勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第6話 “万魔襲来”
第6話-01 神よ、あわれみ給え


 

 

「……ああ、腹が空いた」

 凍てつくように冷え込んだ()る夜のこと。三人の聖職者たちが、震えながら街を巡り歩いていた。

 毎月(ついたち)の“灯火巡礼”は、啓示(オラシオン)教導院が最も重要視する儀式のひとつだ。今より遥か1300年の昔、天が太陽を(うしな)った“光無き419夜”に、聖女トビアは内海一周の大巡礼を成し遂げ、ついに太陽再生の奇跡を起こしたという。その故事にならい、暗闇に閉ざされた新月の夜、消えぬ信仰の象徴たる灯火をもって教区内すべての祭壇に火を配り回るのである。

 とはいえその敬虔な信仰も今は昔だ。長い年月の果てに儀式は形骸化し、現代の堕落した――もとい、“現実的”な聖職者たちにとっては、しょせん面倒な月例業務のひとつに過ぎない。愚痴もこぼれようというものだ。とりわけ、こんな過酷を極める夜には。

「ああ、腹が空いた」

 もう一度、今度は先ほどよりはっきりと不満を述べると、同輩の巡礼がその肩をぽんと叩いた。

「がんばれ。大聖堂に戻ればいいものが待っているぞ」

「いいもの?」

「このお役目は初めてか? 子羊よ」

 無言でうなずく“子羊”に、お調子者は神気取りで託宣を下す。

「おお、あわれなる子羊よ。聖なるところにおいて、聖なる焼き肉と聖なる熱燗(あつかん)(なんじ)を待つであろう」

「聖なるかな!」

 思わず祈り言葉が口をついた。“神”がにやりと笑う。

「うちの教区では、灯火巡礼の後にふるまい酒が出るならわしなのさ。いいぞお、脂たっぷりの牛肉をな、厚く切って網焼きに……」

「神よ、あわれみ給え」

「いちばん上等なワインを温めて、肉桂(シナモン)と砂糖をたっぷり入れて……」

「ここは天国だ!」

 この大げさな感謝の祈りには、さすがの神も困惑気味であったろう。(ここに言う神とは“気取り”ならぬ真の神のことだ――もし存在するのなら)

 とはいえ、焼き肉に甘いワインとくれば、戒律と財政事情のために質素倹約を強いられている聖職者にとっては確かに天国であった。普段彼らが口にするものといえば、酸味ばかりが際立つ饐えたワイン、すっかり固くなって口の水分を吸い取るばかりのパン、あとはからからに干からびたチーズのひと欠けがいいところ。新鮮な肉や砂糖など、もう何年味わっていないだろう。

 “子羊”と“神”はすっかり意気投合し、一緒になってはしゃぎ回った。眉をひそめるのは、一歩前を行く灯火係である。彼は他のふたりと違っていくぶん真面目な男であった。しばらくは黙って聞いていたが、やがて後ろの連中の不信心が我慢ならなくなったと見えて、キッと睨みつけながら叱り飛ばした。

「おい! 少しはわきまえたらどうだ」

 たじろぐ“子羊”の横で、“神”がふてぶてしく肩をすくめる。

「何をわきまえよと?」

「聖トビアの艱難辛苦(かんなんしんく)を思えば、この程度……」

「そよ風のごときものだと」

「そうだ」

「肉と酒に心動かされるなど堕落だと」

「そのとおり」

「すばらしい! ならば貴兄の()()は、我らが責任をもって引き受けよう」

「そ……」

 沈黙。

 やがて、

「……………それは、待て」

 クスクス笑いが漏れた。その笑いが聞こえないかのように、真面目ぶった巡礼は神に(ゆる)しをもとめている。「堕落したこの身を云々」などと。

 要するに、みな同じ穴の(むじな)というわけだ。“子羊”も“神”も“堕落”も、みんな分け隔てなく。

 食への欲求は大きいものだ。行く手に酒一杯、肉ひと切れさえ待っているなら、人は相当な地獄にも耐えられる。

 巡礼たちは大聖堂への帰路を急いだ。寒気のために膝はすっかり凝り固まり、足どりは鉄枷(てつかせ)を引きずる囚人のごとくであったが、気持ちだけは炎のように燃えていた。肉と酒。

 力を振り絞って歩むうちに、空が乳を流したように白みだし、陰気な石造りの建物が遠目に見えた。終点まであとわずか。この通りをまっすぐ行けば辛い巡礼行も一段落。ご馳走(ちそう)が彼らを待っている――

 だが、彼らは知らなかったのだ。

 自分たちと同じように、寒空の下、じっとご馳走(ちそう)()待ち構えていた者がいたのである。

 “神”が不意に足を止め、小さく声を上げた。他のふたりがいぶかり、彼の顔を覗き込む。どうした、と問うてみても、“神”は水面であえぐ小魚のように口をぱくぱくさせるばかり。

「それはなんの冗談だ?」

 “堕落”が尋ねた。いつもの他愛(たあい)ない戯れだと思ったのだ。

 戯れであれば、どんなに良かったことだろう。

「あ……れ……」

 “神”が指さすのに従って、三人そろって空を見上げる。

 天をつくような巨大な塔の影が、朝日の中に白く浮かび上がっていた。

 巡礼たちが呆気(あっけ)にとられて言葉を失う。あまりにも巨大すぎて距離感も掴みづらいが、塔の立っている場所は、おそらく大聖堂のすぐそばだ。昨晩、巡礼に出発した時には、確かにあんなものは存在しなかった。

 その時、“子羊”が救いを求めた――怯えきった震え声で。

「神よ、あわれみ給え」

 彼は見たのだ。

 不気味な塔の突端。そこに曙光を背負って停まり、眼を食欲にぎらつかせた――竜の姿を。

 竜がゆっくりと翼を開く。

 狩りが、始まった。

 

 

     *

 

 

「あーあ……もうメチャクチャ」

 翌朝、東教区大聖堂近くの三角屋根に、ちょこんと座る緋女(ヒメ)の姿があった。膝の上にぶらりと両腕を投げ出し、顔をしかめて大聖堂()の光景を見下ろしている。

 あの牢獄にも似たいかめしい建物は今や影も形もなく、敷石さえも綺麗にはぎ取られ、むき出しの空地と化していた。

 そしてその中心に、不気味な塔がそびえ立っていた。高さは見上げるだけで首が痛くなるほど。素材の質感は石灰岩に似て白く、人の背丈ほどもある大きな球体が無数に積み重なった形をしている。吹き上がりながら凝固した泡――あるいは卵のようにも見える。

 昨夜遅く、誰も気づかぬうちに、この塔が突如として出現したのだ。

 それと同時に現れた正体不明の魔獣によって、大聖堂を中心とする都市半ブロックあまりは壊滅状態となった。建物はことごとく損壊。死者・行方不明者は少なくとも16名。怪我人は数え切れぬほど。今ごろモンド先生の診療所は、押し寄せた患者でてんてこまいだろう。

 ふと、緋女(ヒメ)は話し声を聞きつけた。屋根の下をのぞき込めば、怖いもの見たさの物好きたちが数人、ひそひそと他愛もないことを噂しながら塔を見物している。めんどくさそうに溜め息をつき、緋女(ヒメ)は威圧的な声を作って叱り飛ばした。

「コラァ! 近寄るんじゃねーよ! 危ねえだろうが」

 突然頭上から降り注いだ声に、見物人たちは、巣穴を暴かれた小虫のような素早さで散っていった。

「おー。お仕事やってるね。」

 そこに、偵察のため飛び回っていたカジュが戻ってきた。《風の翼》を解除して屋根の斜面に降り立ち、足を滑らせかけて、緋女(ヒメ)の肩を掴んでとどまる。

 緋女(ヒメ)は不満そうに口を尖らせた。

「“人を近づけるな”、だろ」

「“俺が行くまで手は出すな”もね。」

 この指示が大いに不満だったのだ。何もせずに待つのは性に合わない。とりあえず暴れたい。しかし命令は守らねばならない。ムズムズする。

 はやる気持ちをごまかそうと、緋女(ヒメ)は首を傾け、カジュに擦り寄せた。

「えらいだろ。ほめろよ」

「えらいえらい。」

 カジュはその頭をワシワシと撫でてくれた。まあ、ちゃんと褒めてくれたのだから、我慢してやってもよいだろう。

「で、そっちは? 塔、見てきたんだろ」

「んー、かなり高いねー。目測で50m強ってとこかな。」

「なんかいた?」

「てっぺんに。でっかいのがね。」

 カジュが空から観察したところによると、塔の頂上には巣のようなものがあり、そこに魔獣が一体いたらしい。体格は馬より一回り大きい程度。全身が羽毛に覆われており、鳥に似ているが、おそらくは竜の一種だ。腹が満ち足りたせいか、翼をたたんで丸くなり、ぐっすりと眠り込んでいたという。

 話を聞き終えた緋女(ヒメ)はカジュの外套(マント)をちょいと引っ張り、

「じゃあさ、そいつ斬ったら終わりじゃね? 上まで運んでよ」

「腕ちぎれる。」

「あたしが自分でぶらさがるから」

「腰折れる。」

「じゃあ手足ぜんぶで抱きつくから」

「やや照れる。」

「照れんなよ」

 と、わけの分からない相談をしていた時だった。けたたましい男の悲鳴が、突然二人の話に割り込んだ。

「助けてくれ!」

 一瞬にしてふたりの神経がピンと張り詰める。臨戦態勢で声の出どころを探すが、見つからない。どこか死角にいるのか。魔獣のために遮蔽物(しゃへいぶつ)らしい遮蔽物(しゃへいぶつ)もなくなってしまったこの場所だ。もし死角があるとすれば、ただひとつ。塔の裏側だ。

「援護!」

「ラジャ。」

 とカジュが応えた時には、すでに緋女(ヒメ)は飛び出していた。目で追うことさえ困難な速度で屋根から駆け降り、崩れた壁を跳び超えて、塔の反対側に回り込む。

 そこで尻もちをついていたのは、顔面蒼白の野次馬。さっき緋女(ヒメ)に追い払われた連中のひとりだ。近くの運河に小さな手漕ぎ舟が停めてあるところをみると、どうやら緋女(ヒメ)の目を避けてわざわざ運河から裏に回ったらしい。

 そして男の目の前で目を光らせているのは、馬ほどもある巨大なヒヨコ――いや、竜の雛だ。

「オラァ!」

 肉薄、即、叩ッ斬る。抜き放ちざまに振り下ろした太刀は、雛の胴を真っ二つに断ち割った。

 あっけない――が、緋女(ヒメ)は類まれな聴覚によって察知していた。塔の表面、あの正体不明の球体の中で、いくつかの気配が蠢いている。

 塔の根本あたりを見れば、砕けて内部のがらんどうを晒している球体がひとつある。竜の雛はあの中から湧いたのか。ということは、やはりこの塔は――卵! この積み重なった球体全てが卵なら、その総数は千や二千どころではあるまい。もしこれが一度に孵化(ふか)しようものなら……

 危険だ。緋女(ヒメ)は油断なく塔を見据えながら、野次馬の男に怒鳴りつけた。

「逃げな!」

 だが、男は完全に腰を抜かしたと見えて、立ち上がることもできず震えるばかりであった。さらに折悪しく、卵みっつにひび割れが走った。竜の雛が3匹、内側から殻を突き破り、矢のように飛び出してくる。

 ――しょうがねえ!

 舌打ちひとつ、緋女(ヒメ)は男の襟首をひっつかみ、そのまま運河へ放り込んだ。豪快な水音を聞くと同時に刃を(ひるがえ)し、突進してきた雛の1匹を切り捨てる。続いて2匹目のクチバシを、上半身の捻りのみで巧みにかわし、地を這うような薙ぎ払いで、残る1匹もろともに脚をまとめて切り落とす。

 悲鳴を上げ、もつれあって倒れる雛たち。その間を潜り抜け、太刀を両手に構え直す。

 が、一息つく暇もなかった。塔の下部にあった卵が一斉に孵化(ふか)を始めたのだ。自ら殻を突き割り、次々に産まれ出る竜の雛。その数は目につく範囲だけでもざっと2、30。さらにまだまだ増えようとしている。

 さすがの緋女(ヒメ)もギョッとして、

「うえっ……おいカジュっ!」

 

 

     *

 

 

「今やってますよー。」

 悲鳴じみた援護要請を、カジュは上空で聞いていた。《風の翼》で戦場を見下ろせる位置に滞空し、杖を脇の下に挟んで構え、その先端を雛の一匹に向ける。片目を閉じて、慎重に狙いを定め――

「《光の矢》。」

 強烈な遠距離法撃が狙い違わず雛を射抜き、ただ一撃で息の根を止めた。

 が、これも焼け石に水か。地上では緋女(ヒメ)が暴れ回り、すでに10匹近い雛を片付けていたが、敵の数は減るどころか増え続けている。《爆ぜる空》あたりでまとめて焼き払いたいが、それだと緋女(ヒメ)を巻き込んでしまうし、近隣のまだ無事な建物まで粉砕してしまう。といって時間をかければますます手のつけられないことになる――

 と。

 考え込んでいたカジュは、何か弾けるような音を聞きつけ、徹底的に訓練された条件反射によって身をひねった。

 ジャッ、と空を裂き、弾丸のようなものがカジュをかすめて過ぎた。どうやら外套(マント)(すそ)にかすったらしく、白い布が焼け焦げたように黒く変色している。とっさに回避行動を取ったからよいものの、もしまともに食らっていたら、“痛い”では済まなかっただろう。

 ――酸か。

 塔の方を見れば、卵から頭だけを付き出した雛たちが、10匹余り顔を並べてこちらを見上げている。

 ――あ、ヤバい。

 次の瞬間、予想通り、雛たちが一斉に酸の体液を噴射した。その勢いはさながら弓兵部隊の対空射撃。カジュは必死に砲火の隙間を縫い進んだものの、ついには避けきれなくなり、

「《光の盾》っ。」

 辛うじて防御の術で難を逃れた。

 とはいえ安心してはいられない。すぐに第二射が飛んでくるはず。

 ――まずいな。これじゃ緋女(ヒメ)ちゃんの援護どころじゃない。

 だが眼下には、際限なく増え続ける敵を相手に苦戦を強いられる緋女(ヒメ)の姿。カジュは懸命に思考を巡らせて……とりあえず、ひとつの答えを導き出したのであった。

 

 

     *

 

 

「……で、こうなったわけか」

 遅ればせながら駆けつけたヴィッシュは、そびえ立つ壁を見上げ、ぼんやりと頭を掻いた。

 カジュのとった対策はシンプルなものであった。《石の壁》を連続して立て、塔の周囲をぐるりと取り囲んだのだ。酸の矢は射程距離の外に逃げれば飛んでこないし、空の飛べない雛たちにこの高さの壁を超える手段はない。壁を立て終わるまでに何匹か外に漏らしてしまったが、それは緋女(ヒメ)が片付けた。

 確かに、当面はこれで大丈夫だろう。とはいえ、その過程で緋女(ヒメ)は軽傷を負ってしまった。ほんのかすり傷程度のものではあったが。

 地面にあぐらをかき、カジュに手当してもらいながら、緋女(ヒメ)は後ろめたそうにそっぽを向いている。

「だってしょうがねえじゃんかー! あの場合よーっ!」

「別に責めちゃいねえよ。むしろとっさによくやってくれた」

「ヌゥ……」

「先に詳しく話しときゃ良かったな……ちょっと慌てちまって」

「それだよ。ヴィッシュくん何してたの。」

「警吏とコバヤシに協力要請。住民避難とか、立入禁止とか……まあ段取りだ。ちょっとおおごとになるんでな」

「一体何なんだよ、アレ。なんかヤバいやつ?」

 ヴィッシュは盛大に溜め息をついた。もう、名前を口にするのも嫌だ、と言わんばかりのしかめっ面で。

万魔(バッドフェロウズ)

 ――なんかヤバいやつだ」

 

 

 

(つづく)

 


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