる。また、万魔の竜(バッドフェロウズ・ヴルム)の性格から言って、危なくなれば雛をけしかけておいて自分だけ逃げる手に出ることは充分予想される。

 そこで緋女(ヒメ)を先行させ、適度に竜を追い込み、逃げにかかった瞬間を狙ってヴィッシュが仕留める案を考えたのであった。

 今や竜は全てを悟っていた。だがそれはあまりにも遅すぎた。

『おのれ! 身をやつしさえしなければ!』

 痛みと恐れを怒りによって塗り潰し、竜はヴィッシュに襲いかかった。大槍のようなクチバシが、ヴィッシュの首に向かってくる。

 が、その槍が届くことはなかった。

 雛たちを蹴散らした緋女(ヒメ)が、ひとっ飛びに駆けつけ、竜の首を叩き斬ったからであった。

 

 

 

(つづく)

 


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