勇者の後始末人   作:外清内ダク

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第4話-03 竜使いの鈴

 

 

 竜使いの鈴(ドラゴンルーラー)を一目見て、レオは会心の笑みを浮かべた。その満足げなことといったらゴローの想像を遥かに超えていた。

 ゴローはふと、レオの笑顔を誇らしく感じている自分に気づいた。彼を満足させられたことが嬉しかったのだ。

 レオはゴローを正当に評価してくれた初めての男だ。確かに、買いかぶり気味の信頼に重圧を覚えもした。だが今や、彼は自らの手で証明したのだ。自分は期待通りの腕利きなのだということを。

 そのレオが、ゴローの肩を叩く。その手は確かに獅子の手だ。荒々しくも、鷹揚で柔和。

「よくやってくれた。お前は完全に役目を果たしたよ。

 さあ、依頼人の元へ行こう。危険手当をたっぷりふんだくってやろうじゃないか」

「今から?」

「早いほうがよかろう?」

 確かに、その通り。

 ゴローはレオに導かれ、闇に包まれた通りを歩いていった。夜の第2ベンズバレンはひんやりと冷たく、ゴローは何度か身震いをさせられた。あれほど暑かった夏はいつの間にか遥か彼方へと遠ざかり、季節はもうすっかり秋。

 ふと、ゴローは未来に思いを馳せた。

 子供が生まれるのは、いつごろになるだろう? たしか――そう、妊娠期間は七月七日(ななつきなのか)、なんて言葉を聞いたことがある。すると、出産は風月のころ。爽やかな春風が肌を撫で、美しい草花が舞い踊る季節。いいじゃないか。生まれてくるのにぴったりな、すてきな季節だ――

「えへへ」

「どうした?」

 ひとりでニヤついているのが気持ち悪かったのか、レオが眉をひそめている。

「いやあ。今まで、季節がすてきとかすてきじゃないとか、考えたこともなかったんでェ」

「何の話だ?」

「えっへへえ……」

 ゴローは坊主頭を撫でまわした。側頭部の髑髏(どくろ)の入れ墨が、一緒になって笑ってくれる。

 さて、レオの後をついて歩くうち、辺りはよく見知った風景に変化していった。あれっ、とゴローが声を上げる。この界隈には何度となく来たことがある。貴族や大商人の邸宅が並ぶ高級住宅街、遺産通り。

 やがてレオはある門の前で足を止めた。

「ここォ?」

 ゴローが驚いたのも無理はない。

 そこは彼のお得意先――あのしみったれな執事(スチュワード)、ブリアン閣下の勤める屋敷だったのだ。

 

 

     *

 

 

 ゴローは執事(スチュワード)ブリアンの前に通された。ブリアンはまるで初対面のような顔をしてゴローを迎え、商品を受け取ろうとした。ゴローは後ずさり、それを拒絶した。この執事がどんな人間であるか、短からぬ付き合いの中でよくよく承知していたからだ。

「金と引き換えっス。でないと渡せねェ」

 今回ばかりは万にひとつも買い叩かれるわけにはいかない。竜使いの鈴(ドラゴンルーラー)は、ゴローの未来そのものなのだ。

 執事(スチュワード)ブリアンは露骨に不快の表情を浮かべたが、すぐに思い直し、重そうな革袋を取り出した。机に袋を載せるや、耳心地良くも重々しい金属音が聞こえてくる。反射的に顔をほころばせるゴローに、ブリアンは不機嫌に問う。

「確認する必要があるかね?」

「もちろん」

 小さな舌打ちは、決して聞き間違いなどではあるまい。

 ブリアンは袋の中の金貨を机に広げ、品質を確認するよう促した。ゴローは無作為に数枚を取り出し、口に入れてひと噛みした。どの金貨にもくっきりと不揃いな歯形がついた――本物の金だ。銀を混ぜ込んだ低品質の金貨であれば固くなるから、噛み跡は残らない。

 それから、全員で手分けして金貨を積み上げ、枚数を確認していった。その間、ゴローは片時も木箱を手放さなかった。油断してはいけない。まだ取引が済んだわけではない。いつ何を仕掛けてくるか分かったものではないのだ。

 数えるだけで、ちょっとした仕事になった。それが終わった後、ブリアンは溜息まじりに再び問う。

「前金の10倍だったな。文句があるか?」

「ないっス!」

 晴れて、取引は成立した。

 邪悪な法具(フェティシュ)の収められた小箱は執事(スチュワード)ブリアンの手に渡り、そして――ゴローは金を手に入れた。大きな皮袋にぎっしりと詰まった金をだ。ゴローは感極まって革袋を抱きしめた。掴んだ。やっと掴んだ。

 ――これが未来。オレの未来だ!

 涙が零れそうになる。

 もうそろそろ夜明けの時刻だ。それと同時にゴローの長い長い夜も明ける。そうしたら、まっさきにコンスェラの所に行こう。この金貨の山を見せてやろう。きっとびっくりしてくれる――あ、いけない。あんまり驚かせすぎて、お腹の子に障らないだろうか? だから、ゆっくりちょっとずつ匂わせて、たっぷりと焦らしてかわいがってやろう。それが済んだら、こう言ってやろう。「もう働かなくていいんだよ。子供のためにのんびりしてな……後のことは、オレがやるから」

「今回は苦労をかけたな、ゴロー」

 ゴローの幸せな空想を破ったのは、獅子(レオ)の力強い微笑みだった。

「ささやかだが、(ねぎら)いの酒を用意してある。ま、一杯やろうじゃないか。

 準備はできていましょうな、閣下?」

 執事(スチュワード)ブリアンは、小さく鼻を鳴らして出ていった。あれが彼なりの肯定の返事なのだ。枯れ枝のような背中がドアの向こうに消え、レオが聞こえがしにせせら笑う。

「は! しみったれが。

 気にするなよ、ああいう男なんだ」

 それからレオに促され、ゴローは部屋を後にした。

 酒、か。獅子(レオ)と飲む酒は面白いだろうか? いいかもしれないと思える。いつものバカ騒ぎとは違う、もっと有意義な、実りある話ができるかもしれない。いつのまにかゴローは、堂々たる百獣の王に畏敬の念さえ抱き始めているのだった。

 なのに――なぜ? 最前から、正体不明の悪寒が止まらない。

 先に立って歩くレオの背中が、妙に遠く、妙によそよそしく見える。乏しい灯りのせいだろうか。冷え切った石造りの廊下のせいだろうか。一足ごとに不安は深まり、ゴローの(はらわた)を蝕むかのようだ。

 何か、致命的な間違いを犯している――

 根拠も何もないはずなのに、そんな予感ばかりが、意識の片隅でずっと明滅を繰り返している。

 また臆病風に吹かれたのだ、とゴローは判断した。すでに金を掴んだ今になってなお、自分が抱いた夢の大きさと重さに押し潰されそうになっているのだ。その重圧を跳ねのけようと、努めて明るい声を作り、レオに話しかけてみる。

「ブリアンさんと知り合いだったんすねェ」

「ああ。白状すると、奴からお前のことを聞いたんだ。腕もいいし、働きぶりも真面目。なにより一匹狼というのが他に得がたい、とね」

「はあ……?」

()()()()()()()()()()()()()だろう?」

「ああー」

 振り返ったレオの笑顔はからかうように気楽で、ゴローも釣られて笑ってしまう。

 竜使いの鈴(ドラゴンルーラー)を求めたのが執事(スチュワード)本人かその上の貴族様かは知らないが、あんなものを手に入れたということが世間に知られるわけにはいかない。その秘密を守るために、代理人を経由して一匹狼に依頼する、なんていう手の込んだ偽装も必要だったのだろう。

 歩きながら、不意に、レオは深い溜息をついた。その後ろ姿に、どこか愁いのようなものが見て取れる。

「うむ……やはり、お前には話しておくべきだろうな」

「なんスかァ?」

「俺はここ数年、大がかりな計画を進めていたんだ。さる高貴なおかたの命令でね。

 その計画を遂行するには、金と権力と隠れ蓑が必要だった。その全てを調達する手段として、俺は執事(ブリアン)篭絡(ろうらく)した。欲深な男は扱いやすいからな――おっと。このことは閣下には内緒だぜ?」

 ふたりして乾いた笑い声をあげる。

「ところがだ。計画の最終段階まであと僅かというところで裏切者が出た。最後の仕上げに絶対に欠かせない大切な品物を盗み出してくれたのさ。なにしろそれは貴重なものでな。どうしても取り戻す必要があった。

 正直言って困ったよ。俺たちが直接動くと、警戒してよけい深く身を隠すだろうし――」

「あのォ……」

 ゴローは、坊主頭をぼりぼりと掻きながら、一向に要領を得ないレオの話に割り込んだ。

「一体なんの話スか……? オレ、頭悪くってェ……」

「こういう話さ」

 熱。

 はじめゴローが感じたのは、小さな熱。それきりであった。右の腿に僅かな衝撃があったかと思うや、そこからジワリと熱いものが広がりだしたのだった。

 なんだろう? 呑気に自分の脚を見下ろし、ようやく気づく。

 腿の筋肉を貫いて、一本の短剣が深々と突き立っていた。

 悲鳴を上げてゴローは転がった。痛みが襲ってきたのはその後だった。レオが自分を刺したのだと気づいたのも。

「もともとこういう計画だったのさ。

 盗まれた鈴が手元に戻れば、お前の口を封じておく。そのためには身寄りのない貧乏人が一番いい――どこからも文句が出ないからな」

 気がつけば、そこは大きな石造りの別棟であった。いくつかの柱と壁が並ぶばかりのホールは、がらんとして寒々しく、濃密な暗闇に満ちていた。

 レオが、にっこりと微笑む。

 何故だろう。いつのまに、ゴローは忘れてしまったのだろう。初めてこの男と会ったとき、直感したのではなかったか? こいつはろくでもない男だと。他人を騙す、そのために、笑顔を武器として使える男だと。

 なのに何故。

 何故こうまで、この得体の知れない男を信じてしまった?

 今やゴローの魂の奥底で、獣の感性と心を持つもうひとりの自分が、絶え間なく警告を叫んでいた。

 ――逃げろ! お前は()()()()()

 だが、逃げる時間さえ、もはや残されていなかった。

()()()()だよ。これは必要なことなんだ」

 その瞬間。

 ゴローの左右の石壁が弾け飛んだ――ゴミクズを吹き散らすかのごとく、軽々と。

 

 

     *

 

 

 その光景を形容する術を、ゴローは持たない。

 もし彼に学があったなら。詩文の心得があったなら。美しくも残酷な言の葉でもって、己を待ち構える運命を色鮮やかに呪ったであろう。しかし持たざる者ゴローにできたのは、ただひとつ、その場に立ち尽くすことのみであった。

 事態は、彼に認識可能な領域をはるかに凌駕していたのである。

 壁に空いた穴からは、魔獣どもが次々に這い出してきた。鉄面皮ゴブリン。衝角猪(ラムボア)地獄の番犬(ヘルハウンド)。全く得体の知れない不定形のものども。異形の怪物が洪水のごとく押し寄せて、みな獅子(レオ)の前に(ひざまず)く。

 リン、と、どこかで鈴の音がした。

 その呼び声に応えるように、さらに巨大なものたちが姿を現す。

 丸太のような腕をした、毛むくじゃらの岩砕き鬼。

 大の大人すら一飲みにする大口から、不気味な唸りを垂れ流す象獅子(ベヒモス)

 鋼鉄の鱗を星灯りに(ぬめ)らせる邪悪と炎の化身――鱗の(ヴルム)

「計画発動を目前にして、情報を漏らすわけにはいかない。だから――」

 ――ああ。

 遠く鳴り響く竜使いの鈴(ドラゴンルーラー)の音色に従って、獣どもが、一斉にその目をゴローに向けた。

()()()()()、ゴロー」

 ――死ぬんだ、オレ。

 そして。

 地獄が始まった。

 

 

(つづく)

 


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